「白人のパリピお嬢様と有色人種の真面目メガネ女子の壮大なる友情物語」ウィキッド ふたりの魔女 盟吉津堂さんの映画レビュー(感想・評価)
白人のパリピお嬢様と有色人種の真面目メガネ女子の壮大なる友情物語
往年のミュージカル映画の名作『オズの魔法使』(1939)の前日譚…ということなのだけど、あの家族で楽しめる明るいファンタジーの『オズの魔法使』とはずいぶん雰囲気が違う。
そりゃまあ、『オズの魔法使』では完全に悪役だった西の悪い魔女エルファバと、彼女と敵対していた善い魔女グリンダがかつては親友同士だったという驚愕の事実が語られる作品なので雰囲気が違っていて当然なのだけれど、それはそれとして、なんだか色々と問題意識の強い作品なのである。
それは差別の問題であったり、格差の問題であったり、才能や知性がある者とない者の対立の問題であったり、果ては民衆を騙して煽動しようとする権力者の問題だったりと、かなり社会的政治的な問題が作中で扱われているのだ。
なんでこんなに問題意識が強いのかしらん、と思ってWikipediaを覗いたりすると、そもそも大元の児童文学「オズの魔法使い」からして様々な政治的な解釈がなされる作品だったようなのである。
すなわち、オズの国とはアメリカ合衆国のことであり、オズの大魔法使いとはアメリカ大統領を指す、といった解釈である。
「オズの魔法使い」の作者ライマン・フランク・ボームは自分の作品に政治的な比喩が込められているとは一度も言ってないようなのだけど、彼自身が事業を起こしたり転職を繰り返したりしていた人物で、そういう様々な社会経験から着想を得て作品を書いていたため、後世の人たちは彼の作品の中にアメリカの縮図を読み取ったようなのだ。
本作はブロードウェイのミュージカルの映画化作品だけど、元となる原作小説「ウィキッド 誰も知らない、もう一つのオズの物語」もそういった政治的解釈の延長線上にある物語だと思われるし、ミュージカル自体も湾岸戦争をきっかけに製作されたようで、そこには権力の側が喧伝する“善と悪”というものに対する不信感が如実に窺える。
見方によってはそういう問題意識の強さがプロパガンダ、と言うとちょっと言い過ぎだけど、ステレオタイプなキャラクターの描き方に繋がっているということは言えるかもしれない。
後の善い魔女であるグリンダは、アメリカ社会における金持ちの白人お嬢様であり、後の西の悪い魔女エルファバは緑色の肌によって差別されていて、これもまたアメリカ社会において知性も才能もあるけれど差別されている有色人種の女性だと言えるだろう。
スクールカースト上位でチヤホヤされている白人のパリピお嬢様と、スクールカースト下位で差別されている有色人種の真面目メガネ女子という図式がちょっとステレオタイプすぎるんじゃないかと自分なんかは感じてしまった。
…って、言うか自分もどっちかというとスクールカーストの下の方を常にウロウロしていた人間なので(笑)、どんな映画だろうとスクールカーストを描かれると昔のことを思い出してモヤモヤしちゃうのである(個人の感想です笑)。
ただ、そんなステレオタイプな描写を吹っ飛ばすのがグリンダを演じたアリアナ・グランデと、エルファバを演じたシンシア・エリヴォの圧倒的な歌唱力である。
アリアナ・グランデは世界的な歌手だけど元々はブロードウェイでミュージカル女優としてデビューしたそうだし、シンシア・エリヴォもブロードウェイで舞台に立ってトニー賞やグラミー賞を受賞したほどのミュージカル女優である。
彼女たちのミュージカル女優としての世界トップレベルの歌唱力にはただただ圧倒されるばかりであり、その歌声を聞くだけでも本作を観る価値があるとすら言える。
さらに、エルファバとグリンダの間に友情が芽生え、二人でエメラルドシティに行ってからの急展開は息つく暇もなく、あれよあれよと言う間にオズの国全体を揺るがすような壮大な物語へと発展していく。
特にエルファバが強大な力を持つ魔女として覚醒するシーンは圧巻で、ほとんどアメコミヒーロー誕生のような大迫力でワクワクしてしまった。
ただ、本作は『オズの魔法使』の前日譚であり、観客である我々はエルファバがいずれ西の悪い魔女としてドロシーと対決することになるのを知っている。
本作でのエルファバの描き方は、ある意味では『オズの魔法使』の素朴な世界観を否定することにもなりかねない。
自分は舞台も観ていないし原作小説も読んでないのでこの物語の着地点がどこにあって、どのように『オズの魔法使』に繋がっていくのか全く知らない。
黒いマントを翻して箒にまたがってマッハの速度(たぶんそのくらい出ていると思う)で空を飛ぶエルファバが一体どこへ向かうのか、固唾を飲んで見守るしかない。
