劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来のレビュー・感想・評価
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ヤバイ! 開始10分で泣くとこだった!
開始早々、アニメオリジナルの舞台、鬼殺隊の無数の墓のシーンから。かつて、お館様が胸に刻んだ鬼殺隊の名を唱えて祈ったその墓場に立つのは、密かに主の意志を預かった岩柱・悲鳴嶼恭平。その姿は正に、亡き鬼殺隊の墓を、その全ての意志を背負っているかのよう。お館様の最後を思えば、それだけでジワッと泣けてくる。
そして遂に無限城に突入。よくぞ映像化に実現してくれました。その光景は三次元版のマンデルブロー・フルクタルとでもいうのか、アニメ映画史上屈指であろう緻密さ、壮大さ、そして美しさ。
そこに鬼殺隊は、柱達は、炭治郎・善逸・伊之助が突入する。極めて、恋柱・甘露寺蜜璃の手を取り、護り、見事な太刀筋で鬼達をさばく蛇柱・伊黒の原作通りにして原作以上の格好良さ。ここまでで既に目頭がギンギンに熱くなってしまいました。
アニメ化として、正しく原作以上の作画とシーン運び、モーションの仕上がりに大満足。加えて、重く、心に来る、感じ入るアフレコの名演技。名優揃いの贅沢三昧。
まあ勿論、お話的には後々のストーリーは大体熟読した原作通りなのですが(ちょっとアニオリな調整がはいってますが)私が感じ入った善逸のシリアスバトル、胡蝶しのぶの死闘、猗窩座のサイドストーリーまで、映像として見れる感動。これぞアニメ化の醍醐味。まあ勿論、昔からアニメ化・実写化されることに評価がわかれることも多いのですが、私はこの出来映えに満足です。
全体的に激闘・死闘の連続なので笑えるシーンは少ないのですが、村田さんの水の呼吸にはちょっと感動。これもアニオリですよね? なんだか動きがしょっぱいのが微笑ましいw 今後も登場シーンがあるはずなので期待してます。頑張れ、村田さんw
映画館での鑑賞で、知らない人の隣に座った久々の満員御礼。しかも朝の8時から。この大ヒット振りに超絶なエネルギーを感じます。この調子でどんどん最終章まで稼ぎに稼いでw頑張ってほしい。最後の最後の私が大好きなカーテンコールまで映像化を実現して欲しい。応援してます!
(追記)
望みを果たして散る鬼達、そして、剣士達。
鬼滅の刃の開幕早々から、ずっとこの流れは変わらないと思う。鬼滅の刃の一つの主題といっても過言では無いかもしれない。鬼達の戦う相手は、むしろ鬼殺隊ではなく、己のカルマと向き合い、藻掻き、戦い続ける。認められない作家で鼓打ちの響凱とか、家族愛を求めた蜘蛛山の累とか。
それは鬼殺隊の剣士達も同じく、無限列車編で母との約束を果たした煉獄杏寿郎、そして(まだ)散ってはいないけど兄との葛藤を抱えた時透無一郎とか。
この劇場版にあたって、映像化したエピソードを目の当たりにするために鑑賞に臨んだ気がする。無論、無限城や壮絶なバトルの映像を見たいし、それらがメインの人も多いでしょう。
そして、いよいよ無限城編にいたり、今回のエピソードは、姉カナエの敵討ちが悲願の胡蝶しのぶ、鬼に落ちた兄の粛正に挑む我妻善逸、そして猗窩座と恋雪の悲劇の恋の物語。
似たようなことをどこかで書いたんですが、それぞれ今際の際で亡き想い人との思いを遂げる。まず、胡蝶しのぶの姉カナエは心優しく、体が小さくて非力の妹しのぶを思いやり、鬼殺隊を辞めなさいとまで諭そうとする。でも妹しのぶの望みは違う。意に反する。普段の和やかな面持ちとは裏腹に、その小さな体は家族を殺した鬼達への復讐の怒りに満ちている。姉カナエには戦えと云って欲しい。あなたならやれると云って欲しい。鬼殺隊を止めろだなんて、そんな言葉は聞きたくも無いだろう。
いやまあ、何が云いたいのかというと、(原作通りですが)今回の劇中で登場した厳しい面持ちの姉カナエさんは「妹しのぶさんが思い描いた夢まぼろしではないか」というのが、私の考察です。無論、そもそもフィクションの物語なんだから、黄泉路から舞い戻って励ましたと考えるのもアリでしょう。実は普段から厳しい顔で妹しのぶを叱咤していたのかもしれません。でもそれじゃあ、あの緊迫の場面で、妹しのぶさんの脳裏に現れたりするものかどうか?
だから、このシーンは好きです。好きっていうのはちょっと違うか。漫画を読んでて震え上がりました。そして切なくもありました。もしかしたら、しのぶさんが見たくても聞きたくても得られなかった、叱咤激励する姉カナエさんの姿だったのではないだろうか。
だから劇場版でも見たかった。映像として見て、その台詞を、演技を耳で聞きたかった。あえて批判するのなら、叱咤する姉カナエさんの姿、表情、その声は、子供なら震え上がって泣くほどでもよかったかもしれない。
無限列車編の煉獄杏寿郎の母上、瑠火さんもそうなんですけどね。杏寿郎さんの今際の際で最後にみた瑠火さんの笑顔。あれを杏寿郎さんは生前に見たことがあったのだろうか。
そう考えてしまうと、鬼滅の刃全編があまりに切なく、空しくなってしまう。「儂の誇り」と育手の師範から三途の河岸から太鼓判を押された我妻善逸。それもまた当人が欲しくても得られなかった夢まぼろしなのかと思うと・・・いやちょっと切なすぎる。こんな考察を抱くのは私の勝手なんですが、私は酷薄すぎるのでしょうか。
追記の前にも書きましたが、だからこそ、原作の幸せすぎるカーテンコールが楽しみで仕方がないのです。もう原作で目にしてはいるけれども、幸せいっぱいの閉幕を劇場で早く目で見たいものです。
(追記2)
原作の猗窩座が初登場して構えるシーン。無限城ではなく無限列車編です。すでに恋雪さんの「雪」の紋章を抱いていたんですよね。知らずに彼女への想いを抱きながら戦っていた訳です。
既に構想が完成されていたのかとびっくり。流石は鬼滅。拍手喝采。
やっと見れた!
漫画は読んでいたので内容は把握済みでした。単行本では表現しきれない無限の城。劇場で見た感想は絶対無惨に辿り着けないやん!!って思ってしまうほどのスケール、圧感でした。回想は多いけど猗窩座戦は回想ありきなので全然気にならない。漫画読んでても感動しました。
音楽がすごい!
こんなにヒットしているんだから!
前作は映画館で観ておらず、その前に漫画さえも読んでいなくて、日本を沸かせたこの作品を見てみたいと漫画を手に取ったところめちゃハマった!
映画化したら次は行こうと決めててようやく!
猗窩座編は絶対観たいなと!
3部作だからいい感じに2部にずれ込んでいたりするのかなと思っていたけど、しっかり1部で猗窩座編は終わっていた!
結末知ってるから泣かないと思ってたけど、猗窩座の最後はうるっときてしまった。
それぞれの戦闘シーンで、バックの音楽が違っていてよかったー!
童磨としのぶさんの戦いは辛かった😢
しのぶさんの逆転も見たいから2部も観に行こうかな、、。
獪岳の話はただ獪岳が悪者に見えなくて、、。
彼だけ救いがなく消えてしまって😔
結構グロかった所も多いと思うけど、小さい子見れるのすごいな!
仕事終わり、何も考えずにポップコーンをむしゃむしゃ食べながらいい映画時間になりました😋🍿
刹那の戦いに刻まれた魂の叫び
数年前、社会現象ともいえる大ヒットの際に、原作を読み込み、アニメを追い、映画館に足を運びました。
そして今回、心待ちにしていた新作をようやく観ることができました。
物語は冒頭から引き込まれ、戦闘シーンの迫力に圧倒されつつも、ただのアクションにとどまらず、深い人間ドラマとして胸に迫ってきます。
胡蝶しのぶの過去――愛する姉の仇討ちに挑む静かな決意。
上弦の鬼の中でも異彩を放つ猗窩座の、哀しくも切ない過去。
そして炭治郎と父の物語が重なり合い、運命のように紡がれていく。
それぞれの登場人物が背負う痛みや願いが鮮やかに描かれ、ひとつの物語として凝縮されていました。
観終わったあとも胸に余韻が残り、ただの娯楽ではなく「心を震わせる体験」として深く刻まれました。
賛否分かれる…の否
映像のクオリティ、音楽、声優さんたちの演技は文句無し。また、多くのファンにとっては「あのシーンがこんなふうに描かれている!」「想像以上のクオリティ」と感動するのだと思う。
ただ、一つの作品としてみたときに、やはり完成度としてはイマイチ。第一章ということはわかっているものの、あまりにも長く、そして童磨戦は消化不良。あれを全部受け入れる人もいれば、長い、冗長と感じる人もいる。次の作品を何年越しでも待ってくれるファンありきで作られているため、今後は映画ではなくレンタルや配信待ちの人も増加すると思われます
面白いけど...
ヒューマンドラマを詰め込みすぎ。しのぶの過去童磨の過去急に出てきたやつの過去善逸の過去炭治郎の過去猗窩座の過去...
多すぎだって。遊郭編いい感じだったじゃないですか。色々駆使して戦って最期に鬼の過去が明かされる。見ていていい意味で悲しい気持ちになれました。でも今回多すぎるよ。7話で切らずに12話までやって獪岳倒して猗窩座来たよ!で切ればよかったじゃん!猗窩座の過去めちゃくちゃ泣けるのに!そこまで色々多すぎて疲れちゃってた!あとお館様の「無惨が来る...」から始めんな!知らん人向けなのかもしれないけど知らん人そこから見ても別にわからないだろ!猗窩座はマジで良かった!いままでにないキャラクター性でまた悲しい過去...みたいなマンネリ化防いでたよ!なのにさ!長すぎるよ!ねえ!猗窩座はよかった!だから三星です!
戦闘・回想・戦闘・回想・・・
漸く観ました。
話題もあり、歴代興行成績も塗り替え、アメリカでも大ヒット!、世界で大ヒット!
・・・何故!!
と書くと、「オマエは、分かっていない」「じゃあ観るな」等々言われてしまうのでしょうね。(苦笑)
この映画を観るにあたり「TVシリーズ」、「無限列車編」をNetflixなどで観ました。
過去「無限列車編」でのレビューとほぼ一緒なのです。(観た時、予想通りでした。)
映像、アクション流石です、見応えあり!
鬼滅の刃好きなら感涙の映画でしょう。
TVでやってください!!(笑)
(いずれ、TV編集版とか言ってやるんでしょうが。)
完全な続きじゃないですか。(分かってはいたんです、分かってはいたんですが。(笑))
一本の映画としてレビュー出来ない(笑)
面白いっす、ハマってきてます(笑)次も観ます!(笑)
海外の人観て判るの?海外でも「ANIME」として浸透してきてはいるのでしょうが、初見で観て分からないでしょう。
「絵がキレー」「アクション凄い」「Oh、JapaneseAnime」「内容分かんないけど」って感じ?(笑)
それとも、何?皆、シリーズ観て、内容把握してるほど世界で人気あるの?イヤイヤイヤ
この勢いって次作まで続くんでしょうか?
「鬼滅の刃」の人気も落ち着いて「無限列車」ほどはヒットしないのでは?なんて言われててのコレですから、何とも言えないですね。映画会社は、ウハウハですから、何とか維持しようとあの手この手してくると思いますがね。
感想として、善逸シリアス過ぎ(笑)
伊之助、禰豆子出番少ない(笑)特に禰豆子喋ってもいない。
猗窩座の回想長過ぎ!以上(笑)
究極化が生んだ過剰さ──鬼滅の刃・無限城編の光と影
率直にいえば、作画と映像の力はやはり“圧倒的”であり、アニメーション表現の一つの到達点を見せつけられた作品であると感じた。無限城という異空間を立体的に描き出し、キャラクターの呼吸や斬撃の軌跡までもが観客を巻き込む。これほど徹底した密度を2時間半にわたって維持できるのは、世界でも限られた制作体制をもつufotableだからこそ。大スクリーンで映像を浴びた体験としては、疑いようもなく成功している。
しかし、問題は“構成”にある。鬼滅シリーズの特徴である「戦闘と回想の交錯」は、原作に忠実であるがゆえに映像化するとリズムの停滞を招きやすい。今作では猗窩座の背景を丁寧に描くことに力が注がれたが、その長尺の回想は戦闘の緊張感を分断し、観客を二つの別作品を観ているかのような感覚に陥らせる。制作側は戦闘の一部として回想を溶け込ませるつもりだったのだろうが、観客に伝わったのは“融合”よりも“乖離”だったのではないだろうか?映像が完璧だからこそ、この構成上の歪みがより目立ってしまう。
一方で、声優の演技は映像以上に観客を引き込んだ。石田彰の猗窩座は、鬼としての獰猛さと人間としての哀切を声だけで往還し、観客を泣かせにかかる。花江夏樹の炭治郎の怒りと悲しみの叫びは、映像の洪水を突き抜けて心に刺さる。もし声優陣の芝居がここまで高水準でなければ、長い回想を観客に耐えさせることは難しかっただろう。まさに演技が構成上の弱点を補った作品と言える。
さらに言えば、ダブル主題歌の採用も話題を呼んだが、これも「三部作開幕の祝祭性」を強調する演出以上のものではなかった。作品の二面性を音楽で表現するというこだわりは理解できるが、一本の映画としては主題歌の焦点が散漫になり、結果として統一感を弱める副作用もあったように感じる。
総じて、『猗窩座再来』は作画と演技の圧倒的クオリティで観客を席巻する一方、構成の問題で評価が分かれる作品と感じた。興行的には大成功し、国際市場でも高く評価されるだろう。しかし「映画」としての完成度を問うならば、三部作第一章としての位置づけと、戦闘と回想の統合をどう処理するかという課題が浮き彫りになったのではないだろうか?第二章、第三章でこの歪みを解消できるか否かが、『鬼滅の刃』というシリーズ全体の総括に直結すると考える。
思っていたより良かった
原作最後まで読破済み
奥さんが観たいというので同行した、いわゆる『付き合いで観に行った勢』
3時間ある映画なので、むしろ観に行きたくない派
レビューでも、いまいちという意見をちらほら見ていたのであまり期待していなかった。
が、意外とそこまで飽きずに鑑賞出来た。
映画そのものについて
・3時間はやはり長い。途中でちょっと寝た。
・他レビューにて、『回想→戦闘の繰り返しでしんどい』といった意見がちらほらあったが、そこについては思っていたほどストレスなく違和感なく
・どちらかというと終盤の猗窩座消滅までが長くて退屈だった(でも本作の肝だし仕方ないのか?)
・絵がキレイ(特に善逸の必殺技がアニメでどう描かれるのか?そこは気になっていた部分であり、それがカッコよく描かれていて迫力あった)
・結果的には長かったし寝た時もあったし退屈に感じるシーンもあったし、興味ない組ではあったが、全体通して振り返ると終始退屈したわけじゃないし3時間の体感はなくそれなりに楽しめた。
ストーリー的に
・善逸が兄弟子に対して怒ってたのが違和感
そら兄弟子からしたら、いつもメソメソして根性なくて技も一個しか使えないのに自分と同格(2人合わせて後継者扱い)みたいにされてるのは嫌だろうし、自分の努力が評価されてないと感じてしまうだろうなと思った。
鬼になったのは本人の性格もあったろうが、師匠や善逸との確執も彼をそうさせた一因だったのでは?と思った。
彼の心情を慮ると、『自分が不甲斐ない弟弟子だったせいで兄弟子が歪んでしまった。ひいては師匠が自害してしまった』とも考えるはずでは?一方的に兄弟子を裏切り者扱いにするのは変じゃないか?と疑問に感じた。
無限城に沈む想い
あらすじ
産屋敷当主の策によって無惨を迎え撃つ鬼殺隊。
しかし鬼の力によって空間は歪み、炭治郎たちは「無限城」へと引きずり込まれてしまう。
隊士それぞれが因縁を抱える鬼と向き合い、戦いは静かに、そして激しく広がっていく――。
感想
映像の迫力に、息を呑む場面がいくつもあって、目が離せなかった。
しのぶさんの別れは、技の性質を思えば仕方ないとも感じるけれど、あっさりしすぎていて、その後のボリュームを思うと遠い過去のように感じた。
続く戦いは濃く、次々と押し寄せてきて、気持ちが飲み込まれそうになる。
善逸が兄貴分に勝った場面は、重さよりも安堵に近くて、ほっと肩の力が抜けた。
そして猗窩座との戦い――人として生きていた頃が確かにあって、そこから今につながっているのだと思わされた。
勝ったこともだが、最後に自我を取り戻すような行為に、彼らしさがにじんで見えた。
三部作は欲張ったと思う
今回の映画は善逸編、しのぶ編、猗窩座編の3つで回想も3人分。途中で疲れました。それぞれ分けてくれたら凄く楽しめたと思う。
映像は映画クオリティで素晴らしかったけど、映画はラストバトルだけでいいかな。
救えなかった者、救われた者
複数ある戦いの中で、あえてタイトルを「猗窩座再来」とする――それほどまでに猗窩座戦は、この物語において決定的な意味を持っていた。映画の大半を占め、そして回想も含めて伝えたいことが丁寧に描かれていたのは、本当に良かった。
鬼になるか、ならないか。それは実は紙一重であり、日常の中に潜んでいる。
もし炭治郎があの時、妹・禰󠄀豆子まで奪われていたら? 彼もまた鬼になっていたかもしれない。言わば猗窩座と炭治郎は表裏一体なのだ。
狛治(猗窩座)も炭治郎も、努力家でひたむきで、守る者がなければ生きられない――(ともに名前に「治」を持つことも含め)共通点は多い。
炭治郎は禰󠄀豆子が生き残ったことで希望を繋ぎ、さらに義勇に救われた。あの日が、彼にとっての運命の分岐点だった。
一方で、狛治はすべてを失ってしまった。帰るのが遅れたのは二人とも同じだが、
ただ一つ違ったのは――守りたい人が生き残ったか。その差が、二人の運命を大きく分けてしまった。
「誰しも、当たり前だと思っていた日常は、ふと失われてしまう。」
善逸や胡蝶しのぶの言葉や回想は、まさにその現実を突きつけてくる。
心が満たされない――それだけで鬼になる者がいる。鬼になる可能性は、実は誰の隣にも潜んでいる。
獪岳と善逸の対比が、その危うさを一層際立たせる。そして猗窩座と炭治郎の鏡像関係を、より鮮明に浮かび上がらせる。
猗窩座が首を切って死ななかったのも、根本の解決にならなかったからだ。猗窩座に必要だったのは刀ではなく、拳での制裁であり、救済でもあったのだろう。
救うための拳。「生まれ変われ」と告げるために。
映画に向いてない
前置きしますと鬼滅はほぼ知らないです。原作、アニメ、前作の劇場版全て未履修です。ストーリー自体は、連載中にX(旧Twitter)のTLに感想が流れてくるのでなんとなく知ってました。
なぜ無限城編を観に行ったのかというと「この映像美と音楽は劇場で味わうべき!」と熱い推薦があったのと、300億越えがどんなものかリアルタイムで体験するべきだと思ったからです。
結論から言うと、初見さんには全くお勧めできません。
戦闘が始まったと思えば解説。
戦闘が始まったと思えば回想。
戦闘が始まったと思えば場面転換。
全く没頭できません。アニメーションが話題の猗窩座戦まできた時は「どうせまたぶった斬られるのだろう」としらけて入り込めませんでした。案の定斬られました。
映像作品であることが全く生かされていません。
例えば童磨が氷系の使い手であることは見ればわかります。冷たい色合いと砕けた効果音、破片の擦れあう動きが映像として差し出されているのに、なぜ胡蝶は一々口で説明してしまうのでしょうか。
例えば猗窩座と義勇の戦闘に炭治郎が駆けつけるも、踏みとどまって刀を握り締めれば「無策に飛び込んではいけない」と我慢しているのが伝わります。なぜ「考えろ考えろ」と長い独白を入れるのでしょうか。
それから同じような構成が続いたのも苦痛でした。
回想で胡蝶が見送られるシーンと煉獄が振り返り様に笑うシーン。
親方様の息子がどこかの屋敷で鼓舞しているシーン。
さっきも見たので気持ちが乗りません。
画は綺麗だと思います。ですがアニメーションは良くないです。綺麗に色塗りされた一枚絵を連続して見せられているようです。湯浅監督の『ピンポン』や『映像研』のように、線はぐちゃぐちゃでもいいから疾走感を感じるアニメーションが見たい私のような人間には不向きでした。
想像ですが、漫画は傑作なのだと思います。ひとつ一つのエピソードは重みがあるし、切り取った瞬間の画は綺麗なので、これを見開きで見せられると興奮するだろうと予想されます。
ただこの映画だと、目を走らす程度の4コマサイズのコマと、じっくり見惚れる見開きサイズのコマが同じサイズの画面で同じ長さで放映されているみたいになっています。時間配分が悪くて飽きます。
それから漫画では週刊連載ならではの一週間のクールダウン期間がありましたが、それをそのまま映画にしたら「起承転結がグダってる」と感じられます。
そう、この作品は映画用の起承転結がありません。映画の中を一本通したテーマが見受けられません。
小さいバトルの集大成です。誰かが書き込んだ「TVスペシャルみたい」が的を射ています。
だから先が気にならないし、それに依るワクワクもないのです。
色々書きましたが、鬼滅というコンテンツ自体は素晴らしいものだと思います。アニメや漫画産業のみならず、コラボ先の業界を活発にさせるファンの力は見事なものです。第三章までの活躍を期待しています。
それと映画の出来の話は全く別です。
「初見さんにもお勧め!!」という意見に騙されてはいけません。開始30分で帰りたくなるくらいつまらないです。
全部見てからレビューするべきと頑張って寝ずに最後まで席にいましたが、続編含めもう見ることはないでしょう。
おすすめです!が
本日観てきました。序盤から広大な無限城の表現に圧倒され引き込まれました。この時点で観て良かったと思いました。
今回は舞台が無限の空間ということで、それもあってか主人公や他の登場人物の戦いに大きな奥行きが出ていて、視覚表現も相まって見応え十分でした。
そのおかげでどの戦闘シーンも漫画版を遥かに凌ぐものでしたが、個人的には善逸が上弦を倒すシーンが最高でした。
ただ、最後のほうで猗窩座の回想が入るのですが、これがとても長く退屈でした。それまでの、ビジュアルも音楽も良かった戦闘シーンの数々が何となく白けてしまったように思います。半分の長さでも良いんじゃないでしょうか。この回想、漫画版を読んでいたので来ることは知っていましたが、未読の人には苦痛だと思います。
とはいえ全体としてかなりの良作で、本当におすすめです。最高のアニメです。
鑑賞には劇場かつIMAXが良いと思います。その理由として、映像の綺麗さだけでなく体に響く音響が迫力をアップしていると感じたからです。それから、通常でもそうなのかもしれませんが、例えば後方から旋回してくるカラスの鳴き声が劇場内にいるように立体的に聞こえ、そういう部分でもより臨場感がありました。
IMAXに関しては、後ろの方で見るのがおすすめです。本作では、1名ずつ画面の両端に立ち対峙するシーンが何回かあります。私は前後で座席を見たときちょうど真ん中にいたのですが、そういうシーンではそれぞれの人を見るために視線を動かさないといけませんでした。
他に思ったこと:
今作で無限城のスケールが大幅にアップしたので、私の中での琵琶女の評価がかなり上がりました。あのような空間で柱をピンポイントで捕捉し上弦の近くにワープさせる能力は、実は作中最強クラスなのではないでしょうか。そんなことしなくても各柱を無限の彼方に設置すればそれで戦闘終了という話もありますが、そこは彼女の優しさなんだと思います。
胡蝶は漫画版よりあっけなく退場している印象だったので、もっと登場シーンを伸ばして欲しかったです。
戦闘狂の柱(さねみ?)はエレベーター的なところでずっと正座しています。次作が出る数年後までそのままなんだとしたら不憫で笑えました。
鬼は未練や執念のため、人は守りたいもののために戦う
色んなキャラの回想が入るからテンポは悪いが、それだけ鬼に人生を左右された人が多いって事なんだろうと思った。上弦に当たってないキャラの活躍は次回以降に期待。
鬼滅って兄弟が多いけど一貫して年下が年上の気持ちを意に介さず行動していて、親の心子知らずって感じ。だけどそれがあるから、鬼側は未練が多く、人間側は想いを継いで戦っているんだなと思った。
鬼に喰われる前提で生きてきたしのぶさんの覚悟と執念、毒の効かない絶望と怒りが明確に表現されていてすごかった。
童磨のおちゃらけた笑顔で人を見下す性格にイラッとしたけど、幼少期の事を踏まえるとそういう性格じゃなきゃ生きていけない人生だったんだろうなと思った。殺して相手を救おうとしていたって事は、童磨自身が生きている事をしんどいと思っていて、人を殺す事で間接的に自分を救っていたのかも。
善逸は基本ができているから応用が利くが、獪岳は基本ができていないから何も生み出せないし自分の能力を上手く扱えない。特別扱いされるのが好きで承認欲求が強く自己受容ができてないから、多分自己肯定感が低いんだろうなと思った。だからハングリー精神が強い。
猗窩座は、破壊殺の意味、足元に浮かぶ雪の結晶や攻撃時の花火、素流を使う点から、記憶には無くても人間だった時の事が反映されていると分かって切ない。どう転んでも大切な人を守って一緒に生きる道には行けないし、何もかもどうでもよく守るものもないのに強くあろうとする精神だけ引き継がれる胸糞具合が泣ける。
凄く良かった
UFOテーブルの迫力のある戦闘シーンと美麗なCGシーンをスクリーンで観たくて映画館に足を運びましたが戦闘シーンが短すぎました。
童磨戦は2章があるからそこに期待しますが、猗窩座は今回で終わりだし、義勇さんもメインで戦うのは今回で終わりだから、猗窩座や義勇さんの戦闘が9割を占めていると思って楽しみに行ったから、もう少し戦闘シーンを沢山してほしいなと思ってしまいました。
煉獄杏寿郎さんよりかなり短いから、煉獄杏寿郎さんくらい観たかったです。
回想シーンが多いけど、原作を読んでいない人なら分かりやすく丁寧で良いと思いました。
私はみんなのことが大好きなので、映画がもっと長くなってもいいから
善逸vs獪岳も童磨としのぶちゃんの戦闘シーンももっと観たかった。
4DXで観たから、戦闘シーンは、凄く動いて映像も綺麗で、迫力満点で楽しかったです。
後ろの座席の子どもちゃんが、戦闘シーンはかなり喜んで笑い声が聞こえていましたが、回想シーンではあまり動かないから飽きたと言っていましたが、私は感動して涙が止まりませんでした。
全400件中、1~20件目を表示
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。