劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来のレビュー・感想・評価
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やっぱり映画で観る鬼滅の迫力は桁違い
臨場感がとにかく凄い。IMAXとかじゃなくて普通の2Dだけどそれでもとても凄い。自分も無限城に飛ばされて落ちてくような。前方の真ん中の席がおすすめ。
ずっとハンカチを手放せない時間だった。鼻もかみたかった。当然しないけどそれくらいに泣いた。
守るべきものがあるから人は強くなれる。弱くもなる。守るべきものを失った悲しみが憎しみに変わることは、いつか自分の身にも起こるかもしれない。
明日、明後日、当然ではないいつもの日常。
大事な人がそばに居ることも当然ではない。
後悔しないよう感謝しながら今日を生きる。
ただこれだけしかできないが、全うするのみ。
鬼たちはいつもいつも切なくて、
同情せずにはいられない。
原作読んでたけど忘れてるので新鮮
全体的な構成・演出共に完成度の高い作品
猗窩座と恋雪
胡蝶しのぶの戦いは、美しくも悲しくて、まさに命を削る覚悟の現れ。体格差を補うために毒の刃と突き技で戦い抜いた姿は、蝶のように軽やかで、刺すように鋭かった。でも届かない──その無力さがあまりに残酷で、最期まで彼女は強くて誇り高かった。
善逸と獪岳の戦いも胸が熱くなる展開。壱の型しか使えないことに悩み続け、それでも諦めず、ついには自分だけの「漆ノ型 火雷神」を生み出した善逸。臆病だった彼が、かつての兄弟子に立ち向かう姿には、思わず涙がこぼれました。
そして、何より心をえぐられたのが猗窩座の過去。
彼が鬼になった理由は、ただ強さを求めたからじゃない。
「狛治」として、病の父を支え、恋雪と出会い、未来を信じていた。
それなのにすべてを奪われて、守れなかった後悔と絶望が彼を鬼へと変えてしまった──。
最後に恋雪が微笑みながら言った、
「おかえりなさい」
その一言に、狛治という一人の人間の救済が詰まっていて、もう涙が止まりませんでした。
近年稀に見る最高の映画でした!
ビジュアルも、脚本・展開も素晴らしい。キャラクターそれぞれの思いも感動的で余韻が残りすぎるくらい
上下左右の時空が乱れ、果てしない無限城の世界。建物が動く中で、いくつもの場で戦いが始まる。舞台の創造的なビジュアル、柱vs.上弦の戦いの迫力と勝敗のギリギリを行ったり来たりする攻防の激しさ。観る前の期待が大きく膨らんでいたが、期待に十分応えてくれた。映画館の大画面で観て良かったと思う。
頭の中で考えていることや回想シーンで、戦闘者それぞれの思いを説明するので、力が入る。どの戦いもとても良かったが、特に善逸のパートが泣けた。炭次郎が自分に「考えろ」と言って突破口を見出す展開が今回もあるが、とても印象的。今回は少し長かったが、腑に落ち、うなった。胡蝶しのぶのパートは、その思いに胸が締め付けられる。この思いは第2章につながって行くはず!
多くの無名の鬼殺隊がよく戦っていて、総力戦になっているところも決戦にふさわしい。「柱稽古」がこの戦いの伏線になっていることが納得できた。カラスたちが後方支援するところも力強く感じ、総力戦の面白さをふくらませていた。
ufotableらのビジュアルは今回も素晴らしい。脚本・展開も最高。お金と手間をかけた意味がある。とても充実した内容で、2時間半は短く感じた。
なんで知ってるのにこんなに泣いちゃうんだろう
原作既読、アニメもずっとおっかけてるおばちゃんです。
公開初日、0時過ぎる最終回で鑑賞。
びっくりするほどの満席。
なんでストーリー知ってるのに
こんなに泣いちゃうんだろう。
大粒の涙が、ボロボロと落ちる。
このシーンで、あのセリフで、
涙がこぼれっぱなしの155分でした。
映像もキレイだし、
音や声が入ってアニメになることで、
キャラクターたちの心の動きがより際立って、
理解が深まるっていうか、
共感できるっていうか。
上手く言えないけど、
ともかくほんとーーーに最高だった。
(↑語彙力のなさよ)
ずっとずっと穏やかだった胡蝶さんの声が
びっくりするほど怒っていたり、
童磨が本当ーーーに嫌なやつだったり、、、
早見さんと宮野さん、最高でした。
童磨役に宮野さんを選んだ製作陣、天才だわ。
善逸の戦いも最高だった。
獪岳と善逸の心の有り様の違い、
だから獪岳は鬼になってしまうんだなぁって。
じいちゃんとのラスト、ボロボロと涙。
猗窩座戦は言わずもがな。
義勇さんかっこよ過ぎでしょ。
惚れてまうやろー!
炭治郎の回想、覚醒、最高やし、
猗窩座のラスト、圧巻。
もう、泣きまくり。
あ、あと
無限城が本当に無限城すぎる。
輝利哉さまたちも頑張ってる!!
初日、0時すぎる回だったけど
(年齢的にやめとくべきだったかなと
観る前は思ったけど)
本当に行ってよかった。
大学生の娘と行きましたが、
2人で観れて本当よかったなぁ、、、!
第2章も楽しみに待ってます。
夏休み観たい映画がいっぱいあって
毎週行くくらい観る予定やけど、
鬼滅、もう一回観ようかなと思っています。
原作に忠実な良質なストーリー展開
この作品の良さは何と言ってもキャラクター個人個人のバックグラウンドにフォーカスをあてること。特に敵である鬼についても。今作でも原作そのままに丁寧に描かれている。
原作は映画用に作られたわけではないのでテンポ感は漫画に分があるのかもしれないが、映画ならではの音質、映像美が加わって作品としての質はとても良いと思う。
特に無限城の広大さ、そこを移動するスピード感、バトルの臨場感は、映画館で体感することをお勧めします。
より本作品を楽しみたい方は、前段となる柱稽古編までを一気見した状態でこの映画を見ることをお勧めします。感情移入のしかたが変わるので。あと、2時間半の長尺なので上映前のトイレと水分や食料の確保をお忘れなく。
猗窩座の過去編あり
気を感じる相手にはやはり殺気も感じさせない無我の境地、所謂の無拍子の技か…
猗窩座だから通用したが上弦壱とかの目が多いのだとまた変わってくる
今回で倒したのは参と陸だっけか?、長丁場になりそうだ。
猗窩座の過去~自害まではもう涙無しには語れない。隣席の方も泣いてたし、結構皆泣いてた。最後に記憶が戻って人間として終わる事が出来て純粋で真っ直ぐな炭治郎に感謝しかない。
2時間半は殆どの人が固唾を飲んで集中して見てたから耐える事が出来ました。バトルが大半でその分コメディは皆無ですが過去エピも挟むので、飽きにくいとは思います。
カナヲさん出てたけどグッズが見当たらん、
キービジュにも居るのにっ!
しのぶさんはマジ残念、せめて相打ちにして欲しかったわ、今のカナヲさんでは仇討ちの荷が重すぎる思う。
想像を遥かに超えてきた
鬼滅制作に関わるスタッフキャストの技術と熱量が惜しみなく発揮された贅沢な155分。アニメーションではあるが実写のような没入感が得られ、最早芸術作品の域。そしてこれはまだ無限城編の第一章だなんて…。
何より原作へのリスペクトを感じる。
冒頭から胸が締め付けられる場面や、蜜璃ちゃんと同じように見惚れるキャラのアクションシーン。
そして何より、猗窩座を大切に描いてくださったことに感謝。名無しの鬼殺隊員たちと新規キャラの声優さんも一切手抜きなし。
情緒を揺さぶる劇伴も更にパワーアップしており、梶浦さん椎名さんに殴られたような気分。
一先ず1ミリほどしか言葉に出来ないので、是非未見の方は全身に鬼滅熱をスクリーン越しに浴びてきて欲しい。
無限列車越え
公開初日レイトショーで鑑賞
20時台スタートで地元では
3スクリーンで時間差上映しており
上映中に間違えて5人以上入って来て
座席を探し回るから正直迷惑
( *`ω´)
ただ、普通なら集中力が切れるところも
気にはなったが映画に全集中
150分も長いかと思ったが、
気にならないクォーリティでした。
善逸Vs獪岳
胡蝶しのぶVs童磨
炭治郎&義勇Vs猗窩座
メインは3戦
善逸は雷の呼吸新技
胡蝶は激戦の結果捕まり
猗窩座は闘いの中で弱点を克服したが、
途中で人間の心を思い出して…
次回はカナヲから始まり
伊之助が加わっての童磨戦がメインかな?
ただ、2時間越えなら黒死牟戦まで?
3部が無惨戦かな。
音にこだわるのも良い
内容はもう言わずと知れてますので割愛
せっかくなので音にこだわりたい、と轟音シアター、ドセンターを指定して行ってきました
轟音上映ではなかったですが、さすがスピーカーにこだわったシアター
雷のビリッとした音や破壊音等がとても立体的でした
1番びっくりしたのが、炭治郎の耳飾りの、カラン、と揺れる音
小さな木の札が擦れるような、特徴的な音出してました
映像は、常に動く、動く
メインの戦闘はおいといて、ちょっとしたキャラの呼吸した時に身体全体動かしてるとか、ほんと動きすぎでしょってくらい動いてました
さすがのクオリティ
轟音上映があればまたみたい
IMAXやドルビーシネマ等でも見てみたい、と思いました
あと、気になったところといえば、今回は色んなキャラが「理解した」と言ってました
刀鍛冶の里編は「判断間違えた」だったのは気付いたのですが、他の編もこういうテーマ的なセリフがあるんでしょうか?
「成長」をキーワードに編まれた見せ場満載の特濃2時間半。泣けはしなかったけど大満足。
いやあ、面白かったね!!! やっぱり。
ホント、凄いコンテンツですよ。鬼滅の刃は。
圧倒的な密度の2時間半。
そんな長尺の映画には全く思えないくらい、
息を詰めて最後まで見入ってしまった。
日本最高峰のアニメーションであるのは間違いない。
TVシリーズと映画版の『無限列車編』は視聴済。
原作はせっかくなので、まったく手をつけていない。
なので、どうやってこの話が終わるかについても、
あえて予備知識のない状態で臨んでいる。
どうせなら、アニメを全力で楽しみたいのでね。
今日の出来は、十分にこれまでため込んできた
期待に応えてくれるものだった。
― ― ― ―
僕が封切りの日に映画館に足を運ぶことは、
年に数回くらいしかないが、今日はしっかり
席をリザーブして万全の準備にて臨んだ。
ただし1300円のレイトショーw 封切りなのに
夜間割引を用意してくれるシアタス調布大好き!
で、21時に映画館に足を運んで、びっくりした。
もう夜なのに、ロビーに立錐の余地もないくらい、
客がひしめきあっているじゃないか!!!
どういうこと?? しかも1日20公演もあるのに
全部満席、完売御礼!!! すげー!
どんだけみんな鬼滅の刃好きやねんww
これは、もはやある種の「イベント」だ。
コミケとか、アニメロサマーライブみたいな。
鬼滅の初日は、国民総出のイベントとして、
もはや機能しはじめているのだ。
僕は、今の日本でこれだけの人を集められるコンテンツが存在することに、心から感動した。似た空気は今年の『名探偵コナン』の初日でも感じたけど、あれよりも熱気は今回のほうがはるかに高かった。
あれだけ殺伐としていて手と首の飛びまくるえげつない半分ホラーみたいな伝奇アクションに夢中になって、老いも若いも初日から映画館に繰り出してくる。1800円もする特製パンフ(まさかの上製本!!)が飛ぶように売れる。
僕は嬉しかった。
日本も捨てたもんじゃないな、と。
ちゃんと「お祭り」できてるじゃん、と。
― ― ― ―
基本、今回の『無限城編 猗窩座再来』について、
文句をつけるべきところはどこにもない。
いかにもジャンプらしい、気づきと成長を伴う
バトル&アクションの熱量においても、
情緒的な過去の因縁譚の味わいにおいても、
完成度の大変に高い快作だった。
ただ、なんで★4つ半かというと、
個人的に、全く涙腺を刺激する部分がなかったから。
それに尽きる。
泣けそうなエピソードは何個もあるのにね。
なんでだろう。うるっとくる瞬間すら全くなかった。
いや、別に泣けようが泣けまいが、そこは作品評価にはほとんど関係がないのだが、かつて5ツ星満点をつけた『無限列車編』を観たときはマジでボロ泣きさせられたので、あの感動とはちょっと差をつけておきたかった、といったところか。
純粋に個人的な話ではあるんだけど、
僕はきっと、誇りのために戦い、誇りのために死んでいく「男の覚悟とこだわり」にとにかく弱いのだと思う。『無限列車編』にしても、べつに煉獄さんが●●したから泣けたわけじゃない。煉獄さんの想いを、炭治郎が過たず何度も何度も切実な言葉にして敵にぶつけたからこそ感動したのだし、泣けたのだ。
その点、第一章では、柱サイドに犠牲者も出るし、過去の可哀そうな話もさんざん出てくるのだが、基本今回のエピソードはいずれも「過去の私怨をぶつける話」であり「家族を喪った後悔」の話であり、必ずしも「男の誇り」と「死にざま」の話ではない。だから、『無限列車編』ほどは、ジャストミートで僕を貫かなかったのだろう。
ただ、これが純粋に僕だけの問題かというと、そうでもない気もする。
というのも、僕が観た映画館で、終演後ざっと客席を見回してみたのだが、みんな満ち足りた興奮冷めやらない上気した表情は見せていたものの、グズグズ泣いているような人間は見つけられなかったからだ。
他のお客さんにしても、最高に面白かったし十分に充足はしたけれど、『無限列車編』ほど涙腺を崩壊させられるようなことはなかった、という人が結構多いのではないだろうか。
それ以外にも、今回の話が『無限列車編』ほど「ぐっと来ない」要因は、いろいろある気がする。
まず、『無限列車編』は一続きの物語としての起承転結をしっかり保持していた一方で、『無限城編 猗窩座再来』はオムニバス方式というか多元中継というか、いくつかのエピソードを寄せ集めた構成に過ぎないという点。
それから、『無限列車編』は冒頭の日常パートから入って、各キャラクター(とくに煉獄さん)に十分愛着を抱かせてから、後半で命をかけたアクションに切り替えるという構成が取れたおかげで「キャラ醸成」が可能だったが、『猗窩座再来』では出だしからいきなりクライマックスで、日常描写やギャグテイストで「キャラに深みを持たせる」時間もタイミングもなかったという点。
あと、今回の鬼がどいつもこいつも単細胞で狂気度が高く、あまり「対話」の余地がないせいで、痺れる「掛け合い」が生まれにくかった点も挙げられるだろう。
『無限列車編』では、いきなり出てきたばかりのエース格の炎柱・煉獄さんがラストでああなるとは想像もしていなかった部分があったが、『猗窩座再来』ではすでに「最終決戦」になっていて、ほぼこれが敵も味方も「殲滅戦(主人公くらいしか生き残らない戦い)」だと客のほうもわかっているので、ある意味覚悟が決まっているという部分もあるかもしれない。
まあ、あとはジャンプ的な「あるある」ではあるが、炭治郎と善逸がバトルで負けるとは最初からまったく思っていない部分があって、結構そこのパートは「のんびり」しながら観ていられるというのもあったような。
なんにせよ、僕の意見ははっきりしている。
面白かったし、素晴らしい完成度だった。
「ただし、『無限列車編』には及ばない」。
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『無限城編 第一章』における最大のテーマは、「成長」だ。
炭治郎は、猗窩座との闘いのなかで、究極の「奥義」にたどり着く。
冨岡義勇もまた、自らがギリギリの命の取り合いのなか、成長していることに気づく。
ふたりは、戦いの中でなお急速にさらなる進化を示し、ブレイクスルーを経験する。
他のキャラクターも、息詰まるバトルのさなか、自らの「成長」について語る。
胡蝶しのぶは、努力と研鑽をもってしても埋められなかった、とある身体的なマイナスについて嘆く。
かつてみそっかすだった善逸は、「成長の証」(新しい型)を兄弟子に披露することになる。
猗窩座は過去エピにおいても、鬼となってからも、ひたすら「強くなる」ことを目指していて、最後には今までの鬼が克服できなかった弱点の「次のフェイズ」へと進んでみせる。
真剣勝負の戦いは、人を爆発的に成長させる。
到達した境地の向こうには、新たな境地が存在する。
だが、そうやって強くなることに、いったいなんの意味があるのか?
「強くなった者」は、責務として何を背負わなければならないのか?
鬼は、成長すること、強くなること、相手を打ち負かすことだけに拘泥する。
鬼殺隊は、手に入れた力を「弱きものを守るため」にふるうことを心に誓う。
両者を分かつその「動機」の部分が、僅かな最後のふんばりの差となり、勝敗を分かつ大きな分水嶺となる。
僕たちは、2時間半のあいだ、原作者が練りに練って練り上げた「戦いのロジック」と向かい合い、彼女の研ぎ澄まされた思想を我が身にも取り入れることになる。
それは「友情・努力・勝利」と呼ばれるジャンプイズムをめぐる思索から極められた、究極の(そして極上の)到達点であり、バトル漫画の集積体としてのジャンプの最良の成果ともいえるものである。
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●個人的には、とにかく善逸が大好きなので(今でも、僕はこれまで観た『鬼滅の刃』全編のうちで、気絶した善逸が「雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃」に「覚醒」する鼓屋敷のシーンが一番好き。あれは背筋にガチでビリビリ来た)、今回の大活躍には本当に痺れた。
まさに「一閃」という言葉がこれほど似合う剣士もいないわけで、瞬間のMAXゲージとしては本作の最強キャラではないのか?
ただ、これまでは日常描写におけるダメキャラぶりとの「対比」で彼の無双のカッコよさが光っていたのだが、今回の善逸は出てきた瞬間から覚醒モードで(そりゃ腑抜けてたら一瞬で殺されちゃうけど)、そこはだいぶ物足りなかったかも。
あと、今回深掘りされた話とか背景とか人間関係って、今までどれくらい出てきてたっけ? けっこう「あれ? いきなりそんな話になってるの?」って気分がしたんだけど。柱稽古編で手紙読んで泣いてるシーンの種明かしってことだよね。
●冒頭、悲鳴嶼行冥が雪のなか、(おそらく鬼殺隊の)広大な墓地を歩いていくシーン。
しんとしていて幕開けらしい素晴らしいシーンだが、歩き方になぜか体重が感じられないのが動画的にちょっと気になった。あれだけバトル描写で息をのむ完成度を示していても、「歩く」という基本動作のアニメーションって、難しいもんなんだな、と。
●童磨、本格登場。いかにもの宮野真守キャラで笑う。
これって「上弦の弐」ってことは、猗窩座よりも上位の鬼なんだよね。
「成長」というキーワードでいえば、「最初から恵まれた能力を持っていて、努力を重ねて高みにのぼってきた人間を一瞬で倒してしまえるような天賦の才の持ち主」であり、ジャンプ的な物語を背負う鬼殺隊のメンバーとは対極的なキャラクターということができる。
この展開なら「きっとこうなるんだろうな」という方向に話は進んでいるのだが、まさかの日没タイムアップサドンデス突入! 数年後(?)の「答え合わせ」が楽しみだ。
なお、童磨が居座っている無限城の部屋は、一面の蓮池に八つ橋が縦横に架かっていて、極楽浄土のグロテスクなパスティーシュになっている。
●猗窩座というキャラクターは、明快な方向性を示す身体的特徴をしている。
すなわち「江戸時代の生まれなのに髷がなくて短髪」「体じゅうにトライヴァル・タトゥーのように刺青が入っている」「武器として刀を使わない」。
これは実のところ、『必殺シリーズ』における一部の殺し屋たちとも通底する特徴だ。
誰もがそうというわけではないが、結構なキャラが「髷を結わず蓬髪・丸刈り」で、一部のキャラが島帰りの刺青もので、だいたいの殺し屋が身近な得物以外に刀を使わない。
これは、必殺の殺し屋たちの多くが「被差別階級」の人間として、権力に対峙させられているからだ。『必殺仕置人』の棺桶屋の錠(沖雅也)などは、まさに「流れ者」「琉球出身」「長屋暮らし」「髪を結わない」キャラであり、職業も含めて「そういう人」として登場し、だからこそ権勢をふるう武家や商人を相手に華麗に仕置するのが痛快だった。
猗窩座もまた、江戸期の士農工商の枠組みからはもはやはみ出してしまった存在として描かれている。そこを念頭に置いて観ると、彼が「力と強さ」を求めた理由の一端が理解できるだろう。そういや、生前も鬼になってからも、名前にけだものへんが入ってるしね。
●猗窩座の過去編は、ちょっと鍵ゲーみたいで萌えるよね。
●炭治郎が到達する領域って、いろんな武術もので出てくるきわめてオーソドックスな「ゾーン」の型を踏襲していると思うのだが、個人的には『ブラック・エンジェルズ』の雪藤が「空なるが故に無!」とか言ってたのを、ものすごく懐かしく思い出しながら観ていました(笑)。
そういや、熊がツキノワグマだったな。ホントはヒグマ出したかったんだろうなあ……本土が舞台だからツキノワグマしかダメなんだけど、こんなツキノワグマいねーよ(笑)。
●奮発して1800円の「豪華版」パンフを買ったけど、場面写真が全然載っていないのは若干不満かも。
●なんだかんだで、上弦も余すところ2体+新規1。第二章はそのへんとの闘いがメインになってくるんだろうけど、柱の誰が助かって誰が死ぬのか、次回の公開までなるべく耳に入れないようにしないとなあ。結構難しそう。
全1368件中、1161~1180件目を表示
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。