「自分の中でも賛否両論」劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来 ちえべさんの映画レビュー(感想・評価)
自分の中でも賛否両論
まず苦手な部分。作品を通じて説明セリフが多いこと。CG特有の早いカメラワークとBGMで盛り上げるスピード感。殺陣の途中で挿入される回想シーンで感じるブレーキ感。
好きな部分。物語自体の面白さ、鬼の扱い方への興味が大きいこと。
そのことを踏まえてもらって、今回やはりメインは猗窩座だと思う。そして獪岳、胡蝶しのぶを吸収?した童磨もある。しかし、やはり時間をかけ丁寧に過去が掘り下げられた猗窩座の物語は印象が強い。
しかし、個人的には獪岳の方が身近に感じ共感?できる。
猗窩座をはじめ、過去に出てきた堕姫と妓夫太郎、累にしても不遇で不条理な過去を持っていてそれが闇になるけれど、獪岳の場合はもっと近代的で身近で分かりやすい闇だった。
ある意味唯一現代人においても鬼となる要因ではないかと思う。
鬼が身近に思えた。
個人的には 最近の複雑な人間関係の末の争いよりも勧善懲悪の方が好きで「鬼滅の刃」は、視聴者・読者が敵(鬼)の過去を知ることで寄り添う心などを持ち、悪とは言えぬ悪、そもそも悪(悪意)などは存在せず、人の気もちのすれ違いが悪意化したように見えるだけと思えてしまう。
相手には相手の気持ちがあり、ではそこに堕ちる前に手を差し出せられなかったのは、という話しになる。単純に社会が悪い時代が悪いとか言いたいのではなくて、それでも、例えば獪岳の場合なんかは、本人の性格にも問題はあるけれど、周囲の妬み僻み中傷とも考えられる。慈悟郎や善逸は獪岳に寄り添うようにしていますが、獪岳の性格が祟ったのでしょうか、二人の善意は届かず鬼への道に走ってしまいました。獪岳を責めるわけではありませんが、もし獪岳が少しでも他人を思う気持ちがあれば、それこそ肥大した自己承認読級を抑えることができたのなら、鬼にはならなかったのではと思えました。
繰返しになりますが、他の鬼と比べて獪岳の心の闇はとても身近で現代的でSNSに蔓延している悪意のような気がしています。
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