ザ・エクソシズムのレビュー・感想・評価
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ホラーってよりサスペンスっぽいのでは?
期待してたけど、ガッカリ(笑)
赤地に黒でタイトルが出たタイトルバックはシビれたんだけど、最後まで観たらビミョーだった(笑)
ホラーだけど、なんかホラーってよりサスペンスっぽく感じたし、ヒューマンも入ってますね。
もっと激烈な悪魔との戦いが観たかった…
ラッセル・クロウの娘を演じたライアン・シンプキンスはラッセル・クロウと顔が似てて、本当の娘と言われても信じてしまうぐらい。
LGBTQもサラリと入ってるけど、逆に不自然(笑)
『ヴァチカンのエクソシスト』の方がいいです。
期待度△鑑賞後の満足度✕ アホらしい。『エクソシスト』『エクソシスト2』の中途半端で下手なパロディ。
①カトリック教会で司祭の助手をしていた子供時代に恐らく受けた性的虐待がトラウマになっていて、成長してスターになったは良いが酒と薬に溺れて妻にも死なれ娘にも距離を置かれていた落ち目の俳優が、悪魔払いの神父役を演じることで自分の内の悪魔に向き合わざるを得なくなり、躁鬱状態・精神錯乱に陥るも、人格破綻寸前まで行きながら何とか自分の中の悪魔払いに成功するまでを幻想・幻覚を交えて描いた心理的スリラーなのか、本当に悪魔がいてラッセル・クロウに憑依したホラーなのか(しかし、悪魔に憑依された少女の首が回ったり、蜘蛛歩きしたり、貞子みたいになったら其れなりに怖いかも知れないけれども、出っ腹のオッサンがなっても笑うしかない)、境界を曖昧にして判断を観客に委ねさせて怖がらせる、という映画にしたかったのだろうけれども、悉く失敗している。
②何か他の大作を買うときにイヤイヤ付けられてきたオマケ的な映画なのではないだろうか(昔はそういうのよくあったと聞くし)。
③こういう映画を観るときにいつも思うことだが、映画として面白かったり良く出来ていれは別だが、信仰の篤いキリスト教徒さんには「悪魔」の存在は怖いだろうけれども、異教徒のこちとらとしては“なあ~んだ”という感じ。
ダメ役者役がハマっているが、、、
「ヴァチカンのエクソシスト」やって何でまた同じネタ、セルフパロディか?と思い見て確かめようと思った。
やはり同じ事気になった方がいらっしゃってレビューを見ると本作の制作が先に始まり、一時制作が止まった時に「ヴァチカン、、」の制作が始まり完成も本作より早くて結果公開が本作を追い越してしまったと言う事情のようである。
本作の設定"どん詰まりの役者"がラッセルクロウの現状に被り面白い。それで出演決めた?
それとも監督が元祖エクソシストのカラス神父の息子だから?どちらでも良いけどラッセルクロウは好きなんで早くメジャー作に戻って来て欲しい。
なかなか怖いし美術や撮影、役者もよいが話の方は悲しいことになっている。あれ?あれ?的なジャンプが幾つかあり編集というか話の流れが変だ。これは撮影したけど長くなりすぎて切ったんじゃないかと勘繰ってしまった。
やはり物理が最強?
一言で言うとラッセル・クロウ演じる落ちぶれ役者が悪魔に憑かれて色々やらかす話。
ラッセル・クロウの演技は凄く取り憑いた悪魔が覚醒してからの表情は凄くて怖かったけどそれ以外は特に見所は無く肝心の映画撮影がどうなったか分からないとオチも弱い。
終盤で身代わりになって悪魔に取り憑かれた神父との戦いでは聖書の言葉だけでは勝つには足りないとみるや十字架を頭と顎にぶっ刺して倒すけど結局物理攻撃の方が有効なのはどうかと思った。
身代わりの神父を殺してるのに主人公が謝罪も感謝もしないのも後味悪いし。
ラッセル・クロウが挑む掟破りの「エクソシスト被り」! でも、肝心の出来はもう一つか。
この映画を観ることにしたのには明確な理由があって、
「ラッセル・クロウってマジで『ヴァチカンのエクソシスト』に出た直後に、こんなパチモンみたいな役のオファー受けたの? バカなの??(笑)」というものだった。
で、家に帰ってから調べたら、驚愕の事実が判明!
実は、キャスト発表も撮影開始も『ザ・エクソシズム』のほうが何年も「先」だったのだが、「コロナの影響で撮影が延期され」、そのあいだに『ヴァチカンのエクソシスト』が「後追い」でスタートして「先」に完成してしまったのだ。
2019年11月 『ザ・エクソシズム』にラッセル・クロウ起用、撮影開始
2019年12月 コロナ禍、『ザ・エクソシズム』追加撮影延期
2022年6月 『ヴァチカンのエクソシスト』にラッセル・クロウ起用
2022年8月 『ヴァチカンのエクソシスト』撮影開始(~10月)
2023年4月 『ヴァチカンのエクソシスト』全米封切り
2023年 『ザ・エクソシズム』追加撮影再開
2024年6月 『ザ・エクソシズム』全米封切
要するに、ラッセル・クロウは『ヴァチカンのエクソシスト』で神父を演じた直後に、その完全なパロディのような役を続けざまに受けたわけではなかった。
『エクソシスト』のパロディのような「映画でエクソシストの神父を演じる俳優」役を受けて、メインパートを撮影を終えた3年後に、「ちゃんとしたエクソシストの神父」の役を満を持して引き受けた、ということだったのだ。
ちなみに2023年4月の『ヴァチカンのエクソシスト』封切直後に、続編制作とラッセル・クロウの続投が発表されているので、ラッセル・クロウは引き続き別作でガブリエーレ・アモルト神父を再演することをわかったうえで、本作の追加撮影に臨んでいたことになる(笑)。
本人も「俺どうしちゃったんだろう? なんでエクソシストばっかりやらされてんのかな?」って感じだったのかも。
このあたりについて、一言もパンフで触れてないのって、あんまり関連付けて話されたくないってことかね。むしろ盛大にネタにすればいいのに。
ラッセル・クロウの役回りには、エクソシスト被りという驚くべき事態に加えて、若干「自虐的」なネタ感もあって、ほんとこういうの良く受けるよなあと思わざるをえない。
「飲酒やドラッグで家族を泣かせている」
「女性関係にゆるくてゴシップを振りまきまくっている」
「アンガーコントロールが出来ずに暴力沙汰ばかり引き起こしている」
ラッセル・クロウはこの手の悪しき自身のパブリック・イメージを、若干やけ気味に受け入れている気配があって(笑)、このあいだ公開されていた『アオラレ』(20)でもカスみたいな悪役を楽しそうに演じていたし、今回もアル中、ヤク中で悪魔に憑かれるダメ男役を「まるで我がことのように」演じている。
けっこうみっともなく肥ってて、演技も含めてなんか「鈍重」でなまくらな感じがするのが、また「いまのラッセル・クロウ」感があって、生々しいんだよね。
― ― ― ―
映画としては……うーん、どうなんだろう?
なんか、わざと小難しく作ってるのがなあ。
シーン内で何が起こってるか伝わりづらいし、
シーン毎のつながりもイマイチよくわからない。
(窓からパパが落ちたあと、なんであのシーンに??)
どこの部屋で何が起きているのか自体あやふやだし
(なんでみんなセット内うろうろしてるの??)
撮影がどういう感じで進んでいるのかも把握できない。
唐突に瞬間移動する身体の描写も不自然だし、
(フィルムをカットしたみたいな飛び方)
何かありそうに見せて、結局何も起こらないまま、
尻つぼみでフェイドするシーンがやたら多い。
こざかしいわりに、効果的でないというか、
モンタージュの基本自体がわかっていないような……。
映像のつなぎ方に、どうにもプロのセンスが感じられない。
どうせジャンル映画なんだから、もう少し説明的に展開するか、相応にナラティヴを整理して、観客にもすっとわかるように撮ればいいのに、わざわざ小手先でわかりにくくしてるから、正直いらっとくるんだよね。
話の展開もよくわからない。
親子の距離感に問題を抱えているような出だしだったのに、後半になったらわやくちゃになってしまっているし、娘のレズ堕ちもあまりに唐突かつ描写がダサすぎる。
この現場が呪われているロジック自体が伝わらないし、前任者の自死からラッセル・クロウにどうポゼッションが引き継がれたのかも、なんの説明もされないのでモヤっとする。
そもそも各シーンのつながりが悪くて、場所や時系列がわかりにくいのに加えて、思わせぶりな演出のわりに、各キャラクターの苦悩や内面に洞察が深まっていかないから、徒にとっつきにくいだけでお話への感情移入がとてもしづらい。
あと、あれだけいちびり倒してたムカつくパワハラ監督が途中でなぜかフェイドアウトして事なきを得る一方で、唐突なしょぼい悪魔顕現展開を受けて、いきなり『スポンティニアス・コンバッション』的犠牲を強いられる某人物が、あまりに可哀そうすぎる(笑)。
だいたい、窓から後ろ向きに落ちて行っても、悪魔憑きのあいだは無傷でノーダメージってのも、なんか納得がいかない。乗っ取られていたとはいえ、あれだけやりたい放題しでかしておいて、罰も受けずにお涙頂戴ってのも、さすがに受け入れがたいよなあ。
せっかくカッコいい三階建てのセットを組んでるのに、そこの吹き抜け構造を用いた撮影シーンとか、移動を見せる面白いシーケンスとか、落下絡みのアイディアといった、それを「うまく活用しよう」とする心意気がぜんぜん感じられないのも、もったいない。
「映画内映画」というギミック自体、ぜんぜんうまく生かされていない気がする。上手にやれば、『女優霊』(96)みたいなネタも取り込めただろうに。
パンフの監督コメントを見ると、一行目からいきなり「(自分と脚本家は)クィアカップルとして、キリスト教信仰の特定の層がLGBTの人々や女性を追い詰めるのを見るのは、驚くことではないにせよ、私たちにとって特に不愉快なことだった」と述べている。
「本作で、私たちは憑依映画の定石(「英雄的な男性が、自分で戦うには弱く単純すぎる女性を救う!」)を、ある集団が他の集団よりも善意や良識、能力を有しているという妄想のない世界にアップデートしたかった」とも。
御高説はありがたく承りたいが、LGBTやジェンダーやマンスプレイニングや教会の性被害のことばかり目を血走らせて考える前に、まずは「面白くてわくわくする」話を作ることを、ふつうに考えてほしかったところ。
実際、今回と同様の黒人ヒロイン&レズ要素のあるエクソシスト映画なら、『エクソシスト 信じる者』(23)のほうが、よほど楽しめる映画に仕上がっていた気がする。
あと、監督はパンフで「トランプ大統領(前回の)が誕生する中、もしかしたら男性が憑依されることは未開拓の井戸なのではないかと思い始めたのです」と述べているが、それ、とっくに『シャイニング』(80)でキューブリックとジャック・ニコルソンがやってるから(笑)。
せっかく、監督のお父さん、ジェイソン・ミラーの遺産でもある『エクソシスト』を語り直す得難い機会を得ているのに、「どのように現代風に面白くアレンジするか」ではなく、「どのようにポリコレに合った内容にブラッシュアップするか」みたいな、くっだらないことばかり考えて撮っているから、こういう映画が出来上がってしまうのだと思う。
ラッセル・クロウ
「エクソシスト」神父役俳優の息子の監督作+主演ラッセル・クロウのみが売りのC級ホラー。色々と説明不足と描き足りないことが多すぎる雑な作りが残念。
妻を亡くした俳優は、依存症から復帰するため、悪魔祓い役で映画に出演。
しかし、その映画撮影中にプレッシャーから次第に精神を病んでいき、
撮影現場は、現実と映画の境界線が曖昧になり、予期せぬ恐怖が起こる。
予備知識ゼロで鑑賞。
上映が1館2週間のみというのも頷ける内容だった。
「ヴァチカンのエクソシスト」で主役のタイトルロールを演じたラッセル・クロウが、悪魔祓い映画の神父を演じる役者を演じる。
また、映画のコピーが「伝説の映画『エクソシスト』の息子が日本に降り立つ!」って何のことかと思えば、「エクソシスト」でカラス神父を演じたジェイソン・ミラーの息子が監督だった。
(それは知らずに鑑賞。)
この2点だけを「売り」にして、こだわりなくり作ってしまった映画だった。
劇中劇映画のセットとして、まさかの「冷蔵室」に建てられた一室のセットが登場!
「エクソシスト」のことかな?と思いつつも、「霊界の冷気で息が白くなる効果を撮影するため」(「映画秘宝」で読んだ豆知識より)なんていう説明が一切なし!!!
そこはオマージュ?リスペクト?の大事なところなんだから説明しないと!
他にも「ドールハウス」仕立て構造、3階建て一面壁無しのセットが実に面白いのに、撮影には一切生かされない。
ウィリアム・フリードキンにあたる映画監督は、クロウのトラウマを責めるパワハラ演技指導。
しかし、フリードキン監督の狂気…までは至らない。
そして、何故か少年期のトラウマをしっている監督。
その過去の回想シーンは、フラッシュ・バックだらけで何が起きたかのかさっぱり分からない。
不仲の娘の、カトリック系寄宿学校停学の理由、経緯も一切描かれない。
悪魔憑き(リーガン?)役の女優の心情もほとんど描かれず(共演者の不幸はあったけれども)、いきなりLGBTQ+ラブシーン。
そのラブシーンの演出も下手過ぎ。
とにかく脚本が書きたらないことが多すぎて、監督もそこを補完できていないまま、話だけが雑にどんどん進む。
もっとエピソードと演技を積み重ねて丁寧に描いてくれれば、面白くなったかもしれないのに残念。
もうどういうエンディングだったかすら覚えてない。
本当に、監督は『「エクソシスト」神父の息子だけが売り』ではないんだぞと、父親のためにも意地でもがんばって誠心誠意全力で作り込んでくれないと、本当にそこだけが宣伝文句のC級、D級、Z級映画になってしまうではないか!
それこそフリードキン監督並みの狂気で、クロウを追い詰めるぐらいの気力で作らないとダメ!
唯一、おかしくなっていく父親から逃げずに、健気に世話を焼いてくれる娘と、その女優だけが頑張ってた。
んー、ホラーエンタメとしては ちょっとエンジンかかるまで時間かかり...
取り憑かれたのは…
結局悪魔憑きなのか
私は信仰を失った。
酒と薬に溺れて落ち目だった俳優が、悪魔祓いの映画の神父役で再起をはかる中で不穏な事態に陥る話。
妻の病気を言い訳に、酒と薬に溺れること2年、抜け出す為にまた2年費やした頃、前任者が撮影現場て謎の死を遂げた映画のオーディションの話しがあり巻き起こっていくストーリー。
依存症を抱え処方薬を服用しつつ臨んだ撮影で、カトリックの性虐待事件を匂わせられて追い詰められる主人公が、夢遊病に苛まされたり、酒か悪魔憑きか情緒不安定な状況を拗らせていく。
監修みたいな扱いで、神父も登場するけれど、心理学を学んでいてオカルトは99%信じていないっていうのがなかなかゆにだし、主人公の個人的なメンタルの問題という感じで進んでいくのがなかなかユニーク。
そしていよいよ撮影現場で明らかにおかしなことが起きたのに、そこはスルー?
お薬ペッペッでもういいよと思い始めたら…急展開過ぎません?
なんだか最後は急に良くある形にまとめられてしまった感じで、あんまり説得力がないし、エピローグは良くわからないしでモヤッとだった。
カトリックの性虐待問題を知らない方は、映画「スポットライト」を是非。
王道の悪魔祓い
救いなのは、彼の演技力だけ
"Tony, you are irredeemable."
話の流れからすると... 監督が主人公のトニーに対して、緊張を取り除こうと言ったとしても観ている側としたら、余計に更なるプレッシャーを彼に与えているように見える。ところで...イギリスのカルチャーサイト "Far Out " の2023.8.7 のフリードキン監督とのインタビュー記事の抜粋より、ユダヤ教の家庭に育ち、不可知論者でも神は信じているって?
“I believe very strongly in God and the power of the
human soul,” Friedkin began. “I also believe that they
are unknowable. But the film, The Exorcist, is primarily
about the mystery of faith, the mystery of goodness,
that mystery which is inexplicable, but it’s there.”
ウィリアム・フリードキン監督のオカルティズムをホラージャンルのサブジャンルに位置付けをした金字塔『エクソシスト』からのリメイクやリブート、あるいは寄せ集めの続編といったところを試行錯誤の必要なしに、ホラー映画の古典の遺産をただ単に活用するだけのメタでもなく、そのまま間接的な手段を使っている。それでも、悪魔に取り憑かれたラッセル・クロウのセリフ自体が、地獄の底から這い上がる亡者のような響きで率直に言って怖さと凄味がある。しかし、いい加減な筋書き、いい加減な演出、そして使い古されたカトリックのホラーの依存の犠牲となり、ストーリーが大事な後半の残り20分には支離滅裂となり崩壊してしまっている。
HE KNOW YOU!
YOU WILL NOT BE
SAVED
この映画は『エクソシスト』でカラス神父を演じた故ジェイソン・ミラーを父に持つジョシュア・ジョン・ミラー監督が父親へのトリビュートとして作られたため、当然「ミラー」というキャラクターが必要だったように強く感じる。
この映画では、リーガンの "コールド・ルーム" を含めて3階建てに組まれた撮影ステージのセットとトニーのアパートのセットは主に薄暗い場所で撮影されており、屋外シーンはほとんどなく、登場人物と観客の両方に閉塞感と恐怖感を自然と感じさせる。
しかし、全体として見ると、脚本のかなり不安定でシーンとシーンの繋がりにかける進行具合とクロウのラストの大げさな演技が、後半の物語を事実上脱線させている。クライマックスのシーンは、おそらく原作に忠実なのかもしれないけれども、そのスタイルの視点からは映画全体の象徴的で印象的だが、この時点でトニー・ミラーとクロウのちぐはぐさから完全に真摯なものは取り除かれ、誰が見ても信憑性を失っている。
ただ一つ言えることは... 『エクソシスト3』のように、予想外の画面の隅から飛び出すような肝を冷やすほどの驚愕のジャンプスケアが1つあることかも知れない。
この映画をホラーと呼べるかどうかは、はっきり言って... 天邪鬼な者からすればコメディです。
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