ゆきてかへらぬのレビュー・感想・評価
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広瀬すずのPVとしてならあり
観てきたばかりの映画なのに、物語や台詞をほとんど覚えていない。
時代の雰囲気を表すためなのかあるいは文学的な雰囲気を出したかった
のか、言い回しが現代人の日常会話とちょっと違っていたのにも馴染めない
気がした。途中寝てしまったくらいだし、自分の心に響く内容ではなかった。
では全く見どころがなかったかというとそうでもない。
大正から昭和初期にかけての話なのでその時代を再現したセットや
その他の美術面では良い雰囲気が出ていた。色調を抑えてノスタルジックな
感じを出したり、映像は良かった。
そしてその時代の服装を身に纏った広瀬すずの美しい姿。衣装も髪型も
和装から洋装まで幅広く、場面ごとに変わるのが見ていて楽しかった。
広瀬すずの演技は無邪気に遊んだり時にはメンタルがぶっ壊れて叫んだりと
変幻自在。実在した女優・長谷川泰子とのことだが映画の撮影現場
(トーキー以前)の場面も面白かった。ダンスホールで楽しそうに
踊る姿も印象的。
中原中也・小林秀雄という、やはり実在した人物との不思議な三角関係。
肉体関係が当然あったのだがそこはほんの申し訳程度にしか描かれず。
まあ脱がないだろうとは思っていたのでほぼ着衣のままで○○しても
想定の範囲。もし主演が二階堂ふみだったらもっと妖艶な映像が
見られたかも?などと妄想してしまった。
誰にでも薦めたくなる映画ではないが、出演者の誰かが好きなら
一見の価値はあると思う。
自分は広瀬すずが好きなので彼女を愛でるPVのつもりで観る分には
損はないと思った。
大正時代 昭和初期を再現は好感 ただ 無常という事 というより 新進女優役 広瀬すずさんが圧倒的に存在感。
文芸評論家の小林秀雄さんを映画で観るとは思わなかった 正論 精緻な文体。
むしろ難解さでは 中原中也さんの詩の方が難解です 遥かに。でも中原中也さんのキャラは映画 ドラマにしやすい。
大抵酔っ払いで破滅的描写 本作では如何❓映画館スクリーンで確認を。
小林さんと中原中也さんの関係性は知りませんでした。
ただ やたらと 俺の大学受験の時 小林秀雄さん 頻出なので かなり現代文の学習として読みました。
大学入学後は 1文字も読んでません。ごめんなさい🙏。
俺には 文芸評論は無理みたい。申し訳無い。
でも実際は大部屋女優【有料パンフ🈶より引用】だったという 長谷川泰子さん 広瀬すずさんが圧倒的な存在感
岡田将生さんの 昭和のハンサム感
木戸大聖さんの 中原中也感 も良かったです。。
ただ申し訳無いけど 岡田将生さんほどハンサムでは無いよね。ご本人様。
有料パンフ🈶には 中原中也さんの詩が載ってますが 俺にはわからないや ごめん🙇なさい。
不思議な三角関係 京都から東京へ 雪 雨 非常に情景が良い。
女と男 男と女 男と男
どういう修羅場やねん って思った。
俺的には トータス松本さんの ・の上 楽器が不思議
富永太郎さん役の田中俊介さん。昭和の結核 肺病感 良かった
最後に 無名の・・・で 引き締めた 柄本佑さんが良かった。
なかなか手間のかかった 典型的な日本映画の良さ感じました 地味だけどね
でも 圧倒的に 広瀬すずさんの存在感 ケレン味十分 でもリアリティも十分
あの時代に ぶっ飛んでた 長谷川泰子さん 尊敬🫡
尺もよく 普通のテンポです。
有料パンフ🈶は 極めて 多面的な考察 いかに本作製作 苦心したかがわかる 構成の良い良作
是非購入オススメ 文字多いけどね 拾い読みできます。バラエティに富む。
まあ 人生観だね。
ゆきてかへらぬ 確かに GOOD👍 あっ そういえば タバコ🚬のワンカートンは 昭和では贈答品でした。我ながら超細かい指摘で申し訳ない。謝ってばかりだなぁ 今日の俺。
『こういう文芸的な映画は客入らないねぇ もっと入っても良い❗️』と自分の無知を棚に上げ 意気揚々と 終電 駅に向かう勝手なおっさんでした。
飛花
女優・長谷川泰子と、彼女に恋をした詩人・中原中也、そして中也の友人の文芸評論家・小林秀雄の恋愛と友情の話。
20歳の長谷川泰子が17歳の学生であった中原中也と出会い、彼の下宿に居候することになり巻き起こっていくストーリー。
中原中也以外の2人は知らずに観賞。
三人の関係をみせる作品ではあるけれど、あくまでも長谷川泰子がメインで、中原中也と小林秀雄は助演という位置づけですかね。
文学的な題材の作品とはいえ、三人共に日常から恋愛に至るまで、思想や言葉の選び方がまあ文学的で劇的で面倒臭いこと。
作風と合っているから、それが嫌な感じはしないけれど。
何が実話なのかは知らないけれど、共依存症に陥りやすい感じの長谷川泰子に振り回される二人の男という感じで、ドロドロ感は堪能できるけれど、文学的過ぎて生々しさが足りなかったし、やっぱりちょっと長かった。
大正時代の文学作品?
感傷
大正浪漫漂う、文学的なトライアングル・ラブ
ボガ・モガと呼ばれた時代の最先端のお洒落な人達が、闊歩していた大正から昭和の世の中が舞台。そんな時代を生きた、天才詩人・中原中也とその恋人で実在の女優・長谷川泰子、そして、中原の友人でもあり、泰子とも暮らしていた文芸評論家・小林秀雄の3人による、奇妙な三角関係を描いた、大正ロマン溢れた青春ラブ・ストーリー。
当時の時代を反映してか、台詞表現も文学的で、やや難解な3人の人間模様に加えて、喜怒哀楽の激しい演技に、芥川賞作品を読んでいる様な印象が残った。また、登場人物である小林秀雄については、1980年代まで生存しており、今でも文芸界においても何かとその名前や功績を目にすることもあった。しかし、残念ながら中原中也については、詩人として名前は聞いたことはあっても、彼の詩も生涯も全く知らず、長谷川泰子については、今回初めて知った人物であるため、個人的に入り込める内容ではなかった。
女優を目指す二十歳の長谷川泰子は、なかなか日の目が出ず、燻った日々を送っていた。そんな時、17歳の学生・中原中也と出会い、互いに淋しさを補うように一緒に生活を始める。そして、京都から上京した2人の前に、中也の友人で文型評論家の小林秀雄が現れる。小林は中也のよき理解者であり、彼の才能を大いに買っていた。
そんな意気投合する2人の会話についていけなかった泰子は、自分だけが取り残された想いに駆られ、嫉妬する。と同時に、中也に無い小林の魅力に惹かれるようになり、中也を棄てて小林の元へと走る。そこから、3人の奇妙で、文学的な三角関係が描かれていく。
主演の長谷川泰子役には広瀬すずが演じ、可愛かったすずちゃんが、すっかり大人の女の匂いを漂わせる演技を魅せていた。また、男を巡って精神を病んで、激しい感情を剥き出しにする演技に、新たな女優としての成長も感じた。中原中也には、最近よくドラマでも目にする木戸大聖が、虚勢を張り泰子に執着しながらも、天才肌の男を演じていた。そして、小林秀雄には、岡田将生が、泰子の言動に翻弄される男を、安定感のある演技で演じていた。
中也と泰子@広島
小説もそうだが、映画も「なにを描くか」よりも「なにを描かないか」が重要であったりする。
たとえばこの映画は、京都での中也と泰子の話から始まっている。冒頭の、セットで作られた見事な黒の色調の京の街並みと、屋根の柿の実の赤の対比が鮮烈で印象的である。ただ、泰子が広島から女優を目指してかなりの辛酸を重ねて東京に行き、しかし一か月ほどで関東大震災で心ならずも東京を離れて京都に去っていた、などの背景は語られない。
また中也も、郷里の山口で落第して居づらくなって京都の学校に親から行かせてもらった、などの背景も語られない。
さらに、中也と泰子は広島の同じ敷地内の学校に幼いころ通っていて、面識があったかどうかは不明だが、京都に知り合いも少ない中で二人が同じ場所で幼年期を過ごした気易さ、共感などは語られない。
後の泰子が、中也や小林秀雄以外の相当な文学界や演劇界の大物との交流があったことも語られない。
中也を「振った」泰子が、のちに中也ファンからのバッシングを受けたことも語られない。
おそらく監督も制作陣も、実際はさらに豊穣で複雑で多岐にわたる事実を描くというよりも、鋭敏で鮮烈で劇的でシンプルな美しい画、それを撮りたかったんだろう、そんな映画なのだと思う。
とてつもなく印象的な場面をいくつか観られたら満足できる、という観客なら楽しめるが、そうでない観客には不満が残る、そんな作品。
広瀬すずが美味しそうだ‼️❓
日本のおしゃれな時代を生きた3人
中原中也と駆け出しの女優長谷川泰子、中也の作品に惚れ込む文芸評論家小林秀雄の三角関係?なんとも言えない奇妙な関係のお話でした。
大正という時代背景、、、和と洋が織り混ざった建物のつくり、衣装、ヘアメイク、、、とても魅力的でした。
映像が素晴らしく、静かな雨が打つ長屋の細道の石畳み、、、雨に濡れて黒くなった瓦屋根に赤橙色の柿、、、3人でボートを楽しむ水色の世界、、、桜が満開の桜色でスクリーンがいっぱいになり、映画館で観れて良かったなという印象です。
キーワードになる色々なモノが登場します。
柿、壺、振り子時計、お茶碗、赤い手袋、、、貧しい時代から、余裕のある時代へ、、、素敵な物が世にでてきた時代、、、物への執着を感じます。
脚本は40年前に田中陽造さんが書かれたものに、根岸監督が惚れ込んで映画化というだけあり、セリフひとつひとつに色気を感じます。
中原と泰子の狂気は感じましたが、印象に残ったのは泰子の母親役の滝内公美さんの圧倒的存在感、、、
全体的にどうだったか、、、というのはネタバレになるので控えます、、、大正ロマンの文学、生活、思考、、、新旧のものが入り混じった時代、、、戦争が起きずにそんな時代が続いてたら、日本はもっとおしゃれになっていたんだろうな、、、と思わせる、そんな映画でした。
大正デカダンス
ブルーダイヤモンドにはほど遠い
ゆきてかへらぬ
小林が天才だ、ダイヤモンドと、何度も言うほどイエローダイヤへとくすんで行くのが詩人なのだ。
更に、大聖君も頑張っているが、そもそも17歳の青年からオッサンにまで薄汚れる詩人を演じるのは荷が重過ぎる。
泰子も、加齢に薄汚れる詩人と真逆に老練する評論家に挟まれればアタオカとなるも当然でしょう。
魔性なんぞ一欠片も感じ無かったのは、小林と同じだ。
あれはジェラシーだったのだろう。
とは言え、
その無理無理の青春の一コマを開花から落花を大正浪漫として楽しませてくれた。
また、ロケ地は最高の場所が数多くあった。
わかったのは、大徳寺の塔頭辺りかな。
出来たら、ロケ地巡りをしてみたい。
(^-^)
ゆきてかへらぬ
劇場公開日:2025年2月21日 128分
大正時代の京都と東京を舞台に、実在した女優・長谷川泰子と詩人・中原中也、文芸評論家・小林秀雄という男女3人の愛と青春を描いたドラマ。
大正時代の京都。20歳の新進女優・長谷川泰子は、17歳の学生・中原中也と出会う。
どこか虚勢を張る2人は互いにひかれあい、一緒に暮らしはじめる。
やがて東京に引越した2人の家を、小林秀雄が訪れる。
小林は詩人としての中也の才能を誰よりも認めており、中也も批評の達人である小林に一目置かれることを誇りに思っていた。
中也と小林の仲むつまじい様子を目の当たりにした泰子は、才気あふれる創作者たる彼らに置いてけぼりにされたような寂しさを感じる。
やがて小林も泰子の魅力と女優としての才能に気づき、後戻りできない複雑で歪な三角関係が始まる。
広瀬すずが長谷川泰子、木戸大聖が中原中也、岡田将生が小林秀雄を演じた。
「探偵物語」「ヴィヨンの妻 桜桃とタンポポ」の名匠・根岸吉太郎監督が16年ぶりに長編映画のメガホンをとり、
「ツィゴイネルワイゼン」の田中陽造が脚本を担当。
ゆきてかへらぬ
劇場公開日:2025年2月21日 128分
大時代的
中原中也という天才
汚れつちまつた悲しみに、
汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる
汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の皮袋
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる
汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむもなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠のうちに死を夢む
汚れつちまった悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れつちまった悲しみに
なすところもなく日は暮れる……
この詩を読んで感動しない人間は居るだろうか?
この映画は長谷川泰子(広瀬すず)の映画なのです。
中原中也を描くなら、この詩は絶対に省けない
乳母車を押す中也、
哺乳瓶から乳を飲む中也、
マントを翻してローラースケートに興じる中原中也、
ラストの「ユーモア」という謎の題名のテーマ歌を省いても、
汚れつちまつた悲しみに、は、読まなくてはならない。
この詩を、冒頭か?ラストで、
テロップで流して声を被せたら、
たったの1分間で済むのに、そうすれば、
この映画は本物の芸術作品になり得たかもしれない。
久しぶりに観た【文芸作品】を。
それでも【文学】をそこはかとは感じる良い経験でした。
まず人間が描けている。
詩人・中原中也
女優・長谷川泰子
文芸評論家・小林秀雄
この3人が演じた木戸大聖、広瀬すず、岡田将生の
手堅い演技力、的確な人物像の把握、役への情熱、やる気
そのため実在しているかのような存在感が感じられる。
特に木戸大聖の演じる中也。
映画では否定していたが、17歳の旧制中学から、
女郎を買ったとの証言がある。
小林秀雄に泰子を奪われても、ちょくちょく顔を出して、
泰子が神経を病むほどの大音量で鳴る柱時計を贈る。
《中原中也と哺乳瓶そして乳母車》
これには伏線がある。
泰子が望まぬ妊娠・出産をした時、泰子を支えて、
子供の茂樹の名付け親になった中也。
案外、バンカラで豪放磊落な面倒見のいい男だったようだ。
この辺は木戸大聖も手堅く片鱗をみせている。
そして何より、中也と泰子は広島の鉄砲町で目と鼻の先に
住んでいた。
面識はなかったが、同郷でご近所なら、話が弾んだ筈だ。
中也は3歳年下にも関わらず、乳飲み子を抱えた泰子の面倒を
良く見ている。
【乳母車も哺乳瓶】も茂樹との交流に寄るものだろう。
ある意味で知的で冷たい小林秀雄より、情の濃い男。
中原中也の、
30年の生涯は濃縮されて濃い特濃のものだったのである。
岡田将生は小林秀雄にうってつけで、美貌と嫌味なほど知的で繊細。
料理の出来ない泰子を気遣い、ゆうげの食べ物を毎食買っ作る。
しかしどうだろう?
泰子は、中原の部屋に泊まった朝、味噌汁をそれもあり合わせで
生姜の味噌汁を手作りしている。
中也と暮らしていれば泰子の神経症は出ない。
それでも中也と秀雄は泰子を挟んで交流を続ける。
監督の根岸吉太郎は2009年の太宰治を描いた
「ヴィヨンの妻〜桜桃とタンポポ」以来16年ぶりの長編映画。
もともとは有名監督なので、「遠雷」と「ヴィヨンの妻」は観ている。
「遠雷」は有り余る若さが画面から迸っていた。
それに較べると今回の熱量の不足は否めない。
中原中也役の演者が見つからず、40年以上前の田中陽三の脚本が
やっと日の目をみたそうだが、
美しい良い役者(広瀬すずと岡田将生)を見ていると、
一瞬も目を離せず、一瞬も飽きる事が無かったが、
感動したかと聞かれれば、湧き上がる興奮は沸点を越えず
化学反応は起こらなかった。
なりふり構わず情に訴えるには、
広瀬すずの美しい背中を見つつ、
広瀬すずの見事な日本髪の美しさをしても、
足りない。
岡田将生は小林が掴めず不完全燃焼という。
圧倒的な芸術の香りや破壊力と熱量が微量な気がする。
根岸吉太郎監督は案外ニヒルな人なのかもしれない。
意味わかんねぇえええええ
広瀬すずの一皮剥けた演技は必見!
実に文学的な演出で、誇張された演技が特徴の作品です。
主人公 長谷川泰子(広瀬すず)、中原中也(木戸大聖)、小林秀雄(岡田将生)の
三角関係を描いているので、時代は大正〜昭和です。
率直申し上げて、映像のつくりあがりから、あまり大正感は感じられず、
そこは少し残念でした。
本作の見どころは広瀬すずの一皮向けた演技だと思います。
今までの広瀬すずのイメージから脱却し、
中原・小林から見たら、非常にやっかいな人物として演技していますし、
精神的に参っている時の言動・行動など、狂気をまとった演技も
実に見事、というより頑張っているなぁ、広瀬すず!と感じました。
広瀬すずは声に特徴があるので、
誰を演じても、広瀬すずだなぁと思ってしまうところはあるものの
表情・所作などで今までのらしさ的なところは突破している気がします。
ただ、もう一歩、二階堂ふみくらいの吹っ切れ方で演じていると、
また見方も変わったかもしれません。
木戸大聖の演技はちょっと鼻につくというか、本当に中原はあんな感じだったのかな?
なんて思っちゃいました。
一方、岡田将生も繊細な役どころを巧みに演じていましたね。
中原中也の半生を描いた作品でもあり、私は興味深く観ることができました。
本日、公開日のレイトショーでの鑑賞でしたが、
私を含め観客2名。
これは全国的にも興行は厳しそうだなと感じております。
※広瀬すずが主演というだけあって、集客力もそこそこあるかと予想していましたが、甘かったです
ああ おまえはなにをして来たのだと…吹き来る風がわたしに云う
殆ど実家からの仕送りで生活していたという自堕落で穀潰しの有り様は、太宰治にそっくりな中原中也。映画には無かったが、家族の手前、働きますというパフォーマンスでNHKの入社面接を受けに行くも、面接官を怒らせて、わざと落ちている。生涯、詩人として生きる覚悟を持った破天荒な男を木戸大聖が演じたが、“不遜な若者”感は充分だったけれど、“詩人”になりきれてはいなかった。ドラマで1990年『三上博史の中也』がハマりすぎていて、これには勝てない。一方、岡田将生の印象は悪くない。上から目線の稀代の文学者、髪型なのかメイクなのか昭和初期の雰囲気を漂わせ乍ら、本作での主要な三角関係の危うさを、醒めた視点で捉え、なおかつ優しく均衡を保ち続けるという難役をこなした。
そして主役の広瀬すず、大人になりました!時々は気の利いた事も言えるけど、いくら背伸びしても二人に割って入れない、疎外感に苛まれる、はすっぱな大部屋女優を見事やりきった。
中也が皮肉たっぷりにお祝いとして持ってきた柱時計 と小林の目利きで買った白磁の壺は、泰子が精神的に壊れていくシーンで重要な役割を果たす。うるさいから壊してっ!として庭にぶん投げた柱時計が中也の象徴なら、壺は小林のそれである。バラバラになっても鳴り続ける“ナカハラ”に“コバヤシ”を投げつけて一緒に壊してしまい、私はあんたらの“おもちゃ”じゃない!とキレる場面は秀逸である。
文芸作品でも演技の幅を魅せた広瀬すず、人気者ゆえに引っ張りダコの状況だろうが、あんまりミーハーなところに顔を出さず、作品を選んで大成して欲しい。
(表題変更しました)
全129件中、101~120件目を表示