ゆきてかへらぬのレビュー・感想・評価
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スタイリングがとても良い
この時代背景の映画はなかなか理解するのに時間かかったりはするんだけど、ストーリー展開がなかなか入り込めない時もあって自分には合わないかなぁと思いながら観てたりもしたけど、とにかくスタイリングが良い。広瀬すずのスタイリングがめちゃめちゃ良かった。衣装とかヘアセットとかそういうのがとにかく素敵で色合いとかも良かったしストーリーというよりもスタイリングが良くて楽しめたいうのもある。
純粋で、手に入らないもの
しみじみした気持ちが、鑑賞後の第一印象。愛って、危うくてもろくて自分勝手だね。
中也を演じた木戸大聖さんは熱演だったと思う。今後誰かが中也を演じるときは、彼を越えるためにかなりのデフォルメが必要だろう。それくらい自然だった。でももう少し、彼の狂気が表現されていてもよかった。おそらく、長谷川泰子たる広瀬すずさんがそれを担ったんだと思う。
広瀬すずって、こんなにいい役者さんなんだ。後半、ほんとに自然に長谷川泰子だった。まあ見たわけじゃないけどそう思った。そういう意味では小林秀雄を演じる岡田将生さんは難しいポジションだったね。常識人の狂気って、どうすりゃいいのって感じ。作品全体としては、詩壇における中也の立ち位置とかが分かればなおよかったのにね。
さらに言えば、のちの泰子の私生児を中也が猫可愛がりしたエピソードは完全割愛だったけど、あれこれが中也なんだけどなー。別れた恋人の私生児ですよ?愛する事に純粋無垢。普通じゃないよね。ずっと愛したらよかったのに。でもできなかった。彼のせい?彼女のせい?人って、みんな狂ってるから。
その真ん中にはいつも詩が存在している。
中原中也の詩が好きで若い頃夢中で読み漁った。医者の家に生まれ17才で駆け出しの女優と同棲し上京、詩を書くことに心血を注ぐが、病や溺愛した息子の死で神経をすり減らし30才の若さでこの世を去った。残された詩は約350。私の中で中原中也は神格化されている。だから美しくなくてはならない。木戸大聖の中原中也はとても美しかった。
文学的でほぼ3人だけで進む展開や台詞回しがまるで舞台を観ているかのよう。音楽、そして明治から昭和にかけてのノスタルジックな雰囲気、要所要所で降る雨が心地良い。出逢ってしまったという言葉が本当にしっくりきている。久々にパンフレットも購入して私のお気に入りの1本になりました。
中原中也の真ん中にはいつも詩が溢れていた。今作は飽くまで3人の関係を軸に描かれているけど、欲を言えば中也を中心にもっと詩を散りばめて欲しかった。たとえば逝く夏の歌。たとえば狐の革裘。
広瀬すずの新たな進化
大正時代に実在した女優・長谷川泰子と詩人、文芸評論家の男女3人の愛の行く末を描いた恋愛ドラマ。大正ロマンというべきか、映像から滲み出る世界観の美しさに引き込まれた。
そして何と言っても主演・広瀬すずの演技が圧巻で自由奔放に生きる小悪魔的な新たな一面に魅了された。どんどん進化する広瀬すずの素晴らしさに脱帽でこの演技を観るだけでも価値のある作品です。
2025-30
美しい映像、美しい音楽、美しい広瀬すず、美しい岡田将生
パッとしない中原中也。
この作品を観て中原中也という人物に惹かれ、その詩集を買ってみようかな、とは思わない。
演じた方には申し訳ないが、天才には見えないし、真剣で斬りかかってるようにも見えないし、空から降ってきた天使にも見えない。そもそも全生活をかけて詩を書いている17歳が、詩心のないおじさんには響かない。
出てきた頃のブラッド・ピットやアラン・ドロン、若い頃の菅田将暉みたいな、パッと出てきただけで惹きつけられすべてを味方にし、その最後には同情せずにいられない、といった魅力のある俳優が演じてたら、、。詩人が主役では難しいか。
三時間か四時間の映画を観ているくらい長く感じた(特に中原中也が中心となる前半)が、最後の広瀬すずのアップ、眼力と美しさに魅了され、満足感に浸っていると。
台無しソング(主題歌)いらね〜な。
根岸吉太郎監督、田中陽造脚本って、タイムリープしたんかと思った。なかなか映画化できなかった作品を、今回も木下グループさんに感謝。
この映画には全く関係ないけど、「スーパーマン」新作の予告篇初めて見て、あらためてスッパマンを作り出した鳥山明って天才だなと思った。
観ると『山羊の歌』が読みたくなる(かも知れない)一作
国語の教科書でもおなじみの詩人・中原中也と小林秀雄、そして女優・長谷川泰子の三者が織りなす愛憎劇。作中、主人公である中原の、詩人としての側面はもちろん描かれるんだけど、基本的には彼らの人間関係に焦点を絞り込んでいて、主要登場人物もほぼこの三人だけ、というある種の潔さ(草刈民代とか、登場場面が短くともしっかり存在感を発揮しているところはさすが)。
若き日のゴダールとかの映画を彷彿とさせるような、「愛情と憎しみだけで成立している世界」描写なんだけど、前半の生活感のない、現世にたゆたうような生き様からの、生老病死と背中合わせにある現実に直面していく後半部への展開などからは、ボリス・ヴィアンの『うたかたの日々』も連想しました。そういえば中原も小林も、ランボオに傾倒しているし。
本作はとにかく映像、というか撮影に注目してほしいところで、冒頭、長谷川泰子が眺めるあるものからの、中原中也登場場面へのつなぎで、いきなり意表を突いてきます。また例えば、中原、小林、長谷川は作中において大きく二回、「死」について語り合んだけど、状況的には全く異なった二つの場面を、ゆらめく水面と濡れた床のきらめきという類似した要素で接続することで、そこに関連性があることを強く印象付けています。さらにこの死についての対話のつながりを意識することで最終盤の余韻が一層強まるように作劇している、などなど、単なる凝った映像ではなく、作劇意図としっかりかみ合っている点が素晴らしいです。
本作の撮影監督である儀間眞悟は、実に良い仕事をしていると思いました!もしかしたら映像の意図を深読みしすぎてるだけかも知らんけど!
三人のラブ・アフェア
文士の三角関係は枚挙にいとまなし。
〔あちらにいる鬼(2022年)〕は
『井上光晴』と妻、『瀬戸内寂聴』の長年の関係を映画化したもの。
『谷崎潤一郎』は、妻を『佐藤春夫』に「譲渡」する契約を結んだ
「小田原事件」を起こしたことでも知られている。
このあたりは自分の記憶の範囲内。
しかし、本作で描かれている
三人の関係については
寡聞にして知らなかった。
『中原中也』と『小林秀雄』が昵懇だったことは
仄聞していても。
『中原』が放蕩なのは周知も、
『小林』もなかなかの無頼。
共に酒癖も相当に悪かったようで、
それも本作で描かれた二人の仲の裏側にあるのかも。
自分たちが受験生の頃には
〔様々なる意匠〕は必読だったわけだが
(まるっきり理解できなかったけど)、
書かれたものと人間の本性には
何ら関係が無いことは良く理解できた。
『長谷川泰子(広瀬すず)』はデラシネの女。
身の回りをトランク一つに詰め、
どこへなりとふらりと立ち回る。
見目は麗しく人目を惹くものの、
台詞回しが上手かったり、
立ち居振る舞いが美しいわけではない大部屋女優。
家事もからっきしなのに加え、
性格も相当にエキセントリック。
そんな彼女に
文才に優れた二人の男が惚れ、
振り回される。
最初に出会ったのは『中原中也(木戸大聖)』。
次には友人の『小林秀雄(岡田将生)』へと連鎖していく。
『泰子』はやがて『小林』の元へと逐電し、
その三角関係の苦悩から『中原』は詩を着想するのだから、
まさに「ファム・ファタル」そのもの。
『小林』が『泰子』との生活に疲れ
袂を分かった後も三人の関係はぐずぐずと続く。
しかしそれは、男女の愛情を超えたものへと昇華し、
傍目からは奇異にも見える。
もっとも、『小林』が『泰子』と関係を結んだ理由も
『中原』が一緒に暮らしていた女性だから(そうした)、とは
容易に想定できるもの。
あまりに複雑に過ぎ、
凡人には到底理解が及ばない。
『広瀬すず』が大正時代の「モガ」を
美しく演じる。
身体表現も変わらずしなやかで
観ていてほれぼれするほど。
潔癖症にとらわれた狂気の演技も凄まじく、
生き生きと主人公を体現する。
とは言え、観る側は
『長谷川泰子』の人間像を掴み切れない
もどかしさを感じる。
幼い頃の母との記憶のシーンを削り、
全体の尺を伸ばしてでも
彼女の人となりを膨らませるエピソードを
増やすべきではなかったか。
実在の人物を描いている?
演者の皆さんの演技は、素晴らしかっただけに残念。
映像も優美で美しく、衣装も素敵だった。
しかし…「今日は体調が悪いのか?」と考え込むほど
時間の流れがおそく、冗長に感じた。
「実在した女優・長谷川泰子と詩人・中原中也、文芸評論家・小林秀雄という男女の愛と青春を描いたドラマ。」
と宣伝文に書くには、本人達のキャラクター掘り下げ、特に精神性の掘り下げ方が薄すぎやしないか。
特にそれぞれの作品が、何故創出されるに至ったか。
史実と違う事もかなり多い。
これならまだ実在ではなく、大正時代にいた全く架空の人物で描いてもらう方が、まだ展開がドラマティックで、自由な起承転結をつけられたのではないか。
おそらくモデルとなった3人は決して言わないであろう、知性を全く感じさせない軽薄な台詞の連発が、とくに終盤苦痛だったのは、私だけだろうか。
トータス松本さんのヴァイオリン!最高でした!
映像がきれいでした
愛の奴隷
大正時代の京都と東京を舞台に、実在した女優・長谷川泰子と詩人・中原...
大正時代の京都と東京を舞台に、実在した女優・長谷川泰子と詩人・中原中也、文芸評論家・小林秀雄という男女3人の愛と青春を描いたドラマ。
広瀬すずが長谷川泰子、木戸大聖が中原中也、岡田将生が小林秀雄を演じた。
意外にも悪くない。広瀬すずの怪演が最大のみどころ。
キーになるシーンを完全にネタバラししてしまっている予告編と、大正ロマン的雰囲気が良かったという先行レビューに気をそがれながらも久々の根岸吉太郎作品だしな、と勇を鼓して観てきました。
まず大正ロマンを味わいたいという方は、こんな映画を観るよりも浅草あたりに行って大正ナンチャラとかいうお店でレトロクリームソーダなんかを召し上がったらよろしい。この映画はああいった似非テーマ空間と比べると、かなりちゃんとした美術設計がされている。だからカフェとかダンスホールとか、いかにもといった感じとなる場面はしょうがないとしても、かなり時代性みたいなものは後景に退いていてドラマ中心にきちんと撮っている印象はあった。そのためむしろ現代劇を観ているような感覚。
長谷川泰子という人は平成5年まで生きていた人である。昭和49年に彼女からの聞き書きで出版されたのが「中原中也との愛〜ゆきてかへらぬ〜」である。すでにこの時点で中也の死後37年が過ぎている。ちなみに「ゆきてかへらぬ」は中也の詩集「在りし日の歌」からの引用である。これを原案として田中陽造が脚本を書き、40年近く塩漬けになっていたが、この度何故か映画化された。思うに「月に吠えらんねえ」に代表されるように懐古文芸ブームは根強くあるところに太宰ブームは一巡したので次は中也だ、という狙いがあるのだろう。
ところがそもそも長谷川泰子自身が、男から男へと渡り歩くいわばフラッパー的な女性だった上に、タネ本が彼女の発言だけであり、それも戦後かなりたってからのものである。長谷川、中也、小林秀雄の三角関係は分かりにくく、多分に彼女の言い分に偏っている感じはある。「神経と神経がつながっていた」とか「2人で長谷川を支えていた」とかは映画の中のセリフにもありなんとなくは理解できるもののまだモヤモヤしているよね。本作でも演者は頑張っているものの、そこに完全に説得性を持たせるには至っていないと思う。だから長々とくっついたり離れたりしてるばかりの話をみせられてっていう批判が出てきてしまう。
それを吹き飛ばすのが広瀬すずの怪演です。彼女は演技は上手くないし、体も小さく貧弱で肉体的に迫力がない。事務所のガードが強く仕事を選びすぎるという話もある。
でもこの作品での彼女は異様です。最初から最後までいつものようにメイクを落とさず同じペースで走りきっている。言っちゃなんだけど、ドラァグクイーンのような迫力がある。特に最後の火葬場のシーン。全部持って行っちゃったよね。もはや不条理劇なのかっていう感じだった。本当に変わった女優さんです。あ、褒めてます。上手くいったら京マチ子みたいな大女優になるかも。知らないか。
見た事がない
芳醇で贅沢な官能美。
古き良き邦画の香りと言ったところか。夢か現か、エロスを感じさせる浮遊感のある大正・昭和の雰囲気が楽しかった。田中陽造の脚本に拠るところが大きいのだろうが、美術・証明と、根岸監督による演出・カメラワークが見事だ。オープニングの柿が淫靡で良い。岡田将生が登場するまで、ワクワク・ドキドキした。 願わくば広瀬すずと岡田将生の逢い引きをもっと思わせぶりに演出してもらうと満点でしたね。谷崎潤一郎の「鍵」をムッソリーニからナチスの影響を受けるヴェネツィアの風景と共に淫靡に表現したティント・ブラス監督のように。広瀬すずの押さえた演技がモデルとなった大部屋女優の歩留まりと相まって、やり過ぎないことで逆にリアルに思えた。岡田将生も相変わらず良かった。何かとても贅沢をしたような気分になれた。
天才と狂人と常識人
太宰治と松本清張の生年が同じ1909年って知ってます?ご存知のように太宰は1948年に心中し、清張は1992年に亡くなっています。1960年生の私が中学生になった頃には太宰は国語の教科書に写真入りで「走れメロス」が掲載されていました。死後25年ほどしか経っていないのにです。清張は私が30過ぎまで新作を書き続けましたが、死後30年以上経っても私にとっては今も生きているという感覚なんですね。
私が何を言いたいかというとこの映画「ゆきてかへらぬ」は長谷川泰子が1974年に残した自伝を元に映画化されていますが、主な登場人物の生年と没年を記しておくと
中原中也(1907~1937)
長谷川泰子(1904~1993)
小林秀雄(1902~1983)
冒頭に太宰と清張の例を挙げましたが、一番生年があとの中原中也は30で亡くなり、長谷川泰子のことは全く存じませんでしたが、小林秀雄は私が大学を卒業した年まで存命でした。中原中也や太宰治に限らず、後世に素晴らしい作品を残した「天才」たちは早逝なのでしょう。自死を選択する場合も多いですが、早逝したからこそ短期間に発表された作品が尊ばれるのかもしれません。
この映画の三角関係はたった5年間ほどのお話です。1927年中原中也は17歳で彼女と同棲を始め、上京し、18歳で彼女は小林秀雄の元へ行き、1928年には小林は彼女の元を去ります。
天才である中原中也と、心の病を持つ長谷川泰子と、あくまでも常識人評論家である小林秀雄による三角関係は、人間性はともかく天才である中原中也を泰子と小林が取り合ったというふうにも見えます。 小林が泰子から逃げてから中原中也の死まで、およそ10年間という月日が流れていますが、その部分をほとんど描いていないので、ちょっと中途半端のようにも思えました。
あら、3人とも実在人物だったんだ
この作品、予告編を観てなかったが、広瀬すず推しの自分なので、そこそこ期待しながら着席。すず演じる20歳の長谷川泰子は女優だが、主役級ではなかったね。監督にも怒られてるしな。木戸大聖演じる詩人の中原中也はまだ17歳、高校生かなって思ったが大正時代だと社会人が多かったのかな?
泰子が寝ていた部屋にやってきた中也、どっちの家なのか疑問だったが、一緒に暮らしてんだ。でも仲良しには見えなかったな。ところが2人で東京へ引っ越し。中也の気持ちは分かるが泰子は蒲田で女優、意外。それから出会った、岡田将生演じる小林秀雄は天才批評家だった。それから始まる三角関係。泰子、小林と暮らすの?意外な展開でした。ずっとオチを想像してたんだが、実際には超意外なラストで、ちょっとウルッ!ずっと3人のやり取り、すずなのにどなりまくる泰子のキャラはあまり好きじゃなかった。好きなのか嫌いなのかよく分からない複雑な中也の気持ち。もっと分からなかったかっこいい小林、岡田君見事でした。ストーリー的にはちょっと退屈でしたが、そこそこ楽しめました。
それほど傷があるわけではないが、3人しか出てこないのも気にする方はいるか
今年61本目(合計1,603本目/今月(2025年2月度)24本目)。
大正時代に活躍した実在の人物を扱う、その3人の関係を扱う映画です。その方も著名人であるのでネットなどで検索していると有利かな、といったところです。
3人しか出ないので(他にモブという人はまぁいない)、会話の流れ等も限定的で混乱させる要素がないこと、大正時代を扱ったことで現在の日本と極端に異なる解釈をする必要がなかったのも良かったところかな、といったところです。
特に詩人の中原中也は知っている方も多いと思いますが、こうして映画化されたことに意味があるのかな…と思っています。
一応、ややちょっとエッチかな…(PG12よりか)というシーンもなくもないですが、その部分(絡みのシーン)は1回しかないし、まぁ特に気になるものではないです。
採点上特に気になる点までないのでフルスコアにしています。
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(減点なし/参考/大正時代と国民主権)
大正時代は帝国憲法で「天皇が一番偉い」という考え方でしたが、帝国憲法の制定上たえず各国から新しい考え方が流入されるようになってきた、このとき、帝国憲法の規定を変えずに、他国で一般的だった国民主権的な考え方を持つ人、法学者は少なくありませんでした。
つまり、国民が主権で色々ものを決めていくだけで、決めた結果に対して天皇はその内容に「サインをするだけ」という「機械的部分」に着目とした「天皇機関説」という考え方が出てきました。これは今でいう国民主権(現日本国憲法の国民主権)にあたるものですが、それが実質当時も存在していました(第一次、二次世界大戦ほかもありますので、各国の法体系を学んでよいところは取り入れるといった考えが普通なので、帝国憲法の内容を文面通りにとった「天皇主権説」は大正時代以降、衰退してしまいます)。
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最高
映像はリアル、会話は非日常
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