ゆきてかへらぬのレビュー・感想・評価
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こんな感じの人だったのかな〜
中原中也を断定して表現する事はとても難しいと思う。ラジオの「絶望名言」での知識しかないが、太宰治とはよく口喧嘩をしていたみたいだし、小林からは「初対面の時から魅力と嫌悪を同時に感じた」と後に掲載しているように人に敬遠されながら少しの人に愛されて生きていたように思える。ある程度事実に基づいていたと思うが、小林と別れた泰子に誰かとの子供が産まれて、その子の名を付け可愛がっていたみたいですね。長男の話も少ししかなかったけど、中原の全ては長男が亡くなった絶望感にあると思った。富永太郎も出てきてすぐ亡くなっちゃってね、すごく仲良しだったみたいですけど・・・
とりあえず映画を観た後すぐに書店で中原中也詩集を買いました。今月は中原の詩を読み耽ってみよう。
役者達の熱量に圧倒された!特に、広瀬すずは圧巻!
広瀬すず、岡田将生、木戸大聖のほぼ3人芝居
だと言っていいと思う
3人の、エネルギー全開、丁々発止の
セリフのやりとりに、釘付けになった
1人の女を愛した2人の男
男同士は恋敵であり、
お互いの唯一の理解者であるとわかっている
2人の男たちの間をさまよう女
女の気持ちに嘘はない…
若者たちはそれぞれに
燃えるように相手を愛していて
そして、ガラスのように繊細で
ピンと張り詰めた細い線で繋がっている
大正浪漫の雰囲気を醸し出す
作り込まれた画面の中を
この一筋縄ではいかない恋愛模様が
結末に向い進んでいく…
こんな、作品久しぶり!
若者たちのひりひりした恋愛感情と
日本情緒あふれる美しい画面が忘れられない
広瀬すずもすっかり大女優の貫禄だったけど
木戸大聖の中原中也もハマっていて
表情の演技も見事だった
岡田将生も新婚さんゆえか、
色気が増した気がするー!
語り継がれる女優・広瀬すず
写真は完璧
基礎知識なしで見た―
「侍タイムスリッパー」を見た翌日、都心のシネコンで鑑賞した。封切りから間もないためか、平日昼間ながら、ぼくと同様な無職・無業の、ぼくより年齢が高そうな映画ファンが結構入っていた。
「侍―」のレビューに書いたように、面白い映画(に限らないが)の条件は、
笑わせ
泣かせ
余韻を残して考えさせるもの―
である。
この映画については、その要素がほとんどないから★2つである。
ぼくは、4年あまり詩を書いている(コンテンツ投稿サイトnoteにて公開)。
詩を読むこと自体もそのころから始めた程度の詩ファンでしかないが、もちろん中原中也のことは知っており、小林秀雄と女を取り合ったということもなんとなくは知ってはいた。しかし、詳しいことは知らなかった。
事前にウィキペディアを読むか、この映画ドットコムで本作の解説でも読んでいれば、その「女」長谷川泰子(タイトル・ゆきてかへらぬは、泰子の回想録)のこともわかったうえで映画を鑑賞し、知識を得た上で作品を「味わった」かもしれない。
しかし、本作に限らず、そういうことをしない(事前知識は極力入れない)のがぼくの映画鑑賞のルールなのである。
そんなものはなしに、映画の中にあるものを観客に届け、作品に没入させるのが、監督、キャストの仕事だろう。
その点から言って、背景を知らないとほとんど面白くなく、感動も、考えさせる点もない作品で終わった。
過去のレビューにも書いたが、黒沢清の「スパイの妻」(2020年公開)のように、最後の最後にハッとさせられるような場面やセリフがあればいいが、そういうものもなかった。
中也、小林、そして泰子の3人の関係性と、それぞれが抱える心の落ち着かなさが、表面的にしかとらえられていない。だから、当然感動も感心もないのである。
中也の詩編も最低限度しか取り上げられず、3人の心模様を画面だけで伝えることが成功していない。
広瀬すずは、ひょっとしたらそこそこ頑張って芝居をしたかもしれないが、「体当たり」の演技にはほど遠いだろう、あれでは。
がっかりおっぱいでも見せるだけの根性があれば、脱皮するいい機会だったかもしれないのに。
今の時代、こういうことをこんなところで指摘することすら問題かもしれないが、本人がよほどその意識(脱ぐっていうこと)を強く持ち出さない限り、難しいのはわかる。
しかし、そんな思いきったこともないのなら、平板な文芸作品―いや、中也の詩編や小林の評論の中身にほとんど触れていない点では文芸作品ともいえない―でしかない。
岡田将生はいい役者だとは思うが、顔がきれいすぎる。芝居も下手ではないが、外見がきれいすぎてよくない。中也を演じた木戸大聖も、前半は悪くないのだが、晩年の部分がそもそもおざなりな描かれ方で、これまた印象が薄い。ローラースケートはがんばったかもね。
ことし75歳になるという監督のこれが限界なのだろう。1980年代にはいくつか印象的な作品も残している人ではあるが、その程度。
詩人を題材にした映画では、三好達治と萩原朔太郎の妹との恋愛を軸にした「天上の花」(2022年公開、片嶋一貴監督)のほうがはるかにいい作品だ。東出昌大も存在感があったてよかった。
繰り返すが、見るほどの映画ではない。
登場人物少な過ぎ
神経と神経でつながっている
なんとも絵になる3人の、人間模様というか感性のぶつかり合いを、じっとのぞいているような感覚で観ました
"神経と神経で繋がってますのよ"というセリフが印象的で、まさにそういうつながりが描かれて、神経と神経のつながりなんていかにもヒリヒリしてて、熱を持ち、一緒にいるのは痛め合うしかないだろうと思えます
中原中也というと、汚れちまった悲しみ、というフレーズが浮かぶけれど、イメージ以上に狂おしい人だったんだなと、そして木戸くんがイメージのままで良かった
なにしろ3人が美しくて、時代の色によく映えていました
時代を感じる言葉つきと色彩、みとれました
共感はできないけれど、生きるのが大変だろう2人と翻弄される1人?を理解しようと引き込まれましたよ
広瀬すずさん女優です
岡田将生さんレトロに美しい
木戸大聖くん、只今推しの人です
柄本佑さん、びっくり嬉しかった
時代感は出てたけど物語としては微妙
今、映画化したねらいは?
田中陽造の幻の脚本をもとに、根岸吉太郎16年ぶりの監督作品。
主人公の長谷川泰子は実在した女優とのこと。中原中也、小林秀雄との三角関係という題材に引きつけられるが、物語展開やセリフが芝居がかっていて、古めかしいように感じられた。今、この作品を映画化した意図やねらいを読み取ることができなかった、というのが正直なところ。
広瀬すずは頑張っているが、まだ大人の女優になりきれていない感じ。京都での木戸大聖と二人での芝居は子供っぽく見えて、東京に移って岡田将生が出てきて、一気に画面が締まった。
根岸吉太郎の演出は、派手さはないものの堅実で、度々ある雨のシーンをはじめ、画面づくりも的確。大学の仕事も忙しいのだろうが、もっとコンスタントに作品を世に出してほしい。次回作を期待している。
死因第一位
しっかりと作った映画
あ、駄目だ脈絡
本作から香り立つ大正ロマンのリアリティは格別なものがありました。それには、撮影、美術、照明の力も大きいと思います。
ベテラン、根岸吉太郎監督の16年ぶりの新作となる本作は、大正時代の京都と東京を舞台に、実在した女優・長谷川泰子と詩人・中原中也、文芸評論家・小林秀雄という男女3人の愛と青春を描いたドラマ。根岸監督が描いたのは「若いがゆえのキリキリした生き方」というのです。
●ストーリー
大正時代の京都。20歳のまだ芽の出ない新進女優・長谷川泰子(広瀬すず)は、17歳の学生・中原中也(木戸大聖)と出います。どこか虚勢を張る2人は互いにひかれあい、一緒に暮らしはじめます。価値観は違う。けれども、相手を尊重できる気っ風のよさが共通していたのです。
やがて東京に引越した2人の家を、小林秀雄(岡田将生)がふいに訪れます。小林は詩人としての中也の才能を誰よりも認めており、中也も批評の達人である小林に一目置かれることを誇りに思っていました。
中也と小林の仲むつまじい様子を目の当たりにした泰子は、才気あふれる創作者たる彼らに置いてけぼりにされたような寂しさを感じます。やがて小林も泰子の魅力と女優としての才能に気づき、後戻りできない複雑で歪な三角関係が始まるのです。それはアーティストたちの青春でもあったのです。
●解説
監督、根岸吉太郎は、脚本家、田中陽造の台本に出逢ってしまった。大正時代、才能あふれる3人の若者たちの恋愛と青春、あるいはそのいずれでもない崇高ななにか。正三角形ではなく二等辺三角形。ありきたりのトライアングルではない、唯一無二の人間関係がそこには記されていました。
『ツィゴイネルワイゼン』『セーラー服と機関銃』など日本映画史に残る脚本家のその作は、多くの監督たちが熱望しながら長い間実現することができなかった秘宝というべきものです。
この幻の脚本が幻のままだったのは、永らく田中が描く中原中也に相応しい俳優が登場しなかったことが理由の一つと言われています。
その扉を、『遠雷』『ウホッホ探検隊』『雪に願うこと』の名匠がついに開けました。根岸と田中が組んだ『ヴィヨンの妻〜桜桃とタンポポ〜』以来、実に16年ぶり。根岸にとっても16年ぶりの新作となったのです。
きっかけは、木戸大聖の登場にあります。彼は、Netflix「First Love 初恋」で佐藤健の若き日の姿を演じ鮮烈な印象を残すなど、今、旬の注目株。初々しく瑞々しい木戸の求心力は、映画·ドラマで描かれてきた畢生の天才詩人のイメージを大胆に塗り替えたのでした。木戸の起用が、本作を大きく動かしたのでした。
そこに、泰子と中也の関係性をある意味、唯一無二のものにしたとも言えるキーパーソンとなる小林秀雄に名優、岡田将生が扮します。ある時は冷静に、ある時は情熱のままに、中也に惹かれ、泰子にも惹かれる小林の姿は、21世紀を生きるわたしたちにも訴求する現代性が豊かに波打っており、片時も目が離せなくなります。
3人に共通するのは、詩や文学、映画といったカルチャーに対する情熱と各分野で発揮された才能。だから、彼らの結びつきは、肉体的でなく、精神的といえます。互いに羨望や嫉妬の感情を抱いても、それが渦を巻いてドラマがうねるというより、互いに距離を測りながら、つかず離れずするふうなのです。根岸監督の端正な演出によって、繊細な心のドラマが描出されました。
●感想
彼女の自伝には夥しい数の大正時代の文化人の名が記されています。早くに父を亡くし、生家からの支援がない根無し草の女性が20代、東京で大正モダンを体現する存在となりました。
何も持たない女性、長谷川泰子はなぜ、天才詩人、中原中也に生涯をもって愛情というだけでは語りつくせぬ執着を示されたのでしょうか。その中也から奪うように、まだ何者でもなかった小林秀雄はなぜ彼女との同棲生活に突入したのでしょうか。
本作を見る限り、泰子の抱える潔癖症から生じる渇愛が、中也の本能的な感性と秀雄の論理的な振る舞うという性格の対称的な二人からの愛によってようやく満たされるという関係になっているように見えます。それ故に、本作の主人公は、2人の男の間を行き来する泰子といっていいでしょう。広瀬はギリギリの露出で濡れ場に挑戦するなど健闘しています。余りにもその切れ方が激しぎる余り、泰子の抱える複雑な内面がにじみでてきませんでした。広瀬は取材の折に見せた岡田の表情に喚起された解釈で演じたとインタビューで答えていました。これは中也の告別式での泰子応振る舞いは伝記とは違うのではとの質問に答えてのもの。なので決して台本を棒読みしていたわけではなく、雰囲気を大事に演じていたはずなので、広瀬オシとしては責められません。やはり根岸監督の過剰演出だったというべきでしょう(^^ゞ
とにかく何で急に中原から小林に乗り換えてしまったのか、わかりませんでした。
それでも本作から香り立つ大正ロマンのリアリティは格別なものがありました。それには、撮影、美術、照明の力も大きいと思います。中也と小林が泰子と暮らす、それぞれの家が主な舞台となりますが、そこに差す光の加減が素晴らしい効果をあげています。雨の中を歩く男女の姿など成瀬巳喜男監督の映画のような情緒を感じたのです。
なんだったの?
三位一体
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