本心のレビュー・感想・評価
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今、まさに迎えようとしている近未来へのアンチテーゼかもしれない。
何の下調べも、予告編すら見ずに、本日公開の本作品をレイトショーにてチョイス。23時過ぎに終わるだけあって、客は高年齢層、男性が多い感じでした。
始まってびっくり‼️
池松壮亮くん主演やし、タイトルからももっと、じっくり淡々とと進む人情系ストーリーだと、勝手に思い込んでいたら…超革新的?!最新AIを搭載した VR系のお話だった〜😳
いやはや、疲れもぶっ飛ぶ予想外の展開とストーリーに、もう最初から最後まで釘付けですわ🤔
まず、池松壮亮くん扮する、主人公石川の「リアル・アバター」という職業。遠く離れた依頼主の指示通りに動き、代わりに見たかった景色や体験を仮想提供するというもの。これすぐにでも誕生しそうな(いや、もうすでにあるのか?)お仕事やね。良い悪いは別にして、需要ありそうだもんね。細かなルールは必要やね。
最新AIを搭載したVF(ヴァーチャル・フィギュア)技術で蘇った〈母〉を、田中裕子さんが素晴らしく好演!!VF 〈母〉の時と生身の母の時の田中裕子さんの目の演技の違いにご注目です🧐
そして、テーマは重いです。
まずひとつに「自由死」の問題。
これに関しては、倍賞千恵子さん主演で話題になった「プラン75」という映画を思い出しました。「自由死」を選択できる社会が今後やってくるのだとしたら?超高齢化社会を迎える日本に暮らし、人生折り返し地点に立った私には、全くあり得なくはないだけに、難しい宿題を貰った気がしました。
もうひとつは、
テクノロジーは、人間の心を再現できるのかという問題。
チャットGPT、とっても便利ですよね〜。私はほぼ毎日起動して、何らかのことを聞いています。考えることをやめてしまいたくなるほど、AIは即座に的確に(聞き方によっては、ウソも多いけど…)答えをくれます。今後もっともっと進むであろうAI技術によって、私たちの社会はどう変わるのか?進化するAIや溢れかえる情報といかに付き合い、生きていくのかを問われている気がしました。
余談ですが、
今月2024年11月20日は、いよいよ冥王星が水瓶座に入り、「冥王星水瓶座時代」が始まります。破壊と創造を意味する冥王星が、革新と未来志向の象徴である水瓶座にとどまることで、今後一層のテクノロジーの進化が予想されます。
そしてこの冥王星が、破壊に働いた時、果たして社会はどうなるか?
今、まさに、この瞬間
観ておきたい近未来への
アンチテーゼとなる映画です。
ラブストーリー
近未来の日本を舞台二したSF。
この作品は、格差社会やAIによる恐怖、そして心とは何かと問いかけてくる。だが、この映画の本筋は朔也と彩花のラブストーリーである。
秋子の自由死の理由を知るために、VF(バーチャルフィギア)を作る。その過程で、秋子の友達であった彩花と出会う。家を探している彩花を朔也は自宅へ招き入れる。
その後は二人とVFの3人での生活が展開される。
過去の心の傷から朔也にも、触れることが出来ない彩花。その彩花を気遣い、手を触れずにダンスをするシーンは朔也の彩花に対する気持ちが表れていた。
だが、イフィーのリアルアバターとなり、彩花が好きだという願いを受け入れた朔也と、朔也の期待に応えようとする彩花。二人の歯車が少しずつ崩れていく。
役者陣は、三好彩花役を三吉彩花が演じたことで、SF感、バーチャルさが作品に増したと感じている。演技も心揺れ動く様を見事に演じている。そして、田中裕子。笑顔なのに淡々と話す、本心の見えにくい役を演じさせたらこの人に適う人はいない。
ラストでは、母親の本心を知りたいと願った、朔也が彩花に対して本心を隠す。空に伸ばした手に触れた彩花の手は2人の本心を表していたのではないか。
ひとつひとつの要素が面白そうなだけに残念
予告を見て、母がなぜ自死を選んだのか、母をAIで再現し、その本心を探す映画なのだと思っていた。しかし、最後まで観てみると「母の本心を探す」という目的はどこへやら、どうにもとっ散らかった映画のように感じた。「自由死」、「VF」、「リアルアバター」、色々と面白いSF要素が沢山出てきたし、恋愛要素・アングラ要素?などもあったがどれもどうも中途半端で、勿体ない。
『PLAN75』や『Arc』のように、ありえそうなSFを描く話は比較的好きなんだが、この作品は久々にはっきりとつまらないなと思った映画だった。
母(VF)の話す「大事な話」も、野崎が冒頭に話した2面性を感じさせるようなものでも無かったし、散りばめられたテーマが面白そうなだけに本当に残念だった。
あと、「ミヨシアヤカ」を三吉彩花が演じてるので、これは原作のときからこの名前なのか、何か意味があるのか変に勘ぐってしまって、それも少し嫌だった。
最後、VFの母と突如別れを告げようとするのはミヨシが去り、日常がすべて嫌になってしまったからのようにも見えるが、「VF」が大きな事件の首謀者になり存在が社会問題になってしまったということもその原因なのだろう。もっと「VF」を主軸に描いたら面白い作品になりそうだったのになぁ。本当に本当に残念だ。
考えさせられた。けど…
小説も拝見したけど、自由死を選択した理由が薄かった。
確かに「もう十分」というのは一般的な考えだろうけど、大きく『自由死を選んだ理由』と書いてあるなら、それをもう少し話に入れて欲しかった。
映画の始まりと締めは本当に良かったし、演技上手い人が多かった。それに主人公が初めてVFと対面する時の、妻夫木聡が二人になる時とか綾野剛の笑顔をわかってないけど、分かってる風を出す演技が良かった。
あと、池松壮亮のオドオド感も良かった。
他の人からしたら、オドオドし過ぎて発狂するかもしれないけど。
あと寝不足の人は見たらダメ。
非常に面白く観ました!
(完全ネタバレなので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
結論から言うと、今作を非常に面白く観ました!
この映画『本心』は、町工場で働く主人公・石川朔也(池松壮亮さん)の母・石川秋子(田中裕子さん)が、息子に最後に伝えたかったこと(「本心」)を伝えないまま、国の定めた「自由死」を選択して、川の濁流に飲み込まれ自死するところから始まります。
主人公・石川朔也は母を助けようとしたのか、濁流の川に飲み込まれ、病院のベットで意識を回復したのはそれから1年後でした。
主人公・石川朔也が目覚めた1年後の世界は一変していて、勤めていた工場は自動ロボットに全て置き換わり、石川朔也は(Uber Eatsの配達員がモデルになっているだろう)「リアルアバター」として働き始めます。
その後、主人公・石川朔也は、溜めたお金200万円と、母の「自由死」で得た100万円と合わせて、300万円で母のVF(ヴァーチャルフィギュア)を作って母のVFから母が最後に自分に伝えたかった「本心」を聞き出そうとします。
ところで今作で描かれていた世界は、(今から少し近未来の設定だとは思われますが)現在の日本の空気感を正確に捉えて描いているとは思われました。
それは、ネット社会が進展し、人々の欲望が直線的に実現しやすくなった代わりに、煩わしい人間関係を通してのしかしこの程度なら互いに許してブレーキを掛け合う寛容な感覚が著しく低下した、現在の日本の空気感だと思われました。
主人公・石川朔也の工場時代の同僚であり「リアルアバター」の仕事を石川朔也に紹介した、岸谷(水上恒司さん)は、VF開発会社の野崎将人社長(妻夫木聡さん)の娘の子守役をクビになり、ついには政治家の車を爆破する犯罪に加担することになります。
主人公・石川朔也も「リアルアバター」として仕事に邁進しますが、顧客の理不尽な依頼内容によって振り回され、ついにはクリーニング屋の外国人労働者に暴言を吐いている人物に暴行を加えてしまいます。
これらのことも、互いに許してブレーキを掛け合う寛容な感覚が麻痺した、現在の日本社会を正確に表現していると思われ、底が抜けた底辺から分業的な凶悪犯罪に手を染めて行く、今の闇バイト犯罪が起こる空気感をしっかりと伝えていると思われました。
私達は、もちろん効率化されたネット社会から離脱することは出来ませんし、非効率な社会を改革する必要は当然あろうと思われます。
しかし一方で、互いに許してブレーキを掛け合う寛容な感覚をも無くしてはいけないと思われ、闇バイトなどなぜ社会の底が抜けた犯罪が横行しているのか、ネット社会の功罪の罪の部分も考える必要があろうかと思われます。
主人公・石川朔也はその後、本来であればクリーニング屋での暴行映像が拡散されれば、暴行罪の犯罪者として逮捕され、当面の人生は終了する流れだったはずですが、なぜかクリーニング屋の映像は暴行場面が編集でカットされて世間に広まり、主人公・石川朔也は逆に差別主義者をとがめた英雄としてネット社会で称賛されます。
この事も、ネット社会の人々の気まぐれで、その人を叩き潰すことも祭り上げることも出来るという、ネット社会の歪みを正確に表現していたと思われました。
主人公・石川朔也は、母のVFを作成する過程で、母・石川秋子が職場で同僚だった三好彩花(三吉彩花さん)と共同生活を送っています。
そして石川朔也は、三好彩花に、かつての当時売春をしていて退学になったクラスメイトの村田由紀(宮下咲さん)の幻影を見ています。
主人公・石川朔也は、クリーニング屋での映像によりネット社会の英雄になった後、アバターデザイナーで高額所得者のイフィー(仲野太賀さん)から連絡を受け、彼から専属の「リアルアバター」としての報酬を受け取る事になります。
アバターデザイナーのイフィーは、その後、主人公・石川朔也にさらに報酬を上げる事を条件に、三好彩花との関係を取り持って欲しいと頼みます。
主人公・石川朔也はイフィーの依頼を受け入れ、三好彩花に対して自分は「好きではない」と言って三好彩花との関係を断ち、三好彩花はイフィーの元に行くことを決断します。
その後、石川朔也は、母・石川秋子のVFと最後の会話を想い出の滝の前で交わし、ついに母の「本心」を聞くことになります。
その母の「本心」の言葉は、石川朔也の存在を根底から肯定する言葉だったと思われます。
ところで、石川朔也が三好彩花に最後に言った「好きではない」との言葉は、石川朔也の本心ではなかったと推察されます。
なぜなら石川朔也は、三好彩花にかつてのクラスメイトだった村田由紀の幻影を見ていて、当時の石川朔也は村田由紀のことを考えて、あくまで行動していたと思われるからです。
なので、石川朔也は、三好彩花はアバターデザイナーのイフィーと一緒になった方が幸せになると(村田由紀の時と同様に)三好彩花の事を考えて身を引いたと考えるのが、自然だと思われるのです。
(男性に触れることが出来ない三好彩花が、イフィーには触れることが出来たというのも、石川朔也にとっての三好彩花から身を引く理由だったかもしれません。)
しかし映画のラストで、屋上で母のVFとの最後の会話をした石川朔也の手に振れようとする女性の手がありました。
それは間違いなく(イフィーの元に行く考えを辞めて、石川朔也の元に戻って来た)三好彩花の手だったと思われます。
男性に触れることが出来ない三好彩花の手が三好彩花の方から石川朔也に振れることが出来れば、この心がないと思える場面も少なくない、軽く人々が扱われる空気が充満している現在の日本のネットを含めた社会の中で、互いに許される人がそれでも存在しているという、希望のラストカットだったと思われます。
(三好彩花の終盤での屋上の告白はややステレオタイプのセリフ内容の印象はありましたが、それを凌駕する三好彩花を演じた三吉彩花さんの存在感も含めて)
今作は全体として現在の日本の空気を正確に表した秀作だったと、僭越ながら思われました。
今作を非常に面白く観ました。
禅問答
本心…?
誰の?
ずっと座り心地の悪い椅子に座らされているような…最初にボタンを掛け間違えて、それをそのまま着ようとしてるような心地悪さがある。
2025年7月の表記があって、それから1年後、2026年が舞台の本作。
今より少しだけ近未来。
自由死なんて言葉が出来て、VFって技術によって仮想空間の中で死者を蘇らせる事ができる。
色々便利になってそうな世界で常識も普通もアップデートはされてる模様。だけれども主人公は貧困で絶対的な主従関係を強要される労働者だ。
彼と彼の周りは時代から見捨てられたかのようだ。
そして、とても理解できてしまう。
…これが本心?
周りは変わっても変わらない本性や性根が本心?
けどさ…本心ってさ、自分にしか分からなくない?
例えば他人に「俺の本心はコレだ!」と伝えた時、それを信じるか信じないかは委ねられたりするじゃない。
だから…自分以外は推し量れないんじゃないかと思う。
そんな中で、出てくる人々は色々本心らしい事を話してはくれるのだが、主人公だけは本心を明かさなかったような気がしてる。
ただ、それでも漏れ出してくるのが本心なんじゃないかとも思う。
過分に推察も含まれもするが…主人公は母親を愛していたのかなぁと。
最愛の女性が自死を選ぶ。重度のマザコンなのかもしれないけれど、過去の事件によって人間不信に陥ってないとも限らない。
愛する人が死を選んだ時、自分の存在価値とかが揺らぐものかもしれない。
だからこそ生き返ってほしいと強く強く願うのもかもしれない。
そうやって生き返ってきた最愛の人のある一面しか見てなかったし、見せてもらえていなかったのだと知った時の葛藤と困惑は相当だと思う。
母親って肩書に全幅の信頼を寄せていたのだろうか。
結局のところ、科学がどれだけ発達しようとも他人の本心の答え合わせなど出来やしない。
最後に母親が言った「最後だから」との本心も、それを信じるかどうかは主人公次第だ。
その人への信頼が揺らいだ時点で、本心の所在もあやふやになる。
残酷なまでの格差社会の存在は、この社会全体の本心なのかもしれないし、窮地に追い込まれてる人間は本心や本性で動きやすいって刷り込みを確立しやすくする為の舞台装置かもしれない。
そして、なぜ三吉彩花さんだけが「みよしあやか」だったのだろうか?
彼女は仮想空間の住人なのか?
それとも、主人公はまだ目覚めてなくて、この話は夢の中なのだろうか?
最後に彼は空に手を伸ばす。
ようやく目覚めるのだろうか?
目覚めた彼の手を握っているのは、2024年に付き合ってる恋人の「みよしあやか」なんだろうか?
彼は病院のベットの上で、母親への恋慕と恋人への愛情に向き合い、自身の本心を探し続けていたのだろうか?
三吉彩花=みよしあやかを整理出来ずにいる。
難解な作品だなぁって思う。
ただまぁ、主人公がVFを通して接触する人々は礼儀も礼節も弁えてない輩が多かった。
あれも格差社会における対人関係の本心なのであろうなぁ…。
こんな社会が訪れない事を祈るばかりだが、現在の日本はその入り口には立ってるように思うからそら恐ろしい。
まぁ…この作品の感想とかは個人のモノであるから、間違いなく本心だろうし、劣悪な環境とか隷属する主人公とか、そんなものを突きつけられりゃ、自分の本心を知る事にもなるのだろうなぁ。
田中裕子さんって…ナイスなキャスティングだったな。そこに居るんだけど、雲か霞のような印象だったな。
目に生気が全くなくて、仏像のような眼差しというか…なんかその眼差しには名称があったな。
なんだっけ?
半眼っていう状態で、如来の目は三昧というらしい。その説明はこの作品のテーマそのものみたいだった。
…流石であります。
◾️追記
一夜明けて、皆さまのレビューを拝読しつつふと浮かんできた単語があった。
「ありのまま」
思うに…この「ありのまま」って言う状態や状況を否定というか受け入れにくい世界観だなぁと感じた。
「死」すら蔑ろにする欲望
笑顔に矯正される母の写真
バーチャルアバターは奴隷のようだ。
本心ってのが裸の心なんだとすると、このありのままを受諾できない社会では、抑えつけて隠し遠さなければいけないものになってしまっているのであろう。
常に蔑ろにされ、抑制し隠匿せねばならないものが「本心」…いつから本心はそんな厄介なモノにカテゴライズされたのだろう。
なんだか、自分的にはようやくしっくりきた。
本心で生きられない、未来の社会
言いたいことはよくわかるのですが、映画のまとまりや筋の通し方があまり巧くなく、観た後「散らかっているなぁ」と感じてしまいました。これがマイナス1ポイントです。
それでも、原作や映画の中から投げかけられた「大きな問題提起」は非常に意義深く、このチャレンジングなストーリーや着想は5点満点だと考えています。
自分の本心では生きられぬ、そんな未来社会がやってくるという示唆(問題提起)です。
映画の中にはいくつかの軸があります。
①池松壮亮演じる朔也が母親の本心を探る軸
②リアルアバターが本心を出せずに顧客の言いなりで仕事しないと行けない、近未来の闇の軸
③三好彩花をめぐる朔也とイフィーの本心が何かを考えさせる軸
これらはいずれも人間の深いところを掘り下げる話であり、1本2時間くらいの尺で描き切るのにはやはり限界があったのではないかと思います。
しかしながら、朔也という主人公一つの軸だけで考えると、それらは全て「本心ではない」ことに集約されます。
①自由死した母親の本心を探るため、VFを作りたいというのが朔也の本心だったのか、定かではありません。
母親の本心も結果的にはクリアにはなりません。
②生きていくお金を得るために、アバターとして自尊心も本心も踏み躙られて朔也は仕事をしないといけません。
③同居していく中で、三好彩花へのほのかな想いはあるものの、自分の本心を隠して、結局イフィーの身代わり(アバター)として彼の想いを伝えます。
これらは全て、朔也の「本心を隠している」行為なのです。
アバターとして、メロンを顧客の代わりに買うシーンで、顧客の罵詈雑言を浴びながらじっと耐え、最後に「包み方が下手だから買わない」と顧客の言葉を、本心でないのに自分の言葉として店員に伝えるシーンは、まさに「本心で生きられないことの苦渋」が朔也の顔に満ちていた、何とも苦々しい場面でした。
すでに今の時点で私たちは、ネットのコメントやSNSでの情報や同調に操られ、自分の本心でそのことを決めたり選んだりしていることをしていない可能性があります。
この『本心』という映画で描かれた少し先の未来はもっともっと「自分の意志や本心」が出せない、本心を出さずに生きていかねばならない社会の闇が到来するのかも知れません。
映画のラストシーンで朔也の手にそっと重ねられる暖かい手は、私は三好彩花ではなく、朔也が高校時代に恋心を抱いていた「ゆき」の手だと解釈しています。
最後のカットで、「朔也の本心」を見せたのだと。
つまり、朔也が本当に愛していた人は自分が純粋に恋した高校時代の「ゆき」さんだけ、三好彩花にも恋心はあったものの心の底からの本心とは少し違っていたのではないかという解釈です。
このラストと、冒頭で意味深に出てくる「ゆき」さんの振り向いている表情とが繋がる形です。言葉はなくとも本心が伝わっていたのではないかと。
所属する映画サロンの合評会でも「ラストの手は三好彩花」という解釈が多く、さらにそこに希望的な感覚を乗せている意見も多かったのですが、自分は全くと言っていい程異なる解釈を持ってしまったので、記憶と記録でここにレビューしておきたいと思います。
着地点が見えず
最近池松くんファンになってて、題材もそそられて鑑賞。一人一人の演技は素晴らしく、途中まで展開も読めず楽しめたのだが、途中から話が散り始め、いつ終わるのかな、、と思ってしまっていた。最後はなんか乗り切れない感じで終わった。
近未来を見てる感はあったなあ、、あんな装置できたら使ってしまうかもしれないなぁ、、とか思ったね。
たくさん散りばめられたネタが、どれもまともに回収されないままふわっと終わった。モヤモヤ感いっぱい。
やはりハッピーエンドと言い難い作品は星が渋くなりがち
母子家庭で育った主人公。事故をきっかけに長い眠りから覚めた時には、唯一の家族の母親は亡くなっていた。ひょんなことからVFという技術(個人データに特化したAIのようなもの)の存在を知り、作成を依頼する。その過程で母の同僚という女性の存在が浮上し、データ収集のために顔を合わせ、やがて不思議な同居生活に発展する。『リアルアバター』と呼ばれる職業に就き、勝手我儘下衆なユーザーに翻弄され追い詰められるも、ある事件から顔が知られ、思いもよらぬ展開に。結果的に女性は好意を抱かれた別の男のもとに赴き(本心かどうか不明だが、主人公は彼女に対し『好きじゃない』と告げた)、またひとりになった主人公だが、最初にして最終の目標であった母の本心(話したいことがあると生前言われていた)をついに聞くことができた。それは思っていたものとは違う、ある意味なんでもないことだった。
この手の作品は好きなのだが、やはり最後は分かりやすいハッピーエンドが好きなので、見終わった後、物悲しくなるのはちょっと辛い。素直に2人が結ばれてくれれば、仮に安直であっても素直に拍手が送れたのだが。さらには、結局のところ母親の本心は何だったのか、事実は何だったのか、それは分からずじまいなのだ。全てはAIがデータに基づき導き出した回答であるというだけのこと。そういうところがこの作品の骨子と思うが、どうにもスッキリしないし、何か恐ろしさも残る。
未来の仕事ってああなるのかな?84点
予告から期待してずっと観たかった作品。見て良かったと思う!
面白かった点
・三吉彩花さんの役の名前がみよしあやかで面白いこと。
実は三吉さんは主人公(池松さん)が好きだった同級生なのかと思わせぶりも面白いw
写真のシーン、三吉さんと同級生の女の子画像AIで作ったのかな?似すぎ!
・今後の仕事はリアルアバター?
未来の仕事は今の仕事の半分は無くなるのでまじでありそう。しかもふざけて人を馬鹿にするようなシーンもありますがしっかりリアルに起きそうな事も描かれているのでそこも面白い。
・前半はお母さんをAIで作り、なぜ自由死を選んだのかを聞き出す(本心)後半は主人公と三吉さんの恋愛を描かれている。
前半と後半のジャンルがガラッと変わってて違和感を少し感じましたがそこが面白い。最後ら辺にイフィー(仲野太賀さん)が出てきてなんだこりゃって感じですが…恋愛には第三者が居ないと成り立たないのかな?
・監督が言いたかったこと?本心とは?
主人公が後半で動画サイトで話題になるシーン
前半のシーンで高校の先生に暴力を振るってしまう=後半のシーンコインランドリーでクレーム付けていたおっさんに暴力を振るう。(同じ行動)
実は悪いこと(暴力)しているのに世間ではヒーロー扱い(人助けしてる!)されてしまうところが1番笑ってしまった。
尊厳と自由
テクノロジーが高度に発展した"使う・使われる"世界で、言葉の持つ意味、尊厳に対しての価値・値打ちを考えさせられた。
母・同居人・"仕事(肉体労働)"を通して、相手の言葉をどう感じているか、どう受け止めるのかを考えていたように思う。
最終的に、"そう、信じる"なんだと思えた。
デジタルテクノロジーがもたらすもの
ここ数年のAIの進化には驚かされます。
言っている事は間違っていなくとも、相手の気持ちを配慮、忖度するまでは至らない過渡期のAIが余計なこと(亡くなった母の本心)を明らかにしてしまい、主人公を混乱させる話かと勝手に推測し鑑賞しました。
ちょっと違いました。
VFのお母さんを通じて知らなくてもよかった情報(真実)を得ながら、、、
主人公が自身の本心に素直になれず、背き、葛藤しながら生きる…という点ではよくあるお話しでした。
VF(AI)、リアルアバター、自由死…いずれも興味深いテーマでしたが、ちょっと盛り込み過ぎ感は覚えました。
結局は主人公朔也と彩花の揺れる心(本心)を描いているわけですが、それを素直に表現できない、場合によってはデジタルテクノロジーを活用して、本心、本意、本音を表現しようとする現代人の生き方を揶揄するためだったのでしょうか(?)
でも楽しく観れました。
近未来に不安を覚えつつも、最後にデジタルテクノロジーがもたらすものは悲観するばかりでない(希望かもしれない)エンディングで良かったです。そして、
嘘っぽい仮想現実(虚像)の母を演じつつ、母が抱いていた愛が本物であったことを伝えきる田中裕子さんの演技に感動しました。
バーチャルで逢えたら・・・‼️
母を自殺で亡くした朔也が、バーチャルで母を作ってもらう。仮想空間で母と過ごす一方、母の親友である彩花と知り合う・・・‼️方法は何であれ、亡くなってしまった大切な人と再会し交流する‼️まるでアンドレイ・タルコフスキー監督の「惑星ソラリス」や大林宣彦監督の「異人たちとの夏」を思わせますね‼️そして舞台としては近未来なんですけど、主人公がやってるリアルアバターみたいな職業の危険性なども訴えられていて、ヒジョーに興味深い作品でした‼️ただバーチャルの母親との交流はあくまでキッカケであって、今作は朔也と彩花のラブ・ストーリーですね‼️互いに暗い過去を持つ二人が、母を通じて知り合い、惹かれ合う・・・‼️そういう意味で池松壮亮と三吉彩花の二人がホントに魅力的でした‼️朔也に伝え忘れていた思いを抱える母親役の田中裕子さんの佇まいも相変わらず素晴らしい‼️大空に掲げた朔也の腕にそっと寄り添う彩花の腕のラスト・カットもホント微笑ましいし、心が温かくなる‼️いいなぁ〜‼️
原作を読んだ者の感想
役者はどの方も素晴らしかったし、各場面のシチュエーションも小説のイメージに大体近いもので、良い材料は揃っているが、料理の仕方を間違えた感じがした。
ラジオのインタビューで池松壮亮が「原作の小説に惚れ込んで作者に直談判して映画になった」と言っていたのを聞いて、面白そうだと思い原作小説を読んでから映画館に観に行った。
小説では主人公の心の細やかな葛藤が描かれており、そこが醍醐味だった。この心情の動きは映画になった時に全部モノローグで説明する訳にいかないだろうし、どうやって表現するのだろう?と期待していたが、映画では細やかな心の機微はあまり感じられず、主人公が色々考えた末に取った行動も映画では行動のみが描かれるので、なぜそういう行動を取ったのかやや唐突で、共感しにくいものになっていた。
原作では格差社会の問題も小説の大きなテーマとして、母の死の理由も含め深く扱われていた様に思うが、映画だとちょっと触れられた程度で、下の階層の人間はこういう仕事しか無いのか、という話などはあったが、個々のキャラクターの生い立ちも軽く説明される程度で、扱い方が表面的に感じた。
原作の「三好彩花」は著者の平野啓一郎氏が俳優の三吉彩花を知らずに偶然付けた名前で(キャラクターのイメージはかなり合っていたと思う)、その奇跡が面白い。
また原作では二十歳の幼さの残るイフィーを仲野太賀がやるとどうなるんだろうと思っていたら、妙に少年っぽくてあっけらかんとした喋り方が世間離れしていてぴったりだった。映画のイフィーは主従関係が上の立場からやや強引にサクヤから三好を奪おうとした様に描かれているが、原作はもっと繊細にサクヤの気持ちを伺っていたのにそれが全く描かれていなかったのが残念だった。
ちょっと品が悪い粋がった若者役の水上恒司や、何百万もする高額な買い物を妻夫木くんにこんな雰囲気で勧められたら買ってしまいそうだなあ…と思ったり、役者を見る分には楽しませてもらった。
ストーリーをかいつまんで原作をなぞるような形で1つ1つのテーマが深く掘り下げられていないのと、余白が少なくサクサク場面転換しているところがやや説明的で、池松壮亮の「この小説を映画にしたい」という想いを監督はちゃんと汲んで作ったのか?…と正直疑問。
他にもっと深い心情描写ができる監督さんに作ってほしかった。
原作小説の方が何倍も面白く続きが気になって直ぐに読み終わってしまったので、映画でこの作品を知った方は是非読むことをお勧めしたい。
翠富士か!
肩透かし三連発、妻夫木くんは全然重要じゃなかったの?お母さん途中から何処へ?それに最後の手ぇ手ぇ?
石井監督は、まだ大分悪意に振れてる様で本当に気分悪いですよ、評価システム、ヘイト(国名出していいの?)、冷やかし、闇バイト。でも上手く纏まってたと思うし・・何にせよ三吉さんの太っ腹さに大金星ですよ!
「自由死」と呼ばれる自死制度が認められた2024年の日本。 工場勤...
「自由死」と呼ばれる自死制度が認められた2024年の日本。
工場勤務の青年・朔也(さくや。池松壮亮扮演)は、勤務中に母(田中裕子)から「帰ったら大事な話がしたい」というヘンな電話を受ける。
帰途、突然の大雨。
家の前の川は濁流と化し、母がその傍に立ってい、あっという間に濁流にのみ込まれてしまった。
助けようとした朔也も濁流にのみ込まれ、気づいたときには病院のベッド、一年が経過していた。
やって来た刑事の話では、母は「自由死」登録をしていた。
そのため、母の死は事故死ではなく、自死と認定され、自治体から補助金が支払われる、と。
母の死の理由を知りたかった朔也は、死んだ人物の過去の映像・行動記録・他人の証言をもとに、その人を仮想空間上に再現できるというヴァーチャル・フィギュア(VF)という技術を頼ることにした・・・
といったところからはじまる物語で、平野啓一郎による同名小説の映画化(原作は未読)。
ちょっとフィリップ・K・ディックの諸作を思わせる内容であると同時に、日本的なセンチメンタリズムも感じる内容なので興味津々。
期待していたのは、
1)青年が思い続けてきた母親像と作られたヴァーチャル像との乖離
2)ヴァーチャル像の方が実際の母親に近い
3)差異を受け容れた上での、青年と母親の心の氷解
みたいなもの。
なんだけど、なんだか取っ散らかった脚本で、朔也昏睡の一年にAI技術は信じられないぐらい進み、さらに社会格差は進み、持てる者は持たざる者を仮想空間上のみならぬ実社会でもリアル・アバターとして奴隷のように扱うデジタルだかアナログだかわからない蛮行社会となっていた・・・
って、この設定が必要なのか?
ま、仮想空間の名の下で行わる蛮行に、人間の下卑た「本心」が曝け出されるというのはわからなくもないが、本作では不要のように思われる。
この主題、ホラー映画のそれで、既に『パージ』などの人間狩り映画で形を変えて幾度となく描かれているので、鼻白む思いがしました。
まぁ、原作に沿うところだったのかもしれないが、2時間で描けるだけの内容・設定への刈り込みが必要だったはず。
この手の作品は、個人的には許容できないんです。
残念至極。
池松壮亮と田中裕子あってこその映像化
予告からとても期待していた。
しかし、重いものを観る気分になかなかなれなかったので、公開から一週間が経ってしまった。
時間が合ったので思い切って観ることにした。
良い映画だった。
(予告から、生き返らせてはいけない愛する人を生き返らせたためにとんでもないことになる、ペットセメタリーみたいな話だと思っていた)
母と息子の物語だけでなく、近未来の科学技術、格差社会、自由死など、テーマが広がって興味深く考えさせられることの多い作品だった。
主人公は押し潰されそうになりながら、ある一件によって好転していく。それこそダンスをしたくなる。(良いシーンだ)
しかし、手を差し伸べてくれたイフィーさんによって彼女との生活が壊れようとする。
ゴーグルを付けての告白。本心か。
いや、イフィーの思いを伝えさせられているだけ。本心ではない。
伝えさせられているのは。本心ではない。
このきついシーンから、母親のVFとの会話。
母の本心。それは自分が聞きたかったこと。
重いテーマながら一条の光が差し込むようなラスト。重ね合わされた手に救われた。
池松壮亮と田中裕子あってこその映像化だと思う。
他の俳優が演じていたら、これほど入り込めただろうか。
田中裕子でなかったら母親のVFも嘘くさくなっていただろう。
AIもVFもRAも、使う人間によって、、、当たり前のことだが、、、。
良い映画だった。
鏡
発達した技術で亡くなった母親のクローンを作って生活する上で様々な真実が明らかになる…といった作品だと思っていたのですが、バーチャル空間で母親と再会するといった感じで思っていたものとは少し違いましたが、実際にこんな世の中になってきてるんだろうなと考えさせられるものでもありました。
自由死を選択した母を助けようとして溺れて1年間眠っていた主人公・朔也が変わってしまった世界と順応するための生活、その中で発達した技術のVFで母親の本音を引き出そうとするが…といった作品です。
バーチャルアバターの設定は一見便利だし世の中のためになってはいるのですが、そりゃそんな便利なものがあれば悪用されるわなという展開になっていくのは残酷だとなりながらもしっかり観ることができました。
金持ち連中が好き放題指示したり、殴り合いの喧嘩を注文したり、急がせたのに汗臭いってだけで評価を落とされたりだったりとかなーり胸糞な展開が続くのは中々にキツかったです。
自分は配達員系の仕事はやっていないので実際にこんなことが起こっているのかも…と考えたらスキマ時間とかにやろうって気にますますならなくなりそうでした。
コインランドリーで従業員に詰め寄る男性が描かれるのですが、ここでの悪態のつき方があまり怒ったことないんだろうな〜というのが滲み出るシンプル口悪態度悪に描かれていたのは良くも悪くも笑えてしまいました。
そんな身振り手振り使って暴れるもんかねと思いつつ、自分も咄嗟に怒りを感じた時はあんな風になるのかなとも思ってしまいました。
そんな動画が拡散されてバズって有名なVFデザイナーのイフィーと関わり出すエピソードはちょっと余計だったかなと思いました。
単独のエピソードだと見応えあると思うんですが、車椅子生活の流れもなんだか取ってつけたような感じでしたし、イフィーが惚れた三好との恋愛エピソードもこれまた急だったので違和感ありありでした。
そこでの別れイベントと発生なんかもなーんか釈然とせず、ここは丸ごと無くても良かったのではと思ってしまいました。
最後に母の本心を聞けてというラストは良かったと思います。
最後まで裏切りと悲しみの連鎖だったら中々キツいもんですから少しでも救いがあって良かったです。
母親との関係性メインだと思っていたので、母親は要所要所の登場と終盤にかけての登場だったので、そこを期待して観に行った身としてはちょくちょく濁されたなという印象です。
俳優陣は味のある方々ばかりで濃密でしたし、役名と全く同じな三吉彩花さんがとんでもなく魅力的でした。
今までの作品とはまた違ったミステリアスな感じと不器用な感じが同居している感じなのがとても素敵で過去作も振り返りたくなりました。
とっ散らかった印象は拭えませんでしたが、AIを描く上で人間の心理も描いているので十二分に映画として楽しめました。
「愛にイナズマ」は大好きなんですが、今作はちょっと半々みたいな感じに落ち着きました。
鑑賞日 11/13
鑑賞時間 18:00〜20:15
座席 I-9
創られた「本心」を売るサービス
1. 空がバニラ色じゃなくてよかった
冒頭で主人公が重症を負う展開で想起するのが「Vanilla sky」。その映画では、無理心中を生き延びた主人公が恋に仕事に奮闘するが、終盤で夢だと分かる。実際は心中時の顔の傷が原因で自殺を図り、重症のまま冷凍睡眠にされていた。
なので「本心」も、終盤で主人公は実際は寝た切りで、ぜーんぶ仮想空間のお話でしたっオチが付きそうと邪推したが、杞憂に終わって?良かった。
ただ、母が河に呑まれた一因の猫が三吉のアバターと一緒なのは色んな含みのある匂わせなのかも…
🥽
2. 仮想母の「本心」は本物か?
主人公が300万円で母のAI作製を依頼したのは、自由死を選択した理由を知りたかったから。終盤で息子を産み育て切った今が幸せで、今なら死んでもいいと仮想母が語り、主人公は涙する。でもこれって本当に母の「本心」?
何故なら、仮想母の発言に違和感を感じたら「母さんはそんな言い方しない」と言えば、仮想母は修正されると明示されている。つまり、仮想母は主人公や同居者が望むように発言するように補正されている可能性がある。なので、仮想母の本心は、母にそう感じていて欲しかった主人公の願望にすぎないのでは? そもそも仮想故人を作製する業者も、顧客が不満を抱かせたら商売が成り立たない。なので、顧客が言って欲しい発言をするように、微調整されている可能性は低くない。
🥽
3. 三吉を突き放したのは逃げ?
主人公が三吉を自宅に招いたのも、優しく接したのも、学生時代の思い人に似ていたから。そうじゃなくても、1つ屋根の下で生活を共にする同世代の異性に、好意を抱くようになる方が自然。それでも三吉に想いを告げなかったのは、彼女がイフィ(仲野太賀)だけに手の接触を許しただけでなく、イフィからの給与を失って迄も、過去のある女性を養う覚悟を持てなかって為に見えた。
ラストに主人公の隣で伸ばされたのは、ブレスレットからみて三吉の手。それは三吉の帰還を意味するのか、主人公の「本心」が見せた幻影なのかは分からなかった。
🥽
4. 闇バイトなリアルアバター
闇バイト犯罪が恐ろしいのは、雇われるバイトは犯罪どころか喧嘩の経験もない為、何でどの位力を入れて殴ったら致命傷になるか分かってない事。指示されれば、老人相手にも鈍器を握り後頭部を力一杯たたいてしまい、殺人犯になる。指示役も自身は実行犯にならない気軽さで、バイトに平気で暴力を振るわせる。
リアルアバターに無理難題を与える愉しむ依頼主も、支持だからと仲間を殺すアバターも、闇バイトそのもの。この辺の件は、映画より現実が上回ってる気もする。
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