劇場公開日 2024年11月8日

「凄く希望が持てて、さりげないラストシーンで、とても感動しました。見事ヒューマンドラマに着地した石井監督の新境地と言えるでしょう。」本心 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5凄く希望が持てて、さりげないラストシーンで、とても感動しました。見事ヒューマンドラマに着地した石井監督の新境地と言えるでしょう。

2024年11月13日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

知的

幸せ

 AI(人工知能)の普及で、増え続ける電力需要に応じるため、あの米スリーマイル島の原発を再稼働させるニュースが話題になっています。今この時を表現する映画でも、AIの影響は避けて通れない題材の一つ。母の死に向き合おうと、AIに頼る青年を描いた平野啓一郎の同名小説を、「月」「舟を編む」の石井裕也監督が池松壮亮を主演に迎え映画化しました。テクノロジーで人の心は作れるのか。人類の課題を鮮やかに先取りし、鋭く問いかけてきます。

●ストーリー
 ヒグラシが鳴き、風にカーテンが揺れる無人の教室の窓際に制服姿の女子高校生がポツンと座る。廊下から彼女を見つめる男子の瞳が一瞬陽光にくらむ。再び彼が目を開けても彼女はもうそこにいません…。それは主人公石川朔也(池松壮亮)の(おそらく何度も見てきた)回想混じりの夢でした。そこにいたはずの人がいきなり消えても不思議はないとも思うが、同じことが立て続けに起こるのです。

 工場で働くの朔也は、同居する母・秋子(田中裕子)から「大切な話をしたい」という電話を受けて帰宅を急ぎます、豪雨で氾濫する川べりに立つ母を助けようとしたものの
通りかかった自動車のライトに目がくらみ、川に落ちて昏睡状態に陥ってしまいます。
 1年後に目を覚ました彼は、母が“自由死”を選択して他界したことを知ります。勤務先の工場はロボット化の影響で閉鎖しており、朔也は激変した世界に戸惑いながらも、カメラを搭載したゴーグルを装着して遠く離れた依頼主の指示通りに動く「リアル・アバター」の仕事に就くのです。
 ある日、仮想空間上に任意の“人間”を再現する技術「VF(バーチャル・フィギュア)」の存在を知った朔也は、開発者の野崎將人(妻夫木聡)に母を作ってほしいと依頼します。生前、合法的な自死を選んだ母の選択に納得できないでいた朔也は、母の本心を探るためVFに頼ろうとしたのでした。けれども野崎が告げた「本物以上のお母様を作れます」という言葉に一抹の不安を覚えつつ、VF製作に欠かせないデータ収集のため、母の同僚で親友だった三好彩花(三吉彩花)に接触。こうして“母”は完成、朔也はVFゴーグルを装着すれば母親にいつでも会えるようになります。一方、三好が台風被害で避難所生活を送っていると知り、VFの母と三好の3人で奇妙な共同生活を始めるのです。他愛もない日常を取り戻していきます、VFは徐々に“知らない母の一面”をさらけ出していくのです…。

●解説
 原作では2040年頃から始まる物語の時代背景を、現代により近づけました。本作のAI監修者によると、次世代サービスとして登場するVFに似た技術はすでに実装されているといいます。物語の未来像に現実が猛追する中、仮想とリアルの境界がますます曖昧になった世界を視覚的に表しました。また、私たちが生きる今と時間軸を接続させたことで、朔也の孤独や焦燥感が真に迫ってきます。
 朔也は依頼主の分身となって行動する「リアル・アバター」を仕事としています。横文字で聞こえはよくても、実態は使い走りです。モラルを欠いた依頼主に振り回され、心身を消耗させるのです。貧富の格差が広がり、固定化された社会。癒やしと安らぎの仮想世界と、肉体を酷使する持たざる者の現実を対比的に描がれました。
 原作小説のテーマの一つは「最愛の人の他者性」だった。ある一面を照らし出そうとすればするほど、自分とは切り離された他者である事実が浮かび上がる。よりどころをいちずに求める息子役の池松、そんな息子を見守りつつ、同時にどこか突き放したようなVFの母役の田中が、最も身近な他人である親子の機微を繊細に演じました。
 亡き母を復活させるという一見後ろ向きな朔也の行動は結果的に、三好やアバターデザイナーのイフィー(仲野太賀)など新たな人間関係につながっていきます。世の実相に背を向けて、母が待つ仮想世界に生き続けるのか。悲しみを克服し、現実に戻るのか。母の似姿であるVFは容易に 「答え」を出してくれません。だからこそ、悩み抜いた末、朔也が下した決断に希望を感じるのです。

 また本作は人の存在の「不確かさ」を冒頭から強調します。確かにその人を捉えていたはずの画面が、別のショットを短く挟むだけですぐさま無人になるのです。映画はこんなに簡単に人を消せるのです、と言わんばかりです。母親の場合、事態は深刻で、大切な話がある、と工場で働く息子に電話をかけていたことが、その後ずっと朔也の気持ちを揺り動かします。母は「自由死」~本作では自分の意思で「自由に」死を選択できると設定される~を選んだのか?と。その本心を知りたくて、朔也は母親をVFとして再生させるのです。今度は構図が逆転し、死んだはずの人がいともたやすく画面に姿を現すことに。しかし、それはむしろ朔也の本心をあらわにするための装置であったのです。私たちの予想はいい意味で裏切られ、映画はテクノロジーの進展で変貌する母子関係といったSF的主題から離れます。
 朔也がある女性に愛を告白する場面が痛切です。「私はあなたを愛していません。」そんなストレートな言葉でさえも本心なのかわからないのです。それはSFでもなんでもないだろう。ロボットの導入で工場から人影が消え、人が人として働く機会を奪われる。そんな世界において、今ここに生きる私たち一人ひとりの「(本)心」の 「不確かさ」があらためて浮き彫りになります。

●感想
 一見するとVFが日常生活で当たり前となる未来社会を描いたSF作品に見えるでしょうが、実は主人公と同居人のヒロインとの恋を描いた恋愛映画なのです。
 けれども朔也のじれったさには、見ていて腹が立ちました。生まれた時から父親を失っていた朔也は、人を愛することも愛されることにも自信がありませんでした。だから彩花に自分の本心を明かせないばかりか、自分自身の本心までも奥へ引っ込めてしまったのです。けれども彩花と同居する朔也の気持ちはバレバレでした。
 そんな朔也に雇い主のイフィーは、あえて彩花との仲を取り持つように懇願するのです。なんと朔也は快諾してしまいます。というのもイフィーの晩餐に招かれた朔也に付き添った彩花は、イフィーから握手の求めに応じたことで嫉妬心を募らせて、自棄になってしまったのです。セックスワーカーだった彩花は何度も怖い体験と遭遇し、すっかり人と接触することに恐怖感を抱くようになっていたのです。なのにイフィーには普通に握手してしまったのでした。
 彩花へプロポーズするつもりのイフィーのところへ、朔也は彩花に行くように勧めます。その言葉に急に不機嫌になる彩花。朔也への怒りから、彩花はイフィーのところへ向かってしまうのです。ふたりの気持ちがわかるだけに、本当にじれったいシーンでした。
 これまでの石井作品なら、ここでバッドエンドとなったことでしょう。どう違ったのか、それは内緒です。でも何というか、凄く希望が持てて、さりげないラストシーンで、とても感動しました。見事ヒューマンドラマに着地した石井監督の新境地と言えるでしょう。

流山の小地蔵