「最終編を飾る作品としてはいまいちか。」劇場版ドクターX yukispicaさんの映画レビュー(感想・評価)
最終編を飾る作品としてはいまいちか。
今年427本目(合計1,518本目/今月(2024年12月度)6本目)。
※ (前期)今年237本目(合計1,329本目/今月(2024年6月度)37本目)。
原作は見ていないほうです。
ただ、最初に主人公や登場人物紹介や過去作品のさくっとした復習シーンはあるので、観ていない人お断りにはなっていない点はよかったかなといったところです。
映画内で描かれている事情についても、実際に法律上できるかどうかは微妙としても実際の病院(特に大病院)ではありうる展開を扱っているのであり、その限りにおいては良かったかなといったところです。
また、この手のシリーズは何かと「何とかファイナル」とか「何とか最終編」とかとうたって「実は続きがありました」という「ずるずる伸ばし」(?)がまま見られますが(もちろん映画の放映による収入を考えればそれとて一概にそれをズルとは言えない)、本映画に限ってはもう「終わりですよ」ということは明確になっていますし、最後まで「まだ続きがあるんでしょう」みたいな終わり方になっていなかった点は良かったところです。
ところで映画内でなぜか、ご当地の広島県(の呉市が…)。この点、原作がそうなのかなと思いましたが、実は「病院がテーマ」の映画においては「広島県呉市」は病院とのつながりが強いところがあり、ここは法律系資格持ちとして知りうるところは情報を書いておきます。
やや全般的に専門用語(看護師や看護学校の学生さんでないと厳しい語が出てくる?もちろん行政書士は医学の専門家などではないので何もできない)を飛ばしてくる傾向はありますが、何となく外科手術としているんだろうということはわかるし、その病名がわからないとストーリーに支障をきたすということはないので(いわゆる「病名トリック」とでもいうべきか)、ここは安心です。
採点に関しては以下まで考慮しています。
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(減点0.2/心裡留保と第三者の対抗関係)
心裡留保は善意の第三者に対抗できません。
(減点0.2/事務管理と無権代理)
事務管理の管理者にあらゆる代理権が与えられているのではないので、第三者と契約を結んでも表見代理の条件を満たさない限り無権代理にしかなりません(←判例/表見代理を、「条件のかけた有権代理」とみる学説と、「条件がある程度揃っている無権代理」とみる学説があります。ここでは前者をとっています)。
(減点0.1/広島弁についてある程度の理解が求められる)
「(主人公に)「そないに」言うたらいけんよ」…の「そないな(に)」は広島弁(関西でも使うらしい?が、私は使わない)ですが、「そのように」「そんなふうに」の意味です(ここは言い換えがあっても良かったかも)。
(減点0.1/麻雀シーンがマニアック)
この映画において麻雀シーンが2回出て「いやぁ、また役満あがっちゃったよ」というところですが、一つ目が清老頭、二つ目が国士無双です。麻雀のルールについて詳しく求められるわけではないこの映画でいきなり麻雀の役満ネタ(特に清老頭を4人麻雀で(鳴きひとつで)あがったことがある方はネット麻雀が当たり前になった今日におても少ないのでは?)はちょっと厳しいかなというところです。
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(減点なし/参考/呉市と病院の発展のかかわり)
呉市は人口19万人ほどの人口流出の激しい(→広島市に流れる)中核市ですが、そのような20万人に達しないこの市には「独立行政法人国立病院機構 呉医療センター」があります。
もともと日清・日露戦争を経た日本では軍港が置かれた呉市はその当時、広島市をしのぐほどの活気を浴びて一大都市となりました。しかし、第二次世界大戦では広島市に原爆が投下されますが、距離が相当離れていた呉市は被害がほぼありませんでした。
一方、日本が降伏したあとGHQがやってきましたが、GHQ(アメリカ)が日本のすべての都市を管轄したのではなく、関西圏よりも西側、つまり西日本は主にイギリスが占領し戦後の占領政策を担うことになりますが、イギリスと関係にあるオーストラリアが呉市の管轄を握りました。
しかし、当時の呉市は上記の原爆投下で逃げてきた人で人が溢れかえり状態であり病院(診療所)はまるで機能せず、一方で貧困からくる病気やなじみのないオーストラリア人の占領が重なったこともあり(日本では通常流行しない病気が流行したり、英語を解する人がほとんどいないのに当該軍人が病院にきたりと意思疎通が混乱した)、病院(診療所)はパニックに陥りました。
(※) この「呉市とオーストラリア人のかかわり」は特殊なところで(広島市などはイギリス人占領)、現在でも記念碑や当時の建物(のレプリカ)等が残っています。
そのような事情(および、広島市が原爆投下からの立ち直りで事実上機能しなくなったため)から、呉市は当時は一般市であったにも関わらず、昭和23年に「保健所政令市」として保健所の設置にのみ特例が与えられ戦後の広島県(の中央部)の復興を、広島市以上に担うことになります。この指定により病院・診療所の混乱を呉市単独の権限である程度何とかできるようになったからですね。
(※) 呉市では「保健所政令市」の指定が上記のような特殊な戦後の混乱期を脱するためのものでしたが、高度成長期時代にはいわゆる大気汚染等が深刻になった地域で個別に指定されるように役割が変わっていきました(ただし、これらもそうした工場に対する規制が厳しくなった現在ではいくつかの市に形式的にのこるだけ)。
そのあと、呉市は特例市(当時。現在は廃止。人口20万人以上で指定され、少しだけ権限が都道府県から委任される)に昇格し、平成28年には中核市(相当な権限が与えられる。保健所設置も含む)にも昇格しました(中核市は人口30万人が目安ですが、特例市制度の廃止に伴い、当時の特例市は人口が足りなくても中核市になれる制度があり、これを利用した形。中核市指定により保健所政令市の指定は解除。中核市は当然に保健所を設置できるため)。
このような事情から呉市には病院・診療所が(人口比率で考えると、広島市以上に)かなり多く、最初に述べた通りの国立の病院まであるわけです。
(※) ただし、同じように軍港として栄えた舞鶴においても、軍港特有の事情(工場がうるさいだの、もちろん舞鶴も戦後は連合国の支配下にあった)があり、舞鶴にも「独立行政法人 国立病院機構 舞鶴医療センター」があります。
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(減点なし/参考/「某国大統領の命を救うため」の「某国」ってどこ?)
ある程度外国語の聞き取りができればわかりますが、スペイン語系の国であることはすぐわかり、国の性質から南米であろう(南米はブラジル以外はスペイン語)こともわかります(実際にはエンディングロールで「協力」で流れるように、キューバ)。
この中で「申し訳なく思う」という表現が lo siento になっていますが、ここからでも実はわかります(ラテン語語源の単語 sentir は「味覚などを感じる」「相手などの感情を察する」など「感じる」の意味が共通してありますが、スペイン語ではこの意味と別に「残念に思う(申し訳なく思う)」という独特な意味の分岐を持つにいたった事情があるため)。