「既に決まっている。」ナイトサイレン 呪縛 Paula Smithyさんの映画レビュー(感想・評価)
既に決まっている。
レビュー・タイトルで「既に決まっている。」としたのは、ポッド・キャストの一人の司会者がオンエアー中に本作のレビューを読んでいるときに涙を流すほど感動したことで資金提供を決めていることから何が決まっているのかというと "次回作" です。
すみませんでした。興ざめをするコメントを載せて...
ところで
シャロータが村を訪れて初めて知り合いとなったミラが彼女にこんな事を聞きます。ただし、あくまでも映画の中で使われていたスロバキア語ではなくて英語ですけど... 何か?
Mira: What do you actually want?
Sarlota: What?
Mira: What do you want from life?
シャロータは...
Sarlota: I'm not sure if I'd make a good mother.
You know, my mom... I don't want to
be like her.
その後、彼女は言葉を絞り出すようにミラに過去の出来事を吐露します。そして、あたしは会話が終わった後のシーンで「ハッ」としてしまいました。それは実際にしているのかは別にして、彼女の女優魂を垣間見た瞬間かもしれません。
子供の頃から知り合いで近所のおばさんアンナがシャロータにこんな事を警告するように告げます。(※アンナの方がどう見ても魔女です)
この会話の後には、本作の核心部分があるので割愛させていただきました。失礼
Anna: The witch killed Tamara after you escaped from
her.
Sarlota: I escaped from my mom. She was beating me.
Anna: Such a sin... Your mother waited too long. But our
lord made her pay for it.
Sarlota: Waited for what?
Anna: Baptism. Witches only take unbaptized children...
sacrifice them and bathe in their blood, so they'll
stay young forever. But if they steal a baptized child,
they raise it as their own. That was why the witch
came here, settled down, and waited.
Sarlota: Waited for what?
Anna: For another unbaptized child.
魔女に関するファクターも関係するために作中、スロバキアのキリスト教徒の年中行事を絡めながら時系列の中にノンリニアー・ナラティブで効果的に過去の出来事を振り返るようにプロットに差し入れている。
その行事の中にはキリスト教徒にとっては最大級のイベントであるイースター(復活祭・今年は3月31日(日)で終わり、来年は4月20日)があり、その翌日の月曜日にチェコやスロバキアでは "Oblievačka" と呼ばれる伝統衣装を着た男性たちが女性に水を浴びせ、お手製のヤナギの枝でたたくスラブの春の到来を前に若さや強さ、美を象徴するための伝統行事が行われる。でもスロバキア女子からすると嫌がらせにしか思えないイベントで、「実際にいい思い出がない。」と言う女子たちもたくさんいることが映画にも出てきています。
そして、何よりも映画のシンボルとなる行事... カルト教団による恐怖を描いた『ミッドサマー(2019)』でも取り上げられた洗礼者聖ヨハネの誕生を祝う "夏至祭"
その事は作中、たき火をたいて、人々はその周りを一晩中踊り明かし、魔女を模った人形を焚火の中に入れて燃やすシーンも見ることができます。
それと彼女たちの守護神のように登場するオオカミ
西暦1世紀まではスロバキアの首都ブラチスラバにケルト人は住んでいたとされる。(「ブラチスラバのケルト人」展より)多彩なケルト神話によると、獣人化、つまり人間の魂が体から抜け出し、オオカミに変身して野山を駆け巡るとされ、その事は『Wolfwalkers』の題材にもなっている。
ところで近代西洋思想や哲学において、今までは「陰」と「陽」が対峙して相容れない存在だったものが東洋思想が持つお互いを認め合い補填しあう関係へと徐々にではあるが変化がみられる。「陰」は物事の中、内面へ入ってくる力であり、「陽」は外へ出ていくパワーということになり、お互いには干渉することはなく、塩梅でバランスが保たれている。それを象徴しているのが2012年の韓国フュージョン・ドラマ『The moon that embraces the sun』の世子(セジャ)イ・フォンのセリフより
It's a moon that embraced the sun. The sun refers to
the King and the moon refers to his wife. This white on
the accessory is the moon. And the moon is embracing
the red sun, so I call this "the moon that embraced the
sun".
You're the only person in my heart.
だいぶ話が横道にそれました。
健康志向の方なら一度は聞いたことのある "月光浴"
あたしの身勝手な解釈... 月光浴が本作『ナイトサイレン 呪縛』のコアな部分と考えている。なぜなら
“It is the very error of the moon. She comes more near
the earth than she was wont. And makes men mad.”
—William Shakespeare, 『Othello』より
天文ナードかも知れないシェークスピアさん。月が992年ぶりに地球に大接近したスーバー・ムーンは2023年1月23日に人類は体験している。 それとは関係ないけど、南の島で暮らしていた時、月を眺めていると...
「月をそんなに見つめていては好くないよ。」ってイギリス系の男子から言われた事をシェークスプアの言葉よりも思い出す。それに関しては、オックスフォード英語辞典(OED: Oxford English Dictionary)によると
Lunatic: from late Latin lunaticus, from Latin luna “moon”
(from the belief that changes of the moon cause intermittent insanity)
そもそも女神"Luna" の名前は "lunatic" の接頭辞で古代ギリシャの哲学者によると人間の臓器の中でも「脳」が一番水分を含んでいることから、月の満ち欠けに左右されるとされ、その事が人の精神にも強く影響すると考えられていた。
でもこの映画では真逆な解釈をあたしはしている。それは... "月光浴" という言葉より
「日本では、中秋の名月で知られるように月を愛で、月をいとおしく、そして神格化によるオゴソカさを敬ってきました。」わたくしの持論!?
それに補填するように追随して、あるサイトでは月光浴と月の反射光についてこのように語ってもいます。
"Through gossamer threads of billowing clouds, moon
bathing in reflected light can penetrate your soul."
北欧の人たちにとって日光浴は食物では摂ることのできないビタミンDを手っ取り早く得る為に必要とされるけれども、その反面、あまりにも直射日光はきつ過ぎて軽い火傷を負った経験のある方はいないのだろうか? スピリチュアル的で幻想的な事を含めて、"月を愛でる"心がもたらす効果として、前述の『The moon that embraces the sun』のセリフより理解ができ、また
前述のサイトでは
The idea is that spending time in nature can bring
healthful benefits, for both body and mind. It is a
very fine idea, if you have a forest nearby, or are fit
enough to go traipsing through the woods...(一部割愛)
You can simply find a comfortable chair outside on
a moonlit night.
いくらの人が知っているのだろうか?
精神という内面の部分を...そのようなあまり分かってはいない、解明がされていない領域、脳機能の分子メカニズムにおいて、月の光が過去のトラウマを洗い流し、そして人が知る由もない内面の隠された部分を、月の光が映し出し、そして投影されたものが、外側におけるリアルライフへの導きとして我々を照らしている。
チャプターごとにプロットが進んでいく本作
個人的意見として、本作には男性は出てきても男ではありませんから何か?ただの色気づいた女性を女性と思わないロクデナシです。だから本作はミサンドリーに対して人生を真剣に考える女性がトラウマとして過去のことにとらわれるフェミニズム・フィルムとなり "呪縛" というセコンダリータイトルにも納得ができるようにもなっている。
ただし、前身の TOCANA 時代の「観たら死ぬ」なんてタグラインを使う企業センスからすると社名を変えたことで少しは良くなったのかな~って!? 極端な上から目線でのコメントを失礼するとともに...
ラスト近くになると佳境を迎え、軽いチェンジ・オーバーを繰り返されるけれども、嫌みが無く、それがかえって話の核心部分(シャロータの母親は本当に魔女だったのか?死んだはずの妹の生死は?)への視聴者の理解を補助するように分かり易く展開していく。それもこれも脚本も担当したテレザ・ヌボトバ監督の辣腕であり、表現では、撮影を担当したフェデリコ・チェスカによる人の心の深淵の深さを森の木々の配色で自然に描いている美術力によるところが大きいのかもしれない。スロバキアの現在も続く伝統行事を見た経験から、もしかして魔女というミソロジー的存在が現在でも人の隠された部分に脈々と受け継がれているのではないかというヤリキレナイ心の闇が現実世界へと月光によってツマビラカにされている錯覚を覚えてしまう。
そして、サブタイトルを挙げるとするならフェミニズムとは相容れない神と同じように崇められるべき存在の "母性" なのかもしれない。
唐突な終わり方でもラストのシーンを見れば、映画の質感が分かると思います。