「甲斐さやか監督と飲みながらいろいろ話したくなる映画。」徒花 ADABANA カールⅢ世さんの映画レビュー(感想・評価)
甲斐さやか監督と飲みながらいろいろ話したくなる映画。
徒花という言葉はキライ。
徒花という言葉はいかにも日本的。外国に意味は同じでも、なんとかフラワーみたいなネガティブな言い方はあるのだろうか?
ソメイヨシノは江戸時代に改良されて出来た品種で、接ぎ木で増やす。根っこと上の幹は違う個体。
わたしは臓器移植法案には反対だった。いずれ子供にも拡大適用されると思ったからだ。そして、わたしは臓器を提供しない代わりに、他人の臓器も要らない。個人の尊厳と平等は命が平等でなければ保てないのではと思うタチなのである。
甲斐さやか監督の前作「赤い雪」はテアトル新宿と渋谷ユーロスペース
でそれぞれ1回ずつ観た。とても1回では理解できなかったのと、菜葉菜さんのファンだから。佐藤浩市(呼び捨て🙏)気持ち悪かった。
徒花のキャストもみんな本気出したらこわ~い人たち。斉藤由貴がいるせいで他の人は相対的に少し薄まる感じ。
クローンと臓器移植関連の映画はカズオ・イシグロ原作のわたしを離さないでやスカヨハのアイランドなど、クローン側から描いた作品は以前からたくさんあるが、いただく方を主演にした映画は知らない。
新次(井浦新)はクローン会社の社長の甥で後継ぎなので、決まりを逸脱するわがままが利くみたいだ。自分が搾取されるクローン人間だったら、本物なんかに会いたくない💢
新次は手術が成功するかどうか不安にもなるが、それより犠牲になるクローンに対する興味や罪悪感がより強い人物のようだ。家庭は冷めきっていて、自分の人生に肯定感がない人物。つまり、新次は自分のクローンと話し合って、自分を確かめたいのだ。本当は奥さんともっと対話をしなければいけないのだが。そして、【それ】のほうが人間味があり、才能があることにコンプレックスを抱いて、自殺してしまったのだろう。この点がこの映画のキモ(オリジナル)なので、夫婦仲のシーンとか新次の子供時代をもっとわかりやすく踏み込んで欲しかった。
この映画の設定は未来の人類が未曾有の病気の蔓延で非常に人口が減り、労働力不足を補うためにクローンで人口を増やし、特権階級のみ病気になった時に【それ】を犠牲にして臓器移植や首から下をストレッチ縫合(脳死になる前にササッと血管縫合し、脊髄をうまくつなげる)ですげ替えられることを国家が容認しているという設定。ヨルゴスランティモスの哀れなる者たちやクローネンバーグ映画だ。
【それ】は特定の企業が運営する施設で生活している。まるで一卵性双生児が別々にそだてられ、片方は片方のスペアとなるように洗脳されて生かされているような、とても手間と人件費などのお金がかかる世の中なのである。
病気により生殖機能を失った人が多いことも人口減少の大きな要因。しかし、主人公には子供がいるので、生殖能力は保っている。冒頭の親子の子供はすぐにでも骨髄移植が必要な病気なのに。おかしい。
【それ】はだいたい前髪揃えた髪型。だから少し若く、清らかにみえる。しかし、井浦新の場合、いいオッサンなので、バカリズムに見えてしまった。
ゆったりとした映画なので、ものすごくいろんな余計なことを映画の進行内容とは関係なく考えてしまう。
ベトナムのシャム結合双生児のベトちゃんドクちゃんの分離手術を考えた。あの時代ではどちらかをより長く生かすために本人の同意の有無などなく行われたに違いない。
片方の犠牲になるほうの気持ちや生き残ったほうの罪悪感はどんなだったのかと。
奥さんが若いうちにクローンを育てておいて、奥さんと出会う前の若いときから接したり、2度目の新婚生活を送れる。失敗した夫婦関係をリセットできる。奥さんが死んでも、スペアがあると思うと安心。
移植される本物にカウンセラーが付きっきりって必要?とか。手術の成功は保証の限りではないので、素敵なカウンセラー(モデル級の美人のクローン)に慰めてほしくなるよなぁとか。新次がまひろを好きになって、奥さんは新次の【それ】と駆け落ちしてしまったほうが面白いかもとか。
納める税金の額によって持てるクローンの人数が段階的に異なるんだろうな。それじゃアラブの王様だよとか。
レオナルド・ディカプリオなんか欲しいものや持てるものは、もう自分のクローンと不老不死しかないだろうとか。
特定の人間のみクローンを認めてしまうと平等な人間の尊厳は保てなくなる。しかし、隣の国の要人はもう用意していそうな気がする。
甲斐さやか監督と飲みながらいろいろ話したくなる映画。もちろん飲み代はこっちが出しますが、割り勘でもいいですよ。