徒花 ADABANAのレビュー・感想・評価
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特権階級の人間が自分のクローン「それ」を作り、いざという時には臓器...
特権階級の人間が自分のクローン「それ」を作り、いざという時には臓器提供等を受けられる世界。
まあ、観たことがある設定だな。
しかし、「それ」が自分よりも優れた人間だったら、葛藤が起ってしまうかもしれない。
「それ」との面会が禁じられているのも分かる。
それにしても全体的にかなり退屈に感じた。
新次は結局手術を受けなかったようだが、それもかなり分かりにくかった。
近未来?への警告
あからさまに差別され診療不可とされる母子。
差別の基準とは?
看護師の服装逆行?
相津医師に病状を聞かされる新次。
治療方針としては『それ』を移植。
『それ』は上流階級(この言葉も)にだけ許されているので
頭をすげ替える?のか。
国民カードと名前を変えているのに、
臨床心理士という職名はそのまま。
人に委ねるのが苦手なんだ、って言う新次。
自分の手術だから他人に任せるしかないだろうに。
認知機能が衰えた元脳外科医。
娘が亡くなって妻と二人。
娘は『それ』の権利を放棄した。
元脳外科医は移植しても3年の延命。
脳の投薬とは?
幼い頃の新次の母役斉藤由貴さんちょっとムリがあるな。
父の可愛がっていた鳥を絞め殺し母が埋める。
何を表すか?
本病院の跡取り新次のゆったり広い病室。
ピアニストにも『それ』がいる。
海に入る、海の女とは?
クローンか?
新次、マジックミラーで対面。
クローンに本人の記憶を植え込む処置?
他人とは思えないので話し合うことに。
ますます親しみを持つ新次。
苦悩する新次。
移植すればクローンは消えるのだ。
耐えきれず新次は‥。
新次の妻はあまり悲しまない。
娘は自分の『それ』に会う。
やはり、特権階級だけが安泰な生活を送れるとなる
近い先の日本なのか?
その為の犠牲など気にはしなくていいシステム?
しかし、生身の人間故に悩み苦しみ葛藤するのだ。
自分はどんな先がいいか?
特権階級に入らないなら早くに朽ち果てるしかないのか。
鳥の死と海の女の意味がわからない。
「徒花でも無駄花ではない」
舞台の対話劇のような演出で進むのかと思えば、極めて映画的なフラッシュバックやオーバーラップ的な編集もあり、また、画面上の光と陰影のコントラストが印象的でもあり、全般的に静かに淡々と進む本作は映像作品としての表現方法を模索している実験作品的な印象が強い。
その上で、労働力としてクローンを作るなら上流階級より労働者階級じゃないのか?みたいな疑問を持った後に、そんな下々の者どもに技術を使うより、影武者のようなものを使ってでも自分自身を「延命」し、自分の影響力を及ぼし続けたいと考えるのが権力者の思考なのかな?とも思い直した。
《あだばな(徒花)》とは『大辞林』の最初の定義によれば、「咲いても実を結ばない花。外見ははなやかでも実質を伴わないもののたとえにもいう。」とのこと。本作では、クローンを人として扱うのか物として扱うのかという倫理的問題は、自らのクローンと対峙した際に、そこに見た目だけではなく「個」としての自分を見出すことができるのか否かという、現実社会では人類がまだ直面していない問題にもぶつかることを示唆している。はたして本当に「実質を伴わない」のであろうか?
「徒花でも無駄花ではない」というセリフが印象的。
命とは、を問うた作品か?
出生率が極端に下がり、現在いる人の寿命を伸ばすために、それ、と呼ばれている上流階級の人が病気になった時の身代わり(クローン)が準備されている未来の日本。新次は妻と娘の3人家族で、理想的な家庭を築いていたが、重病に冒されてしまい、病院で療養していた。手術を控えて不安になっていた新次は、臨床心理士のまほろの提案で自身の過去についての記憶をたどり、さらに不安を募らせた新次は、それ、と呼ばれているクローンに会わせてほしいとまほろに頼んだ。それ、に会った新字次は・・・さてどうなる、という話。
これホラー?それとも、命とは、を問うた問題提起作品?
いずれにせよ、未来のことだし、なぜ?が多くてちんぷんかんぷんだった。
何十年も構想を練ってたのなら、もう少し鑑賞者にわかる様に作れなかったのだろうか?
題の、徒花、って、それ、の事?
本心とか
自分とは
ストーリーは確かにカズオイシグロを思い出してしまいますが、テーマは違うのかなと思います。
自分とはなんなのか、細胞が同じクローンとどう違うのか、何を以って自分といえるのか。
理想の自分をクローンの方に感じたり、娘と同じ姿のクローンに誰?と言われたり、境界がどんどん曖昧になっていくとき、どう自分を保つのか分からなくなってしまうのかも。
そしてそれを強く提示するのがラスト近くのきこちゃん扮するカウンセラーの爆発。
わたしは自分なのか?どうやって確信できるのか?
画面が美しすぎるのでファンタジーみたいに思えるのですが、そしてそういう画面が作りたかったのだろうと思うのですが、もしかして泥臭いリアルな撮り方をしてみても面白くなったんじゃないかなと想像していました。
近未来クローンSF
井浦新さんの一人二役での別人っぷりがすごいなと思いました。
二役といっても、もうひとりはクローンなので、似ているのは外見だけで
佇まいや話し方も全然違うという、なかなかできないと思うんですよね。
であるがゆえに、井浦新さんの凄さをまざまざと見せつけられた気がします。
井浦新演じる新次が、自分自身のクローンに徐々に情を寄せていき、
臓器移植や脳移植なんて考えられなくなっていくところが、すごくリアルというか、
時間軸及びクローンとの対話を重ねることで、死を身近に感じ、尚且つ、クローンには
クローンの幸せがあるんじゃないかと考えるようになったと思うんですよね。
だから、最終的には死を選んだんでしょうね。
(直接的には描かれませんが、水原希子演じるまほろのセリフでそう解釈しました)
新次には奥さんがいるけど、政略結婚と言っていたんです。
だから、夢で出てくる三浦透子(海の女)が本当に好きだった子なのでしょう。
割と海の女との話が丁寧に描かれていたので、その解釈で間違いないとは思いますね。
母親役の斉藤由貴がめっちゃ怖い。表情が怖いし、時折エロい。
水原希子は本当に機械的な美しさというか、クールビューティーで、この役にハマりますし
この作品の舞台の病院(?)の内装や装飾なんかも、この若干無機質な世界観をうまく
表現していると思いました。
それにしても、クローンがつくられるところを垣間見るシーンがありますが、
なんともせつない気持ちになりますね。
そういう世界は必要なのかな?と。そこまでして生きなければならないのかと。
考えさせられました。
死生観を考えさせられる作品で、なかなか興味深かったです。
甲斐監督の次回作を楽しみに待ちたいと思いました。
今の僕の頭には
ジェミノイドと言う存在が大きく横たわっている。
このジェミノイドについて思考を深めようと
ここ最近鑑賞したのが
アイミタガイ、本心、そして本作だったわけだが
正直一番、映画っぽくないなぁ。と思った作品が本作◎
映画でないと不能な演出があるから
表現手法としては映画で正解だと思うが
役者の演技はぶっちゃけ舞台ぽかったぞ🎭
つまりは、ストーリーは映画舞台、
どちらでも活きる秀作だが
演技がね。。と言うお話なのだ。
ソメイヨシノしか知らない現代人にとっては徒花だろうが
無駄花だろうがそんなたいした問題じゃないだろうが
僕は本作のおかげで、吉野の千本桜の理解が一気に進んだ
桜の木でできた小鼓が日本人に響く理由もここに
ありそうだ◎
寝落ち必至の映像作品。観客を眠らせるための映画なのかも。
全編にわたってほとんどが静寂な映画でした。
とてもポップコーンなどをバリボリ食べられるような音の映画ではありませんので注意。
そして、話の展開も緩やかの極み故、映画館で寝落ちするなというのが非常に困難な映画です。
途中で何度か意識が落ちてしまっていたので、ちゃんと観れたとは言い難いのですが
設定やテーマとしては嫌いな感じではないのですが、メリハリがなく、意図しての演出なのでしょうけどもあまりにも静か過ぎて間延び感がアリアリで、「これだから邦画は・・・」と言われるような雰囲気ですね。いや、私はそれほどそういうのは嫌いではないのですが、邦画に偏見を抱いている周りの知人らがそうやって毛嫌いするタイプの映画ではあるだろうな、と思われました。
時系列をところどころ切り替えている事に終盤まで気づけませんでしたね。判別が難しいですしこの映画を観終わってもう一度観たいとも思えないです。さすがにキツイっすよコレは苦行レベル。設定やテーマは気にかかりはするんですけどね(しつこい)。
徐々に多少の設定明かしなどあるのかな?と思いきや、そういうものもほとんどなく終わって「あれ・・・?」という印象でした。
メインの男の人のほうはわからなくもない心情変化でしたけど、終盤の臨床心理士さんのほうのはサッパリ読み取れませんでした。アレで汲み取れる方はすごいっすね。どういうことだったんだろう・・・。
サブパーツとしてのクローンが具体的にどのような設定で生成・育成されているのかわかりませんけども、裕福ならば数人は居てもおかしくないな?と私は思うのですがどうでしょうか。中国国内とかで普通に似たような事は既に行われていそうな気がしないでもないですが、私の偏見でしょうか。
作中で、脳だけでなく身体側にも記憶があるってのはそれは事実だと思いますよ。神経細胞があればそこに記憶があるはずです。だから、心臓移植すれば心臓に刻まれた記憶が移植された側に伝わるのだと思います。視神経とかもね。そういうことって普通に考えたら自明の事だと思うのですがどうなんですかね。
頭でっかちな現代人は脳にすべての記憶があるかのように思い違いされている方が多いようですけども、すべての身体あってこその己ですので、皆様、身体を労ってあげてくださいね。ご自愛ください。
ヒトが踏み込んではいけない世界
映画館で映画として見る映像は、五感で感じつつも、その表現により五感の1つずつが研ぎ澄まされた感覚として感じられる作品でした。息づかい1つにも苦しみが徐々に深まっていくのをどんな言葉よりも感じられました。今、実際に存在してはいけないヒトのクローンですが、実際存在するとこんな感じになるんだろうなと思いました。クローンの方が理想的な自分と知った苦悩。科学者の好奇心は止められるものではありませんが、クローンなんてものは作ってはいけない、ヒトが踏み込んではいけない世界であるとしみじみ感じさせられた映画でした。キャスティングもこの難しい課題を表現できるだけの俳優陣で、その表現力にとても贅沢な時間を持つことができた気分です。
メランコリック
ウイルスによって出生率が下がり、自分のクローンを作る世界になり、クローン手術を受ける男性がクローンである"それ"に会うという設定とお話にはとてもそそられたんですが、内容が抽象的かつ鬱屈とした感じが続くので94分と短めの尺のはずなのにかなーり長く感じてしまいました。
井浦さんの一人二役の感情の変わり具合は最高でした。通常体はネガティブ寄りの性格なのに、"それ"になるとハキハキ喋ってポジティブだし、通常体も喜んで喋っていたりとそれぞれの性格の演じ分けが凄かったです。
国民カードが無ければ手術ができないという設定は残酷ですが、そういう制度は現代でも少なからずあるし、いつまでも優しくしていてはならないというメッセージとして受け止めることはできました。
BGMが睡眠導入のそれで何度も眠気が襲ってきては目覚めての繰り返しで、なんとか意識を保って観てみてもローテンポな話運びにはモゾモゾしてしまいました。
エンドロールは不気味な音楽が鳴り響いており、これまたモゾモゾしてしまうのもナンセンスでした。
もう一度観て理解を深めたいとは思いつつ、再び眠気に誘われたらどうしようという気持ちもあり難しいところです。
鑑賞日 11/6
鑑賞時間 15:25〜17:05
座席 E-2
おぞましい未来
SFだけれど、
時代を連想、想像させるものを一切出さない意味で
リアルでダークな星新一のような雰囲気。
富裕層にだけ、スペアとしての
それ(クローン人間)が用意され
飼育されている。
人類としては
相当な黄昏時を描いていて、
そこまでして生きながらえたいとは
一体どんな社会なんだろうと。
主人公は病に侵され手術しないと
生き長らえる事が出来ないのだが
その手術内容は宣伝の音声のみで示されるが
なかなかエグい内容。
そんな時代の人生観や哲学は
一体どうなっているのか?
実は見えない裏で、
こんなテクノロジーと仕組みが
今、始まっているのではないか
(例えば隣の国で)
と思わず考えてしまった。
そんなことが起こると
始皇帝が望んだ永久の支配が成立してしまう。
それが賢帝なら良いが、
そうでないなら、なかなかのディストピアだろう。
徒花セラピー
正直言って、最初は舞台挨拶で井浦新さんに会うのが目的で見に行きました…でも、最後に1粒涙が自然に流れて「あぁ、この映画が好きだ」と心から思いました。
2回目も、1回目より面白く感じるくらい、私はこの映画を見てる時間そのものが好きなんだとわかりました。
普段同じ映画を2回見にいったりはしませんが1回目にわからなかったことがわかったり、2回見てもわからないこともあり、飽きませんでした。
とにかくテーマと映像が好きなんだと思います。
あんまり意図してないところだとは思うのですが、クローンなんかいなくたって、誰だって色んな自分が存在し得たと思うんです。
前世やパラレルワールドも含めて、いろんな自分がいる中で「今この自分を生きている意味」を考えることができる瞑想のような映画だと個人的には思います。
上映後の舞台挨拶ありのQ&Aタイムもすごく深い質問が出てきて、ドキドキして楽しいです。
SF要素を独自の感性で絵作りしており好み。
好き嫌いがわかれる映画を前提で。
他の方のレビューで「『クローン』がテーマはありふれてる」と記載がありましたが、
それはそうなんですが、それを言ったら映画のモチーフは昔からテーマが何かに関わらず使い古されてます。
大事なのは普遍的なSFのモチーフをどんな角度、色作り、物語作りができるかです。
昔、及川光博さんが主演のクローン映画もありましたが日本の諦めの美学があり好きでした。
海外のドンチャンSFや胸糞、どんでん返しがド派手なものもいいですが。
日本らしい絵作りや文学的なストーリー展開は大変面白いし、考察要素もちゃんとあり楽しめました。
クローンの存在がナチュラルな存在なのはよかった、全てを知ってるがゆえのシンジの葛藤。
クローンシンジの小さな頃から臓器を提供する存在として育てられ、それを喜びと捉える純粋な存在。
その純粋な存在に、自分の有り得たかもしれない価値を見出し、死を選ぶシンジ決断。シンジは『駆け引きだけの人生だった』『彼が生き残るべき』と言っていたがシンジだって決して無駄な花ではない。
もう坂を転がり出しています
徒花adabana
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