徒花 ADABANAのレビュー・感想・評価
全44件中、1~20件目を表示
自分とは
ストーリーは確かにカズオイシグロを思い出してしまいますが、テーマは違うのかなと思います。
自分とはなんなのか、細胞が同じクローンとどう違うのか、何を以って自分といえるのか。
理想の自分をクローンの方に感じたり、娘と同じ姿のクローンに誰?と言われたり、境界がどんどん曖昧になっていくとき、どう自分を保つのか分からなくなってしまうのかも。
そしてそれを強く提示するのがラスト近くのきこちゃん扮するカウンセラーの爆発。
わたしは自分なのか?どうやって確信できるのか?
画面が美しすぎるのでファンタジーみたいに思えるのですが、そしてそういう画面が作りたかったのだろうと思うのですが、もしかして泥臭いリアルな撮り方をしてみても面白くなったんじゃないかなと想像していました。
近未来クローンSF
井浦新さんの一人二役での別人っぷりがすごいなと思いました。
二役といっても、もうひとりはクローンなので、似ているのは外見だけで
佇まいや話し方も全然違うという、なかなかできないと思うんですよね。
であるがゆえに、井浦新さんの凄さをまざまざと見せつけられた気がします。
井浦新演じる新次が、自分自身のクローンに徐々に情を寄せていき、
臓器移植や脳移植なんて考えられなくなっていくところが、すごくリアルというか、
時間軸及びクローンとの対話を重ねることで、死を身近に感じ、尚且つ、クローンには
クローンの幸せがあるんじゃないかと考えるようになったと思うんですよね。
だから、最終的には死を選んだんでしょうね。
(直接的には描かれませんが、水原希子演じるまほろのセリフでそう解釈しました)
新次には奥さんがいるけど、政略結婚と言っていたんです。
だから、夢で出てくる三浦透子(海の女)が本当に好きだった子なのでしょう。
割と海の女との話が丁寧に描かれていたので、その解釈で間違いないとは思いますね。
母親役の斉藤由貴がめっちゃ怖い。表情が怖いし、時折エロい。
水原希子は本当に機械的な美しさというか、クールビューティーで、この役にハマりますし
この作品の舞台の病院(?)の内装や装飾なんかも、この若干無機質な世界観をうまく
表現していると思いました。
それにしても、クローンがつくられるところを垣間見るシーンがありますが、
なんともせつない気持ちになりますね。
そういう世界は必要なのかな?と。そこまでして生きなければならないのかと。
考えさせられました。
死生観を考えさせられる作品で、なかなか興味深かったです。
甲斐監督の次回作を楽しみに待ちたいと思いました。
今の僕の頭には
ジェミノイドと言う存在が大きく横たわっている。
このジェミノイドについて思考を深めようと
ここ最近鑑賞したのが
アイミタガイ、本心、そして本作だったわけだが
正直一番、映画っぽくないなぁ。と思った作品が本作◎
映画でないと不能な演出があるから
表現手法としては映画で正解だと思うが
役者の演技はぶっちゃけ舞台ぽかったぞ🎭
つまりは、ストーリーは映画舞台、
どちらでも活きる秀作だが
演技がね。。と言うお話なのだ。
ソメイヨシノしか知らない現代人にとっては徒花だろうが
無駄花だろうがそんなたいした問題じゃないだろうが
僕は本作のおかげで、吉野の千本桜の理解が一気に進んだ
桜の木でできた小鼓が日本人に響く理由もここに
ありそうだ◎
寝落ち必至の映像作品。観客を眠らせるための映画なのかも。
全編にわたってほとんどが静寂な映画でした。
とてもポップコーンなどをバリボリ食べられるような音の映画ではありませんので注意。
そして、話の展開も緩やかの極み故、映画館で寝落ちするなというのが非常に困難な映画です。
途中で何度か意識が落ちてしまっていたので、ちゃんと観れたとは言い難いのですが
設定やテーマとしては嫌いな感じではないのですが、メリハリがなく、意図しての演出なのでしょうけどもあまりにも静か過ぎて間延び感がアリアリで、「これだから邦画は・・・」と言われるような雰囲気ですね。いや、私はそれほどそういうのは嫌いではないのですが、邦画に偏見を抱いている周りの知人らがそうやって毛嫌いするタイプの映画ではあるだろうな、と思われました。
時系列をところどころ切り替えている事に終盤まで気づけませんでしたね。判別が難しいですしこの映画を観終わってもう一度観たいとも思えないです。さすがにキツイっすよコレは苦行レベル。設定やテーマは気にかかりはするんですけどね(しつこい)。
徐々に多少の設定明かしなどあるのかな?と思いきや、そういうものもほとんどなく終わって「あれ・・・?」という印象でした。
メインの男の人のほうはわからなくもない心情変化でしたけど、終盤の臨床心理士さんのほうのはサッパリ読み取れませんでした。アレで汲み取れる方はすごいっすね。どういうことだったんだろう・・・。
サブパーツとしてのクローンが具体的にどのような設定で生成・育成されているのかわかりませんけども、裕福ならば数人は居てもおかしくないな?と私は思うのですがどうでしょうか。中国国内とかで普通に似たような事は既に行われていそうな気がしないでもないですが、私の偏見でしょうか。
作中で、脳だけでなく身体側にも記憶があるってのはそれは事実だと思いますよ。神経細胞があればそこに記憶があるはずです。だから、心臓移植すれば心臓に刻まれた記憶が移植された側に伝わるのだと思います。視神経とかもね。そういうことって普通に考えたら自明の事だと思うのですがどうなんですかね。
頭でっかちな現代人は脳にすべての記憶があるかのように思い違いされている方が多いようですけども、すべての身体あってこその己ですので、皆様、身体を労ってあげてくださいね。ご自愛ください。
ずっしりヘビーなテーマなので、疲れている時に見るのはオススメしませ...
ずっしりヘビーなテーマなので、疲れている時に見るのはオススメしません。
でも、それだけ見応えある作品でした。
海外では評価されそうな作品。
ヒトが踏み込んではいけない世界
映画館で映画として見る映像は、五感で感じつつも、その表現により五感の1つずつが研ぎ澄まされた感覚として感じられる作品でした。息づかい1つにも苦しみが徐々に深まっていくのをどんな言葉よりも感じられました。今、実際に存在してはいけないヒトのクローンですが、実際存在するとこんな感じになるんだろうなと思いました。クローンの方が理想的な自分と知った苦悩。科学者の好奇心は止められるものではありませんが、クローンなんてものは作ってはいけない、ヒトが踏み込んではいけない世界であるとしみじみ感じさせられた映画でした。キャスティングもこの難しい課題を表現できるだけの俳優陣で、その表現力にとても贅沢な時間を持つことができた気分です。
メランコリック
ウイルスによって出生率が下がり、自分のクローンを作る世界になり、クローン手術を受ける男性がクローンである"それ"に会うという設定とお話にはとてもそそられたんですが、内容が抽象的かつ鬱屈とした感じが続くので94分と短めの尺のはずなのにかなーり長く感じてしまいました。
井浦さんの一人二役の感情の変わり具合は最高でした。通常体はネガティブ寄りの性格なのに、"それ"になるとハキハキ喋ってポジティブだし、通常体も喜んで喋っていたりとそれぞれの性格の演じ分けが凄かったです。
国民カードが無ければ手術ができないという設定は残酷ですが、そういう制度は現代でも少なからずあるし、いつまでも優しくしていてはならないというメッセージとして受け止めることはできました。
BGMが睡眠導入のそれで何度も眠気が襲ってきては目覚めての繰り返しで、なんとか意識を保って観てみてもローテンポな話運びにはモゾモゾしてしまいました。
エンドロールは不気味な音楽が鳴り響いており、これまたモゾモゾしてしまうのもナンセンスでした。
もう一度観て理解を深めたいとは思いつつ、再び眠気に誘われたらどうしようという気持ちもあり難しいところです。
鑑賞日 11/6
鑑賞時間 15:25〜17:05
座席 E-2
おぞましい未来
SFだけれど、
時代を連想、想像させるものを一切出さない意味で
リアルでダークな星新一のような雰囲気。
富裕層にだけ、スペアとしての
それ(クローン人間)が用意され
飼育されている。
人類としては
相当な黄昏時を描いていて、
そこまでして生きながらえたいとは
一体どんな社会なんだろうと。
主人公は病に侵され手術しないと
生き長らえる事が出来ないのだが
その手術内容は宣伝の音声のみで示されるが
なかなかエグい内容。
そんな時代の人生観や哲学は
一体どうなっているのか?
実は見えない裏で、
こんなテクノロジーと仕組みが
今、始まっているのではないか
(例えば隣の国で)
と思わず考えてしまった。
そんなことが起こると
始皇帝が望んだ永久の支配が成立してしまう。
それが賢帝なら良いが、
そうでないなら、なかなかのディストピアだろう。
徒花セラピー
正直言って、最初は舞台挨拶で井浦新さんに会うのが目的で見に行きました…でも、最後に1粒涙が自然に流れて「あぁ、この映画が好きだ」と心から思いました。
2回目も、1回目より面白く感じるくらい、私はこの映画を見てる時間そのものが好きなんだとわかりました。
普段同じ映画を2回見にいったりはしませんが1回目にわからなかったことがわかったり、2回見てもわからないこともあり、飽きませんでした。
とにかくテーマと映像が好きなんだと思います。
あんまり意図してないところだとは思うのですが、クローンなんかいなくたって、誰だって色んな自分が存在し得たと思うんです。
前世やパラレルワールドも含めて、いろんな自分がいる中で「今この自分を生きている意味」を考えることができる瞑想のような映画だと個人的には思います。
上映後の舞台挨拶ありのQ&Aタイムもすごく深い質問が出てきて、ドキドキして楽しいです。
SF要素を独自の感性で絵作りしており好み。
好き嫌いがわかれる映画を前提で。
他の方のレビューで「『クローン』がテーマはありふれてる」と記載がありましたが、
それはそうなんですが、それを言ったら映画のモチーフは昔からテーマが何かに関わらず使い古されてます。
大事なのは普遍的なSFのモチーフをどんな角度、色作り、物語作りができるかです。
昔、及川光博さんが主演のクローン映画もありましたが日本の諦めの美学があり好きでした。
海外のドンチャンSFや胸糞、どんでん返しがド派手なものもいいですが。
日本らしい絵作りや文学的なストーリー展開は大変面白いし、考察要素もちゃんとあり楽しめました。
クローンの存在がナチュラルな存在なのはよかった、全てを知ってるがゆえのシンジの葛藤。
クローンシンジの小さな頃から臓器を提供する存在として育てられ、それを喜びと捉える純粋な存在。
その純粋な存在に、自分の有り得たかもしれない価値を見出し、死を選ぶシンジ決断。シンジは『駆け引きだけの人生だった』『彼が生き残るべき』と言っていたがシンジだって決して無駄な花ではない。
もう坂を転がり出しています
“それ”ね…この設定や世界観、死生観を受け入れられるかやな(^^;;それにより、眠気を誘う退屈なシーンと感じるのか、浸れる意味深いシーンと感じるのかなんやけど、なんか観てて疲れた…が最後のまほろのシーンにはハッとさせられた。
徒花adabana
正直、救われた思いです*近年、親しい人を立て続けに亡くして鬱々としておりました。命はカタチを変えても受け継がれて行く、終わりの無い循環なんだと受け止めました。見終わった後にオープニングに見た紙のような人形は、わたし自身だったんだとも。まぁ、考え方次第で残された者は幸せにも不幸にもなれるんだなぁ…と心が軽くなりました。ありがとう*
甲斐さやか監督と飲みながらいろいろ話したくなる映画。
徒花という言葉はキライ。
徒花という言葉はいかにも日本的。外国に意味は同じでも、なんとかフラワーみたいなネガティブな言い方はあるのだろうか?
ソメイヨシノは江戸時代に改良されて出来た品種で、接ぎ木で増やす。根っこと上の幹は違う個体。
わたしは臓器移植法案には反対だった。いずれ子供にも拡大適用されると思ったからだ。そして、わたしは臓器を提供しない代わりに、他人の臓器も要らない。個人の尊厳と平等は命が平等でなければ保てないのではと思うタチなのである。
甲斐さやか監督の前作「赤い雪」はテアトル新宿と渋谷ユーロスペース
でそれぞれ1回ずつ観た。とても1回では理解できなかったのと、菜葉菜さんのファンだから。佐藤浩市(呼び捨て🙏)気持ち悪かった。
徒花のキャストもみんな本気出したらこわ~い人たち。斉藤由貴がいるせいで他の人は相対的に少し薄まる感じ。
クローンと臓器移植関連の映画はカズオ・イシグロ原作のわたしを離さないでやスカヨハのアイランドなど、クローン側から描いた作品は以前からたくさんあるが、いただく方を主演にした映画は知らない。
新次(井浦新)はクローン会社の社長の甥で後継ぎなので、決まりを逸脱するわがままが利くみたいだ。自分が搾取されるクローン人間だったら、本物なんかに会いたくない💢
新次は手術が成功するかどうか不安にもなるが、それより犠牲になるクローンに対する興味や罪悪感がより強い人物のようだ。家庭は冷めきっていて、自分の人生に肯定感がない人物。つまり、新次は自分のクローンと話し合って、自分を確かめたいのだ。本当は奥さんともっと対話をしなければいけないのだが。そして、【それ】のほうが人間味があり、才能があることにコンプレックスを抱いて、自殺してしまったのだろう。この点がこの映画のキモ(オリジナル)なので、夫婦仲のシーンとか新次の子供時代をもっとわかりやすく踏み込んで欲しかった。
この映画の設定は未来の人類が未曾有の病気の蔓延で非常に人口が減り、労働力不足を補うためにクローンで人口を増やし、特権階級のみ病気になった時に【それ】を犠牲にして臓器移植や首から下をストレッチ縫合(脳死になる前にササッと血管縫合し、脊髄をうまくつなげる)ですげ替えられることを国家が容認しているという設定。ヨルゴスランティモスの哀れなる者たちやクローネンバーグ映画だ。
【それ】は特定の企業が運営する施設で生活している。まるで一卵性双生児が別々にそだてられ、片方は片方のスペアとなるように洗脳されて生かされているような、とても手間と人件費などのお金がかかる世の中なのである。
病気により生殖機能を失った人が多いことも人口減少の大きな要因。しかし、主人公には子供がいるので、生殖能力は保っている。冒頭の親子の子供はすぐにでも骨髄移植が必要な病気なのに。おかしい。
【それ】はだいたい前髪揃えた髪型。だから少し若く、清らかにみえる。しかし、井浦新の場合、いいオッサンなので、バカリズムに見えてしまった。
ゆったりとした映画なので、ものすごくいろんな余計なことを映画の進行内容とは関係なく考えてしまう。
ベトナムのシャム結合双生児のベトちゃんドクちゃんの分離手術を考えた。あの時代ではどちらかをより長く生かすために本人の同意の有無などなく行われたに違いない。
片方の犠牲になるほうの気持ちや生き残ったほうの罪悪感はどんなだったのかと。
奥さんが若いうちにクローンを育てておいて、奥さんと出会う前の若いときから接したり、2度目の新婚生活を送れる。失敗した夫婦関係をリセットできる。奥さんが死んでも、スペアがあると思うと安心。
移植される本物にカウンセラーが付きっきりって必要?とか。手術の成功は保証の限りではないので、素敵なカウンセラー(モデル級の美人のクローン)に慰めてほしくなるよなぁとか。新次がまひろを好きになって、奥さんは新次の【それ】と駆け落ちしてしまったほうが面白いかもとか。
納める税金の額によって持てるクローンの人数が段階的に異なるんだろうな。それじゃアラブの王様だよとか。
レオナルド・ディカプリオなんか欲しいものや持てるものは、もう自分のクローンと不老不死しかないだろうとか。
特定の人間のみクローンを認めてしまうと平等な人間の尊厳は保てなくなる。しかし、隣の国の要人はもう用意していそうな気がする。
甲斐さやか監督と飲みながらいろいろ話したくなる映画。もちろん飲み代はこっちが出しますが、割り勘でもいいですよ。
三者三様の井浦新
見終わった感想はストーリーはもう予告通りなのだが、終わり方がなんとなく不穏だった。なので9割まで、想像通りだなと思ったがなんだか見逃してる気がしてよくわからなくなってしまった。
あと、初見はかなり長く感じたが、不思議なことに2回目は前回より速く感じた。
行きは長いが帰りは早い初めて通る道と同じ感覚だった。
もし何度も見返しながら監督がこの映画を編集してたら、編集してるときはきっと初見のような長さには感じないんだろうなと思った。
もしかしたら編集してる監督にはこの映画はもっと短く感じたのかもしれない。
あと、初見だと途中までよくわからなかったが、新次の過去の記憶と行き来する。
子供が新次って気づくのに時間がかかった😂
この映画には、新次、過去の新次、それの三パターンの井浦新がいて、とくにそれと新次の演じわけは凄かった。それがおかっぱ頭でぴょんって跳ねるシーンの可愛さと、暗い新次が同時に見れるのはお得な気分であった笑
個人的に1番好きなのは前髪が降りた過去新次。
最後、まほろは自分はクローンと判明したが、
舞台挨拶で司会の人が永瀬さんが唯一の人間みたいなことを言っていて、あの病院の従業員はもしやみんなクローン??
まほろは自分は人間だと思ってたし、それのことを軽蔑してたから、クローンの時の記憶がないのかな
もし記憶を移植できるなら、首繋げるより楽だよね
もはや誰がクローンで誰が人間?
クローンがクローンを使い捨ててるって残酷すぎるな
徒花であり、無駄花
冒頭から、設定も世界観も分からないのに知ってる前提みたいな会話が延々と続く。
動きも台詞も、それぞれの間も、カット割りも、何もかもすべてがゆったりしていた。
そして画面がやたらと暗い。
退勤後のレイトショーでこれを見せられて、ウトウトしない方が無理です。
字幕で語られた設定も、最初の“不法侵入”の母娘も、特に活きているように感じない。
クローンを具体的にどう医療に用いるのかも不明。
斉藤由貴や三浦透子の存在も、なんとなく察すれど最後までハッキリとはしない。
過去なのか現在なのか、夢なのか妄想なのかも判然としない場面も多い。
まほろは職務とは裏腹に、不安を煽ってるようにしか見えない。
そして“それ”と対峙した新次は、その純粋さと自らとのギャップに心を蝕まれていくわけだが…
申し訳ないが、隣の芝生を青く感じてるようにしか見えず。
また新しい井浦新の芝居が見れたし、水原希子も泣き演技はよかったが、永瀬正敏はどうしても医者に見えない。
そもそも人物や状況の設定が曖昧すぎた。
そのため、どんな演技も台詞も上滑りして一切脳にも耳にも残らない。
こんなに時計が進まない作品も珍しかった。
大体、どう世の中が進もうとも正式な呼称として「それ」が採用されることは無いと思う。
『徒花でも無駄花ではないと思うんです』
*
条件を満たした富裕層だけが持てるクローンを
近未来の日本は「それ」と呼ぶのです
富裕層の新次は病を患っていました
悪いところを治すために施設にやってきたのです
「それ」は姿を見せるために
今まで来たことがなかった面会の場へ
初めての空間にいるというだけのことを
「それ」は全身で愉しむのです
窓ガラスから見える景色、絨毯、白い椅子
駆け引きや親や環境に左右されながら
生きてきた新次にとって「それ」の姿は
とても純粋で魅力的で神秘的でした
その汚れのない美しさに胸を突かれ
僕の頬に涙がつーっ…と伝いました
君からもう目が離せない…と言わんばかりの
新次の黒い瞳に僕は釘付けでした
『点滴だけしてくれればいい』
覇気も生気もない新次でしたが
ご飯や焼き魚など固形物を
口にできてしまうくらいの
精神的な活力が湧いていました
新次は純粋で単純なのかもしれません
*
「それ」は新次本体よりも
豊かな心を持ち、知性を保ち、
自然や芸術にふれながら【自由に生きていた】
「それ」は言っていました
徒花でも無駄花ではないと思うんです
与えられた運命を受け入れると
生きることに価値がうまれる、と。
生きることの意味や自分という存在の意味を
きちんと自分で見出して「生」を感じている
こんなにも美しくて尊い命をこんな自分が奪い
延命してしまっていいんだろうか…?
新次は迷い、そして決断するのです。
「手術しない」ことを。
僕がもし同じ立場だったら、
新次と同じことを思い、同じ道を選んだでしょう
君みたいに生きられたらよかったな…
そんなふうに思って、「それ」に命を捧げたでしょう
*
「それ」はようやくあなたの役に立てる…と
面会のときに安堵したほほ笑みを浮かべていました
新次がいなくなった「それ」は
なんの役にも立てず綺麗な身体のままでいます
お葬式をあげていたので
新次からのお役目の提案も果たせないのです
新次は綺麗な命を奪ってはいけないと
坂を転がり続けることを選びましたが
「それ」としては役に立てなかったことを
悔やむんでしょうか…
命を捧げられ綺麗な身体で
あの部屋に転がされてしまうよりも
命を捧げ傷跡を包帯で覆うほうが
「それ」は幸せだったんでしょうか…
役目を終えた「それ」たちは担架で運ばれ
あたたかくもなくつめたくもない部屋に
ゴロン…と雑に置かれてしまう
そこに感謝や労う気持ちや心なんてものはなくて…
ゴミを捨てるかのようで耐え難い光景でした
やっぱり僕たちって…、勝手なんですかね…
難しいな…
深く深くどっぷりと考えを巡らせられる作品でした
なんといっても井浦さんの二役の演技が見どころの作品!
予告で気になって絶対見に行こうと思ってたら、まさかの大好きな井浦新さんが舞台挨拶に来るということでそちらで鑑賞させていただき、上映後には井浦さんと監督の作品に対する思いや考えも聞かせていただいたのですが、こちらにはそのお二人の話を聞く前の自分が見終わって感じたものを書こうと思います。
話的にはざっと書くと富裕層が「それ」と呼ばれるクローンを育成し病気になった際の臓器提供などに使うという時代の話で、主人公が自分のクローンと会うことでの心情の変化などが描かれていく物語です。
すごく考えさせられる作品でありました。
もしかしたら近い将来、こういう技術も可能になるのかもしれません。
現実的に考えたらすごく怖いよなと思いますし、ちょっとファンタジー的に考えたら自分のクローンがいるとしたら会ってみたいななんて思いました。
見た人がそれぞれに考えることを求められる作品だと思うのでなかなか見るのに体力を使う映画ではないかと思います。
そして、演技に関してはわりと豪華な出演陣で安定の演技力で安心して見ていられます。
なんといってもやはり今作は井浦新さんの二役の演技っぷりがさすがでした。
以前にドラマでも女性役と男役を二役演じていてそれがすごくて、今回もまたそういう演技が見れるのかと思ってこの作品は絶対見ようと思っていたので。
主人公のシンジはアンナチュラルの時のようなクールさで、クローン役の時は優しい無垢な顔で演じていて、本当何かが乗り移った憑依したかのように顔や声色を変えて演じ切っている感じは期待通りでした。
作品自体は100分もいかないくらいの短い時間ですが、実際見るとそんな感じはせず見応えがありました。
あと、気になったのはこの作品、自分の地域ではやけに上映回数も少なく朝の早い時間のみとなっていて、いつもこれは思いますがスポンサーたくさんついた大型作品ばかりが大量に上映されていて、こういう作品は1日1回のみというのがやはり映画業界、良くないなーと思います。
せめて日中と夜と1日2回くらいはやってあげたらいいのに。
ま、スポンサーやらいろいろあるんでしょうが
どうか小さな映画でも作品の中身で判断してもらいたいです。
全44件中、1~20件目を表示