パリのちいさなオーケストラのレビュー・感想・評価
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移民一家に生まれた双子姉妹の姉。理解ある両親と妹、生まれ育った町の演奏仲間やパリで出来た仲間と一緒に、自分のオーケストラを率いて演奏する夢に向かいます。
様々な障害を乗り越えて、目標の実現に向かって頑張る姿を描いた
作品や先駆者の苦労を描いたお話を観るのが大好きです。・_・
この作品は、指揮者の中で全体の6%程度しかいないという
女性の指揮者を目指す一人の女性のお話です。
5年くらい前にも、女性指揮者の先駆けとなった女性を主人公に
した作品がありました。「レディ・マエストロ」。
2019年の作品で、1920年代のオランダでのお話でした。・_・
一方、この作品は1990年代のフランスが舞台。先駆けから70年が
過ぎてもなお、指揮者への門は女性にとって狭く、厳しい道のりの
ようです。むむ。
鑑賞開始。
ヒロインの名はザイア。17才。双子の妹がいる。
フランスのパリ近郊の町でビオラを演奏していたが、パリの音楽院
に編入してきた。アルジェリア系の移民一家。両親と双子の妹。
演奏する楽器はビオラだが、彼女には夢がある。
オーケストラの指揮者として舞台に立つことだ。
双子の妹も同じ音楽院に編入してきた。支え合う大切な仲間だ。
女性ながら指揮者を目指していること。
地方からパリの音楽院に編入してきたこと。
そんなザイアに対し、見下した視線を向ける生徒たちもいる。
臆することなく、ザイアは指揮者への道を進もうとするのだが…。
音楽院にはもう一人、指揮者を目指す若い男性が。
パリ育ちで成績優秀。取り巻きがいつもくっついていて。と、
絵に描いたような敵役的ライバル。 ・-・;
指揮者は一人いれば良い。と
コンクールの課題曲の指揮を二人で競うことになるのだが
地味な嫌がらせを受けつつ頑張るザイア。
と、観ていく内に思ったのが
「カルビス名作劇場に登場しそうなお話かも」
ということでした。もっともこの作品は実話ベースとのことなので、
小説より奇なりという所ではあります。・_・フム
そしてまた思ったことが。
登場する人別がたくさん居て覚えきれない。 ということ。@_@ヒー
オーケストラを構成出来るだけの演奏者の数が必要。なコトは
理解できるのですが、ザイアの家族や指揮者の先生等の他に
# ザイアが育った街の音楽院の仲間 …そこそこの人数
# ザイアの通うパリの音楽院の仲間 …かなりの大人数
といった仲間たちが、登場するのです。
パリの音楽院には、成績優秀なライバル(?)もいます。
そのライバルの取り巻きが何人もいます。 ヤな奴です。
最初はザイアに距離を置いている子も。まあ普通に居ます。
ザイアが行動を起こしていく内に、協力的かつ友好的な態度に
変わっていく生徒もいます。
その変化するステップが何となく見えてくると
” この子 どんな子だったっけ? ”
と、その一人の事が気になり始める訳で…。 けれども
作品鑑賞しながらではチェックのしようが無く…。 うー。
ややダイジェスト的な印象を持ったものの、ザイアの周りには
良い人がいるのだということの分かるエンディングに、最後は
納得しながら鑑賞を終えました。・_・
このお話は2時間の作品な訳ですが、登場人物の一人一人を
もう少し掘り下げて登場させられたらもっと良かったのかも。
映画では無くTVの30分番組で、1クールで放送するとか。
そんなことも考えながら鑑賞してました。 ・_・ハイ
※ けれども現在でも女性の指揮者は少ないそうですね…
◇あれこれ
■ザイアの出身地
の、地方都市の名前を忘れてしまいました…。*-*
鑑賞中、途中までは覚えていたのですが…。 んー悔しい。
パリからどれくらい離れているのかとかが分かると、もっと
合同演奏の苦労感が出たような気がしています。
■前の人の背中を譜面台代わりに
意地悪されて、演奏の練習場所から譜面台を持ち出されてしまい
困った中、一人の提案で「前に座った人の背中に譜面を張り付け
それを見ながら演奏する」ことになった場面。
なるほど、と観ていて痛快な展開でした。
(けど、前のヒトが動くと酔いそう…)
■指揮者の役割って
劇中、指導を受ける楽団員の一人がベテラン指揮者へ質問する場面。
” 指揮者って、演奏に必要なんですか? ”
ものすごいド直球な質問にびっくり。@_@; けれどこの疑問
自分も何となく感じている疑問だったので、興味津々。
余程に優秀な演奏者が揃っているなら不要かもしれないが…
と、このような意味の回答をしていたように記憶しているのですが
演奏全体のバランスを取りながら、自分の求める演奏に仕上げてい
くのが指揮者の役割。 ということなのでしょうか。
演奏の本番では、その成果を再確認しながらタクトを振っている。
とも解釈しましたが、理解というにはほど遠い気がします。
◇最後に
" 指揮するために登壇すると、孤独を感じる "
そう先生にこぽしたザイアに
” 演奏者との間に信頼関係が出来上がっていなければそうなる ”
といった意味のことを語っていました。
世の中に女性の指揮者がまだまだ少ない理由の一つにはきっと
” 女性の果たす役割では無い ” 的な意識が働いているのでしょう。
その空気がまた、信頼関係構築の障害になるという悪循環。うー
これからの美術や芸術・音楽の世界等では、男女の区別なく自分を
表現できるようになればいいな と。 そう願います。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
2024年パリ・オリンピック閉会式の女性指揮者と双子の妹チェリスト姉妹の実話 音楽の力を信じて性別、人種、階級の格差を乗り越える 本人たちの参加によるリアルな作品作り
2024年パリ・オリンピック閉会式の初の女性指揮者と、その双子の妹のチェリスト姉妹の実話
音楽の力を信じて性別、人種、階級の格差を乗り越える展開を真摯に描く。
ただの感動のサクセスストーリーではなく、どうしたら障害を克服できるか、姉妹で悩み、具体的な対策を考えながら、一歩ずつ進んでいく展開が素晴らしい。
何より、音楽を身近で楽しんでいる家族によるところが大きい。
本人たちの参加によるリアルな作品作りに好感が持てる。
まだまだ残る数々の差別・障害。
こういう映画が無くなる日はいつ来るのか。
子どもが将来なりたい職業の一つに
オーケストラの指揮者になりたいと思う子どもは現代でもいるのでしょうか。
韓国映画の「 春が来れば」で、音楽の先生として雇われたチェ・ミンシクが廃部寸前の吹奏楽部で、男子中学生達を指導しているシーンは微笑ましくて、今でもたまにDVDを見返しています。
映画に出てくる指揮者ってのは、ベテランが多くて難しい事を難なくやっているが、この映画は指揮者としては未熟な若い女の子が主役で、しかも実話だという事が珍しかったので鑑賞。
新人の指揮者とはいえ、音楽的教養はあるから難しい専門用語を喋っているんたけど、俺みたいな音楽素人には何を喋っているのかちんぷんかんぷん。
で、指導してくれるお爺ちゃん先生がいるんだけど、指揮をしている時の駄目だしが容赦なくて、1回目、2回目、3回目と指揮をしても、駄目だ、全く駄目だと言って、もう何が正解なのか分からなくなった主人公が可哀想で、可哀想で。
森本レオの演技指導かよ?
と思った。でも、お爺ちゃんは紳士なので、この後に主人公の女の子を襲ったりはしない。
何だ、かんだあって、主人公は認められるけど何が変わったのか見分けがつかない。これは音楽の教養があると分かるのでしょうか。
まぁ、ネタバレって表示ボタンを出しているから、ネタバレしやがって!って怒る人はいないだろうけど、
フラッシュモブの如く、作曲家ラヴェルの「 ボレロ」 を演奏するシーンはお見事!やっぱ、いい曲だよなー?ボレロは!
世界中で15分に一回、どこかで「 ボレロ」 が流れているだけの事はありますな。
映画「 ボレロ 永遠の旋律」 を見た人、清塚信也のコンサートは高くていけないクラシック好きな人にお勧めです。
映画『ボレロ 永遠の旋律』を合わせ見ると、ザイアの音楽哲学がより良く理解できる
2024.9.25 字幕 アップリンク京都
2022年のフランス映画(114分、PG12)
実在の指揮者、ザイア・ジウアニが楽団を結成する様子を描いた伝記映画
監督&脚本はマリー=カスティーユ・マンシヨン=シャール
原題の『Divertimento』は、劇中でザイアが結成する楽団の名前で、「嬉遊曲」という意味
物語の舞台は、1985年のフランス・パンタン
アブデルマジド(Zinedine Soualem)と妻のリラ(Nadia Kaci)は、双子の女の子を授かり、二人は7歳になっていた
ある夜のこと、クラシックのビデオを観ていた両親にもとに、長女のザイア(Lorena Kaidi、17歳時:ウーヤラ・アマムラ)が起きてきた
ザイアは指揮者の真似事を始め、父は温かい目で見守っていた
それから10年後、ザイアと妹のフェットゥマ(リナ・エル・アラビ)は、地元スタンの音楽院に通い、最終学年にて、パリの名門ラシーヌ音楽院への編入が認められた
友人たちと別れを告げてパリに向かった二人だったが、その音楽院は金持ちの子息が集まっているところで、アルジェリア移民の田舎者は冷遇されてしまう
音楽院のモルチェリー先生(Laurence Pierre)は彼女たちの実力を認めていて、ザイアが指揮者になりたいという目標を持っていたことも知っていた
そこで先生は、来たるコンクールに向けて、エリート院生のランバート(Louis-Damien Kapfer)と楽曲を分け合って参加するように促した
当時のフランスには女性指揮者と呼ばれる人はおらず、ランバートやその友人たちは「女をマエストロとは呼べない」と揶揄する
そうして、練習をボイコットするなどの行為に及び、モンチェリー先生は強く嗜めることになった
ある日、授業の一環でセルジュ・チェリビダッケ(ニエル・アレストリュプ)の講義に参加した院生たちは、そこで彼の指揮者哲学というものを学ぶことになった
ヴィクター(Victor Burgard)は「指揮者の存在理由」を質問し、ランバートは「録音を避ける理由」を訊く
そんな中、ザイアは「作曲家と話せないのに、どうやって音楽の本質を知るのか?」と尋ねた
さらに「指揮者を目指している」と告げるものの、チェリビダッケは「女性に指揮者は向いていない」と一蹴した
映画は、スタン音楽院、ラシーヌ音楽院、ワークショップによる生徒への指導などの多忙を極める中で、さらにチェリビダッケの指導が重なっていく
それらを着実にこなしながら、技術を高めていくものの、一向に「指揮者は孤独である」と感じていた
チェリビダッケは「孤独と感じている間は楽団と一体になれていないが、それを成しえた時には奇跡が起こる」と励ます
この言葉が後半の楽団の野外コンサートにつながるのだが、この言葉以外にも随所に指揮者哲学というものが登場する
その言葉ひとつひとつが大切なもので、それを吸収し、体現していくザイアが描かれていく
また、彼女は自然音のリズムに合わせてタクトを振る癖があって、その習慣が彼女を絶望の淵から救うことにもなる
ワークショップの教室で偶然出会ったディラン(Martin Chapoutot)とその父(Zbigniew Jankowski)とのエピソードなども胸熱で、親子関係に悩みながらも、その愛を感じていくシーンも感動的だった
本作では、主要なキャストも含めて、ほとんどが現役の音楽家であり、それぞれが自身のパートを実際に演奏している
だが、ザイア役のウーヤラ・アマムラは音楽未経験者で、フェットゥマ役のリナ・エル・アラビは元々はヴァイオリニストだった
二人には本物のザイアとフェットゥマが指導にあたり、彼女たちのシーンも実演となっている
このあたりのこだわりが凄まじく、音楽映画としての質を高めていると言えるだろう
いずれにせよ、本作にはモーリス・ラヴェルの「ボレロ」が登場するのだが、この「ボレロ誕生譚」を描いた『ボレロ 永遠の旋律』とリンクする部分が多い
ザイアが自然音に生活のリズムや人生を感じるのと同じで、ラヴェルも「ボレロ」は日常に響き渡る生活の音(映画では工場の規則的な音)がベースになっていると言っていた
この2作の親和性はとても高いので、もし『ボレロ 永遠の旋律』をまだ観ていない人がいたら、合わせて鑑賞することをオススメしたい
どうなるか?想像はつきますが、主人公が栄光を掴むには、紆余曲折が。。。
実話を参考にしているということで、どうなるか?想像はつく所はありますが。。。それを加味しても、成功を勝ちとるまでの紆余曲折は観てて、感動🥺泣かずにはいられません🥲
指揮者という仕事が、どれだけ繊細で大変かわかりました。指揮の上げ、下げひとつにも、どれだけのこだわりがあるのかわかりました。しかも、女性指揮者は世界でわずか6%しかいないのに、紆余曲折を乗り越えて女性指揮者として成功する❗️素晴らしい✨アッパレ👑
最後のオーケストラの演奏「ボレロ」めちゃくちゃ感動しました🥺
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