パリのちいさなオーケストラのレビュー・感想・評価
全6件を表示
メインキャスト以外、出演者は全員プロの演奏家! リアル感が心地いい爽やかな音楽映画。
最近、女性指揮者がぐっと増えた印象がある。
あるいは、本当はもとから結構いたのだが、メインオケを振る機会が増えてきたのかもしれない。昔は本当にシモーネ・ヤングくらいしかいなくて、それからマリン・オルソップが出てきて、あとは現代音楽の演奏会とかの映像で見るくらいだった。当時はYouTubeもなかったし、来日する人は稀だったから、滅多に女性指揮者を見ることはなかったのだ。
その後、日本で西本智実が出てきた時期に1ブーストかかり、三ツ橋敬子が出てきた時期にさらに1ブーストかかった印象。
ここ10年くらいは、どの日本のオケも積極的に(おもに若い美人指揮者を)招聘するようになり、アロンドラ・デラ・パーラやケリ=リン・ウィルソンがN響を振ったりもするようになった。世界各地で堰を切ったように女性の常任指揮者が誕生しはじめ、日本でもついに昨年、沖澤のどかが京都市響の常任指揮者に就任した。
今は、都内オケなら年に1人くらいは定期演奏会に女性指揮者を呼ばないとヤバい、くらいの空気にはなってきているのではないだろうか(女性指揮者の登用は東フィルが早かった印象)。特に読売日本交響楽団はここ数年必ず女性指揮者をラインナップに入れてきていて、まあまあ意識が高い気がする。
そんななか、まだ女性が指揮者になるという夢が頭からバカにされていたような1995年という時点で、アルジェリア移民を親に持つパリ郊外育ちの女性が指揮者を志し、実際に夢をかなえ、自分のオケを持つにいたるまでを描く、爽やかな音楽映画が登場した。
じつにタイムリーな企画だと思う。
題材からわかるとおりバリバリの女性映画だが、ノリは決して押しつけがましくないし、政治的主張はたいして強くない。悪ガキは出てくるが、基本本当に悪い人間は出てこないので、気持ちよく観ることができる。
また映画としてのテンポ感が早くて飽きさせないし、その割に性急になりすぎないだけのバランス感覚もある(映画というよりは出来の良いNetflixドラマのようなノリだが)。
誰が観ても、普通に楽しめる映画だと思う。
何より、音楽が良い。
聴きやすいポピュラー名曲が次々と登場し、耳を楽しませてくれる。
しかも、リアリティがある。
クラシックを扱っている映画で、練習風景や演奏風景にウソのない作品、きちんと生の空気を伝えてくれる作品に出合うとうれしくなる。
『パリのちいさなオーケストラ』では、地道な練習風景がしっかりメインで描かれていて、そこにごまかしがないからこそ、音楽映画としてとても完成度が高い。
(そのへんは京アニの『ユーフォ』と近い感覚がある。)
パンフによれば、主要キャスト以外は全員プロの音楽家が俳優として出演して、ガチで演奏しているらしい。そりゃリアルな空気感は出せるよね。
なんか『ぼくのお日さま』で、監督がヒロインに「スケートのできる素人」を選ぶか「子役にスケートを教えるか」でさんざん悩んで、結局前者にしたという話を思い出しました。
とくに音楽学校内の派閥とか、ヒエラルキーとか、ふざけ度合いとか、それに対する真面目な生徒の反応とか、本当にこんな感じじゃないのかなと思わせるくらいのリアリティと現場感があった。
演奏についても、最初のへたっぴな感じがだんだん変化し、お互いがお互いの音を聴きあうようになって、アンサンブルが成熟していく過程がよく出ていた。
作中では特段指摘がなかったが、コンマスのブロンドの女の子が、最初あからさまに感じが悪かったのが徐々に馴染んでくる様子や、演奏でもやたら飛びだしてるうえにヴィヴラートをかけすぎてオケの音に溶け込んでいなかったのが、少しずつ「コンマスらしい」立ち居振る舞いを身に着けていくのがとても良い(ついでに可愛いし)。
他にも、「指揮の仕方で本当に音の感じが変わる」「最初の指示の出し方でアインザッツの合い方が変わる」といった差異の表現、「姉のチェロはそれだけ聴くとそこそこ上手に聞こえるが、先生が弾いたら段違いに巧くてビビる」あたりなどは、本当に上手に弾き分けられていた。
あと、「人の頭のなかでクラシック音楽が流れている」ときの音の描写が、すげえ生々しいんだよね。僕も電車の騒音のなかで脳内演奏会をよく開くが、なんとなく実際の音とクラシックが混じりながら鳴っていて、ときどきクリアに「あるべき演奏」が立ち上がる感じとかがとても巧く「音化」されている。プロの演奏家は、こうやって自分にとってベストの音を探り出していくんだろうなあ、と。
― ― ― ―
お話自体は総じて大変楽しく観られたのだが、女性指揮者としてガラスの天井を突破する手段として、いきなり「自分のオケを創設する」という方向に話が向かう点については、ちょっと違和感があった。
もちろん、仲間の技量アップも含めて学生時代からオケを設立する若手指揮者は結構いるし、西本智実や反田恭平みたいに戦略的にさくっと自分のオケを作っちゃう人もいる。前述したアロンドラ・デラ・パーラもそうだった。
ただ基本的には、指揮者の場合は、男性であっても長い下積み期間があるのが一般的だ。
たとえば日本で言えば、大半の若手は大学オケやアマチュアオケ、合唱団の指揮あたりから始めて、各地方オケのファミリーコンサート、メインオケの定期以外の演奏会の客演、地方オケの正指揮者などを経て、ようやく都内のオケの定期演奏会に定着する流れがある。その間、10年や20年はかかるもので、僕の推しの松本宗利音(しゅうりひと、本名ですw)くんなんかでも、10年近く頑張ってようやく来年に大フィルの指揮者への就任が決まったくらいである。
欧米でも、昔は歌劇場を回って下積みをする伝統があって、練習用ピアニストから始めてカペルマイスターを経て、どこかの楽団の常任指揮者になる人が多かった(今はコンクールを登竜門に世に出てくる人が多い感じがするけど)。
男性であっても、地道などさまわりを続けてちょっとずつ成り上がっていくケースが大半なのに、「女性でも指揮者になりたい」から一足飛びに「自分のオケを持たなきゃ」につながるのは、ちょっと不思議というか「いきなりそう来るの」みたいな感じがあって、そこはもう少し説明が欲しかったかも。
ひとつ面白いなというか、なんとなく生々しいなと思ったのは、作中でヒロインのザイアが、いわゆる「本格的な印象のある純音楽(長尺の交響曲とか現代曲とか)」をまったく演奏しようとしないこと(チェリビダッケの自宅での課題は除く)。
あとからパンフを見ると、曲目は「観客の心をつかむ楽曲を選ぶ」「一般向けの映画に相応しい楽曲を選ぶ」という目的で、監督が中心となって、ザイアと相談しながら決めたようだが、現在あるディベルティメント交響楽団のプログラムも「交響曲に加えてワールドミュージック、伝統音楽、ポピュラー音楽など幅広いレパートリーで年間約40のコンサートを開催している」とあって、基本はポピュラー寄りの演奏会がメインなのではないかと思われる。
なので観ている間は、「移民出身の女性指揮者」として身を立てるために、戦略的に20代でいきなり「自分のオケ」を立ち上げたザイアとしては、3大Bとかマーラーとかバルトークとか新ウィーン学派とかショスタコーヴィチをやるよりは、サン・サーンスやビゼーやラヴェルのよく知られた曲を優先して演奏したほうが良いという「戦略」があったのかもしれないなあ、とか思っていたのだった。
― ― ― ―
●主役のウーヤマ・アマムラは演技としては申し分なし。
指揮に関しては、最初いかにも僕ら素人ファンが真似してやるみたいな振りの大きな指揮をやっていたのが、専門機関で教わってコンパクトな指揮におさまっていくのはリアルだった。ただ、横振りが多いのは、プロ指揮者であまり見ないので少し気になった。あと、あれだけ左足に重心を置いて休めみたいな姿勢で指揮をする人もほとんどいない気がする。
ザイア・ジウアニ本人が付きっ切りで指導していたようだから、もしかしたら彼女自身の振り癖なのかと思ったけど、Youtubeとか見る限りでは本人は至極まっとうな指揮姿なんだよな。
●双子の妹のフェットマ(実際は一卵性なのかザイアとほぼ同じ顔をしている)役のリナ・エル・アラビは、パンフによるともともと「ヴァイオリンが弾けて、国立音楽院に通っている」女優さんらしい。演奏はすべて吹き替えなしでやっているとのこと。ヴァイオリンの素養があれば、短期間の訓練でチェロって弾けるようになるもんなんだな……。
●セルジュ・チェリビダッケは、CDこそ10枚くらいは持っているが、そこまではまって聴いたことがない。僕が演奏会に通える財力を手に入れるまでには、とっくに亡くなっていたし、彼の録音嫌いは当時からつとに有名だった。本人があれだけ気に食わない、実演以外はゴミだといっているものを、死後に出たからといって集めるのもなんだかなあ、ということで積極的に揃える気にならず、今日に至る。
とはいえ、僕の高校・大学時代は、伝説の名指揮者として喧伝され、とくにカラヤンおよびベルリン・フィルとの確執はよく知られていた。カラヤンとバーンスタインの逝去後の90年代は、まさに大巨匠の地位にあって、来日が続いたこともあって一種のブームになっていたことを思い出す。テレビの映像ではときどき来日公演の実演に触れることができて、手兵のミュンヘン・フィルを相手に座ったまま超低速で宇宙的スケールのブルックナーを振っていた。過去に知られたエピソードからすると、むしろ「女性の敵」といった印象があったので(笑)、今回の描き方はちょっと新鮮というか、多少美化されている気がする。
ただ、猛烈な毒舌家で知られ、独裁的で傲岸なパワハラ気質の人だったのは確かだが、ザイア・ジウアニ本人の体験談が間違いなく脚本に反映されている以上、プライヴェートでは「実は結構心配りの出来る良い人」だったのかもしれない。
そもそも根の部分で面倒見の良い人じゃないと、あの頻度で若者のレッスンなんか絶対しないだろうし、95年といったらもうチェリビダッケが死ぬ前年なんだよね。80代になってだいぶあれでも「良い人」に「浄化」されていたという可能性は十分ある(笑)。
●基本見やすい映画ではあるのだが、フランスの音楽教育の仕組みと、パンタンの音楽院とパリの音楽院(ラシーヌ校)と彼女がオケを創設するスタンの、系統図や位置関係がさっぱりわからないので、話がちょっと追いづらいことはたしか。
とくに地元のパンタンとオケのあるスタンは、同じ「郊外」ということで映画内であまり区別した描き方をされておらず、土地勘のないわれわれには、今出ている仲間が「どこの出身」なのか、なかなかわかりにくい。
パンフの林瑞絵さんのコラムは、そのあたりの様子をうまくまとめてくれていて、大変助かった。
●ラストの「ボレロ」は、実は午前中に『ボレロ 永遠の旋律』を観たばかりだったので、本日2回目でした(笑)。
フラッシュモブっぽい演出はたしかに感動的ではあったけど、どこかの演奏会でみんなが正装して弾いているシーンで終わるものとばかり思っていたので、えらく道半ばで終わっちゃうんだな、と。そもそも「バッカナール」ひっさげてチャレンジするはずだったコンクールってどうなったんだっけ? お金は市長から引き出せたのかな? 実は「史実」として参加できなかったから、うやむやのエンディングになっているとか?
●外で太鼓の音がして、呼び出されたら相手がいて……というのは、ついこのあいだ『ふたりのマエストロ』でもまったくおんなじ演出を観た記憶がある(他にも前例があったような)。
●総じて音楽関係のパートはよく出来ているぶん、せっかくのエンドクレジットで、あからさまな曲つぎ(本来のところではない場所で切り貼りして曲の長さを調整すること)を施してあるのはいただけないなあ、と。あそこは曲の長さに合わせてうまく編集したうえで、曲ピタで終わらせてほしかったところ。
移民一家に生まれた双子姉妹の姉。理解ある両親と妹、生まれ育った町の演奏仲間やパリで出来た仲間と一緒に、自分のオーケストラを率いて演奏する夢に向かいます。
様々な障害を乗り越えて、目標の実現に向かって頑張る姿を描いた
作品や先駆者の苦労を描いたお話を観るのが大好きです。・_・
この作品は、指揮者の中で全体の6%程度しかいないという
女性の指揮者を目指す一人の女性のお話です。
5年くらい前にも、女性指揮者の先駆けとなった女性を主人公に
した作品がありました。「レディ・マエストロ」。
2019年の作品で、1920年代のオランダでのお話でした。・_・
一方、この作品は1990年代のフランスが舞台。先駆けから70年が
過ぎてもなお、指揮者への門は女性にとって狭く、厳しい道のりの
ようです。むむ。
鑑賞開始。
ヒロインの名はザイア。17才。双子の妹がいる。
フランスのパリ近郊の町でビオラを演奏していたが、パリの音楽院
に編入してきた。アルジェリア系の移民一家。両親と双子の妹。
演奏する楽器はビオラだが、彼女には夢がある。
オーケストラの指揮者として舞台に立つことだ。
双子の妹も同じ音楽院に編入してきた。支え合う大切な仲間だ。
女性ながら指揮者を目指していること。
地方からパリの音楽院に編入してきたこと。
そんなザイアに対し、見下した視線を向ける生徒たちもいる。
臆することなく、ザイアは指揮者への道を進もうとするのだが…。
音楽院にはもう一人、指揮者を目指す若い男性が。
パリ育ちで成績優秀。取り巻きがいつもくっついていて。と、
絵に描いたような敵役的ライバル。 ・-・;
指揮者は一人いれば良い。と
コンクールの課題曲の指揮を二人で競うことになるのだが
地味な嫌がらせを受けつつ頑張るザイア。
と、観ていく内に思ったのが
「カルビス名作劇場に登場しそうなお話かも」
ということでした。もっともこの作品は実話ベースとのことなので、
小説より奇なりという所ではあります。・_・フム
そしてまた思ったことが。
登場する人別がたくさん居て覚えきれない。 ということ。@_@ヒー
オーケストラを構成出来るだけの演奏者の数が必要。なコトは
理解できるのですが、ザイアの家族や指揮者の先生等の他に
# ザイアが育った街の音楽院の仲間 …そこそこの人数
# ザイアの通うパリの音楽院の仲間 …かなりの大人数
といった仲間たちが、登場するのです。
パリの音楽院には、成績優秀なライバル(?)もいます。
そのライバルの取り巻きが何人もいます。 ヤな奴です。
最初はザイアに距離を置いている子も。まあ普通に居ます。
ザイアが行動を起こしていく内に、協力的かつ友好的な態度に
変わっていく生徒もいます。
その変化するステップが何となく見えてくると
” この子 どんな子だったっけ? ”
と、その一人の事が気になり始める訳で…。 けれども
作品鑑賞しながらではチェックのしようが無く…。 うー。
ややダイジェスト的な印象を持ったものの、ザイアの周りには
良い人がいるのだということの分かるエンディングに、最後は
納得しながら鑑賞を終えました。・_・
このお話は2時間の作品な訳ですが、登場人物の一人一人を
もう少し掘り下げて登場させられたらもっと良かったのかも。
映画では無くTVの30分番組で、1クールで放送するとか。
そんなことも考えながら鑑賞してました。 ・_・ハイ
※ けれども現在でも女性の指揮者は少ないそうですね…
◇あれこれ
■ザイアの出身地
の、地方都市の名前を忘れてしまいました…。*-*
鑑賞中、途中までは覚えていたのですが…。 んー悔しい。
パリからどれくらい離れているのかとかが分かると、もっと
合同演奏の苦労感が出たような気がしています。
■前の人の背中を譜面台代わりに
意地悪されて、演奏の練習場所から譜面台を持ち出されてしまい
困った中、一人の提案で「前に座った人の背中に譜面を張り付け
それを見ながら演奏する」ことになった場面。
なるほど、と観ていて痛快な展開でした。
(けど、前のヒトが動くと酔いそう…)
■指揮者の役割って
劇中、指導を受ける楽団員の一人がベテラン指揮者へ質問する場面。
” 指揮者って、演奏に必要なんですか? ”
ものすごいド直球な質問にびっくり。@_@; けれどこの疑問
自分も何となく感じている疑問だったので、興味津々。
余程に優秀な演奏者が揃っているなら不要かもしれないが…
と、このような意味の回答をしていたように記憶しているのですが
演奏全体のバランスを取りながら、自分の求める演奏に仕上げてい
くのが指揮者の役割。 ということなのでしょうか。
演奏の本番では、その成果を再確認しながらタクトを振っている。
とも解釈しましたが、理解というにはほど遠い気がします。
◇最後に
" 指揮するために登壇すると、孤独を感じる "
そう先生にこぽしたザイアに
” 演奏者との間に信頼関係が出来上がっていなければそうなる ”
といった意味のことを語っていました。
世の中に女性の指揮者がまだまだ少ない理由の一つにはきっと
” 女性の果たす役割では無い ” 的な意識が働いているのでしょう。
その空気がまた、信頼関係構築の障害になるという悪循環。うー
これからの美術や芸術・音楽の世界等では、男女の区別なく自分を
表現できるようになればいいな と。 そう願います。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
2024年パリ・オリンピック閉会式の女性指揮者と双子の妹チェリスト姉妹の実話 音楽の力を信じて性別、人種、階級の格差を乗り越える 本人たちの参加によるリアルな作品作り
2024年パリ・オリンピック閉会式の初の女性指揮者と、その双子の妹のチェリスト姉妹の実話
音楽の力を信じて性別、人種、階級の格差を乗り越える展開を真摯に描く。
ただの感動のサクセスストーリーではなく、どうしたら障害を克服できるか、姉妹で悩み、具体的な対策を考えながら、一歩ずつ進んでいく展開が素晴らしい。
何より、音楽を身近で楽しんでいる家族によるところが大きい。
本人たちの参加によるリアルな作品作りに好感が持てる。
まだまだ残る数々の差別・障害。
こういう映画が無くなる日はいつ来るのか。
子どもが将来なりたい職業の一つに
オーケストラの指揮者になりたいと思う子どもは現代でもいるのでしょうか。
韓国映画の「 春が来れば」で、音楽の先生として雇われたチェ・ミンシクが廃部寸前の吹奏楽部で、男子中学生達を指導しているシーンは微笑ましくて、今でもたまにDVDを見返しています。
映画に出てくる指揮者ってのは、ベテランが多くて難しい事を難なくやっているが、この映画は指揮者としては未熟な若い女の子が主役で、しかも実話だという事が珍しかったので鑑賞。
新人の指揮者とはいえ、音楽的教養はあるから難しい専門用語を喋っているんたけど、俺みたいな音楽素人には何を喋っているのかちんぷんかんぷん。
で、指導してくれるお爺ちゃん先生がいるんだけど、指揮をしている時の駄目だしが容赦なくて、1回目、2回目、3回目と指揮をしても、駄目だ、全く駄目だと言って、もう何が正解なのか分からなくなった主人公が可哀想で、可哀想で。
森本レオの演技指導かよ?
と思った。でも、お爺ちゃんは紳士なので、この後に主人公の女の子を襲ったりはしない。
何だ、かんだあって、主人公は認められるけど何が変わったのか見分けがつかない。これは音楽の教養があると分かるのでしょうか。
まぁ、ネタバレって表示ボタンを出しているから、ネタバレしやがって!って怒る人はいないだろうけど、
フラッシュモブの如く、作曲家ラヴェルの「 ボレロ」 を演奏するシーンはお見事!やっぱ、いい曲だよなー?ボレロは!
世界中で15分に一回、どこかで「 ボレロ」 が流れているだけの事はありますな。
映画「 ボレロ 永遠の旋律」 を見た人、清塚信也のコンサートは高くていけないクラシック好きな人にお勧めです。
映画『ボレロ 永遠の旋律』を合わせ見ると、ザイアの音楽哲学がより良く理解できる
2024.9.25 字幕 アップリンク京都
2022年のフランス映画(114分、PG12)
実在の指揮者、ザイア・ジウアニが楽団を結成する様子を描いた伝記映画
監督&脚本はマリー=カスティーユ・マンシヨン=シャール
原題の『Divertimento』は、劇中でザイアが結成する楽団の名前で、「嬉遊曲」という意味
物語の舞台は、1985年のフランス・パンタン
アブデルマジド(Zinedine Soualem)と妻のリラ(Nadia Kaci)は、双子の女の子を授かり、二人は7歳になっていた
ある夜のこと、クラシックのビデオを観ていた両親にもとに、長女のザイア(Lorena Kaidi、17歳時:ウーヤラ・アマムラ)が起きてきた
ザイアは指揮者の真似事を始め、父は温かい目で見守っていた
それから10年後、ザイアと妹のフェットゥマ(リナ・エル・アラビ)は、地元スタンの音楽院に通い、最終学年にて、パリの名門ラシーヌ音楽院への編入が認められた
友人たちと別れを告げてパリに向かった二人だったが、その音楽院は金持ちの子息が集まっているところで、アルジェリア移民の田舎者は冷遇されてしまう
音楽院のモルチェリー先生(Laurence Pierre)は彼女たちの実力を認めていて、ザイアが指揮者になりたいという目標を持っていたことも知っていた
そこで先生は、来たるコンクールに向けて、エリート院生のランバート(Louis-Damien Kapfer)と楽曲を分け合って参加するように促した
当時のフランスには女性指揮者と呼ばれる人はおらず、ランバートやその友人たちは「女をマエストロとは呼べない」と揶揄する
そうして、練習をボイコットするなどの行為に及び、モンチェリー先生は強く嗜めることになった
ある日、授業の一環でセルジュ・チェリビダッケ(ニエル・アレストリュプ)の講義に参加した院生たちは、そこで彼の指揮者哲学というものを学ぶことになった
ヴィクター(Victor Burgard)は「指揮者の存在理由」を質問し、ランバートは「録音を避ける理由」を訊く
そんな中、ザイアは「作曲家と話せないのに、どうやって音楽の本質を知るのか?」と尋ねた
さらに「指揮者を目指している」と告げるものの、チェリビダッケは「女性に指揮者は向いていない」と一蹴した
映画は、スタン音楽院、ラシーヌ音楽院、ワークショップによる生徒への指導などの多忙を極める中で、さらにチェリビダッケの指導が重なっていく
それらを着実にこなしながら、技術を高めていくものの、一向に「指揮者は孤独である」と感じていた
チェリビダッケは「孤独と感じている間は楽団と一体になれていないが、それを成しえた時には奇跡が起こる」と励ます
この言葉が後半の楽団の野外コンサートにつながるのだが、この言葉以外にも随所に指揮者哲学というものが登場する
その言葉ひとつひとつが大切なもので、それを吸収し、体現していくザイアが描かれていく
また、彼女は自然音のリズムに合わせてタクトを振る癖があって、その習慣が彼女を絶望の淵から救うことにもなる
ワークショップの教室で偶然出会ったディラン(Martin Chapoutot)とその父(Zbigniew Jankowski)とのエピソードなども胸熱で、親子関係に悩みながらも、その愛を感じていくシーンも感動的だった
本作では、主要なキャストも含めて、ほとんどが現役の音楽家であり、それぞれが自身のパートを実際に演奏している
だが、ザイア役のウーヤラ・アマムラは音楽未経験者で、フェットゥマ役のリナ・エル・アラビは元々はヴァイオリニストだった
二人には本物のザイアとフェットゥマが指導にあたり、彼女たちのシーンも実演となっている
このあたりのこだわりが凄まじく、音楽映画としての質を高めていると言えるだろう
いずれにせよ、本作にはモーリス・ラヴェルの「ボレロ」が登場するのだが、この「ボレロ誕生譚」を描いた『ボレロ 永遠の旋律』とリンクする部分が多い
ザイアが自然音に生活のリズムや人生を感じるのと同じで、ラヴェルも「ボレロ」は日常に響き渡る生活の音(映画では工場の規則的な音)がベースになっていると言っていた
この2作の親和性はとても高いので、もし『ボレロ 永遠の旋律』をまだ観ていない人がいたら、合わせて鑑賞することをオススメしたい
どうなるか?想像はつきますが、主人公が栄光を掴むには、紆余曲折が。。。
実話を参考にしているということで、どうなるか?想像はつく所はありますが。。。それを加味しても、成功を勝ちとるまでの紆余曲折は観てて、感動🥺泣かずにはいられません🥲
指揮者という仕事が、どれだけ繊細で大変かわかりました。指揮の上げ、下げひとつにも、どれだけのこだわりがあるのかわかりました。しかも、女性指揮者は世界でわずか6%しかいないのに、紆余曲折を乗り越えて女性指揮者として成功する❗️素晴らしい✨アッパレ👑
最後のオーケストラの演奏「ボレロ」めちゃくちゃ感動しました🥺
全6件を表示