「メインキャスト以外、出演者は全員プロの演奏家! リアル感が心地いい爽やかな音楽映画。」パリのちいさなオーケストラ じゃいさんの映画レビュー(感想・評価)
メインキャスト以外、出演者は全員プロの演奏家! リアル感が心地いい爽やかな音楽映画。
最近、女性指揮者がぐっと増えた印象がある。
あるいは、本当はもとから結構いたのだが、メインオケを振る機会が増えてきたのかもしれない。昔は本当にシモーネ・ヤングくらいしかいなくて、それからマリン・オルソップが出てきて、あとは現代音楽の演奏会とかの映像で見るくらいだった。当時はYouTubeもなかったし、来日する人は稀だったから、滅多に女性指揮者を見ることはなかったのだ。
その後、日本で西本智実が出てきた時期に1ブーストかかり、三ツ橋敬子が出てきた時期にさらに1ブーストかかった印象。
ここ10年くらいは、どの日本のオケも積極的に(おもに若い美人指揮者を)招聘するようになり、アロンドラ・デラ・パーラやケリ=リン・ウィルソンがN響を振ったりもするようになった。世界各地で堰を切ったように女性の常任指揮者が誕生しはじめ、日本でもついに昨年、沖澤のどかが京都市響の常任指揮者に就任した。
今は、都内オケなら年に1人くらいは定期演奏会に女性指揮者を呼ばないとヤバい、くらいの空気にはなってきているのではないだろうか(女性指揮者の登用は東フィルが早かった印象)。特に読売日本交響楽団はここ数年必ず女性指揮者をラインナップに入れてきていて、まあまあ意識が高い気がする。
そんななか、まだ女性が指揮者になるという夢が頭からバカにされていたような1995年という時点で、アルジェリア移民を親に持つパリ郊外育ちの女性が指揮者を志し、実際に夢をかなえ、自分のオケを持つにいたるまでを描く、爽やかな音楽映画が登場した。
じつにタイムリーな企画だと思う。
題材からわかるとおりバリバリの女性映画だが、ノリは決して押しつけがましくないし、政治的主張はたいして強くない。悪ガキは出てくるが、基本本当に悪い人間は出てこないので、気持ちよく観ることができる。
また映画としてのテンポ感が早くて飽きさせないし、その割に性急になりすぎないだけのバランス感覚もある(映画というよりは出来の良いNetflixドラマのようなノリだが)。
誰が観ても、普通に楽しめる映画だと思う。
何より、音楽が良い。
聴きやすいポピュラー名曲が次々と登場し、耳を楽しませてくれる。
しかも、リアリティがある。
クラシックを扱っている映画で、練習風景や演奏風景にウソのない作品、きちんと生の空気を伝えてくれる作品に出合うとうれしくなる。
『パリのちいさなオーケストラ』では、地道な練習風景がしっかりメインで描かれていて、そこにごまかしがないからこそ、音楽映画としてとても完成度が高い。
(そのへんは京アニの『ユーフォ』と近い感覚がある。)
パンフによれば、主要キャスト以外は全員プロの音楽家が俳優として出演して、ガチで演奏しているらしい。そりゃリアルな空気感は出せるよね。
なんか『ぼくのお日さま』で、監督がヒロインに「スケートのできる素人」を選ぶか「子役にスケートを教えるか」でさんざん悩んで、結局前者にしたという話を思い出しました。
とくに音楽学校内の派閥とか、ヒエラルキーとか、ふざけ度合いとか、それに対する真面目な生徒の反応とか、本当にこんな感じじゃないのかなと思わせるくらいのリアリティと現場感があった。
演奏についても、最初のへたっぴな感じがだんだん変化し、お互いがお互いの音を聴きあうようになって、アンサンブルが成熟していく過程がよく出ていた。
作中では特段指摘がなかったが、コンマスのブロンドの女の子が、最初あからさまに感じが悪かったのが徐々に馴染んでくる様子や、演奏でもやたら飛びだしてるうえにヴィヴラートをかけすぎてオケの音に溶け込んでいなかったのが、少しずつ「コンマスらしい」立ち居振る舞いを身に着けていくのがとても良い(ついでに可愛いし)。
他にも、「指揮の仕方で本当に音の感じが変わる」「最初の指示の出し方でアインザッツの合い方が変わる」といった差異の表現、「姉のチェロはそれだけ聴くとそこそこ上手に聞こえるが、先生が弾いたら段違いに巧くてビビる」あたりなどは、本当に上手に弾き分けられていた。
あと、「人の頭のなかでクラシック音楽が流れている」ときの音の描写が、すげえ生々しいんだよね。僕も電車の騒音のなかで脳内演奏会をよく開くが、なんとなく実際の音とクラシックが混じりながら鳴っていて、ときどきクリアに「あるべき演奏」が立ち上がる感じとかがとても巧く「音化」されている。プロの演奏家は、こうやって自分にとってベストの音を探り出していくんだろうなあ、と。
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お話自体は総じて大変楽しく観られたのだが、女性指揮者としてガラスの天井を突破する手段として、いきなり「自分のオケを創設する」という方向に話が向かう点については、ちょっと違和感があった。
もちろん、仲間の技量アップも含めて学生時代からオケを設立する若手指揮者は結構いるし、西本智実や反田恭平みたいに戦略的にさくっと自分のオケを作っちゃう人もいる。前述したアロンドラ・デラ・パーラもそうだった。
ただ基本的には、指揮者の場合は、男性であっても長い下積み期間があるのが一般的だ。
たとえば日本で言えば、大半の若手は大学オケやアマチュアオケ、合唱団の指揮あたりから始めて、各地方オケのファミリーコンサート、メインオケの定期以外の演奏会の客演、地方オケの正指揮者などを経て、ようやく都内のオケの定期演奏会に定着する流れがある。その間、10年や20年はかかるもので、僕の推しの松本宗利音(しゅうりひと、本名ですw)くんなんかでも、10年近く頑張ってようやく来年に大フィルの指揮者への就任が決まったくらいである。
欧米でも、昔は歌劇場を回って下積みをする伝統があって、練習用ピアニストから始めてカペルマイスターを経て、どこかの楽団の常任指揮者になる人が多かった(今はコンクールを登竜門に世に出てくる人が多い感じがするけど)。
男性であっても、地道などさまわりを続けてちょっとずつ成り上がっていくケースが大半なのに、「女性でも指揮者になりたい」から一足飛びに「自分のオケを持たなきゃ」につながるのは、ちょっと不思議というか「いきなりそう来るの」みたいな感じがあって、そこはもう少し説明が欲しかったかも。
ひとつ面白いなというか、なんとなく生々しいなと思ったのは、作中でヒロインのザイアが、いわゆる「本格的な印象のある純音楽(長尺の交響曲とか現代曲とか)」をまったく演奏しようとしないこと(チェリビダッケの自宅での課題は除く)。
あとからパンフを見ると、曲目は「観客の心をつかむ楽曲を選ぶ」「一般向けの映画に相応しい楽曲を選ぶ」という目的で、監督が中心となって、ザイアと相談しながら決めたようだが、現在あるディベルティメント交響楽団のプログラムも「交響曲に加えてワールドミュージック、伝統音楽、ポピュラー音楽など幅広いレパートリーで年間約40のコンサートを開催している」とあって、基本はポピュラー寄りの演奏会がメインなのではないかと思われる。
なので観ている間は、「移民出身の女性指揮者」として身を立てるために、戦略的に20代でいきなり「自分のオケ」を立ち上げたザイアとしては、3大Bとかマーラーとかバルトークとか新ウィーン学派とかショスタコーヴィチをやるよりは、サン・サーンスやビゼーやラヴェルのよく知られた曲を優先して演奏したほうが良いという「戦略」があったのかもしれないなあ、とか思っていたのだった。
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●主役のウーヤマ・アマムラは演技としては申し分なし。
指揮に関しては、最初いかにも僕ら素人ファンが真似してやるみたいな振りの大きな指揮をやっていたのが、専門機関で教わってコンパクトな指揮におさまっていくのはリアルだった。ただ、横振りが多いのは、プロ指揮者であまり見ないので少し気になった。あと、あれだけ左足に重心を置いて休めみたいな姿勢で指揮をする人もほとんどいない気がする。
ザイア・ジウアニ本人が付きっ切りで指導していたようだから、もしかしたら彼女自身の振り癖なのかと思ったけど、Youtubeとか見る限りでは本人は至極まっとうな指揮姿なんだよな。
●双子の妹のフェットマ(実際は一卵性なのかザイアとほぼ同じ顔をしている)役のリナ・エル・アラビは、パンフによるともともと「ヴァイオリンが弾けて、国立音楽院に通っている」女優さんらしい。演奏はすべて吹き替えなしでやっているとのこと。ヴァイオリンの素養があれば、短期間の訓練でチェロって弾けるようになるもんなんだな……。
●セルジュ・チェリビダッケは、CDこそ10枚くらいは持っているが、そこまではまって聴いたことがない。僕が演奏会に通える財力を手に入れるまでには、とっくに亡くなっていたし、彼の録音嫌いは当時からつとに有名だった。本人があれだけ気に食わない、実演以外はゴミだといっているものを、死後に出たからといって集めるのもなんだかなあ、ということで積極的に揃える気にならず、今日に至る。
とはいえ、僕の高校・大学時代は、伝説の名指揮者として喧伝され、とくにカラヤンおよびベルリン・フィルとの確執はよく知られていた。カラヤンとバーンスタインの逝去後の90年代は、まさに大巨匠の地位にあって、来日が続いたこともあって一種のブームになっていたことを思い出す。テレビの映像ではときどき来日公演の実演に触れることができて、手兵のミュンヘン・フィルを相手に座ったまま超低速で宇宙的スケールのブルックナーを振っていた。過去に知られたエピソードからすると、むしろ「女性の敵」といった印象があったので(笑)、今回の描き方はちょっと新鮮というか、多少美化されている気がする。
ただ、猛烈な毒舌家で知られ、独裁的で傲岸なパワハラ気質の人だったのは確かだが、ザイア・ジウアニ本人の体験談が間違いなく脚本に反映されている以上、プライヴェートでは「実は結構心配りの出来る良い人」だったのかもしれない。
そもそも根の部分で面倒見の良い人じゃないと、あの頻度で若者のレッスンなんか絶対しないだろうし、95年といったらもうチェリビダッケが死ぬ前年なんだよね。80代になってだいぶあれでも「良い人」に「浄化」されていたという可能性は十分ある(笑)。
●基本見やすい映画ではあるのだが、フランスの音楽教育の仕組みと、パンタンの音楽院とパリの音楽院(ラシーヌ校)と彼女がオケを創設するスタンの、系統図や位置関係がさっぱりわからないので、話がちょっと追いづらいことはたしか。
とくに地元のパンタンとオケのあるスタンは、同じ「郊外」ということで映画内であまり区別した描き方をされておらず、土地勘のないわれわれには、今出ている仲間が「どこの出身」なのか、なかなかわかりにくい。
パンフの林瑞絵さんのコラムは、そのあたりの様子をうまくまとめてくれていて、大変助かった。
●ラストの「ボレロ」は、実は午前中に『ボレロ 永遠の旋律』を観たばかりだったので、本日2回目でした(笑)。
フラッシュモブっぽい演出はたしかに感動的ではあったけど、どこかの演奏会でみんなが正装して弾いているシーンで終わるものとばかり思っていたので、えらく道半ばで終わっちゃうんだな、と。そもそも「バッカナール」ひっさげてチャレンジするはずだったコンクールってどうなったんだっけ? お金は市長から引き出せたのかな? 実は「史実」として参加できなかったから、うやむやのエンディングになっているとか?
●外で太鼓の音がして、呼び出されたら相手がいて……というのは、ついこのあいだ『ふたりのマエストロ』でもまったくおんなじ演出を観た記憶がある(他にも前例があったような)。
●総じて音楽関係のパートはよく出来ているぶん、せっかくのエンドクレジットで、あからさまな曲つぎ(本来のところではない場所で切り貼りして曲の長さを調整すること)を施してあるのはいただけないなあ、と。あそこは曲の長さに合わせてうまく編集したうえで、曲ピタで終わらせてほしかったところ。