「映画『ボレロ 永遠の旋律』を合わせ見ると、ザイアの音楽哲学がより良く理解できる」パリのちいさなオーケストラ Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
映画『ボレロ 永遠の旋律』を合わせ見ると、ザイアの音楽哲学がより良く理解できる
2024.9.25 字幕 アップリンク京都
2022年のフランス映画(114分、PG12)
実在の指揮者、ザイア・ジウアニが楽団を結成する様子を描いた伝記映画
監督&脚本はマリー=カスティーユ・マンシヨン=シャール
原題の『Divertimento』は、劇中でザイアが結成する楽団の名前で、「嬉遊曲」という意味
物語の舞台は、1985年のフランス・パンタン
アブデルマジド(Zinedine Soualem)と妻のリラ(Nadia Kaci)は、双子の女の子を授かり、二人は7歳になっていた
ある夜のこと、クラシックのビデオを観ていた両親にもとに、長女のザイア(Lorena Kaidi、17歳時:ウーヤラ・アマムラ)が起きてきた
ザイアは指揮者の真似事を始め、父は温かい目で見守っていた
それから10年後、ザイアと妹のフェットゥマ(リナ・エル・アラビ)は、地元スタンの音楽院に通い、最終学年にて、パリの名門ラシーヌ音楽院への編入が認められた
友人たちと別れを告げてパリに向かった二人だったが、その音楽院は金持ちの子息が集まっているところで、アルジェリア移民の田舎者は冷遇されてしまう
音楽院のモルチェリー先生(Laurence Pierre)は彼女たちの実力を認めていて、ザイアが指揮者になりたいという目標を持っていたことも知っていた
そこで先生は、来たるコンクールに向けて、エリート院生のランバート(Louis-Damien Kapfer)と楽曲を分け合って参加するように促した
当時のフランスには女性指揮者と呼ばれる人はおらず、ランバートやその友人たちは「女をマエストロとは呼べない」と揶揄する
そうして、練習をボイコットするなどの行為に及び、モンチェリー先生は強く嗜めることになった
ある日、授業の一環でセルジュ・チェリビダッケ(ニエル・アレストリュプ)の講義に参加した院生たちは、そこで彼の指揮者哲学というものを学ぶことになった
ヴィクター(Victor Burgard)は「指揮者の存在理由」を質問し、ランバートは「録音を避ける理由」を訊く
そんな中、ザイアは「作曲家と話せないのに、どうやって音楽の本質を知るのか?」と尋ねた
さらに「指揮者を目指している」と告げるものの、チェリビダッケは「女性に指揮者は向いていない」と一蹴した
映画は、スタン音楽院、ラシーヌ音楽院、ワークショップによる生徒への指導などの多忙を極める中で、さらにチェリビダッケの指導が重なっていく
それらを着実にこなしながら、技術を高めていくものの、一向に「指揮者は孤独である」と感じていた
チェリビダッケは「孤独と感じている間は楽団と一体になれていないが、それを成しえた時には奇跡が起こる」と励ます
この言葉が後半の楽団の野外コンサートにつながるのだが、この言葉以外にも随所に指揮者哲学というものが登場する
その言葉ひとつひとつが大切なもので、それを吸収し、体現していくザイアが描かれていく
また、彼女は自然音のリズムに合わせてタクトを振る癖があって、その習慣が彼女を絶望の淵から救うことにもなる
ワークショップの教室で偶然出会ったディラン(Martin Chapoutot)とその父(Zbigniew Jankowski)とのエピソードなども胸熱で、親子関係に悩みながらも、その愛を感じていくシーンも感動的だった
本作では、主要なキャストも含めて、ほとんどが現役の音楽家であり、それぞれが自身のパートを実際に演奏している
だが、ザイア役のウーヤラ・アマムラは音楽未経験者で、フェットゥマ役のリナ・エル・アラビは元々はヴァイオリニストだった
二人には本物のザイアとフェットゥマが指導にあたり、彼女たちのシーンも実演となっている
このあたりのこだわりが凄まじく、音楽映画としての質を高めていると言えるだろう
いずれにせよ、本作にはモーリス・ラヴェルの「ボレロ」が登場するのだが、この「ボレロ誕生譚」を描いた『ボレロ 永遠の旋律』とリンクする部分が多い
ザイアが自然音に生活のリズムや人生を感じるのと同じで、ラヴェルも「ボレロ」は日常に響き渡る生活の音(映画では工場の規則的な音)がベースになっていると言っていた
この2作の親和性はとても高いので、もし『ボレロ 永遠の旋律』をまだ観ていない人がいたら、合わせて鑑賞することをオススメしたい