パリのちいさなオーケストラのレビュー・感想・評価
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指揮という役割の興味深さを丁寧に伝えようとする姿勢に好感。社会派メッセージの配分もいい
そもそもプロになるのが簡単ではない指揮者、そのうち女性は世界で6%にすぎず、しかも1990年代のパリでアルジェリア系フランス人の少女がそれを目指すというのだから、二重三重の壁があったことは想像に難くない。今年8月のパリ五輪閉会式でもディヴェルティメント交響楽団を引き連れて演奏するなど現在も活躍中の指揮者ザイア・ジウアニの半生を描く本作は、予想されるように度重なる偏見と差別に屈することなく、自らの才能と努力と強い意志によって夢を実現させるストーリー。当然、昨今の多様性尊重に共鳴する社会派のメッセージも込められているが、そうした主張を出し過ぎることなく、指揮という役割の興味深いポイントを初心者にもわかりやすく伝えることをはじめ、音楽の楽しさをきちんと味わえる映画になっていることが好ましい。 世界的指揮者セルジュ・チェリビダッケに見出され、彼に師事するあたりから道が開けていく。2人が出会った特別授業での問答も示唆に富み(「なぜ指揮者は必要なのか」への回答など)、チェリビダッケがザイアを指導する言葉の中にはクラシックマニア以外にも指揮の難しさや面白さをうかがい知ることのできるポイントがいくつもある。 脚本も担ったマリー=カスティーユ・マンシヨン=シャール監督は、ザイアが耳にする生活音(母親が調理の時に立てる音や、電車内でのレールのノイズなど)を音楽にシンクロさせることで、彼女のリズム感覚を観客に共有させてくれる。ザイアがクラシックに出会ったのがテレビで放送された「ボレロ」で、この曲がラストでフラッシュモブ風の演出で再び演奏される。同曲の作曲家ラヴェルはフランスを代表する音楽家の一人だし、映画で定番のブックエンド構造にもなっているのだけれど、2年前に日本公開された「クレッシェンド 音楽の架け橋」でも似たようなラストの「ボレロ」演奏があったばかりで、既視感のあるエンディングが少しもったいないと感じた。
「パリ郊外」の意味
パリ郊外の貧しい土地に暮らし x アルジェリア系移民であり x 女性であるという幾つものハンデを背負いながら男の世界である指揮者をパリで目指す実在の女性を描いた物語です。 彼女が苦しい立場に立たされると、地域の人々、同じ境遇の女性達、音楽仲間が背中を押してくれるというのはお決まりの展開ではあるのですが、やっぱりジーンと来てしまうのは音楽が持つ推進力のせいなのでしょう。 ただ、僕も近年のフランス映画数作を通じてパリ郊外という設定が移民の街の記号となっている事を知り、本作で何度も出て来る「スタン」という地名の意味も理解できましたが、それが分かっていないと彼女が今どこに居るのか分からなくなってしまうのではないかしら。
移民一家に生まれた双子姉妹の姉。理解ある両親と妹、生まれ育った町の演奏仲間やパリで出来た仲間と一緒に、自分のオーケストラを率いて演奏する夢に向かいます。
様々な障害を乗り越えて、目標の実現に向かって頑張る姿を描いた
作品や先駆者の苦労を描いたお話を観るのが大好きです。・_・
この作品は、指揮者の中で全体の6%程度しかいないという
女性の指揮者を目指す一人の女性のお話です。
5年くらい前にも、女性指揮者の先駆けとなった女性を主人公に
した作品がありました。「レディ・マエストロ」。
2019年の作品で、1920年代のオランダでのお話でした。・_・
一方、この作品は1990年代のフランスが舞台。先駆けから70年が
過ぎてもなお、指揮者への門は女性にとって狭く、厳しい道のりの
ようです。むむ。
鑑賞開始。
ヒロインの名はザイア。17才。双子の妹がいる。
フランスのパリ近郊の町でビオラを演奏していたが、パリの音楽院
に編入してきた。アルジェリア系の移民一家。両親と双子の妹。
演奏する楽器はビオラだが、彼女には夢がある。
オーケストラの指揮者として舞台に立つことだ。
双子の妹も同じ音楽院に編入してきた。支え合う大切な仲間だ。
女性ながら指揮者を目指していること。
地方からパリの音楽院に編入してきたこと。
そんなザイアに対し、見下した視線を向ける生徒たちもいる。
臆することなく、ザイアは指揮者への道を進もうとするのだが…。
音楽院にはもう一人、指揮者を目指す若い男性が。
パリ育ちで成績優秀。取り巻きがいつもくっついていて。と、
絵に描いたような敵役的ライバル。 ・-・;
指揮者は一人いれば良い。と
コンクールの課題曲の指揮を二人で競うことになるのだが
地味な嫌がらせを受けつつ頑張るザイア。
と、観ていく内に思ったのが
「カルビス名作劇場に登場しそうなお話かも」
ということでした。もっともこの作品は実話ベースとのことなので、
小説より奇なりという所ではあります。・_・フム
そしてまた思ったことが。
登場する人別がたくさん居て覚えきれない。 ということ。@_@ヒー
オーケストラを構成出来るだけの演奏者の数が必要。なコトは
理解できるのですが、ザイアの家族や指揮者の先生等の他に
# ザイアが育った街の音楽院の仲間 …そこそこの人数
# ザイアの通うパリの音楽院の仲間 …かなりの大人数
といった仲間たちが、登場するのです。
パリの音楽院には、成績優秀なライバル(?)もいます。
そのライバルの取り巻きが何人もいます。 ヤな奴です。
最初はザイアに距離を置いている子も。まあ普通に居ます。
ザイアが行動を起こしていく内に、協力的かつ友好的な態度に
変わっていく生徒もいます。
その変化するステップが何となく見えてくると
” この子 どんな子だったっけ? ”
と、その一人の事が気になり始める訳で…。 けれども
作品鑑賞しながらではチェックのしようが無く…。 うー。
ややダイジェスト的な印象を持ったものの、ザイアの周りには
良い人がいるのだということの分かるエンディングに、最後は
納得しながら鑑賞を終えました。・_・
このお話は2時間の作品な訳ですが、登場人物の一人一人を
もう少し掘り下げて登場させられたらもっと良かったのかも。
映画では無くTVの30分番組で、1クールで放送するとか。
そんなことも考えながら鑑賞してました。 ・_・ハイ
※ けれども現在でも女性の指揮者は少ないそうですね…
◇あれこれ
■ザイアの出身地
の、地方都市の名前を忘れてしまいました…。*-*
鑑賞中、途中までは覚えていたのですが…。 んー悔しい。
パリからどれくらい離れているのかとかが分かると、もっと
合同演奏の苦労感が出たような気がしています。
■前の人の背中を譜面台代わりに
意地悪されて、演奏の練習場所から譜面台を持ち出されてしまい
困った中、一人の提案で「前に座った人の背中に譜面を張り付け
それを見ながら演奏する」ことになった場面。
なるほど、と観ていて痛快な展開でした。
(けど、前のヒトが動くと酔いそう…)
■指揮者の役割って
劇中、指導を受ける楽団員の一人がベテラン指揮者へ質問する場面。
” 指揮者って、演奏に必要なんですか? ”
ものすごいド直球な質問にびっくり。@_@; けれどこの疑問
自分も何となく感じている疑問だったので、興味津々。
余程に優秀な演奏者が揃っているなら不要かもしれないが…
と、このような意味の回答をしていたように記憶しているのですが
演奏全体のバランスを取りながら、自分の求める演奏に仕上げてい
くのが指揮者の役割。 ということなのでしょうか。
演奏の本番では、その成果を再確認しながらタクトを振っている。
とも解釈しましたが、理解というにはほど遠い気がします。
◇最後に
" 指揮するために登壇すると、孤独を感じる "
そう先生にこぽしたザイアに
” 演奏者との間に信頼関係が出来上がっていなければそうなる ”
といった意味のことを語っていました。
世の中に女性の指揮者がまだまだ少ない理由の一つにはきっと
” 女性の果たす役割では無い ” 的な意識が働いているのでしょう。
その空気がまた、信頼関係構築の障害になるという悪循環。うー
これからの美術や芸術・音楽の世界等では、男女の区別なく自分を
表現できるようになればいいな と。 そう願います。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
ちいさくとも大きな感動と共感がそこに
素敵な演奏が彩るいい映画を見ました! 旧時代の価値観、性差や人種などの大きな壁と闘うザイアの成功に心からエールを送ります! ボレロの旋律が大団円を演出するラストシーンがまたステキでした‼︎
観ていて気持ちの良い映画だった。がしかし、深みは無い。
クラッシック音楽も好きな私には、楽しい映画だった。まさか、チェリビダッケが指揮の先生として、出てくるとは思わなかった。 毀誉褒貶の激しい指揮者で、日本ではある時期まで、幻の指揮者と言われていた。女性指揮者として、困難はあっても認められていく過程は楽しかった。 それ以上に、私を喜ばせたのはチェリビダッケの指導法や音楽に対する考えだった。トスカニーニが作る音楽を認めていないことや、楽団員を集中させる音楽作り等面白かった。チェリビダッケが初来日し、読売日本交響楽団を指揮したことを記憶している。クラッシック音楽に嗜んていない方でも、楽しめる映画になっている。
指揮者と奏者が一体になることで奇跡が起きる
主人公の姉妹の真摯に音楽に向かい合う姿に感銘をおぼえました。 人種差別が甚だしいパリにおいても、めげずに音楽をやり続ける軸をぶらさない姉妹と 支える家族も素晴らしいなと思います。 指揮者としてチェリビダッケ先生に見出されるザイアの表情で その時々における感情、悩みなどがわかるという演技にグッときましたし、 指揮をしているときのキビキビした動きも素晴らしかったです。 私にとって、チェリビダッケ先生による 指揮者と奏者が一体になることで奇跡が起きるというセリフが最も刺さり、 これは音楽、オーケストラに限ったことではなく、日常生活においての コミュニケーションのあり方を説いているようにも思え、 特に仕事では部署間(内でもですが)が一体にならないと、良い演奏(仕事)はできないのは 明らか。といった学びがありました。 終始奏でられる音楽にも癒されましたし、 観てよかったです。
恍惚でも自己陶酔でもない。優しくあたたかい、皆に開かれたボレロ
実話とは!チェリビダッケとあったから実話に基づいているのかな程度にしか思っていなかったので驚いた。双子の姉妹に音楽を習わせる父親、苦労もあったろうに素晴らしい。姉妹で励まし合い練習して、自分達と同じ境遇の仲間がいる音楽院があって、そしてマエストロに出会ったのはひとえにザイア姉妹の努力と音楽愛と才能だ。最低でも一日3時間の練習を毎日毎日、加えて指揮者は譜面の勉強と暗記が欠かせない。どんな人がこんな職業につけるんだろう? チェリビダッケの言葉の一つ一つが本当に彼が言いそうなもので彼の外見含めて似ていて説得力があった。音楽愛の環境もなく才能もなく努力が続かない自分にとっては、色んな過去を思い出して悲しい気持ちでいっぱいになってしまって少し辛かった。 クラシック音楽はゆっくり解放されてきていても、日本の伝統音楽では女性はいまだに排除され過ぎている。目が見慣れていないだけだと思う。映画「TAR」でもあったように、コンクールもオーディションも姿を隠してやるようにして少しでもオープンに風通しよくしてほしい。 おまけ 熊本のミニシアター"Denkikan"で見た。こんないいミニシアターがあるのが羨ましい。映画が終わって客電がつくまでの間合いと灯りが完全につくまでのディマーの調整が好みで完璧だった。働いている人(素敵なワンピースを着てらした)との挨拶コミュニケーションもあった。シネコンはどこも同じ作りでベルトコンベアーみたいで味気がないと気がついた。
クラッシック界の差別を告白しつつ、音楽の本質を問いかけてくれる感動作でした。しかも名曲で一杯に。
パリの名門音楽院への編入を認められたアルジェリア系移民の少女が指揮者への夢に挑む姿を、世界的指揮者チェリビダッケに師事して自らオーケストラを立ち上げたザイア・ジウアニの実話を基に描いたヒューマンドラマ。 若い世代の人たちが、エネルギーや希望を失わずに、自分のやりたいことに向かっていく姿が描かれます。 ●ストーリー 1995年、パリ近郊の音楽院でビオラを学ぶザイア(ウーヤラ・アマムラ)とフェツトゥマ(リナ・エル・アラビ)の双子の姉妹は、パリ市内の名門音楽院に最終学年で編入を認められます。ザイアは指揮者になりたいという夢を持ち、フェツトゥマはチェロの演奏を続けます。しかし女性指揮者は世界でわずか6%しかいないという困難な道のりで、クラスには同じく指揮者志望のエリート、ランベールもいました。高級楽器を持つ名家の生徒たちに囲まれるなか、ランベールの仲間たちからは田舎者と見下され、指揮の練習の授業では指揮台に立っても真面目に演奏してもらず、練習になりません。でも音楽家として共感する生徒も多かったのです。 やがて彼女は特別授業に来た世界的指揮者セルジュ・チェリビダッケ(ニエル・アレストリュプ)に気に入られて指導を受けることになり、道がわずかにひらき始めます。そしてザイアは自分たちのオケを作るという大きな夢を掲げるのでした。 ●解説 本作は現在も精力的に活躍の場を広げて現在年間約40のコンサートを開くディヴェルティメント・オーケストラを立ち上げた一人の少女と仲間たちの物語です。指揮者を目指すアルジェリア系のザイア・ジウアニが、パリの音楽院への編入をきっかけに、巨匠セルジュ・チェリビダッケに指導を受け、時に厳しく時に温かく対話を重ね、音楽を学びます。 主要キャスト以外の配役は現役音楽家を抜擢。数々の美しい有名クラシック音楽が、実際に演奏しながら撮影され、ライブ感溢れている映像となっています。 2人を演じたのはプロの俳優で、ザイア役のアマムラはクラシック音楽の素養はほとんどありませんでした。ただし、ダンスの経験があったので、リズム感がよかったのです。なので撮影が進むうちに、指揮がどんどんうまくなっていく過程は、ザイアの成長を追体験するかのようだったそうです。撮影ではザイア本人がつきっきりで、「技術的な面よりリズムに乗って音楽と一体化しなさい」と指導したそうです。 それにしても本作で語られるクラッシック界での女性への差別や偏見は凄まじいものを感じました。何しろザイアの才能を認めたチェリビダッケですら、女性には根気がなく指揮者には不向きだというのが持論だったぐらいです。 「姉妹が受けた差別の描写に創作も誇張も一切ありません。むしろウソくさくならないようトーンダウンさせたくらい」とマリー監督。本作は、フランス国内で僅か4%、世界で6%しかいないと言われるプロの女性指揮者の現状を問題提起する作品となっています。 ●感想 苦境を脱する力。様々な違いを克服する力。映画で描かれる音楽の力と同じスポーツの力を、パリ五輪・パラリンピックに見いだしたという。 「フランス国内でも様々な対立があり、不穏なこともあった。でも、オリパラの熱狂で、国民に一体感が生まれた。音楽にも、そのような力があると思う」 映画のクライマックスは「ボレロ」。コンテストに落ちて、打ちひしがれていたザイアが多くの人の支えと音楽の力で立ち上がります。それは多彩な音色ばかりか、演奏する人たちの多様性が重なるように感じました。それは本作のもう一つのテーマである音楽の本質とは何かという問いかけへの答えのようでした。 チェリビダッケのザイアへの指導の中で、繰り返し語られるのは、「みんなと一体と感じられたら奇跡が起こる」ということです。「トカニーニのように超正確に楽譜どうり演奏するだけでは、つまらなくなってしまう、その点マーラーが目指したのは音楽を心で感じることであり、楽譜を超越したのだ」とも語っていました。 「みんなと一体となる」ということは、五感を超えた「美」の世界に超入することではないかと思います。美しいハーモニーに心を寄せることで、潜在意識下にある「美」に至れば、一人一人の我見を越えることができるのだろうと思います。これは特別のことではなく、クラッシックの名演奏に遭遇したときに感じる至福感、没我の実体験によるものです。 オーケストラは一つの社会。様々な奏者が指揮者のもとで一つとなります。ボレロのシシプルなメロディーの繰り返しで感情が徐々に盛り上がるのも、ドラマにぴったりでした。 ●楽曲リスト ボレロ/ラヴェル 夢のあとに/フォーレ 七重奏曲 変ホ長調 作品20/ベートーヴェン アルルの女第2組曲 第4曲:ファランドール/ビゼー 交響曲第9番「新世界より」ホ短調 作品95/ドヴォルザーク 交響曲第7番 イ長調 作品92/ベートーヴェン 無伴奏チェロ組曲第1番 ト長調 BWV1007/バッハ 『ロメオとジュリエット』作品64「騎士たちの踊り」/プロコフィエフ 交響曲第5番 変ロ長調 /シューベルト ピアノ・ソナタ第14番「月光」嬰ハ短調 作品27/ベートーヴェン ディベルティメント 変ロ長調 /ハイドン チェロ協奏曲第1番 イ短調 作品33/サン=サーンス 『アルルの女』第1組曲第4曲「鐘(カリヨン)」/ビゼー 交響詩「死の舞踏」作品40/サン=サーンス 交響曲第1番 ハ長調 作品21 /ベートーヴェン 『サムソンとデリラ』 作品47「バッカナール」/サン=サーンス 『魔笛』「これはなんと素晴らしい響き」/モーツァルト 交響曲第102番 変ロ長調/ハイドン ●最後に 本作の2023年フランス公開によって存在が注目されたザイア・ジウアニは2024年パリ・オリンピックの聖火ランナーを務め、さらに閉会式では大会初の女性指揮者としてザイア指揮、ディヴェルティメント・オーケストラによるフランス国歌“ラ・マルセイエーズが”演奏されました。ディヴェルティメント・オーケストラは26年前にザイアが設立したオーケストラです。
2024年パリ・オリンピック閉会式の女性指揮者と双子の妹チェリスト姉妹の実話 音楽の力を信じて性別、人種、階級の格差を乗り越える 本人たちの参加によるリアルな作品作り
2024年パリ・オリンピック閉会式の初の女性指揮者と、その双子の妹のチェリスト姉妹の実話
音楽の力を信じて性別、人種、階級の格差を乗り越える展開を真摯に描く。
ただの感動のサクセスストーリーではなく、どうしたら障害を克服できるか、姉妹で悩み、具体的な対策を考えながら、一歩ずつ進んでいく展開が素晴らしい。
何より、音楽を身近で楽しんでいる家族によるところが大きい。
本人たちの参加によるリアルな作品作りに好感が持てる。
まだまだ残る数々の差別・障害。
こういう映画が無くなる日はいつ来るのか。
まっ◯ろ…く◯すけ!?
世界でも数%しかいない女性指揮者を目指し3年生から名門に転校した双子姉妹の物語。 実力はあるようだが、在校生からは田舎者と馬鹿にされ中々上手くいかない2人。 しかしある日の先生との出逢いを境に事が動き始め…。 困難に立ち向かいながら夢を追う若者の物語として面白かったものの、集中力の無いワタクシには幾つもの学校を掛け持ち(?)してたり、子どもたちに教えていたり…とザイアの立ち位置がよくわからず迷子状態に。 それでも、聞き馴染みのある音楽や話のテンポの良さ、ちょっとした気の乱れで狂う指揮の繊細さなどがよく伝わって来、皆を応援したくなるような作りはグッド。 現在も女性指揮者はほんの1握りしかいないとか。逆に男性がなるのが難しい職業の映画なんかも観てみたいですね。 そして何より気になったのは作中ベッドで寝そべるシーンで着てたシャツ…全文字は見えなかったですが恐らくアレでしたよね?? …そんな所に気をとらわれてしまった(笑) いずれにせよ誇らしいことですね。
ほっこり温かい作品!もっと脚光を!!
こんな言い方したら語弊があるかもしれないけど、正直最近は“womens' empowerment”とか“マイノリティの活躍”とかそーゆーテーマに飽き飽きし始めてる……。悪いとは言わないし、事実なんだし、必要なことなのもわかってる。でも、なんでもかんでもそのテーマに集約してしまうのは芸が無さすぎだと感じる。 この映画も初めは『あ〜ぁ、またか』で始まった。 でもね、いちいち温かいの。 特にココ!ってゆーわけではないんだけど、いろんなところで(涙枯渇女が!)気付けば何度もうるほろしてた。 号泣するような感じではないんだけど、人の優しさに触れた瞬間の温かさ、みたいなものを体感させてくれる映画。 題名に“パリの”とあるけど、オケの舞台はパリぢゃないwww
ボレロに始まりボレロで終わる
多分移民の?双子姉妹でしょうか 女性の指揮者は確かに珍しいなと気が散ってしまいそうです 信頼、自信はキャリアの後からついてくるものなので女性だと舐められないようにと違った方向に躍起になってしまいそう 足りないものは執念だと有りましたが、ザイアさんには楽しむことが足りないかなと思った 途中色々手を広げ過ぎで今ドコ?収束がつかない感じは否めませんでしたが、演奏される曲が誰もが聞いたことがあるものばかりで愉しかった 最近マエストロネタ多いけど、なんだかんだでポリコレ作品かな
子どもが将来なりたい職業の一つに
オーケストラの指揮者になりたいと思う子どもは現代でもいるのでしょうか。
韓国映画の「 春が来れば」で、音楽の先生として雇われたチェ・ミンシクが廃部寸前の吹奏楽部で、男子中学生達を指導しているシーンは微笑ましくて、今でもたまにDVDを見返しています。
映画に出てくる指揮者ってのは、ベテランが多くて難しい事を難なくやっているが、この映画は指揮者としては未熟な若い女の子が主役で、しかも実話だという事が珍しかったので鑑賞。
新人の指揮者とはいえ、音楽的教養はあるから難しい専門用語を喋っているんたけど、俺みたいな音楽素人には何を喋っているのかちんぷんかんぷん。
で、指導してくれるお爺ちゃん先生がいるんだけど、指揮をしている時の駄目だしが容赦なくて、1回目、2回目、3回目と指揮をしても、駄目だ、全く駄目だと言って、もう何が正解なのか分からなくなった主人公が可哀想で、可哀想で。
森本レオの演技指導かよ?
と思った。でも、お爺ちゃんは紳士なので、この後に主人公の女の子を襲ったりはしない。
何だ、かんだあって、主人公は認められるけど何が変わったのか見分けがつかない。これは音楽の教養があると分かるのでしょうか。
まぁ、ネタバレって表示ボタンを出しているから、ネタバレしやがって!って怒る人はいないだろうけど、
フラッシュモブの如く、作曲家ラヴェルの「 ボレロ」 を演奏するシーンはお見事!やっぱ、いい曲だよなー?ボレロは!
世界中で15分に一回、どこかで「 ボレロ」 が流れているだけの事はありますな。
映画「 ボレロ 永遠の旋律」 を見た人、清塚信也のコンサートは高くていけないクラシック好きな人にお勧めです。
主人公を演じる女優さんがイイぞ
日本でも欧米でも「移民」の存在自体がネガティブに捉えられる現代。 そんな移民によるポジティブな実話。 ストーリーというか脚本は薄味。 それを音楽で補う、というのは音楽映画ではありがち。 それに加え本作は主人公を演じる女優さんの熱演、目力の強さが光る。 今後が楽しみな女優さん。
やるじゃないか!
実話をもとにしたこの映画は、主人公の女性ザイアが子供の時(7歳頃か)、TVから流れたラヴェルの「ボレロ」の演奏から始まる。 指揮していたのは、ルーマニア生まれの伝説的な名指揮者セルジュ・チェリビダッケ(愛称チェリ)。ザイアは、アルジェリア移民の子で、パリ郊外のサンス(サン・ドゥニの近く)に両親と暮らしていた。 10年後、17歳のザイアは、とても忙しい。 週日の午前中は、双子の妹フェットゥマと共に編入を許されたパリの名門高校リセ・ラシーヌの音楽特別クラスで学ぶ。特にオーケストラの練習が中心。早速、演奏会の演目の一つドヴォルザークの交響曲「新世界より」の指揮を任される。午後は、もともと所属しているサンスにある音楽院でビオラを中心に、フェットゥマはチェロを学ぶ。 でも、翌年のブザンソンの国際指揮者コンクールを受けたいので、ピアノが上手な学生を相手にプロコフィエフの「ロミオとジュリエット」の一節を指揮する練習をする。 どうやら、指揮は別の音楽院(シューベルト音楽院と聞こえた)でも学んでいるようだ。 日曜日には、チャンスを得て、チェリの講習会に参加する。 やがて土曜日には、パリで知り合った仲間にも加わってもらい、サンスの音楽院の同僚や先生たちと「ディベルティメント」と呼ばれるオーケストラを結成する。これが、彼女の行方を決めることになる。 アラブ系のうら若い女性が指揮者になるとの希望を叶えるためには、独自のオーケストラが必要だったのだ。でも、その背景には、彼女が行ってきた刑務所への慰問、子供たちへの音楽の教育、障害を持つ人たちを音楽に巻き込むことも、深く関わっていたような気がする。もちろん、サン・ドゥニ周辺の行政の応援もあったに違いない。 この映画で、どこが一番よかったか。やはり音楽が流れるところ。 特に、もともとアラブ・イスラムの影響の強いスペインを舞台にした天才ビゼーの「アルルの女」。それから、途中でアラブを思わせる旋律が出てくるサン=サーンスのオペラ「サムソンとデリラ」からバッカナール。きっと、これらは、本物のザイアとフェットゥマの選曲だろう。もしかすると演奏も! チェリは、晩年愛したブルックナーの交響曲について「始まりのなかに終わりがある」という言葉を残している。いつか、ザイアと「ディベルティメント」によるブルックナーの交響曲を聴きたいものだ。
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