「ストーリーは中途半端。ボレロの楽曲の取り扱いにも疑義あり。」ボレロ 永遠の旋律 あんちゃんさんの映画レビュー(感想・評価)
ストーリーは中途半端。ボレロの楽曲の取り扱いにも疑義あり。
ラヴェルの伝記的映画なのか、ボレロの作曲〜初演の裏話を取り上げたバックステージもの?なのか、それともラヴェルのミューズ的存在だったミシアとの恋が中心の人間ドラマなのか、最後まで判然とせず。というか万事、中途半端でどの角度からもこの大作曲家の姿には迫れていない。主演のラファエル・ペルソナ(凄い名前だね)もはっきり言ってメリハリがない大根演技。というかこの人、ローワン・アトキンソンに似てませんか?
出演者は多くないけど時系が前後することもあって誰が誰やらよく分からず。ラヴェルと一緒に住んでいるらしいアルグリット(あき竹城に似てる)って誰?姉?ラヴェルは生涯結婚しなかったのだけど。
百歩譲ってこれはボレロという音楽そのものの話だとしてみても。オペラ座の初演は、確かにバレエの部分はラヴェルの言う通りひどい出来だけど、演奏自体はそう悪くないんじゃない?テンポも強弱も。ラヴェルが我慢できない、って言うとおりであるならばそれらしい演奏レベルで映画化しないと。あと、病床のラヴェルが夢の中で自分で指揮している「ボレロ」ですが、モーリス・べジャール風の黒人ダンサーのダンスが入ってきます。べジャールがボレロを振り付けたのはラヴェルの死の25年後だよ。
ラヴェルはボレロをオーケストラで演奏してもらうことを希望していて、一方でオケ側から拒否されないか常に恐れていた。だからラヴェルが望んでいたボレロの演奏を考察して再現しないと映画にならないんじゃない?名曲にあぐらかいてサボんなよ。
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もともと「ボレロ」とは、三拍子の、スペインの大衆民謡のダンスリズムのことです。(「ワルツ」とか「タンゴ」のように)。
酒場でテーブルの上に登って、酔っ払いの男たちが大騒ぎではやし立てる中で踊る女をイメージして、ダンスの振り付けが始まったので、イダのベリーダンス風の解釈は間違ってはいないかも知れません。
以来、バレエの振り付けの歴史は
①女と多数の男。
②女だけの輪舞。
そしてモーリス・ベジャールの決定版⇒
③男たちだけの踊り
になった変遷があります。
それを更にいじってシルヴィ・ギエムがベジャールの振り付けのままで女と男衆の配役に戻したものもある。
どれもこれも、エロさにおいては相当のモノだと思いますね。
アルグリットはマルグリット・ロンだと思います。有名なピアノニストで、ラヴェルの理解者。彼のピアノ協奏曲の初演者で、この作品は彼女に献呈されています。エンドロールに流れる音楽は、この協奏曲の第2楽章。癒やされる音楽です。
イダ・ルービンシュタインの振り付けは、ラヴェルからみれは、わいせつでヌードダンサーの踊りに見えたのだと思います。但し、ボレロには官能性を持った作品で、イダの解釈は必ずしも間違っていると私は思いません。