「血肉飛ぶ娯楽映画」十一人の賊軍 バーバヤガーさんの映画レビュー(感想・評価)
血肉飛ぶ娯楽映画
今まさに自藩の家老に斬りかかろうとする足軽、鷲尾兵士郎(仲野太賀)が、憤怒の鬼と化して叫ぶ。
「俺は11人目の賊だ!」
この映画の「義」の完成と言える場面。
仲野太賀の迫力に感動した。
しかし義というものは、いつの時代も政治やエラい人に踏みにじられるものなのです。(という最後に繋がっていきます)
登場人物10人の賊は、それぞれ個性的でおもしろい。
妻を手篭めにした侍を殺した政(山田孝之)、
医者の勉強がしたくてロシアへ密航しようとしたおろしや(岡山天音)、
檀家の奥さんと密通した坊さん引導(千原せいじ)など、
悪いと言えば悪いが、仕方ないといえば仕方ない、情状酌量の余地がある罪人ばかり。
政治がよければ犯さずに済んだ罪もある。
10人全員の過去が語られるわけではないが、
そこは推して知るべし。
全員根っからの悪いやつではないと思わせてくれる。
いや、だんだん彼らこそ人間として正しいように見えてきさえする。
この11人(罪人10人足軽1人)で砦を守る戦いをするのだが、戊辰戦争の東北は、なかなかわかりづらい。
2022年公開の役所広司主演映画「峠 最後のサムライ」も戊辰戦争の東北が舞台だった。
こっちは長岡藩の街も民衆もついに戦火に覆われた。
しかし歴史的には、新政府軍のターゲットは長岡でも新発田でもなく、元京都守護職の松平容保がいる会津。
松平容保は、鳥羽伏見の戦いで幕府軍が負けると、さっさと京都から会津に逃げ帰っていた。
新発田藩としては、どっちにもつきたくない戦いたくない、来ないでお願い〜って気持ちかもしれない。
藩主も若くてオドオドしている。
だから家老溝口内匠(阿部サダヲ)みたいな存在が必要になる。
この家老が大変イヤなやつ。
卑怯。
卑怯という言葉がぴったり。
自分の考えばかりが正しいと思う政治家。
人を使い捨てにする、嘘をつく、他人の命はゴミより軽い。
でも結局、最後の最後には、同盟を裏切ったおかげで新発田藩は戦火を免れ、民百姓は殿や家老に感謝するという幕切れになっていた。
…この最後のシーンに複雑な思いを抱いた。
歴史的事実とはいえ、阿部サダヲには最後の最後まで卑怯で腹黒で、憎まれものでいてほしかった。
同盟を裏切ったのも、賊たちを使い捨てにして殺したのも、みんな民百姓を守り国を守るため致し方なかったのだというふうに見せてほしくなかった。
善人面するなコラと思った。
ずっと卑怯で腹黒いイヤな奴でいてくれればよかった。
死んでいった賊たちを思えば、いたたまれない。
阿部サダヲの娘が自刃したのも、砦で死んだ恋人、入江数馬(野村周平)のあとを追っただけではなく、父の卑怯な行いを知ってからの絶望の自刃にしてほしかった。
「すまなかった」と娘の亡骸に向かっていう言葉も薄っぺらい感じがした。
もっと後悔しろ!と思った。
(もう溝口家老と阿部サダヲの線引きがなくなってる!笑)
★いかさま賭博師の赤丹(尾上右近)は魅力的だった。
声もいい。甘さと精悍さが両立してる。
★謎に腕が立つ爺っつぁん(本山力)もカッコよかった。
「元毛利家槍術指南役」と、最後の斬り合いの場面で明かされる。
やっぱりねーっ!そうだと思ったー!かっこいいー!と、心の中で喝采。
★血も首も肉片も飛びまくる。
斬り結ぶ敵味方の真っ只中にいるような実在感ある戦闘シーンは見事
★ゆりあんリトリィバァの登場は何なんだ?あそこで映画への没入感が一気に引いた。
★娯楽映画として見よう。