「潔さは正義なのか?」十一人の賊軍 LittleTitanさんの映画レビュー(感想・評価)
潔さは正義なのか?
権力者の利の為に正直者が死んだり損する展開は時代劇あるある。「十三人の刺客」の様に復讐が果たされれば痛快だが、「樅ノ木は残った」の様な不条理な終劇こそトラウマとして記憶に残る。本作も泥臭い殺陣に痛快さは無くはないが、入り組んだ状況設定が象徴する正義なき闘いと結末はやはりトラウマものでした。
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1. 正義なき闘い
主人公・政(山田孝之)の武士殺しは、罪は免れぬとも妻を手籠めにされた事情を慮ると切ない。ただ砦を護れれば無罪放免にするが、抜け駆けしたら皆殺しすると言われても、逃走や寝返りを試みる主人公に正義は感じにくい。新発田藩もそもそも新政府軍に寝返るつもりなので、砦の防衛も形だけで、藩ではなく列藩同盟の旗を掲げさせている時点で、最初から罪人は口止めに殺すつもり。最初に出食わした新政府軍も伝令にすぎず闘うつもりはなかったのだから、主人公が逃走しようとしていなかったら、お互い門の前で無防備に殺し合う必要はなかった。
ただ、新政府軍が大砲を持ち込んだ時点で橋の有無も関係なくなり、発破(花火?)と油田での抵抗で殺し合いはより派手に。爺っつぁん(本山力)の殺陣に醍醐味はあるが、新発田藩も新政府軍も上の方は闘うつもりが無いと分かっているど、何で殺し合いされているのか虚しい。
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2. 不条理過ぎる結末、
そして賊軍が砦を護り切った頃、新発田藩は新政府軍に平伏す。ただ決死隊が新発田藩だと主人公がバラしてしまったので、新政府軍に説明を求められ、新発田藩は自ら派遣した決死隊の首を差し出さざる得なくなる。家老の溝口(阿部サダヲ)は、罪人は最初から殺すつもりでも、部下の藩士は口止めで済ませたかもしれない。しかし、砦の防衛に死闘を繰り広げた罪人に仲間意識が芽生えていた鷲尾(仲野太賀)は、義憤に駆られ老中率いる静粛隊に斬りつける。多勢に善戦するも1人はやはり無勢、家老の銃弾も受け無惨に死ぬ。主人公も最期は逃げずにノロ( 佐久本宝)も逃がすが、発破の準備に手間取り、藩士を道連れに爆死。
主人公は罪人であるばかりか、決死隊を新政府軍に鉢合わせさせたり、新発田藩から派遣された事もバラした事から、無惨な爆死は自業自得かもしれない。ただ、家老の企みにも気づいていなかった鷲尾の運命は不条理。コロリ(コラレ)患者とは言え、領民の首を次々落とした鷲尾がほぼ無傷なのもやり切らない。
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3. 潔さは正義か?
ただ、鷲尾(太賀)は本当に潔く散るべきだったか? 義憤に駆られて彼が斬った藩士も、家老の命に従っただけ。恐らく皆顔見知りで、同じ釜の飯を食った同僚。本当に罰したいのは家老だけなら、反旗を翻すのはあの瞬間じゃない。家老が一人きりの時を狙って暗殺すべき。鷲尾がどんなに剣豪でも、多勢に命を賭すべきじゃない。
溝口の娘(木竜麻生)も自害すべきだったか? 父に復讐したいなら、利用された入江(野村周平)の子供を溝口家に育てさせるべきではなかったか。
何より2人とも、生きて賊軍が如何に闘ったか秘密裏にでも語り継ぐべきだったのでは。生き残ったなつ(鞘師里保)とノロが、砦の死闘を語り継いではくれるだろう。
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4. 夫の想いも、死に様すらも知り得ない妻
本作で一番可哀想なのが、主人公の妻・さだ(長井恵里)。藩士に手籠めにされ、それがキッカケで夫が罪人になり、女郎に身を売る。生き残った2人が文字を読み書きできる節がないので、聾者の彼女に夫がどんな想いで砦で闘い、如何に壮絶な最期を遂げたのか、伝わる事は無さそう。せめて、なつが渡した大金で、末永く生き延びてほしい。