「えっ?それだけ⁈」十一人の賊軍 グレシャムの法則さんの映画レビュー(感想・評価)
えっ?それだけ⁈
娯楽映画としては面白いのだけれど、焦点の当て方が偏っており、少しがっかり。
というのも、小藩の生き残り策としては、家老は有能だったわけです。
家老の工作のおかげで、新発田藩の市民全般の安全を確保したうえ、城下の破壊を免れたのです。
人口比で言えば、11人の犠牲でそれらを確保したのだから、最小の犠牲で、最大の利益を確保したとさえいえるのではないでしょうか。
・マキャベリズム(*)的な観点から言えば、為政者として特段責められることはしていない。
*日本語では権謀術数という言葉が使われることが多いので、悪いイメージが強いが、政治目的(この映画では、新発田藩の延命=藩内の市民の命と町の平和を守ること)に一定の正当性があれば立派な行いといってもいいのではないか。
・哲学的な命題として有名な「トロッコ問題」という観点からも倫理的な観点で一方的に断罪できる話でもない。
ある鉄道路線で10人の作業員が線路上の2か所で8人と2人に分かれて作業をしている。その時、暴走したトロッコが分岐点の手前を走っている。レバーを引かなければそのまま8人が犠牲になる。レバーを引いて進路を変えれば2人が犠牲になる。
人の生死に関わる判断を先送りして傍観者となるか(結果、犠牲は8人となる)、レバーを引き2人を犠牲にするか(その場合、自発的に意思を発動することで、傍観者とはならない)。
新発田藩の延命(市民の命)と10人の罪人+1人の下級武士の命を天秤にかけざるを得ない。この場合に倫理的な正解はなく、現実に即した冷徹な判断をするしか選択肢はなかったのではないか。少なくとも家老は傍観者ではなく、主体的な判断をした。
為政者の判断の正当性には触れられず、ただの日和見主義、卑屈な損得勘定のように描かれており、殺される側からの視点のみで展開される暴力はただの暴力でしかなく、見ていて辛くなるだけだった。
賊軍が油を使って爆弾の威力を高め、敵を殲滅しようとする行為(設営した基地を破壊して退却させる等の目的ではなく、できるだけ多くの敵を殺すことが目的化)は、敵とみなしたならば、どんな酷い殺し方でも許されるという残虐性が正当化されるわけで、『シビルウォー』のジェシー・プレモンスと本質的には変わらない。
私は家老が「為政者の判断の正当性には触れられず、ただの日和見主義、卑屈な損得勘定のように描かれて」はいなかったと思います。10人の罪人と3人の藩士、それに数(十)人のコレラ患者という最小限の犠牲者で被害を食い止めて藩を守ったのは見ればわかるし最後に領民に「長岡のような戦場にならなかったありがたい」と言わせて家老が正当な判断を下した優れた為政者であることに触れています。罪人達の側からの視点のみで展開されている場面もありますが、全体を見ればどちらかにかたよることなく、フラットな描き方だったと思います
こんにちは。
とても読み応えのある勉強になるレビューでした。
自分なりに色々考え振り返るきっかけになりました。
感謝!
あっ!小説もたくさんお読みになられているグレシャムの法則さんにご報告。
「新!店長がバカすぎて」「コンビニ人間」読みました。面白かったです♪
本作において家老(阿部サダヲ)は卑怯者でも悪役でもなかったと思います。むしろ最小限の犠牲で無血開城を実現した「優れた為政者」として描かれていました。あの激動の時代、様々な人達がそれぞれの立場で全力を尽くしていた。それが本作のメッセージだと思います。
同盟軍が去った後も切腹を続行しようとしたあたり、覚悟はあったと思うんですけどね。
砦に赴いた時の態度で評価が逆戻りした印象。
あそこで逡巡する描写を入れるだけでも、だいぶ溝口のイメージも変わったと思います。