「戦後80年経っても苦難のままの沖縄を描く渾身作」宝島 クニオさんの映画レビュー(感想・評価)
戦後80年経っても苦難のままの沖縄を描く渾身作
賛否両論なんて言葉が本作公開後に飛び交っております。支持する派と支持しない派の二手に分かれるって趣旨ですが、私は猛烈に支持するけれどダメなところは厳しく糾弾したい。だからと言って、テーマの素晴らしさを持ち上げその高潔性だけで評価なんてのはご免こうむりたい。どれ程立派なお題目唱えたところで映画なんて面白くなければ箸にも棒にも掛からない。
原作はいざ知らず、脚本も兼任したベテラン監督・大友啓史がどうしてしまったのか? エンタテインメント性の強い指向の彼がテーマの重さに揺らいでしまった? 3時間超えの191分なんて、結果的に映画的に要約しきれずを露呈としか思えない。20年間を描くのに3時間なんて必ずしも必要ではないはず。1970年のコザ暴動を沸点に据え、一種の青春群像を描きたかったのは誰の目にも明らか。しかし、その精緻を指向する欲により決定的にぼやけてしまった。
なにより「戦果アギヤー」って言葉で引っかかる。要するに一種の義盗のようだとは画で分かるけれど、併せてグスク、ヤマコ、レイそしてオン、この名前が私の頭には入ってこない。あくまで方言に忠実過ぎて、まるでセリフが耳で聞き取れない、心底字幕が欲しかった。しかしそれは沖縄県に対し実に失礼と思われるかもしれませんが、厳しい東北弁に対し字幕がついたこともありました。苦難の沖縄に失礼は許されないのは本作の基調ですが、過度に忖度し過ぎたってところでしょう。
そして画面が絶望的に暗い、その上登場人物皆が汚れたメイク揃いで、誰が誰やらさっぱり。で、話についてゆけずおいてけぼりをくらう羽目に。さとうきび畑の中でのシーンなんぞ、まるでアマゾンのジャングルのシチュエーションのような光景で、違和感しかなかった。翻って救いとなるべき海が希望の持てるブルーでなく、どんよりとした重いブルーにしか見えないのも辛い。
冒頭の1952年って終戦からわずか7年。ってことは第二次世界大戦末期の1945年の沖縄戦に彼ら主人公達は皆対峙していたわけで。あの日本軍による集団自決の強要もあれば、爆薬を体に括り付けられ米軍の戦車の下に潜り込ませられ自爆させられた少年の友達だっていたはず。だから「やまとぅんちゅ」なんか端から信用出来ない。そうした精神性の認識格差により観客の受け止めも変わってきてしまう。しかしそこまでカットバックで描いてたら、4時間あっても足りないですよ。せめて会話が背景を伝える試みは叶わなかったか。
永山瑛太扮する首領のオンの行方が全体に流れるベクトルのはず。なのにどっ散らかったエピソードにミステリー要素は希薄で、そもそも主人公達は探そうともしてないのに、見えないカリスマがいるかのように描き続けるのには無理がある。そこへ唐突にウタなる若造が登場し主役がスイッチするかのように錯覚してしまう。壮絶なクライマックス後に米軍敷地内での大団円でもウタは画面の中央にあり、米軍の銃弾にあう悲劇のヒーローのよう。そこで何故か病院に連れて行かず、まるで死に場所に導かれるように、海岸線に到着し、ここで肝心のオンの結末が明かされる。相当に無理があり過ぎですよ。で、彼の葬儀がフィナーレで映画は終わる。米国の存在悪のテーマが霧散してしまいかねない。
小学校米軍機墜落事故、糸満轢殺事件、毒ガス漏洩事件そしてコザ暴動と、史実に正確に描かれます。うちなーんちゅの困惑なんぞ表面しか分かってない大多数のやまとぅんちゅに、衝撃を与えるための本作。よくぞ創ったりですよ。これらの諸問題は前後80年も経った今も、全く解決していない現実に震えてしまいます。EU諸国が次々とパレスチナを承認しているのに、アメリカの「ポチ」を臆面もなく受け入れる日本政府ですから、沖縄の苦難はこれからも続きます。
これ程の大作も見事なもので、クライマックスの暴動シーンは流石にすさまじい。いまとなっては貴重なクラシックカーを思う存分ぶっ壊す豪快シーンが邦画で見られるなんて。ただ、妻夫木聡扮するグスク自身が暴動のリーダーとも言えず能動的ではなく、ただただ放心状態で笑ってしまうのみは、映像として弱いし勿体ない。入魂の演技は見事なもので、レイに扮した窪田正孝は剃刀のようなリスキーを全身で発し圧巻です。
そして広瀬すずですよ、家でレイが帰った後の1人芝居の長廻し、感情の乱れと思考の変遷を僅かな表情の歪みで完璧に観客に伝える、実にたいしたものです。前作(撮影は逆でしょうかね)「遠い山なみの光」での大女優の風格をここでも感じさせました。ふとしたアングルで広瀬アリスに見える時があった。それだけ破天荒な素地のある役だったわけですね。
これ程に沖縄愛のある作品のメインに沖縄出身役者がいない事は、しかし何の意味もないでしょう。同時期の「風のマジム」だってそうですから。「国宝」で邦画への素晴らしい流れが出来て「宝島」に繋げる目論見が少々厳しく。「国宝」は海外でも戦ってゆけそうですが、「宝島」はやまとぅんちゅにすら苦戦してしまっては、悲しいですね。
知らなかったら、知ろうとするべきで、映画できっかけを作って頂いたら、深堀りし問題を共有する。本土決戦の防波堤にさせられた悲惨な歴史の事実から目を背けてたら、いつまでたっても「やまとぅんちゅ」から脱せない。知ろうとしない事は恥です。
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