我来たり、我見たり、我勝利せりのレビュー・感想・評価
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絵空事ではない
❶相性:下。
❷時代:
現代。
❸舞台:
オーストリア。
❹要旨:
①物語は13歳の娘パウラのナレーションで、タイトルの3つのパートに区分して進行する。
「Veni:我来たり」
「Vidi:我見たり」
「Vici:我勝利せり」
②主人公は、パウラの父アモン・マイナート。起業家とし成功し、巨万の富を築いた。最近でも、ヨーロッパ最大のバッテリー工場が完成して、政府高官他のセレブがお祝いに駆けつけている。広大な敷地の大豪邸で、家族や使用人と共に幸福で充実した人生を送っている。
③アモンの趣味は「人間狩り」。獣を撃つように、サイクリストや若いカップルたちを、猟銃で射殺していく。死体は執事が処理する。事件は連続狙撃事件としてマスコミを賑わすが、捜査は進展しない。目撃者が名乗り出ても無視される。理由は、莫大な財力を持つアモンが政治家たちを支配下に置いているためである。敏腕弁護士の妻ヴィクトリアは、事件を合法的に処理していく。
④パウラは次第に父親の感化を受け、自分も「人間狩り」を楽しむようになる。
⑤もやは、アモン一家に歯向かうものはいない。
❺まとめ
①この種の反社会的な映画は、全く肌に合わない。強い嫌悪感を持って観ているうちに気が付いた。本作は反面教師なのだと。
②アメリカのトランプ大統領のように現実にもこれに近い状況がある。本作は絵空事ではないのだ。
③莫大な財力を持つと、政治家を支配下に置き、更には、自身が国家権力者になろうとする。
④富める者はますます富み、 貧しき者はますます貧しくなる構図である。
⑤本作はそんな世界にしないようにするための警鐘と思う。
❻トリビア:Veni Vidi Vici
①「Veni Vidi Vici」(ウェーニー・ウィーディー・ウィーキー)とは、ラテン語で、「来た、見た、勝った」という意味(Wikipedia)。
②ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)が、紀元前47年のゼラの戦い(カエサル率いる共和政ローマ軍とファルナケス2世率いるポントス王国との戦い)の勝利を報告する際に使ったとされる言葉で、その簡潔さから広く知られている。
③この言葉を初めて知ったのが、『クレオパトラ(1963)』(監督:ジョセフ・L・マンキーウィッツ。出演:エリザベス・テイラー、リチャード・バートン、レックス・ハリソン)。
上映時間 192分、製作費4400万ドル(現貨換算で3億ドル以上)、製作期間4年の超大作だが、空前の製作費を回収出来ず製作会社の20世紀フォックスを経営危機的状況に陥れた。
④映画雑誌「映画の友」(編集長:淀川長治)に、この作品のこぼれ話として記載されていた。記憶力が貧弱な小生だが、この記憶は今でも鮮明だ。
25-072
どう観たらよいものか
どこの国でも突き抜けた大富豪は、何をしても許されてしまう。
登場人物ほぼ全員すごく気持ち悪い。マイナート自身は善悪の判断がついた上での所業だけど、妻が心底気持ち悪い。出血した時ちょっとザマァと思ったけどチッ。
パウラはすでにマイナートを凌駕するモンスターだなぁ。
せめて何かひとつだけでもバチが当たればよかったけど、どんなに頑張っても無駄ですよといわんばかりの、まったくスッキリしない胸糞映画。
まあ最近のニュース見れば、まあそんなもんだよねって感じ。
誠実なのは自分の欲望に対して…かな
銃をコレクションし人間を狙撃する趣味を上流階級の男と、それをみて育った13歳の娘と家族たちの話。
欧州最大のバッテリー工場等を手掛けるマイナートと有能な弁護士の妻をみせつつ、娘のモノローグで展開して行くけれど、狙撃が公に認められている訳では無く、ルール違反もみつからなければ…という理屈の設定。
タイトルの通りVeni Vidi Viciの3部構成で進行していき、胸クソ悪さ全開だけれど、マイナートのピンチも…。
タイトルのViciが何を持ってというところはあるけれど、早い段階で大凡の終わり方は数通りぐらいには想像できる訳で、そういう意味では全体的に捻くれてはいるけれど、意外性がなくて盛り上がらなかったかな。
飽きさせない故に胸糞。でもそれだけではないかも…
登場人物ろくでもないやつしかいない。でもこの世の中そんなもんか、と直ぐ気付く。
終盤、マイナート(父)の絶叫は心からの「俺のことに気付けよ!捜査して逮捕しろよ!興味ねぇのかよ!」という慟哭にみえた。だから「まだ続けるよ、当然家族と一緒にね。」となるのは自然だ。つまり簡単に言えば人間切羽詰まっても動けない、それは自分が死ぬまで気付けない。ってことなのか。それを映画で突きつけるのはあまりにも悲しくないか?
でも、陰謀論でもなんでもなく「世の中金持ちで動いてるし、俺が出来ることも大して無いし、明日も仕事めんどくせぇなあ。」という考えを「今を生きることで精一杯なんだ。」と言い換えて言い訳してるのは事実だし、かなりの人に当てはまると私は思う。だからこそ興味深いという視点で集中して観てしまったのかもしれない。そんな、なんでも難しく考えることが得意な単純な人ばかりでもないのか?
90分足らずということで見やすいのはストレス低減に一役かっている。でもそのせいで中盤からは嘘だろ…このまま終わるんか…家族全員爆破して木っ端微塵にでもならんとスッキリしないぞ…。とヒヤヒヤしつつ観ることになった。まぁ胸糞映画ではあると思うのでスッキリなんてするわけないんですけどね。
一見すると"中身も大して無い駄作"にはなってしまいかねない作品なので少しでも意味を見出そうとするのは私の癖なのかも知れませんが、観る意味のある映画ではあると思う。胸糞悪くはあるものの、胸糞映画の代名詞である諸作品と比べると"冷たさ"はあまり感じない不思議な映画だ。もちろん暖かみも微塵も感じないけれど。
心がザワザワするのが好きな方は是非。
胸糞映画が好きな人にはいいかも
タイトル通りに進んでいくストーリー
誠実がいちばんだそうです
自分にはルールが適用されないと思ってたり、ルール破りに価値を見いだしたりする者たちの行状を描いた超胸糞悪い一作。
ラストの家族狙撃シーンも、一瞬天罰と思わせておく底意地の悪さよ。
ここまで徹底すると一周回ってある種の感動を呼ぶし、単純勧善懲悪モノよりは面白い(?)が、もう一回観たいかと訊かれたら答えはもちろんNOだな。
存在するものは、滅びる価値がある
アモンにはローレンス・ルップ🙂
愛想がよく、誰にでも爽やかに接する一方で、人間狩りを趣味とする狂人な面を持つ男。
笑顔の裏に潜む非人間的な部分を、微妙にかもし出すのがうまかったですね🤔
娘パウラにはオリビア・ゴシュラー🙂
こんな一家で育ったらおかしくなってしまうものなのか、中盤では仲間とある行為に及んだり。
実弾が入った銃を人に向けたり、やりたい放題😰
ある意味父親よりも危険な人物を、冷たい目で表現しています。
この映画はどう理解すればいいのかイマイチ分かりませんが、億万長者は犯罪まがいのことをしても許される部分があるという事実を、風刺的に描いたものという印象です🤔
エンディングもブラックさ全開で、こんな世の中になったら平凡な暮らしをしてる人達は命がいくつあっても足りないと思わざるを得ません。
映画の中の話とはいえ、AI技術が進歩している昨今、300年後辺りには似たようなことにならないか、考えてしまいます😔
人間のクローンができて云々…など。
しかし警察が警察として機能しないというのは、見ていて無念さと憤りを感じますね。
作中狩猟監視員がアモンを告発するべく警察に訴えたりするのですが😥
その時の対応が、私のぼったくり被害を相談した時の対応を思い出させる感じで…訴えてる人物に感情移入しました😔
まあなんにせよ、色んな解釈ができそうな1本です👍
上映後のトークショーでは
ダニエル・ヘースル氏
ユニア・ニーマン氏
の両名が登壇🙂
2人とも日本が好きということで、嬉しい限り😁
ダニエル監督は
冗談を交えながら、タイトルを決めた経緯などを語ってくれました。
ユニア監督は
なぜ我々が億万長者に憧れるのか、ある意味では搾取されてるとも言えるのに、
といった部分の考えを聞かせてくれましたね😀
思い切った題材の映画ですが、現代の社会に鋭くメスを入れるような作風はユニークな面白さがありました🤔
一般公開は、6月6日です🎬
監督は本作のどこに興味を抱いたのかが気になっているようでした。
ヒューマントラスト渋谷にて行われた試写会に行ってきました。
何をしても罪に問われない胸糞悪い「金持ち」を題材にしながらも、常に良き父親、良き家族を描写。
殺人を描いているのに画面には白を基調としたシーンが多くグロテスクな印象すらありません。
上映後、ダニエル・ヘースル監督は「ウィン・ウィン」の撮影時、金持ちの邸宅にリサーチへ行き、そこで「猟銃をナミビアへと持ち出す」という話を聞き、銃さえも国境を越えて自由に持ち出せてしまう「金持ち」に驚いて本作を思い付いたと語っておりました。
それゆえに
何をしても全てが許される「金持ち」を、
何をしても家庭が上手くいく「金持ち」を、
何をしても思うように事が運ぶ「金持ち」を、
ひたすら鑑賞する事となります。
ヘースル監督はミヒャエル・ハネケ監督の「ファニー・ゲーム」についても語っていましたが、作品から受ける印象は別物でした。
またユリア・ニーマン監督の方も、語り部でもある「金持ち」の娘を演じたオリヴィア・ゴシュラーにハネケ監督の「ベニーズ・ビデオ」を観るように言い、演技の参考にさせたそうですが、ハネケ色はあまり感じませんでした。
監督たちの話だけ聞いているとなんだかハネケ作品に近い印象を受けてしまうかもしれませんが、いつも子供たちに優しく接し、家庭が第一と考える「金持ち」の父親の描写を見ている限り、ハネケ作品のような鬱展開は微塵も感じられません。
酷い事をしているシーンよりも明らかに養子と分かる小さい2人の娘が執事に対して紙吹雪を浴びせかけて遊んでいるシーンの方が頭に残るほどです。
それでも鑑賞後のモヤモヤしたわだかまりは尋常じゃありませんでした。
ヘースル監督は、罪を犯そうが握り潰せると豪語するドナルド・トランプや人前では戯けてみせておきながら裏では人の首を簡単に切るようなイーロン・マスクを引き合いに出していましたが、彼らの名前が出た途端、映画が絵空事に思えなくなり背筋が凍り付きました。
監督たちは物語の顛末や、「金持ち」に対する考え方を観客に投げているのは明らかでした。
「金持ち」を否定しながらも「金持ち」になりたいという人々がどのように本作を受け取るのか、非常に興味が沸いてくる作品でした。
余談ですが、上映後、映画館のエスカレーター前でヘースル監督から「どうして本作を観たいと思ったのか」と尋ねられました。
監督は本作の何に惹かれたのかが気になっている様子でした。
怖い、怖い、怖すぎる
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