「二割と八割」まる Ericさんの映画レビュー(感想・評価)
二割と八割
実はなぜ沢田(堂本剛)の『平家物語』から始まったのか分からない。最初は富ある者もいずれは落ちるとの沢田の願いかと思ったが、その後の姿からは感じられない。勿論いつか自分もとの野望はあるだろうが沢田自身の表情が少ないので燃え上がるエネルギーも見えない。
対する横山(綾野剛)、矢島(吉岡里帆)は自らの思いに正直だ。困る隣人の横山だが二割の蟻の話をした時、横山の悔しさに対する沢田の「二割の蟻にも何か意味が」との呟きが印象的。それが何か沢田にもよく説明できなかったが。
「まる」を描いたことで突然人生が変わった沢田。八割の方に入ってしまったと私は受け取った。矢島が手で丸を作り沢田を見る。それは自分達搾取される者達のことを訴える姿の後にもされる。あなたは私達からはこうして見る八割の人だとばかりに。
モー(森崎ウィン)の「福徳円満、円満具足」は冒頭の沢田の『平家物語』と対を成しているようだった。ミャンマー出身の店員という役柄だが雰囲気の良さ、前向きではないとやっていられないからとの意味の深さを感じられるのは同国出身のウィンさんならではだろう。
「まる」に囚われる沢田。数え切れない蟻が描く「まる」がCGではないとは驚き! 有名になってからもほとんど表情を変えなかった沢田が横山との会話で初めて涙を流す。二割でもいいから絵を描いていたいと。
正直なところこの映画が訴えたかったことが何か分かっていない。でも観終わった後心地良かった。途中でも重苦しいと感じなかった。
沢田は将来裕福ではなくても横山と何かに取り組んでいるのではないか、モーとミャンマーで働きながら絵を描いているのではないか。
そんな姿も想像させてくれた。それは八割方か、二割方か。そんなことはどちらでもよい。
蛇足だが中秋の名月の次にくる十三夜は後(のち)の月と呼ばれる日本独特のもので古くから愛されてきた。僅かに欠けた月に美を見た。
人は、完全な丸でなくてもいい。