「責任とは?」劇場版 アナウンサーたちの戦争 LaStradaさんの映画レビュー(感想・評価)
責任とは?
僕が小さかった頃、成りたくなかったのは教師と政治家とアナウンサーでした。この中でアナウンサーだけは奇異に響くかも知れません。昔はテレビでも日本の戦争に関する話題はしばしば取り上げられ、その時、真珠湾攻撃を告げる、
「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部、十二月八日午前六時発表。帝国陸海軍は、本八日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」
というラジオ放送が演出としてよく流されました。僕は、この放送の声が子供心に大嫌いでした。当時は言葉には出来ませんでしたが今にして思えば、あの煽情的な口調に嫌気が差すと共に、自分の思いが何処にあろうと他人が書いた原稿を読むしかないアナウンサーという仕事から目を背けたかったのでしょう。
本作では当時既に人気アナウンサーであった和田信賢さんが軍部の検閲と押し付けにより国威発揚的放送に傾いて行かざるを得なかった姿を描いています。今まさに、政権が番組内容に露骨に手を突っ込もうとし、放送局も政権への忖度により萎縮している時、NHK自身がこうした記録をドラマとして残そうとする強い思いは称賛し、感謝したいと思います。しかし、その上で敢えて言いたいのです。
「このドラマの内容を30字にまとめよ」という試験問題が出たとしたら、「色々悩み苦しんだのだが、あの時代には仕方なかったんだ」になりはしないでしょうか。でも、問いたい。あなたは悩んだのかも知れませんが、そのアナウンスによって戦意を鼓舞され戦地に向かった人々にあなたは何の責任もなかったのでしょうか。いや、2024年の平和な立場から当時の人々の苦衷を断罪しようというのではありません。最も大きな戦争責任は、軍部と政治家と天皇にあったのは間違いありません。しかし、この作品の中で、「こんな放送をしたくない」だけではなく「自分も戦争に積極的に加担しているのでは?」という疑問をもっと明瞭に深く描くべきだったと思います。終盤、和田アナウンサーは涙を流して絶叫するのですが、あの場面で彼を泣かせるのは演出的な逃げです。すべての疑問や自戒を言葉で浮き上がらせる事なく感情で押し流してしまうからです。
あの時代を「仕方なかったんだ」と言ってしまう事は、次の戦争の時にも「これは仕方ないんだ」と言う余地を残してしまいます。厳しい言い方ですが、いい作品だと思うので敢えて申し上げたくなりました。
なお、この時代にラジオが何を伝え、アナウンサーはどう考えていたのかを膨大な資料を読み解いて考察した「戦争とラジオ」と言う書籍があります。著者も長年NHKで働いた人ですが、「仕方なかっただけでなく、放送人も積極的に加担したんじゃないのか」のクールな眼差しを抱いておられます。500頁を超える大著ですが、興味ある方は是非お読みください。
あの当時は、農村の疲弊と欲望が肥大化する東京などの大都市の急成長で格差が広がり、あぶれたものは朝鮮半島や台湾だけでなく、満州や南方の国々に一攫千金を求めて出稼ぎに行った。特に田舎の次男・三男は田畑の相続もなく、かつての北海道の屯田兵の如く満蒙開拓団の一員として移り住んだ。新聞などのメディアもこれを煽り、軍部もそれに後押しされて暴走・膨張していった。国や軍部に従って「仕方なく」ではなく、一般国民が主体的に東アジアの開発途上国の富を我が物にしようと行動している。「仕方なく」などといった「受身」ではないのだ。この映画も、日中戦争や太平洋戦争の前から、民間がどんどん経済進出と言う名の搾取を積極的に求めていたということに鈍感というか、合えて触れていない。全ては「経済」進出から外国との摩擦が起きるのだ。ここを意識して演出すべきだった。