マミーのレビュー・感想・評価
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タイトルなし
見てよかった。訴えられそうになりながらも 執念で撮っている監督はすごい。マルゲキで見ていたので、ますみさんが無実だろうことは知っており、もう映画は見なくてもいいかと思っていたけど、ちゃんと見て良かった。夫のリアリティが伝わる。ますみさんの長女が自分の子供を殺して死んでいたことは知らなかった 。ますみさんがその予兆夢も見ていたということは 衝撃だった。 この夫婦のやっていたこと自体が相当レアケースで普通には理解しづらい 。自分の詐欺のいきさつをとうとうと 語る 夫の存在自体も強烈だ。親戚中が警察官で、排除されていた青年が このうちに出入りしていたことも、まるでドラマのようだった。最初に鑑定をした学者はパーソナリティ的にも変だと見てわかる。ますみさんが悪女とされてきたけど、本当に悪いのは夫の方ではないのか? とはいえ、夫が自分が使い込んだ金を返そうとヒ素を飲もうとしたのをますみさんは止めなかったのか? 本当の悪女なら離婚届を送る優しさ?はないのでは。
夫の異常さ
林健治がクレイジーに語る場面が、もしかすると容疑者の審判に影響を与えたかもしれないと思われた。その前の週、めったに満員にならないミニシアターが満員で入れなかったため、超期待して観に行ったが、あまりグッとくるものはなかった。
有罪を正しく疑うも、無実は証明しない映画
1. 最低でも再鑑定は必須
当時の鑑定人の中井氏(東京理科大)が意図的に不正をした訳ではなくとも、河合氏(京大)の批判は合理的で、定量的な解析も複数の手法での検証もやった方がいいに決まっている。なので再審をするか否かの議論の前に、取り敢えず再鑑定だけはするべき。科学技術の進歩は目覚ましいので、当時以上に詳細に情報が得られる事は間違いない。その結果、事件で使われたヒ素がMommy家にあったと証明不能になるなら、有罪判決は支持できない。
目撃証言にも矛盾があるのかもしれないが、仮にMommyが蓋を開けていても、ヒ素を入れたと断定できないのだから証拠能力は無い。
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2. 無罪=無実ではない
ヒ素の同定に不備がある以上、Mommyは「推定無罪」の状態に思える。ただそれは、彼女が本当にやっていない事の証明にはならない。ヒ素を混入してから家宅捜索されるまでは、何週間かのズレがある。ヒ素を混入したのが誰であり、残りのヒ素が入っていた容器を何処かに棄てる時間は十分ある。捨てられた物は再鑑定できない。
ただ、Mommyがヒ素が成分鑑定され得るという化学的な知識があったというのは邪推かも。シロアリ業者に限らず、周辺にもヒ素を持つ家庭があるのが常識だったら、自分の家だけ狙い撃ちされるとも思わなそう。
とは言え、Mommyがヒ素を入れた証拠が無いのと同じくらい、彼女が入れていない証拠も無い。物証が不確定な以上「推定無罪」だが、無実と断定もできない。
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3. 詐欺師の証言を信じる根拠が無い
夫の証言を長時間撮れた事が、ドキュメンタリーとしての価値なのだろう。ただ、彼が滔々と語るのは、如何に上手く保険金詐欺を実行したかと言う事。Mommyが毒物を他人に摂取させた事はないと主張したいのは分かるが、どうして詐欺師の「騙り」を信じる必要がある? 貴方は語ってるのは、自分が如何に医師や保険会社を騙してきたという事。何で今の言葉が、妻を無罪にする為の「騙り」じゃないと信じなきゃいけないの?
面白かったのは、語れば語るほどMommyが保険詐欺の共犯者、あるいは主謀者の1人との心象が強くなる事。それがカレーに毒物を混ぜる動機には直結はしないが、犯罪傾向が高そうな印象は強まった。
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4. マスゴミの悪癖を繰り返す醜悪さ
Mommyのイメージが悪化した主要因の1つが、取材陣にホースで水をかけるシーンが繰り返し放映された事。本来、取材って依頼して了解を得た上で成立するもの。道を歩いていて、突然質問を投げかける取材者に応えなきゃいけない法的根拠って何だろう?
抜き打ちの取材者に好感を持てる筈がないから、当然断る態度は平時より悪くなりがち。あまりにしつこくカメラを向けられたら、犯罪者ならずとも水くらいかけたくなるかも。そこでマスコミが発明?したのが、取材の不成立を上司に怒らえる位なら、取材対象者の断る姿を撮って流す手法。取材対象者が犯罪被疑者だったり、不祥事が噂される政治家や経営者だったら、悪く映りがちな断る態度は視聴者が期待するイメージにピッタリ。本来、拒否されて成立してない取材を放送する権利は無い気がするけど、日本では悪しき伝統芸能になった。
この悪しき手法を、本作は終盤で堂々と使う。カレー毒事件に関与した検事や捜査関係者に取材しては、拒否する姿を写し、こいつら何か隠しとんちゃう?という下世話な印象を観客にプレゼントする。ワイドショーだろうがドキュメンタリー映画だろうが同じ穴の狢。マスゴミには変わりはない。見処がある映画ではあったが、終盤で客観性に欠ける作品と露呈した。
いやぁ~
何とも言えないです…。
映画やドラマの見過ぎかも知れないけど、
昔の警察の取り調べって怖そうだし…。
証拠なくてもそのまま進めそうだし…。
冤罪ではないという自信があるなら、
検察も、再調査すれば良いのに…とは思わされたけど。
あと、そのヒ素のグラフのくだり?
そこが合ってないというのは大事なんだろうけど、ちょっと難しかったです。
中井さんの瞬きしなさ加減の方に!スゴって思ってしまいました。
にしても、やはり、動機が知りたい、というのはありますよね…。
とかいって、冤罪だったら、それはそれで、犯人野放しで怖いな…。
やっぱり冤罪じゃないかな
和歌山カレー事件のドキュメンタリー映画です。
この事件、広く知られていますがそれはやっぱり、逮捕されている林真須美さんの印象とかのせいですかね?
たまに何かで記事を見るのですが、スクープ記事なのか、ゴシップネタなのか
ただの憶測なのか、わからないものが多くてどれも本気で読んでいませんでした。
今回、映画になってゴシップネタぽいものの中に本当のこともあったんだな、と知り
興味を持って最後まで観ました。
なるべく客観的に見たつもりですが、やはり彼女は冤罪なんじゃないかって気がしました。
そもそも、この林家になんの得にもならないことだし。
証拠なし、自白なし、目撃もあいまい。
でも普段の行いが悪いから、疑われて
いろいろボロが出てリンクして考えられちゃったんじゃないかな。
映画の中で、彼女が「普通の生活からいきなり墜ちた」そんなこと言ってたのが
印象的。(その割りにはうろ覚え)
しかし、林健治さんのヒ素をペロッと舐めた、には驚いた。
あと、ラストはダメだと思う。
訴える人は、品行方正じゃないと!
全てが覆りますよね。
中途半端な力作
タイトルでしか知らないのですが、かの有名映像作家の「ドキュメンタリーは嘘をつく」という言葉がずっと脳内を巡っていた。
典型的な一方への肩入れ視点で作られているので、この手のドキュメンタリーを見れば、容疑者擁護の気持ちが芽生えてくるのだが、あからさまなその作りと林健治のクズっぷりが伺えたので、「どうかこいつらが犯人であってくれ」という気持ちが湧いてきてしまった。それが恐らく林真須美の捕まるまでの行動言動で犯人と決めつけてしまった世論であり、自分もその世論を形成してしまった一人なのだろう。
イメージシーンを挿入したりドローン撮影を多用したりと、なんだか民放バラエティ番組の犯罪再現ドラマを見ているようで、しかしながら断られても断られても(少々強引とも思えるが)一般家庭への直撃取材を繰り返し、真相解明への熱意は伝わってくる。
事件の真相も解明されておらず(これからされるとも限らないが)、取材もまだまだ途中なのかもしれないけれど、鑑賞後はなんとも中途半端な気持ちしか残らなかった。
真相は?
監督は、彼女の無罪を信じていて、その視点で話が進行する。確かに死刑判決につながったことに疑わしいことが多く、いろいろな意見や見解があるということ以上に、自分としてどれが正しいのか、ということは容易には言えない。ただ、再審は、すぐにでもすべきだと思う。
冤罪なのかどうなのか
林家をとりかこむマスコミの数がともかく異常。住宅地にここまで押し寄せる異常さが当時は容認されていたことにあらためて驚く。
冤罪かどうかは私にはわからない。
ただ、もし冤罪だとしたら、彼ら家族が耐えるしかなかったさまざまな苦痛や苦悩の詰まった果てしなく長い時間にたいして、誰がどのように償うのだろう、と思いながらみた。
作為的、恣意的な(と感じられる)イメージカットが入ってくるとドキュメンタリーの意味がうすれてしまってちょっともったいない。真実を知りたいあまりにイリーガルな手法をもちいてしまうのも、主張の真っ当さがうすれてしまうのでちょっともったいない。
林眞須美死刑囚は無実では、と思わせる検証内容
1998年7月、和歌山市園部の夏祭りで出されたカレーに猛毒のヒ素が入っていて、4人が死亡、67人がヒ素中毒を発症した事件が起こった。犯人として逮捕されたのは近所に住む主婦の林眞須美だが、彼女は一貫して容疑を否認しており、2009年に最高裁で死刑が確定した後も獄中から無実を訴え続けている。最高裁判決に異議を唱える本作では、当時の目撃証言や科学鑑定への反証を試み、当時の関係者にインタビューを行ったたドキュメンタリー作品。
彼女は犯人じゃない様な気がしてきた。
保険金詐欺は夫健治からの提案だったらしいし、いずみくんも本人が知ってて保険金詐欺に関与した様だし、ヒ素も似た様なものというだけで同一ではなかった様だし、林家以外にも自宅にヒ素を持ってた家が有ったそうだし、動機なし、自白なし、物証なし、目撃情報は信憑性なし。
ないないづくしなのに、保険金詐欺を夫に持ちかけられ共犯者となったことでイメージが悪くなり犯人にされてしまった様に感じた。
元検事の態度も感じ悪いし、東京理科大の教授も自分は悪くない、という姿勢で誠意が感じられなかった。
無罪の可能性が有るのだから、再審請求に応じるべきだと思う。
共感なし
保険金詐欺の件
同居人の呼び捨て
どれもネジが外れた人の行動
映画としても事実の積み重ねや、関係者の背景の丁寧な取材や整理がなく、上滑りのドキュメンタリーで、共感を得にくい映画だったと思う
町山さんの解説とは違う印象をもちました
ヒ素の特定の疑い、動機がないことから無罪ではあると思いますが、同じ地区のヒ素の所持の疑いが憶測レベルであること、家族の当時の行動が曖昧なこと、無罪に向けたの事実の積み重ねが浅かったとおもう
福田村事件と構造は同じってことに気づいた
「あいつらなら やりかねないよね」。
これが、我らが福田村が「5000人を死刑にした“正当な"理由」なので。
集団ヒステリーとは、つまり噂話とゴシップが大好きな一般大衆と、それに乗じる大本営の仕業なのだ。
この映画を観て、
誰が犯人なのかという答えは全く出てこない。
わかったのはこのカレー事件の騒ぎで、庶民は十二分に楽しみ、そして生け贄の祭りに満足し、今は口を閉ざしているということだけだ。
狭山事件の“殺人犯"石川一雄さんの家に、僕は行って、その家の中を説明を受けながら見せてもらったことがあるし、
また、知人が殺人犯の嫌疑で逮捕され、最高裁で無罪が確定するまで20年も、公権力とマスコミから殺人犯としての扱いを受け、言語道断の苦しみを加えられた姿をそばで見てきたし、
松本サリン事件の折には、その事件の現場はうちのごく近所だったから、第一通報者のKさんが犯人だと確信していた僕自身もいた。
衆愚である自分が、実はどれだけ危険な種を内包している存在であり、魔女狩りをしでかす危険を孕んだ存在であったか、
それを考えながら帰途についた。
何でみんな観ないの?Part1
1998年7月におきた「和歌山毒物カレー事件」
67人がヒ素中毒発症、4人が死亡。
当時はまだ子供(?)だったので、事件の詳細までは理解していませんでしたが。。
押し寄せるマスコミ陣にホースで水をかける真須美氏の姿には驚いたし、机の上の札束!
それを囲む林家の様子は鮮明に覚えていて
「ヤバ!」と思ったし、普通の人達じゃなさそう。。って印象でした。
ヒ素や睡眠薬を使用しての保険金詐欺、保険金殺人未遂事件。
様々な犯罪に手を染めていた事実。
上記の犯罪で真須美氏が逮捕され、カレー事件の犯人も彼女だったとし、2009年最高裁で死刑確定。
刑が執行されぬまま今に至る。。
個人的にリアタイでのTVでの情報しか入っていないので、マスコミの情報操作に影響されている。。と、言われればそれまでなのだが、、
私も犯人は真須美氏なんだと思っていた。
だって"警察"が逮捕して"最高裁"までいった裁判で"死刑"が言い渡されているんだもん。
"冤罪の可能性"なんて頭になかった。
否認し続けていたのは知っていたけど、正直、そりゃそ〜だろ。って位にしか思っていなかった。
鑑賞前に少しだけ事件の事を調べてから本作に望んだのだが。。
知らない事だらけで驚いた。
何だか何を信じれば良いのやら(°▽°)
正直困惑しかないです。
監督の行き過ぎた取材で、ドキュメンタリーとしてどうなの?とか、冤罪だという考えに持っていかれがちだった印象も拭えずで、更に困惑させられる。
「疑わしきは被告人の利益」
裁判というと"人を裁く"という印象ですが、実際は、検察官が合理的な、疑問を残さない程度の証拠を提出出来たかどうかを判断するものですよね。
証拠に基づき、検察官の言い分に確信が持てるか。。
確信が持てなければ、被告人に有利な方向で判断しなければならない。。
本事件は、この大前提に沿っているのか。。
真須美氏、健治氏が保険金詐欺をした事は事実ですが、カレー事件については犯行を否認し続けている現状。
どう捉えれば良いのか。。
保険金詐欺事件とカレー事件を一緒の事として考えるのはどうなのか。。
動機もわからなければ、犯人が誰なのかも私にはさっぱりわからないし、冤罪なのか否かもわかりません。
2024年2月時点で再審請求が受理されたとのこと。
今後の動向に注目したいです。
ちょっと本音。。
やっぱり健治氏は人としてどうなの?!としか思えず。。
長女の人生も驚きでしかない。
被害者が加害者になる背景。。
本事件で林家の子供達も被害者なのは間違いないが、負の連鎖を断ち切るって難しいなと思う。
呪いのようです。
こちらの皆さんのレビューが読みたいのに、鑑賞してる方が少ないのなんでなんで??
独自の目線 真実は多数決ではない
「疑わしきは被告人の利益に」これが刑事裁判の原則。
林 眞須美といえば、記者に水をかけるシーンが思い浮かぶが、あれも記者が「暑いから水をかけてくれ」って言ったという噂もある。
袴田事件では再審請求から無罪判決も出ている。
真実を追求することが仕事のはずなのに、バイアスや別の成績が絡むと道を外す可能性があるという事を示した作品だった。
警察、検察にしてもメディアにしても、林 眞須美に罪を被せやすかったのだろう。林夫妻は決して善人ではない。保険金詐欺をしてた事は本人も認めてる。
が、毒物カレー事件の一点については無実を訴えている。
裁判において人間性や他の犯罪歴は関係ない。
状況証拠で固められた「真実」も動機がハッキリしない。
証拠の正当性が提供されてるのだから裁判所も聞く耳を持つべきだろうな。
監督も不起訴とはいえ捕まったって笑っていいのか悪いのか。それは隠してもわからないだろうけどちゃんと顔出しでスクリーンに映したのは良いオチだったな。
再審請求については、大阪の裁判所近くでもビラ配りされてたので知っていた。もう10年以上前のことだから、ずっと活動し続けていることは余程の信念が無いとできない事だろうな。
タイトルなし
始まってすぐ、お芝居と簡単にわかる疑似ニュース音声や歌声、遺族男性を受けて回り込むカメラワークなど「悪い意味でやばい」空気が充満していたが、あっという間に素材の良さが凌駕する。和歌山カレー事件に関わる人間たちの素材としての素晴らしさ。これは監督そりゃ夢中になるし人生賭けちゃうわ。林真須美に動機はないのは勿論、この世の誰にも動機がないこの事件。黒沢清の映画なら全く気にならないんだけど、現実だしな。
林健治の保険金詐欺を話す時の屈託のなさからどうして妻は無罪と言いきれるのかの意味のわからなさや、裏切り者との和気あいあいとしたやり取りが、常人離れして素晴らしい。
あとパンフレット開くと"ストーリー"の項があって笑ってしまった。何だよストーリーって。わかるけど。
無罪かどうか、死刑でいいのか、さっぱり分からない。その裏にめちゃくちゃ適当に生き物に死刑判決を出す日本人の恐ろしさがある。司法行政立法から家族親戚隣の家まで、全員日本人なのって怖い、信用ならない。というわけでまともな人間が一人も出てこない作品。
僕は、最高裁判所 判決を支持します。 それが正義です。
最初のシーンで、マスコミ取材において"取り直すシーン"があった。
これが この映画の真髄であり、真実と事実の違いと、その重要性である。
この夫婦が関係した 疑義を 僕なりに調べたが、吐き気を催すほどの悪量である。
それを制する 正義 が無ければ、彼女らは 何時までも 更なる悪を繰り返し、次々に模倣犯まで産みだすと考えられる。
よって、悪戯の多々を繰り返した末のこの大罪による報いである。
薬物(ヒ素)を誰が、いつ 入れたかは、重要ではない。
サイコロを振った人間よりも、賭博場を作り出した経緯と元締めが最大の悪である。
滑稽なのは、支援者たちに載せられた 帝大教授。
私立R大の研究者が「SPring-8」実験装置を使って、判定を行った事への"焼きもち"が
見え隠れし、載せられたのは、良く判るが、
「100%ではない」と言う屁理屈をK大の傘の下で、平然と言い切る 醜い男の1面の様を、映画で魅せられてしまった。
K大教授は、必要条件と絶対条件の違いを指摘しているに過ぎないが、神しか判らない事を言った事を、掬われてしまい、それを裁判に引き出した 支援者達の企みは、アッパレ優れ者です。
どんな豚にも支援者が存在する日本は、「捨てたものではない国」だと、映画を鑑賞中ずっと、実感していました。
監督は、取材をしながらも、本人の実力なのか、偶然なのか 真 なのかと
I氏を疑い、
隠密取材をしようとして、ヘマをしでかしたようだが
世にバトンをパスされても。。。彼は模倣犯だとは考えられますが、
警察は、事件後の"保険金の流れ"だけは 必ず確認されただろうから、真ではないと考えられます。
映画はきちんと構成され、撮影も素晴らしく
編集もよく、とても見易く 良い映画作りをしている素質がある素晴らしい監督だと判るので、
今後は、もう少し大きな"山"を取材して、映画にしてほしいと 僕は望みます。
この映画を観たら、
マイケルムーア監督の「華氏119(2018年)」をお勧めしたい。
僕は、この映画を観て、批評とは 全く別な 反対的な感想を持った程
凄い映画だった!
最後に、この豚共の犠牲になられた方々の 尊い命に、ご冥福をお祈りいたします。
心地よい主観的ドキュメント
なぜかこの事件には惹かれるものがあり
個人的に調べた時期があって
作品で語られる事実は全て知っていた。
なので真新しい情報はなかったが
作品としての価値は充分に感じられた。
当時大騒ぎしたマスコミには
再びこの作品を大騒ぎして取り扱って欲しい。
後半はドキュメント作品としての
客観性が曖昧になっていく。
それで良いと思った。
監督の強い正義感が心地良かった。
冤罪なんてありえないと思ってました、いままで
出来事と事実を客観的に見せ、
やった、やっていないに偏らず中立的に進行する。
それは観ている者にバイアスをかけず、
この作品を観た上での判断を任せているような、
謙虚で、誠実な作品であると感じた。
ネット記事やYouTubeで情報を拾った身としては、
やや物足りなく、インパクトに欠けるが、
検察の傲慢さとマスメディアの無責任さが、
その人とその人を取り巻く人々の人生を翻弄するのであれば、あまりにも理不尽だし、その行動に憤りと恐ろしさを感じる。
作中に登場する新聞記者はクレディビリティ云々と言っていたが、いじめっ子に告げ口をしていじめに加担するその他大勢に感じられた。
私たち1人1人が賢く誠実に生きていくことの重要性を再認識させられた作品だった。
検証の意義
新たな証拠や証言があるわけでなく、判決のよりどころとなる根拠に論理の穴があるということを訴える作品です。
林眞須美死刑囚の家族にフォーカスする一方で、無垢な善人であるとは描いていません。
悪びれもせず保険金詐欺を語る夫・林健治の姿にはぞっとするものがあります。
息子の語り口も、母が無実だと信じているというよりは、判決内容を鑑みると有罪とは考えられない、というようです。
素人目にも論理の穴がみえる根拠によって有罪判決がなされたことに対しては、検証がなされるべきです。
検察側の都合のよいように科学が利用されてしまったようにも感じられて、「数字は嘘をつかないが嘘つきは数字を使う」という言葉が思い起こされます。
2024年2月に再審請求が受理されたそうなので、今後の動向を見ていきたいと思います。
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