マミーのレビュー・感想・評価
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何でみんな観ないの?Part1
1998年7月におきた「和歌山毒物カレー事件」
67人がヒ素中毒発症、4人が死亡。
当時はまだ子供(?)だったので、事件の詳細までは理解していませんでしたが。。
押し寄せるマスコミ陣にホースで水をかける真須美氏の姿には驚いたし、机の上の札束!
それを囲む林家の様子は鮮明に覚えていて
「ヤバ!」と思ったし、普通の人達じゃなさそう。。って印象でした。
ヒ素や睡眠薬を使用しての保険金詐欺、保険金殺人未遂事件。
様々な犯罪に手を染めていた事実。
上記の犯罪で真須美氏が逮捕され、カレー事件の犯人も彼女だったとし、2009年最高裁で死刑確定。
刑が執行されぬまま今に至る。。
個人的にリアタイでのTVでの情報しか入っていないので、マスコミの情報操作に影響されている。。と、言われればそれまでなのだが、、
私も犯人は真須美氏なんだと思っていた。
だって"警察"が逮捕して"最高裁"までいった裁判で"死刑"が言い渡されているんだもん。
"冤罪の可能性"なんて頭になかった。
否認し続けていたのは知っていたけど、正直、そりゃそ〜だろ。って位にしか思っていなかった。
鑑賞前に少しだけ事件の事を調べてから本作に望んだのだが。。
知らない事だらけで驚いた。
何だか何を信じれば良いのやら(°▽°)
正直困惑しかないです。
監督の行き過ぎた取材で、ドキュメンタリーとしてどうなの?とか、冤罪だという考えに持っていかれがちだった印象も拭えずで、更に困惑させられる。
「疑わしきは被告人の利益」
裁判というと"人を裁く"という印象ですが、実際は、検察官が合理的な、疑問を残さない程度の証拠を提出出来たかどうかを判断するものですよね。
証拠に基づき、検察官の言い分に確信が持てるか。。
確信が持てなければ、被告人に有利な方向で判断しなければならない。。
本事件は、この大前提に沿っているのか。。
真須美氏、健治氏が保険金詐欺をした事は事実ですが、カレー事件については犯行を否認し続けている現状。
どう捉えれば良いのか。。
保険金詐欺事件とカレー事件を一緒の事として考えるのはどうなのか。。
動機もわからなければ、犯人が誰なのかも私にはさっぱりわからないし、冤罪なのか否かもわかりません。
2024年2月時点で再審請求が受理されたとのこと。
今後の動向に注目したいです。
ちょっと本音。。
やっぱり健治氏は人としてどうなの?!としか思えず。。
長女の人生も驚きでしかない。
被害者が加害者になる背景。。
本事件で林家の子供達も被害者なのは間違いないが、負の連鎖を断ち切るって難しいなと思う。
呪いのようです。
こちらの皆さんのレビューが読みたいのに、鑑賞してる方が少ないのなんでなんで??
わかったことと新たな疑念
事件が起きた当初から、夏祭りで出すカレーにわざと毒を入れる人なんているのかしら、という疑問があった。ある時期に、様々な冤罪事件を取り上げた小さな映画会で、林死刑囚のことも含まれていることを知り、まだ冤罪の可能性が消え去ったわけではないと知った。本作で、どのような事実経過が明らかになっているのかを確認してみたかった。しかし、亜砒酸の最初の検査傾向は明らかにされているが、異議を唱えた研究者の調査結果が不明瞭に感じられた。夫の保険金詐欺事件の実態を知って呆れた。そこはそこで罪を償うべきだと思った。娘の心中事件には、配慮が必要だと思った。監督の取材での対象者とのトラブルの顛末を描いたのは、正直ではあるけれども、不安を感じる要素ともなった。
独自の目線 真実は多数決ではない
「疑わしきは被告人の利益に」これが刑事裁判の原則。
林 眞須美といえば、記者に水をかけるシーンが思い浮かぶが、あれも記者が「暑いから水をかけてくれ」って言ったという噂もある。
袴田事件では再審請求から無罪判決も出ている。
真実を追求することが仕事のはずなのに、バイアスや別の成績が絡むと道を外す可能性があるという事を示した作品だった。
警察、検察にしてもメディアにしても、林 眞須美に罪を被せやすかったのだろう。林夫妻は決して善人ではない。保険金詐欺をしてた事は本人も認めてる。
が、毒物カレー事件の一点については無実を訴えている。
裁判において人間性や他の犯罪歴は関係ない。
状況証拠で固められた「真実」も動機がハッキリしない。
証拠の正当性が提供されてるのだから裁判所も聞く耳を持つべきだろうな。
監督も不起訴とはいえ捕まったって笑っていいのか悪いのか。それは隠してもわからないだろうけどちゃんと顔出しでスクリーンに映したのは良いオチだったな。
再審請求については、大阪の裁判所近くでもビラ配りされてたので知っていた。もう10年以上前のことだから、ずっと活動し続けていることは余程の信念が無いとできない事だろうな。
タイトルなし
始まってすぐ、お芝居と簡単にわかる疑似ニュース音声や歌声、遺族男性を受けて回り込むカメラワークなど「悪い意味でやばい」空気が充満していたが、あっという間に素材の良さが凌駕する。和歌山カレー事件に関わる人間たちの素材としての素晴らしさ。これは監督そりゃ夢中になるし人生賭けちゃうわ。林真須美に動機はないのは勿論、この世の誰にも動機がないこの事件。黒沢清の映画なら全く気にならないんだけど、現実だしな。
林健治の保険金詐欺を話す時の屈託のなさからどうして妻は無罪と言いきれるのかの意味のわからなさや、裏切り者との和気あいあいとしたやり取りが、常人離れして素晴らしい。
あとパンフレット開くと"ストーリー"の項があって笑ってしまった。何だよストーリーって。わかるけど。
無罪かどうか、死刑でいいのか、さっぱり分からない。その裏にめちゃくちゃ適当に生き物に死刑判決を出す日本人の恐ろしさがある。司法行政立法から家族親戚隣の家まで、全員日本人なのって怖い、信用ならない。というわけでまともな人間が一人も出てこない作品。
僕は、最高裁判所 判決を支持します。 それが正義です。
最初のシーンで、マスコミ取材において"取り直すシーン"があった。
これが この映画の真髄であり、真実と事実の違いと、その重要性である。
この夫婦が関係した 疑義を 僕なりに調べたが、吐き気を催すほどの悪量である。
それを制する 正義 が無ければ、彼女らは 何時までも 更なる悪を繰り返し、次々に模倣犯まで産みだすと考えられる。
よって、悪戯の多々を繰り返した末のこの大罪による報いである。
薬物(ヒ素)を誰が、いつ 入れたかは、重要ではない。
サイコロを振った人間よりも、賭博場を作り出した経緯と元締めが最大の悪である。
滑稽なのは、支援者たちに載せられた 帝大教授。
私立R大の研究者が「SPring-8」実験装置を使って、判定を行った事への"焼きもち"が
見え隠れし、載せられたのは、良く判るが、
「100%ではない」と言う屁理屈をK大の傘の下で、平然と言い切る 醜い男の1面の様を、映画で魅せられてしまった。
K大教授は、必要条件と絶対条件の違いを指摘しているに過ぎないが、神しか判らない事を言った事を、掬われてしまい、それを裁判に引き出した 支援者達の企みは、アッパレ優れ者です。
どんな豚にも支援者が存在する日本は、「捨てたものではない国」だと、映画を鑑賞中ずっと、実感していました。
監督は、取材をしながらも、本人の実力なのか、偶然なのか 真 なのかと
I氏を疑い、
隠密取材をしようとして、ヘマをしでかしたようだが
世にバトンをパスされても。。。彼は模倣犯だとは考えられますが、
警察は、事件後の"保険金の流れ"だけは 必ず確認されただろうから、真ではないと考えられます。
映画はきちんと構成され、撮影も素晴らしく
編集もよく、とても見易く 良い映画作りをしている素質がある素晴らしい監督だと判るので、
今後は、もう少し大きな"山"を取材して、映画にしてほしいと 僕は望みます。
この映画を観たら、
マイケルムーア監督の「華氏119(2018年)」をお勧めしたい。
僕は、この映画を観て、批評とは 全く別な 反対的な感想を持った程
凄い映画だった!
最後に、この豚共の犠牲になられた方々の 尊い命に、ご冥福をお祈りいたします。
心地よい主観的ドキュメント
なぜかこの事件には惹かれるものがあり
個人的に調べた時期があって
作品で語られる事実は全て知っていた。
なので真新しい情報はなかったが
作品としての価値は充分に感じられた。
当時大騒ぎしたマスコミには
再びこの作品を大騒ぎして取り扱って欲しい。
後半はドキュメント作品としての
客観性が曖昧になっていく。
それで良いと思った。
監督の強い正義感が心地良かった。
冤罪なんてありえないと思ってました、いままで
出来事と事実を客観的に見せ、
やった、やっていないに偏らず中立的に進行する。
それは観ている者にバイアスをかけず、
この作品を観た上での判断を任せているような、
謙虚で、誠実な作品であると感じた。
ネット記事やYouTubeで情報を拾った身としては、
やや物足りなく、インパクトに欠けるが、
検察の傲慢さとマスメディアの無責任さが、
その人とその人を取り巻く人々の人生を翻弄するのであれば、あまりにも理不尽だし、その行動に憤りと恐ろしさを感じる。
作中に登場する新聞記者はクレディビリティ云々と言っていたが、いじめっ子に告げ口をしていじめに加担するその他大勢に感じられた。
私たち1人1人が賢く誠実に生きていくことの重要性を再認識させられた作品だった。
検証の意義
新たな証拠や証言があるわけでなく、判決のよりどころとなる根拠に論理の穴があるということを訴える作品です。
林眞須美死刑囚の家族にフォーカスする一方で、無垢な善人であるとは描いていません。
悪びれもせず保険金詐欺を語る夫・林健治の姿にはぞっとするものがあります。
息子の語り口も、母が無実だと信じているというよりは、判決内容を鑑みると有罪とは考えられない、というようです。
素人目にも論理の穴がみえる根拠によって有罪判決がなされたことに対しては、検証がなされるべきです。
検察側の都合のよいように科学が利用されてしまったようにも感じられて、「数字は嘘をつかないが嘘つきは数字を使う」という言葉が思い起こされます。
2024年2月に再審請求が受理されたそうなので、今後の動向を見ていきたいと思います。
人間はミクロにしか物を見ることができない。
カレー事件の真相と林一家に押された悪のレッテルをしっかり分けようとして構成されているのは評価できると思うが、逆にこの映画を観て林死刑囚に対して全く同情できない自分を再認識させられる映画でもあった。そう、真面目に生きてる日の当たらない人間にとって、林一家の数々の所業は到底考えられない絶対悪であるからだ。どうやらこの映画の監督は林真須美が無実だったらどうする?この一点のみに興味があって制作したように思える。あまりにも流れがアンチ林一家なのであるが、そいつには手を加えず、一切お構いなしなのだから。正直、途中で、林健治さんの語る件に飽きてきて、もうええわ、いつまでだらだら話が続くんだよと思えてきた。まあ、こんなに真相なんかどっちでもええわと思わせる映画も珍しい。
客観的な真の真須美被告像が見えてこない
「和歌山毒物カレー事件」。もうとっくに解決済の事件だと思っていた。
当時のマスコミの過熱報道が印象的だった。林真須美容疑者の報道陣へホースで水を撒く映像で、誰しも、この女性は自分のあやまちの上塗りをしているにすぎないと感じたであろう。
脳裏の片隅にも残っていなかった事件が呼び起こされたのは、日経新聞の一面の片隅に載っていたコラムだった。
「林家にあったヒ素と現場から検出されたヒ素が同じ鑑定結果を導き、最先端の技術(SPring-8)が事件解決の糸口をもたらした」と書かれている。だがよく読むと、ある科学者がその結論に異を唱え、本来は複数の施設で同類の実験をしなければ真偽は見定められない、と添えられていた。
ふーん、科学ってそういうものなんだ?と思ったその日に、なぜか興味本位も手伝って、渋谷の宮益坂を昇り切った、行ったこともない映画館に足が向いていた。
映画で異を唱えた科学者は言う。本来綿密な数量分析するべきところをパターン分析ですませてしまった。これは常識では考えられない、と。他に知らなかった事実が映像に映し出される。ヒ素混入の目撃証言も、証言した人間の見ていた位置が最初の証言と食い違っていたり、眞須美被告が、カレーの鍋のふたを開けたのはヒ素が入ってなかった鍋だったりとか。
そして一番の疑問点は、なぜ鍋にヒ素を混入したのかという動機が見えてこないこと。
真須美被告は周囲の人間にどう思われてたのか。人間関係はどうだったのか。保険金詐欺に加担していた夫婦として疎外されていたのか。仮に疎外されていたとして、真須美被告の恨みは存在していたのか。
そこが描かれていないがために、動機が不明といっても、なぜか納得感が見出せない。だから、保険金詐欺を働く夫婦なのだから悪い奴にきまっている、というバイアスだけが働いてしまう。
いくら夫や長男が、保険金詐欺とカレー事件は別ものと主張したところで、周囲の人々の言葉や風評がほとんど聞けない限り、被告側の論理の域を脱することはできない。さわらぬ神にたたりなしに対抗はできない。この周囲とのコミュニケーションが完全に欠如していること、言いかえれば、客観的な真の真須美被告像が見えてこないことが、本作の最大の弱点かな?と思わざるをえない。
状況証拠のみ。怨恨等の動機なし。鑑定結果も不備。でも死刑確定。事件は未解決のまま、冤罪への希求は続く。その行方をただじっと静観するしかないことのもどかしさ。その思いが真須美被告の長男の語りでリフレインされ、事実は死刑判決のままだが、なぜか心情は底なしの迷宮へと誘われていく。
そう遠くない昔の事件なのに、 状況証拠だけで死刑になるとはいかがな...
そう遠くない昔の事件なのに、
状況証拠だけで死刑になるとはいかがなものか的なコラムを
当時読んだ覚えがあります
罪を犯した人は罰せられなければいけないし、
冤罪も許されない
私がその辺をとやかく言うのは気が引けるが、
ただひとつ、感想を述べるとしたら、
息子さん、よくこんなにきちんと育ちましたね
それだけでなんだか尊敬に値します
脆弱な基盤
林死刑囚が犯人という証拠は存在せず、あくまで状況証拠の積み重ねで死刑判決が確定しているが、その状況証拠もかなり危うい土台の上に乗っているというのが趣旨でしょうか。
・目撃証言は毒を入れたことまでを示すものではない。
・カレーに混入されたヒ素が林家にあったヒ素であるという同定は単に「組成が同じ」であるという理由でなされたに過ぎず、広く同一商品が出回っていたことを考えるとほぼ証拠能力はない。
検査をした某教授も同一組成のものであると指摘したに過ぎず、さらには、その同定の仕方そのものへの学問的批判も他の研究者から出ている。
真須美死刑囚の夫の健治氏は恐らく生い立ちのせいもあって生きることに自暴自棄な側面があり、それが保険金詐取につながり、「証拠はないけど怪しい」とマスコミだけでなくそれに影響された警察・検察までを動かしているという印象。
人間としてクズだから冤罪で死刑になっていいなんてことはない。このドキュメンタリーの意義は人物を美化せず、そこを訴えたことにあると思いますよ。
それが分からず、「こいつらクズじゃねーか」で思考が止まっている書き込みがチラホラありますけど、これは事件当時にマスコミがやったこととそっくり同じですね。
保険金詐欺の件ではモヤモヤするところも
ドキュメンタリーということで想像していたよりテンポよく、先が気になるような構成の仕方で見やすかったです。
挿しはさまれる花や風景の映像も印象的でした。
この事件に関する報道をリアルタイムでテレビで見ていた世代です。
冤罪を訴えていることについてはなんとなく聞いたことがあるという程度で、鑑定内容についての見解など具体的な主張はこの作品で知りました。
カレー事件の判決について疑問が生じるのも納得で、再審すべきではと思いますが。
過ちを認めようとしない検察などの権力や、マスコミ(現代ならSNSでしょうか)が煽る空気の怖さを感じます。
保険金詐欺の件については、あくまで夫側からの見方なので、被害者が本当に納得ずくだったのか、借金などで断りにくい力関係があった可能性も否定できないのでは、とも考えてしまいました。
夫の言う通り仲間として共謀していたのかも知れませんし、他に居場所がなく寡黙で下に見られていたらしい被害者は逆らえなかっただけかも知れませんし、これを見ただけではなんとも。
なので、被害者宅を訪問する場面はなんだかモヤモヤしてしまいました。
作品としては、ジャーナリストの見解からも、仲間だったけれど検察の誘導により加害者被害者ということにした、という主張のように見受けられます。
印象操作のために検察が誘導したというのはあるとは思いますが、被害者の本心がどうだったのかが分からないので、この部分はなんとも…
「眞須美は、金にならん事せんよ。」
いつ何で見たか忘れたけど
林眞須美さんの夫、健治さんのこの言葉を聞いて以来、
私も、犯人は林眞須美さんじゃ無いのではと思っている。
連日報道で流れる林眞須美さんの様子や
ものすごい件数の保険金詐欺をしていた事もあり
印象が良いとは言えないし
林眞須美さんが犯人であれば
警察としても都合が良いのは分かる。
でも、証言の曖昧さや、決め手に欠ける証拠の数々
そして、やはり“金にならない”という事が
どうしてもこの事件を起こす動機と結び付かない。
林眞須美さんが
犯人では無いかもしれない
という事は
今もなおどこかに
犯人が居るかもしれない
という事でもある
それで良いんだろうか。
67人が中毒症状、4人が死亡してる大事件
本当に林眞須美さんをこのまま犯人として死刑にして良いのだろうか?
三連休最終日
イメージフォーラムでは
どの回も満員御礼で売り切れ。
冤罪系のドラマなんかも増えてきたけど
まだまだこういった事例はあると思われる
そういったことも含めて
改めてこの映画を見る必要がある気がした。
タブーとされる話。
1998年7月25日に起きた和歌山カレー事件のドキュメンタリー。
場内は満席⁈かと思うほどの盛況ぶり。
保険金詐欺の事をスラスラと話してしまう林容疑者の夫は、実験台になったのが自分だからか罪の意識は全くないように感じました。当たり前のようにヒ素を使って保険金をもらうという感覚に言葉を失います。
本作を見たからといって本当の事は分かりません。ドキュメンタリーなので重いと感じる場面もありました。
当時の事件の捜査等に関わった人達の歯切れの悪さも目立って、無実を訴える親族や周りの方々の願い(再審)が叶う日が来る事を願わずにはいられません。
これは司法に対する訴え?
この映画を語るうえで、まず有罪か無罪かは別問題にしよう。公平な視線で語りたいと思う。
同じ劇物を使った無差別殺傷事件としてニュースにも取り上げられた名張毒ぶどう酒事件が、和歌山の毒物カレー事件に発生していて、これは女性が飲むぶどう酒に農薬として使われるニッカリンが含まれていたことで、犯人はぶどう酒を飲まない男性だと特定され、比較的被害が少なかった会に当時愛人がいたo氏に疑いの目が向けられると犯人として逮捕されてしまう。
同じ事が言えると思う。
保険金詐欺ばかりを繰り返し夫の犯罪の片棒を担ぐ形で悪徳に金を巻き上げていたことを当然ながら警察は知っているし、犯罪のやり方が同様だと気づけば怪しまれるのは致し方ない。
しかし、海外の女性のシリアルキラーに目を向けてみたら、女性のシリアルキラーの特徴としてあげられるのが、犯行を犯した理由の殆どが金銭目的だ。また同時にカップルキラーというように、夫またパートナーの犯罪の片棒を担ぎ犯罪の道に手を染めてしまう。
林被告は典型的なカップルキラーの事例の一つであろう。夫と結婚するまでは何不自由なく生活をしていたのだろうけど、無知すぎるがゆえに悪の道に染まるのはあっという間だったのだろう。
だからこそ、金銭目的ならば無差別的に鍋にヒ素を盛ったとは考えられない。そのうえ、動機が見えてこない。事件の内容は、地域会における狭いコミューンにおいての怨恨とみるのが妥当だが、林被告に果たして恨み節などあったのか?
映画を通し確かに動機が見えてこないのは不審に思った。しかし、疑問に思ったのがその当時はどこでもヒ素購入の規制がゆるいために買えた、どこの家庭にも白アリ駆除のためのヒ素を持っていたという証言があるが、誰の証言?
犯人は逮捕され、事件は解決した。
疑わしきは罰せよ。
それが地元の考えならば、事件のことはもう思い出したくないということであって、部外者が了解得ずズカズカと強硬的な取材は通報される原因に繋がるのは分かるはずでは?熱意は伝わるが余りにも取材対応が大人じゃない印象を受けた。
さり気なく強烈な制作意図
林健治氏が事件のヒントになる友人を尋ねる場面にじっくりカメラが向けられるのだけど、これこそ監督の「さり気なく強烈な制作意図」ではないだろうか。それがこれまでのドキュメンタリーの名監督との違いでもある。巧妙な自己主張を織り込むことで作品を高める方を多く見てきたが、二村真弘監督のこの作品では、自らが右往左往するシークエンスはエピローグに過ぎず、この林健治氏の姿こそが強烈なメッセージだと感じた。詰まるところ、罪と悪の話なのだろう。
公開に伴い得られると成功な成果は?
僕が監督に舞台挨拶後の直接質問で投げかけた言葉
である。
それに対して監督は
言葉を選びながら、こう返答してくれた。
公開を受けて、各メディアが持っている事件関係資料の
見直しと再検証を進めてくれれば。
この答えを受け。僕はこう返答している。
それは本映画の主題以外も含めての話ですね。
と
我が国に限らず、世界中の至る所で公権力の暴走が
止まらない。
そして止める筈のメディアが止めようともしない。
これが今最大の問題だと僕は感じている。
だからこその本作であり各種冤罪の再審査だと◎
どこかの首長が自身を暴走老人と仰ってたが
あの方の暴走には愛があった。
だが、公権力の暴走には愛が見られない。
そう言うことだと
僕は本作の感想として書き残したい!
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