マミーのレビュー・感想・評価
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タイトルなし(ネタバレ)
1998年7月に起きた「和歌山カレー毒物混入事件」。
地域の夏祭りで提供されたカレーにヒ素が混入し、4人が死亡、数十人が重軽傷を負った事件だ。
犯人と目され、逮捕、最高裁で死刑判決がでた主婦・林眞須美は無罪を訴え続けた。
裁判で提出された「目撃証言」「科学鑑定」を再度検証し、判決は適切であったかどうか、当時の過熱したマスコミ報道の在り方に誤りはなかったのか・・・
といったところから取材がはじまるドキュメンタリー映画。
証言・証拠の再検証から「冤罪事件」とその原因を追うつもりだったはずだが、林死刑囚の夫・健治の口から、当時、事件の背景として世間から強力に非難された原因である保険金詐欺事件の全貌がアッケラカンと飛び出す。
健治が行っていた保険金詐欺事件・・・って、まんま『黒い家』やん。
『黒い家』では妻が主犯だったけれど、健治の保険金詐欺事件の主体は健治。
「楽勝やで~」などとの発言もあり、あまりの不謹慎さに取材する監督も魅了されてしまう。
結果、製作意図からドンドントとズレていき、良識とか常識の範疇からはみ出して行くという不謹慎な面白さに満ち満ちている。
良作とかからは遠いが、ケッサクといえるかも。
共感なし
福田村事件と構造は同じってことに気づいた
「あいつらなら やりかねないよね」。
これが、我らが福田村が「5000人を死刑にした“正当な"理由」なので。
集団ヒステリーとは、つまり噂話とゴシップが大好きな一般大衆と、それに乗じる大本営の仕業なのだ。
この映画を観て、
誰が犯人なのかという答えは全く出てこない。
わかったのはこのカレー事件の騒ぎで、庶民は十二分に楽しみ、そして生け贄の祭りに満足し、今は口を閉ざしているということだけだ。
狭山事件の“殺人犯"石川一雄さんの家に、僕は行って、その家の中を説明を受けながら見せてもらったことがあるし、
また、知人が殺人犯の嫌疑で逮捕され、最高裁で無罪が確定するまで20年も、公権力とマスコミから殺人犯としての扱いを受け、言語道断の苦しみを加えられた姿をそばで見てきたし、
松本サリン事件の折には、その事件の現場はうちのごく近所だったから、第一通報者のKさんが犯人だと確信していた僕自身もいた。
衆愚である自分が、実はどれだけ危険な種を内包している存在であり、魔女狩りをしでかす危険を孕んだ存在であったか、
それを考えながら帰途についた。
最新鋭・専門家の罠
1998年7月、和歌山市園部で起きたいわゆる「和歌山毒物カレー事件」は連日ワイドショーを賑わし、怪しいと見られた林眞須美氏がカメラマンに向けてホースの水を撒く映像は繰り返しテレビで流されました。そして、ふてぶてしそうに映るそのイメージから「こいつが犯人に違いない」の決めつけが国民の間に定着して行き、やがて逮捕・裁判の結果、2009年に最高裁で彼女の死刑が確定しました。本作は、彼女が本当に犯人だったのかを一から再検証したドキュメンタリーです。一部の関係者の間では「彼女は冤罪なのではないか」という議論がかねてからあったのだそうですが、僕は全く知りませんでした。
当時の目撃証言の矛盾点・曖昧さ、物的証拠の弱さが一つ一つ指摘され、「へぇ~、そうなのかぁ」と驚かされる一方で、作中に登場する林家の家族の証言、特に、妻の眞須美氏にヒ素化合物で殺されかけたとされる夫の健治氏の語りには「なんじゃこの人?」と度肝を抜かれ、真実が一体どこにあるのか分からなくなってしまいます。そういう意味では非常によく出来た推理劇・法廷ドラマの様に「楽しめてしまう」のでした。
その様に、本作は非常に多層的な構造を有しているので一言で語り辛いのですが、僕が一番驚いた点を一つだけ挙げておきます。林眞須美氏の有罪を決定付けた物証として、林家の台所にあったシロアリ駆除用容器の亜ヒ酸と、カレー鍋の傍に捨てられていた紙コップに付いていた亜ヒ酸が同一物だという分析結果が挙げられていました。それには当時最新鋭のspring8 と呼ばれる大型の分析器が用いられ、新聞・ニュースでも大きく取り上げられました。僕もよく覚えているのですが、
「ええ?両者が同一物と証明できたと言う事は、台所にあった容器に含まれる微量添加物や配合物が亜ヒ酸に僅かに混入し、それが鍋の傍の紙コップからも検出できたと言う事なんだろうな。そんな物まで分析できるなんて、さすが最新鋭機はすごいな」
と驚いたものでした。ところが、それは全く違っていたのです。あの分析で判明したのは、「どちらも中国産亜ヒ酸である」と言う事だけだったのです。この映画を観てから改めて調べると、日本で用いられる亜ヒ酸の多くは輸入品で中国産が最も多いのです。だから、この分析結果は「どちらからも、最も一般的なヒ素化合物が検出されました」というだけで、これだけでは何ら決定的証拠になり得ないのは明らかです。せめて、林家の台所以外に和歌山県内には中国製亜ヒ酸はないと言う程度の検証は必要でしょうが、そんな調査は一切行われていません。
本作を観ても「彼女は冤罪である」とまでは言えないかも知れませんが、何人も疑う余地のないほど明らかに彼女の犯行であるとはとても思えませんでした。「疑わしきは被告人の利益に」は現在の裁判の大原則でしょうから、再審が認められるべきだと思います。
何でみんな観ないの?Part1
1998年7月におきた「和歌山毒物カレー事件」
67人がヒ素中毒発症、4人が死亡。
当時はまだ子供(?)だったので、事件の詳細までは理解していませんでしたが。。
押し寄せるマスコミ陣にホースで水をかける真須美氏の姿には驚いたし、机の上の札束!
それを囲む林家の様子は鮮明に覚えていて
「ヤバ!」と思ったし、普通の人達じゃなさそう。。って印象でした。
ヒ素や睡眠薬を使用しての保険金詐欺、保険金殺人未遂事件。
様々な犯罪に手を染めていた事実。
上記の犯罪で真須美氏が逮捕され、カレー事件の犯人も彼女だったとし、2009年最高裁で死刑確定。
刑が執行されぬまま今に至る。。
個人的にリアタイでのTVでの情報しか入っていないので、マスコミの情報操作に影響されている。。と、言われればそれまでなのだが、、
私も犯人は真須美氏なんだと思っていた。
だって"警察"が逮捕して"最高裁"までいった裁判で"死刑"が言い渡されているんだもん。
"冤罪の可能性"なんて頭になかった。
否認し続けていたのは知っていたけど、正直、そりゃそ〜だろ。って位にしか思っていなかった。
鑑賞前に少しだけ事件の事を調べてから本作に望んだのだが。。
知らない事だらけで驚いた。
何だか何を信じれば良いのやら(°▽°)
正直困惑しかないです。
監督の行き過ぎた取材で、ドキュメンタリーとしてどうなの?とか、冤罪だという考えに持っていかれがちだった印象も拭えずで、更に困惑させられる。
「疑わしきは被告人の利益」
裁判というと"人を裁く"という印象ですが、実際は、検察官が合理的な、疑問を残さない程度の証拠を提出出来たかどうかを判断するものですよね。
証拠に基づき、検察官の言い分に確信が持てるか。。
確信が持てなければ、被告人に有利な方向で判断しなければならない。。
本事件は、この大前提に沿っているのか。。
真須美氏、健治氏が保険金詐欺をした事は事実ですが、カレー事件については犯行を否認し続けている現状。
どう捉えれば良いのか。。
保険金詐欺事件とカレー事件を一緒の事として考えるのはどうなのか。。
動機もわからなければ、犯人が誰なのかも私にはさっぱりわからないし、冤罪なのか否かもわかりません。
2024年2月時点で再審請求が受理されたとのこと。
今後の動向に注目したいです。
ちょっと本音。。
やっぱり健治氏は人としてどうなの?!としか思えず。。
長女の人生も驚きでしかない。
被害者が加害者になる背景。。
本事件で林家の子供達も被害者なのは間違いないが、負の連鎖を断ち切るって難しいなと思う。
呪いのようです。
こちらの皆さんのレビューが読みたいのに、鑑賞してる方が少ないのなんでなんで??
わかったことと新たな疑念
事件が起きた当初から、夏祭りで出すカレーにわざと毒を入れる人なんているのかしら、という疑問があった。ある時期に、様々な冤罪事件を取り上げた小さな映画会で、林死刑囚のことも含まれていることを知り、まだ冤罪の可能性が消え去ったわけではないと知った。本作で、どのような事実経過が明らかになっているのかを確認してみたかった。しかし、亜砒酸の最初の検査傾向は明らかにされているが、異議を唱えた研究者の調査結果が不明瞭に感じられた。夫の保険金詐欺事件の実態を知って呆れた。そこはそこで罪を償うべきだと思った。娘の心中事件には、配慮が必要だと思った。監督の取材での対象者とのトラブルの顛末を描いたのは、正直ではあるけれども、不安を感じる要素ともなった。
独自の目線 真実は多数決ではない
「疑わしきは被告人の利益に」これが刑事裁判の原則。
林 眞須美といえば、記者に水をかけるシーンが思い浮かぶが、あれも記者が「暑いから水をかけてくれ」って言ったという噂もある。
袴田事件では再審請求から無罪判決も出ている。
真実を追求することが仕事のはずなのに、バイアスや別の成績が絡むと道を外す可能性があるという事を示した作品だった。
警察、検察にしてもメディアにしても、林 眞須美に罪を被せやすかったのだろう。林夫妻は決して善人ではない。保険金詐欺をしてた事は本人も認めてる。
が、毒物カレー事件の一点については無実を訴えている。
裁判において人間性や他の犯罪歴は関係ない。
状況証拠で固められた「真実」も動機がハッキリしない。
証拠の正当性が提供されてるのだから裁判所も聞く耳を持つべきだろうな。
監督も不起訴とはいえ捕まったって笑っていいのか悪いのか。それは隠してもわからないだろうけどちゃんと顔出しでスクリーンに映したのは良いオチだったな。
再審請求については、大阪の裁判所近くでもビラ配りされてたので知っていた。もう10年以上前のことだから、ずっと活動し続けていることは余程の信念が無いとできない事だろうな。
タイトルなし
始まってすぐ、お芝居と簡単にわかる疑似ニュース音声や歌声、遺族男性を受けて回り込むカメラワークなど「悪い意味でやばい」空気が充満していたが、あっという間に素材の良さが凌駕する。和歌山カレー事件に関わる人間たちの素材としての素晴らしさ。これは監督そりゃ夢中になるし人生賭けちゃうわ。林真須美に動機はないのは勿論、この世の誰にも動機がないこの事件。黒沢清の映画なら全く気にならないんだけど、現実だしな。
林健治の保険金詐欺を話す時の屈託のなさからどうして妻は無罪と言いきれるのかの意味のわからなさや、裏切り者との和気あいあいとしたやり取りが、常人離れして素晴らしい。
あとパンフレット開くと"ストーリー"の項があって笑ってしまった。何だよストーリーって。わかるけど。
無罪かどうか、死刑でいいのか、さっぱり分からない。その裏にめちゃくちゃ適当に生き物に死刑判決を出す日本人の恐ろしさがある。司法行政立法から家族親戚隣の家まで、全員日本人なのって怖い、信用ならない。というわけでまともな人間が一人も出てこない作品。
僕は、最高裁判所 判決を支持します。 それが正義です。
最初のシーンで、マスコミ取材において"取り直すシーン"があった。
これが この映画の真髄であり、真実と事実の違いと、その重要性である。
この夫婦が関係した 疑義を 僕なりに調べたが、吐き気を催すほどの悪量である。
それを制する 正義 が無ければ、彼女らは 何時までも 更なる悪を繰り返し、次々に模倣犯まで産みだすと考えられる。
よって、悪戯の多々を繰り返した末のこの大罪による報いである。
薬物(ヒ素)を誰が、いつ 入れたかは、重要ではない。
サイコロを振った人間よりも、賭博場を作り出した経緯と元締めが最大の悪である。
滑稽なのは、支援者たちに載せられた 帝大教授。
私立R大の研究者が「SPring-8」実験装置を使って、判定を行った事への"焼きもち"が
見え隠れし、載せられたのは、良く判るが、
「100%ではない」と言う屁理屈をK大の傘の下で、平然と言い切る 醜い男の1面の様を、映画で魅せられてしまった。
K大教授は、必要条件と絶対条件の違いを指摘しているに過ぎないが、神しか判らない事を言った事を、掬われてしまい、それを裁判に引き出した 支援者達の企みは、アッパレ優れ者です。
どんな豚にも支援者が存在する日本は、「捨てたものではない国」だと、映画を鑑賞中ずっと、実感していました。
監督は、取材をしながらも、本人の実力なのか、偶然なのか 真 なのかと
I氏を疑い、
隠密取材をしようとして、ヘマをしでかしたようだが
世にバトンをパスされても。。。彼は模倣犯だとは考えられますが、
警察は、事件後の"保険金の流れ"だけは 必ず確認されただろうから、真ではないと考えられます。
映画はきちんと構成され、撮影も素晴らしく
編集もよく、とても見易く 良い映画作りをしている素質がある素晴らしい監督だと判るので、
今後は、もう少し大きな"山"を取材して、映画にしてほしいと 僕は望みます。
この映画を観たら、
マイケルムーア監督の「華氏119(2018年)」をお勧めしたい。
僕は、この映画を観て、批評とは 全く別な 反対的な感想を持った程
凄い映画だった!
最後に、この豚共の犠牲になられた方々の 尊い命に、ご冥福をお祈りいたします。
心地よい主観的ドキュメント
冤罪なんてありえないと思ってました、いままで
出来事と事実を客観的に見せ、
やった、やっていないに偏らず中立的に進行する。
それは観ている者にバイアスをかけず、
この作品を観た上での判断を任せているような、
謙虚で、誠実な作品であると感じた。
ネット記事やYouTubeで情報を拾った身としては、
やや物足りなく、インパクトに欠けるが、
検察の傲慢さとマスメディアの無責任さが、
その人とその人を取り巻く人々の人生を翻弄するのであれば、あまりにも理不尽だし、その行動に憤りと恐ろしさを感じる。
作中に登場する新聞記者はクレディビリティ云々と言っていたが、いじめっ子に告げ口をしていじめに加担するその他大勢に感じられた。
私たち1人1人が賢く誠実に生きていくことの重要性を再認識させられた作品だった。
検証の意義
新たな証拠や証言があるわけでなく、判決のよりどころとなる根拠に論理の穴があるということを訴える作品です。
林眞須美死刑囚の家族にフォーカスする一方で、無垢な善人であるとは描いていません。
悪びれもせず保険金詐欺を語る夫・林健治の姿にはぞっとするものがあります。
息子の語り口も、母が無実だと信じているというよりは、判決内容を鑑みると有罪とは考えられない、というようです。
素人目にも論理の穴がみえる根拠によって有罪判決がなされたことに対しては、検証がなされるべきです。
検察側の都合のよいように科学が利用されてしまったようにも感じられて、「数字は嘘をつかないが嘘つきは数字を使う」という言葉が思い起こされます。
2024年2月に再審請求が受理されたそうなので、今後の動向を見ていきたいと思います。
人間はミクロにしか物を見ることができない。
カレー事件の真相と林一家に押された悪のレッテルをしっかり分けようとして構成されているのは評価できると思うが、逆にこの映画を観て林死刑囚に対して全く同情できない自分を再認識させられる映画でもあった。そう、真面目に生きてる日の当たらない人間にとって、林一家の数々の所業は到底考えられない絶対悪であるからだ。どうやらこの映画の監督は林真須美が無実だったらどうする?この一点のみに興味があって制作したように思える。あまりにも流れがアンチ林一家なのであるが、そいつには手を加えず、一切お構いなしなのだから。正直、途中で、林健治さんの語る件に飽きてきて、もうええわ、いつまでだらだら話が続くんだよと思えてきた。まあ、こんなに真相なんかどっちでもええわと思わせる映画も珍しい。
客観的な真の真須美被告像が見えてこない
「和歌山毒物カレー事件」。もうとっくに解決済の事件だと思っていた。
当時のマスコミの過熱報道が印象的だった。林真須美容疑者の報道陣へホースで水を撒く映像で、誰しも、この女性は自分のあやまちの上塗りをしているにすぎないと感じたであろう。
脳裏の片隅にも残っていなかった事件が呼び起こされたのは、日経新聞の一面の片隅に載っていたコラムだった。
「林家にあったヒ素と現場から検出されたヒ素が同じ鑑定結果を導き、最先端の技術(SPring-8)が事件解決の糸口をもたらした」と書かれている。だがよく読むと、ある科学者がその結論に異を唱え、本来は複数の施設で同類の実験をしなければ真偽は見定められない、と添えられていた。
ふーん、科学ってそういうものなんだ?と思ったその日に、なぜか興味本位も手伝って、渋谷の宮益坂を昇り切った、行ったこともない映画館に足が向いていた。
映画で異を唱えた科学者は言う。本来綿密な数量分析するべきところをパターン分析ですませてしまった。これは常識では考えられない、と。他に知らなかった事実が映像に映し出される。ヒ素混入の目撃証言も、証言した人間の見ていた位置が最初の証言と食い違っていたり、眞須美被告が、カレーの鍋のふたを開けたのはヒ素が入ってなかった鍋だったりとか。
そして一番の疑問点は、なぜ鍋にヒ素を混入したのかという動機が見えてこないこと。
真須美被告は周囲の人間にどう思われてたのか。人間関係はどうだったのか。保険金詐欺に加担していた夫婦として疎外されていたのか。仮に疎外されていたとして、真須美被告の恨みは存在していたのか。
そこが描かれていないがために、動機が不明といっても、なぜか納得感が見出せない。だから、保険金詐欺を働く夫婦なのだから悪い奴にきまっている、というバイアスだけが働いてしまう。
いくら夫や長男が、保険金詐欺とカレー事件は別ものと主張したところで、周囲の人々の言葉や風評がほとんど聞けない限り、被告側の論理の域を脱することはできない。さわらぬ神にたたりなしに対抗はできない。この周囲とのコミュニケーションが完全に欠如していること、言いかえれば、客観的な真の真須美被告像が見えてこないことが、本作の最大の弱点かな?と思わざるをえない。
状況証拠のみ。怨恨等の動機なし。鑑定結果も不備。でも死刑確定。事件は未解決のまま、冤罪への希求は続く。その行方をただじっと静観するしかないことのもどかしさ。その思いが真須美被告の長男の語りでリフレインされ、事実は死刑判決のままだが、なぜか心情は底なしの迷宮へと誘われていく。
そう遠くない昔の事件なのに、 状況証拠だけで死刑になるとはいかがな...
そう遠くない昔の事件なのに、
状況証拠だけで死刑になるとはいかがなものか的なコラムを
当時読んだ覚えがあります
罪を犯した人は罰せられなければいけないし、
冤罪も許されない
私がその辺をとやかく言うのは気が引けるが、
ただひとつ、感想を述べるとしたら、
息子さん、よくこんなにきちんと育ちましたね
それだけでなんだか尊敬に値します
脆弱な基盤
林死刑囚が犯人という証拠は存在せず、あくまで状況証拠の積み重ねで死刑判決が確定しているが、その状況証拠もかなり危うい土台の上に乗っているというのが趣旨でしょうか。
・目撃証言は毒を入れたことまでを示すものではない。
・カレーに混入されたヒ素が林家にあったヒ素であるという同定は単に「組成が同じ」であるという理由でなされたに過ぎず、広く同一商品が出回っていたことを考えるとほぼ証拠能力はない。
検査をした某教授も同一組成のものであると指摘したに過ぎず、さらには、その同定の仕方そのものへの学問的批判も他の研究者から出ている。
真須美死刑囚の夫の健治氏は恐らく生い立ちのせいもあって生きることに自暴自棄な側面があり、それが保険金詐取につながり、「証拠はないけど怪しい」とマスコミだけでなくそれに影響された警察・検察までを動かしているという印象。
人間としてクズだから冤罪で死刑になっていいなんてことはない。このドキュメンタリーの意義は人物を美化せず、そこを訴えたことにあると思いますよ。
それが分からず、「こいつらクズじゃねーか」で思考が止まっている書き込みがチラホラありますけど、これは事件当時にマスコミがやったこととそっくり同じですね。
保険金詐欺の件ではモヤモヤするところも
ドキュメンタリーということで想像していたよりテンポよく、先が気になるような構成の仕方で見やすかったです。
挿しはさまれる花や風景の映像も印象的でした。
この事件に関する報道をリアルタイムでテレビで見ていた世代です。
冤罪を訴えていることについてはなんとなく聞いたことがあるという程度で、鑑定内容についての見解など具体的な主張はこの作品で知りました。
カレー事件の判決について疑問が生じるのも納得で、再審すべきではと思いますが。
過ちを認めようとしない検察などの権力や、マスコミ(現代ならSNSでしょうか)が煽る空気の怖さを感じます。
保険金詐欺の件については、あくまで夫側からの見方なので、被害者が本当に納得ずくだったのか、借金などで断りにくい力関係があった可能性も否定できないのでは、とも考えてしまいました。
夫の言う通り仲間として共謀していたのかも知れませんし、他に居場所がなく寡黙で下に見られていたらしい被害者は逆らえなかっただけかも知れませんし、これを見ただけではなんとも。
なので、被害者宅を訪問する場面はなんだかモヤモヤしてしまいました。
作品としては、ジャーナリストの見解からも、仲間だったけれど検察の誘導により加害者被害者ということにした、という主張のように見受けられます。
印象操作のために検察が誘導したというのはあるとは思いますが、被害者の本心がどうだったのかが分からないので、この部分はなんとも…
「眞須美は、金にならん事せんよ。」
いつ何で見たか忘れたけど
林眞須美さんの夫、健治さんのこの言葉を聞いて以来、
私も、犯人は林眞須美さんじゃ無いのではと思っている。
連日報道で流れる林眞須美さんの様子や
ものすごい件数の保険金詐欺をしていた事もあり
印象が良いとは言えないし
林眞須美さんが犯人であれば
警察としても都合が良いのは分かる。
でも、証言の曖昧さや、決め手に欠ける証拠の数々
そして、やはり“金にならない”という事が
どうしてもこの事件を起こす動機と結び付かない。
林眞須美さんが
犯人では無いかもしれない
という事は
今もなおどこかに
犯人が居るかもしれない
という事でもある
それで良いんだろうか。
67人が中毒症状、4人が死亡してる大事件
本当に林眞須美さんをこのまま犯人として死刑にして良いのだろうか?
三連休最終日
イメージフォーラムでは
どの回も満員御礼で売り切れ。
冤罪系のドラマなんかも増えてきたけど
まだまだこういった事例はあると思われる
そういったことも含めて
改めてこの映画を見る必要がある気がした。
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