マミーのレビュー・感想・評価
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心地よい主観的ドキュメント
なぜかこの事件には惹かれるものがあり
個人的に調べた時期があって
作品で語られる事実は全て知っていた。
なので真新しい情報はなかったが
作品としての価値は充分に感じられた。
当時大騒ぎしたマスコミには
再びこの作品を大騒ぎして取り扱って欲しい。
後半はドキュメント作品としての
客観性が曖昧になっていく。
それで良いと思った。
監督の強い正義感が心地良かった。
冤罪なんてありえないと思ってました、いままで
出来事と事実を客観的に見せ、
やった、やっていないに偏らず中立的に進行する。
それは観ている者にバイアスをかけず、
この作品を観た上での判断を任せているような、
謙虚で、誠実な作品であると感じた。
ネット記事やYouTubeで情報を拾った身としては、
やや物足りなく、インパクトに欠けるが、
検察の傲慢さとマスメディアの無責任さが、
その人とその人を取り巻く人々の人生を翻弄するのであれば、あまりにも理不尽だし、その行動に憤りと恐ろしさを感じる。
作中に登場する新聞記者はクレディビリティ云々と言っていたが、いじめっ子に告げ口をしていじめに加担するその他大勢に感じられた。
私たち1人1人が賢く誠実に生きていくことの重要性を再認識させられた作品だった。
検証の意義
新たな証拠や証言があるわけでなく、判決のよりどころとなる根拠に論理の穴があるということを訴える作品です。
林眞須美死刑囚の家族にフォーカスする一方で、無垢な善人であるとは描いていません。
悪びれもせず保険金詐欺を語る夫・林健治の姿にはぞっとするものがあります。
息子の語り口も、母が無実だと信じているというよりは、判決内容を鑑みると有罪とは考えられない、というようです。
素人目にも論理の穴がみえる根拠によって有罪判決がなされたことに対しては、検証がなされるべきです。
検察側の都合のよいように科学が利用されてしまったようにも感じられて、「数字は嘘をつかないが嘘つきは数字を使う」という言葉が思い起こされます。
2024年2月に再審請求が受理されたそうなので、今後の動向を見ていきたいと思います。
人間はミクロにしか物を見ることができない。
カレー事件の真相と林一家に押された悪のレッテルをしっかり分けようとして構成されているのは評価できると思うが、逆にこの映画を観て林死刑囚に対して全く同情できない自分を再認識させられる映画でもあった。そう、真面目に生きてる日の当たらない人間にとって、林一家の数々の所業は到底考えられない絶対悪であるからだ。どうやらこの映画の監督は林真須美が無実だったらどうする?この一点のみに興味があって制作したように思える。あまりにも流れがアンチ林一家なのであるが、そいつには手を加えず、一切お構いなしなのだから。正直、途中で、林健治さんの語る件に飽きてきて、もうええわ、いつまでだらだら話が続くんだよと思えてきた。まあ、こんなに真相なんかどっちでもええわと思わせる映画も珍しい。
客観的な真の真須美被告像が見えてこない
「和歌山毒物カレー事件」。もうとっくに解決済の事件だと思っていた。
当時のマスコミの過熱報道が印象的だった。林真須美容疑者の報道陣へホースで水を撒く映像で、誰しも、この女性は自分のあやまちの上塗りをしているにすぎないと感じたであろう。
脳裏の片隅にも残っていなかった事件が呼び起こされたのは、日経新聞の一面の片隅に載っていたコラムだった。
「林家にあったヒ素と現場から検出されたヒ素が同じ鑑定結果を導き、最先端の技術(SPring-8)が事件解決の糸口をもたらした」と書かれている。だがよく読むと、ある科学者がその結論に異を唱え、本来は複数の施設で同類の実験をしなければ真偽は見定められない、と添えられていた。
ふーん、科学ってそういうものなんだ?と思ったその日に、なぜか興味本位も手伝って、渋谷の宮益坂を昇り切った、行ったこともない映画館に足が向いていた。
映画で異を唱えた科学者は言う。本来綿密な数量分析するべきところをパターン分析ですませてしまった。これは常識では考えられない、と。他に知らなかった事実が映像に映し出される。ヒ素混入の目撃証言も、証言した人間の見ていた位置が最初の証言と食い違っていたり、眞須美被告が、カレーの鍋のふたを開けたのはヒ素が入ってなかった鍋だったりとか。
そして一番の疑問点は、なぜ鍋にヒ素を混入したのかという動機が見えてこないこと。
真須美被告は周囲の人間にどう思われてたのか。人間関係はどうだったのか。保険金詐欺に加担していた夫婦として疎外されていたのか。仮に疎外されていたとして、真須美被告の恨みは存在していたのか。
そこが描かれていないがために、動機が不明といっても、なぜか納得感が見出せない。だから、保険金詐欺を働く夫婦なのだから悪い奴にきまっている、というバイアスだけが働いてしまう。
いくら夫や長男が、保険金詐欺とカレー事件は別ものと主張したところで、周囲の人々の言葉や風評がほとんど聞けない限り、被告側の論理の域を脱することはできない。さわらぬ神にたたりなしに対抗はできない。この周囲とのコミュニケーションが完全に欠如していること、言いかえれば、客観的な真の真須美被告像が見えてこないことが、本作の最大の弱点かな?と思わざるをえない。
状況証拠のみ。怨恨等の動機なし。鑑定結果も不備。でも死刑確定。事件は未解決のまま、冤罪への希求は続く。その行方をただじっと静観するしかないことのもどかしさ。その思いが真須美被告の長男の語りでリフレインされ、事実は死刑判決のままだが、なぜか心情は底なしの迷宮へと誘われていく。
そう遠くない昔の事件なのに、 状況証拠だけで死刑になるとはいかがな...
そう遠くない昔の事件なのに、
状況証拠だけで死刑になるとはいかがなものか的なコラムを
当時読んだ覚えがあります
罪を犯した人は罰せられなければいけないし、
冤罪も許されない
私がその辺をとやかく言うのは気が引けるが、
ただひとつ、感想を述べるとしたら、
息子さん、よくこんなにきちんと育ちましたね
それだけでなんだか尊敬に値します
脆弱な基盤
林死刑囚が犯人という証拠は存在せず、あくまで状況証拠の積み重ねで死刑判決が確定しているが、その状況証拠もかなり危うい土台の上に乗っているというのが趣旨でしょうか。
・目撃証言は毒を入れたことまでを示すものではない。
・カレーに混入されたヒ素が林家にあったヒ素であるという同定は単に「組成が同じ」であるという理由でなされたに過ぎず、広く同一商品が出回っていたことを考えるとほぼ証拠能力はない。
検査をした某教授も同一組成のものであると指摘したに過ぎず、さらには、その同定の仕方そのものへの学問的批判も他の研究者から出ている。
真須美死刑囚の夫の健治氏は恐らく生い立ちのせいもあって生きることに自暴自棄な側面があり、それが保険金詐取につながり、「証拠はないけど怪しい」とマスコミだけでなくそれに影響された警察・検察までを動かしているという印象。
人間としてクズだから冤罪で死刑になっていいなんてことはない。このドキュメンタリーの意義は人物を美化せず、そこを訴えたことにあると思いますよ。
それが分からず、「こいつらクズじゃねーか」で思考が止まっている書き込みがチラホラありますけど、これは事件当時にマスコミがやったこととそっくり同じですね。
保険金詐欺の件ではモヤモヤするところも
ドキュメンタリーということで想像していたよりテンポよく、先が気になるような構成の仕方で見やすかったです。
挿しはさまれる花や風景の映像も印象的でした。
この事件に関する報道をリアルタイムでテレビで見ていた世代です。
冤罪を訴えていることについてはなんとなく聞いたことがあるという程度で、鑑定内容についての見解など具体的な主張はこの作品で知りました。
カレー事件の判決について疑問が生じるのも納得で、再審すべきではと思いますが。
過ちを認めようとしない検察などの権力や、マスコミ(現代ならSNSでしょうか)が煽る空気の怖さを感じます。
保険金詐欺の件については、あくまで夫側からの見方なので、被害者が本当に納得ずくだったのか、借金などで断りにくい力関係があった可能性も否定できないのでは、とも考えてしまいました。
夫の言う通り仲間として共謀していたのかも知れませんし、他に居場所がなく寡黙で下に見られていたらしい被害者は逆らえなかっただけかも知れませんし、これを見ただけではなんとも。
なので、被害者宅を訪問する場面はなんだかモヤモヤしてしまいました。
作品としては、ジャーナリストの見解からも、仲間だったけれど検察の誘導により加害者被害者ということにした、という主張のように見受けられます。
印象操作のために検察が誘導したというのはあるとは思いますが、被害者の本心がどうだったのかが分からないので、この部分はなんとも…
「眞須美は、金にならん事せんよ。」
いつ何で見たか忘れたけど
林眞須美さんの夫、健治さんのこの言葉を聞いて以来、
私も、犯人は林眞須美さんじゃ無いのではと思っている。
連日報道で流れる林眞須美さんの様子や
ものすごい件数の保険金詐欺をしていた事もあり
印象が良いとは言えないし
林眞須美さんが犯人であれば
警察としても都合が良いのは分かる。
でも、証言の曖昧さや、決め手に欠ける証拠の数々
そして、やはり“金にならない”という事が
どうしてもこの事件を起こす動機と結び付かない。
林眞須美さんが
犯人では無いかもしれない
という事は
今もなおどこかに
犯人が居るかもしれない
という事でもある
それで良いんだろうか。
67人が中毒症状、4人が死亡してる大事件
本当に林眞須美さんをこのまま犯人として死刑にして良いのだろうか?
三連休最終日
イメージフォーラムでは
どの回も満員御礼で売り切れ。
冤罪系のドラマなんかも増えてきたけど
まだまだこういった事例はあると思われる
そういったことも含めて
改めてこの映画を見る必要がある気がした。
タブーとされる話。
1998年7月25日に起きた和歌山カレー事件のドキュメンタリー。
場内は満席⁈かと思うほどの盛況ぶり。
保険金詐欺の事をスラスラと話してしまう林容疑者の夫は、実験台になったのが自分だからか罪の意識は全くないように感じました。当たり前のようにヒ素を使って保険金をもらうという感覚に言葉を失います。
本作を見たからといって本当の事は分かりません。ドキュメンタリーなので重いと感じる場面もありました。
当時の事件の捜査等に関わった人達の歯切れの悪さも目立って、無実を訴える親族や周りの方々の願い(再審)が叶う日が来る事を願わずにはいられません。
これは司法に対する訴え?
この映画を語るうえで、まず有罪か無罪かは別問題にしよう。公平な視線で語りたいと思う。
同じ劇物を使った無差別殺傷事件としてニュースにも取り上げられた名張毒ぶどう酒事件が、和歌山の毒物カレー事件に発生していて、これは女性が飲むぶどう酒に農薬として使われるニッカリンが含まれていたことで、犯人はぶどう酒を飲まない男性だと特定され、比較的被害が少なかった会に当時愛人がいたo氏に疑いの目が向けられると犯人として逮捕されてしまう。
同じ事が言えると思う。
保険金詐欺ばかりを繰り返し夫の犯罪の片棒を担ぐ形で悪徳に金を巻き上げていたことを当然ながら警察は知っているし、犯罪のやり方が同様だと気づけば怪しまれるのは致し方ない。
しかし、海外の女性のシリアルキラーに目を向けてみたら、女性のシリアルキラーの特徴としてあげられるのが、犯行を犯した理由の殆どが金銭目的だ。また同時にカップルキラーというように、夫またパートナーの犯罪の片棒を担ぎ犯罪の道に手を染めてしまう。
林被告は典型的なカップルキラーの事例の一つであろう。夫と結婚するまでは何不自由なく生活をしていたのだろうけど、無知すぎるがゆえに悪の道に染まるのはあっという間だったのだろう。
だからこそ、金銭目的ならば無差別的に鍋にヒ素を盛ったとは考えられない。そのうえ、動機が見えてこない。事件の内容は、地域会における狭いコミューンにおいての怨恨とみるのが妥当だが、林被告に果たして恨み節などあったのか?
映画を通し確かに動機が見えてこないのは不審に思った。しかし、疑問に思ったのがその当時はどこでもヒ素購入の規制がゆるいために買えた、どこの家庭にも白アリ駆除のためのヒ素を持っていたという証言があるが、誰の証言?
犯人は逮捕され、事件は解決した。
疑わしきは罰せよ。
それが地元の考えならば、事件のことはもう思い出したくないということであって、部外者が了解得ずズカズカと強硬的な取材は通報される原因に繋がるのは分かるはずでは?熱意は伝わるが余りにも取材対応が大人じゃない印象を受けた。
さり気なく強烈な制作意図
林健治氏が事件のヒントになる友人を尋ねる場面にじっくりカメラが向けられるのだけど、これこそ監督の「さり気なく強烈な制作意図」ではないだろうか。それがこれまでのドキュメンタリーの名監督との違いでもある。巧妙な自己主張を織り込むことで作品を高める方を多く見てきたが、二村真弘監督のこの作品では、自らが右往左往するシークエンスはエピローグに過ぎず、この林健治氏の姿こそが強烈なメッセージだと感じた。詰まるところ、罪と悪の話なのだろう。
公開に伴い得られると成功な成果は?
僕が監督に舞台挨拶後の直接質問で投げかけた言葉
である。
それに対して監督は
言葉を選びながら、こう返答してくれた。
公開を受けて、各メディアが持っている事件関係資料の
見直しと再検証を進めてくれれば。
この答えを受け。僕はこう返答している。
それは本映画の主題以外も含めての話ですね。
と
我が国に限らず、世界中の至る所で公権力の暴走が
止まらない。
そして止める筈のメディアが止めようともしない。
これが今最大の問題だと僕は感じている。
だからこその本作であり各種冤罪の再審査だと◎
どこかの首長が自身を暴走老人と仰ってたが
あの方の暴走には愛があった。
だが、公権力の暴走には愛が見られない。
そう言うことだと
僕は本作の感想として書き残したい!
登場人物が全員クズ
心からかわいそうと思ったのは無理心中をした長女とそのお子さんたちのみ。
あとは監督含めて登場人物全員クズぞろい。
私の中には相反する考えがあって
・法治国家なんだから「疑わしきは罰せず」、証拠がないなら疑わしいだけで罰してはならない
・胡散臭い、ほかに犯人はいない。だったら罰しろ
映画を見るまでは前者の方が意が強かったが、映画を見た後では後者寄りになってきた。
笑いながら「ヒ素のんだだけで簡単に1億5000万も手に入った」と保険金詐欺を井戸端話のように飄々と話をする父親。平凡な人間には及びもつかないネジの外れた家庭が林家だったということは間違いない。「それとこれとは別、どんな倫理的に劣っていた家庭であっても、証拠がないなら死刑にしてはいけない」と頭の中の理想ではわかっているが、映画を観終わって「こんな狂った人たちなら死刑でもしょうがないわ」って思う自分がいることにびっくり
当時の裁判官や判事をインタビューで追い回す意味が全く分からない。意見をプライベートで話せるわけがない、当たり前だ。それをしつこく追い回す時点で犯罪犯してんのはあんたらやろ、って思ったら、監督自らGPS装置を対象者につけるために住居不法侵入という罪を犯している時点で呆れた。
鑑定はあくまで科学的に同じかどうかを調べただけで、ほかにも使われるものがあったのかどうかを調べるのはあくまで警察の仕事。ヒ素を鑑定した理科大の教授の言うことは全く持って当たり前の話、鑑定人は言われたことをしただけで判断や捜査は警察の仕事。
あたかも新しい証拠が出てきたかのようにいっているが、袴田事件とは全く別物。そんな画期的な証拠が出てきたら再審の道は開けるだろうに全く相手にされていない点でその程度の証拠。ああ、何かの陰謀説で再審請求が却下されているんでしたっけ?
あの当時のマスコミの騒ぎっぷりはすごかったし、この映画を観るまでは「もしかしたらきちんとした証拠がないのかも。だったら死刑にしてはいけないのでは?」と思っていたが、映画を観終わってあまりに偏った意見なので、かえって「死刑でもしょうがないのか?」と思わせる、ある意味私には逆効果な映画となっております。
文句ばかり言っていますが、犯人ではないという世間一般とは真逆の意見をしっかり聞けたという点では有意義な映画でした。これも偽らざる気持ち。
平日の昼間に鑑賞にいきましたが、映画館がほぼ満席でびっくり。観に行っておいていうのもなんですが、そんなに関心がある人いるのか?って思いました。
カレー事件の行方
この間鑑賞した正義の行方と似たようなドキュメンタリー しかし地元の方たちにとってはトラウマ事件なのかインタビューに応えてくれる人の少ないこと!
当時の馬鹿デッカイ施設、鑑定マシンにはワオ!となったけど、またしても結果に反証が...
保険金詐欺って楽にお金になるので繰り返すと聞いたことがある しかし自分も地家が多い所に住んでいるのでよく分かるが、町民による炊出しのお祭り 何の得にもならないので動機が確かに謎だと思った 事件とはそういうものかもしれないが、子供や関係ない被害者が気の毒だった
しかし監督自身のアレには驚く そして正義の行方同様死刑確定後の再審は余程の新事実が出て来ない限り無理だろうと思う
謎解きドキュメンタリー
ヒ素を入れたのは誰か?犯人は死刑囚だが冤罪ではの構成が上手く、謎を解くための話になっている。司法制度に一石を投じるって感じではなく、始終エンターテイメントに仕上げている事が評価に繋がる。
裁判の判決が覆ることはまずないだろう。
袴田事件などと比較にならないぐらい、対象の人間が世間的に悪である。駅前で言い争うシーンが全てではないか?
誰かに責任を押し付けないと収まらない警察や検察、そして世論。そこに悪がいれば押し付けたくなる。人間の悲しい、やるせない部分を見せつけられた映画。
で?
冤罪か?との問題提起は出来ている。
終盤に漸く触れる対象家庭の異様と闇は興味深い。
当時の私達の下世話な群集心理が
報道と司法をも巻き込んで、
冤罪を呼び込んだのかな。
私達が好む心地良い大手紙のスッパ抜きや
冷静沈着に見える科学的根拠こそが寧ろ怪しいのね。
気を付けます。で?
常に冷静さを忘れないこと
1998年7月に起こった和歌山毒物カレー事件の検証をしたドキュメンタリーでした。地元の夏祭りで出されたカレーを食べた人たちがヒ素中毒を起こし、4人の方が亡くなったのをはじめ、多くの方が中毒になった衝撃的な事件であり、恐らく40代以上の人の多くは、今でも鮮明に記憶しているのではないかと思います。特にカレーに毒を入れたとして逮捕され、その後死刑判決が確定した林眞須美死刑囚は、連日のようにテレビや新聞、週刊誌に取り上げられました。彼女が世間の耳目を集めたのは、4人の方が亡くなり、何十人もがヒ素中毒になるという事件そのものの重大性もさることながら、自宅に取材で押し掛けた報道陣にホースで水を掛けた映像が非常に印象的だったことや、夫をはじめ複数の周囲の人にヒ素を飲ませ、保険金を詐取していたことが報道されたことが大いに影響していると思われます。
で、26年の時を経てこの事件を振り返り、裁判記録を検証したのが本作だった訳ですが、実に衝撃的な内容で、驚いてしまいました。まずは死刑判決が出た根拠となる証拠に、かなり重大な疑義が複数あるということ。
一つ目の疑義は、目撃証言がかなり曖昧で、当初隣家の1階部分から林眞須美死刑囚がカレーの鍋の蓋を開けた姿を目撃したという証言が、途中から2階から目撃したことに変わっていたこと。しかもカレーの鍋はヒ素が入っていたものと入っていないものの2つあったものの、蓋を開けていたのは毒が入っていない方の鍋だったというのだから、これが証拠として採用されること自体極めて不自然と思われました。
二つ目の疑義は、ヒ素の鑑定について。ヒ素はその産地により様々な成分が混入しているそうですが、犯行に使われたヒ素が、林家に保管されていた農薬用のヒ素と一致したという鑑定が、実は全く科学的ではないのではないかという専門家の証言が出て来ました。”SPring-8”という当時最先端の大型機器を用いて分析したヒ素でしたが、一つには産地が同じだったとしても、その類いのヒ素は汎用品であり、唯一無二のものではないとのことで、傍証になら使えるかも知れませんが、決定的な証拠として採用するには弱いのではないかと感じられました。
また、決定的に疑問なのが、死刑判決まで出た裁判でありながら、結局犯行動機が解明されなかったことも実に奇妙な点。林眞須美死刑囚の夫である林健治氏が主導して、保険金詐欺を働いていたことは、本作中でも健治氏自身が話をしていました。保険金詐欺は当然犯罪ではありますが、それがカレーにヒ素を入れる動機にはなり得ません。何せ亡くなった方に保険を掛けている訳ではないのですから。
以上、改めて本作を通じてこの歴史に残るほどの重大事件及びその裁判を振り返ってみると、林眞須美死刑囚は実は冤罪なのではないか、少なくとも裁判手続きとして、極めて問題があるのではないかと感じたところです。
全体の流れとしては、「正義の行方」と軌を一にする部分が多く、衝撃的な事件発生と、その後のセンセーショナルな報道、最新の”科学的鑑定”(「正義の行方」の時はDNA鑑定でした)による”決定的証拠”の存在など、驚くほどに両者には共通項がありました。
この2作品から得られるものがあるとすれば、センセーショナルな報道や言説を鵜呑みにせず、一定程度の理性を持って物事を見つめる冷静さを常に持つべきだろうということでしょうか。いずれにしても、非常に興味深い作品でした。
そんな訳で、本作の評価は★4とします。
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