「「ライオン目線のイボイノシシ」になるな。」ライオン・キング ムファサ 田中さんの映画レビュー(感想・評価)
「ライオン目線のイボイノシシ」になるな。
オッサンが見るとまあまあ驚く。
ライオン(肉食獣)対ライオン(肉食獣)のドロドロの領土紛争に、
ライオンの餌(草食獣)がその一方に味方して参戦するという設定はありなのか?
肉食獣の領土紛争とは、よーするに猟場の所有権を争っているんだけど、
これって猟場の餌的にはどういう基準で片方を選ぶのか?
ライオンがライオンの餌から信頼され王様に選ばれるという設定はありなのか?
餌が捕食者を信頼する理屈がわからん。
「ライオンの王様と餌の民の王国」という設定が狂っている。
このトンデモ王国の国民は幸せなのか?
この映画は、いったい何なんだ?
これらの根本的な疑問を解決する魔法の言葉が「命の環」なのだが、
自分はこの魔法にかかりそこなって取り残された。
「命の環」っていうのは、
「大地にはえる草を草食獣が食べて、その草食獣を肉食獣が食べて、その肉食獣は死んで大地に還る」
みたいな「命のサイクル」のことらしい。
これが「炭素循環」の話なら必ずしも「命のやり取り」はいらんけどどうよ?
枯れ草や果実を草食獣が食べて、草食獣の死体をハイエナやコンドルが食べて、その死体が大地に還っても良さげだ。
ネクロフィリアのハイエナキングが、サイコキラーのライオンと戦い、
弱肉強食のサバンナを「命の環」から解放する話なら共感出来る。
なんにしても、「命の環」はライオンにとっては都合のいいビジョンだ。
部外者の人間にとっても、他人事だから達観した気分に浸れる。
しかし、喰われる当事者の草食獣にとってはどうよ?
「ああそうか、命の環だもんね。」
といって納得して殺されて喰われるわけがない。
殺される恐怖に怯えながら、苦痛に身をよじりながら喰われるに決まっている。
殺されて喰われる草食獣にとって、「命の環」は残酷で野蛮な呪いだ。
人間は、この野蛮な「命の環」から脱して、肉食獣に喰われない文明を築いた。
「命の環」を否定して逃げた人間の観客が、
人と同じ言葉を話し人と同じ感情を持つ擬人化された動物映画の中で、
非人道的な「命の環」を肯定するとしたら驚きだ。
自分の共感力を疑った方がいい。
人としてどうかと思う。
「ライオンを賛美する餌」とか、
「ライオンと共に戦う餌」とか、
「ライオンと餌の王国」って、あれだよね。
徹頭徹尾、「ライオン目線」の物語だよね。
いかにも「ライオン目線」のアメリカ人が好きそうな物語だし、
最近の「ライオン目線化」した日本人も大好きらしいからあえて言うけど、
わかりやすく言えば、これってアメリカ(ライオン)と日本(餌)の話でもあるよ。
「命の環」はアメリカキングにとって都合のいいビジョンなんだ。
遠くない将来、日本は「集団的自衛権」に基いて「アメリカの戦争」に引きずり込まれる可能性がある。
日本が「ライオン目線のイボイノシシ」なら、
いずれ日本は「ライオンと共に戦うイボイノシシ」になる。
台湾有事のケースだと、
ウクライナの例で明らかだがアメリカは核保有国とは代理戦争しかしない。
実際に戦争をして焼け野原になるのは台湾と参戦した日本だ。
それがいやなら、この映画を「草食獣目線」で見直してみることをお勧めします。
なんなら「大地目線」や「草目線」で見直せばもっと面白いはず。