「“妻と子を守るべき家長”が“異分子を抑圧する独裁者”に変わるとき。国家とのアナロジーを思う」聖なるイチジクの種 高森 郁哉さんの映画レビュー(感想・評価)
“妻と子を守るべき家長”が“異分子を抑圧する独裁者”に変わるとき。国家とのアナロジーを思う
司法機関で勤勉に働く中年男性イマンが、昇進して調査官になる(さらに昇格すると判事になれる)。だが調査とは名ばかりで、反政府デモ逮捕者に不当な刑罰を下すための決裁を膨大に処理するのみ。市民から恨みを買う仕事のため、護身用の銃を支給されるが、これが自宅で行方不明になる。
イマンには妻と2人の娘がいる。家族を養い良い生活をさせることも、彼が働く動機になっていたはずだ。だが銃の紛失を契機に、家族の関係が大きく変わる。父は家族を疑い、猜疑心を募らせていく。娘たちがデモの現場で大けがをした友人を助けたことも、自身の愛国心と相容れない。紛失が発覚すれば出世がなくなるイマンは追い詰められ、犯人が誰かを白状させるため強硬手段に出る。
家族であれ国家であれ、“家”=共同体を構成する各個人は互いを尊重し、助け合い支え合うのが理想であり、リーダーはそうした理想の実現のため皆を導く存在のはず。だがいつしか、個々人を守ることよりも共同体の体制を維持することや体面を守ることが優先され、導くべき存在が独裁者に変貌する。イマンと家族たちの物語は、国民の自由を抑圧し異論を封殺する国家のアナロジーのように思えた。
各所で紹介、解説されているように、イランで反体制的な作品を作るのは文字通り命懸けの取り組みだ。167分という大長編ではあるが、イランの映画人たちの気概と願いを心して受け止めたい。
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