「視聴者に委ねているが、目をそらすことはできない」お母さんが一緒 R41さんの映画レビュー(感想・評価)
視聴者に委ねているが、目をそらすことはできない
ホームドラマというジャンルのこの作品は少し奇妙な作り方で、「桐島、部活やめるってよ」と同じく、タイトルと物語の中心である母が一切登場しない。
これはおそらく、母と聞いて感じるそれぞれの母や、一般的な母親というものを視聴者に想像させるためだろう。
冒頭から起きたアクシデント
温泉宿の送迎車が轍にハマって、3姉妹で車を押すというイレギュラー
この些細なことが、長女やよいの不機嫌を誘い、企画した二女マナミに対するダメ出しへと加速する。
母の誕生日に、母を喜ばせるために企画した家族旅行
一旦やよいのダメ出しが始まると、畳のニオイや浴衣のニオイにまでケチをつけ始める。
そしてこのケチがどんどん加速する。
さて、
家族という最初の人間関係
性格や考え方にとても大きな影響を与えるもの
基本的には誰もが家族の「幸せ」を望みながら、そのための「云々」という決まりのようなものによって縛られているのかもしれない。
この物語は、その家族という人間関係についてかなりデフォルメされているが、監督はこのようなドタバタ劇を見せて、視聴者に何を問いかけたかったのだろうか?
おそらく見る人によって受け取り方は大きく異なってしまうように感じた。
作中、母は登場しない。(送迎車の中に影のように存在しているだけ)
つまりこの作品は、母そのものではなく、母の影響力、家族や3姉妹への影響力、または支配力の大きさを示しているのだろう。
やよいは母の言いつけ通りに生きてきた。
その結果結婚できないままもうすぐ40歳となる。
顔にコンプレックスを持っている。妹たちから、その性格は母そっくりだと言われる。
この報われない気持ちを強く持っている。
マナミは勉強や能力でやよいに敵わない。
男運のなさ 仕事が長続きしない そして絶えず姉と比較されることで自己肯定感を持てないでいる。
キヨミはそんな二人を割と冷めた目で見ているが、姉たちに従わざるを得ない。
さて、、
母の影響力はやよいに最も強く表れ、マナミにもキヨミにも影響力を与えている。
そして彼女らの言い争いは、すべて母のいないところで行われている。
本音
家族だから言える言葉
そして、
母のために企画した旅行
これだけで彼女らの家族愛は、本当はかなり強いことがわかる。
親の影響
人間は動物のように本能的部分だけでは生きていけない。
それを補う教育や躾や考え方は、親が教える。
当然その親の影響力は子供の思考に大きく影響を与える。
そしてこのタイトル
NHKの番組「お母さんと一緒」を文字っているのかと思った。
しかし、
このタイトルの意味は深いと感じた。
つまり、
母が死んだとしても、考え方や心には、いつも「お母さんが一緒」にいるのだろう。
意識的にも潜在意識にも、母はずっと一緒にいるのだ。
そして姉妹たちの罵りあいにある「家族だから言えること」や、お互いのことを思って言った言葉が核心的であるが故、「怒ってしまう」「怒らせてしまう」のだろう。
実際には他人として見たくはないものだ。
当然他人には見せないものだ。
家族旅行はたまたま企画したことだったが、個々人が溜め込んでいた膿が冒頭のアクシデントが針となって噴出した。
最後にマナミは近所のパワースポットで水を汲んで4羽の折り鶴を折る。
腫れあがった空とようやく入った温泉
この自然の力が膿が出た部分に沁み込んでくる。
パワースポットの水を飲んだ母が珍しく「おいしい」とポジティブな言葉を言ったことが、3姉妹にとってとてもうれしいことだった。
あの瞬間、ようやくみんなが「来てよかった」と思えたのだろう。
この折り鶴
平和や祈りの象徴
タカヒロが踏みつぶすが、マナミはそれを丁寧に直すシーンがある。
実はマナミこそが家族をつないでいる要なのではないだろうか?
絶えず板挟みになっていながらも、家族を保とうとしているのがマナミだろう。
母の言葉にキレた長女が、プレゼントを捨てた後、3人で泣きストールで涙を拭く。
感情のピークであり 再出発の浄化とも取れる。
この物語は、汲み取る気があるかどうかがキーポイントだろうか。
微妙に感じる部分に、自分自身の家族に対する抵抗感があるのかもしれない。
NHKラジオのラジオ深夜便に「母を語る」という長寿コーナーがあるんですよ。ゲストの著名人が亡き母について思い出し思い出し、語るんです。
ところが「父を語る」って番組はないんだな(笑)
母は死してもなお強し。ですね。