エイリアン ロムルスのレビュー・感想・評価
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これぞ正統派SFホラー映画!!
前作と比較したらエイリアンの登場シーンやバトルシーンは少ないが、懸命に逃げ惑う救いようの無い惨たらしさは前作よりも上質で「恐怖心」に焦点を当てた緊張感がありこれぞ正統派SFホラーだった。
特筆すべき点は、恐怖と絶望で怯える人間たちとは相反して合理的で冷酷な判断をするアンドロイドのアンディがこの物語の中で異彩を放っていたこと。
大勢の命を優先するため妊婦を救うことなく見捨るといった惨たらしい判断をしながらも、主人公たちと活路を見出そうとする冷静冷酷な姿はかっこよかった。
その中でも、印象的なのはフェイスハガーがはびこる部屋の中、音を出さず室温で人間の体温を誤魔化し気づかれないように部屋を進んでいくという大胆な敢行ぶり。情に負けず(というかロボットだから情がない)冷静でいる姿は人間とは対照的で頼りがいがあった。
そして、レインという女性主人公がとにかく有能でリプリーを彷彿させるキャラだった。場に応じて機転が利くため、コヴェナント号の無能クルーとは違い観ていてイライラしなかった笑。
特に、重力装置を利用し無重力状態にしてエイリアンの体液で宇宙船の床や壁が酸で溶けないようにし銃で蜂の巣にするシーンは斬新かつ胸熱で爽快だった。そんなやり方があるのか!!と上映中めちゃくちゃ興奮したよ。
そして、エイリアンの酸性体液で溶け死ぬシーン、チェストバスター、ドアが開かず逃げられないといったお決まりシーンもふんだんにあり古参ファンを満足させる映画だった。ラストはAVPのように変な含みのある後味悪いことは無く、爽快で後味が良いエンドだった。
アンドロイドがいい仕事してます
前作コヴェナントがエイリアン映画としてはひどいものだったので、それと比べたらはるかに良かったし、SF映画としても良質でした。
全体的に話が分かりやすく無理なく丁寧に描かれてて、特にアンドロイド(アンディー)との関係が最初とアップデートされた時でそれぞれ噛み合わない感じが皮肉が効いてて面白かった。ステーションにいたアンドロイドが1作目と同型?だったのも以外性があって良かったです。この映画はアンドロイドがいい仕事をしてます。
ただ、終盤の結局注射を打ってしまった結果の部分は、4作目とかぶるのもあってちょっと蛇足だった気がします。観客にはもし打ってしまったら…という想像をさせるだけで十分だったと思います。
正直期待してなかったのですが前2作をうまいことまとめて軌道修正されていて、シリーズは今後も存続していきそうです。
ゾクゾクする感じはない
1のような不気味な恐怖とゾクゾク感はなかったかな。
音でだいぶ驚かされましたが。
でも映像は凄かったし最後に登場した人型のエイリアンは気持ち悪くて良かったです。
エイリアン幕の内弁当!
出だしが思い切りディストピアで、エイリアンよりもブレードランナーのほうを連想、監督は同じだけどエイリアンとブレランて同じ世界線だったっけ?と錯覚おこしかけましたが、結果ものすごくちゃんとエイリアンでした!
ドント・ブリーズの監督がエイリアンで幕の内弁当作りました、こうなりました〜みたいな。見覚えある場面や展開が多いのはまぁ、幕の内的に全然良いと思いますし、そこがつまらんという意見があるのもわかります。でも新味もあり、何よりキャストがフレッシュで良かったです。
エイリアン名物「問題の多い人造人間」、今回のはポンコツでゆるい(優しい)状態と、更新されてキレッキレのベスト状態の二重人格タイプで、役者さんの演じ分けがお見事でした。人造人間たちの行動の読めない、ゾワゾワくる怖さは、エイリアンたちのわかりやすい怖さを上回ってたかも。
脱出する迄でもうだいぶお腹いっぱいで、ラストへのアクションはちょっとくどいな〜と思いましたが、お化け屋敷的なホラー感たっぷり、小惑星帯の迫力などSFらしい景観も楽しめて、立派なエンタメ映画と思います。終わって出てきて、「あー帰ってきた」という感慨がありました。
余談
車でシネコンへ向かってた運転中、顔に向かってバッタが飛びついてきてギョエーとなりました、危なかった!(運転が)。4センチのバッタでこれなんだから、エイリアンのアレなんて、もう。(ガススタに停め、バッタを出し、ガソリン入れた)エイリアン行く前に顔へ虫飛びついてきたって貴重といや貴重かな、と。
余談2
ポンコツとキレキレの二重人格アンドロイド、「究極超人あ~る」を思いだしてました。
見所は、
見所は、リーボック笑
1と2の間とことで、
初めからストーリーは期待していなかったが
原点回帰てきな、雰囲気を期待して鑑賞。
1のような、何とも言えない不気味さはなく
お化け屋敷的なびっくり演出が多く
これじゃない感。
まぁ、ゼノモーフというキャラクターそのものが好きなのでそれなりには楽しめました。
そのうちゼノモーフは考えるのをやめた。
エイリアンシリーズは全作品劇場鑑賞済、特に原点の1作目はロードショー公開中に無け無しの小遣いから、おかわり鑑賞と友人に勧める為に奢る行為をする程どハマり、以降映画鑑賞歴に多大な影響を及ぼす。
勿論DVD BOX所持。
故に、エイリアンには一家言もニ家言もある事、ご容赦ください。
長いです。
今やサーの称号を持つリドリー・スコットの長編映画監督作2本目のエイリアンは、当時SFゴシックホラーとか形容され、公開まで情報が皆無だった。スターウォーズや未知への遭遇が皮切りとなり、技術的ブレイクを果たしたSFXを使ったSF映画ブームの中で公開された。
その得体の知れない生物の造形美、謎の生態、細部にまで拘った美術と説得力を持つ特殊効果等が衝撃的な恐怖を醸し出していた。初見の時は恐怖の余り、席を立って逃げ出したい衝動を抑えて観続けた記憶がある。
1作目の肝は、完全生物と称された怪物(ゼノモーフと言われ出したのは2作目以降)の予想出来ない生態と行動原理の不明さが恐怖の根幹であり成功していた。
シリーズ化され、当時新進気鋭の監督にそれぞれ任すスタイルとなった。
エイリアン2以降は、その形態と生態が認知されているので、恐怖は目減りするのは致し方なく、担当したジェームス・キャメロンは怒涛のアクションサバイバルホラーとして、デヴィッド・フィンチャーは与えられた脚本からとはいえ宗教色が強くどこか中世を想わす、刑務所星を舞台とした独特の世界観、ジャン・ピエール・ジュネはキッチュな独特の世界観とブラックユーモアで、リプリーの物語として続いた。
興行的に浮き沈みもあり、失敗作と言われる物もあるが、個人的にはどのアプローチも好きで、結局この完全生物に魅了されている。
リプリーシリーズは、ここで止まってしまい、3の幻の脚本となったウィリアム・ギブスン版や5の予定だったニール・ブロムカンプ版も観たかった。
そこから巨匠となったリドリー御大のプロメテウスとコヴェナントが展開する訳だが、個人的にはプレードランナーを絶頂点としてリドリー・スコットへの信頼感はその後弱まり、ハンニバル辺りから創造より引用が気になり出した。
無神論者でありながら神話的アプローチとか、豊富な美術知識をひけらかす様な感じ(コヴェナントでのベックリンの死の島の引用はモロパクリ)とかが気になりだしたし、創造主と神とか手垢のついた主題で、ゼノモーフと人類とスペースジョッキー(エンジニア)の起源を描くが、それによりゼノモーフ自体の神秘性は削がれた気がする。
今は亡きダン・オバノン(1作目の原案と初稿脚本、それまで異邦人とかの意で使われてた名詞エイリアンを、宇宙生物の名詞として初めて使った人でダークスターの搭乗員)が知ったらどう思うのかとか考えてしまった。
プロメテウス初出の黒い液体の設定も混乱してて(ファーストディーコンの血やらブラックグーやら)エンジニアが始めに飲んだヤツと後から出てくるエンジニアの宇宙船から採取した物が別物なんて映画観ててわかるか?
黒い液体を2001年宇宙の旅のモノリスの様に進化の象徴にするなら、完全に失敗していると思われる。
大体、エンジニアが飲んでたディーコンの血(その後バラけて地球の生命の元となる)が無くなったから、エンジニアが複製したが失敗したのでウイルス兵器に転用して、逆にアンドロイドにコヴェナントでばら撒かれるのもアホだが、そもそも遺伝子レベルで変異を起こす物体ばら撒いて、被害側に計算外の遺伝子レベルの潜在的変異体や損傷した遺伝子の持ち主が1人でもいてスーパーヒーローにでも進化したら話変わってしまうし、兵器としてアホでしょ。
出世魚みたいな単純な変換やブリーダーの様な掛け合わせで進化を語るのは無理がある。
とは言え、どこかフランシス・ベーコンの絵画を連想するネオモーフは好きだったりするので、複雑な心境でこの2作が私の中で位置付けされていたりする。
さてエイリアン:ロムルスである。
フェデ・アルバレス監督作とはいえ、この副題の付け方は、近年のリドリー印満開で嫌な予感がした。
しかし原点回帰とか謳う旨もあったので、過度な期待もあった。
つかみは最高で、まさか第1作のビッグチャップを回収して始まるとは❗️
繭化して宇宙空間に漂ってる(ちゃんとリプリーがぶっ刺した銛がある)のを観て、
カーズや❗️(ジョジョ2部より)とテンションが上がりました。
死ぬこともできず考えるのやめてたのね?
ロムルスとレムスのセットも良い出来で、敢えてブラウン管モニターを使うとか、ディスプレイの表示が一作目の流用だったり、CGを使わずスーツやアニマトロニクスでゼノモーフを表現したりしているのは、好感がもてました。
テラフォーミングされた異星での劣悪な労働環境とかの描写も良くて、ウェイランド・ユタニ社のブラック企業ぷりも良く出てると思う。
強酸の血液が無重力下で漂う中を回避するシークエンスも良かった。
しかし、全体としてはまるでよく出来たファンムービーの様であった。
監督自身の個性を全く感じられなかった。
自動制御中の重力の切替り設定の新鮮さと、過去作ドント・ブリーズと同様、若者達が入っちゃダメなとこ入って中の怪物にエライ目に会うのは監督の独自性だとしても、そこで展開される描写は一々過去作の引用と感じた。リスペクトと呼ぶには余りにもそのままだった。
2を意識した兵器の説明描写や銃撃描写、4からのエレベーターシャフトでの攻防と台詞とニューボーン、ラストに向けて息が荒い中、薄着で宇宙服を着る1作目への目配せ、他にも細かい引用が多々あり、それらが長年のファンに対するサービスだとしたらやり過ぎで、ノイズとなり全く恐怖を感じなかった。
またアッシュ型アンドロイドのルークのCGの出来が悪く、故イアン・ホルム氏の再現としては稚拙だと感じた。
ブレードランナー2049のレイチェルの再現には驚いたものだったが、同じプロデューサーなのに何故こうも違ってしまったのだろうか。製作アプローチが違ったとしてもだ。
そして例の黒い液体である。この設定自体が不安定な存在を、とうとうスピンオフとはいえ、1〜4の世界の中に組み込んでしまった。
起源そのものをテーマにしたプロメテウスとコヴェナントで、リドリー御大が黒い液体を持ち出して起源や創造主や神を語るのは仕方ない。ホラーの形式を用いていても描きたい方向が違うから時系列で繋がっていたとしても、完全にリプリーシリーズと別だと個人的に捉えていた。
ある種野放図的に各監督の色合いで製作、芯の部分にリプリーを置く事で成立していたエンタメとしてのシリーズの後継として、原点回帰をも目指してたとしたら、本作監督のフェデ・アルバレスは、プロデューサーのリドリー御大に忖度し過ぎじゃないかと思う。
そもそも配信ドラマとして企画が立ち上がった為の詰めの甘さもあるだろうが、新しいアプローチみたいな物が感じられなかったのが残念だ。
とは言え、シリーズ初見の方々はすんなり受け入れ楽しむことが出来るのかも知れない。
ある種の過去作の美味しいとこ取りとも言えるので。
上映後、「怖かったねー」の声も聞こえてきたから、素直に見れば充分楽しめる作品だとは思う。
ただ個人的には、このままだとシリーズ自体が先細る可能性があると思ってしまった事が1番悲しい。
長文、難癖、失礼しました。
何でも見せればいいというものではないでしょう。
期待通りの展開で楽しませてくれていたのですが、最後に人間とゼノモーフのハイブリッドが出現したところで興ざめ、台無しとなってしまいました。ゼノモーフのグロテスクにして簡潔な美とでもいうべきものがありません。観客が何を見たいのか、製作者側はほんとのところ分かっていなかったようです。
没入できる2時間
「底辺」の若者たちが「一発逆転」を狙って廃船から盗みを働く…
という展開は「ドント・ブリーズ」を思わせるし、もっとシンプルに「格差社会」を思わせる。
で中盤以降の「会社の指令/利益」はブラック企業や「社畜」を思わせる。
SFを舞台装置に「現代社会」を描くのは映画あるあるだが、であれば、「エイリアン」は何のメタファーだろうか?
俗っぽく言えば「核兵器/生物兵器」かもしれないが、「欲」かもしれない。
「欲」に引き寄せられ、飲み込まれ、身を滅ぼす…って。
登場人物も(必要程度に)描かれている。といっても主人公と弟(アンドロイド)だけだが。
弟はアンドロイドだけに、「七変化」するのは上手い使い方だと思う。
主人公の葛藤とか、他メンバーとの確執も弟がキモになっていて面白い。
続編の有無は分からんけど、
単独作としても上手くまとめ上げた手腕を評価できる。
思ったより怖くない
エイリアン1と2しか見てないが、それと比べると怖くない。ゴジラマイナスワンの方が容赦なくて怖い。出てくる出てくる、ワッという、お化け屋敷のおばけの出方。一人ずつ順番に狩られていくし、お腹の中から出てきたり、主人公の女性は生き残るなど、先が読めるから安心して見られる。人型のエイリアンは、怖さも気持ち悪さもなく、作り物っぼくて、逆に笑える。
近距離で撃っても、強酸性の体液の飛沫を浴びないし、エイリアン自身はなぜ溶けないのだろう。人がいない時は、何をエネルギーにしているのか。クマムシみたいに休眠しているのか。
没入感はあるし、スケールの大きな作品なので普通に楽しいが、次回作はもういいかな。
生きる意志
エイリアンシリーズは昔見たけどそんなにハマらなかった人間です。今作はオマージュが沢山あると聞きましたがどれもわかりませんでした。批判されまくっている「プロメテウス」もそんなにひどい作品か? 面白くはなかったが、という感想です。
あと、この監督のファンです。「ドント・ブリーズ」が好きだったのでこの映画の恐怖シーンの緩急の上手さは本当に良かった。主人公はなし崩し的に仲間と危険な船内を探索しますが、死に直面して少しずつ成長していき最後まで生きる意志を投げ出さず恐怖と立ち向かう、というオーソドックスな作り。
冒頭20分くらい? はエイリアンがほぼ登場せず登場人物をきちんと描いていて、主人公の苦しい境遇やその友人たちがなぜ危険な行動を取るのかがよくわかった。SF設定や退廃的な街並みも詳細はわかりませんが大体の事はわかるような作りになっている。
正直、滅茶苦茶良い映画ではなかった。しかしメッセージはシンプルでわかりやすくアクションやホラー・ゴア表現も高いレベルと思う。これがPG-12でないなら小学生でもお客さん入りそうだけどなあ、けどゴア表現消したらつまらなくなるだろうな、と矛盾した事を考えた。
雰囲気、は、あったよねぇ〜
冒頭の街のシーンなんかも、昔の名作「風」だしね。暗い中で蠢くのも一作目を意識した感じだし。
だからこそ、「期待」はしてみてたよ。でも、やはり、設定のディティールが甘いとことかもあって、、、
アンディのキャラ設定とか、音と熱に反応って設定とか。よく考えると「ん?」ってところ、結構あったし。
結局のところ、「人型エイリアン」を出したかったのかなあって。でも主人公の女性って、なんか突然スーパーウーマンになっちゃうしさ。まあ、あのパーティの中には「リーダー格」はいなかった気もするし。6人組だけど、アンドロイドいるし、妊婦は寝てるしで、人間の犠牲者が足らない感じだよね。
そして、なんとなく「恐怖は続く!」って感じで、実際の所行き着くゴールが見えないというね。
確かに「雰囲気」は、あった。そこら辺はオールドファンも期待できたんじゃないかな?でも期待通りの展開になったかっていうと、んー?って感じ。
エイリアンのフォルムもしっかりと見せて欲しかったしね。なんなら全員やられる展開でも良かった。
ま、期待を持って鑑賞できたので、0.5はおまけで。
続編は難しい、、、
レプリー=レイン、ビショップ=アンディVSエイリアン
難しい事はわかりませんが、初回から見ている自分は面白かった♪
是非、再度見直したい。設定が良くわからずに進んで行ってしまった。
レインとアンディの関係も少ししかわからないし、仲間達の関係も・・・
しかーし、エイリアンは確実に居ました。凶暴さを維持したままです。
人間の赤ちゃんと合体した姿は色々あると思いますが、それはそれで良しと。
生存者は、ただ一人のレインだけ。まだまだ続きそうで、楽しみです。
シガニーが好き過ぎて、もう出演しなのかぁ・・・と寂しくなり★4.5。
余談ですが、口の中のエイリアンが少し可愛く見えてしまった・・・
コヴェナントの反省を生かしている
コヴェナントではエイリアンはCGで少数、登場人物は大多数の大人だったが、真逆の作り方
少数の若者が中心で、アニマトロニクスを駆使した多数のエイリアンが登場
複数シリーズ化してエイリアンの見せ方も飽和状態かと思ったが、無重力の宇宙空間という新たな切り口で、展開も最後まで飽きずに楽しめた。
最後の気持ちの悪い人型エイリアンも今までと違った恐怖心があり、個人的には良かった。
こちらはヒットもしているようだし、是非とも主役は再登場してほしい
(笑)
なんというか、そもそも批判したいだけで書かれたレビューに見える。
そもそも父親は明かされてない(ストーリー見ればわかる)し、スタッフ関連の知識も間違っている。
ゼノモーフの知識もそもそも間違っているし、ストーリーで説明された「今作の」チェストバスター誕生経緯も完全に理解が足りない。
最近このような浅いレビューばかりで辟易する。
巣窟
なんかやたら怖かった。
物語の骨組はシリーズを踏襲してるようで変わり映えはしない。限定された空間でエイリアンから逃げる。
むしろセルフオマージュとも言えるくらいの構成だ。
なんだけど、群を抜いて怖い。
音楽のせいかな?
監督の趣向もあるんだろうな。相性がめちゃくちゃ良いと思われる。
その限定された空間が「廃墟」のような設定も効いてるんだと思われる。禁忌の空間というか、踏み込みさえしなければ、そんな恐怖に見舞われる事もなかったろうにと思えてしまう。まぁ、舞台装置は前作からの引き続きのような所もあるので、ゾクリとはするのだけれど。
毎回思うのだけど、エイリアンの全身をなかなか映してくれない。その辺りも伝統なのかと思わなくもないのだけれど、サービスカットくらいは欲しい。ただ未知なる恐怖の表現であるならば、全貌を把握できないってのは効果的なのだろうなぁ。
今回のエイリアンも雰囲気◎だ。
フェイスハガーから始まって、顔を覆われる様とか、幼体が腹を食い破って出てくるとことか、エイリアン的名場面をしっかりアピールしてくる。ぶっちゃけ何度も観たシチュエーションだ。でもその都度怖い。今回は特に怖かった…。
Androidの無機質さとかは、アングルの妙もあってエイリアンとは別の恐怖を与えてくれる。
本能が拒絶する恐怖とは別に、深い闇を伺うようなそんな異質さが際立ってた。
とまあ、シリーズの旨味を凝縮して進化させたような本作であった。
成体との攻防戦は絶体絶命の連続で息つく暇もない。無重力で回避するとことか、九死に一生って感が凄く強くて良かったわー。
このあたりの描写や設定は監督の持ち味が存分に反映されてるとこでもあるんだろうなぁ。
そして予想はしてたけどエイリアンx人間のハイブリッド…こいつがまた輪をかけて異質で異様。
その前に赤ん坊状態を見せる周到さとか…可愛い→怖いのギャップが技あり!
あの一瞬、全く違う空気になったもの。今までの事が一旦リセットされるような感じかしら。
そこからの揺り返しは、強烈だった。
なんか捕食シーンを初めて見たような気がする。
それも母親を喰ってるわけだから悍ましさMAXだ。
強烈なインパクトで、コイツだけは宇宙の藻屑になってもらわんとエラい事になると、体内アラートが最大出力で鳴り響く。
ラストに至る仕掛けもすこぶる良くて、エンディングで座席に埋まるかと思うほど脱力したのは言うまでもない。
ラストは何作目かで見たような引き際なれど、エイリアンシリーズはコレが正解なんだと思われる。
考えてみたら、全作通してここまで密室を意識した事がなかったように思う。
ほぼ宇宙船内で起こる事なのだけど、今まではソコを意識した事がなかった。
その辺りも演出の妙なのかもしれないなあー。
原点回帰を果たしたような本作。1作目のコンセプトを突き詰めて昇華させたような印象であった。
ロムルスの続編は期待しないかな
アッシュと同型のアンドロイドが登場したり
アンディがユタニの利益のために行動したり
フェイスハガー・チェストバスター・ゼノモーフへの変化を見せる辺りは
エイリアン1寄りかと思いきや
銃器でゼノモーフを撃ちまくったり、最後に貨物室で敵と対峙したりは
エイリアン2寄りか
思い返せばゼノモーフへの変化を見せる辺り2の方がわかりやすかった
エイリアンに対する怖さでドキドキした1だったけど、本作ではそのような感覚があまりなかった
優秀な前作があるとどうしても比較してしまう。
ノストロモ号から回収した繭からエイリアンを培養して黒い液体を作成して逃げる、裏にはユタニの関与が
とシリーズに繋がる要素はいっぱいあるけど新しい発見が無いのでちょっと物足りない
コヴェナントの続きが見たい側からすると物足りない
書いてもしょうがないんだけど、疑問が出てしまって考えはじめたら楽しみが半減してしまった
・植民星から抜け出したい労働者が恒星移動できる宇宙船を持っているのは何故か
・研究用宇宙施設がジャクソン星近くにきた理由
・ユタニが研究用宇宙施設を放棄した理由
・エイリアンが成長のたびに大きくなるその原資、質量保存の法則
・ケイの子供も同様
・エンジニアが黒い液体を開発した理由
ロムルスの続編は期待するところが無い気がする
懐かしい感じのパニックホラー
エイリアンシリーズは好きな映画で特にエイリアン2が好きな映画の上位に入ってくる自分にとっては満足度が高かったです。
閉鎖空間で制限時間と化け物に追われながら脱出を目指すって展開が昔懐かしいパニックホラーですね。
ただ逃げ回るだけでなく銃火器で対抗する所がエイリアン2の系譜を感じます。
オタにとっては出てくる兵器類にも注目したいですね。今回登場のF44AAパルスライフルはオートエイムとフレンドリーファイア防止機能付き。おまけに装弾数450発!エイリアン2に登場した海兵隊のM41Aパルスライフルより高性能ですがエイリアン2より前の時系列じゃなかったでしたっけ?
終盤の迫るエイリアンの集団をオートエイムで次々撃破していくシーンもエイリアン2のセントリーガンがエイリアンを迎撃するシーンを思い出させますね。どんどん減っていく残弾表示が緊張感を演出してドキドキさせてくれます。
ホラーと言うよりはSFアクションって感じでとても楽しめました。この路線で続編作って欲しいです。
「これまでの作品をオマージュしてる」っていうか、ラストなんてほぼ1...
「これまでの作品をオマージュしてる」っていうか、ラストなんてほぼ1stの展開と同じやんけ!
全体的にお化け屋敷アトラクション感、面白かったけど「映画的なカタルシス」は無く感じる。びっくりハウスでした。
ディズニーランドはこれをテーマにしたアトラクションでも作る気なのかと勘ぐってしまうくらいチャレンジ精神旺盛。
ナイスポイント=1stと2ndの間のストーリーだから、その辺の細かいディテール(メカニックデザインや時代考証)はちゃんとしてて良し。ブラウン管TVとかサイコーに好き。過去イチのゴア描写で攻めてたのはすごい、あれは高評価。
バッドポイント=エンディングがもう…まんま一緒だからズッコケるわあれは…「え、次はまた戦争になるの?キャメロンに監督させるの?」みたいな。
『ドント・ブリーズ』化したエイリアンの世界。旧作への究極愛が炸裂するシリーズ継承作!
ああ、主役の女の子って『プリシラ』でヒロインやってた子だったのか!!
観ていて全然気づいていなかった……。
あれだけ『プリシラ』観たとき、可愛い可愛いって言ってたのにな、俺(笑)。
さすがにこういう恰好して出てたら、偽ロリには見えないのな。
珍しくSF映画を封切りにて視聴。
『エイリアン』は1~3は観ているが、最近の続編ものは面倒くさくなってちゃんと観ていない。もともとミステリーとホラーについては三度の飯より好きなのだが、SFにはほとんど思い入れがないタイプ。『エイリアン』に関しても、「ホラー味が薄れる」ほどに関心も失せていったという感じでしょうか。
なので、『エイリアン』にさして思い入れがあるわけではないし、一連のクロニクルにはまったくもって詳しくない。あくまで知識のないホラーファンが、ホラー寄りの観点で書いている、うっすい感想ということでご容赦ください。
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『エイリアン』シリーズの新作を作ろうと考えたとき、確かに『ドント・ブリーズ』の監督ほどにドンピシャでふさわしい監督も、なかなかいないにちがいない。
そういや、あれも密室空間で、実力が段違いの強大な敵に「狩られる」構造の映画で、逆に『エイリアン』リスペクトの香りのするくらいの作品だった。
まして、「禁足地にわざわざ踏み込んで、起こさなくても良い怪物を起こしてしまう」という、まさに『ドント・ブリーズ』そのまんまの設定。
この人なら「あの独特の感じ」をうまく出してくれるだろうってことで、白羽の矢が立ったんだろうな……と思って鑑賞後パンフを読んでみたら、なんとこの映画、フェデ・アルバレス監督自身がアイディアをリドリー・スコットのところに持ち込んで実現した企画らしい。なるほど、もともと熱狂的な『エイリアン』ファンだった監督が、旧作への最上位の敬意と愛着をもって取り組んだ結果が、この作品ということか。
結果として、『エイリアン:ロムルス』は以下のような映画になった。
●徹底的に旧作(とくに初代)の展開や要素をなぞる、リスペクト度の高い良い意味での模倣作となった。
●前半、ホラー要素ゼロのSF的/社会批判的な状況説明パートがかなりあって、ここはぶっちゃけ長い気がする。
●エイリアンが具体的に跳梁し始めるのは全体の3分の1が過ぎたあたりから。そこからはお化け屋敷ムービーとして愉しめる、娯楽度・アクション度の高い及第点の仕上がり。
●新要素としては、今回の犠牲者が「若者」たちだけという部分が大きい。
●ヤングアダルト的要素を増した分、「子供じみた夢」「幼稚な判断」「反権力」「大人世代との対立」といった、ユースカルチャー的な側面が際立っている。
●もう一点、「黒人」で「ポンコツ」の「白人少女に庇護されている」「アンドロイド」が、ほぼ無双系のヒーローとして君臨するという展開が、いかにも現代のポリコレ要素満載で面白い。アンディの立ち位置は、昔でいえばまさに『ターミネーター2』なのだが、今はその役割を担うのが白人でもマッチョでもない「被差別者」じゃないといけないんだなあ、と。
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登場人物を全員、密航して他の星域に脱出しようとしている若者たちに設定したことで、ジュヴィナイルSF感がいや増しに増しているのは確かだ。
あとは、「若者」を思い切りバカで、状況判断のできない、感情的な未熟者として描くことで、80年代スラッシャー・ホラー的な雰囲気が加味されている点も見逃せない。
要するに、『狩られる犠牲者』たちが、『13日の金曜日』や『エルム街の悪夢』と同様の世代設定なので、「若気の至りでやらないでもいいことをやって」「オジサン世代のSランクモンスターに追いかけまわされる」空気をそのまま『エイリアン』に移築することに成功している。言い換えれば、『エイリアン』の『ドント・ブリーズ』化と言ってもいい。
とくに、中盤のフェイスハガーだらけの毒グモ屋敷みたいな広間を敵中突破するために、気温を体温まであげたうえで、声を出すな、汗をかくな、興奮するなって……本当にまんま『ドント・ブリーズ』じゃあーりませんか(笑)。
その割に、前半戦で極力ホラー味を抑えて、植民惑星の社会問題とか、労働問題とか、人種(アンドロイド)問題とか、バイオ産業の倫理問題とかに踏み込んで、ねちねちと社会派SFっぽいノリで通しているので、後半に『ドント・ブリーズ』っぽい「入っちゃいけない廃屋で冒険とかやったら大変なことになる伝統的な若者虐殺ホラー」が控えていることは、結構うまく隠蔽されている。
とはいえ、僕はかなり前半は退屈だったけど……。
後半に入っての彼らの「判断の間違いっぷり」は清々しいまでで(笑)、とにかく「行ってはいけない方に行き」「入ってはいけないところに入り」「やってはいけないことをやって」取り返しのつかないことになる、の無限ループに突入する。
ここに常に「肉親の情愛」「夢の追求」「仲間どうしの友愛」といった前向きな要素が絡んでくるのが本作のミソで、このあたりは偽ヒーロー映画(ヒーローが判断を間違い続ける映画)の傑作、フランク・タラボンの『ミスト』(07)を思わせる部分もある。
要するに、彼らは若く、理想に燃え、仲間を想い、ヒーローたらんとするがゆえに、逆説的に判断を間違い続けるのだ。
この対極として登場するのが、アンドロイドのアンディである。
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本作においてもアンドロイドは、他のシリーズ諸作品同様に、きわめて重要な役割を果たしている。第一作のアンドロイドは、人のふりをしてクルーに紛れ込み、企業組織に従った活動に従事している悪役じみた設定だったが、その後、シリーズの紆余曲折を経て、今回のアンドロイド「アンディ」はむしろ複層的な役割を担っている。
まずは、「弟キャラ」「ポンコツ」「親父のおふる」「コミックリリーフ」「道化役」の属性を身にまとって登場。ヒロインのレインに庇護される立ち位置で、基本的に役に立たない。
他の連中からは、「無能」「中古」「廃棄前」として扱われ、「黒人型」「貧相」「低身長」の外見を揶揄される。彼は間違いなく「被差別者」であり「いじめられっこ」である。
ところが、中盤で必要に駆られてレインがアンディのモジュールを入れ替えたことで、アンディは大幅のバージョンアップを経験することに。その結果として彼は「リーダー」「ヒーロー」「冷徹」「高性能」「データバンク」「圧倒的身体能力」といった属性を身に着けることになる。
これはある種の「下剋上」であり、主客の逆転現象だ。
「なろう」でいうところの、まさに異世界チート現象である(笑)。
アンディのチート化は、感情と友情に判断を左右される「愚かな若者たち」の対極的存在として、情にほだされないで冷静に状況を分析して行動できる「サイコパス的指導者」像、あるいは「老成した年長者的なリーダー」像をアンディに付与せしめる。
さらには、上半身アンドロイドとの接触によって、「レインに尽くすことが第一義のアンドロイド」から、「企業の意志に従って大義のために行動するアンドロイド」へと動機付けに上書きが発生し、アンディのなかで複雑な何層もの属性が入り乱れて主張し合う状況に。
密室状況下のサヴァイヴァルで、アンディは結局どの属性を「選び取る」ことになるのかが、本作の一つのテーマとなってくるわけだ。
宇宙における、人とAIの対決もしくは協調を描いた作品といえば『2001年宇宙の旅』にとどめを刺すが、パンフ巻末のスペシャル・インタビューで、リドリー・スコットは『エイリアン』のアンドロイドの発想源が、『2001年』のHALであることを明かしている。
人を守るか、船を守るか。人員を優先するか、使命を優先するか。
究極の状況判断が迫られる際に、どうしても人とコンピュータでは、判断が異なって来る。
まさに本作のアンディは、HALの直面していたテーマの後継的存在なのだ。
― ― ― ―
もう一点、『エイリアン』らしい特性に関していえば、「生殖・繁殖」の要素と女性との絡みが挙げられるだろう。
エイリアンは、他のレジェンド・モンスターと比べても、性的なほのめかしが濃厚な存在である。まあ、ジェイソンやマイケルに女を殺させたうえにレイプまでさせたら、あまりに安きに流れ過ぎて上映できないって部分もあるだろうが(笑)、伝統的にアメリカの殺人鬼映画に性的な要素は希薄であるように思う。
少なくとも、ヴァンパイアは疑う余地なく性的な存在だが、あれは基本的には個の「誘惑」と「堕落」の物語であって、あまり生殖とは結び付かない気がする。
一方でエイリアンは、本来的に「仲間を増やす」ことが第一義の生命体である。彼らにとって人間は、殺すべき敵であると同時に、何よりも繁殖用の素材として重要だ。その意味でエイリアンには、日本のラノベ『ゴブリンスレイヤー』の「ゴブリン」や、数多の大人向けアニメに登場する「●獣」「触●」みたいなところがある。
フェイスハガーから延びる管は、明らかにディープスロートのメタファーであり、性交のアナロジーとなっている。ゼノモーフの口腔部の形状や、人体を取り込んでいる「巣」の外観にも、性的なほのめかしが容易に見て取れる。
エイリアンは自らの繁殖に際して、相手の男女の性別を問わないが、「そうではない有性生殖による進化」を常に念頭に置いている気配があって、最終的なターゲットとして受胎能力のある女性が狙われる傾向が強い。
だからこそ、『エイリアン』シリーズは、毎回、女性が主人公でなければならなかったといえる。
『エイリアン:ロムルス』でも、すでに妊娠しているケイが、エイリアンの重要なターゲットとされ、いろいろと酷い目に遇いまくったあげくに、例の「黒い液体」のせいで『ローズマリーの赤ちゃん』(68)のような恐ろしい経験をすることになる。一番最期のところにしても、あれってお乳を吸いにきてたんだよね……?
ちなみに、最後に産まれて来る「究極生命体」って、明らかに『進撃の巨人』のビジュアルイメージに影響受けてる気がするけど……ホントのところ、どうなんでしょうか(笑)。
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今回のパンフレットは、徹底的にスタッフトークだけで固めた資料価値の高い内容で、読んでいてとても勉強になった。
「リドリー・スコット監督の『エイリアン』に対するフェデの愛はすさまじいですよ。あれほどまでにほかの監督の映画を愛している映画監督に、僕は出会ったことがありません」(トム・モラン、製作総指揮)
特に興味深かったのは、コンセプトとして本作が『エイリアン』の1と2の間に位置づけられる作品となるから、撮影方法やパペットの技術など、技術的側面まで80年代に「わざわざざ寄せて」撮っていたという話。可能な限りCGを使わず、実写で撮ることにこだわりを持っていたのみならず、衣装に関しても、「80年代に撮影された映画のようにしたい」との要望で、その時期の服をベースに作っていたらしい。
要するに、本作は「1980年代に夢見た未来」を再現するべく作られた映画だということだ。これまでにも、「この話はクロニクルの●作目と●作目の間にあたるエピソード」といった映画はたくさんあった気がするが、ここまでこだわって「作品の時代感」を踏襲しようとしたプロダクション・スタイルは珍しいのではないか。
結果として、それは俳優たちにもいい影響を与えたようだ。
「特に、CGがこれだけ少ないと、演技なんかしなくて済んじゃう部分が多いんですよ。実際にリアルな環境の中で、フェイスハガーがかぶりついてくるんで、そのまま反応すればいいんです。予算が潤沢なモンスター・ムービーでも、テニスボールやグリーン・スクリーンに向かってお芝居をすることが多いなか、あんなにいろんなものを実際に組み立ててもらえて本当に恵まれてました」(ケイト・スピーニー、主演)
本作から漂ってくる「本気度」の高さや、シリーズ作としての違和感の薄さは、こういう監督の異常な情熱とこだわりがあってこそのものだったのか、と改めて感服した次第。
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