ナミビアの砂漠のレビュー・感想・評価
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結局、男は我慢するしか無いのよ。。
この映画が「男社会に不満を持つ女の子の映画」にはまったく見えなかった。
見に行く前にネットでチラッと見かけた紹介文にそんな文言があった。
見たうえで私なりに説明すると、今どきな自由奔放な若い女の子が彼氏を乗り換える中で少しずつ心を病んでいく話。
たしかに男目線での彼女の描写を見られたけど、河合優実が演じる彼女が逆に男に依存しているように思えた。
男女平等というよりは、何があっても男は女性を守るべきなんだと訴えているように見えたかな。。
結局、男は我慢するしか無いのよ。。
自分の感情を我慢して我慢して生きていくしかない。。
理不尽に感じるけど、これが現実なのよね。
悲しいけど、年を取ると強く感じます。。
男目線で、こんな事を考えながら見た映画でした。
それと、河合優実を見るという点では楽しめた。
いつもの彼女な感じの演技でしたけど。。
『あんのこと』も見に行ったけど、彼女は少し陰のある役が多いですね。
河合優実の映画は結構見ている。
キッカケは『少女は卒業しない』から。。
ただこの映画を見たのは河合優実が理由では無かった。
サブスクで見た『アルプススタンドのはしの方』に出てた小野莉奈ちゃんが出てたから。
小野莉奈を見るために見に行った映画に河合優実が出ていたのである。
調べてみると、この前後に映画館で見ていた『線は、僕を描く』『ある男』『ひとりぼっちじゃない』にも出ていた。
最初の二つはどこに出ていたか分からなかった。。
そしたらあれよあれよという間にテレビにも出始め、不適切にもほどがある!でブレイク。
ふてほどのように明るい役をもっと見てみたいと思う。。
そして今回は『ひとりぼっちじゃない』に続いてすべてをさらけ出しての演技。
この辺は興行を考えて監督が望むんだろうけどね。
他にも気になる女優さんが3人出ていた。
一人目は、『異世界居酒屋のぶ』に出ているエーファちゃん役の新谷ゆづみ。
『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』を映画館で見てから彼女の存在を認識。
二人目は、『悪は存在しない』に出ていた渋谷采郁。
名前までは憶えていなかったが話し方で気づきました。同じ話し方だった。
三人目は、唐戸えりか。
東出昌大の結婚発表があったけど頑張ってほしい。。
ある程度の本数を映画館で見ていると、いま旬の女優さんが分かってくる。
ブレイク間際の人はたて続けに映画が出てくる事が多い。
そんな見方をしながら日本映画を応援しています。
近年の日本映画で最高の成果のひとつ。
これはまあとにかく俳優の動かし方と編集とサウンドスフィアがあざやかにリズムを作りだしていて、それが物語内容から独立した独自の文体を生んでいる。すばらしい才能で、近年あれこれ現れた日本の若手監督を、まったくかすませてしまった名篇。濱口竜介に匹敵する作り手が、こんなにあっさり登場したのは驚きです。
物語自体は、この10年で無数につくられた「東京の片隅に生きる孤独な若い女が人生に衝突する話」を臆面なく踏襲していて、だからこれを見るときは、律儀に物語を追ってはいけないのです。カメラの動き、俳優の視線、そこへフレーム外からしのびこませる音環境の構築、そして何よりもショットからショットへの新しい切りかえの感覚に、注目してください。
主演の河合優美も、たいへん見事。もともと今の日本語は、とくに若い人の間では口先でぼそぼそっと勢いなく話す発声で、そのままでは映画にもドラマにもなりづらい。それを逆手にとって、しっかりとリアリティを与えていることにひどく感心した。
もっとも男優たちは正直大したことがないので、濱口竜介監督のような独自の演技指導メソッドがあったわけではなく、監督と女優のケミストリーによるものかもしれない。
そして終盤にいたって物語を回収しはじめると、やや脚本の弱さが表れてしまう。「登場人物が狂気におちいる」って要するに夢オチの別形態だからね、うまく着地させるのは至難の業なのです。それでも同種の物語上の特徴をもった凡百の作品にくらべて、脚本上のキズをはるかに巧くカバーしているとは言えるかもしれない。カンヌでもここは審査員の間で議論になったはずだけど、やはり作品全体を支配する清新さ・巧みさを見逃すわけにはいかないと結論づけたのだと思う。そしてそれは炯眼だった。
この作品は、「映画が国外で高く評価されるには2つの特徴を持っていなければならない」という教訓にもなっている。つまり「他の誰にも似ていない」と「作り手が生きる地域・社会の現実にしっかり根を張って思考している」のふたつ。日本で映画と映像に仕事でかかわるすべての人はここをよくよく見てほしい。
いずれにしても、これは濱口・三宅の二人と並んで、ここ5年くらいで作られたすべての日本映画の中で最大の成果のひとつであることには疑いありません。ぜひ劇場で目撃して、その成功によってこの監督に次回作を作らせてあげてください。
全編を通じて漠然とした本作の中で、唯一浮かんできたのが「葛藤感」。山中監督の私小説に長々付き合わされている気分でした。
正直に告白すると、「ぶっきらぼうな女性」を主人公とする映画になぜか惹かれる傾向がある。山中瑶子監督による本格的な長編第1作にして今年のカンヌ国際映画祭で国際批評家連盟賞に輝く本作は、まさにそんな系譜に連なる作品です。
●ストーリー
東京。とある駅前の全景を捉えたカメラは、首元に日焼け止めを塗りながら、デッキを歩く1人の女性にズームインしていきます。抜群のスタイルなのにどこかアンバランスな身体性がまずは目を惹きます。白い長袖シャツに短いスカート姿、帽子をかぶった彼女は、階段を下りて喫煙所へ。スマートフォンをいじりながら笑った後、上品とは言えない歩き方で別の場所へと移動していくのです。
21歳のカナ(河合優実)は将来についてはっきりした夢や希望はないらしく、考えるのはあまりにも退屈で、自分が人生に何を求めているのかさえわかりません。ただ脱毛サロンで働くカナは、仕事を淡々とこなし、周囲とも無難に付き合う世知はありました。
でも何に対しても情熱を持てず、恋愛ですらただの暇つぶしに過ぎなかったのです。気まぐれな猫のように、フワフワと生きているカナは、気の向くままに快楽を求めてさまよっていました。
同棲している恋人ホンダは家賃を払ったり料理を作ったりして彼女を喜ばせようとします。でもカナは自信家のクリエイター、ハヤシ(金子大地)との関係を深めていくうちに、ホンダのことを退屈に感じ始めるようになるのです。
それでもホンダは、ハヤシと会って泥酔し深夜に帰宅したカナを何も聞かずに介抱してくれるマメで優しい男でしたが、カナはあっさりとハヤシに乗り換えてしまいます。しかしハヤシと意気揚々と同せいを始めるや、かまってちゃんぶりを発揮。カナ最優先ではないハヤシに無理難題をふっかけます。
もがき、ぶつかり、彼女は自分の居場所を見つけることができるのでしょうか?
●解説
河合優実が演じた美容脱毛サロンで働く21歳のカナ。
世間や人生に退屈し、やり場のない感情を持て余したまま生きています。喫煙所から移動した先のカフェで、親友から2人も知るかつてのクラスメートが自殺したという話を聞いてさすがに顔色を変えるカナでした。でもどこか話に入りこめず、人ごとに思え、近くの男性たちの「ノーパンしゃぶしゃぶ」の話題の方がどうしても耳に入ってくるのです。 真剣に聞くべき言葉とどうでもいい言葉の区別がつかないという、そんな心境を表す演出と、河合の自然体の演技が見事です。続けてホストクラブ、公園、タクシー、自宅。日中から夜、朝にかけて約17分間、カナの生活が垣間見える一連の場面展開で、ただならぬ作品と感じられるはずです。
但しそんなカナに対して、共感できる人が半分、迷惑なヤツと反発する人が半分ではないでしょうか。自分に素直、気ままたが根はまじめ。いやいや。自分勝手で気まぐれ、チヤホヤされるのをいいことにやりたい放題、しかも無気力。今を生きる若者たちの、心情のリアルがありそうです。
映画もカナと一緒にたゆたうように進み、生活の断片をつなぎ合わせてカナの肖像を描きだします。友人の死をぼんやりと受け止め、ホストクラブではしゃぎ、ホンダやハヤシに甘えてみる。毛色の違うハヤシの家族や友人たちの間で所在なげにたたずむ。映画の後半、ハヤシとの歯車がかみ合わなくなると、取っ組み合いのケンカをしては仲直りを繰り返します。
混迷と混乱が深まって、カナがカウンセリングで自分を知ろうと試みると、映画はリアリズムからも浮いてゆく。脳内を映し出したようなシュールな映像や、ファンタジー調の場面まで入り交じるのです。
ところで本作はもさまざまな表情でたたずみ、感情を出し入れする河合を得て、何にも似ていない映画となりました。
河合は、意地悪で、平気でウソをつき、いわゆる「かまってちゃん」でもあるカナの輪郭を、生い立ちをきめて浮かび上がらせていきます。口々だるそうに生きながら、時に怒りを爆発させるカナ。その瞬間に河合が見せる、形容しがたい目の表情。子供のように歩き、不意に側転をする彼女の身体が作品を躍動させ、引きで撮っても寄りで撮っても映画的な俳優、河合の魅力が全編にあふれています。これほど、作品ごとに全く異なる顔を見せてくれる俳優はまれでしょう。
●感想
ただとんでもない女性を描いただけの物語ではありません。何が彼らをそうさせるのか。現代、心のオアシスを求めるのは誰しも同じではないでしょうか。そんな想像力が働いたなら、大切な1本になるはずです。
映画の後半、カナは別の女性(カウンセラー)と今度は静かな部屋で対面し、「心の中だけなら何を思うのも自由だ」と諭されます。そして親から受けたトラウマについて聞かれたカナは、父親から激しい叱責を受け続けてきたことを告白します。
全編を通じて漠然とした本作の中で、このカウセリングのシーンが核心ではないかと思います。脚本も担当した山中監督にとって、おそらくカナは自分自身を投映したものであり、山中監督もカナ同様に父親への強いトラウマを抱えていることが、本作のモチベーションになっているのではないでしょうか。結局両親のどちらかにトラウマを抱えている人は、潜在意識に愛情欠乏症を抱えており、ついつい「かまってちゃん」になりやすいのです。そういう人は、自分史を振り返り、自らがいかに多くの人から愛されてきたのか内観してみない限り、「愛されていない」という葛藤から抜け出せません。
まるで砂漠のなかで水を求めるかのような「葛藤感」が、本作のタイトルに込められた意味なんだろうと思います。そして突如登場するエンドロールのナミビアの砂漠にあるオアシスで、水を美味そうに飲み続けるオリックスのシーンの意味も同じなんだろうと思うのです。どうせなら何かに満たされるカナを描いて欲しかったですね。
情緒不安定な女の日常
脱毛エステで働く21歳のカナは、将来の夢もなく、何に対しても情熱を持てず、恋愛も暇つぶしだった。同棲している恋人ホンダは家賃を払い、料理を作り、彼女に喜んでもらおうとしてたが、ホンダが風俗へ行った事をきっかけにホンダの家を出て、クリエイターのハヤシとの関係を深めていき・・・さてどうなる、という話。
河合優実目当てで鑑賞した。
ずっと河合優実を追っかけてる作品で、ナミビアは出てこないし、砂漠も出てこない。テレビでナビブ砂漠らしい所の映像が映るだけ。題はどういう意味だったのだろう?
こんな自己中で家事もしない情緒不安定な女と同棲して何が良いのだろう?
セッ○スがすごく良いのだろうか?
カナ役の河合優実は手脚が長くてスタイル抜群で、本作では美しい裸体も見せてくれ、素晴らしかった。
もし、主演が彼女じゃ無かったら観続けられたかどうか。
それくらい、ストーリーもあるのかないのかわからんし、ほとんど彼女ばかり写ってた作品だった。
それと、短かったが、唐田えりかが観れて良かった。
たんたんとした映画
起承転結が少し弱めだが、優しい男から自信家の男へとリアルな女の子の感情が描かれている。中国人ハーフの設定を河合優実が演じるというのは他の女優では描けない味が出ている。躁鬱の発症はパートナーからすればハズレくじのようだが、即座に縁を切れないのもリアル。
言いたいことはわかるが 俺はなにを見せられてんだろう 長時間 感がデカい
時代の寵児に近い 女優河合優実 ✖️ 新鋭 若手天才監督
まさに 2020年台の若者
わかる わかる 全ての 描写理解できたし 難しいとこは一つもない
確かに 今の若い方 は 冷めてるし つまんな〜い 世代 金とか出世より 私生活優先
実は パソコン💻上手で切り替え早くて 優秀な人も多い のだ❗️
河合優実さん役の無気力自分勝手感
優しい寛一郎さん役から 刺激的で面白い 金子大地さん役へ 切り替え
は納得❗️今の価値観ではね。若さの特権
有料🈶パンフはデザインは良いのだけど 文字が読みにくい
だが コラム3本には 大事な事 書いてあった。
河合優実さんの 脱力感
だらしないけど この映画は裁きを下してはいない 確かに。
今時の若者 理解しました。
でも 何だか 映像進行も 少し🤏緩いんだよね。冗長まではいかないけど
全ての画面ストーリー理解できたけども 何だか 進行が緩くて 何だかな
それと 心療内科はともかく カウンセリングは金持ちでないと無理だし
このような性格の方は あんまり 躁うつ は当てはまんねぇ 気がした。そもそも 仕事🆚の構図が前提だと経験則上思う
タイトルが中途半端な時に出たのと ランニングマシンは 申し訳ない❓ナゾ❓でした
ナミビア🇳🇦の砂漠とは 何か 是非本作観て理解して❗️映像と出来れば有料パンフ🈶のコラム群で わかります。
俺的に 一番共感できたのは 寛一郎さんの演じる ホンダの優しさ 愚直さでした。
河合優実さんは 体を張って熱演❗️俺もケツの脱毛はすぐにでもしたいが 鼻ピアスは ハナクソほじりにくいから遠慮しときます。 誰でもわかる 今時の若者 でも 普通すぎて遅くて『俺は何観てるんだろう』感で長く感じました。名画座的とも言います
「ダルい」ということ
非常に、非常に作家性に溢れた作品。エンタメという側面では、河合優実の良さと各カットの迫力や独創性に重点が置かれているが故に、観客にとってリズムを生みやすいプロットの動きが欠けているという構図で、実際近くの席の何人かの方は退屈したのか途中で退室していました笑。誰もが明快に楽しめる映画ではないと言うのは一つ留意すべきところ。そこを前提に、この映画が何を語ろうとしていたんだろう?と言うのを自分なりに推測してみます。
やる気なく仕事に臨み、気怠く煙草を吸い、酒を飲み、男を乗り換え、そのクセ今彼の家族とのデイキャン前には「ちゃんとしてないって見られたくない」と妙に真っ当なことを言い出すカナ。彼女の表情でとても印象的なのは「ダルそう」な顔。薄い共感、決めつけ、ホストの呼び込み。それに限らず、カナは基本的に自分の周りで起こるあらゆることに「ダルい」リアクションを取っているように見えました。
安易な推測かもしれませんが、もしもこの映画が、一言で括れば現代の生きづらさを描くものなのであれば、「ダルい」と言う言葉が表しているのかなと思います。「ダル絡み」とか、「ダルい奴」って表現、新しい言葉では決してないのですが、現代的な表現なのかもな、って思う時がよくあります。SNS、メディア、会社、友達、家族etc...色んな人が色んなことを言っており、「まぁ別にいいんだけど」という、強烈な感情ではないけれど生ぬるい不快感がある。それに対して少なくとも外向きは相手を不快にさせないような言動をしなければいけない。その積み重ねで、病名がつくことになってしまった話のように思えました。
(病名といっても、今の時代「なんだか不安定だけど人間の浮き沈みの中では普通にある状態」と「病名がつく深刻な状態」との間はそんなに離れていないように思います。私の知り合い周りを見ていても、あー病気にかかってたの?ってケースは多いです。そして、少し社会生活を離れたとしても、特に重くない場合はやがて普通に戻ってくる。そういうものが当たり前に存在するのがある意味現代なのかもしれません)
カナは、仕事もしてないんだから診断書なんて必要ないでしょ、という担当医に対して「私は私のことをちゃんと知りたい」と言います。サラッと流されていましたが、この映画で私がとても意味性を感じた言葉でした。
これはいいの?悪いの?私って今どんな感じ?という、内省的な問いの意味のなさと、それに対するフラストレーションを感じたような気がします。全ては「いや現実問題こうするしかないじゃん」という表の合理性、「まぁホストでも行ってパーっとやろうや」という裏の欲望に収斂される。その二律乖離が激しい世の中なんじゃないかな、って少し思います。世の中的に「やっちゃいけないこと」が増える一方で、人間の欲望の捌け口ってぜんぜん減ってないように思えますし。
なんだか名前をつけづらいけど、それでもなんだか気に入らない。ふざけんなよ!という思いは心の中に沸々とずっと残っている。それが、カナにおいては暴力として表出したのかなと。
そして役者論としては、そんな既存のプロットに当てはまらない役柄を演じ切る河合優実の力量たるや!という話につきます。不安定なんだけど、何らかの誠実さも確かに感じられ、そして可愛げがある。こんなに可愛く狂っていく人いませんよね笑 見応え、迫力、十分に感じました。
とはいえ、冒頭にも言いましたが、やはり受け手を選ぶ作品であることは確かなのかなと。こんな意味ありげな書き方をしてしまいましたが「わからん」「つまらん」「意味不明」で切り捨てちゃってもいいような。なんだかよく分からないものを言語化する映画体験を求める人は一見の価値ありかな。スッキリとした読後感で「ここがよかったね」を語りたい人には全然おすすめできないです笑。前者に該当する人は見てみてください。
私小説
な映画って、主人公にどれだけ共感や感情移入できるかが勝負だと思うです。
河合優実さんは、卓越した個性と演技力で、直近No.1なのですが、稀有の個性のため、鑑賞者が感情移入し辛く、ああ優実がな、他人になっちゃうとこが惜しいです。
演出何でしょうが、もう少しこちら側に来て欲しい。暴れている時は、泣かなくて良いから涙して欲しい。
あと、私見ですがPMSが敢えて語られていない気がします。でないとハヤシくんの我慢が理解できないと思うのですが、連れには其処は関係なくない?と言われました。一瞬サニタリーポーチのシーンがあった気がするのですが…
ストレスが溜まり続けた
現在大ブレイク中の河合優実。俺的には推しヒロインランキングにはまだ入れてはいないものの、稀有な空気を持つ女優だと感じており注目はしている。 “あんのこと”でもその存在感を放っていた彼女の主演作ということで、また他とひと味違う何かを見せてくれるのではないかと期待して観賞。
が、しかし・・・
【物語】
カナ(河合優実)はエステ脱毛の施術を仕事とする21歳。特別な生き甲斐も持たずに漫然と過ごす日々。同棲しているホンダ(寛一郎)はカナを大事にしており、特に不満があるわけでもないが、すでに彼との生活も刺激の無いものになっていた。
そんなある日、たまたま繁華街で出会った映像クリエイター、ハヤシ(金子大地)に新たな刺激を求める。 ホンダの留守中に彼と暮らす部屋から自分の家財と共に突然姿を消し、ハヤシと暮らし始める。新生活に心躍らせたのもつかの間、徐々にささいなことが原因の衝突が増えて行く。
【感想】
最初に書いてしまうが、今年観た75作中で一番楽しめなかった。
感受性も、洞察力も凡庸な俺なので、映画観賞本数が増えても作品の理解力あまり磨かれないが、これまでの映画体験で感じることが1つある。「すごく面白い」と思える作品は冒頭の5分で物語や主人公の設定、置かれた状況がスンナリとクリアに頭に入る。中には序盤は謎だらけで後半面白くなる作品も無くはないが、俺が“傑作!”と思う作品は例外なく、スンナリ作品に入れたように思う。
で、この作品だが、全く分からなかった。
まず最初の5分でストレスを感じ、中盤から終盤でストレスが解消することを願いながら、一生懸命観続けたが最後までストレスは増すばかりだった。
残り30分くらいになると「早く終わらないかな」ということばかり思っていた。
主人公の状況や性質はそれでも徐々に分かって来るのだが、共感できるところは皆無と言って良い。ホンダやハヤシが気の毒になるばかりで、カナを応援する気には最後までなれなかった。
ストーリー的にも?
あらすじを書こうとして良く分かった、書くことが無い。
「お前にはこれが分るかな?」と試されている系の作品。
申し訳ありません、私には一切理解できませんでした!
とにかく、俺は観賞を勧めできない。
今年初の☆1
やべえ女に恋してしまった
日常系のドラマだけで、137分はキツイ。河合優実を筆頭に演技力ある役者の演技が劇伴もなしで続くから眠くもならない。
カナは、同級生の自殺した話も退屈してしまうような共感力のない女。ロン毛イケメン男と同棲していながらも、自称クリエーターのおぼっちゃま男と浮気してしまう。
ナミビアの砂漠は、若者にとって生きづらい日本の暗喩だとすれば、草食動物がやってくるオアシスはどこのことをいっているのか。ただ、オアシスで長く休息をしていると肉食動物に襲われる危険性も増す。
勢いで同棲してしまった相手が、やべえ女だった。そんな物語でございますが、やたらと演技とショットがいい。わたくし的には退屈でございますが、見る人が見ると評価される作品なのでございましょう。
唐田えりかは横顔ショットだけで、シーンを支配する力がある。この人もただものではない。
河合優美なればこそ
公開記念舞台挨拶
河合優実◦金子大地◦寛一郎、山中瑶子(監督/脚本)
奔放なのは不安定ゆえ、折々の心持ちが歩き方に溢れだすある女性の人生21年目の記録
河合優美だったからこそ成りたってる137分、ブレを強調した映像がそこに撮影スタッフがいると伝える
彼女の舞台挨拶が興味深かった、色んな解釈の可能性を煮詰めて演じるからなんとも深いんだろうと
ふわっと
解釈や評価は難しい映画でしょうね。ただ個人的には過去のいろんな恋愛やらなんやら思い出しつつ、こんなのないだろと思う方もいるだろうが、普通の映画ではあまり描かれない生々しさがあって、いい意味で雑な描き方とかもあって、なんか頭の中でまとまらないけど、心ではなにかを受け止めたようなそんな感じでした(自分も何言ってんだかわからない、笑)
河合優美のそっくりさんのドキュメンタリーなんじゃないかというぐらいにどっぷり河合優美がずーっと出てきて、とっても素敵です。魅力たっぷりです。もうほんといい女優です。
舞台挨拶付きだったので、生でも見ましたが、23歳とは思えない落ち着きとオーラがあって、美しかったです。よかった。
おじさんにも沁みる(かもしれない)今を生きる若者の一つの日常
2020年代の若者像を、淡々と、時に暴力的に、描く。
ほぼ同年代の人物を日常的に目にすることもあり、彼ら彼女らの内面・捉え方の参考にしたい、といった安易な気持ちで視聴。
二人の男性の間を遷移する、刹那的な行動をしてしまう一方、自己分析も欠かさず、自分軸で生きている、主人公。
結果発露される出力された行為には、個人的にはまるで共感できず不快なシーンも多かったが、それが却って私にとって観るべき映画であるように感じるに至った。
それだけこれまではその、自分の感情に出来る限り蓋をして波風を立てないようにやり過ごす、面倒なものを見ないふりする、といったものにどれだけ依拠して私は過ごしてきたのだろうか…?それを刺激されたからこその不快なのか。
予定調和やスペクタクルとは全く違う、映画だからこそ描ける、面白くはない(内容では無い)が、観ていたい作品。
この年になってから、自分に正直に生きよう、問題と思うものにはきちんと向き合おう、などと云うのも何なのだが、その後押しをしてもらった気分だ。
山中遥子監督「ナミビアの砂漠」何をしたいのか何が欲しいのか分からな...
山中遥子監督「ナミビアの砂漠」何をしたいのか何が欲しいのか分からないし、なぜ怒りを覚えるのか分からないという誰もがかつて抱えた苛立ちを河合優実がリアルかつチャーミングに演じ切った傑作青春映画。河合優実 が街中を歩く、走る、不安定でありながら全てを肯定するシーンが素晴らしい。
「あんのこと」「ナミビアの砂漠」という傑作が世に出た2024年は完全に河合優実が制しましたね、恐るべし。
例えば砂漠の中を水を求めて生き物が彷徨う話
感想
男。女。人間。心理。
生きている社会はナミビアの砂漠と同じー。
態度行動で制限がかけられても心だけは自由で何を想い、考えても自由という考え方。例え人間的、倫理的モラルに欠ける考えであってもー。
人は生まれてから大人になるまでに、元々持ち合わせている先天的な性格と知性、後天的な親子関係やそれぞれの年齢時に受けてきた環境的影響や人間関係が、その人の個性として備わり、成長して更に人それぞれの時々の状況における印象や感想で個性の発現は変わっていく。そのようなそれぞれの個性や感覚が人間同士の付き合いの中で交わり、化学変化のような心理、感情、感覚の変化か起きていくと考える。
人間一人一人、心根や感覚に素直になるのは自由だし、良い事なのかも知れないが、人同士がコミュニケーションとして身体や心が交わる時、他人に対し何かしら尊敬出来る気持ちを共有するとか、ある程度の妥協点を見出し、良いところも悪いところも全て含めて自分が人として納得した範囲で受容出来るかを判断して行かないと、文明的な生活は成り立たないし、人間では無く、感情や考えを表現したり話したりする事の出来ない唯の動物であることでしか無くなってしまうと感じた。
女性的、男性的、いろいろな考え方はあるが、その考え方の相違が描写に鋭く端的に表現されていたと思う。
脚本・演出
これ!という答えがない、問題を提起した上で性別な心理判断としてはどう思う?という手法で話が作られていると感じた。人の先入観や性格、心理をかき乱すような演出が悩ましい程に観る者に考えさせる。これはこれでアリなのか。と感じた。
本作を鑑賞した自分なりの異性とは?という印象は女性はやはり広くて深く複雑な生き物であり単刀直入な男はとても敵わない。広く深く考え過ぎずにお互いに信頼出来て幸せになる方法は何か?と、譲れるもの、譲れないもの、を含めた妥協点は常に考えておかなといけない。と感じた。
主演の河合さん。今作でもアンバランスな難しい役をありきたりの表現で申し訳ないが、体当たりの、ありのままの姿を見せながら演じていて素晴らしいと感じる。
金子さん。芯のブレっぱなしのクリエイター役、難しい役だったな。という印象です。
寛一郎さん。情け無さ加減が今どき男子なのだなと感じました。演技は素晴らしいです。
他出演俳優陣のそれぞれの方の演技も素晴らしく、中盤までの展開は4レベル。終盤カナの心理描写で画面展開中にワイプが入ってきたところで全体的に観ていて自分の心にブレが入ってしまった印象を受けたので。
⭐️3.5
カンヌ作品だが
カンヌの賞を取った作品と言うことで鑑賞。カンヌの負の部分が出ているため受賞した作品。カンヌ作品は基本は一般向けしない事が多いが本作は代表みたいな作品。意味がよくわからなく、しかし雰囲気は十分みたいな作品。男女平等などを掲げてる?主人公に感情移入出来ない、共感が持てないと思っていたら精神病んでいる。ではなぜそこが描かれてないのでただの精神を病んだ女性の話。しかもただのうわきしてるし、尻軽女っぽく描いているがなぜそうなったかをストーリーに入っていないので共感できない。
万引き家族やパラサイトなど良作もあるが今回は残念。
公開館数が少ないのも興行が悪いからだろう。芸術作品でエンターテイメントは出来るのだが、今作は無理だった。
一種のアイドル
映画なんでしょうね。古くは角川映画や相米慎二監督作品みたいな不条理さを感じますが、いま現在ではヒロインが病んで癒えていく所を、丸々描くんですね。にしてもこんな尺が要ったんですかね? 監督さん、途中持て余したんじゃないの?
河合優実さん、最近綾瀬はるかさんとCMに出始めましたが、それに通じるキレイさでした。水を飲むように言われていたので薬物? と思いましたが・・エンディングのカモシカ? ちょっとほっとしましたね。
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