ナミビアの砂漠のレビュー・感想・評価
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「恋愛」を描いた「非恋愛映画」
正直、本作を批評するほど理解できた自信はない。自分が男だからなのか、恋愛が不得手だからか分からないが、ヒロインの奔放さや行き場のない怒りを、面白がりも共感もできなかった。ただ、本作が仮に「(500)日のサマー」や「エターナル・サンシャイン」に対する女性監督からの返歌(answer song)だとしたら、諸々腑に落ちてしまう。
「(500)日のサマー」は、自身が失恋した経験を元に男性監督が創った映画。あんなにラブラブな時期もあったのに、なんであのビッチは心変わりしちまったんだという、非モテ男子の断末魔コメディ。有名な台詞は "This is not a love story. It's a story about love." (恋愛を語る映画だが「恋愛映画」ではない)。本作の主人公(J. Gordon-Levitt)をホンダ(寛一郎)、ヒロインのSummer (Z. Deschanel)をカナ(河合優実)に置き換えると、ストーリー的にはまるまる当てはまる。
「エターナル・サンシャイン」は、鬼才C. Kaufmanがアカデミー脚本賞を得たSF/ファンタジー。主人公(J. Carrey)は、彼女(K. Winslet)と喧嘩別れした彼女が、記憶除去処置で自分の記憶を消した事を知り絶望する。仕返しとして主人公も、彼女と同じ施術を受ける。ただ、元々惹かれ合って付き合った二人。嫌な思い出を消し去った二人が再度出会ったら、また恋が始まっても不思議はない...。ナミビアで描かれた、イライラして取っ組みあい続けても別れない、カナとハヤシ(金子大地)の関係に、「エターナル・サンシャイン」の二人を思い出した。
実際には、山中瑶子監督は「(500)日のサマー」も「エターナル・サンシャイン」も参考にはしていないと思うが、恋愛の嫌な面に光を当てた「非恋愛映画」として、自分の胸には刻まれた。
面白くない
う~ん…何かを伝えたいんだろうが・・・😥(前半の評)⇒これを伝えたかったのかぁ~(必ず評は最後まで読んでね)
何故かカメラワークがいらいらする。青臭いと言うか学生映画みたい・・。テーマもシナリオも演出も・・なんか全部青い。まるでなんか昔のATGの失敗作見てるみたいだ。若い女の裸に映像的刺激を依存する若手の女流に見られる典型がそこにはあり、これでは映像作家としてはもたないだろう。
とは書いては見たものの・・・ここからが後半の印象、それははがらりと変わる。象徴的なシーンの挿入は相変わらずだが、主人公の精神が壊れていくところは昔のATG系とは一線を画する。昔は最初からアウトサイダーである主人公が多かったが本作品では普通にその辺にいる女性の生きづらさが描かれている。昔のように規範となる生き様が良きにつけ悪しきにつけ見つからぬ不安は70年代とは異なる。とは言えそれでも描かれ続けた若者たちの不安は封建家族の崩壊、核家族化、地方の都市化など、やはりその時代時代、その地域地域で向き合う不安はあった。それが本作では一人の若い女性にフォーカスされた点である。感情は自らの生理的変動と相まってコントロールは効かず、古い時代と異なり異性からの圧力も減っている。完全にまだ自分で泳ぎ切る術を持たぬまま得体のしれない世の中に投げ出された若い女性にとって世界はいかなるものであろうか?その漠然とした不安と存在の危うさと向き合う一人の女性モデルとして投げかけられた力作かもしれない。
今の映画の中の時代性
去年の見逃し作品で、Amazonプライムで無料になっていたので鑑賞。
最近の一般映画レビューの傾向として“賛否両論”の作品が非常に多くなっているのだけど、本作も賛否両論となっていました。
ざっと眺めるとコアな映画好きが大絶賛で、普通の映画ファン(目的無く映画を見る人、若しくは特定ジャンル好きなのに映画好きと勘違いしている人)は酷評という、よくあるケースでしたので、ある意味分かりやすいタイプの賛否両論ですかね。
年間ベストの2位になっているのだから、当然玄人好みの作品で感性の鋭いタイプが惹かれる様な癖の強い作品なのだろうというのは見なくても想像できます。
では、私がなぜ公開時に本作を見に行かなかったのか?の理由として、私の年齢が(今年70代)恐らく大きく起因しているのだと思います。
「映画は“時代性”が無くては映画では無い」と普段から公言しているにも関わらず、その時代性を具現化している様な本作を選ばなかったのは、やはり私の老いのせいでしょう。
今更、今の若者たちの生態を見せらても楽しくもないという気分が、私の心をどんどん浸食しているのだと思います。
前に書いた『アノーラ』の感想にしても、アカデミー賞を獲っていなかったら、今の私なら恐らく見に行かなかった様な気がします。
でも私が若かった頃(1970年代)にもその年代なりの時代性の作品は沢山あり、本作のカナ役の河合優実の様な女優も沢山いましたし(当時なら桃井かおりとか秋吉久美子とか等々…)、時代の匂いというなら日活ロマンポルノなどにも強烈にあり、当時はそれを表現する事こそが映画の大きな役割だと思っていましたからね。
そういう匂いを本作にも感じながらも、己の世界に対する関心の薄れからか「もう見なくても良いかな」というまでに老いてしまった事を実感させられた(実に残念な)記念すべき作品となってしまいました(苦笑)
では本作の何に時代(現代)性を感じたのかも少しだけ書いておきます。
オープニングの約10分位で本作で表現したい事を粗方描き切っていてそれが見事であり、その後の変調も見事でした。
昔ならこの手の作品は主人公の個性という基軸で物語が進められ、主人公の個性により観客も変わった人間という印象のまま「これはフィクションである」という事を念頭に置き鑑賞し続けるのですが、本作の場合はそのフィクションの中に観客を引きずり込む方法が、今風であり今の時代感覚へと変わって行くのです。
(自分で文章を書きながら、こんな表現では読んでも理解できる訳が無いと心配なのですが続けます)
要するに、冒頭部分で全て表現しているにも関わらず、観客側はまたこの手の個性の強い主役の映画なのかと思いつつも主人公の中にある異変にも少し気付かされて、その後の展開によってこの主人公はひょっとすると私なのかもという思いに(特に女性観客)段々させて行く技法に対して“時代性”を感じてしまいました。
早い話、個性だと思わされていた部分が、ひょっとしたら個性ではなく病気(疾患)なのかも知れない?と感じさせられるのが今の時代性の様な気がします。
映画として勿論主人公にスポットを当ててはいますが、テーマについては登場人物全てが同様の問題を抱え、それぞれがその不安を抱えなら生きてているというこであり、昔なら個性だとか気性が荒いとか堪え性が無いとか自分勝手とか様々な性質を、今は総じて何かの病気では無いのか?という問いかけに変わってしまい、社会問題から来る個人的影響までもが病気として短絡的に扱われる、そのことこそが今の“時代性”のあらわれの様に感じられ、それを様々な描写と表現で見事に描かれていた様に思いました。
私にとって好きな作品かどうかは別にして、映画として非常に優れ今後重要な作品となるのは間違いないのでしょうね。
この映画は何が言いたいのか
若い女性監督らしい映画だが、それだけではない
山中瑶子監督は28歳、主人公のカナは21歳。監督はインタビューでタイトルの由来について、ナミビアの砂漠のライブ映像が実際にあり、映像に出てくる水飲み場が人工的に作られたもので動物達を集め、収益化をしている。その状況をいつでも手軽に安全圏から見ることができて、フレーム外で起きている事については分からない。そうした距離感のズレに社会の欺瞞のようなものを感じて、この作品とマッチしていると感じたんです。と話している。冒頭での喫茶店へ向かうカナの歩き方や喫茶店で友達の深刻な話を聞きつつも、周りのノイズや会話の音が大きくなっていく演出によって、カナのちゃんとしてない感じが表現されている。しかし、ただ社会性が無いだけではなく初めて会う人などに対しては普通だし出かける時には身なりもしっかりしている。21歳の女性のリアルを描きつつも異常者と感じられたり共感も得られたりする人間の多面性を完璧なまでに演じ分けている主演の河合優実あっての映画だった。まだ志半ばで今のところ幸せとは言い切れないのだが、それが21歳というものだし、こんな風に自分という人間をありのまま、曝け出して生きれたらという願望を持つ人も多いんじゃないかと思った。人生において関わる人間の数だけ、自分のパーソナリティもあるのかも知れない。
超難解さに腹が立つ
正直に超難解な作品
純文学と考えざるを得ない。
何が問題なのかがまったくわからず、40分過ぎたころにようやく表れたタイトル。
つまりアバンタイトルの長さが際立っている。
このアバンタイトルに描かれているのが、不動産会社に勤務する彼との生活から別れまでだ。
しかしながら、このアバンタイトルの中にこの作品のポイントが全て積み込まれているのかもしれない。
そして4:3比率の画面 昭和時代かと思わせるような街の色 丸井もそれを感じさせているようだ。
しかし登場したカナはスマホを持っている。
カフェ 友人イチカとの待ち合わせ クラスメートの謎の自殺の話
背景の「音」はすべてカナが拾っているのだろう。
カフェの雑音 誰かの話声 そのひとつがイチカの話であり、カナにとってはすべてがどうでもいいことのようだ。
帰りたくないと駄々をこねるイチカと行くホストクラブだが、途中で帰る。
そして男と待ち合わせ 公園で飲む酒 吐くまで飲んだ。
自宅に帰ると、そこにいたのが同棲している彼。
新しい彼が求めた「別れてほしい」こと。
そしてフーゾクのことを口実にした。
意味深な二股に別れる岐路 袋小路 これが彼女の立ち位置を表現しているようだ。
ここでようやくタイトルが表示される。
さて、
この作品がカナの精神や心の状態を描いているのが後半になってからようやくわかってくるが、そもそもそれはいったい何だろうか?
21歳という年齢とは、それほど中途半端な状態なのだろうか?
母が中国人 その事はカナにとっては逆風だったに違いない。
父との確執の内容は不明だが、逆風の立場をうまく処理できなかったようにも思える。
つまり、カナにとってい父とは、役立たずの存在なのかもしれない。
両親の離婚 日本に住む決心 中国へ帰った母 これらはすべて彼女の心情に影響しているのは間違いないだろう。
カウンセラーはカナに、OOすべき、OOであるべきという強迫観念の思考癖を指摘した。
自分でもどうしようもなくなった思考と心境
あのピンク色の場所と喧嘩の様子の映像を見ながらのランニングマシーンは、カナの堂々巡りの思考をようやく俯瞰できるようになった象徴だろうか。
となりに住む女性とキャンプ 焚火を飛び越える二人 これもまた幻想だろうか?
カナは無意味なことで彼と喧嘩を始める。
どうにもならなくなってしまう思考の癖
ようやく力尽きたときに見た幻想
元カレが作った冷凍ハンバーグ
それを食べる二人
中国の母からの電話
わからない言葉を彼が尋ねた。
「わかんない」
「わかんない」と言って笑う二人
下唇をかみしめるカナは、わからないことをわかったのだろうか?
わからないことに納得したのだろうか?
それともわからなくてもいいと思ったのだろうか?
さて、、
カナにとってどうしても受け入れられないことがあるようだ。
もしかしたらそれは「責任逃避」かもしれない。
妊娠中絶はその最たるもの。
父による責任放棄があったのかもしれない。
母もまた中途半端なのかもしれない。
誰も責任を負おうとはしないことがカナが持つトラウマの様なものだろうか?
そしてカナは嘘をつく。
元カレにもしていた浮気 彼女にとってそれは悪いことではないのだろう。
元カレのフーゾクの告白を口実した別れも、冷酷さがある。
自分の気持ちを言わないという特徴もあるし、自分の私生活を知られることに対する怒りの様な強いシャットアウト感もある。
それを理由に出勤しないで帰り、彼氏にはクビになったと嘘をつく。
自分のしていることはすべて棚に上げて、相手に対しては徹底的に暴力的になる。
他人が自分の行動に責任を持たないことを理由にして、自分は嘘をつくことで対抗しているつもりなのだろうか?
中国へ行かなかったのは、言葉がわからないからだろう。
「英語を勉強すれば?」というセリフがそれを示している。
いつも誰かの所為にして、自分では他人や物事と関わることに一線を引いている。
そのくせ、あることに対しては敵対心をあらわにする。
そしてようやく「わかんない」ことに気づいた。
何もかもが「わかんない」自分を、カナは見つけたのだろう。
このわからないことを発見する物語がこの作品なのかもしれない。
そしてタイトルの謎
カナは動画でナミビア砂漠に作られた水飲み場のライヴ映像を見ている。
これはエンドロールの最後に表示されていることでわかる。
水を求めに来る動物たち
カナはその映像に「生きる意味」を探していたのかもしれない。
大都会の中での彼女の生活はせせこましく、でも砂漠に生きる動物たちは飲む水にも困窮する。
対比であり同一でもあるとカナは感じていたのかもしれない。
元カレの作ったハンバーグ
彼が焼いたハンバーグを食べながら、カナは人の想いをほんの少しだけ感じられたのかもしれない。
むずっ。
新時代のアイコン
最初に彼女に惹かれたのはTVドラマ『不適切にもほどがある!』だった。まぁ、年齢的には仲里依紗だったけどね・・・てな感じで「新時代のアイコン」という河合優実を表現する言葉もしっくりくる。とにかく大ブレイクだよね。
ただ、この作品の中での彼女のキャラはおっさん目線で見れば幻滅。最も気に入らないのは鼻ピアスと彼氏のTATTOO。ノリが全てのデートで生活はわがままそのもの。ま、おっさんにはパリピは無理だからな・・・
映像表現はともかくドキュメンタリータッチ。日常を映しすぎていて、つまらなく感じた。そんな中のワンシーンで、散歩中カナが分岐点で迷う部分があった。自分の選んだ道が袋小路になっていたのだが、それこそカナの人生を表現していたのだろう。いや、それよりもその袋小路の家でしっかりと出船駐車をしている車があったのだが、その家の運転手は毎日バックでそこまで綺麗に駐車するのが凄い!絶対に住みたくない・・・
チラ見せ大胆ヌードによってますます河合優美のファンになりそうだけど、やっぱりもっと前向きに生きる彼女を見たいものだ。
見事でした
河合優実若いのにここまで人に嫌われる演技ができる技術と精神力、これは良い女優が出てきましたね。現実世界では略奪愛というのが好みじゃないので、奪った方の男は半身不随になったカナを一生面倒見るんだねケケケ、と思ったけどそんな単純な話ではなかった。私は人生は安全で安心できるものであってほしいから、毎日がこんなにガタガタしている生活は信じられないけど、これこそが生きてる実感と考える人もいるんだなと、勉強になりました。すごく偏見で言語での表現力が極度に低い社会の最低層に住んでるような人たちって言いたいことが暴力での表現になってしまうことが多そうだなと思っていたので、最下層ではなさそうなハヤシがそれに付き合う理由は何なのかしらと思ったけど、まあこれは私の偏見なので、趣味というかこれこそが恋愛と思う人も一定数いるのかなーというぼんやりとした結論で見終わりました。監督が本当は何を言いたいのか分からなかったけど、じゃあそれを克明に説明されたら目も当てられない駄作になってただろうからこれでいいと思います。日本映画やドラマをあまり見ないけどきっとこの出演者たち人気の若手俳優たちなのでしょう。だとしたらアイドル映画を見に来た観客たちはポカンだったろうなと思います。その点でもこの監督は勇気がある、がんばってほしいです。
途中で観るのを止めました
やや退屈な部分もあるがおススメ作品。
今年63本目(合計1,605本目/今月(2025年2月度)26本目)。
前々から見たかったのですが、極端に変な時間にしか置かれておらず、12時という良い時間があったので見に行ってきました。
20歳か21歳だったかの女性の方視点の映画で、ストーリー上の起伏は若干あるものの、それほど大きな変化はないし、ましてやアクション映画でもないので、ここは好き好みあるのかな、と思います。
ただ、ストーリー全体を通して、個人の幸せ(幸福追求権)はどうしていくか、という若干ながら憲法論的な部分も感じられ見ていてよかったかなというところです。
難をあげると、登場人物は少ないものの「当該人物視点でのシーン」が頻繁とは言わないもののいきなり切り替わるので、若干ここがわかりにくいかな、といったところでしょうか。
採点上特に気になる点までないのでフルスコアにしています。
少し前の作品ですが今でも放映している上映館もあるし、ここでもレビュー数200以上と比較的多くの方に見られている本作はおススメ以上かな、といったところです。
現代ティンプトン砂漠
2020年代の今を生きる若者像…という触れ込みだが、いつどの時代だって同じ。必ずいる。
人生に夢や希望も無く、不満や鬱憤ややり場の無い苛立ちや焦燥を抱えながら、毎日をただ無気力に生きる若者。
各時代、焦点が当てられた主人公。息が詰まりそうな現状から何を見出だしていくか…?
この主人公像はなかなかに共感しづらいと言うか、好きになれないタイプ。
21歳のカナ。脱毛サロンの仕事はそつなくこなしているが、全ての事に心ここに在らず。それは人間関係でも。
家賃を全額負担してくれる献身的な恋人ホンダと同棲しているが、彼との暮らしにも飽き飽き。
ある時映像クリエイターのハヤシと出会う。ホンダが仕事の出張先で風俗に行った事を理由に一方的に別れ、ハヤシと暮らし始める。
自信家のハヤシとの新しい暮らしに刺激を求めていたが…。
ホンダは猛省。別に風俗に行った事が許せなかったという訳ではないが、ただ彼に飽き飽きしていたから。男から寄られると嫌がるタイプ…?
しかし相手が素っ気ないと、今度はかまってちゃん。ハヤシとは最初は良好だったが、仕事優先の彼と次第にぎくしゃく。ハヤシの過去をほじくり、終いには取っ組み合いの大喧嘩。
常に気だるそうな表情、言動。現代若者が命より大事なスマホは片時も手離さない。
「夜ご飯何食べたい?」「お土産何がいい?」…それらに対する返答は「何でもいい」。それが一番困る。…まあ、自分も人の事は言えないけど。
無気力に見えて感情の変化は激しい。変な所に突っ掛かってくる。
鼻で笑う事もしばしば。脱毛サロンの客に失礼発言でクビ。悪びれる様子はナシ。
喫煙や飲酒も多い。
挙げ句の果てに鼻ピアス…!
浮気、悪態や問題行動多々、自己チューワガママ、掴み所や何を考えているかも分からず、とにかくただ一言。面倒臭い!
近くに居たら絶対イヤ。あまり関わりたくない。
だけど不思議な事に、傍観するならば何故か痛快。人は普段は世の中ルールを守って真面目に生きているが、何処か心の中に、これほど傍若無人に振る舞いたいという願望もあったり…?
それを体現。好きにも嫌いにもなれる人物像を魅力的にも。
“2024年の顔”河合優実の圧倒的大存在感とリアルナチュラル名演。
圧巻であり、今彼女を推して何を魅せられるか。
それを引き出し、自身の体験(世の中への鬱憤や無気力だった青春時代)も込めて。
『あみこ』はまだ未見だが、長編第1作でこの才と作家性。山中瑶子、恐るべし逸材現る…!
新鋭27歳と大ブレイク24歳。若いパワーが日本映画を席巻。
山中瑶子監督や河合優実の才を見るには満点。
が、面白かったか良かったか、自分に合ったかと問われたら…。
正直、主人公が何をしたかったのか、何を描きたかったのか。それを明確にするのではなく、今と現代若者をリアルに切り取った作風なんだろうけど、退屈や140分近い長さも感じてしまった。
本作に限った事ではないが、退屈そうにしている主人公ほど退屈な作品はない。
“ナミビアの砂漠”というタイトルも別にそこが舞台になるどころか、主人公が目指している憧れの地でもない。
寒暖の差が激しいが、美しい地でもある。それが主人公の心情とリンクなだけ。
主人公像同様、好きにもなれる点もあれば苦手な点も…。
私にはちと“ティンプトン”だったかな…。
駄作
二股かけてた性格の悪い女がひたすら荒ぶってぶちぎれてそのまま意味不明に終わるだけの駄作。
ダラダラ意味のないシーンも多く、無駄なシーン省いたらかなり短くできそうな映画。
これがリアルとか言ってる人いたけどそりゃ探せばいるだろうけどこんな人ごく少数だし、ごく少数の人のリアルを映画にして日本映画得意の伝えたいこともそれぞれで考えて的な意味不明な逃げの終わらせ方だし終わってる。
こんな駄作映画で注目されてる女優さんが無駄に脱がされて不憫でしかない。
どなたかも書かれてたけどこんな映画が評価されるようじゃ本当に日本の映画界は終わってる。
昔から洋画には敵わないと言われてたけどこれが評価されるようじゃその意味が良く分かる。
これはうちのことではないか。
リアル
一つ二つ三つと積み上げてきた楽しい記憶、幸せな時間が、ある一つの言動で、あるいはカナが過去の苦い記憶を呼び覚ますことによって、砂上の楼閣が崩れ落ちるようにすべてが台無しになってしまう。そういう意味ではハヤシ君がいくら気を遣っても言葉選びをしても無駄なのかもしれない。
カナが声を荒げハヤシ君に飛びかかる場面では思わず顔を背けてしまった。彼は何とかコトを穏便に納めたいと思うのだがカナの壊れた心はそう簡単には治らない。結局彼は応戦することになる。掴み合い、叩き合い、蹴り合い、罵声の浴びせ合い。
この映画について、逞しく強かに、そして奔放に生きる若い女性カナの生きざま、そしてカナの怒りは男性の横暴など、社会の矛盾に対するものなのだとする捉え方もある。
しかし僕はカナの言動に、彼女の精神的な問題、欠陥というものを感じる。その観点で見ると実にリアルな描写が続く。そのリアリティーこそ、この映画の凄さだと思う。彼女の言動にはアダルトチルドレン、双極性障害、境界性人格障害、ASD、いろいろ疾患名が思い浮かぶがそんなレッテルなんてどうでも良い。
いつの日にか、カナに平穏な感情、そしてそこから生まれる平穏な生活が訪れるのだろうか。それは社会の変革ということよりも、カナの内なる問題なのである。
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