ナミビアの砂漠のレビュー・感想・評価
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朝ドラ『あんぱん』で惹かれた河合優実さん
砂漠にて
河合優実さん凄い。
序盤は途中でやめようかなと思ってたけど、
同棲開始する辺りから
主人公のそこで生きてるけど、そこにいないみたいな
息苦しさと冷めた感じが凄くリアルで
河合優実さんの演技ももの凄く、
映画なので脚本が存在してるはずなんだけど、
彼女に引っ張られてドンドン新たな展開が生まれて
全く違うところに連れて行かれたんじゃないか?
と思える映画でした。
自分は誰とも合わない、
生まれる場所も時代も間違ってんじゃないかと思ってた
若い時もあって、今でこそ結婚して子どももいて
居場所があってこれで良いと思えるので、
この映画を観てる時も若い時そう言う時あるよね!
と余裕こいて見てたけど、
この主人公、自分の娘が21歳になったら
こうなるんじゃないか?と途中から怖くなった。
そう思うと終盤はホラーより怖かったです。
ま、それでも自分だけを愛して問題を抱えながら
上手くやって行くとは思うのだけど…
それがどんな気分かなんて
『凄い映画だと思う。賛否は当然‼️』わかる人がわかれば良し!
ナミビアの砂漠
🇯🇵東京都町田市、あきる野市東京郊外
❇️『なんか凄いぞこの映画!』
自分のメンタルには突き刺さるな。
🔵かーるくあらすじ。
無気力に生活している感じの主人公カナ。
優しすぎて魅力を感じない彼氏と同棲していた。彼女はその先どんな大人になっていくのか
◉81C点。
★彡この映画自分は好きです。しかし解釈も人それぞれとなる不思議映画でもあります。
主人公の感情が凄くわかる病み映画でした。
表情や仕草、歩き方、人との関わり、ちょっとした事がこの映画の彼女の魅力で楽しめました。
🟢感想。
1️⃣『タイトルバックが45分後!オシャレ!』
★彡ここから物語が動く事がわかるんやね。
2️⃣『この女優さん演技してる様に見えへん自然やな。恐るべし』
3️⃣『絶妙なキャラ設定』
★彡半分日本人で居場所がない感じの絶妙なキャラ設定が物語を深くしている感じがしました。
4️⃣『男に依存してしまう性分なのか?』
★彡上手くいかないと負の連鎖に陥る若い頃はそんなもんだな🤔
5️⃣『河合優実さんの表情や動きだけで観れちゃう』
6️⃣『今の男ってやつはこんなにも弱いんか?』
★彡優しいとも違う絶妙な感じが気持ち悪くも想える。ってる私も弱いけど(笑)
7️⃣『この映画凄いかも‼️』
わかる人にわかれば良いけど。
🤮🫂🌫️🛌🚬💮🧃👡👩🏻🦽➡️
セックスやメンヘラはすっ飛ばして
役者陣の演技が冴え渡る
「あんのこと」に引き続き、話題作ということと、今を時めく河合優実主演作品ということで鑑賞。
色々と考えさせられる作品だが、本作は主演女優の迫真の演技に尽きるのでは。とにかく最初から最後まで彼女の一挙手一投足に目が離せない。「あんのこと」の役柄ではそこまで感じなかったが、本作での彼女の演技は好き嫌いは別にして尊敬に値するほど上手い。そしてその演技を巧みに支える「ホンダ」「ハヤシ」も観どころだ。
ただ、ストーリーとしてはどうだろう。どう観れば良いのかよくわからない。もちろん観方は人それぞれなのだろうが、個人的にはあまり楽観視できないほど重くとらえてしまった。
いずれにしても役者陣の演技が強く印象に残る作品だ。
ところで、始まって45分でのタイトルコールはどんなねらい!?
暗い
ストーリーが面白いかと問われると、なんとも言えないが、作品から演者...
めんどくさい奴では無い
まず「ナミビアの砂漠」は一切出てこない。 なぜこんなタイトルになっ...
私たちが住む乾いた世の中に憩いとなるオアシスはあるのだろう?
ある意味「砂漠で生きている」とも言えるZ世代への応援歌でもあると思う。
「飽食の時代」とも言われて久しい時勢に生を受けて、物質的にも不自由することなく育ってきた世代にしてみれば、ある意味では「自ら求めなくても与えられてきた」世代を生きる者として、その生き方の「方向性」を自らでは規定できないという意味では、砂漠のなか迷子になっているようなもだと言えるのではないかと、評論子は思いました。
その意味であれば、本作の題名は、それはそれで「名は体を表している」と言うのか、「言い得て妙」と言うのか、本作の製作意図を如実に体現しているのではないでしょうか。
そして、そのように理解することができるとすれば、本作で描かれているようなカナの暴力性は、とりも直さず、彼女の内面の鬱屈(うっくつ)が外面に析出したものだったことも、疑いのないことだろうと思います。
この点、レビュアーの皆さんの評では、カナはメンタルを病んでいるという見方が多いようですけれども。評論子的には、カナの「迷い」・「鬱屈」の徴表と受取りました。
「何でも手に入る時代に生きているのに、何を手に入れて良いのかが分からないという、その「迷い」「鬱屈」とでも言うべきでしょうか。
本作のトレーラーによれば、本作は、いわゆるゼット世代の現代社会での有り様を描いた作品との能書きでしたけれども。
200年の長きにわたり鎖国政策が採られていたこともあり、東洋の小国・ニッポンは「遅れた国」「貧しい国」であったことは、間違いがないと思います。
(そのことは、別作品『35年目のラブレター』にも描かれていたとおり、評論子の子ども時代の昭和40年前後には、義務教育制度が既に施行されて星霜を重ねていたにもかかわらず、経済的な理由などから就学がかなわず、文盲のまま社会に出てしまった大人が、珍しくはなかったようです)
そして、そういう時代のわが国には「一生懸命に働いて経済的に豊かになる」という明確な生きるための基軸が、自ら考えなくても、社会環境から他律的に与えられていたと言えるのだろうと思います。
翻(ひるがえ)って、令和のこの今、別作品『35年目の…』のような文盲の大人が、果たしてどのくらい存在するものでしょうか。高度経済成長を経験し、経済的にはそれなりの成長を遂げた今「一生懸命に働かなければ食べられない」という階層は、社会の中では、少なくとも大勢ではなくなっているようです。
(令和のこの今でも、そういう所得階層の方々も、世の中には現にいらっしゃることを、評論子は否定するものではありません)
本作の場合、現に、カナは、脱毛サロン(=生活に必需な業種ではなく、生活の質を高めるための、いわばプラスアルファの産業)に職を得て収入があり、生活状況に照らしても、経済的にそう困窮しているという設定ではい様子です。
そして、そういう社会になってみると、生きるための基軸というものは、自ら自律的に求めなければ、社会から他律的に与えられるという時代ではなくなっているのでしょう。
本作のカナは、果たして、そのことに気がついていたのでしょうか。
否、そのことに気がついていない…否、気づけていないという彼女の無意識の鬱屈が、外面的には彼女の暴力性として析出していたというのが、本当のところだっと、評論子には思われてなりません。
本作のトレーラーによれば、本作は、いわゆるZ世代の若者の姿を浮き彫りにする一本ということでした。
上記の意味では、彼ら・彼女らが抱える社会的な「立ち位置」を浮き彫りにした一本ということになるのでしょうけれども。
しかし、反面、令和の今は「生きるための基軸は自律的に求めなければ、他律的には与えられない」ということを教示しようとする反面教師的な意味合いでは、いわゆるZ世代に対する「応援歌」になっていると受け止めることも、あながち評論子の管見ではないようにも思います。
充分な佳作だったと、評論子は思います。
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