ナミビアの砂漠のレビュー・感想・評価
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普通の女の子
河合優実はやばい女優ですね。魅力が凄い。
やばい女の子が主役と聞いていたので覚悟してみましたが、どちらかと言うと普通の女の子。
西野カナのトリセツ思い出して、女は難しいなと思いつつ。「それも魅力!」と思ってみていました。
どちらかと言うと男ふたりの方がヤバそうだと見ていましたが。
最後はちょっと精神世界入った感じで、分かりにくくなりましたが、映画っぽくて良いかと。
全体的に、ちょっと長いけど、絶妙な間と思うか、無駄な長回しと思うか、私は良い間だと思いました。
しかし、公開劇場が少ない。
千葉県内は2箇所。しかも時間が限られてなかなか観れない。
都内も少なく、公開から3週経ってもほぼ満席。
形而上でも形而下でもない。無理に意味を慮らなくてもいい。ただの、…
タイトル中出し、ぶつ切り、音楽……、荒削りすぎない?ちょっとさ。
ピーピングしてるようなカメラの動き。急に寄ったり、びみょーにぶれたり……
河合優実さんに嫌な女の子を演じさせたい、と監督が言ってたけど、こんないかにものストーリーや仕草、形から『嫌な女子』を造作しなくても、もっとありふれたストーリーや、言ってみればハートウォーミングな脚本の中で『嫌な女の子』を演じさせればいいのに(「ちょっと思い出しただけ」などみたいに)。
それにしても、「あんのこと」といい、この「ナミビア…」といい難儀な役が続きますのぉ。河合優実さん。
タバコ吸わせ過ぎ。
女優さんを良い役でも悪い役でも輝かせるような脚本や、作品をつくってほしい(「不適切にもほどがある」や「Wの悲劇」みたいに)。
寛一郎さん、やっぱ蝦夷地に行ったんですね(笑)
これPG12……?
決定的なシーンは確かにないけどもR18じゃないですか……?
私が親だったら、この映画を見た子供になんて助言したらいいかわからないよ笑
あとなんか違和感あるなと思ったら、カナはカナって呼ばれてるのに、カナは2人の彼氏のことを一度も名前で呼んでいなかった。
ねえ、とか、おいとか、それも、カナにとっては誰でもいいし誰でも変わんないしという気持ちの表れのような気がした。
東京で暮らすカナ(河合優実)は21歳。 脱毛エステで働き、不動産会...
東京で暮らすカナ(河合優実)は21歳。
脱毛エステで働き、不動産会社に勤めるホンダ(寛一郎)と同棲中。
ホンダは家賃も払い、料理もして優しい。
今日は高校時代の同級生の女友だちに呼び出されたが、彼女が語るクラスメイトの自殺話には、カナには興味がない。
後ろから聞こえてくる「ノーパンしゃぶしゃぶ」という単語の方がよっぽど刺激的で関心を惹く。
女友だちとともにホストクラブに行ったが満たされず、結局は二股交際相手の自信家ハヤシ(金子大地)を呼び出して肉体関係で渇きを癒す・・・
といったところからはじます物語で、前半は「いまのわたしの体も心もこの映画を欲していないなぁ」と思っていました。
ホンダと別れて、鼻にピアスをしてハヤシと暮らすようになるまで(ここでタイトルが出るのだけれど、50分ほど掛かっている)までのカナの行動は「それって、オッサンとか、オレってイケてると思っている勘違い男のソレと変わりないやん!」と思ったわけで。は、本当に「この映画、自分には合わないなぁ」と感じていました。
そんなカナが「少子化と貧困で日本は終わり。目標は生きていくこと」と真実に気づいていて、そんななか、自由とか平等とか女性の社会進出とかいわれているのかで生きていくのはシンドイ。
さらに、旧来の「女性はこうあるべき(かわいいとか、従順とか)とか、家族はこうあるべき(お互い助け合ってとか、絆とか)」といった思考にがんじがらめ。
「そりゃ生きづらいはずだね、なるほど!」と納得できるようになってくる。
物語において「少子化」は、カナの中絶経験、ハヤシの元カノの中絶経験が結びつき、女性の弱い立場を強調する。
同じく「貧困」は、持つ側のハヤシの家族や友人全般と、持たざる側のカナの関係を強調する。
生きづらくて仕方がない彼女の唯一のオアシスは、砂漠の水飲み場にやって来る動物を捉えた定点観測カメラの動画。
砂漠の水飲み場で水を飲むだけで生き残っていきたい・・・
で、結果、壊れていってしまう。
後半はカサヴェテス『こわれゆく女』を思い出すが、より以上に想起したのは篠崎誠『おかえり』。
ハヤシとの恋愛関係はベネックス『ベティ・ブルー』を思い出したが、あちらは男女対等だけれど、本作では対等でない。
カナの心の底に「女性は庇護されてしかるべき」みたいなものがあるからだろうなぁ。
本作、自縄自縛の社会構造の下での自縄自縛の女性を等身大で描いた映画といえ、まさしく「いま」の映画。
「傑作」というには届かないが、力作、注目作であることは確か。
つまり、「つまらない」も「退屈・理解不能」もあるけれど、「関心」も「感心」も同居した作品。
2度観たい映画か? と問われると、「観たい気もする。でも、タイトル前は辟易、お断り」なんだよなぁ。
監督・脚本は、山中瑶子。
「わからない」フィロソフィー
冒頭カナが友達とカフェで話している様子や男とデートして家に帰ると同棲している男が持っている。仕事もなにか惰性で働いている、これらの言動からカナのことが「わからい」と迷いながら見進めていた。
ただ、徐々にカナの心の奥底にある想いは、誰にも「わからい」でカナ自身も「わからない」のではないかと感じた。まるで砂漠に一人たたずんでいるように。考えてみると人生どのようになるか正直「わからない」。カナは、「自分の頭で考え」自分の「好き」にしたがい行動し、好きな男と一緒に暮らしても自分が「いや」なことはストレートに相手にぶちまける、感情をあらわにして。。
しかしカナは感情だけでなくカナの心の奥底にしまってある「自分の頭で考え実行」したことに生きる負い目を感じているから一層今後の生き方が「わからない」のだ。カナは「好き」「嫌い」、素直に生きるしかてだてがない。「自分の頭で考え実行」したことを一緒に暮らしている男が別の女性にさせたことが許せない。この男がなんの負い目をまとわず平気で生きているからだ。
二人で生活しても、今後の関係性が二人にも「わからい」。特にカナの感情の変化はいちじるしくカナ自身も自分のことを「わからい」奇妙なワンショットがとても印象的だ。隣に住んでいる女性と焚火を囲んで「わかってほしくないけで、わかるよと言われるとうれしいでしょう」と言われ微笑むカナが、この砂漠で見つけた光だ。
終幕近くカナはスマートフォンで中国に住む母親と話をする。男が「その中国語なんて意味」と聞いたときカナは「わからいという意味」とこたえ二人の微笑で映画は終わる。
「わからない」、なんと深淵な言葉か。「自分の頭で考えない」で「わかったふり」をしてあくせく生きている人達に、素直に「わからない」ことを「わかり」、「自分の頭で考え実行」すれば、もっと生きやすくなると山中監督は、河合優実の身体からあふれでる感情とアクションをとおして、作り手達のフィロソフィーが伝わってきた映画であった。
われわれはカナという野生の人物をライブカメラで見ているのか
ぐわー、これは評価が分かれそうな映画だな。
つまり、それは余白のある映画だということだ。ダメな映画はそもそも評価は分かれない。ダメ、の一言で片付く。
この映画は、クセが強すぎる。
そのトーンや、脚本や、編集に、山中瑶子監督のマニアックな匂いがぷんぷんする。
素人めいたぎこちないズームなんか、ゴダールっぽいとさえ思える。
河合優実自身が「ぜひ撮られたい」と売り込みに行ったらしいから、どうやら変人同士で監督と水が合ったのだろう。
これが「国際映画批評家連盟賞」を獲った、という。よほど世界の批評家は最近の口当たりの良いエンタメに慣れきってしまって、眼の前で無作法の限りを尽くすような映画の刺激に飢えていたのだろうか。
河合優実に関しては、もちろん『不適切にもほどがある』でブレークしたのもあるけれど、目が離せない。
ちょっと、超弩級のポテンシャルを感じさせる。
同時代に生きる者として、代表的な出演作は観ておきたい、と思って映画館に足を運んだ。
『ぼくのお日さま』からの『エイリアン ロムルス』からの3本目だ。
1日の最後にこれは、さすがにぐったりした。
ここであらすじを語っても何の意味もないし、そもそも河合優実に興味がない人はまったくつまらないだろう。
「ナミビアの砂漠」というタイトルと、映画で描かれる現代の日本の若い女性の日常はまったくカブらないが、そもそもナミビアの砂漠というのは実在する。
正確に言うと、南アフリカに隣接する南西アフリカのナミビア共和国に存在するナミブ砂漠のことだ。
そこに、そう言えば3年前くらいにネットで話題になっていたライブカメラがあるのだ。
https://www.youtube.com/live/ydYDqZQpim8?si=yLpxU1i6FVnCSAau
砂漠に人工的に作られた水場があって、24時間、水を求めて集まってくる動物が見られる。ただそれだけなのだが、異様に人を惹きつけるらしい。
映画の中でも、河合優実が演じるカナが時々スマホでぼーっと見ている。
すると、われわれはカナやカナを巡る男たちの日常をライブカメラで観察している、というのがこの映画の含意なのだろうか?
南西アフリカの砂漠の野生動物と、天衣無縫に生きる日本人女性と、どこが重なるというのだろうか?
若い人も大変。うまくコミュニケーションできないんだな。
私の友人のタンゴダンサーのナツコさんの兄弟:前信介さん(広島出身)が、制作スタッフの一人としてクレジットされているというので見てきた。
山中瑶子監督と主役の河合優実のタッグがとても話題になっているという。ドラマ「不適切にもほどがある」を見ていたので河合優実は知っていた。
「カンヌ国際映画祭でも「若き才能が爆発した傑作」と絶賛され、女性監督として史上最年少となる国際映画批評家連盟賞を受賞する快挙を成し遂げた。」とある。
21歳の主人公(河合優実)は、男性と同棲している。彼は料理も掃除もし控えめですぐに「ゴメン」と謝る。でも、それに物足りず、いきなり別のクリエイター男性との生活を始める。
彼女は、生きがいらしきものもなく、言葉数も少なく、すぐに切れる、暴力を振るう。料理、掃除などは普段しない。
高齢のおじいさんからすると、若い人も大変だな、うまくコミュニケーションできないんだな。そこのところ察しろよなで暴力を振るうか。など、ネガティブな印象を持った。
終わり方も特にこれといったことはなく。ただ、主人公のこれからの生き方が変わりそうな気配はあった。
★ナミビアの砂漠をネットで調べてみた。
ナミブ砂漠の「ナミブ」は、先住民族の言葉で「広大な」や「何もない」という意味。
アフリカ南西部のナミビアにある砂漠で、約8,000万年前に形成された世界最古の砂漠といわれている。
砂浜の絶景や動植物、夜の満天の星空など魅力が豊富で、2013年に世界遺産に登録された。
自主映画の雰囲気
河合優実を目当てに観た。物語らしいものはなく、一言で言えば、やり場のない怒りや苛立ちを抱えた主人公の姿を追ったもの。
作り手が「こんなシーンを撮りたい」と思ったものをつなぎ合わせたようで、まさしく自主映画の雰囲気。主人公と同じように、作り手も自ら抱える感情をうまく表現する術がないというか…
ルームランナーのシーンとか、焚き火のシーンとか、へたに予算が付いたからやってみた感じで、作劇上効果的とは思えなかった。
役柄として共感はできないが、相変わらず河合優実の実在感は際立っている。対して、作り手の狙いどおりと言えばそれまでだが、男二人の存在感があまりにも薄い。
ところで、「ナミビアの砂漠」というタイトルは印象的で面白い。残念ながら、そこに込められた想いを感じることはできなかったが。
哀愁漂う肩周りの肉付き
まったくイライラする女だよ。河合優実の演技がそれだけ良かったということなんだろうが、あんな女、手に負えんわ。男の方は切れずによく面倒見てたわ。コルセットで大人しくなってる間が癒しの時間だったようにすら思えた。
新しいヒロイン像かって言ったらそんなことない。昔からこういう女性描いてる映画ってあるよね。
もう少し主人公の魅力を描けてたら共感できたのかもしれない。でも共感できない人物にリアルがあるのかもしれない。
しかしまあ自分がこんな人物になってしまったら生きにくいだろうねえ。そういう生きづらさももっと上手く描けたんじゃないかなあ。
世の中も多様性を受け入れる時代に移り変わって来ているからねえ、マイノリティを描いた映画もなんだか相対的に存在感が薄まるようで、なんだかだねえ。
なんだかんだやはり、河合優実の肩幅に象徴される肉体から感じる生々しさが一番印象に残ったかな。
55点ぐらい。どうでもいい下らない日常。
カンヌで賞を取った事とかアリ・アスターが絶賛した事を知って観たんだけど、
いったい何を観せられてるんだと思う内容で、内容らしい内容がなく、どうでもいい下らない日常が延々と続く…
観てるコッチが恥ずかしくなる感じにイチャついてたり、大声で醜く喧嘩してたり、イラっとして不快です(苦笑)
観てる間すごい苦痛で、早よ終わらんかな…と思いながら観てました。
少しだけど、心に刺さるセリフがあるので、無内容な中それが印象に残る感じ。
この評価は甘めで、55点ぐらい。
生き辛さに抗う若者を野生動物の観察めいたドキュメンタリー調に撮っ...
生き辛さに抗う若者を野生動物の観察めいたドキュメンタリー調に撮った話とも、女性版「ジョーカー」(ヒース・レジャー版に近いキャラクターかも)みたいなつきあう男どもを魅きつけ蹂躙する魔性の女のサイコスリラーなのか、最後まで見ても判断がつかない。謎めいた出自(中国にルーツを持つらしいが「ニーハオ」しか喋れない?)に、徹底的に秘められた内面(抱えているらしきトラウマさえ、その場その場で相手にマウントを取るために装っている感もある)…最終盤に、それまでの路線から逸脱するマジカルな演出で一瞬、「本性」がさらけ出されるかに思えたが、それも二度繰り返される(ふつうは一度目でEDに入ってなんとなく綺麗に終わるところでしょ!?)ことで互いに打ち消し合うかのようだ。絶対近づきたくない女、でありながら同時に終盤の二人のようにぐちゃぐちゃに傷つけあってみたい欲も感じる。映画自体と同じに、嫌悪と魅了が相克し、ずるずると後者に寄って、否、寄せられていく。捉えどころの難しい映画だが、案外冒頭の印象的なシーン、「喫茶店で知人が自殺した話を聞き流しながら、隣の卓がノーパンしゃぶしゃぶのバカ話をしているのが耳に入ってくる」が全体を通しての鍵なのかも。あそこの「げ、紙ストローだ」の言い方で引っ張り込まれた感もある。
河合優実は熱演だが…
「あんのこと」の河合優実が、今度はどんな演技をするのか?と思い鑑賞しました。優美さんは、情緒不安定な役を熱演していた。だか、映画としては、?かな。前半(優実さんが階段から落ちるまで と定義します。)は、シーンの連続性が無く、「なんで今のシーンの次にこのシーンが出てくるの?関連性は?」といったことが多々あり、一連の時間軸でみた場合、意味不明。(後半は少しはマシだったが…)脚本がダメなのか?「鑑賞した皆さん、考えて下さい」ということなのか?そのあたりをもう少し練って作品をつくって欲しかった。私にとっては、退屈な130分だった。
ちょっと前のフランス映画、風
本当は誰にも感心が無く、何となく今を生きてる風の主人公を中心に、都会の片隅の今どきの若者の危うさの例を描く…?と思いきや、意外と他に普通の人達が出てくる。思い遣りがあって心が広いと思った彼氏はただの独りよがり、ちょっと尖った感じの遊び人風彼氏は、実は高学歴で普通に仕事で成功したい人だった。主人公は生きてる環境が合わなくて苦しんでるように見えるが、それがナミビアの砂漠ってことなのか、不明。ぶつかり合う熱量や緩んだ空気感の変化の表現はスクリーンから感じられた良いところ。ただ、カメラワークが首を傾げたくなるシーン多数、敢えて手振れを多用してるのかもしれないが、特にセンスを感じず、単に下手だな、と思ってしまった。狙ったセンスは感じるが、観客を納得させる作品には纏まっていないようで、残念。
何も表現できていない
河合優美さんの演技は素晴らしかったですが、映画そのものはなにも表現できていない。観客に頼りすぎ、監督の自己満足。
脚本クソ。こんなんで賞をとっていると、監督は勘違いし、この先成長できないだろうな。あとから「あみこ」の監督と知り納得。「あみこ」も原作クラッシャーだったから。しかし、河合優美さんがあのシーンでヌードを披露する必要があったのか。
河合優実が好きなので観る価値あった
見終わるころに無性に食べたくなるのはハンバーグ
あと水も飲まなきゃ
人間って何で生きてんだろね
意味なんて無いのに
英語が話せたら、もっといい人生だっただろうなー
この前電話で話した子が死んだなんて話しを聞いても、実感が無さすぎる
生と死の境い目が希薄なのかも
でも、中絶には敏感
これはリアルな感情が湧いた?
男は中絶"させた"側で
嫌な記憶は忘れちゃう(忘れた事にする)生き物
何が本当で誰の事を言っているのか
ときどき分からないこともあったけど、まあいいか
彼のお母さんも言っていたが
河合優実のスタイルはとても良かった
そりゃ、突然いなくなったら男は泣き崩れるって
変な人、、、あんたも大概だぞ
感想というか、雑感メモ
なんか目が離せない
推しの河合優実ちゃん
推しの金子大地君
2人はサマーフィルムにのって以来の共演か?
なんでこんな女がモテるのか
というのが第一印象
若いから?美人だから?
寛一郎君の尽くす彼氏が不憫に思えた
主人公の事を理解していると言っていたが
あんた全く彼女のこと分かってないよ笑
金子君との喧嘩シーンは凄い
この後の2人はどうなっていくのか、、、
パンフレットはこれから読む
20代で見たかった!
この映画を20代で見ていたらまた印象が違うと思う。
若さゆえの倦怠感、自分本位さ、衝動的な行動、近視眼的な判断軸。
そういうものがないまぜにスローなテンポで展開していく。河合優実が魅力的。実家太めで何やってるかよくわからん金子大地もマメで優しすぎる寛一郎もリアリティあった。隣で英語を勉強する唐田えりかも東京のどこかにたくさんいそうだし。
こんな世の中でも生存し続ける事が大事!
なぜ、ナミビアの砂漠
最後まで、ナミビアの砂漠との関連性がわからなかった。
砂漠はスマホの画面とエンディング。
心が乾いているようには見えないし、むしろどんより曇って湿っていく感じ。
ナミビアの砂漠より、初夏の釧路湿原みたいなものか。
さすがに演技は自然で、本人そのものだろうが、河合優実の裸は必要だったのかは疑問。
「ふてほど」の前でまだブレイクする前のギャラが安い時期に光る女優を主演にできて、公開時にはブレイクしてヒットしたラッキーな映画だが、内容はありふれた女性が精神疾患に落ちていく映画としか言いようがない。
良かったが面白いとは言えない映画だった。
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