ナミビアの砂漠のレビュー・感想・評価
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河合優実がカワイイ、だけ
レビューを読むと、みなさん、よくもそんなに掘り下げて解釈できるなと、感心します。
印象的には、河合優実がカワイイ、脱ぐ、それだけ。
そこらへんにいる、若者モラトリアンの話。面白くもなければ、何のメッセージも感じませんでした。最近の邦画は、「身近な話」か「ファンタジー(すぐタイムスリップさせる)」が多くて、残念です。
河合優実の演技は凄い 映画のデキは・・・
これは精神疾患の女性のハナシですよ
前半は全ての伏線。
映画タイトルが作中の途中で表示されるので、
そこでそれがわかる。
主人公の女性は、その動静から明らかに
境界性パーソナリティや統合失調症を
患っている。
こういう病が一般的に認知されてきたのは
最近のこと。
一昔前だったら、「メンヘラ女子」と
付き合った男が潰れた。くらいのハナシ
にしか見えない。
確かにそういう女性は一見ミステリアスで
魅力的に思え、ハマってしまう男性の心理も
わからなくないわけではないが、こういう
女性と付き合うのはやめた方がいい。
って、自然に観れたのは何故か。
それは河合優実の演技力にあると思う。
あれだけ情緒不安定な感じや、暴れる
感じの演技を、リアルに演じきれている
ところは凄い。
ただ、脚本的には数行のメッセージは
あったものの、結局、何を訴えたかった
のかがわからない。
映画としてはイマイチ。
共感できない登場人物達の織りなす物語
山中監督の感性が前面に押し出された作品。主要な登場人物には醜悪な性質(性格)が与えられています。私はどの人物にも共感が出来なかったです
聴衆から一切共感されない役柄で固めることが作品の狙いだとすれば、監督がそうする目的はなんだろうと考えました。私は双極性障害2型の保有者なのでカナの荒んだ生活態度や気分の急上昇・急降下を理解できます。監督が双極性障害者の苦しみややりきれなさを描きたかったのだとすれば、失敗だったと思います。「カナのように苦しんでいる人を助けてあげたい」とは誰も思えないからです。「関わり合いたくない」と思わせるのが目的なら成功かもですが、そういうテーマ建てがそもそも社会的に許されるのか?うーん
結論:考えたけど分かりませんでした
冒頭30分は正直退屈です。「1時間もすれば盛り上がるだろ?それまでガマンだ」と聴続けましたがいつの間にか終わってました。映像・構図・カット割りは好きですよ
p.s.
河合優実主演の映画を観るなら「ルックバック」、クライム物で「あんのこと」を薦めます。私はルックバックを30回以上観たせいで河合優実の声が聞こえると藤野の顔や仕草が浮かんでしまいます(ルックバック症候群)
どうなるかわからないからどうでもいい?
こんな時代に頑張って生きてる20代女子の話
今を時めく女優、河合優実。
日本アカデミー賞最優秀主演女優賞おめでとうございます。
この若さで誰よりも落ち着いた佇まい、山口百恵さんを彷彿させるようなお顔立ちで、これからの映画界を背負ってく存在になることは間違いないですよね。
この作品、わからない人には全く理解できないんだろうなって思って見てました。普通に毎日生活していて、いろんな人間関係だとか日々のニュースとかで自分が思ったり、考えたりを自然としていて、そこに問題点や矛盾や許せない事があった時、カナはこうしましたって話。
主人公のカナはある意味非常にまっすぐな人。
でもそれはすごい生きるのが下手というか不器用なんだろうね。こんな時あるあるがたくさんあって、あーみんなも同じこと考えてんだなって思ったり。
ただ、彼女の病的なところは確かにあって、そのトラウマの原因は明らかになってなかったけど、確かめ行動とか自分の思い通りにならないとすぐ攻撃的になって、恋人を困らせたり、仕事してる時ぐらいおとなしく待ってればいいのにとか
思っちゃうけど、どうしても自分を構ってほしいわけで。
「もうムリ!!」といいながらも体当たりバトルを繰り返すという、まるで家庭内暴力で暴れる子供を親が必死になだめているようにも見えて、きっとそれが自分という存在を真っ向から受け止めてくれるかどうかの試し行動にも見えるし、それでももう別れようってならなくて、冷静に落ち着いて話を聞くように努めてるとこが、ハヤシやるやないかと。
あんなバトルのあとでも、お腹空いたってなって、一緒に元彼ハンバーグ食べて、家族の温かさに表情が緩んだり、笑い合ったり..
結局、人は誰かしらに関わらずには生きれないし、いろんな面倒なことも出てくるけど、1人では生み出せないものがあって、そんな寂しい生き物で...
こんな時代だけどみんな頑張って生きてますって感じでした。
元カレの寛一郎も今彼の金子大地もどっちもステキなんですが自分はどうにも金子大地が昔から好きで、やはり眼力と色気にひかれちゃいました。
雰囲気がとても好きな作品でした。
河合隼雄の臨床心理療法の事例集に掲載されているような話。
人は男も女も15歳を過ぎると楽しいことはほとんどなくなってしまう。自分の周りの人たちがでくの坊のように思えるし愚かな振る舞いだけが目に飛び込んでくる。深海に暮らす貝のような気分で過ごす日々が続くのだ。自我に目覚める時なのだ。狂ってしまうのではないかと不安に苛まれたりもするし、むやみに人を傷つけたくなったり、自分を傷だらけにしてしまう者もいる。暴力を振るっている時が心が落ち着いていたりする。人間は複雑な生き物だということだ。そしてやがて自己を確立するための長い道のりを歩き始める。そしてすべては自分自身の中に折り重なる意識と無意識の戦いの最中で大切なものを見つけたり学んだりしながら死んでいく。
この映画はけっこう危うい映画だと思う。一歩間違えば人殺しと呼ばれてしまうし自死を選ぶかもしれない人の話だと感じた。いくつものシーンで叫びたくなるほどの恐怖を感じた。他人の愚かさや世の中の理不尽さが自分自身のなかにも数え切れないほど存在していることに気づくとき、その瞬間を自分の手でしっかりと握りしめることができるかできないかが勝負なんだと思えた。
人はどこまで愚かになれるのかを知ることが最も大切なことのなのだろう。
そうすれば人の優しさを知り、そして人に優しくできるのだ。
しかしそれはそんなに容易なことではない。
「恋愛」を描いた「非恋愛映画」
正直、本作を批評するほど理解できた自信はない。自分が男だからなのか、恋愛が不得手だからか分からないが、ヒロインの奔放さや行き場のない怒りを、面白がりも共感もできなかった。ただ、本作が仮に「(500)日のサマー」や「エターナル・サンシャイン」に対する女性監督からの返歌(answer song)だとしたら、諸々腑に落ちてしまう。
「(500)日のサマー」は、自身が失恋した経験を元に男性監督が創った映画。あんなにラブラブな時期もあったのに、なんであのビッチは心変わりしちまったんだという、非モテ男子の断末魔コメディ。有名な台詞は "This is not a love story. It's a story about love." (恋愛を語る映画だが「恋愛映画」ではない)。本作の主人公(J. Gordon-Levitt)をホンダ(寛一郎)、ヒロインのSummer (Z. Deschanel)をカナ(河合優実)に置き換えると、ストーリー的にはまるまる当てはまる。
「エターナル・サンシャイン」は、鬼才C. Kaufmanがアカデミー脚本賞を得たSF/ファンタジー。主人公(J. Carrey)は、彼女(K. Winslet)と喧嘩別れした彼女が、記憶除去処置で自分の記憶を消した事を知り絶望する。仕返しとして主人公も、彼女と同じ施術を受ける。ただ、元々惹かれ合って付き合った二人。嫌な思い出を消し去った二人が再度出会ったら、また恋が始まっても不思議はない...。ナミビアで描かれた、イライラして取っ組みあい続けても別れない、カナとハヤシ(金子大地)の関係に、「エターナル・サンシャイン」の二人を思い出した。
実際には、山中瑶子監督は「(500)日のサマー」も「エターナル・サンシャイン」も参考にはしていないと思うが、恋愛の嫌な面に光を当てた「非恋愛映画」として、自分の胸には刻まれた。
面白くない
う~ん…何かを伝えたいんだろうが・・・😥(前半の評)⇒これを伝えたかったのかぁ~(必ず評は最後まで読んでね)
何故かカメラワークがいらいらする。青臭いと言うか学生映画みたい・・。テーマもシナリオも演出も・・なんか全部青い。まるでなんか昔のATGの失敗作見てるみたいだ。若い女の裸に映像的刺激を依存する若手の女流に見られる典型がそこにはあり、これでは映像作家としてはもたないだろう。
とは書いては見たものの・・・ここからが後半の印象、それははがらりと変わる。象徴的なシーンの挿入は相変わらずだが、主人公の精神が壊れていくところは昔のATG系とは一線を画する。昔は最初からアウトサイダーである主人公が多かったが本作品では普通にその辺にいる女性の生きづらさが描かれている。昔のように規範となる生き様が良きにつけ悪しきにつけ見つからぬ不安は70年代とは異なる。とは言えそれでも描かれ続けた若者たちの不安は封建家族の崩壊、核家族化、地方の都市化など、やはりその時代時代、その地域地域で向き合う不安はあった。それが本作では一人の若い女性にフォーカスされた点である。感情は自らの生理的変動と相まってコントロールは効かず、古い時代と異なり異性からの圧力も減っている。完全にまだ自分で泳ぎ切る術を持たぬまま得体のしれない世の中に投げ出された若い女性にとって世界はいかなるものであろうか?その漠然とした不安と存在の危うさと向き合う一人の女性モデルとして投げかけられた力作かもしれない。
今の映画の中の時代性
去年の見逃し作品で、Amazonプライムで無料になっていたので鑑賞。
最近の一般映画レビューの傾向として“賛否両論”の作品が非常に多くなっているのだけど、本作も賛否両論となっていました。
ざっと眺めるとコアな映画好きが大絶賛で、普通の映画ファン(目的無く映画を見る人、若しくは特定ジャンル好きなのに映画好きと勘違いしている人)は酷評という、よくあるケースでしたので、ある意味分かりやすいタイプの賛否両論ですかね。
年間ベストの2位になっているのだから、当然玄人好みの作品で感性の鋭いタイプが惹かれる様な癖の強い作品なのだろうというのは見なくても想像できます。
では、私がなぜ公開時に本作を見に行かなかったのか?の理由として、私の年齢が(今年70代)恐らく大きく起因しているのだと思います。
「映画は“時代性”が無くては映画では無い」と普段から公言しているにも関わらず、その時代性を具現化している様な本作を選ばなかったのは、やはり私の老いのせいでしょう。
今更、今の若者たちの生態を見せらても楽しくもないという気分が、私の心をどんどん浸食しているのだと思います。
前に書いた『アノーラ』の感想にしても、アカデミー賞を獲っていなかったら、今の私なら恐らく見に行かなかった様な気がします。
でも私が若かった頃(1970年代)にもその年代なりの時代性の作品は沢山あり、本作のカナ役の河合優実の様な女優も沢山いましたし(当時なら桃井かおりとか秋吉久美子とか等々…)、時代の匂いというなら日活ロマンポルノなどにも強烈にあり、当時はそれを表現する事こそが映画の大きな役割だと思っていましたからね。
そういう匂いを本作にも感じながらも、己の世界に対する関心の薄れからか「もう見なくても良いかな」というまでに老いてしまった事を実感させられた(実に残念な)記念すべき作品となってしまいました(苦笑)
では本作の何に時代(現代)性を感じたのかも少しだけ書いておきます。
オープニングの約10分位で本作で表現したい事を粗方描き切っていてそれが見事であり、その後の変調も見事でした。
昔ならこの手の作品は主人公の個性という基軸で物語が進められ、主人公の個性により観客も変わった人間という印象のまま「これはフィクションである」という事を念頭に置き鑑賞し続けるのですが、本作の場合はそのフィクションの中に観客を引きずり込む方法が、今風であり今の時代感覚へと変わって行くのです。
(自分で文章を書きながら、こんな表現では読んでも理解できる訳が無いと心配なのですが続けます)
要するに、冒頭部分で全て表現しているにも関わらず、観客側はまたこの手の個性の強い主役の映画なのかと思いつつも主人公の中にある異変にも少し気付かされて、その後の展開によってこの主人公はひょっとすると私なのかもという思いに(特に女性観客)段々させて行く技法に対して“時代性”を感じてしまいました。
早い話、個性だと思わされていた部分が、ひょっとしたら個性ではなく病気(疾患)なのかも知れない?と感じさせられるのが今の時代性の様な気がします。
映画として勿論主人公にスポットを当ててはいますが、テーマについては登場人物全てが同様の問題を抱え、それぞれがその不安を抱えなら生きてているというこであり、昔なら個性だとか気性が荒いとか堪え性が無いとか自分勝手とか様々な性質を、今は総じて何かの病気では無いのか?という問いかけに変わってしまい、社会問題から来る個人的影響までもが病気として短絡的に扱われる、そのことこそが今の“時代性”のあらわれの様に感じられ、それを様々な描写と表現で見事に描かれていた様に思いました。
私にとって好きな作品かどうかは別にして、映画として非常に優れ今後重要な作品となるのは間違いないのでしょうね。
この映画は何が言いたいのか
若い女性監督らしい映画だが、それだけではない
山中瑶子監督は28歳、主人公のカナは21歳。監督はインタビューでタイトルの由来について、ナミビアの砂漠のライブ映像が実際にあり、映像に出てくる水飲み場が人工的に作られたもので動物達を集め、収益化をしている。その状況をいつでも手軽に安全圏から見ることができて、フレーム外で起きている事については分からない。そうした距離感のズレに社会の欺瞞のようなものを感じて、この作品とマッチしていると感じたんです。と話している。冒頭での喫茶店へ向かうカナの歩き方や喫茶店で友達の深刻な話を聞きつつも、周りのノイズや会話の音が大きくなっていく演出によって、カナのちゃんとしてない感じが表現されている。しかし、ただ社会性が無いだけではなく初めて会う人などに対しては普通だし出かける時には身なりもしっかりしている。21歳の女性のリアルを描きつつも異常者と感じられたり共感も得られたりする人間の多面性を完璧なまでに演じ分けている主演の河合優実あっての映画だった。まだ志半ばで今のところ幸せとは言い切れないのだが、それが21歳というものだし、こんな風に自分という人間をありのまま、曝け出して生きれたらという願望を持つ人も多いんじゃないかと思った。人生において関わる人間の数だけ、自分のパーソナリティもあるのかも知れない。
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