劇場公開日 2024年9月6日

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「今の映画の中の時代性」ナミビアの砂漠 シューテツさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0今の映画の中の時代性

2025年3月10日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

去年の見逃し作品で、Amazonプライムで無料になっていたので鑑賞。
最近の一般映画レビューの傾向として“賛否両論”の作品が非常に多くなっているのだけど、本作も賛否両論となっていました。
ざっと眺めるとコアな映画好きが大絶賛で、普通の映画ファン(目的無く映画を見る人、若しくは特定ジャンル好きなのに映画好きと勘違いしている人)は酷評という、よくあるケースでしたので、ある意味分かりやすいタイプの賛否両論ですかね。
年間ベストの2位になっているのだから、当然玄人好みの作品で感性の鋭いタイプが惹かれる様な癖の強い作品なのだろうというのは見なくても想像できます。

では、私がなぜ公開時に本作を見に行かなかったのか?の理由として、私の年齢が(今年70代)恐らく大きく起因しているのだと思います。
「映画は“時代性”が無くては映画では無い」と普段から公言しているにも関わらず、その時代性を具現化している様な本作を選ばなかったのは、やはり私の老いのせいでしょう。
今更、今の若者たちの生態を見せらても楽しくもないという気分が、私の心をどんどん浸食しているのだと思います。
前に書いた『アノーラ』の感想にしても、アカデミー賞を獲っていなかったら、今の私なら恐らく見に行かなかった様な気がします。

でも私が若かった頃(1970年代)にもその年代なりの時代性の作品は沢山あり、本作のカナ役の河合優実の様な女優も沢山いましたし(当時なら桃井かおりとか秋吉久美子とか等々…)、時代の匂いというなら日活ロマンポルノなどにも強烈にあり、当時はそれを表現する事こそが映画の大きな役割だと思っていましたからね。
そういう匂いを本作にも感じながらも、己の世界に対する関心の薄れからか「もう見なくても良いかな」というまでに老いてしまった事を実感させられた(実に残念な)記念すべき作品となってしまいました(苦笑)

では本作の何に時代(現代)性を感じたのかも少しだけ書いておきます。
オープニングの約10分位で本作で表現したい事を粗方描き切っていてそれが見事であり、その後の変調も見事でした。
昔ならこの手の作品は主人公の個性という基軸で物語が進められ、主人公の個性により観客も変わった人間という印象のまま「これはフィクションである」という事を念頭に置き鑑賞し続けるのですが、本作の場合はそのフィクションの中に観客を引きずり込む方法が、今風であり今の時代感覚へと変わって行くのです。
(自分で文章を書きながら、こんな表現では読んでも理解できる訳が無いと心配なのですが続けます)

要するに、冒頭部分で全て表現しているにも関わらず、観客側はまたこの手の個性の強い主役の映画なのかと思いつつも主人公の中にある異変にも少し気付かされて、その後の展開によってこの主人公はひょっとすると私なのかもという思いに(特に女性観客)段々させて行く技法に対して“時代性”を感じてしまいました。
早い話、個性だと思わされていた部分が、ひょっとしたら個性ではなく病気(疾患)なのかも知れない?と感じさせられるのが今の時代性の様な気がします。
映画として勿論主人公にスポットを当ててはいますが、テーマについては登場人物全てが同様の問題を抱え、それぞれがその不安を抱えなら生きてているというこであり、昔なら個性だとか気性が荒いとか堪え性が無いとか自分勝手とか様々な性質を、今は総じて何かの病気では無いのか?という問いかけに変わってしまい、社会問題から来る個人的影響までもが病気として短絡的に扱われる、そのことこそが今の“時代性”のあらわれの様に感じられ、それを様々な描写と表現で見事に描かれていた様に思いました。

私にとって好きな作品かどうかは別にして、映画として非常に優れ今後重要な作品となるのは間違いないのでしょうね。

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シューテツ
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