シビル・ウォー アメリカ最後の日のレビュー・感想・評価
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「真のアメリカ映画」
アメリカでは独立を試みるテキサスやカリフォルニアの西部勢力が首都を陥落させようと、内戦が起こっている。そんな状況の中で報道/戦場カメラマンのリーたちは大統領に取材をするためにワシントンに向かおうとする。リーの一向に若手カメラマンのジェシーが加わりたいとお願いする。彼女は戦場でリーに偶然助けられ、またリーを尊敬し憧れているのだ。そんなジェシーをリーは疎ましいと思いつつ、戦闘が繰り広げられるアメリカ横断の旅が始まるのだった。
画の全てが内戦状態だった。本当に報道/戦場カメラマンが現場をドキュメントしているようだったし、報道写真かにみえる構図はどうすれば撮れるのかーつまり登場人物はどう動き、カメラを置けばいいのかーが全く分からなかった。
戦闘シーンも見応えがある。緊張感が張り詰めているし、銃が乱射されている。たくさん爆撃が行われる。もちろんそれは映像イメージの卓越さでもあるが、音声イメージも素晴らしい。遠くで鳴っている銃撃の音など細部のリアリティが素晴らしいから世界観に浸れるのだと思った。
だから映画館で観たほうがいい。内戦状態の描写は娯楽性に富んでいるし、ポップコーンとか食べながらだとさらにいいと思う。きっと本作もそのようにみることを想定しているだろう。
しかしかなりグロテクスな構造だと思う。ポップコーンを食いながら、内戦状態を面白いなーと消費するのは。『虐殺器官』を書いた伊藤計劃なら『プライベート・ライアン』の冒頭15分映画と評していたはずだ。
ただこの構造こそアメリカ的だと思う。巨大な資本で素晴らしくも恐ろしい世界を映画にして、たっぷりな暴力で人をたくさん殺していく。そしてそれを娯楽として提供し、鑑賞者もまた娯楽として消費する。アメリカで内戦が起きたらヤバいけど、まあそんなことないし、というアメリカ/国民=つまり〈私〉の素晴らしさを再確認して劇場を後にする。本当は劇場の外に、内戦が起こる要因なんていくらでもあるのに。
もちろん本作はどちらかと言えば、インテリでリベラルな視点から描かれているとは思う。けれどインテリ層がこんな態度なんだから、アメリカの貧富の格差は拡大して、不法移民の労働力で収益をあげているくせに、国境を封鎖するとか言い出す実業家が大統領になるんですよ。
本作が最も欺瞞に満ちていると思うのは、リーの同僚であるアジア系の二人が射殺される場面である。アジア系の二人とは旅の途中で偶然再会し、車のかけっこ遊びをしていたのだが、一転、アジア系の男とジェシーを乗せた車が西部の人に捕まってしまう。そして死体の山を見てしまったのが原因か、それとも西部の男が単なる遊びでどうかは定かではないが二人を銃で処刑しようとするのだ。慌ててリーたちも救出のために駆け寄る。そして西部の男がある問い質しを行う。「お前は真のアメリカ人か」と。
ここで問題なのはアジア系の男のみを射殺する点であろう。アジア系の男は西部の男に「真のアメリカ人」の構成要件「白人」ではないと判定されて、問答無用で殺される。その構成要件と判定はさておき西部の男の中では理屈が通っている。しかし構成要件は「白人」だけではないだろう。「男性」や「労働者階級」ーというかブルカラーかホワイトカラーか、はたまたインテリかノンインテリか、つまり経済格差を生じさせる階級の要件ーもあるだろう。それなら西部の男に射殺される対象はアジア系の男だけではなく、全員なのである。しかしアジア系の男以外皆が殺されることを免れる。
それは今後の物語における展開の問題ではあるだろう。皆が殺されるべきとも思わない。だが、端役のアジア人なら雑に殺しても構わないという無神経さが透けているし、リーやジェシーが生かされることはいくら物語上で主体性を発揮しても「真のアメリカ人」の庇護の対象という家父長制やジェンダーの問題を隠蔽している。
こういった点から本作が決してアメリカが内戦状態になった原因について、SF的想像力を駆使して提示できているわけでも、オルタナティブな未来を創造しているわけでもない。もちろんSFには多種多様な描き方があり、本作がSF的世界観に埋没して思考実験をするのは構わない。しかしその態度こそ「真のアメリカ人」には決して殺されない語り手の傲慢な立場を明らかにしてしまっている。
そして何より本作の主題である「カメラのドキュメント性」までも毀損している。つまりいくらSF的に未来をドキュメントしようとも、現実さえドキュメントできていないし、カメラが出来事から必然的に遅れること(の反省)をいくら物語っても、何の訴求力も持ち得ないということである。
リーは判断を誤ってジェシーを連れ出し、庇って死んだ。けれどジェシーはもうリーと肩を並べるカメラマンに成長してしまったし、ドキュメントの「遅れ」を取り戻すためにリーの死を顧みることさえしない。そんな悲劇と大統領の死でもって物語は終わる。
残念ながらその切なさと大統領を殺害して撮る記念写真の果てに未来なんてない。待っているのは原因も解決も不明な混沌のみだ。この帰結は本作の判断の誤りと言っていいだろう。
「本作の判断の誤り」と記述できてしまうレビュー。レビューもまた映画から必然的に遅れてしまう行為ではある。だが、その「遅れ」が未来を訂正したり、再記述する可能性に開かれているのなら、悪くはない。
大義名分から遠く離れた最前線で、戦争は容赦なく奪う
本作のメインビジュアルはいかにもハリウッドが作りそうな戦争映画という印象だが、やはりA24は切り口が少し違う。
開幕、既に内戦はたけなわだ。内戦が起こった理由については、最低限の説明しかない。内戦になるまでの政治的な経緯より、内戦になった結果無法地帯と化した最前線で何が起こったかが、大統領に取材するべくニューヨークからワシントンD.C.に向かう戦場カメラマンたちの目を通して生々しく描き出される。
原題に定冠詞を付け「the Civil War」とすると、南北戦争を意味する言葉になる。アメリカ合衆国で独立後に内戦があったのはこの一度だけだからだという。本作の世界線ではその呼び名も変わっているのだろうか。
アレックス・ガーランド監督は、この物語において抽象的な表現をする意図はなかったと語っている。確かに「3期目の大統領任期のために憲法改正をした」という設定からは、容易にトランプ元大統領が連想される。
米大統領の任期は2期8年までと憲法に定められているにも関わらず、トランプ氏は前回の在任中に3期目を目指すことを公言した。自らが立候補した大統領選挙を11月に控えた今も、「終身大統領になりたい」と発言しているという。
本作で大統領を演じたニック・オファーマンの雰囲気も、どことなくトランプ氏に寄せたもののように見える。
連邦議会占拠事件などを目の当たりにした(トランプ非支持層の)アメリカの人々の目に、この物語は日本の観客には計り知れないほどの不気味なリアリティがあるものに映るのかもしれない。
ただ私には、現在世界で既に起こっている紛争の舞台をアメリカに置き換え、彼の地での残酷で理不尽な犠牲を、自分ごととして考えるべきだという教訓めいたメッセージを、ダブルミーニング的に孕んでいるようにも見えた。
監督の意図からはズレるのかもしれないが、それだけ紛争がもたらす悲劇には普遍性があるということだろう。
いずれの勢力にどんな正当性があろうと、ひとたび武力での対立になれば前線の行き着くところは、大義名分の高潔さからかけ離れた破壊と非人道的殺戮だ。草原に伏せて銃を構えていた2人がジョエルに答えたように、自分が撃たれそうであれば、相手の正体が分からなかろうと撃つしかない。
殺すか殺されるかという状況は簡単に人間性を奪い、動物的なエゴをむきだしにさせる。ジェシー・プレモンスの演じた兵士が象徴的だ。ダンプから無造作に穴に放り込まれた遺体の山を背景に、彼は無抵抗なジョエルの友人を脈絡なく撃ち殺す。記者たちに出身地を問い、香港と答えた記者を殺す。もはや大義はなく、ただの人種差別だ。
洗車機に瀕死の男2人を吊るして、平然と写真を撮らせていた兵士もそうだ。彼らはリーたちが運悪く出会ったサイコパスではなく、紛争の極限状況が生んだ悪魔と言っていい。
(それにしてもプレモンスはああいう不気味な役が本当によく映える。妻のキルステン・ダンストのつてでカメオ出演することになったという。カメオ出演ってだいたいはもっとチョイ役で、というイメージなのだが、彼が演じたあの兵士は一般的なレベルのカメオを超えて作品に不可欠な存在になっている)
リーたちが道中で立ち寄る異様にのどかな街の、内戦に無関心な住民もこれまた象徴的だ。なるべく関わらないようにしている、と呑気に答える服屋の店員とリーたち一行の緊張感のコントラストに胸がちくりと痛んだ。私自身は、明らかに店員の側の人間だと思う。
記者たちの悲惨な道中記は、武力衝突の制御不能な一面を見せるためのサイドストーリーのようなものだが、兵士と違って戦闘行為の当事者ではなく、かといって無関心な傍観者でもない記者の目線で至近距離から描かれる内戦は、独特の緊張感があった。
当初の印象に反して、ジェシーはある意味リー以上に逞しくなっていく。ホワイトハウスの攻防の現場で「feel alive」とつぶやく彼女には、頼もしさとかすかな怖さを感じた。
だが、映画「マリウポリの20日間」が顕著に示したように、誰かが撮らないと私たちはそこで起こったことを真に知る由もない。銃弾に倒れるリーにもレンズを向ける彼女の姿は、あなたも戦争の現実に向き合ってと、こちらに訴えかけているようだった。
余談
パンフレットのバーコードのところに昔ながらの値札シールがあったのでつい爪で剥がそうとしたら、貼ってあるのではなくそういうデザインだった。電気供給が安定しない(バーコードが使えない)作品世界を表しているのだろうか。
どんな意味を込めて“記録”するのか
戦場カメラマンは酷な仕事である。目の前で人が死ぬ。死ぬ様子を撮る。死んだ顔を撮る。殺した人を撮る。殺す時の表情を撮る。淡々と。
人道とはかけ離れた行為を記録する。何のために?
「シビル・ウォー」は近未来のアメリカで内戦が起こった、という状況を戦場カメラマンの目線で描く社会派映画だ。
主人公であるカメラマンのリーは言う。「祖国への警告として写真を撮ってきた」と。紛争地域でのあらゆる悲惨な現実を記録し、それを目にすることで紛争地域とは遠く離れた祖国・アメリカに「軍事介入」や「空爆」などの字面では掴めない恐怖や痛みや苦しみを想像してもらいたかったのだと思う。
だが、リーの思惑は外れ、アメリカが紛争地域となった。その虚無感はいかほどだっただろうか。
自分の命も危険に晒しながら、切り取り続けたおぞましい光景は何の役にも立たず、目の前で消えていった命が彼女に託したものは、彼女の祖国に届かなかったのである。
ベテランのリーと対比になるのが、戦場カメラマンを夢見るジェシーだ。最初は近づき過ぎて怪我をし、給油所ではカメラの存在も忘れるド素人のジェシーだが、徐々に慣れてきたところで一行は最大のピンチを迎える。
内戦に乗じて差別的な根拠による殺戮を行っていたと思われる連中に襲われ、間一髪で危機を逃れるがジェシーと同様にリーと同行していたサミーが銃弾を受けて亡くなる。サミーはリーの師である。
ここがターニングポイントとなって、リーとジェシーの行動が変わる。
ジェシーは奇跡的に生き残った経験から肝が据わってガンガン前に出るようになる。序盤、リーが銃撃戦の間隙を縫って写真を撮りまくっていた時のように。もう同行する記者・ジョエルのガイドも必要ない。誰よりも近くで、誰よりも早く、この場で起きていることを全て、撮り続けることだけに集中しているようだった。
一方で、師を失い自分が写真を撮る最後の意味を失ったリーはほとんどシャッターを切れずに、圧倒的な暴力の嵐の中をついて行くのがやっと、の状態になっていた。“記録”したい、という目的と覚悟が消え去って、惰性でカメラを構えるだけだ。
そんな状態のリーが、写真の事しか考えずに飛び出たジェシーを庇ったのは、“記録”よりも残したいものとして“未来”を、つまり若いジェシーを選択したからだと思う。
ジェシーがこの先戦場カメラマンとして、どんな意味を込めてシャッターを切るのかはわからない。金や名声や、或いはジョエルのようにスリルと高揚を求めて戦場へ出ていくのかもしれない。
だが、リーが成そうとして成し得なかった「祖国への警告」を別の形でジェシーが届ける未来だってあるはずだ。
映画の中でジェシーが撮ったモノクロの写真には、いつもリーやジョエルやサミーが一緒に写りこんでいた。ジェシーの世界にはいつも支えてくれる先輩がいる、という証左である。
だがエンドロールの写真にジョエルはいない。ジェシーが独り立ちしたからと考えるのか、それとも「大統領の死と兵士たち」という写真は祖国に何の意味も与えられないのか。ジェシーが写真を撮る目的が明確になるまでそれは分からないかもしれないが、せめてリーが望んでいたような美しい未来につながればいいと思う。
【蛇足】
戦争映画へのオマージュ的なシーンも含め、世界中で起こった様々な戦争、戦争にまつわる出来事が近未来のアメリカという一つの国で起こるところが面白い。
嘘まみれの大本営発表、混乱に乗じた殺戮、差別主義者の台頭、物資の不足、貨幣価値の暴落。
そして、そんな状態なのに「我関せず、が一番良いかなって」という態度の市民がいたりする。
産油地域や聖地の近くや東側国家で起こっているんじゃない。違う国民が争ってるわけでも、宗教対立でもない。同じ国の人間が殺し合う中で、正義と悪を単純に決められないから、アメリカ国民は震えるのだ。いつもはアメリカが正義でそれ以外は悪、という二元論で良いからね。
映画そのものが、リーと同じ「祖国への警鐘」という目的で作られていて、それが伝わらないんじゃないか?(映画の中では内戦が起きてしまっているので)という皮肉も含めて、本当によく出来ていると思う。
最後の「大統領の死と兵士たち」の写真に、薄ら寒いものを感じたのは私だけだろうか。人間の死体を前に笑顔で写真を撮れるほど、勝利って良いものだろうか。
どこかの大統領は「勝つまでやれば負けない」が信条のようだが、勝てば何しても良いわけじゃないはずだ。「勝てば官軍」の考えで進んで行く世界の未来が、美しい未来だとは思えなかった。
起こりうる不気味さ
アメリカ大統領が憲法を変えて三選をし、反発する二州が反旗を翻す。政府はFBIを解体する。現実はトランプが圧勝したように見えるけれど実際は投票率を数パーセント上回っただけだったようだ。実は国民は半分に分断されている。トランプはFBIを解体し、憲法改正で三選目を目指すらしい。ありえない設定や空想とは思えない不気味さがある。自国民に銃を向け、おまえは何アメリカ人だと迫る。アメリカ出身者以外は撃たれる所はショックだった。戦闘場面も現実にウクライナやパレスチナで目にするように極めてリアルで残酷だ。最後のホワイトハウスの攻防戦もたっぷり描かれる。大統領がテロリストや反乱政治家に攻められる話はあったけれど大統領自体が失望をもたらす映画は珍しい。こうなったらどうするのだと国民に問いかけているのだ。
考えさせられる名作
ストーリーは「内戦が起きたアメリカで写真家の主人公たちが大統領の元へと行く」というもの。
この映画の『実際に起きてもおかしくない』という感じは凄まじく。まさしく映画館で見るべき映画でしょう。
ストーリーはかなり練られており、なぜアメリカで内戦が起きたのかという理由も納得できるものです。
しかしラストで悲しい展開が起きるのですが、主人公の若い女性は前に進む道をとったのは感心しました。それでこそジャーナリスト。(比喩表現ではなく本当に前に進んだ)
他の映画なら打たれた仲間を抱きかかえたでしょう。しかしこの映画ではしなかった。
映画館で観たらきっと迫力があったのでしょう
映画の中で説明されると思い予備知識無しでAmazon鑑賞。アメリカの情勢やら何やら理解してないと難しい映画なのかなーっという印象。ジャーナリストの報道の無力さを感じる主人公の報われなさとかじゃあこの内線のあとはどうなるのかとか全体的にボヤケているなぁと感じてしまう。戦争ジャーナリストの話だからストーリー全体というよりこの戦争を伝えたいと足掻く姿が痺れました。そういう映画なのだろうと解釈。でも最後に主人公死んじゃうのは何故?あんなに後輩に防弾チョッキとヘルメット言ってたのになんで後半、後輩も本人も防弾チョッキもヘルメットもしてないの???インタビューの人もだけど。と「ええぇ……」と納得出来ない。
戦場のリアルさと主人公たちの足掻く姿で★3
今のアメリカをshoot
今のアメリカはおかしいし、報道にも言いたいことがある人がいるのだと思った。イスラエルがパレスチナに対してやっていることを国内で正確に報道しているわけがないし、最後の写真みたいなことはイスラエルがパレスチナに対して行なっているかもしれない。
その一方で、アメリカは離れた安全なところから戦争を利用していることにも考えさせられた。
この映画だけでは今のアメリカは変わらないことは作り手もわかっているから火を灯し続けて潮目をかえていこうとしている。
武力を行使して他者から何かを奪うことは現代社会ではやはり認められないと思うので私も火を灯していきたい。
ニューヨークからワシントンの街並みに馴染みがある人はより面白いかも。
"戦争"とは主権の争奪戦、"主権"とは
"主権"とは法律とその適用範囲(領土領海)、つまり相手に法律を呑ませるか適用範囲を拡げるかが戦争目的の主となる。映画では大統領が憲法無視、法執行機関の解体、武力行使によって法が侵され主権=法を取り戻すべく内戦となった、いう話のようです。
保守とかリベラルとかイデオロギーの違いとか、市民の意見とか立場とか戦うことへの葛藤とか「分断は良くないから辞めましょうアンドザワールドウィルリブアズワン」みたいな話かと思ったら全然違いました。
大統領にインタビューすべくワシントンDCへ向かう道中の市民は自分達の私法で地域を支配する無法状態。条約に守られたジャーナリスト=客観性の確保故に傍観者の立場だったのが無法に触れることで客観を失い主観に動揺し当事者になるにつれ恐怖を感じ始める、と同時に名声を得たい若いカメラマンは恐怖の主観を徐々に失い傍観者へ変貌して行くという対比構造。極めつけ一国の大統領をテロリストのごとく暗殺し記念撮影を行うという戦争の悲しさを微塵も感じさせない兵士たちにも傍観者感。
若いカメラマンのジェシーが何故あのような冷徹な感じに到達したのか、例えば使命感とか名誉欲とかの葛藤描写か何か物足りなく思えたし、そもそもフィルムカメラとか状況に合わない無意味とも思える情緒感もあって感情移入も出来なかったのですが、もしかして「これが現代のヤングアメリカン代表ですよくわからない人達です」ということなんですかね。大統領の目的、戦争の理由、若い米国人の姿など肝心なところをはっきりと描写しない掴みどころのない映画=掴みどころがなくどこへ行こうとしているのかわからない現代のアメリカという表現だったのかも知れません。
恐怖に慄いて尻込みしている当事者達と使命に燃えてフィーバーしている傍観者達が民衆の姿ならば、民衆のものである主権はどこへ向かうのか、「みんなもうちょっと冷静になってこの国アメリカの行く末を考えましょうよ」という映画だった、のでしょうか??傍観者に見える当事者VS当事者に見える傍観者が真の市民戦争かも知れません。
あり得ない・・・
トランプVSバイデンの対立、大統領選挙に伴って内戦がおこる可能性があると喧伝されていた時節をとらえての映画。多少なりとも期待してみたが、正直言ってがっかりだった。現状で、もし内戦が起こり得るとしたら、まず経済格差、移民問題、選挙結果に関わるデモ、反政府運動などが起こってから、分離独立を目指す運動があり、それを阻止する側との民兵や政府軍との争いから起こるだろう。しかも、共和党・民主党を支持するそれぞれの州でも支持に反対する人々もいるだろう。しかも、それが殺し合いにまで発展するとは思えない。このように情報の行き来が発達した現代、国やら州のプロパガンダを心から信じる人が州ごとに完全に分かれるとは思えない。考えようによっては、政治的な主張を避け、政争の道具にされないために、敢えてジャーナリストを中心に描いたとも思えなくない。
ジャーナリストの立場は情けなかった。なんのために国内の戦闘を取材しなければならないのか?自分の名声の為?さすがアメリカらしい。目の前で同じ国民が殺されていくのに・・・。もっと先にやるべきことがあるだろう。大統領が殺される瞬間を撮影する?最悪だ。アメリカのジャーナリズムは、もう死に絶えているという意味の皮肉ならばよくわかるが。
何故、内戦に至ったかはこの映画では描かれていない。見ようによっては、内戦だけにはしてはいけないという警句のための映画か。
トランプ大統領は、当選の後、分断を越えて、自分を散々貶めてきた反トランプ派を必要以上に糾弾せずに、これからは癒しと調和が大切であると宣言している。そうであってほしいと思う。
リアリティのある架空の
アメリカで内戦が勃発した世界を取材するジャーナリストたちの姿を描いた作品。
この映画を観て、改めて感じたのは自分が知っている戦争というのは、ほんの一部でしかないという事でした。
戦争は、片方から見れば、敵で
もう片方から見ても敵になります。
そのどちらでもないジャーナリストは、どちらの味方になるのか?
テレビで報道される戦争は、まさにジャーナリストの取材のおかげでもある。
目の前でどんどん当たり前のように人が死んでいく世界の中でとても平然としていられるわけではない。
「死」というのがこれほども身近にあるのに、目の前で起きる「死」は、やはり特別なものである。
日常のように起きる「死」が当たり前になってしまうとそこには、何も感じない自分がいるだけになるだろ。
この中で登場するジャーナリストも途中で仲間が殺されてしまう時には、とても憤慨していた。
最後のシーンは、【死】においやってしまった後悔とそれでも記録として残し続けるという固い意志の狭間で動き続けていたのかもしれない。
戦争がこれほどまでに残酷なんだと知りました。
簡単に「死」が起きてしまうからこそ、もっと命を大事しなければならない。
誰かの【死】をあざ笑ほどに生きてしまってはいけない。
自分にとっての特別を失ってしまっては、いけない。
現実では起きてないからこその映画かもしれない。
実際に起こる可能性もあると考えたら、とても怖い現実がそこにあるんだなと思いました。
「Walking Dead」より、はるかにリアルな「Civil War」 この作品が本当に伝えたい事とは?
大衆の信頼を失ったジャーナリズムへの痛烈な警鐘
「私は合衆国大統領の職務を忠実に遂行し、全力を尽して合衆国憲法を維持、保護、擁護することを厳粛に誓う」
民主主義国家、アメリカ合衆国大統領就任宣誓は2025年1月20日第47代アメリカ合衆国大統領によって行われる。
この映画が公開された頃の日本の報道と言えば、いずれも共和党トランプ大統領の勝利を望んでいないのは明らかだった。
それは、「世界のリーダーであるべき米国の大統領が、先制主義的な思想・発言をするのは不適切」という理想論からだ。
しかし、いざ大統領選挙の蓋を開けてみたらどうだろうか?
トランプは圧勝した。民主主義国家アメリカ合衆国国民が選択した民意。
しかし、この現実を未だに日本人は受け入れていない様に思える。
実に危険だ。
2016年5月27日、オバマ米大統領は、現職の米大統領として初めて被爆地・広島を訪れ、平和記念公園の原爆死没者慰霊碑に献花した。
あの頃の報道は「トランプは大統領戦に勝てない、イギリスのEU離脱は回避される」
そんな希望的観測はあっさり覆された。
2017年1月20第一期トランプ政権発足〜2021年1月20日(2021年1月6日連邦議会議事堂襲撃事件)
2020年1月31日イギリスEU離脱
2022年2月24日、ロシアがウクライナに侵攻した。
ロシアも当初はすぐにウクライナを占領できると高を括っていたのは明白だが、その後の「ロシアの弾薬は尽きる」「西側が負ける訳が無い」という連日の大本営発表も結局のところなんの信憑性も無く現在に至っている。
そして、予想もしていなかったイスラエルのガザ侵攻。
日本人から見れば、何故そんな事をするのか?何故争いあうのか?
容易には想像もできない事が現実に起こり、身近な脅威では無いものの間接的には大きな影響を受けている。
そんな“現実”を今一度考えてみると、「Civil War」が決して絵空事では無い気がしてくる。
実際アメリカの分断は既に起こっている、その分断を肌で感じはしないがアメリカ合衆国の国民はどう感じているのだろうか?
海の向こうの事を知る方法は色々あるだろうが、やはり一定のフィルターがかかっている気がしてならない。
オックスフォード大の研究では、民主主義を享受する世界の人口は2017年の50%を頂点に3割を切ったという。
日本人が思ってるほど世界は“民主主義”では無いという事実、一体どれほどの日本人がピンときているのだろうか?
実際、多くの日本人は「Civil War=南北戦争」が歴史上起こった事実という事を肌感覚では理解していないだろう。
それは“核”というものの脅威を、日本人では無い国民が“肌感覚として”感じていない事と同じかもしれない。
2025年1月20日トランプ政権は間違い無く発足する。
その先にあるのは日本人が望む様な未来だろうか?ウクライナのゆくえは?
すぐそこにある未来は・・・?
そもそも、あれだけ連日報じていたウクライナの報道は、一体どこへ行ったんだ?
アメリカは世界で3番目に大きな国土、経済は飛び抜けて間違いなく世界最大の国家。
そんな国の大統領が再びトランプになったという現実。
ドジャース対ヤンキース戦はスポーツの世界だけの話だが、この作品の様に米国内の分断が深刻な事態にならないとは言い切れない。
そんな、ありえない最悪の出来事。
「Walking Dead」より、はるかにリアルな「Civil War」
民主主義が“正義”だとするならば
人類にとっての「Civil War」=“内戦”は、もう既に始まっている。
そして
この作品が一番伝えたい事は、信頼を失ったメディアへの警鐘であり
「レンズ越しに“内戦”に目を向けるだけの“レポーター=報告者”になってはいけない」という事だ。
かつてメディアは良い意味でも悪い意味でも大きな情報の発信力・影響力を持っていた。しかし、今は一人のインフルエンサーの発信力が物量としてメディアを圧倒的に凌駕している。
トランプの存在を認めようとしない“日本人”、そして大衆に情報を伝える事を生業とするメディア・報道に関わる全ての関係者は、この作品を一度は見るべきだ。SNSは勿論の事、生成AIが与える影響力はまだまだ序の口、その本性を現しているとは思えない。
その本性を現した時には
「この吐き気をもよおす「Civil War」の“画”が、決してスクリーンの中だけの話しではない」という事を知る事になるかもしれない。
ペンは剣より強し
内乱に陥ったアメリカの最前線を取材するジャーナリストたちの物語
この手の映画って正義の反政府軍のエースからみた戦いの物語の構図になりそうだけれど、ジャーナリスト目線ってのが独特(フルメタルジャケットの後半、サルバドルはるかな日々が近いかな)
ジャーナリストが負け行く政府軍に大統領の最期を納めるべくワシントンDCを目指し様々な狂気を目撃しつつ移動する・・・フランシスコッポラの「地獄の黙示録」に通じるモノがあるなと感じた。
ラスト、辛い現実を何度も見て限界が来たリーがジェシーをかばって命を落とすも狂ったように写真を撮り続けるジェシー・・・映画の冒頭にリーが言った「自問自答を始めたらきりがない、だから質問はせずに記録に徹する。それが報道」の言葉はこの展開を隠喩していたのだろうか。
最期に、この映画で最も印象深かった登場人物の赤いサングラスをした軍人は南北戦争(シビルウォーと米国で呼ばれる)後に生まれた人種差別組織KKK、今日でもある人種差別や意見の違う人間を徹底的に排除するような思想家を擬人化したものでないかと思う
映画館で観なくて良かった
他の映画見に行った時にシビルウォーの予告編見てアメリカ合衆国で内戦とか刺激的で凄い面白そうと思ってこれは映画館で観なきゃと思ってたのですが、思いの他早く上映されなくなって映画館での鑑賞を逃してしまいました。
で、いつの間にかAmazon Prime でやってるじゃないですか!
これは観ないと!
ジャーナリスト映画って情報はいつの間にか事前に知ってました。
それにしても予想外につまらなくて演出も酷く終盤は時間の無駄と思って観るの止めてしまいました(^_^;
アメリカ軍て豆鉄砲しか持ってないの?
素人以下の稚拙な作戦行動、無能集団の作戦を見せられる苦痛、、、全くリアリティが感じられませんでした。
ホントの戦闘はこんなモノじゃないと思ってたけどホントにこんなものなのだろうか???
プライベートライアン見習って欲しい、、、
別にグロい映像見たいわけじゃないです。寧ろ嫌い。まるで緊迫感も悲惨さも無いです。
僕には合わない映画でした。
映画館で金出して観なくて良かった、、、
超大国アメリカで内戦!?…
全くあり得ない話ではないかもしれない。トランプ政治は明らかに分断を齎したし、他者を認めない、排斥するような、またそれを煽るような発言、行動は更なる亀裂を生む。馬鹿げた設定とは一概には言えないと警鐘を鳴らしてる気がする。本作は内戦の各地を取材する戦場カメラマンのロードムービーであり、時に新人カメラマンの成長記にも映った。銃弾飛び交う戦闘シーンで兵士達を撮影するカメラマンの姿はかなりリアリティあり、自分も戦場にいる気分になった。自分を助け犠牲になった先輩カメラマンを捨て置き、更に撮影を続ける姿勢は人としてのモラルはさて置き、真のカメラマンなのかもしれない。
感想メモ
惹きつけられる映画だった
アメリカで内戦が起きているという状況の下、それを記録する記者、戦場カメラマンの生き様を描く
分からなくても問題はない、ただ記録すること、作中でリーがそう言っていた通りに”なぜ “内戦が起きているのかは語られない
戦争写真を撮ることでその残酷さを示し、警鐘を鳴らしてきたつもりだったが、戦争が起こってしまった、意義を見失う
赤サングラスの兄ちゃんが怖い
どういうアメリカ人だ?
記者や写真を通じて戦争を見ることで、よりリアルに恐怖を感じた
戦場でスリル、興奮とか不謹慎だよねと思いつつこの映画を娯楽として消費する我々、白人と有色人種、富裕層と貧困層、そういった差別や格差が内乱に繋がりかねないと理解できているだろうか
おじさんの写真を消した時点で戦場カメラマンとしてのリーは終わったんだろうな、ジェシカが自分をかばって死んだリーを写真に収めたのと対照的
大統領を殺して集合写真、これが報道の価値か?
カメラを意識しちゃったら記録じゃなくて記念だよねー
記者の目から見た内戦
戦時下の火の粉を浴びながらの報道。
真実を伝えることで世の中へ警鐘を鳴らしたい。
一方で極限状態で麻痺していく感覚。
ファインダー越しの現実はあくまで他人事。
画面越しの殺戮は陽気なBGMで映される。
命が奪われる瞬間を収めた写真を見て「いい写真」。
結局本物の恐怖・現実はカメラでは捉えられない。
すぐ近くで起こる悲劇に対しても人は無関心になれる。
ありとあらゆることを画面越しで手軽に見れる現代においては、自国の内戦すら他人事なのかも。
自身に銃口が向けられて初めて自分ごとになる。
その時はすでに遅い。
監督の名はアレックス・ガーランド。この名を忘れてはならない。
二度とこ奴の関わる映画に時間とお金を費やさぬようにである。
空虚な映画であった。
けっこう期待して観に行ったのだが、こんなにも中身のない映画だとは想像もできなかった。
従軍写真家・ジャーナリストの視点から、近未来のアメリカ内戦を描く映画ということらしい。
IQの低い自称ジャーナリスト連中が、ロードムービーのような構成で、馬鹿っぽいセリフと行動で、頭の狂った兵士に殺されかけたり、立ち寄った街のブティックで写真家たちが試着する様子を写真に収めたりして、これは何を表現しようとしているのだろう、俺は一体何を見せられているのだろうと自問する時間が少なくなかった。
タイトルにある「内戦」勃発の経緯も、何が問題なのかも、どこに向かっているのかも不明である。メッセージ性が全くといっていいほど見当たらなかった。
強いていえば一点、公開後、大統領に返り咲くであろうトランプへの脅し映画だということはわかった(米大統領戦前、トランプ再選の可能性が高いのだということもこのときわかった)。
ただ、事前にどんな映画なのかを知らされていたならば、決して観ることはなかった(映画評論家のレビューは意味不明な賞賛であふれている)。わざわざIMAXで、安くない対価を支払って観る価値のある映画ではなかった。
(以下ネタバレ含む)
西部軍事勢力が、ワシントンD.C.に侵攻して、ホワイトハウスで大統領側近たちと大統領を虐殺する映画である。
ラストシーンが、銃殺された大統領の遺体の周囲で兵士たちが笑顔で記念撮影をするというもの。イスラエル兵士のパレスチナでの振る舞いを思い起こさせた。
大統領側近(報道官?)が兵士どもと交渉しようとする場面がある。それを兵士は聞く耳持たず撃ち殺す。その流れで大統領を銃殺する。その大統領がトランプに似せられている。
ここまであからさまなヘイト映画をつくる監督とは一体どういう人間なのか。アメリカの映画産業には、トランプを忌み嫌う(殺したいと念願する)勢力が、浸透しているのだとわかった。逆に言えば、トランプはこれほどまでに既存勢力から嫌われているあたり、悪くない大統領候補なのだろうと感じさせるものがあった(実際、トランプ任期中は、戦争狂いのアメリカが新たな戦争を始めなかった。FRBに好き勝手することも許さなかった)。
後で知ったのだが、この映画をつくった監督(アレックス・ガーランド)が、日本で行われたインタビューで、作品に込められたメッセージとは、と問われて答えたのが、「トランプには投票するな」であった。
(結論)空虚で、ただヘイトを煽るだけの、腐れ映画であった。
内戦の怖さ。赤サン男の怖さ。
A24らしい映画。狂気に満ちてる。
日本で源平合戦してた頃は、こうだったのだろうか。。
赤サングラスのシーンが、最も緊張感があった。
お前はどこだ?の質問、マジで怖い。
あんな場にいたくない。
大統領の最後の一言。
トラさんだったら、何て言うんだろ。
いくら欲しい?かな(笑)
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