シビル・ウォー アメリカ最後の日のレビュー・感想・評価
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「真のアメリカ映画」
アメリカでは独立を試みるテキサスやカリフォルニアの西部勢力が首都を陥落させようと、内戦が起こっている。そんな状況の中で報道/戦場カメラマンのリーたちは大統領に取材をするためにワシントンに向かおうとする。リーの一向に若手カメラマンのジェシーが加わりたいとお願いする。彼女は戦場でリーに偶然助けられ、またリーを尊敬し憧れているのだ。そんなジェシーをリーは疎ましいと思いつつ、戦闘が繰り広げられるアメリカ横断の旅が始まるのだった。
画の全てが内戦状態だった。本当に報道/戦場カメラマンが現場をドキュメントしているようだったし、報道写真かにみえる構図はどうすれば撮れるのかーつまり登場人物はどう動き、カメラを置けばいいのかーが全く分からなかった。
戦闘シーンも見応えがある。緊張感が張り詰めているし、銃が乱射されている。たくさん爆撃が行われる。もちろんそれは映像イメージの卓越さでもあるが、音声イメージも素晴らしい。遠くで鳴っている銃撃の音など細部のリアリティが素晴らしいから世界観に浸れるのだと思った。
だから映画館で観たほうがいい。内戦状態の描写は娯楽性に富んでいるし、ポップコーンとか食べながらだとさらにいいと思う。きっと本作もそのようにみることを想定しているだろう。
しかしかなりグロテクスな構造だと思う。ポップコーンを食いながら、内戦状態を面白いなーと消費するのは。『虐殺器官』を書いた伊藤計劃なら『プライベート・ライアン』の冒頭15分映画と評していたはずだ。
ただこの構造こそアメリカ的だと思う。巨大な資本で素晴らしくも恐ろしい世界を映画にして、たっぷりな暴力で人をたくさん殺していく。そしてそれを娯楽として提供し、鑑賞者もまた娯楽として消費する。アメリカで内戦が起きたらヤバいけど、まあそんなことないし、というアメリカ/国民=つまり〈私〉の素晴らしさを再確認して劇場を後にする。本当は劇場の外に、内戦が起こる要因なんていくらでもあるのに。
もちろん本作はどちらかと言えば、インテリでリベラルな視点から描かれているとは思う。けれどインテリ層がこんな態度なんだから、アメリカの貧富の格差は拡大して、不法移民の労働力で収益をあげているくせに、国境を封鎖するとか言い出す実業家が大統領になるんですよ。
本作が最も欺瞞に満ちていると思うのは、リーの同僚であるアジア系の二人が射殺される場面である。アジア系の二人とは旅の途中で偶然再会し、車のかけっこ遊びをしていたのだが、一転、アジア系の男とジェシーを乗せた車が西部の人に捕まってしまう。そして死体の山を見てしまったのが原因か、それとも西部の男が単なる遊びでどうかは定かではないが二人を銃で処刑しようとするのだ。慌ててリーたちも救出のために駆け寄る。そして西部の男がある問い質しを行う。「お前は真のアメリカ人か」と。
ここで問題なのはアジア系の男のみを射殺する点であろう。アジア系の男は西部の男に「真のアメリカ人」の構成要件「白人」ではないと判定されて、問答無用で殺される。その構成要件と判定はさておき西部の男の中では理屈が通っている。しかし構成要件は「白人」だけではないだろう。「男性」や「労働者階級」ーというかブルカラーかホワイトカラーか、はたまたインテリかノンインテリか、つまり経済格差を生じさせる階級の要件ーもあるだろう。それなら西部の男に射殺される対象はアジア系の男だけではなく、全員なのである。しかしアジア系の男以外皆が殺されることを免れる。
それは今後の物語における展開の問題ではあるだろう。皆が殺されるべきとも思わない。だが、端役のアジア人なら雑に殺しても構わないという無神経さが透けているし、リーやジェシーが生かされることはいくら物語上で主体性を発揮しても「真のアメリカ人」の庇護の対象という家父長制やジェンダーの問題を隠蔽している。
こういった点から本作が決してアメリカが内戦状態になった原因について、SF的想像力を駆使して提示できているわけでも、オルタナティブな未来を創造しているわけでもない。もちろんSFには多種多様な描き方があり、本作がSF的世界観に埋没して思考実験をするのは構わない。しかしその態度こそ「真のアメリカ人」には決して殺されない語り手の傲慢な立場を明らかにしてしまっている。
そして何より本作の主題である「カメラのドキュメント性」までも毀損している。つまりいくらSF的に未来をドキュメントしようとも、現実さえドキュメントできていないし、カメラが出来事から必然的に遅れること(の反省)をいくら物語っても、何の訴求力も持ち得ないということである。
リーは判断を誤ってジェシーを連れ出し、庇って死んだ。けれどジェシーはもうリーと肩を並べるカメラマンに成長してしまったし、ドキュメントの「遅れ」を取り戻すためにリーの死を顧みることさえしない。そんな悲劇と大統領の死でもって物語は終わる。
残念ながらその切なさと大統領を殺害して撮る記念写真の果てに未来なんてない。待っているのは原因も解決も不明な混沌のみだ。この帰結は本作の判断の誤りと言っていいだろう。
「本作の判断の誤り」と記述できてしまうレビュー。レビューもまた映画から必然的に遅れてしまう行為ではある。だが、その「遅れ」が未来を訂正したり、再記述する可能性に開かれているのなら、悪くはない。
大義名分から遠く離れた最前線で、戦争は容赦なく奪う
本作のメインビジュアルはいかにもハリウッドが作りそうな戦争映画という印象だが、やはりA24は切り口が少し違う。
開幕、既に内戦はたけなわだ。内戦が起こった理由については、最低限の説明しかない。内戦になるまでの政治的な経緯より、内戦になった結果無法地帯と化した最前線で何が起こったかが、大統領に取材するべくニューヨークからワシントンD.C.に向かう戦場カメラマンたちの目を通して生々しく描き出される。
原題に定冠詞を付け「the Civil War」とすると、南北戦争を意味する言葉になる。アメリカ合衆国で独立後に内戦があったのはこの一度だけだからだという。本作の世界線ではその呼び名も変わっているのだろうか。
アレックス・ガーランド監督は、この物語において抽象的な表現をする意図はなかったと語っている。確かに「3期目の大統領任期のために憲法改正をした」という設定からは、容易にトランプ元大統領が連想される。
米大統領の任期は2期8年までと憲法に定められているにも関わらず、トランプ氏は前回の在任中に3期目を目指すことを公言した。自らが立候補した大統領選挙を11月に控えた今も、「終身大統領になりたい」と発言しているという。
本作で大統領を演じたニック・オファーマンの雰囲気も、どことなくトランプ氏に寄せたもののように見える。
連邦議会占拠事件などを目の当たりにした(トランプ非支持層の)アメリカの人々の目に、この物語は日本の観客には計り知れないほどの不気味なリアリティがあるものに映るのかもしれない。
ただ私には、現在世界で既に起こっている紛争の舞台をアメリカに置き換え、彼の地での残酷で理不尽な犠牲を、自分ごととして考えるべきだという教訓めいたメッセージを、ダブルミーニング的に孕んでいるようにも見えた。
監督の意図からはズレるのかもしれないが、それだけ紛争がもたらす悲劇には普遍性があるということだろう。
いずれの勢力にどんな正当性があろうと、ひとたび武力での対立になれば前線の行き着くところは、大義名分の高潔さからかけ離れた破壊と非人道的殺戮だ。草原に伏せて銃を構えていた2人がジョエルに答えたように、自分が撃たれそうであれば、相手の正体が分からなかろうと撃つしかない。
殺すか殺されるかという状況は簡単に人間性を奪い、動物的なエゴをむきだしにさせる。ジェシー・プレモンスの演じた兵士が象徴的だ。ダンプから無造作に穴に放り込まれた遺体の山を背景に、彼は無抵抗なジョエルの友人を脈絡なく撃ち殺す。記者たちに出身地を問い、香港と答えた記者を殺す。もはや大義はなく、ただの人種差別だ。
洗車機に瀕死の男2人を吊るして、平然と写真を撮らせていた兵士もそうだ。彼らはリーたちが運悪く出会ったサイコパスではなく、紛争の極限状況が生んだ悪魔と言っていい。
(それにしてもプレモンスはああいう不気味な役が本当によく映える。妻のキルステン・ダンストのつてでカメオ出演することになったという。カメオ出演ってだいたいはもっとチョイ役で、というイメージなのだが、彼が演じたあの兵士は一般的なレベルのカメオを超えて作品に不可欠な存在になっている)
リーたちが道中で立ち寄る異様にのどかな街の、内戦に無関心な住民もこれまた象徴的だ。なるべく関わらないようにしている、と呑気に答える服屋の店員とリーたち一行の緊張感のコントラストに胸がちくりと痛んだ。私自身は、明らかに店員の側の人間だと思う。
記者たちの悲惨な道中記は、武力衝突の制御不能な一面を見せるためのサイドストーリーのようなものだが、兵士と違って戦闘行為の当事者ではなく、かといって無関心な傍観者でもない記者の目線で至近距離から描かれる内戦は、独特の緊張感があった。
当初の印象に反して、ジェシーはある意味リー以上に逞しくなっていく。ホワイトハウスの攻防の現場で「feel alive」とつぶやく彼女には、頼もしさとかすかな怖さを感じた。
だが、映画「マリウポリの20日間」が顕著に示したように、誰かが撮らないと私たちはそこで起こったことを真に知る由もない。銃弾に倒れるリーにもレンズを向ける彼女の姿は、あなたも戦争の現実に向き合ってと、こちらに訴えかけているようだった。
余談
パンフレットのバーコードのところに昔ながらの値札シールがあったのでつい爪で剥がそうとしたら、貼ってあるのではなくそういうデザインだった。電気供給が安定しない(バーコードが使えない)作品世界を表しているのだろうか。
おもしろかった! そして、つまらなかった!
面白かったのは何よりも第2次南北戦争というコンセプトだ。
現代のアメリカで内戦が発生して、アメリカがパレスチナのようになる。
先進国が戦場になる。
治安はなくなり、憎しみが吹き出し、凄惨な私刑が横行する。
実に惨たらしく、恐ろしく、心に迫る映像だ。
このシチュエーションを成立させるために、監督が採用したアイデアとは何か?
理由を説明しないこと!
なぜカリフォルニアとフロリダが合衆国に反旗を翻したのか?
全く説明されない。
内戦状態から話が始まり、物語が終わるまで、全体状況についての説明が一切ない。カメラで写していない地域のことが全くわからない。なんなら反旗を翻したカリフォルニアとフロリダの現状もわからない。アメリカが内戦状態に陥ったことで、諸外国がどんな反応を示しているかとか、世界経済がどうなっているかとか、全然さっぱりわからない。
正しい。
現代のアメリカが内戦に突入する可能性はゼロだ。
納得できる理由を作ろうとするとすればするほど、アメリカが内戦に陥るような世界を作り出そうとすればするほど、その新設定のせいで、映画の中の現実が、我々の生きている現実とは違うものになってしまう。
じゃあ、なにも説明しない。
アメリカが内戦状態に陥り、至るところで戦闘が始まり、多くの人間が殺されていく。
その映像を怒涛のように流すことで、否応なしに映画の現実を受け入れさせる。受け入れるしかない。
映画だからできるマジックである。
内戦は、分断されたアメリカの比喩だ。
19世紀の南北戦争と違うのは、別々の勢力が合衆国に戦いを挑んでいるところだ。戦っている人間ですら、自分が銃口を向けている敵が何者なのかわからない。撃たれるから撃ち返している。殺されそうだから殺している。どさくさ紛れに殺したいやつを殺している。
現実の反映があるから、映画の中に溢れる人間の悪意や狂気が心に迫ってくる。あの赤メガネだけではない。無関心な街にもだ。この部分だけで、この映画は十分に傑作になっている。
では、つまらなかったところはどこか?
説明が足りていないところだ。
面白かった理由と表裏一体なのだが、この作品、説明すべきことも省略している。A24らしさと言ってしまえばそうなのだが……。
いちばん象徴的なシーンが、主人公リーの死だ。
リーはなぜあそこで、ケイリーをかばったのか?
人間性の発露? 先輩としての責任感? 彼女を止められなかった後悔?
解釈が絞り込めないので、映画のクライマックスである一番キメのシーンを、ありがちで平凡なムーブで決められてしまったガッカリ感で見送ることになってしまう。
あのシーンのアイデアは実に素晴らしい!
戦場ジャーナリストは、仲間の死すら、写真におさめなければならない。
素晴らしいカットが目の前にある!
人の心など捨てて、シャッターを切り続けろ!
その絵の迫力に、ストーリーが負けている。
前ふりを積んでいけば、むちゃくちゃエモーショナルなシーンにできるのに、必要なお膳立てが足りないので、心が滑っていく。
なんでもいいんですよ。
リーはこの仕事を最後に故郷に戻って農場を継ぐつもりだったとか、ケイリーに対して、戦場に高揚を覚える戦場カメラマンは失格だ、と教え諭すけれどケイリーにはなかなか理解してもらえないでいたとか、もっと単純にケイリーは亡くした妹に似ているとか、なんでも。
そういう前振りの後で、リーが飛び出し、ケイリーをかばって死ぬ。
すると情感がこもる。
あそこでリーが飛び出す理由。
ケイリーをかばったことで失われたものの価値。
自分のせいでリーが死んだことに、ケイリーは何を思うのか?
その辺がさっぱりわからない。
想像で補おうにも、手掛かりが少なすぎる。
もったいない……、本当にもったいない……。
とはいえ、この作品は現代アメリカがパレスチナになるというアイデアが本当に素晴らしく、隣人だったはずの人間が隣人を殺しだすおぞましさを体感するのに大画面と大音響はぴったりでした。特に音!
馬鹿には難しい映画でした。
馬鹿には難しい映画で、モヤモヤが残りました。
以下、疑問が残った部分です。
・登場人物の行動への疑問①
「冬のワンダーランド」に向かう道で怪しさに気づいた時、サミーは引き返せって言ってた気がするけど進んだのはなぜ?戦闘が起きている場所ならいい写真が撮れるかもしれないから?
・登場人物の行動への疑問②
トニーの車にジェシーが乗り移ったあと。ハイになって爆走してたら武装勢力に運悪く遭遇しちゃったって事?
というかトニーのイカれたテンションが気持ち悪すぎてあの後から集中出来なかった。「最高にイケてる」じゃないんよ。アメリカ人こわい。
・登場人物の行動への疑問③
ホワイトハウスから出てきた専用車に大統領が乗ってないことにリーだけが気づくシーン。他の戦闘員たちは馬鹿なの?誰でも気づく手口じゃない?
・登場人物の行動への疑問④
大統領にインタビューした男性、あの人録音してたっけ。自分と周りの戦闘員だけ聞いてても意味無いのでは…
地獄の黙示録 ver.A24?
前情報を全然仕入れず鑑賞!
真面目な戦争映画かと思いきや、内戦に至った経緯や背景はノータッチ!
中盤の“ウィンターワンダーランド”のシーンからA24お得意のアトラクション映画に変身!
(後から知ったが、実際にあの場所あるらしい!)
特に中盤の赤グラサンに処刑されかけるシーンの緊張感が凄まじかった。
全編通して、銃撃戦の音響の迫力よ!ほんとに戦場にいるような恐ろしさ。
序盤の柱のに隠れながらの銃撃とラストの戦闘は是非音響のいい劇場で観たいところ!
そして主要キャスト4人、とてもいい。
あと後半、西軍?のキャンプ地の手前のシーンが、夕陽+川+ヘリ!地獄めぐり的な映画の構成も完全に『地獄の黙示録』意識してるなー。
惜しい点
・各場面はそれぞれ見応えがあったが、単発感というか、もう少し物語的な繋がりは出せなかったものか?主役の彼女いくらなんでも終盤で覚醒しすぎやないですかね。(そもそも戦場カメラマンってあんな最前線にいけるの?)
・見せ場は人間?社会派ドラマ?戦闘?戦場カメラマンの視点に終始してるから止むおえないが、直近で『地獄の黙示録』を見返してしまったので、若干食い足りない感。
新米カメラマン ジェイシー、私が撮らねば誰が撮る
アメリカ内戦の戦争映画か?と思ったが、戦闘シーンは、ラスト30分くらい。(←迫力あります。)というよりも、新米カメラマンのジェイシーが、過酷な状況に適応していく姿を描いているのを主とした作品かもしれない。ジェイシーは、最初は足手まといだったり、気弱な存在であったが、修羅場を何度もくぐることによって段々とその行動に変化が現れてくる。大胆不敵か感覚が麻痺してしまうのか?戦場下においての人間の変わり様が、ある意味怖いくらいだ。(それは兵士にも同じことが言えるのだが)ラスト近くで、「ここで、シャッター押すかよ?」と思ったが、戦場カメラマンというのは、あれぐらいの気合いがないと務まらないかもしれない。今ではウクライナやパレスチナで、カメラマンや記者たちが命懸けで報道しているという現実があるわけだが、この人たちの出番の無い平和な世界が理想です。余談ですが、リー役のキルスティン・ダンスト(サム・ライミ監督のスパイダーマンシリーズのヒロイン)が、いいおばさんになってしまいました。
これこそがアメリカ建国の理念
久しぶりの映画館。
この映画は前から見たいと思ってたので、ちょうど映画が見れる環境になったので観に行くことにした。
最初、この映画はアメリカの色んな場所でドンパチやっている戦争映画だと思ってた。
しかし、形としては「ロードムービー」だった。
主人公のジャーナリストであるリーが、内戦中のアメリカで大統領へのインタビューのためにワシントンD.Cへ車で旅をする。もちろん、気楽な旅行ではなく内戦中のアメリカの横断なので、様々な命に関わるような事件が起こる。その過程で、最初幼いジャーナリストの卵だった、同行者である少女ジェシーが成長していく。
これが縦軸の話。
しかし、背景として重要なのが、アメリカは「銃」を買える=使えるのが当たり前、ということ。これは建国の理念でもある。市民は銃を使って腐敗した政府を倒す革命を起こす権利を有している。だからこそ、銃の携帯が認められている。
その帰結が、この映画のラストシーンなんだろう。
この権利が認められている以上、最後は「大統領の殺害」になる。
憲法を変えて3期も大統領を努めた人間を市民が殺すのは当たり前、という考え方(理念)。
だから、あのラストは必然と言える。
わりとアメリカ映画は「大統領を助ける」ストーリーが多い。最後は主人公に助けられる。ドラマ「24」を引き合いに出すまでも無く、核が落とされる危機とかがあっても、最後は主人公がどうにかしてしまう。しかし、こんなにあっさりとホワイトハウスが陥落し、大統領が殺される映画も珍しい。
アメリカの核とも言える「銃」と、もう1つの核とも言える「言論の自由」を支えるジャーナリストをうまく融合させた、非常に見応えのある素晴らしい映画だった。
さて、現実のアメリカでは、共和党のトランプと、民主党のハリスが大統領戦を戦っている。
この映画を見た日のあと2日ほどで結果が出る。
昔とは異なり、共和党のレッドステイトと民主党のブルーステイトは価値観が重なる=妥協できる箇所が無くなってきている。同じ国の国民として成り立たなくなっているように見える。二極化の果てだ。この状態では、大統領選でどちらが勝っても、この映画のような内戦(第二次南北戦争)が起こる危険性がある。だからこそ、今この映画を上映しているのだろう。
アメリカはどうなるのか。
そして、アメリカのポチ(属国)である日本はどうなるのか。
日本では衆院選が終わり、あの体たらくの自民党をまだこれだけの人が支持しているのか、と絶望的になったが、まぁ、落ちるところまで落ちない or 世代が入れ替わらない限り、変わらないんだろう。
とりあえず今は、大統領選の経過を見守っていこうと思う。
映像の迫力・テーマの拡散
どこを見せたい映画なのかイマイチ理解できぬまま映画は始まり、映画は終わる。観終わって従軍記者の映画だったのかと今更ながらに気付かされドッと疲れが出る。その疲れの原因はもちろんその作品のクォリティの高さによるものだが、その画面の迫力に対して物語の内容が把握できないまま引っ張り続けられる疲労感もその一因である。とにかくシュールだ。改めて言うが作品の質は高い。
よくできたシーンはある。でも不自然さが気になる
内戦で社会秩序が崩壊して、暴力や殺し合いが横行している国の恐怖をリアルに描いていて、怖さを感じた。特に、予告編で出てくる赤いサングラスの民兵と交渉する場面は緊迫感がある。彼が何を考えているのかがわからないので、助かりそうな道が見えず、追い詰められる気持ちになる。この場面の結末もうまくできていて、この映画のベストシーンだろう。
政府軍と西部連合が戦っていることになっているが、そのどちらとも関係ない人たちが怖いというのは、その通りだろう。映画の後半で西部連合のキャンプに、主人公たちが入ると安心する。軍隊の秩序があり、プレスの主人公たちに危害を加えることはなくなるので。
戦闘の迫力ある画面や兵士が死ぬシーンがたくさん出てくる。映画的にはその方が見ごたえがあるからだろう。しかし、現場を取材する主人公たちプレスが『戦闘の真っただ中にいること』について、さすがにそんなことはないだろうと思った。明らかに戦いの邪魔になっているし、死ぬ確率が高すぎて、「いくらなんでも、それは自殺行為」と感じる。戦闘シーンが出てくるたびに、ストーリーについて行けなくなった。
いちいちフィルムを巻きあげなくてはならないカメラを主人公ジェシーに使わせているのも、「いくらなんでも」と思った。映画のアクセントだとしても、やりすぎと思う。そして、ラストシーンで連写をするような場面があるが、連写は無理じゃないのと、違和感を感じた。
夜、対空砲火の光が遠くに見える中で野宿をする場面、主人公たちが長い会話をしているあいだずっと飛び交っていて「花火じゃないんだから、そんな頻度で見えるはずがない」と思った。
内戦の展開は「設定」であって、気にする必要はないとは思うが、違和感がある。「ワシントンDCを攻めて、大統領の殺害を目指す」という作戦は、攻める方の損害も大きい最低の選択肢(核のボタンを押されたらどうするの?)だと思うし、そもそも「無秩序になってしまったアメリカで、ワシントンDCを取っても、何も得るものはない」と思う。
Dolbyでの鑑賞をおすすめします。
Dolbyで鑑賞しましたが、本当に戦場に入っているような感覚でした。
私は戦争ゲームをたまにしますが、それ以上の映像美でやっぱり映画は凄い!と思ったくらいです。
(戦争ゲームはするけど、実際に戦争に絶対なって欲しくないです!)
ストーリーは、アメリカが分断された後から始まりますので、何故分断されたのかハッキリと描かれておりませんが、トラン◯元のような過激思想が市民の怒りに火をつけてクーデターを引き起こしたと推測します。
ストーリーが進むにつれて、ジャーナリストの熟練者と卵の心の変化がわかります。
戦争は人の心を忘れさせるのかと、とても恐ろしくなります。だから戦争は始めたら駄目なんだと映画を観終わったら強く感じました。
どちらかがボロボロの瀕死になるまで戦う。
どちらかが核を使うまで戦う。
おそらくこの映画ではクーデター成功したが、内戦はすぐには終わらないだろうと感じます。
映画の最後のしたい名前で笑顔の写真は、人間の不気味さ恐ろしさを感じました。
現代アメリカで内戦が起きたらこんな感じだろうな、というのをリアルに...
現代アメリカで内戦が起きたらこんな感じだろうな、というのをリアルに描いています。(細かい突っ込みはヤボなのでやめておきます。)
緊張と緩和の落差が大きく、途中からは緩のシーンになると、「ああ、緩がこのくらいだとすると、次は相当すごいのが来そうだなぁ」と身構えるようになりました。
主人公たちが非武装のジャーナリストで、決してスーパーマンでは無いので、いつ殺されるか分からない、という点でも最後までハラハラして見れました。
従来のハリウッドの大作映画では、国難の際にみんなが結束して戦う、というものが多かったと思います。でも、「実際、あの国ってそんなに一枚岩かぁ」というのが、日本人からの視点では昔からあって、ちょっとした切っ掛けがあれば崩壊するのではないか、という作品もありました。(例えば、亡くなられた伊藤計画さんの虐殺器官や大石英司先生の合衆国シリーズ。)ハリウッドでそういう映画が作られないのは、その映画が「ちょっとした切っ掛け」になりかねないからではという邪推もしていましたが、トランプ政権を経て、国内の分断が当たり前になった当世で、きちんとその状況に向き合う作品を作った、という事かと思います。
日本で内戦が起こったら、どうなる?
完全主観の映像。観客は冒頭から「内戦中のアメリカ」に放り込まれます。同じ主観の映像と言えば、サム・メンデス監督の「1917」が浮かびましたが、本作は現代のアメリカを舞台にしている分、没入感が一つ上でした。"実際に起こりうるかもしれない""もしここに居合わせたらどんな行動を取る?"観客に投げかけられているような心境になります。
カメラワークと臨場感ある音響で、終始緊張感のある映画体験ができます。死体の表現も現実に近い。見たことないけど😅
最終盤、ホワイトハウスでリーが撃たれ、亡くなる時のジェシーの反応→序盤で「憧れだった」と言うにも関わらず、亡くなったリーに対して悲しむ様子は(見たところ)ありません。思えば、ホワイトハウスに進軍する市街地戦の時からジェシーの顔つきが変わっていました。序盤のビクビクしながらついていく姿から変わって一心不乱にカメラを構える姿に、戦争が人を変える狂気を感じました(もちろん使命感に目覚めたという解釈も可能だと思います)。
言論の自由をアクションで語る傑出したエンタメ作品
戦場カメラマンの視点からアメリカの分断と内戦を描いた物語。
キッカケさえあれば人間は簡単にモラルを失う。首都までの1300kmの道のり。進めば進むほど狂気の地獄が広がっていく。
まるでアメリカに舞台を移した現代版の地獄の黙示録を見ているかのようだった。
ただ地獄の黙示録と決定的に違うのは主人公が兵士ではなく記者だという事。そして旅の目的が将軍の暗殺ではなく、独裁大統領のインタビューだという事。
どんな過酷な目に遭っても、その目的を見失わない限り言論の自由が死ぬことはない。
ラストシーンで記者のジョエルが大統領から引き出した一言がそれを象徴していた。
兵士たちが大統領を撃とうとする寸前、ジョエルが大統領に今の思いを尋ねる。
それに対し、大統領は震えながら「私を殺させるな」と答えた。
大統領の人間の小ささと、そんな男のために戦争が起きてしまった悲しさが、その一言のインタビューがなければ誰にも伝わらずに終わってしまう。
記者たちの行動そのものが作品のテーマを体現しているように感じた。
脚本良し。演出良し。脇役良し。しかし残念ながら主演のキルステン・ダンストだけ演技下手。この人は昔も今も演技下手。
記者仲間のサミーが死んだシーン。写真を削除したのはその死を受け入れるのが辛かったからか、それともその死を仕事にしたくなかったからか、あの芝居では分からん。
権威主義と分断と暴力が蔓延する社会。それでも報道し続けることを諦めてはいけないというメッセージ。伝え続けなければ言論の自由が死に、民主主義が終わる。
つまり、この映画のテーマは一言で言うと言論の自由。それをエンタメとしてアクションで表現してる。ほんと傑作だと思う。
意外だった
アメリカが分断されて内線起こるって、
日本人からしたらとんでもない話で、
引いては世界中が混沌となる危険性もある。
そんな話を如実に描くのかと思いきや、
戦争というか、
暴力の連鎖を淡々と描いている。
A24の作品は
「ミッドサマー」くらいしか観てないが、
アレに演出が似てて、
極端に静かなシーンとか、
過激に音が鳴るシーンとか、
メリハリがとても効いている。
基本的にロードムービーだが、
道中の虐殺処理班❓とのやり取りとか、
クリスマスの飾りがボロボロになってる場所とか、
煽るBGMとか無く淡々としてて、
逆に恐怖マシマシ😱
一見平和そうな街に立ち寄るが、
他人事の様にしている店員に、
観てるこちらは違和感感じるが、
何だ、自分も同じじゃないか、
我に帰るとハッとする。
大詰めのDCでの攻防は、
所謂、ザ戦争映画。苦手な場面😩
大統領逃亡劇の後、
記者が先にホワイトハウス入って行くの
おかしいでしょ❓
「邪魔をするな❗️」ホンソレ☝️
そして、
ジェシーを生かす為のリーの盾、
魂の継承と見て取れる😭
正直、ホワイトハウス前の攻防から、
リーが全然撮れず、
ジェシーは覚醒したかの様に撮りまくり、
その逆転が自分には不快で、
建物内からリーから見たジェシーの目線が増え、
あの盾に繋がったのか。
その場面でもリーを撮るジェシー。
(フィルムカメラであの3連写は無理)
正に覚醒の時。
結局はクーデター成功となるが、
スッキリはしない。
ただ冒頭の大統領演説を、
かの人として見てる人は、
少し達成感は味わえるかも。
言葉を失った世界
主人公はフォトジャーナリスト、その卵、通信社記者に、ニューヨークタイムズの老記者という設定だが総じて言葉が少ない。アメリカが危機なのに、議論はもはやしない。ただ飲んでいる。バーのシーンもあるがろくでもないことを喋っているだけだろう。それに仕事といえば、ただ写真を撮る、あるいは状況を見ているだけ。記事書かないの? 写真、送信しないの? いや、新聞や雑誌が存在しているかどうかさえも怪しい。 リーが一度だけアップロードしていたがそれだけだ。撃ち合いの現場を取材しても、ただ取材しているだけ。精神だけが高揚する、あるいはダウンしていく。つまり、このジャーナリスト達は崩壊している。登場する兵士たちのように、あるいは、平和そうに見える町の無関心な店員のように。ただ、誰もが目の前の状況をクリアすることしか考えていない。大統領でさえも。未来を描くために言葉が必要だが、その未来がないから言葉も必要ないのだろう。良い写真を撮っても、それがどういう写真か、語れなければ、意味がない。現実世界もそうなっている。いや、もうとっくの昔にそうなっていたのだろう。ベトナム戦争の頃から。ここに出てくるジャーナリストの取材スタイルはベトナム戦争のときのそれだ。あの頃から語ることをやめ、刺激だけで人々は生きてきたのかもしれない。それで今だ。大統領候補はただお互いを罵るだけ。あるいは聴衆を鼓舞するだけ。プロレスの会場か? 日本でも政治家や政治家未満のホンモノかニセモノかわからない映像で人々は感情を動かし、しかも行動まで起こしている。この映画のようなことは本当に起こるのかもしれない。リーは狙撃兵に狙われて花が咲く大地に身を伏せているとき、あるいは激しい銃撃戦の中で泣いているとき、その心情を言葉にすれば良かった。彼女はデジカメに刺激的なシーンを撮っていたが、やがてそれもしなくなっていた。メディアやジャーナリズムはもう役に立たないことを示している。映画にはまだ希望がありそうだ。
恐怖の中にも美しさを
星条旗の星が2つだとか、水の配給に星条旗持って自爆することの意味だとか、階級章のない軍服とか、多分その辺内容は他の人がいくらでも語っているので、少し道外れた事をメモとして書きます。
●恐怖の中でも美しいものを
森林火災の中を走るシーン。美しく撮っていて良いシーンですね。直前までに起きたことがショッキングなのもあって、一層美しく、そして安らぎます。
リーが戦場で、ふと花を見てしまうシーン。
●戦争とは違う内戦の恐怖。
同胞とは、アメリカとは何なのか?戦場に立つ者達は、己に確固たるソレを持っているようです。赤サングラスもそうですね。
ですが内戦が起きている時点で確固たるアメリカなど無いように思えます。
それでも戦わなくてはいけない、なぜなら相手が撃ってくるのだから。恐すぎですね。
●くたびれたサンタのシーン
お互いに相手の陣営が分かって打ち合っているようには見えませんでしたね。相手が何なのかは分からない。しかし撃ってくるなら撃ち返すしかない。
そして記者は記録に徹する。
●これも細かいところは他の人がいくらでも解説してるとは思いますが、台詞の端々や小物や絵での背景匂わせが良いですね。説明くさくなくてクールな印象の映画になってます。
戦場カメラマン目線
予想に反して、戦場カメラマン目線の映画だった。
面白かったけど、話の盛り上がりがないというか、何を伝えたいのか分からない映画だった。
若手カメラマンの子 めっちゃ可愛かった。
あとトッドが出てきて嬉しかった。主人公の女性が実際の奥さんで、急遽あの役の元々の俳優がキャンセルになって抜擢されたらしい。イカれた役似合う。
Dolby?(極音上映)みたいなやつで見たから迫力があった。
なぜ戦闘員は戦場カメラマンを同行させるんだろう。結構邪魔な気がするけど、世界に見てもらうためなのかな。
アメリカ感がでてる
アメリカってきっとこんな感じなんだろうなーっていう映画。
理由は知らんけど大統領が好き勝手やったせいで内戦状態になったということなんだけど、何が起きたのかは大統領が3期目だっていうところから想像するしかないんかな。
きっとそんなのはどうでもいいんだろう。
この映画の見どころは西部劇の時代みたいな価値観で現代の戦争を描くことの面白さなのかな。
そして戦闘シーンが迫力満点。これはすごい。音がゾクゾクする。
ホワイトハウスの前でドンパチしたりビーストがブオオオって来るのを見てるのは楽しい。
細かいことはどうでもいいんだ。
ただ、最後のカメラマンさんの死にっぷりだけは拍子抜けでした。
観る映画というより体験する映画
主人公らは劇中出会う事象に対しては常に干渉せず黙々とシャッターを切りますが、それと全く同じように、この映画を観る間は非常に淡々とした気持ちが最後まで続きました。製作陣が意図してのものかはわかりませんが登場人物に感情移入できなかったからだと思います。そのため登場人物が死んでも特に感情は動きませんでした。ですが、だからといってこの映画にインパクトが無かったかというとそうではなく、一体何が起きているのか、何が敵で何が味方なのか、そもそも今一緒にいるこいつらはまともなのか、そういったことが全然分からないまま発生する事象にただただ翻弄されていくのは、ある意味劇中の市民と同じ気持ちを体験できたのかなと思います。また、劇中の人間が基本的に虐待虐殺上等で捕虜も取らない上にカメラを恐れない(事実の発覚に無関心)ことに最初は若干の違和感を持ちましたが、政府の統制が失われた戦時下であることを鑑みればむしろリアリティを感じました。全体としてドラマ性やカタルシスを求めて観る映画ではありせんが、戦時下の無法、無秩序を体験するという意味で意義ある映画だったと思います。なお、有名な赤サングラス民兵については事前に見過ぎていたこともあり、彼が石灰フリフリしながら現れた時には嬉しい気持ちが一瞬勝ってしまいました(その後はちゃんと怖かったです)。
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