「夫婦は二世」かなさんどー ジュン一さんの映画レビュー(感想・評価)
夫婦は二世
『ガレッジセール ゴリ』が『照屋年之』の名義で
監督と脚本を担当した〔洗骨(2018年)〕。
沖縄県に古くからある風習「洗骨」をモチーフに、
死と生の輪環、家族の絆を、
時としてユーモアに包んで描いた秀作だった。
そしてまた本作でも近似のテーマ、
夫婦とは
親子とは
家族とは、が
やはり沖縄の小島を舞台に紡がれる。
タイトルの「かなさんどー」は
沖縄の言葉で「愛している」の意と聞く。
また、同タイトルの琉球民謡もあるよう。
その二つの要素を作品内で効果的に組み合わせた
『照屋年之』の語り口の上手さに唸る。
母『町子(堀内敬子)』の死をきっかけに
父『悟(浅野忠信)』と絶縁状態になった『知念美花(松田るか)』。
が、『悟』の余命がいくばくもないとの連絡に、
七年ぶりに東京から故郷の伊江島に戻って来る。
とは言え、間接的にも母の死を早めた父を
『美花』は直ぐには許すことができない。
しかし、実家で過ごすうちに、
次第に過去の記憶がよみがえり、
彼女のわだかまりはほぐれて行く。
そして死期が迫った父に
母の思い出と共に最後の(そしておそらく最初の)親孝行をする。
『悟』は酒癖の良くない、
ただのお調子者にしか見えない。
経営していた会社も、今は人手に渡っている。
にもかかわらず、昔いた従業員は
何故かいまだに彼のことを慕っている。
心臓の病で薬療が欠かせない『町子』は
『悟』の不実を知りながら、
家の中では常に美しく装い、
夫を下にも置かぬ扱い。
自身の体の負い目だけではない、
秘めた想いがそこにはあるよう。
『悟』は『悟』で、
なんだかんだ言っても
妻にべた惚れ。
深夜まで呑んでいても
代行運転を使い、必ず帰宅し朝餉を摂るほど。
そうしたカタチの夫婦になった背景が
物語りの進行と共に解き明かされ、
鑑賞者は一つ一つの設定に頷く。
やや都合の良すぎる展開はあるものの、
互いを思いやる二人の心根に
つい熱いものがこみ上げる。
冒頭のシーンが終盤で繰り返されるのは、
同じ事柄でも理由を知ったり
見る角度が違うことで
実相が変わることの例示と思われ。
それはそのまま、娘が見ていた
両親の関係性にも当てはまる。
思わずくすりと笑ってしまう科白や
シチュエーションの創り方も
変わらず上手いと思わせる。
とは言え、前作に比べれば
観終わった時の印象はやや弱いよう。