ガール・ウィズ・ニードルのレビュー・感想・評価
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衝撃の事実だが、時代が生んだ闇であろうことは間違いない
事実をもとにした作品というのがエンドロール直前でわかる。
主人公カロリーネの不遇は、当時の女性の生きづらさを代表して見せているように思う。
男尊女卑著しく貧困にあえぐカロリーネが、戦争で夫と離ればなれとなり、
縫製会社の社長と結婚しようとする逞しさを持つ、そういう女性だ。
そこから夫が戻ってくるわ(顔の仮面と仮面下の造形には驚く)社長に捨てられるわ、
子どもをどうしようか・・・という場面でダウマに出会う。
出会い方も浴場でカロリーネが子どもを堕胎させようとしている超絶痛そうな場面で
助けられるわけだから、カロリーネの信用も得るはずだ。
ダウマは赤ちゃんの里親を見つける仕事をしているらしい。
とここまでは、「なんでこんなに不穏な空気感をまとった作品なんだろう?」と疑問だったが、
カロリーネがダウマの仕事を手伝うようになってから、
ダウマが実際に赤ちゃんを殺害していることを知り、自殺未遂&ダウマは捕まるという
強烈な展開に。
そういうことかぁっ!と、ここにきてやっと不穏な雰囲気なのがわかった。
映像と劇伴が不穏さをずっと醸し出していたのが、なるほどこういうことだったのかと。
その後、裁判で正しいことをしたと言い切るダウマ。
確かに、この時代に「望まれない子ども」を預けにくる親がたくさんいて、
さらには貧困のため育てることができないという背景を考えると
こういう人が出てきてしまうのも必然だったのかもしれない。
ラストはダウマの7歳の娘(血縁関係があったかは謎)イレーナを引き取に向かうカロリーナ。
イレーナの口元が少し笑顔になったのが印象的であり、本作唯一救いのあるシーンだった。
いやぁ、強烈でした。
どこまでが真実か知りたくなります
女性にとって圧倒的に不利な立場は、世界的にどの国がであっても同じく、今も変わっていない。
デンマーク暗黒の時代に起きた連続殺人事件を背景に、過酷な時代を生きる女性の苦悩を描く。
全く時代も国も異なりますが、思わず「レ・ミゼラブル」を思い出す。
女性にとって圧倒的に不利な立場は、世界的にどの国がであっても同じく、今も変わっていない。
終始暗い物語だったが、ラストは救いがあってほっとした。
あの経済状態で養子を引き取るのは無理があると思うが、最後に救いがあって良かった。
実話ベースという衝撃
なかなかショッキングな内容、しかも実話ベース。
全編モノクロで描かれる第一次世界大戦後のデンマークを舞台にした物語は、モノクロじゃないと直視出来ないであろう苦しく救いがないものでした。
とにかくずっと気味が悪く、不快で居心地が悪い。(褒めてます)色々描かれていないこともあるので、まだ理解しきれていません。
ダウマのしたことは私利私欲や薬の影響が大きいとは思うにけれど、裁判での言葉を100%否定することもできない。だって自分から子どもを手放したことは事実で…。多くの人が見たくない現実から目を逸らすことでしか生きていけない環境だったのだと思うと、胸が痛いです。
一筋の希望を感じる…気もするけど、いやそんなことはないよなというラスト。
気分はとても落ち込みました…。苦笑
ホラー映画よりも「ホラー」している映画。
そのポスターの雰囲気、そのタイトルを見て、自己判断でホラー映画かと思って鑑賞したが、それは違ったようだ。無論、目を背けたくなるようなホラー的シーンもあるのだが、むしろ、人間の持つ本質・本能・エゴなどを、戦争を通して表現した、非常に気分が重たくなる、考えさせられる映画だった。
全編モノクロで構成されていることもあって、戦時中の疲弊し陰鬱とした、主人公カロリーネの日常生活や苦悩などが、いやがうえにも強調されフォーカスされる。特に、西欧人特有のホリが深くて立体的な顔立ちや表情は、白黒描写による光の陰陽でさらに際立って見える。
主人公の女性カロリーネは、戦地に赴いている音信不通の夫を待つことができずに、自分の雇い主と情交して、子を宿すことになるのだが、結婚ができないとなると、一転、公衆浴場で巨大な針(ニードル)を使い、自らの陰部にそれを何回も抜き差しして堕胎を試みる。
個人的にこの場面は、劇中で、一番グロいシーンで結構キツイ。そして、自分の胎児にそのようなことをするものなのか、結局のところ、相手の男性と恋に落ちたというよりも、結婚(妊娠)することで今後の自分の生活をとり、打算的に情交したのでは思えてしまう。戦争・貧困・寡婦など彼女に同情できる理由は多々あれど、人間はここまでしてしまうものなのか、変貌してしまうのかと考えると、ただただ恐ろしい、ホラーです。
結局、カロリーネの堕胎は未遂に終わるのだが、劇中後半からのほぼほぼ主人公である女性ダウマと公衆浴場で知り合うことになる。ダウマは、出産しても育てることができないカロリーネのような女性たちから、その子供と手数料をもらって、表向きは菓子屋で、モグリの養子縁組の斡旋業を行っていた。ダウマは、子供を引き取る際に、帰っていくその女性たちに声をかける。「あなたは正しいことをした。」その言葉に、女性たちの「心の負い目」は、浄化され癒されていく。しかし、ダウマ自身が正しいことをしたかといえば、その真逆で、預かった子供たちを殺害して下水道に死体を遺棄していた、という見事な連続殺人鬼っぷり。ダウマは、裁判で死刑判決(←記憶が曖昧です。)を受け、聴衆から罵声を浴びせられる。その罵声に対して、ダウマは叫ぶ。「あんたらのためにしたんじゃないか。」と。
日本の伝統工芸品の「こけし」は、「子消し」ともいい、その昔、貧困ゆえの口減らしのために、自らの子を堕胎して、その魂を弔うために作られたもの、という説があるが、ダウマが投げかけた言葉、「あなたは正しいことをした。」は、ある意味、「こけし」のように母親たちの心の慰めになっていたのだろう。もし、そうであるならば、一方的にダウマを責めることは簡単で分かりやすいが、理にかなっていないし不公正であるよにも思う。
いずれにしても、戦時中という特殊な状況下では、善・悪や正義・不正義の判断が平時以上にとても困難である。善人だった人も、善人のように見えた人も、理性が次第に削ぎ落され、本質・本能・エゴがあらわになってしまう。だから、戦争はすべきではない、けしかけるべきでもない、とは思うが、そのこと以上に、戦争によって人間は変わってしまうという事実がとても悲しい。私もそうなってしまうのか、ただただ、不安でしかない。
しかし、そのような戦争下でも、そうはならなかった、この映画の救いといえるような存在が一人、劇中にいたのだ。
主人公カロリーネの「夫」だ。彼は、音信不通でカロリーネからは死んだと思われていたが、ある時、長い沈黙を破って、カロリーネのもとに戻ってくる。一時は、彼の安否を気にしていたが、雇い主の子を身ごもり結婚を考えていたカロリーネは、冷たく彼を追い払ってしまう。そんな彼は、気丈にも不貞腐らず、サーカス団員の一員となって、その日その日を力強く生き抜いていて、後に、彼のもとへ戻ってくるカロリーネを温かく受け入れたのだ。
なぜ彼が、当初、音信不通だったのか。なぜ彼が、サーカスで生活の糧を得ていたのかは、映画を見てほしいが、まさに「ボーイ・ウィズ・マスク」。私も彼のように人間のやさしさを持って振舞えるだろうか。ただただ、不安でしかない。
なんとも恐ろしい映画…
オープニングで、苦痛にゆがんだような複数の顔を重ねて見せる映像からして、怖い。
全編モノクロで、光と影を巧みに扱った映像表現の見事さと、時に神経を逆撫でする前衛的な音楽と効果音が相まって、本当に…怖い映画だ。
舞台は、第一次世界大戦の終戦直前から戦後にかけてのデンマークの首都コペンハーゲン。
歴史・地理オンチの私の知識では、デンマークは中立を堅持したので戦場にはならなかったはずで、確かに描かれている風景に戦火の跡はない。
だが、当時は一部の地方がドイツ領となっていたのでその地方の男たちはドイツ軍に従軍させられて戦闘に加わったようだ。
「戦争に行きたかったが…」と縫製工場の社長が言う場面があるから、恐らく中立として自国を防衛するための前線への出兵はあったのだろう。
そんなことよりも、戦争による景気の極端な悪化が物資不足と貧困を招いていて、首都にも生活困窮者があふれていたという描写が衝撃的だ。第二次世界大戦直後の東京のように焼け野原になっているわけではないから、余計にショッキングだ。
重篤な貧困状態の都市で実際に起きた忌まわしい事件に着想を得たらしいこの映画は、事件以前に主人公の境遇を丁寧に描いていて、見せつけられる極貧生活こそ身の毛がよだつ有り様だ。
ニードル(縫製用の針のことだと思う)を持つ女=カロリーネには夫がいるのだが、戦争に行ったまま行方不明となっていた。
夫の死が確定されていないから寡婦としての補助も受けられず、縫製工場でわずかばかりの賃金を得ているが、家賃も払えず強制退去させられる。
そんな彼女にも幸運が訪れるのだが、もうその段階で悲劇が待っているだろうと誰もが勘ぐるところだ。
果たして、さらなるどん底に彼女は突き落とされることになり、まだまだ映画の序盤なのにかなり厳しい。
カロリーネの夫が見るも哀れな姿で帰国すると、モノクロの画面も助けてゴシック・ホラーの様相を呈してくる。
カロリーネがやっと入居できた安普請のアパートの床で眠る夫の様子は、モンスター映画の匂いがする。
しかし、この夫は決してモンスターではなく、戦争被害者なのだ。
ずっと昔、バスタブで子宮に自ら針金を刺して堕胎する場面が何かの映画にあった気がする。(『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』ではなく、70年代の映画…)
カロリーネがニードルを隠し持って公衆浴場に入る場面でそれを思い出して身震いした。
その浴場で砂糖菓子店の女店主ダウマとその娘にカロリーネは出会うのだ。
カロリーネを演じたヴィクトーリア・カーメン・ソネと、ダウマを演じたトリーネ・デュアホルムの2人の女優が凄いとしか言いようがない。
カロリーネは、そのあまりにヤツレた様が時に老女のようにさえ見える。
目を見開いたままだったり、口をあんぐり開けたままだったりと、時に常軌を逸した表情を見せるヴィクトーリア・カーメン・ソネは、事件に至る前から見事なまでに不気味なのだ。
ダウマはといえば、正体が知れない恐ろしさを秘めていて、しかし包容力のある良母のようでもある。
トリーネ・デュアホルムの体当たりの演技は凄みさえある。
今も昔も、望まない妊娠は女性を心身ともに傷つける。
あの時代だと避妊具も発達していなかっただろうし、そもそも避妊の意識が薄かったかもしれない。カロリーネも妊娠してもいいと思っていた訳ではないだろうから。
だが、今日の糧にも困窮している状況で、望まれない子を産んだ母親たちは生きるために重い決断をせざるを得ないのだ。
この状況が一番恐ろしい。
はたしてこれは、昔話のファンタジーと解釈してよいのだろうか。
時と場所は大きく違い、社会的背景が全く異なっていようと、望まぬ妊娠に苦しんでいる女性はいるし、望まれないままに産まれてくる赤ん坊もいるのだ。
この映画の時代よりもはるかに成熟したはずの現代、妊娠・出産が女性のリスクでありつづける社会は異常なのではないかと感じる。
余談…
劇中、エーテルを水(か酒)に薄めて飲む場面がある。このエーテルでカロリーネとダウマはハイになる。
この当時は麻酔薬として使われていたのかもしれないが、容易に入手できたのだろうか。
Life can be beautiful
悪夢のような映画、ラストとキャッチコピーに異論アリ
女性の苦悩のひとつは、望まない妊娠だと思う
否、最大の苦悩と言ってもいい
妊娠は不可逆的なものだし
男性は一時の快楽で終わるものだが、女性は身籠れば十月十日不自由を強いられる
身体は醜くなり、髪は抜け、歯もボロボロになった挙句、出産という命懸けのイベントが待ち構える
その後、果てしない時間がかかる育児という災いを抱えるのである
望まない婚外での妊娠+貧困という、最大の災厄に遭遇したカロリーネ
間借りした最低の部屋の家賃を稼ぐためにも、身重の身体でキツイ肉体労働をせざるを得ない
そこに、WWIで顔面を酷く損傷した夫の帰還
(NHKの映像の世紀でも、負傷した兵士の顔貌のケアがこの時期から始まったと紹介されてましたが、正にそれに該当)
夫の不遇な存在を暗喩する、顔を覆うマスクから漏れる不快な呼吸音が彼の登場から鳴り響き、不幸の上塗り感を増す
(夫のまともな顔面は美男子にも見えるので、カロリーネが面食いならば、こんな夫は想定外なはず…)
陰鬱なスタイルの映像で、普通のシーンもホラーに見えるような独特の雰囲気に満ちた映画、終わらない悪夢のよう
とはいえどストーリー展開は早く、惹き込まれる
ラストもあの展開は納得できないというレビューもあるが、ダウマとシスターフッド的関係にもあったので、ダウマの心残り(イリーネ)を受け止めるカロリーネという筋でも良いとも思えるが、一方でこのラストはいかにも現代的な感覚の、観客に媚びた都合の良いオチとも思える自分もいる
(対面した二人が抱き合う姿が、お涙頂戴にも見える)
この当時の孤児院の環境の劣悪さは言うまでもないが、極貧状態の主人公がそんなお花畑的な発想をするのかという疑問も…
確かにラストに異論がありますね
また予告編は「その街では、よく人が消える」というフレーズで終えますが、これはストーリーから外れてませんか?(どなたかもレビューしてました)
実際の連続殺人事件をモチーフに、という解説だったのですが、確かに連続殺人ではあるけれど、少し違う気がします
女性の貧困というテーマは嫌いではないので、結果的には良しとしますが
モノクロ映像がリアルな雰囲気を醸し出し、とてもよく出来でいる映画。
実話を元にしている。冷静で冷徹で、モノクロ映像がリアルな雰囲気を醸し出している。とてもよく出来ている映画。
第一次世界大戦後のコペンハーゲン。世界に貧困が蔓延している時代。恋人に捨てられて貧困のために赤ちゃんを養子に出さざるを得ない主人公と、養子斡旋をする女性の話。
顔が戦争で滅茶滅茶になった男(元夫)の話も絡んでくる(いつも仮面をつけている)。
美醜、善悪など二元論で語りきれない題材をリアルに抑えた映像で描いてゆく。
養子斡旋をしていた女性は、実は殺していた。その彼女を酷いと言えるのか。貧困から堕胎できず、結局産んでしまった貧困の母親の子を「善意」で処理していた彼女(養子に出す母親には「正しいことをしたね」と伝えていた)は、罪悪感はあったようだが(モルヒネらしきものを常習して現実逃避的な快楽を得ていた)自らが信じる正義で、預かった子を何人も殺して来た。我々は、彼女を本当に一点の曇りもなく非難できるのか。
様々のことと考えさせられる題材を、緻密な画面構成で切り取ってゆく。モノクロの映像は美しさすら感じる。
ラストにちょっと救いがある(ただ何も解決していない)。
幸せになれなそうな気配
社会と女性の生きづらさ
紛れもなく鬱映画。でも私は勇気をもらったような不思議な気持ちになりました。
男性の権力がより強い時代に、夫や社長に振りまわされたカロリーネ。
葬られる子供達。
古今東西、女性の受難とは変わらないものだと思った。
多様性が認められる現代でも「子がいらないので、手放す」というのはなかなか憚られるもの。
産まざるを得なかった人、産んだけどいろいろな理由で育てられなかった人。子を持つことが必ずしも幸せに繋がるわけではない。
ダウマの行った行為は、親の最後の良心を踏み躙ることだが、いずれは誰かがやっていたことだろうとも思う。
裁判で最後にダウマの言った「私は誰も出来なかったことをやった」。
母親達に投げかけ続けた「あなたは正しいことをした」
その発言の全てが、絡まって、心に突き刺さる。
きっと生涯子を持たない私は、この映画を観て、勝手に赦された気持ちになった。
映画として気になった点は、
・カロリーネの身勝手さ。もう少し愛せる主人公だとよかった(わざとなのかな)
・美しい映像にこだわった結果、何かのマネのような軽く見える部分も多々あり(美大生の映像作品のような…)
・ラストシーンに繋がるカロリーネのエピソードがもう少し欲しかった
・全体的に、ダウマ以外の登場人物がやや薄っぺらく感じた
・予告編やコピーが内容とマッチしていないと思った
残酷な生と儚い死の狭間
第一次世界大戦後デンマーク。縫製工場で働くカロリーネ。貧困にあえぐ彼女は、借家を追い出され、恋人に裏切られ、妊娠の中、絶望の淵にいた。そんな折、表向きは砂糖菓子店、裏は育児放棄された赤ん坊の養子縁組の仲介をしている女ダウマと出会う。カロリーネはダウマの仕事を手伝うにつれ、彼女の恐ろしい真実を知ってしまうのだった。
モノクロ画とディストーション音は、残酷な生と儚い死の狭間を観客に想起させる。現代の価値観で測られない残酷さがテーマで、救いがない。仏教でいうところの「無間地獄」だ。詳細は避けるが、当時の市井の人々の語られぬ真実とその語られぬ社会の綻びを誰が縫うのか、そして背負ってしまった「夜叉」を誰が救えるのか、観客に問いかける。
救いと言えるかわからないが、主人公カロリーネは善人ではない。おそらく当時の価値観でも結構な「ガタピシ」さんだと思う。おかげで感情移入が出来ず良かったかもしれない。
映画としての完成度は非常の高いと思いますが、テーマが重く、残念ながら鑑賞後のスッキリ感はありません。幕が下りた後の劇場からの「持ち帰り割引ポップコーン」のCMに救われる、そんな一本でした。
モノクロが美しかった
戦争で夫を失った女たちの正しい選択とは?
本題に入る前に本作を見て思い出した
「火垂るの墓」のあるシーンについて触れたい。
両親を亡くした清田と節子は親戚の家で
世話になるのだが、
二人はそこの家庭の子供と食事の内容が
まるで違うというあからさまな差別を受ける。
では、この食事を出した叔母は責められるべきか?
きっとこの叔母は戦前は優しい人物だった筈だ。
だが戦争が彼女を変えた。
十分な食料があればこんなことはせずに済んだ。
大人になってから本作を見返すと
清田と節子を追い詰めた彼女もまた
戦争の被害者であることが分かる。
銃弾が飛び交う戦場を描かずして
生み出された反戦映画の傑作。
「火垂るの墓」がそう賞賛される理由が
僅か数分の食事シーンからも垣間見える。
本作「ガールウィズニードル」は
モノクロによるグロテスクな作風で
残酷な描写ばかりが話題になりがちだが
その奥にはこのような高尚な演出により
人間そのものを描き出すアプローチが見えてくる。
続きはnoteにて
ほぼ100%スタジオセットでの撮影で、Poland映画風ではあるけ...
ほぼ100%スタジオセットでの撮影で、Poland映画風ではあるけれど、やはり北欧出身の監督はシンプルを志向している気はする、それはそれで分かりやすくていいのかもしれない。
個人的には、テーマのわりにはぬるい印象しか残らなかった。音入れも冒険なく、妙な雑音を入れたりして映像を含めて小技ばかりが鼻に付く映画に仕上がっていました。
誰が正しいって!!
この映画のポスターには何かしらの”引力”があった。それでもしばらく無視していたが……やはり観てしまった。
根源的な深いテーマを投げかけられる。
ちびた石鹸で簡単に身支度を済ませる主人公。モノクロのリアリズムかぁと思いきや、こんなの映さなくても……の描写。バケツのトイレ、脱糞、放尿、風呂場で堕胎の試み、出血、そして出産、授乳まである。この女優の今後が心配。(愛のコリーダみたいに)
やはり、えーとこのボンボンは、こんなオカンがおったら結婚できまへん。経営者の頭もあるのにねーわかりそうなもんだけど。
帰還したカロリーネの旦那のくだりは”哀れをさそう”というより痛すぎる!
砂糖菓子店を隠れみのにするダウマが乳母車で行く先は、てっきり怪しい医者の所で、何かの実験用に乳児を売りに行くのかと思って、おぞましいカルト的な展開がよぎった。しかし、依頼者から金だけ取って殺して捨ててしまうだけ。『正しいことをしたね!』ダウマの常套句はもちろん、自分自身に言い聞かせるもので、常用するエーテルと同じく罪の意識を紛らわせるものだ。
『あんたらの出来ないことを代わりにやってやったんだ!』ダウマが開き直ると、”自称被害者達”が一斉に糾弾する。この対立に割って入って正論を操れる者は少ないだろう。
よくわからないのは、贖罪と悔恨の情が昂じたカロリーネが店に居た少女(ダウマの娘?)を養子に迎えるラストだが、いつそんな余裕ができたんだろう?いい服着てるし!見世物小屋の旦那の所へボロボロになってたどり着いた後の話が省略されてるのかな?
にんげんが、いる
にんげんの、いとなみがある
にんげんは、おもいついたことをなんでもやってのける
全編不穏
映画はいろんなことを教えてくれる
しんどい…
全109件中、21~40件目を表示












