劇場公開日 2025年5月16日

「キャリーの血」サブスタンス 蛇足軒妖瀬布さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5キャリーの血

2025年5月19日
iPhoneアプリから投稿

観る者に不快感や混乱を与えるかもしれない。

だが、
その不快感や混乱の中にこそ、
現代の閉塞感を打ち破るヒントが隠されている。

これは、単なる映画ではなく、
時代を映し出す鏡であり、

我々がどこまで「不都合な真実」を、
受け入れられるかを試す、
極めて挑発的なアート作品だ。

どういうことか?

具体的に触れていこう。

スラップスティック・スプラッター、
コメディ・ホラー、
サスペンス・パロディ、
どのジャンルでも括れない、
一見相容れない要素を融合させている。

もはやジャンルという安易な枠に収まりきらない、
しかし、
そのカオスの中にも明確な意図が見え隠れする。

オープニングでコメディを宣言し、
エンディングでその笑いを念押しするように提示する手腕は、

観客に「これはコメディ(パルプフィクション)である」という、
ある種の強制力をもって提示しているかのようだ。

だが、その「笑い」をどう受け止めるかは、
育ちも環境も思考法も異なる観客一人ひとりに委ねられている。

(真に観客の心を揺さぶる感動は、
監督の意図やプロデューサーの狙いによって直接生まれるものではない。むしろ、それは観客一人ひとりの心とスクリーンが織りなす、
まるで運命の赤い糸で結ばれたかのような、
個人的な「響き合い」からこそ生まれるby森繁久彌)

この突き放し方が、本作の魅力の一つと言えるだろう。

A24が一番、地団駄を踏んでいるのではないだろうか。

A24のように抽象に逃げず、
雰囲気でごまかさないで、

エグすぎる、
具体で真っ向勝負しているからだ。

デ・パルマ、キューブリック、リンチ、
ストッカード・チャニング主演「二つの顔を持つ女」
そしてヒッチコックの「めまい」の音楽といった、

大量の引用は、単なるオマージュの域を超え、
もはやパロディと呼んでも差し支えない分量だろう。

これらの引用は、過去の傑作への敬意と同時に、
それを現代のカオスの文脈で再構築し、

シニカル成分たっぷりに仕上げるという意図は、
本作の持つ独自のユーモアと批評性を際立たせている。

しかも、そのパロディ引用が、
決して安易なオマージュに終わらないのは、
高技術な見せ方に隙がないからだ。

例えば、

卵の寄り、口元のヨリ、
脊椎注射のヨリ、
チェーンソーのように振り下ろすハンドミキサー、

スクリーンいっぱいに埋め尽くされる、

その精緻さ、滑稽さ、シニカルさ、
パロディを、
端的に見せる徹底した計算が見て取れる。

そして何より、

本作が放つ最大のメッセージは、

現代社会にはびこる、
「さまざまなイズム、コンプライアンス、作品の鑑賞スタイル等々」といった、
行き過ぎた規制、意味のない自主規制、
〈安全地帯〉から発せられる言説等々への強烈なカウンターだろう。

ハーベイ(ワインスタインに象徴されるような映画界)のような目の前の敵はもちろん、
安全な場所から声を上げる人々に対しても、

本作はまるで「キャリー」のクライマックスで浴びせられる血のように、

生々しく、そして容赦ない「真実」をあらゆるシーン、

(もちろんあのシーンも)で浴びせかける。

その様は、まさに痛快の一言に尽きる。

不謹慎だと眉をひそめる者もいるだろうが、

その不快感こそが、

現代社会が忘れかけている〈インクルーシブ〉や
〈ダイバーシティ〉という本当の意味、
を大胆かつ衝撃的な方法で胸ぐらに突きつける、

作り手からの挑戦状なのかもしれない。

蛇足軒妖瀬布
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