「キャリーの血」サブスタンス 蛇足軒妖瀬布さんの映画レビュー(感想・評価)
キャリーの血
観る者に不快感や混乱を与えるかもしれない。
だが、
その不快感や混乱の中にこそ、
現代の閉塞感を打ち破るヒントが隠されている。
これは、単なる映画ではなく、
時代を映し出す鏡であり、
我々がどこまで「不都合な真実」を、
受け入れられるかを試す、
極めて挑発的なアート作品だ。
どういうことか?
具体的に触れていこう。
スラップスティック・スプラッター、
コメディ・ホラー、
サスペンス・パロディ、
どのジャンルでも括れない、
一見相容れない要素を融合させている。
もはやジャンルという安易な枠に収まりきらない、
しかし、
そのカオスの中にも明確な意図が見え隠れする。
オープニングでコメディを宣言し、
エンディングでその笑いを念押しするように提示する手腕は、
観客に「これはコメディ(パルプフィクション)である」という、
ある種の強制力をもって提示しているかのようだ。
だが、その「笑い」をどう受け止めるかは、
育ちも環境も思考法も異なる観客一人ひとりに委ねられている。
(真に観客の心を揺さぶる感動は、
監督の意図やプロデューサーの狙いによって直接生まれるものではない。むしろ、それは観客一人ひとりの心とスクリーンが織りなす、
まるで運命の赤い糸で結ばれたかのような、
個人的な「響き合い」からこそ生まれるby森繁久彌)
この突き放し方が、本作の魅力の一つと言えるだろう。
A24が一番、地団駄を踏んでいるのではないだろうか。
A24のように抽象に逃げず、
雰囲気でごまかさないで、
エグすぎる、
具体で真っ向勝負しているからだ。
デ・パルマ、キューブリック、リンチ、
ストッカード・チャニング主演「二つの顔を持つ女」
そしてヒッチコックの「めまい」の音楽といった、
大量の引用は、単なるオマージュの域を超え、
もはやパロディと呼んでも差し支えない分量だろう。
これらの引用は、過去の傑作への敬意と同時に、
それを現代のカオスの文脈で再構築し、
シニカル成分たっぷりに仕上げるという意図は、
本作の持つ独自のユーモアと批評性を際立たせている。
しかも、そのパロディ引用が、
決して安易なオマージュに終わらないのは、
高技術な見せ方に隙がないからだ。
例えば、
卵の寄り、口元のヨリ、
脊椎注射のヨリ、
チェーンソーのように振り下ろすハンドミキサー、
スクリーンいっぱいに埋め尽くされる、
その精緻さ、滑稽さ、シニカルさ、
パロディを、
端的に見せる徹底した計算が見て取れる。
そして何より、
本作が放つ最大のメッセージは、
現代社会にはびこる、
「さまざまなイズム、コンプライアンス、作品の鑑賞スタイル等々」といった、
行き過ぎた規制、意味のない自主規制、
〈安全地帯〉から発せられる言説等々への強烈なカウンターだろう。
ハーベイ(ワインスタインに象徴されるような映画界)のような目の前の敵はもちろん、
安全な場所から声を上げる人々に対しても、
本作はまるで「キャリー」のクライマックスで浴びせられる血のように、
生々しく、そして容赦ない「真実」をあらゆるシーン、
(もちろんあのシーンも)で浴びせかける。
その様は、まさに痛快の一言に尽きる。
不謹慎だと眉をひそめる者もいるだろうが、
その不快感こそが、
現代社会が忘れかけている〈インクルーシブ〉や
〈ダイバーシティ〉という本当の意味、
を大胆かつ衝撃的な方法で胸ぐらに突きつける、
作り手からの挑戦状なのかもしれない。
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。