「「ヘルタースケルター」かと思ったら「ザ・フライ」だった」サブスタンス tomatoさんの映画レビュー(感想・評価)
「ヘルタースケルター」かと思ったら「ザ・フライ」だった
若さと美しさを追い求めた女性が身を滅ぼすという話自体に目新しさはないが、年取った体と若い体の2つの体があって、1つの人格が、それらを1週間ごとに乗り換えなければならないという設定は斬新だと思う。
まるで昆虫が羽化するみたいに、年取った体の背中が割れて、そこから若い体が出てくるといった突拍子もないシーンも面白いのだが、出てきたのが若返ったデミ・ムーアではなく、彼女とはまったく別の顔立ちの女性であるところには、少なからず違和感を覚えてしまった。
ただ、こうしないと、若返った主人公に周囲の人間が疑念を抱いてしまい、物語が成り立たなくなってしまうので、これは、これで致し方ないのだろう。それに、顔が違う方が、年取った体の時と若い体の時とで、人格が別々になっていくという流れに説得力が生まれるので、逆に、この方が効果的だったのかもしれない。
特に、年取った主人公が若い主人公を妬み、若い主人公が年取った主人公を疎ましく思いながら、互いに相手に対する憎しみを募らせ、取っ組み合いの喧嘩(殺し合い)に至る過程からは、「人格は容姿によって決まる(のかもしれない)」という作品のテーマを垣間見ることができて興味深い。
エゴが暴走した挙げ句に生み出されるモンスターのグチャグチャ感は楽しいし、大晦日の特別番組での、血しぶき満載の阿鼻叫喚ぶりにも、突き抜けたような面白さがある。
その一方で、いくらデミ・ムーアの写真を顔に貼り付けているからといって、見るからにモンスター然とした主人公がステージに立てるのは不自然(「夢オチ」かと思ったら、そうでもなかった)だし、何よりも、あれでは、スーがエリザベスの変身した姿だったということが、劇中の登場人物に分からないのではないか?
ここは、スーが特別番組のステージに立った後、観客の目の前でモンスターに変身し、しかも、モンスターの正体がエリザベスだったとバレるという筋立てにした方が良かったのではないかと思えてならない。
それから、デニス・クエイド演じる下品で傲慢なプロデューサーには、もっと明確な形で鉄槌を下してもらいたかったと、少し残念に思ってしまった。
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