メガロポリスのレビュー・感想・評価
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ハッピーエンドには、もしかして深淵なアイロニーが込められていたのかもしれないが、私には解らなかった。
IMAXで鑑賞。ちょっと残念。豪華絢爛な映像は、デイミアン・チャゼルの「バビロン」ほどに露悪的ではなかったし、全体的に少々理屈っぽい。
見ながら、宮崎駿の「君たちはどう生きるか」を思い出す。どちらも今まで自ら作った映画の映像表現の相似形や形骸化した映像の羅列とでも言おうか。豪華絢爛ではあるけれど、以前のような表現に緻密さや精度がない。
何の制約なくフリーハンドで描ける状態は、イマジネーションが際限なく発展するが、まとまりがなく、伏線回収もされない状態に陥ってしまった。(ダスティン・ホフマンはいつの間にか出てこなくなるし)
結局、「映画を語る」のにタメが効かなくなり、「こらえ性」が無くなったようなストーリーだった。
しっかり作り込めば、もっとハラハラしたり、感動するのだろうが、もう緻密にストーリーを練ろうとする根気がないのかもしれない。作家としての万能感と裏腹に。
アダム・ドライバーは安っぽくて意外と良かった。相手役のナタリー・エマニュエルもいい。彼女はコッポラの趣味なのか、ウィノナ・ライダーと同じようにアメリカの女優らしくなく線が細く、肉食系ではない。かたやアダム・ドライバーの愛人役のオーブリー・プラザは金髪で肉食系でまさしくのアメリカ女優然としている。この対比は面白い。コッポラの女性観なのかも。(ちょうど「君たちは〜」で宮崎駿の理想の女性は母親だったことを吐露したのと似ている)
ハッピーエンドには、もしかして深淵なアイロニーが込められていたのかもしれないが、私には解らなかった(多分「時間を止める」ことに意味があるのかもしれない)。
見直すとすれば、IMAXで見る必要はないが、必ず劇場で見るべきだと思います。
(多分、自宅のモニターで見ると無茶苦茶つまらなくなると思います)
フリーハンドで創作すると、制約がある状態で創られたものよりつまらなくなる、という創作のパラドックス的な不思議さを思ってしまった。
すげえ映画!!
批評コメントを見ると、フェイク動画に騙される大衆頭悪すぎる。というコメントがちらほらあるけど、この映画はローマ劇を大元に作られているのだからそこを指摘するのはナンセンスではないかと思う。
乏しい知識ではあるけど、古代の演劇はお話優先で、リアリティを追求するのは一部の人物。大衆はただ効果音などと同じ環境として扱われる。
でこの映画映像だけですごく面白い。動画の質が粗くなったり、3等分になったりするし、色がとても鮮やかに描かれている。パステルカラーの街並みがあり、ニューヨークが非現実のものと思える。
メッセージ性は感動的
君がいないと何も創れない
こないだ鑑賞してきました🎬
アメリカをローマ帝国に見立てた壮大なストーリーですが、後半は微妙に分かりませんでした😅
カエサルが開発を進める
「メガロポリス」
は空想が現実になるほどの機能があるのか❓
カエサルの妻の死の真相は❓
最後まで見てもよくわからず😰
とはいえカエサルを演じるアダム・ドライバーが、眉間にしわを寄せて思い悩む演技は最早鉄板。
素なのではないかとさえ思います🤔
ナタリー・エマニュエル演じるジュリアとの仲の深まり方は、駆け足な印象ですが仕方ないですね。
ジャンカルロ・エスポジートは、カエサルと敵対するキケロ市長を濃い顔で好演🙂
なぜあそこまでジュリアと別れて欲しかったのか、いまいちわかりませんでしたが😅
オーブリー・プラザはカエサルの愛人ワオ🙂
今回は悪女役で、もともと鋭い目をしてるので違和感ない印象。
シャイア・ラブーフは、どうしようもないクローディオを憎たらしく表現してました😀
カエサルの運転手役をローレンス・フィッシュバーンが手堅く演じ、要所要所で光ります👍
この世界ではアーティストは時を止める力を持ってますが、それも肝心な時に使われず、若干消化不良になりました。
しかしコッポラ監督が私財をなげうってまで完成させた本作は、一映画人として見ないわけにはいきません🫡
惜しくもラジー賞を受賞してしまいましたが、それに対する監督のコメントは晴れやかで
「興収は所詮お金の問題に過ぎません」
とはっきり言えることに驚嘆。
映画もビジネスですから、赤字になるのは誰しも避けたいでしょう。
そんな中で、自分が作りたい映画を作ったコッポラ監督には、拍手を送ります🫡
SFが得意な人は、面白さが理解できると思います🙂
手を挙げずに会話しろ!
説教の様に語りかけるのだが、その方法を教えろっての! 話が通じない奴はどうパージすりゃいいんだ
で、結局文字通り吊し上げられているんだから、所詮暴力じゃん・・・
コッポラ監督最高の「自身」作
本作において前提としてお伝えしたいのは、フランシス・フォード・コッポラ監督が、莫大な私財を投じて創り上げた至極の作品である事が重要であると感じる。
そのため、通り一遍等な評価は正直難しいです。
大いなる実績と、それだけではなく自身の財産だけで創り上げた、まさに「自身の大いなる遺産と表現」を完成させた唯一無二の作品であるから。
同じことを成し遂げた監督は、他に知らないので。
それはまず伝えたいし、監督に敬意を表した上で、個人的な意見を記したい。
まずいきなり批判的な事で申し訳ないのだが、不覚にも物語の序章、開演後若干意識を失ってしまった(ウトウトしてしまった)。
壮大な世界観と、物語の大まかな雰囲気や流れは予測内だったので、主要人物の馴れ初めに少々ダレてしまった。
本作は大叙事詩。
当然、アクション性やエンターテイメント性は強くないので、「ダレて」しまう瞬間は少なくはない。
だが、非常に興味深く様々な考察が出来た作品でした。
個人的な作品に対する率直な思いは、
①戯曲的(シェイクスピア的)
②シャガール的
③社会風刺的
④現アメリカ政府に対する思いの表現
⑤未来に託す希望
……以上を感じた。
勢力争いから始まり、傲慢と欲望、喪失と希望、愛と転落、裏切りと逆転、再生と和解。
それら構図が、私の経験上は、多く朗読させていただいたシェイクスピアの戯曲が頭に思い浮かびました。
また、その中にシャガール的な映像表現なども感じてしまった。
なんと伝えれば良いのか難しいので割愛するが、あくまでも個人的な捉えとして、私の知るシャガールの人生と作風に重なった。
その中で、度々映像内にも載せられていたと思うが、大恐慌やリーマン・ショックなどの歴史的事件を感じさせる建物などが出現し、フィクションであるが現実の出来事を重ねている印象もありました。
また、リベラルな立場のカエサル、強硬姿勢的なフランクリン、虚像の権力に堕ちたハミルトン、ユダ的な立場のクローディオ、すべてを意のままに動かそうと悪女に堕ちたワオ。それらの思惑が複雑に絡み合い、正直、一回は破滅の勝利(カエサルの暗殺)に終わったが、そこから奇跡の復活により第二の物語、不義の失墜と対立権力の和解と未来への希望で終演。
その流れが戯曲的で、そして現アメリカ大統領に対するメッセージ性と、希望の復活の願いも込められているのではと、非常に勝手な妄想を膨らませてもらいました。
途中「クスリ」による幻想と怠惰的な表現は、少々よくある混沌表現なので少々ダレました。
また、結局のところ「メガロン」の存在が建築にはどの様に活かされたかが理解しきれなかった(メガロンの偉大さはカエサルの奇跡の復活に感じ、また、カエサルの描いた未来構図の現実としての稼働は、メガロンが無いとなし得なかったとまでは響かなかった。あのエスカレーターはメガロンの力かなと思いました。)。
ですが、最後は決別や破綻では無く、和解と希望で締めくくっての終演でしたので、最終的には様々な考察と監督の世界観を心地よく体感し、観終われた作品でした。
あと、タリア・シャイアさんが出演していたことが、非常に感慨深かった。
もしかしたら、コッポラ監督は、叶うなら他のキャスティングを思い描いてたのかもしれない……。
本作は、普通の作品とは「土俵」自体が異なると思うため、エンタメ性(万人受けする映画)としては星3.5ですが、フランシス・フォード・コッポラ監督の全てを込めた作品としては、文句無く星5です。
映画館で観れた事は、非常に意味があり良かったと思います。
わからないことだらけ
観終わった後、隣の初老男性が「1,300円損した」と言っていました。すぐにそう言い捨てることには躊躇しますが、とにかく、わからないことだらけの映画でした。
カエサル(シーザー)・カテェリーナやフランクリン・キケロ、ハミルトン・クラッスス3世など、古代ローマの錚々たる人物を彷彿とさせる登場人物の関係や歴史的背景がわかれば、少しは理解できるかと思いましたが、そんなこともなく、第45回ゴールデンラズベリー賞の最低作品賞にノミネートされたのもうなづけます。
いろいろなシーンがつながらないで飛ぶこと、「時」をコントロールすることが、物語のストーリーとどのように関係するのかがわからないこと、など本質的なところで、理解が追い付かないのです。
『キネマ旬報』に載っていた、フランシス・F・コッポラのインタビュー記事を読むと、「現代のアメリカは古代ローマと酷似しており、腐敗した民主主義がファシズムに陥らせないことは、政治家ではなく芸術家の使命であり、芸術家は常に時をコントロールしてきた」とあります。
言いたいことはわかるのですけど、残念ながら、映画を観ただけではそれは伝わってきませんでした。
『メガロポリス』──時よ止まれ、これは祈りと希望の映画だ
86歳のフランシス・フォード・コッポラが私財1.2億ドルを投じて完成させた “映像詩 × 超娯楽大作”。近未来〈ニュー・ローマ〉を舞台に、才能・政治・資本が利己へ傾いた瞬間に文明が瓦礫へと転落する様を、IMAXスケールのセットと時間停止VFXで暴力的に可視化する。バロック建築のような巨大都市、凍結した瓦礫を見下ろすドローンショット、管弦と電子音がせめぎ合うゴリホフの音楽──眼と鼓膜が歓喜する一方、観客の胸に残るのは**「これから人類はどう生きるのか」**という根源的問いだ。
◾️コッポラが投げかける核心はシンプルで深い
• 文明と利己心は必ず腐敗を招く。
• 対抗策は “愛” と “共有された未来ヴィジョン”。
• 倒れても立ち上がる信念と、夢に賭ける覚悟こそが未来を動かす。
この大命題を観客に届けるため、コッポラは“圧倒的に面白い”を先に用意した。巨大政争、ロマンス、暴動、カタストロフ──怒涛の快楽のあとで、いつのまにか思想の核心に引き込まれている構造が見事だ。
◾️「時よ止まれ」は監督自身の魂の叫び
作中最大のキーワード “Time, STOP!”。都市の時間が本当に静止するあの瞬間は、昨年逝った最愛の妻エレノアと共有してきた理想都市のヴィジョンを「映画という時間停止装置」に封じ込めたいという監督の祈りに重なる。エンドロール冒頭の献辞 “For my beloved wife, Eleanor” が、その証しだ。娯楽と哲学と私的ラブレターが一枚のフィルムに融け合う様に、ただ圧倒される。
◾️アダム・ドライバーという触媒
癖強監督御用達俳優の面目躍如。狂気とカリスマを自在に切り替え、物語のテンションを最後まで張り詰めた。「変態監督コレクター」の称号は伊達ではない。
◾️総括
娯楽であり、哲学であり、愛の告白でもある。それを2025年にこのクオリティで観られる奇跡。未来は想像する者の手にある──その力を信じろ。創り手の背中を全力で押す一本。
「ブレードランナー」が いかに洗練された美しい映像かを 再確認する映画。
以下ネタバレ
フランシス・フォード・コッポラが
40年をかけて構想したSF叙事詩、
ワイン用ブドウ園も売って資金を集めた
渾身作!!・・・だけど、
評判はよくない作品らしいという
インターネットの情報から
あまり期待値あげずに鑑賞しました。
「メガロポリス」というタイトルと
設定がSFとなれば
「メトロポリス」より凄い未来都市が舞台か!!
と思っていましたが
「メガロポリス」
の未来都市は
実際のニューヨークの景色を加工してる時点で
テンション高まらず、
1926年の「メトロポリス」の未来都市の方がときめくし、
2001年の「メトロポリス」の方がスケール感あるし、
コンセプトアートを分割した画面で見せる
曲線の多い未来都市風景は
オイルマネー国の都市計画の宣伝映像みたいだし、
期待値あげずに鑑賞したけれど
あまりにも都市描写が退屈で、
高層建築群の迫力ある映像美が
体験できず残念でした。
「ブレードランナー」のスピナーが飛行している
あのオープニングの「未来」の都市映像が
いかに洗練された美しい映像かを
再確認する映画鑑賞となりました。
高い場所でヒヤヒヤさせられる映像演技の、
カイロ・レン役の主人公が
理屈がよくわからない
まさに「机上の空論」の様子にて
都市を設計しているシーンは
コッポラが心配になる作劇でした。
「動く歩道」をキラキラさせても
「動く歩道」でしかなく、
曲線を多用した、
自然と共存しているような
どこかで見た架空の街を見せられて、
これは・・・
コッポラに意見や注意をする人がいない
イエスマン体制でつくられた映画という
印象でした。
「ベン・ハー」っぽいなんちゃって騎馬戦や
レスリングやサーカスも
何だコレ?感が強く、
白人美人の歩くファッションショーや
ミュージックビデオ的な歌手を見せられ、
「メガロポリス」は
娯楽のバリエーション少ないなと思いました。
ドラマパートも
メガロンというカタカナ4文字の発明品で
「天才」と紹介される
カイロ・レン役の主人公に共感する箇所がなく、
権力者の娘との恋愛も興味が続かず
コッポラに意見や注意をする人がいない
イエスマン体制でつくられた映画だなと再び思いました。
「メガロポリス」というタイトルにするならば
「メガロポリス」の外部の人を主役にして
主役とともに
観客が未来都市に驚く段取りで構成するのが
定石な気もしますが
フランシス・フォード・コッポラは
定番の段取りではない方法で描いた都市は
キラキラ加工した陳腐な実景にしか見えず
別に未来都市を描きたいのではないのならば、
「メトロポリス」の拡大版のような
タイトル詐欺すんなよなと
思ってしまいました。
タイトルなし(ネタバレ)
21世紀、米共和国ニューローマ。
貧富の格差は増大し、上流階級の暮らしは古代ローマのようだった。
有機的で自己再生可能な新素材「メガロン」の発明によりノーベル賞受賞の建築家シーザー・カティリーナ(アダム・ドライヴァー)は、新都市メガロポリス構想で市長フランクリン・シセロ(ジャンカルロ・エスポジート)と対立していた。
そこへ、シーザーの伯父で後ろ盾の銀行家クラッススIII世(ジョン・ヴォイト)や、シセロの娘ジュリア(ナタリー・エマニュエル)、野心的な女性金融ジャーナリストのワオ・プラチナム(オーブリー・プラザ)、シーザーの追い落としとクラッススIII世の後釜を狙う孫のクローディオ(シャイア・ラブーフ)が絡んでくる・・・
といった物語。
先に結論。
意外と面白かった。
古代ローマを模した物語・・・と聞いていたので、「古代ローマものとは相性悪いんだけど」と思っていた。
たしかに、クローディオを中心とした謀略部分は、案の定つまらなく、画面も過剰に派手で卒倒しそうになった。
(古代ローマを模した享楽・退廃ぶりは、フェリーニ映画の模倣か。『ベン・ハー』に似た場面も登場するが)
が、シーザーの、亡き妻への思いが見えて来て、「メガロン」の開発由来がわかる段になるとSFじみて面白くなる。
ただし、コッポラはSF要素の描き方は下手なので、「なんだか、よくわからない」のだけれど。
アベル・ガンス『ナポレオン』ばりに画面分割を多用しているが、縦長画面×3ではスペクタクルに欠ける。
これは残念。
少なくともビスタ×3で、一気に横長に拡張したかっただろうなぁ、と思うことしきり。
これならば「見世物」要素もさらに高まっただろう。
映画最大の弱点は、ニューローマと新都市メガロポリスの差異が、映像として差が少ないこと。
ニューローマのイメージとしては、硬質な石造りに、電飾。
それに摩天楼とスラムの対比。
メガロポリスは、有機的で自己再生可能なヌメリとした感じ。
こういう感じの視覚イメージだとわかりやすかっただろうが、冒頭から未来都市感があるため、新旧都市の対比が感じられなくなっている。
構想しはじめたのは40年前。
つまり、「提供」した『コヤニスカッティ』の都市崩壊のイメージが旧都市のイメージだったのではなかろうか。
予習で『コヤニスカッティ』を観ておけばよかった、と反省し、2日後に鑑賞した。
いくつかのイメージは、同作に通じるものがある。
かつてならば、旧都市はミニチュア、新都市はCGで・・・そんな感じでイメージング出来たかもしれないが、予算の関係もあり、両社ともCGで作れるようになってしまった。
なお、シーザーの「時間を止める」能力は物語にあまり活かされておらず、ストーリーテリングとしてはイマイチ。
と、まぁ、注文イチャモンは数々あれど、貶しきれないわけで。
意外と面白かったし、もう一度観ると、たぶん好きになるかもしれません。
分裂する評価
いやあ変なものを見た。低評価の所以もよく分かる。「ここ笑ってもいいの??え、ひょっとして真面目なシーン?さーせんさーせん」みたいなことの連続だから。でも、人類史とアメリカ史を重ねて“歴史に学べ”というのは老人としての真っ当な姿勢だと思った(しかし映像がオモロ寄りになってしまっている!あとなんか全体に万博のパビリオンで見せられる映像みたい!)。/コッポラはメガロンという物質そのものになりたいんだよね??メガロンとなって世界に遍在するコッポラ翁。などと想像して、なんか妙に切なくなった。
想像の斜め上をいきます
カルトなのかアングラなのか怪しげな作品な上に、アメリカ社会への批判なのか、内容が高尚すぎてちんぷんかんぷんでした
早く終わらないかなって思う作品は久々でしたね(笑)
あかん奴ですわ
予備知識0で何となくSFっぽいって感じで鑑賞→結果:大失敗。
天才建築家カエサル何とかは大富豪で銀行家の叔父の後ろ盾の元、ニューローマ市を(よくわからんw)画期的な物質メガロン?(メガロドン?)だかで理想郷建設の野心を抱いていたが、件の富豪叔父の不詳の息子?だか孫だかと、レディガガのバッタ物みたいな富豪叔父の財産目当ての新妻ワオwwの策謀なんだか事故なんだかよくわからん騒動の結果に暗殺未遂されーの敵対者キケロ市長の美人娘とネンゴロになって子供を作り、メガロン製のユートピアで大団円って話でした。
兎に角漂うB級臭に鼻がもげそうで何度帰ろうと思った事か。。。
キケロの娘が南ア歌手のtylaに似てて美人だったなー位しか褒めるところありませんでした。
予備知識0者の感想。
結果、途中退席しました。
終わり30分前くらいで・・・
本当は「28年後」を観に行こうと思ったんですが、
「28年後」のIMAX上映は無く、この作品が目に止まったので、
主演アダム・ドライバーで監督がフランシス・フォード・コッポラでタイトルが、なんか
とても仰々しい「メガロポリス」でIMAX上映と云う事で期待して観ました。
なんにも特筆すべき事が無く、起伏の無いストーリーが淡々と進みます。
あくまで現代の世界を架空の設定の世界に置き換えているだけなので、映像も
コレと云った面白さも皆無で、主人公が大した意味も無く、時間を止めたりしますが
何にも面白く無いので睡魔との戦いで、とても苦痛で「ウルヴァリン:SAMURAI」以来の
久し振りの途中退場・・・
The Legend
コッポラ監督が私財ぶち込んで作ったとんでもない作品。
チャレンジを続ける巨匠には頭が上がりません。
本国の評判は散々ですが、巨匠の作品をリアルタイムで触れれてない世代なのでそこんとこ感じるものが違うんじゃないかなという淡い希望を抱いて鑑賞。
肝心の内容はコッポラ監督が伝えたいメッセージ、やりたい映像表現を全部詰めでやっちゃってるので、中身はかなーり破綻していたかなと思いました。
映像面はド派手でギンギラギンなぐらい光り輝いてはいるんですが、凄い!とかカッコいい!とかよりもなんか古臭くない?となってしまうのが残念でした。
建物ガンガンぶっ壊してみたり、メガロポリスはコッポラ監督が描いた未来予想図が映像化されてんなーとは思ったのですが、セリフの引用が映画から書籍までとてつもなく多く、しかも見事なまでに触れてないやつばっかりだったので、深読みができるほど詳しくなかったのが残念です。
全体的にキャラクターの職業以外の立ち回りが謎すぎてうまいこと飲み込めず、それでいて結構なキャラクターが出入りしてはスケベェになっていたりとで、彼ら彼女らにメッセージをあてがってるだけでキャラクターの良さがどうしても見えてこなかったです。
コッポラ監督自身、マーベル映画の作りについての批判だったりはしているので思うところが沢山あった中でかつての構想に自分の考えをぶつけているので、盛大な物語を作りたいのか、内輪のメッセージを放ちたいのか、そこんとこがどっちつかずになってしまっていたかなとは思いました。
最終的にはハッピーエンドへつながっていくのですが、怒涛の勢いで3分割の映像で物事を進めていき、次世代へバトンを受け渡して時を止めたれ〜!という突っ走った感じについていけるかどうかで最後の解釈も変わってくるんだろうなと思いました。
自分はしっかり振り落とされました。
まぁコッポラ監督のやりたい事をやり切ったというところでは映画人として幸せだろうなとは思いました。
奮起してまた次回作を撮ってくれたらしっかり観にいくと思います。
鑑賞日 6/23
鑑賞時間 12:10〜14:30
とにかく壮大
コッポラ監督がどうしても撮りたかった映画。
ジャンル何になるんやろ?
近未来のような過去のような美しい映像に、人間ドラマ、政治、SF、歴史全部含まれてる感じ。
このメガロポリスは、映画というかコッポラ監督が目指してる世界なんやろなと。
ぶっちゃけ面白いとか面白くないとかどうでもいいぐらいすごかった。
凡人が評価したらあかんのかなと。
IMAXで観て大正解!
俳優陣もやばかった。
アダムドライバーは相変わらずかっこええし、ナタリーエマニュエル美しすぎた。
最近ジャンカルロエスポジードですぎちゃう?
この人どの演技も凄すぎてやばい。モーガンフリーマン悪役版って感じ。
存在感半端なくて最近めっちゃ好きやわ。
監督の憂いが前面に感じられた。
正直これはコッポラ監督が見てきたアメリカの上流社会を転換してこれからの未来に期待しつつも憂いている作品に感じる。私財を投げ売っているからには、言いたい事を前面に入れすぎたため、どこか説教くさい親父作品になってしまったようにも見えた。
でも、僕は好きですよ。飽きずに最後まで観れましたし、自分も同じような想いを抱いてます。ただ、自分なんかは下層階級の人間だし、見る人もほとんど庶民だから、こう言う世界があるのはわかるが、感情が入り込めるわけはないよね。コッポラ監督もこういう上流階級の人々のいざこざを散々見てきて、しかも大迷惑を掛けられたから、作った作品に見えた。
これは、逆にSFにしないで、ゴッドファーザーのように実録的に作れば評価も高かったんじゃないのかなぁ?そうすると、どっかの組織に殺されちゃうのかなぁ?
なんとなく、黒澤監督の「夢」を観た時の後味にも似ている気がして、そっちの影響も実はあるんじゃないのかぁと邪推している。
ラストの赤ちゃんに全面的に未来を託すのは、正直良くないなと思いました。未来に希望というのはいいけど、こんな世界にしたのは、ここまで生きてきた僕達であって、そこは僕らが責任を取らないと行けない結末にしないとならないのではないでしょうか。
まとまりのない社会、人々、脚本。
鑑賞後の第一声は『これは…ウケないわ』。
いつも通り初めに総括すると、全体的にちぐはぐしていて乱雑。この話は他の監督が撮った方が映画としては面白くなったと思う。が、もはやエンタメとしての映画ではなくコッポラ監督ならではの芸術としての映画とみるならば唯一のもので(当たり前ではあるけど)、ユニークな体験ではあった。
では、以下で少し考察を。
まず映画は、主人公カエサルが時を止めるシーンから始まる。この能力がまず分からない。観ていくとカエサルは一度この能力を失うのだけれど、恋人の支えで立ち直り、再び発現させる。そこで『天才の閃きやクリエイティビティのメタファーなのかな?』と思う。ラストで恋人が時を止めるとカエサルも恋人も止まり、二人の赤ちゃんだけが止まった時の中で動く。今度は『これは未来の可能性(またはそれが実現すること)のメタファーだったのかな?』と考える。
でもそれがどうして『時を止める』必要があるのかがわからない。
作中に登場する新物質『メガロン』も謎。しばしば危険性が指摘されているっぽいのだけれど理由やどういう影響があるのかはっきりしない。途中主人公が銃撃され大怪我を追い、その治療のためにメガロンを体に埋め込むのだけれどそれが何の意味があったのかも謎(医療分野で活かそう、ってなってもよさそうだけど、まるでなかったかのように扱われている)。奥さんの髪を埋め込むことになんの意味が? ロマンチズムだけ?
テーマはおそらく『『理想の社会』という実現される形があるのではなく、すべての市民が『あるべき社会』について考え、話し合い進歩していくことそのものが理想への道』みたいな、至極真っ当なものだと思うのだけれど、主人公と市長の対立、後援者である銀行頭取の跡継ぎ問題、主人公と市長の娘とのロマンス、主人公の元妻の死の秘密などテーマと乖離した多くの要素が挟み込まれ、そのテーマを十分に掘り下げているとは思えない。その上話の軸が動き回るので非常にテンポが悪く、正直長く感じた。
結果として息子が当てにならない頭取は主人公にあっさりと財産を譲り、市長は娘に説得されてこれまたあっさり主人公を認める。移民・貧困といった社会的分断という要素はテーマを忘れないためにセレブ・サスペンスに添えられているだけにすら思える。うまく扱えば普遍的テーマになったのに、これでは現代風刺にも至っていない。
主人公の主張も夢想的で、現実に即しているとは思えない。『大事なのは問題解決ではなく問題提起です』という言葉に表れているように、『時とは? 勇気とは? 宿命とは?』と市民に問うが、それが示されることはない。自分の都市開発のせいで今日寝るところがないという人々を直視しているのかすら怪しい。そんな人に莫大な遺産を与えて大丈夫か? むしろこの自分の理想を最優先する夢想家が民の敵になりうるのでは?
どうも常に観客とは一線を引き、拗らせているような印象が拭えない。アダム・ドライバーの演技が悪いわけではないが、ちょっと体格が立派すぎるのも気になった。ラストの舞台映えはすごくするのだけれど。
画面に関しても、すごくお金をかけて豪華に、かっこよく仕上げたシーンもある一方で、80年代のようなチープ臭い(意図的なものではあるのだろうが、鼻につくレベル)部分もあり面食らった。
一緒に見た友人は『もしかしたら何年かしてカルト映画として人気が出るかも』といったが、そもそも構成が悪すぎて一貫して評価できる部分が無い。40年こねくり回した脚本はとっちらかって一徹した世界観にも乏しく、『2001年宇宙の旅』などのような未来への予見、といった部分もないので厳しいだろう。
絶対に他の監督が撮った方が面白くなったとは思うが、コッポラゆえの独自性は十二分に感じた。観たいのはそれだったので一応満足。ここでこれを観ておけたのは良かった。
メガロポリス
以前動画サイトである評論家が、コッポラの作品はいつも映画的なナニかを宿しているみたいな(原文のままじゃない)ことを言っていたけど、自分もそう思うし本作も正にそんな作品に思いました。
愛する人を失った男(アーティスト=建築家)が枯渇しつつある神通力をある女性との出会いによって再び力を取り戻し…、
ってところまで感覚的に入ってきましたが、中盤以降はなにか国を憂いてるのでしょうか?少し説教臭い気もしましたが、あまり考えずに押し寄せる映像を楽しみました。
特に前半は、今のコッポラ自身の身の内を真正直に明かしているよようで素直で正直な作品に思えました。
なんだか豪華な学生映画みたいで、映像作りを楽しんでいるような感じが伝わって来ました。
刺激的でチャレンジングな作品です。
解らないだけで唾棄できません。
アメリカ共和国にはニューローマ以外の街もあると思うので、さっさと移住したほうが良いよね
2025.6.23 字幕 MOVIX京都
2024年のアメリカ映画(138分、G)
架空の都市を舞台に理想派と現実派の対立を描いた寓話的SF叙事詩
監督&脚本はフランシス・フォード・コッポラ
原題の『Megaloplis』は劇中の翻訳で「新都市」
物語の舞台は、第3000年期の21世紀のアメリカ共和国にあるニューローマ
天才建築家として名を馳せるカエサル・カティリナ(アダム・ドライバー)は、新しい建築素材メガロンを発見したことでノーベル賞を受賞するに至っていた
彼は、かつての遺恨から現市長のキケロ(ジャンカルロ・エスジポート)と犬猿の仲で、都市開発に関する方針でも真逆のスタンスを取っていた
キケロは市民にも恩恵が出るようにとカジノ構想を打ち出す一方、カエサルは新都市を再構築すべきと打ち出していて、今ある体制を1から見直そうと考えていた
既得権に凝り固まった富裕層がそれを支持するはずもなく、キケロのフィクサーでもあるナッシュ(ダスティン・ホフマン)はメガロンは危険物質であるという風潮を流そうと考えていた
キケロには自由奔放な娘ジュリア(ナタリー・エマニュエル)がいて、彼女は父親に反抗的なスタンスだった
彼女はカエサルが持つ時間を止める能力に気づいていて、停止の中でも自由に動けていた
その後、カエサルの新都市計画に心を打たれたジュリアは、彼との交流を深めていくようになった
カエサルには行方不明の妻サニー・ホープ(ハーレイ・シムズ)がいて、彼女の失踪時の検事を務めていたのがキケロだった
キケロは殺人事件としてカエサルを有罪にしようと目論むもののうまくいかず、それが遺恨として残っていて、ジュリアはその真実に気づいてしまう
さらに、カエサルの元愛人のワオ・プラチナ(オーブリー・プラザ)はカエサルに愛想を尽かして、クラッスス銀行の頭取ハミルトン(ジョン・ヴォイド)を拐かして結婚へと漕ぎ着ける
その動きを不穏に思ったカエサルのいとこクローディオ(シャイア・ラブーフ)は富裕層で起きていることを暴露し、市民を扇動する動きを見せていく
そして、カエサルが少年に撃たれるという事件が勃発してしまうのである
映画は、寓話にして叙事詩ということで、ローマ帝国の状況を新しいアメリカに準えているというテイストになっている
人類の敵は文明であるという有名な言葉などを所狭しと濫用し、名言会話遊びなんているものも展開される
ある意味、そのあたりの教養ありきで話が進んでいるのだが、深い会話のようでいて浅い感じがしていた
自分の言葉ではなく、他人の言葉を使って自分を上げようとするのは小物がすることであり、そう言ったことでしか自分を誇れないキャラが多すぎる
なので、全員がモブに見える感じで、誰にでも伝わらない言葉を発する人は支持されないんだろうなあと思っていたら案の定という感じになっていた
ある意味、貧困層を駆逐して富裕層だけの街を作ったのがニューローマだと思うのだが、それの行き着く先というのは限界がある
その中で現市長が掲げるのがカジノ構想というほとんどの市民が楽しめない施設を作るところが頭が沸いている感じに描かれていた
それとは別に、新しいニューローマを作ろうと人々を煽ろうとするのがカエサルなのだが、映画ではカエサル側が支持を受けているように見える
でも、実際には金融を牛耳るクラッススが彼を支持するから実現するわけであり、結局は市民をいくら鼓舞しようが、富裕層の顔色と財布を当てにしないと何もできないと言っているのと同等だったりする
そう言ったところからお金が流れて、職を持たない人たちがありつけるというのなら意味はあるのだろうが、そう言った現実的な話は傍に置いている感が凄い
結局のところ、理想論を綺麗なビジョンで見せて終わり、みたいなところがあったので、現実的には何の変化も促さないだろうし、むしろ「夢を語る奴は全員クズだよ」と言っているようにも思えてしまう
映画として面白いかと言われれば微妙で、未来都市感もあまり感じられず、小学校の時に見た雑誌の方がワクワク感があった
結局映像として出てきたのが「動く歩道」みたいなもので、今日梅田で歩いてきたわと思ってしまって、現実離れができなかった
カジノVS新都市構想というバトルはどこかの都市で見たような気がするが、全てうまく言っていないところも寓話なのだろうか
全力で支持をしている皆様に見えているものは違うと思うので、そういった変化が一般市民にも影響があれば良いのだが、実際には映画のように蚊帳の外になるんだろうなあと思った
いずれにせよ、スクラップ&ビルドができるのはフィクションの世界だけで、現実的には修復と修正を促しつつ、少しずつ理想的な街並みにしていくしかないと思う
そう言ったきっかけとしてソ連の人工衛星の墜落などがあったりするのだが、このような強制的なスクラップが寓話として登場するのは、すでに道はないと言っているようにも思える
カエサルがどんなに素晴らしい夢を語っても、そこに誰もが住めるわけではなく、それを維持していくだけの民度も必要になってくる
それを考えると、富裕層のための楽園を作るためだけに低賃金でおこぼれを与えるだけの世界にしか過ぎないので、冷静な人は関わりを持たないだろう
映画では、フェンスにひしめき合って眺めている子どもたちみたいなショットがあったが、現実だと「猿山の猿を観察している」ようなものなので、360度全方位から一気に放火されたら終わるんじゃないかな、とか余計なことを考えてしまいましたねえ
ニュース映画
いやあ、めちゃめちゃタイムリーな作品でした。コッポラが一番ビックリしてるんでは。今TVニュースで自分の映像が流れてるんですから。星条旗を持ったアメリカ唯一の「キング」のシーンにはビックリと共に大笑いしました。内容はコッポラらしく揶揄、皮肉のオンパレード。母親のワニのセリフは爆笑でした。歴史に興味が有れば、登場人物の名前から話が分かりやすいんでは。映像が素晴らしかったです。ラストの赤ちゃんシーン、人それぞれのとらえ方が。
「地獄の黙示録」撮影記録のエレノアさん、残念です。
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