メガロポリスのレビュー・感想・評価
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理想主義者のコッポラ監督が巨費を投じて創造した映像世界、まずは理屈抜きで浴びてほしい
本作については当サイトの監督インタビュー記事を担当させていただいた。今回は4媒体合同で25分、個別で10分というごく短い時間でのやり取りだったこともあり、もっといろいろ聞いてみたかった思いは残るものの、本編鑑賞後にでもインタビューを読んでいただけたらありがたい。
「メガロポリス」日本公開にあたりコッポラ監督は多くのメディアのインタビュー取材に応じたようなので、時間があれば複数のインタビューを見聞きするなどして監督が込めた思いなどを詳しく知るのもいい。ただ、事前に情報をあれこれ仕入れて臨むより、まずは理屈抜きでコッポラ監督が創造した壮麗かつ濃密な映像世界に飛び込み、全身に浴び、体感してみもらえたらいいなと思う。
本編138分で、一度の鑑賞ですっきりと理解できるようなわかりやすい話ではない。記事の冒頭でも触れたように、監督は共和政ローマ時代に起きた史実から本作を着想し、古代ローマと現代のアメリカを重ね合わせた大都市ニューローマを舞台にしている。共和政ローマの歴史や政治について知識があればより詳しい解釈もできるだろうが、分断のない未来を夢想するコッポラ監督のメッセージに触れて共感するのでももちろんいい。
数日前にNHKで放送されたインタビューで、コッポラ監督は「今のアメリカには学ぶことなど何もない」、つまり現状はそれだけひどいと怒ったように話す姿が印象的だった。そしてきょう6月22日には、アメリカがイランの核施設を空爆したことが報じられた。「分断できない1つの地球」という理想からますます遠ざかる世界に、コッポラ監督は人一倍心を痛めているに違いない。
これからの世界
コッポラ監督の映画表現に対する飽くなき探求心を感じる。そして、ラストシーンに、次世代に希望を託そうとする監督の気持ちを感じた。しかしその一方で、どうしても心に響いてこない、主人公に魅力を感じない。
次世代へ思いを託す作品としては、宮崎駿の『君たちはどう生きるか』と共通するものを感じる。あちらも取っつきにくいが、伝わる熱量と引き込む力は非常に大きかった。だが、メガロポリスにはそれを感じることができなかった。
何故なのか、思いつく理由は2つ。1つ目は、オープニングや宙に浮く鉄骨(?)のシーン等、印象に残るべく作られたシーンが空回りをしていること。撮影風景が目に浮かんでしまい、高所にいると感じられない上に少し滑稽にも思えてしまう。
もう一つは、私がこの映画の対象ではないと感じてしまったこと。シーザーが作り上げる街に自分が住むイメージが全く沸かない。この作品に出てくる庶民は、トランプに扇動されて議会を襲撃してしまうような者達だけだ。しかも彼等は最後には煽動者を吊るしてしまう程に愚かで野蛮。恐らくシーザーの新都市は、彼らを棲家から追い出して更地にした跡地に建設されるのだろう。大きな主語で理想を語りつつ、結局は彼のお友達であるお金持ちとその使用人だけの街が出来上がるのが目に浮かぶ。
監督がシーザーという英雄であり独裁者の名前を主人公に何故与えたのか。そしてこの主人公を肯定的な意味で作ったのか、シニカルな意味で作ったのかは分からない。ただ、この映画を観てアメリカの分断の根深さと、トランプが2期目に返り咲けた理由を感じることが出来た。
フランシースフォード・ホドロフスキー・コッポラ
ホドロフスキーのようなカオスと不思議な寓話のような映画。
宮崎駿の「君たちはどう生きるか」
黒澤明の「夢」
みたいな作品だと言えば分かり易いだろうか?
巨匠年取るとこういう作品を作りがち。
しかし、ただ単に意味がわからないだけでは無く、老兵の気概のようなものは感じて迫力はあった。
何だろうこの違和感
きめ細やかにー恐らく動作一つをとっても台本に書かれているのではないかと思うほど細かい演技をしている。(思わせぶりなだけかもしれないが)そのおかげか情報量多すぎて一回では理解できない。でも非常に疲れるので2回見たいとは思わない。
と、作りこみや映像はすごいのだがストーリーが謎すぎるほどつまらない。
疲れるうえに興奮の全くないプロットと、なかなかにお勧めできない。
55歳以下なら9.5割の人がフェイクだろうと思うような動画に警察までも騙されるとか、よほどリテラシーの低い製作者なのか見る側をアホだと思ってるのか。
さすがに3000年に紙の新聞はそんなにたくさんないよ。
中学生の考えるような世界観はよいのだがディテールがことごとく年寄りくさい。
コッポラ主催の宇宙規模のパーティに今回2度参加しました
世評はすこぶる良くないです。最寄りのロードショー館で、1週間での打ち切りを久々に体験しました。ゴールデンラズベリー監督賞にも選ばれていますし、やっぱりさもありなんなのでしょうか?
79年の「地獄の黙示録」は大傑作ですが、当時は賛否両論あり、「ワン・フロム・ザ・ハート」や「コットン・クラブ」でも巨費と作品の出来について、とやかく言われました。2007年の「胡蝶の夢」あたりから、コッポラはもはや異次元に行ってしまってるので、今更観客に寄り添って映画を作ろうと思ってはいないはずです。
メッセージを読み取るとか、暗喩やオマージュを探るのもありなのですが、巨匠による21世紀最大の私財消費イベントに、映画ファンとして敬意を表して参加するぐらいの感覚でよいのではないでしょうか。
上映時間も138分と苦行レベルの長さではないですし、権力抗争に関わるストーリーの本筋は意外と単純だし。
でもトランプ映画関税の発案者ジョン・ヴォイトが、ロビン・フッド役で分断を阻止するのはとても笑えます。
古代と未来の融合に見る堕落と救済の寓話
21世紀、アメリカ共和国。腐敗した支配階級によって荒廃した大都市ニューローマを都市計画局局長で天才建築家のカエサル・カティリナ(アダム・ドライバー)は、自ら発明した新建材メガロンを利用した新都市構想“メガロポリス”を提唱して再建をめざす。一方、新市長フランクリン・キケロ(ジャンカルロ・エスポジート)は、直面するニューローマの財政難という課題を現実的に解決しようと、カジノ建設を計画しカエサルと真正面から対立する。
時代設定と情景描写は
バベルの塔を想起する
本作の時代設定と情景描写の視覚的表現は、過去と未来、古典と革新の緊張関係の中に存在している。現実のニューヨークの象徴的な建物(クライスラービルなど)と古典的なローマ建築の要素を融合させることで、人間の傲慢さと創造性の両面を視覚的に表現しているようだ。主人公カエサルがクライスラービルの最上階に位置するアールデコ様式のスタジオからニューローマを見下ろす描写は、創世記のバベルの塔の物語を想起させられる。
古代と未来の融合という情景描写でけでなく、彼らの対立が単純な善悪の二項対立ではなく、両者とも完全に潔白でも完全に邪悪でもない複雑な描写がなされている。また、その対立の根底にある哲学的対話へと注目を向けさせる。
一例を挙げれば、カエサルがより良い世界を創造する必要性を情熱的に主張するのに対して、キケロ市長が「すべてのユートピアはディストピアの可能性を内包している」と鋭く反論する場面は、この映画の核心に迫る瞬間でもある。また、カエサルの恋人でもあるキケロ市長の娘ジュリア(ナタリー・エマニュエル)が、ストア派哲学者マルクス・アウレリウスの言葉を引用して父親の主張を補強する場面は、神の啓示なき世界での哲学的知恵の限界を示しているようにも見えて印象に残る。
「メガロポリス」のメッセージは
「神なき救済の不可能性」か
コッポラ監督は、共和政ローマの政務官ルキウス・セルギウス・カティリナ(BC.108ごろ~62年)が国家転覆を計画した『カティリナの陰謀』に関する本を読んだのをきっかけに構想40年かけ自らプロデュースして作り上げた一大叙事詩。その壮大なスケールと野心にもかかわらず、人間中心のユートピア構築の限界を示す本作は、意図せずして「神なき救済の不可能性」という重要な神学的真理を例証しているとも言えるだろう。古代ローマ帝国と現代アメリカの重ね合わせは、人間の本質的な罪深さが時代を超えて変わらないことを示しているメッセージのようにも聞き取れる。
イメージの奔流
つまらなすぎ
まさに巨匠の作品
亡きエレノア夫人に寄せる思い
コッポラ監督が、経営していたソノマのワイナリーを整理してまで、製作に漕ぎつけた、近未来のアメリカを舞台にした映画ながら、難しいと思った。3点に要約できる。
まず、我々にはなじみが薄いローマ史の理解が必要、哲学者キケロと彼が執政官の間に起きたカティリナによる政権転覆事件。これが第一層。
第二に、ローマで起きたことが植民地としてのアメリカに持ち込まれる。「地獄の黙示録」の図式。植民地ニュー・ローマ(NYを思わせる)では、ローマの矛盾が拡大する、社会構造の分離・格差。ただし、重要な変更が。キケロは現実重視の市長に。主人公カティリナは、理想派の市・都市計画局長に、カエサル(シーザー)・カティリナとして(ただし、ローマ史では、キケロは、必ずしもカエサルと対立したわけではない)。これが第二層。
さらに、カエサルが新建築素材を見つけてノーベル賞を受けたり、衛星が地球に衝突したり、多くのエピソードが洪水のように出てくる。しかも、彼の叔父の資本家クラックス3世と、その出来の悪い息子をはじめ、さまざまな親族とその関係者も。特に、主人公の前の恋人ワオが、クラックス3世の妻に収まるが、これが、カエサルの新しい妻になるキケロの娘ジュリアと似ているんだな(髪型は違う)。この三層構造を一回で判れと言われても。
混沌としたストーリーの進む中、心に残るのは、主人公カエサルが亡くなった奥さんサニー・ホーム・カティリナに寄せる思い。コッポラ監督のエレノア夫人に対する愛情を反映しているのでは。それから、すべての人々に長い命、正義と教育を、というメッセージ(ただし、いまさら感あり)。
日本に対する好意の表明も。Japan Unitは、おそらくローマ風の競技場で行われた格闘技に関与したのか、グレコ・ローマン・スタイルのレスリングには見えなかったから。カタカナ書きのプラカードや、サヨナラのセリフも。
では、最初から知識を以って観たらよいかと言えば、映画を最後まで観るには、興味を持ち続ける必要があるので、難しいところ。
未来の古典文学
冒頭から荘厳な画面と、ニューローマという設定、
人々の服装や建物などの美術がとても魅力的で引き込まれる。
正直最初の方は自分の良く知るエンタメ作品と違う雰囲気で
どのモードで鑑賞すれば良いのか戸惑ってた。
時間を止める能力も自分も止まるのか?そのあと動けるみたいだけどビルから落ちないのは何で?規則が良く分からん!と
マーベル作品を観るような感覚が抜けていなかった。
しかし市長とカエサルが直接対立する都市の模型のシーンで少し見方が変わった。
何かリアリティが無いな、セリフも演劇調だしと思いつつ
とにかく謎に足場が不安定すぎるのが超気になってた。
お年寄りも多いからムダにハラハラ…
でもここでふと"これはニューローマの現状の不安定さを表現しているのか?"と深読みし始めた。
ならこれは表現主義的な映画という事だから、画面で見せられる事もリアリティというよりキャラの感情や立場を象徴している意図的な絵造りだし
キャラクターも何かを象徴しているから生身の人間ぽさは薄めなのか?
と、勝手にこの映画を観るモードがカチッと固定された感じがした。
(合ってるかは分からない…)
特に印象的だったのは
金持ちたちの豪華絢爛さを表現する結婚式のシーン。
戦車あり音楽ありで本当にすごかった。
あとカエサルと市長の娘がカップルになってから
事務所で都市計画を練る様子が楽しそうな感じ。
スタッフの女性をみんなで持ち上げてるのとか何してんのか全然分からないけど、何か面白い。
ストーリーの展開の意外性で感情を揺さぶるようなタイプの映画では無いけれど、
とにかく各シーンに監督のアイデアが詰め込まれていて
豪華な空間のシーンもあれば、シルエットでグラフィカルに見せるシーンもあれば、光がひたすら美しい情景…と
何千枚も絵画を観ている様な感覚。
それが新鮮で飽きずに終始楽しく観れた。
そして最後は未来を担っていく世代のために、
対話によって良い世界を作ろう!という前向きなメッセージ。
この一見ありきたりなテーマ、でもそれが出来ていない今の世界情勢を考えると、
コッポラが私財を投げ打って送り出したこの映画をしっかりと受け止めたいと思った。
監督は自分のイメージを、
A302 ワオおばさん、ってなんか語感が面白い
2025年公開
欧米人は栄華に憧れる。その最たるものが古代ローマ。
文明が極限まで熟した、しかしこれは最後の輝きを放ち滅亡へと向かう。
サテリコン/フェデリコ・フェリーニ
コッポラってまだご健在でしたんですね。
ローマという言葉を使ったのはおそらく最高の栄華という意味を
なぞらえたものだと思う。
その中で一族をどう未来永劫的なものにするか。
子どもにジェームズカーンみたいな奴や
アルパチーノみたいな奴が出てくるのはお約束か?
にしても最初は入った映画間違えたか?と思うくらい
テイストが古いように映る。
あーアダムドライバー出てきた。よかった間違えてないわ。
しかし彼の出演ですぐ見たい、と思うのはアカンのかな
テーマは重いが少なくとも面白くはない。
ローレンスフィッシュバーンが出ると締まるけど
なんとなくネオと絡んでる感あり。
しかし時を止めるのが武器になったことってあんの?
ワタシが寝てた時に活躍したの?
メガロンもそやね。
雄大な抒情詩的な物語は好きなので退屈はしませんでしたが。
感想もまとまりがないなあ(笑)
音楽は雄大だったですね。
60点
鑑賞 2025年7月2日 アップリンク京都
配給 松竹
全117件中、1~20件目を表示
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