メガロポリスのレビュー・感想・評価
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物語を引っ掻き回す馬鹿が気に入りました。
ニューヨークを架空のローマ帝国に見立てて、コッポラ自身の人生を投影し、彼の経験や知識、未来への希望などを詰め込んだ作品。
架空の世界とはいえローマ帝国を下地にしている為、どのキャラも大変魅力的に描かれておりました。
端役にすぎない馬鹿な孫娘たちでさえ画面の隅っこでポーズを取らせたり、車の上でアホ丸出しの踊りを踊らせたりと画面を効果的に使ってキャラを深掘りしていく事に余念がありませんでした。
個人的にはシャイア・ラブーフが演じたクローディオが大のお気に入りです。
物語を引っ掻き回す馬鹿として描かれており、彼の存在が架空都市ローマの雰囲気を醸し出す事に一役も二役もかっていたと思います。
天井桟敷のようなセットで市長とカエサルが演説し合い互いを罵るシーンなどはローマ帝国の評議会を思わせるし、銀行頭取の結婚式はローマのコロッセオそのものでした。
ですが、そこでも人物描写がものをいっておりました。
ヨボヨボになりながらも、喜んだり、叫んだりするジョン・ボイドに数々の映画で描かれてきた権威しか残っていないローマ皇帝の姿が被ってしまいました。
大スターたちが繰り広げるローマ帝国興亡史。
その実、監督の死生観を全面に出した作品となっているので監督の映画作品よりも監督自身に興味を抱くコアな人が楽しめる作品だと感じました。
点数のつけようがない。
コッポラ監督、"晩節を汚す" 映像の魅力のみで物語にも人物にも没入せず・・★2.8
名監督、"晩節を汚す"
まあ悪い事をした訳ではないので、汚すは失礼かもしれないが、巨匠としての評価を大きく落とすことになったのは間違いない。
まるでコッポラの"映像アイデアショー"という感じで、物語を堪能出来る作品ではない。
とにかく断片的で散漫で、物語にもキャラクターにも感情移入出来ない。
視聴後Wikiチェックすると、「アメリカの街を再建しようとする天才建築家」と記載あるが、「えっ!建築家だったの?」と声が出てしまった。 映画にそこそこ精通してる者が観ても主人公の職さえ明確に描写されていない・・。
序盤からどういう方向に物語を進行しようといるかが掴めず、耐える時間に。
が、その演出は最後まで続く・・。
超能力・ローマ時代・SF・過去・未来・政敵・策略・デカダンス・幻影・アート建築・等々に類する筋が5~10分続くと、また違う筋が断片的に始まり、まとまった物語として進行しない。
これまでのコッポラ作品を再チェックして分かった事が。
「ゴッド・ファーザー」はマリオ・プーゾ原作を元にしているが、コッポラ脚本による他作品は、ゾクゾクする位に物語展開に引き込む様な作品はほぼなく、各シーン毎の画力や演出で魅力を繋いでいる場合が多かった事に気付く。
「華麗なるギャッツビー」「地獄の黙示録」「ワン・フロム・ザ・ハート」「コットンクラブ」等。
そう、起承転結が明快に伝わる面白い脚本を書ける人では無かったのではないか。
各出演陣は豪華なのだが、ネガティブ要素が強いキャラがほとんどなので、名優がもったいない・・と感じる。
ドライバーとエマニュエルの会話シーンでは、
相手の台詞を待っていると感じた一瞬もあり、巨匠がメガホンを執っているとは到底思えず・・。
が、各シーンの映像はスゴイ!
黄金色に光る都市・きらびやかなパーティー・疲れる巨像・個性ある衣装・
特にグレース・ヴァンダーウォールが、大観衆に宙吊りで歌を披露するシーンは独創的で、唯一見入ったシーン。
終盤に、家族になる為の葛藤が描かれていて、ようやく見る者の心に触れる筋になるが、時既に遅し。
それまでのマイナス要素が強く、★3にも戻せずで、この評価に。
PS
今作はコッポラ自ら150億円以上の巨費を投じていて、制作費総額はその倍以上かもしれない。
が、興行収益は世界的に大コケする可能性が強い。
あの最低賞で有名な、ゴールデンラズベリー賞(ラジー賞)の監督部門と助演男優(ジョン・ボイト)に既に決まってしまって、作賞賞もノミネートだったようだ。
それにこれほどの大作でIMDbでの★平均が「4.7」(10点満点)と半分に届かないのは初めて見た♪
視聴直後は(私は不評でも)評論家の一部には絶賛されるんだろうな~・・と思っていたが、多くのサイトでほぼ全没とは・・♪
純金製の経典
解らないだろうなぁと思いつつ、ちょっとでも観たいと思ったら観るべきとの評に背中を押されて鑑賞してきました。
うん、解りませんでした。
けれど、映像美に圧倒されて打ちのめされました。
観て良かった!
解らないなりに思ったのは、コレは巨匠が生涯をかけて作った純金製の経典ではないかということ。
純金製でもガリ版刷りでもその内容に変わりはないけれど、この世の摂理というか、欲得にまみれた世間の汚濁でも汚せないものというか、世界における絶対的な良きものというかを、財力にあかせて超豪華に作っちゃいました!ということかなぁと。
おかげさまで良きものを見せて頂きました。
超ゴージャスな2時間半を堪能しました。
是非、劇場でご鑑賞ください。
私にとっては大切な映画である
コッポラ監督が映画人生をかけて世に出した作品にも関わらず、どの映画サイトも投稿してる皆さんの評価が極めて低い。カンヌでの公開以降、批評家がこぞって酷評したからなのか?ゴールデンラズベリー賞(ラジー賞)で最低監督賞を受賞したからか?レビューを見ると、宮崎駿監督「君たちはどう生きるか」と同じく巨匠は晩年に好き勝手な映画を作る。それに対する違和感あり。って感じの意見もいくつかあった(わかる気はするが、どちらも巨匠の巨匠たる所以を感じる傑作だと思う)。
コッポラが生まれた頃からアメリカはずーっと世界をリードし良くも悪くもアメリカの意向で歴史は作られてきた。第二次世界大戦後の軍事戦略では多くの国に基地を張り巡らし世界警察をも自認し戦争と紛争に関わった。ありとあらゆる産業を生み出し経済的な富も得た。原子爆弾もインターネットもiPhoneもアメリカの発明であった。そんなアメリカに綻びが生まれ、世界をリードするどころか世界を混迷に陥れてているのが、まさに「今」なのである。
アメリカを古代ローマになぞり、共和国にし、ニューヨークをニューローマとする発想がいつ生まれたかはわからないが、富裕層が享楽にふけ貧困層が食うに困る生活に苦しむ超格差社会は「今」のアメリカそのものであり、世界の国と国の格差も同じである。
アダム・ドライバー演じるカエサルはメガロン(よくわからないが凄い新素材)を発明することにより今の社会を変え、人間が幸せに暮らす理想郷である「メガロポリス」を作る為に全知全能を傾ける。そして不慮の事故で亡くなった前妻も新しいパートナーとなったジュリアも愛し、授かった子供に愛情を注ぐのである。カサエルの時間を止める特殊能力とか、近未来都市とかの画像とかでSF的な映画に見えるが、色んなものを取り除くとこの映画は「アメリカン・ドリーム」であり壮大な「ラブストーリー」なのではないか?が私の解釈である。
今の世の中のこの映画の酷評はどうでも良い。私にとっては大切な映画なのだ。
コッポラ版合衆国興亡記
登場人物のカエサルにせよ、キケロにせよ、「巨大都市」というと、結局、なんでローマ帝国に西洋人の発想は向かってしまうのだろうか?まぁ、日本人が権力闘争をすぐに戦国に例えたがるのと一緒か……。
権力者が私利私欲に走り、酒池肉林の享楽に耽っている社会の堕落と崩壊の様子をローマ帝国の滅亡に準えて描きつつ、何とか一筋の希望を見出そうとするコッポラの祈りと願望が見える作品。
富裕層が全てを手に入れ、貧困層は住む場所も含めて全てを奪い取られる社会。そんな国をもう一度造り変えようとする人物を「建築家」という象徴で描くのだが、そこで重視されるのが「時」という概念。画家でも詩人でも音楽家でも、芸術家は「美しい一瞬」を切り取り、絵や詩、曲などとして永遠に残してきた。移ろいゆく人々の幸せの瞬間を街の建築物の中に留めることができれば、幸せに暮らすことができるのかも知れない。
格差社会とは対極にある桃源郷を描く作品なのだが、コッポラが脚本を構想したのが1980年代だそうで、そのときに描いた絵コンテをそのまま映像化したのか、と思えるほど画面の絵作りが非常にノスタルジックに見えてしまうのが最後まで気になった。
それにしても、近年のハリウッド作品ではなぜ馬鹿キャラが必ず「国を偉大に!」と言うのだろうか…🤣
天才はつらいよ・・・という話?
貧富の差、財政難、政治家の汚職などで崩壊の危機に瀕しているアメリカの架空の大都市を、メガロポリスという新未来都市で再構築することで救おうとする?天才建築家、カエサルのお話。
建物や服装などの小道具のデザインがレトロモダンな感じだったので一周回った近未来のお話と思いましたが、新聞紙がまだ情報ツールとして現役バリバリの時代でスマホが見当たらず、しかし「携帯」という言葉は作中の会話の中から拾えたので・・・2000年代初頭ってくらいの時代背景かと思います。無論、どこかで分岐した並行世界のお話でしょうけど。
天才建築家カエサルは、天才ゆえの能力?からか時を止めることが出来、映画の冒頭でこの事実が明確に提示されます。
都合、止まっている間は自由落下など物理法則も彼の周囲以外は適用されなくなるようです。しかし、限定的に時間が止まったことを認知出来る人もいたりして、概念的な整合性がとれているかさえ謎です。
そして、なんといってもキーアイテムである「メガロン」!なんとも謎な物質で周辺情報しか分かりません。とてもふわっとした曖昧な情報から推察するにおそらく万能素材でなんと医療用にも使えるっぽい!カエサルは建築家なので建材として利用したその総体が、メガロポリスってことでしょうか。
ある事件でカエサルを陥れた元検事で現市長と都市計画案に関しコンペして鎬を削ったり、彼も親族の一人である大富豪の銀行家の跡目争いに巻き込まれたり・・・彼の前に立ちはだかる障害に、能力使って時を止めて立ち向かうのかと思ったらそうでもないし、メガロンの将来性、優位性を丁寧に説くでもなくしまいにゃドラッグに逃げる始末。
天才、芸術家は凡人からは理解されず苦悩するもんだってのはなんとなく伝わりました。監督は自身に置き換えてこれを主張したかったのかもですね。
ただ、この天才に私ら愚民が、共感したり応援したくなる様なストーリー展開では決してなかったですね。
結局、時間停止は主人公の自己満足にしか使われていないし、メガロンはご都合主義の為の補完アイテムにしか見えなかった・・・というのが正直な感想です。
では。
ストーリーは難解なるも最後になんとか。
1920的なレトロが違和感。しかし画像は綺麗。しかしストーリーが意味わからじ。
コッポラ✖︎アダム・ドライバー ならお客さん来るよなぁ そこそこ盛況🈵
しかし 上映映画館が極めて少ないのが 全て。
上映側も 作品を試写として見て 判断は相違ないから 今週は新作がバラけまくり
上映側 系列映画館側のプロの目は 節穴では無かった。
とにかく わけわからない。
😪眠い というより 画像 俺個人との相性がイマイチ。
わけわからない 時間の停止 もイマイチ【予告編動画にあり】
そして ローマ風→1920アメリカ風
の 最新鋭映像の『古臭さ』が正直 嫌でした。
中途半端な近未来❓
局所的な画像は美しい🤩けれども
何故か スマホ📱もパソコン💻もテレビ📺的なものも無い
よく 『未来映画で観がちな 空間に操作画像が浮かび上がり 手で操作』も皆無
まあ日本で言うと 昭和40年くらいか❓画像の綺麗さだけは近未来
ツーか 大正ロマン感満載 変な髪型
格差社会の解消も テーマのはずだが
エンドロール スタッフロールの各人の文字の大きさが
信じられないレベルで格差 プロデューサーレベルが大きいと言うより
通常のスタッフさんが チッコすぎやねん
『Microsoft Word』で言うと 24ポイント と 6ポイント 普通使わんねん6ポイント
あっ 時々寝てた😪😪 ので ストーリー自体 言いたいこと自体 よくわからなかった ジジイでございます。
もしかしたら 良い話かも 皆さんも 映画館で確認して。
🈶有料パンフは 区切りは明白で 悪くは無いけど 文字多い。コラム的なの要らんがな個人的に
コラム好き 有料パンフ🈶蒐集家の人是非。
ダスティン・ホフマン いつ出てた❓
コッポラの映画ということで先入観抜きで新宿での初回初演を観ました ...
コッポラの映画ということで先入観抜きで新宿での初回初演を観ました
簡単な話に文化の多様性やら持続可能性をぶちこんであえて難解を装うようなストーリーでしたが、やりすぎで冗長
無理に落としどころを考えず、肩の力を抜いて、(古臭いところは目をつぶって)美しく、斬新な画像表現を楽しむのが正解の映画だと思います
いろんな意見が出そうな映画ですが、どんな評価も間違いじゃなく、ただ「印象派の目線でシュールレアリスムを評価しようとしても無理です」ってことなんじゃないかな
映画鑑賞後、世田谷文学館での「士郎正宗の世界」「海野十三と日本SF」を観てきました。海野十三が後の作家に多大な影響を与え、夢野久作などと重なる中、その帰り道 「あ、メガロポリスも世界三大カルト映画に入るかもしれない」と漠然と思いました
となると、ある意味歴史的な瞬間に立ち会えたのかな
悪評のための悪評は気にしないで劇場で観て判断してください
終活と仰るならば
フランシス・フォード・コッポラ
1939年デトロイト生まれ
ロジャー・コーマンの元でB級映画で
経験を積み1970年代に傑作
「ゴッドファーザー」でブレイク
名監督の1人であることは間違いないが
大成功と大失敗のギャップが激しく
私財を投げ打ってまで制作し
公開当時大爆死した「地獄の黙示録」
などどちらかというと作るまでを
映画にした方が面白いんじゃねという
エピソードに事欠かない
今作も構想40年の脚本を
自身のワイナリー事業を整理して
1億ドルの資金を作り完成!
というこの上なく嫌な予感しかしない
触れ込み
先に公開されたアメリカでは
1000万ドルしか
稼がなかったというヤバさで
ラジー賞を総なめ
というのは知ってたので
まぁ今週他に観るもん
ないしくらいの気持ちで観賞
どうだったか
・・・
うん
そんな感じ
40年前のまんま止まってないか
というビジュアルや世界観
展開もバス停の標識を5分に5mm少しずつ
動かす感じで何が進んでいるのかさっぱり
わからない
その癖猛烈にベタなのがわかり
猛烈な睡魔が襲います
コッポラが40年間コールドスリープ
してて起きてこれ作ったとか
ならまだわかりますが
現実のアメリカの方が
よっぽどディストピアじゃねーか
というのが一番
なんでこんな企画起こしちゃったのか
コッポラさんて名匠とかって
いうより沼に落ちた人という
のが正しい気がする
エド・ウッド系に感じる
ただ生きているうちに
私財の整理もかねて
積年の作品を作りたかったと
お終活だと仰るならば
それで良いと思います
映画の世界は奥深い・・
前評判どおり退屈でつまらない
結果、ネガティブなレビュー結果にしかなりませんでした、それが苦になる人はこれ以上読み進めない様にしてください
事前に判っていて、どれほど面白くないのかを確かめに行った、ぐらいのつもりで観たからいいけど、前情報が無く全てシークレットで“コッポラ最新作!!”なんて謳われてこれだったらホントに腹が立つだろうな、というのが率直な感想
40年の構想を経て実現したという事と、これを私財を投げうって日本円で約180億円かけて製作したというのが驚愕です
久々に全く意味が解らない度MAXの作品で、おっそろしく退屈、IMAX生まれの作品なのでIMAXで観たけど、その価値が全く感じられなかったのも逆に笑える
“ストーリーは全く意味不明だけど映像は素晴らしかった”というレビューをちょくちょく見かけますが私は全くそうは感じませんでした
普通なら“超難解”とか言いそうだけど、これはそういうのじゃない気がする、そう言いたくない気分(自分の中ではそういう哲学的な位置付けを与えたくない作品)
コッポラさんが思いついた事を気の向くまま、整合性も考えず撮っていった、というものなんだろうなという印象
元々アダム・ドライバーさんのルックが好みでない所をコッポラ監督作だということで我慢して観ている所でこの内容だから二重の拷問具合で辛すぎた、でも昨今に多い長時間もので無かったことが唯一の救いでした
良かった所は1つ。
ナタリー・エマニュエルさんがメチャクチャ綺麗でスタイルも抜群、まあまあ出ずっぱりだから、IMAXの大画面・高画質での眼福に大満足、そこだけは突出して良かった(苦笑)
キャストはジョン・ボイトさんやダスティン・ホフマンさん、ローレンス・フィッシュバーンさんなどけっこう豪華、その無駄遣い
そして途中で気づいたのがシャイア・ラブーフさんとコッポラ監督の実妹さんのタリア・シャイアさん、2人とも久々だったので途中まで全然気づきませんでしたが元気でよかったです(笑)
コッポラ作品の中では一番好きな『ゴッドファーザー PARTⅡ』で口直しました・・・
映像作りが面白い
古代ギリシャ・ローマ風の新古典主義の様式美やアールデコを基調とした映像表現がとても美しい。映像作りにとても労力とお金がかかってる。これを見るだけでもいいかも。ただ脚本が散漫で、映画としてのカタルシスはなし。
イタリアの古典であるフェリーニやパゾリーニの作品の影響が感じられる。これらの巨匠の過去作を久しぶりに見直してみようかなどと思った。
「ゴッドファーザー」や「地獄の黙示録」などの昔のコッポラ作品は大好きで何度も見てるけど、それに比べて本作の作風が、当時に比べてとても変化してることに若干の驚きがあった。昔のギャングや戦争といったハードな内容から、本作の耽美的・ファンタジー的内容への変化が大きい。
例えば、同じ米国の巨匠のスコセッシなんかは、昔からあまり作風やテーマは変わっていない。それに比べてコッポラの本作の変化は、コッポラは、今こんな作品撮るんだなーなどとちょっと感慨深い感じがあった。
なぜ動く歩道が必要なのか
このクソ評判の悪い大コケ映画を初日にドルビーシネマで観るというのは(まあ時間が合うのがここしかなかった自分みたいな人も含めて)相当なもの好きの集まり。
初日夜にも関わらず20人入ってないと思う客入り。逆にワクワクしたわ。
そして実際に映画を見終わって。
いや自分としてはかなり面白かったよ。
やりたいこと、言いたいことはめちゃくちゃ伝わった。
これはむしろ大コケしたからこそいい作品になったとすら言える。興収散々で評価も悪いからこそ、その志高さ、姿勢の尊さが際立つ。
この映画は「建築家が新しい物質見つけて新しい街を作ったら全部うまく解決したよ!」という理想を言いたいだけ。
正確には何かを創造する人はそれがたとえ絵空事だとしてもユートピアを創造することを目指して欲しい、自分🟰監督はそうありたい。そういう映画。
時間を止める能力ってのは感覚的なもんだ。時間を止める能力で色々な問題を解決したいわけじゃない。自分が創造してる間、自分を愛してくれる人といる間は時間が止まったような感覚になる、ということを表現したいだけ。
だから時間が止まるのは冒頭の眼下の車の群れ止める場面、ジュリアと鉄骨の上にいる場面、ラストでジュリアとの赤ん坊が止める場面くらい。
まあ終盤に出てきた新しい都市は時間を止めて作ったかもしれないけど。
この世界観がどんな時代なのかもふわっとしてていいのよ。監督がやりたいだけだから。
フランク・シナトラやヒッチコックは存在するんだ。ソ連の存在も許されてるんだ、まあ人工衛星の打ち上げが失敗してその破片でニューローマがダメージ受けたけどな!新しい街作りができるきっかけの為にソ連は存在させてやる!という姿勢。
冒頭からニューローマをとにかく見せたい。ニューヨークとローマが混ざってる世界素敵でしょ?衣装見て!セットもめちゃくちゃ凝ったんだあ。細部まで見て欲しいなあ。建築家の部屋の三角の窓とか素敵でしょ!という監督の思いがビシバシ伝わってくる。
だから冒頭。写真撮られる中、カエサルと市長が口論してるのも、まずはあのユラユラな足場含めたセットや衣装を見せたい。
だから最初数分で合わないと思ったら切っていいよ。大したどんでん返しはないから。
結婚式の場所もあれがどれくらいセット作ってどれくらいCGかは分からないがとにかくこだわりは伝わった。わざわざローマな雰囲気の馬車を走らせてベンハーごっこをやりプロレスラーに剣闘士的なファイトやらせて曲芸や空中ブランコまでやる。あそこの場面だけでも相当金かかっただろう。
処女アピール女をおっさんどもがオークションして、その金で街が潤うのです!という醜さも良かった。オークションでQRコードらしきものを上げるアイデアも良かったと思う。
巨大な銅像がうなだれて崩れていく様は過去の歴史や知識、人類の叡知が崩れていく様を表現したいのだろう。そりゃあんな街なら花屋が輝いて見える。
建築家が市長に言う「人が直視できないものがある。太陽と自分の魂だ」という感じの台詞は良いと思った。たぶん監督も自分の魂を直視出来なかったんだろう。だから構想40年かかっている。
市長が奥さんに言われる「暗くなってからようやく月の輝きに気づく」みたいな台詞も良かった。雲から実際に手が出て月をとっていく古典的な演出も面白かった。
市長の机が砂の中で傾いてる絵面もたまらないだろ。あれで市長をとりまく状況が悪いことを示している。
今作は全編にわたりわざと昔のハリウッド映画的な見せ方をしている。俺が子供の頃憧れた映画の世界を再現するんだ〜!という監督の思いがよく分かる。
試作品の動く歩道を見せるシーンな。建築家が「新しい街ではこういう道があるんだ」と言うが、いや動く歩道は現実に既にあるだろ!というツッコミをしていい。あれもわざとやってる。監督はずっと昔に夢見た未来都市を再現したいだけだから。
今作はSF映画としては設定が練られていない。だからこそ良い。リアリティや整合性よりも監督の思いが強く出ているから。そういう映画があってもいい。
メガロンについても詳細は語らない。あの新しい物質を使いこなせば建築家が夢見る都市をすぐに作り出せる、ということがやりたいがための新物質。
終盤で子供に銃撃され顔の半分を失うカエサル。メガロンで顔の半分を修復。
このメガロン顔でしゃべると金髪エロ姉さんことワオの心がちょっと操れる場面があり。すぐ正気に戻るがこの場面で「メガロンを使いこなすと人の心も操れるかも」ということを示し。
ラストの民衆の前の演説でカエサルは民衆の心を掴むわけだが。そんな簡単に民衆の心が動く?という疑問にこたえる為に「新しい都市を作ったよ。家がない人は住んでいいよ」と住居を提供しつつ。メガロンで作った顔で喋ったから人の心を動かせたのかも、という風に使っている。
ここははっきりそう示されたわけじゃないので推測。たぶんそういうことを表現したんだろう。ただそれは見方によると悪どいのでハッキリとは示されない。
後半にかけ市長は理性の象徴になっていく。新しい都市に招待された市長は「新しい都市には理想はあっても現実的な解決手段がない」「ユートピアはディストピアになるぞ」的なことをカエサルに言う。カエサルは話し合っていくことが大切なんだ的な反応をする。
監督自身、こんな理想だけのSFとも言いがたい寓話の映画がうまく行くとは思わなかったんだろう。でも作りたかった。時を止めてでも作りたかったんだろう。
終盤でヒトラーとかの実際のリアル映像を流す場面がある。ここはやりたいことは分かるが他人が作った映像じゃなくて自分で作って欲しかった。まあ、そこまで余裕がないのと、この寓話を何とか現実ともリンクさせたかったんだろう。
新しい都市メガロポリスでは独裁者を選ばないようにみんなで話し合おうね!ということを表現している。
でも「自分の理想都市を作る映画を私財を投げ売って自分の思い通りに作る」という発想、行動自体がそれこそ一歩間違えれば独裁者そのものであることも監督は気づいている。
だからラストシーンに理想を求める建築家とその新しい妻、だけでなく理性の象徴である市長とその妻も入れ込む。悪い市長を倒して勝ったぜ!とやれば分かりやすいストーリーラインになるが、そうはしたくなかったのだろう。
現代アメリカで酷評されるのはしょうがない。金持ち映画監督が道楽で理想を語ってるんじゃねーよ!実際のリアルなアメリカの街がめちゃくちゃ大変なことになってんじゃねーか!という反応になるのは想像がつく。
だから今作が評価されるようになるのは、リアルの都市があちこち破壊されまくって、ようやく復興に動き出す20年後ぐらいじゃないか。
その頃に新しい、リアルなメガロポリスを作ろうとなれば2020年代半ばでこういう映画を作っていたコッポラはやっぱり凄かったんだな、となるだろう。
まあ評価されなくてもいい。むしろ興行成績も惨敗で評判も散々な暗闇だからこそ、今作の街は光っている。
ワイナリー売ってまで作った理想都市映画が興行的大失敗の現実をくらったこと含めて芸術。
コッポラの夢うつつの中の未来
引退したと思っていたコッポラ監督、痩せてるし眼鏡掛けてない、若返ったようで驚き。
シャイア・ラブーフ!カムバックしたのか〜、こんなにアクの強い役、むしろこれからの活躍を見てみたい。
張り切ってIMAXで鑑賞したが、夢幻、幻覚の表現と出来事の進行のに境目がなく、多分きちんと理解するのは難しいな、とストーリーの理解を諦めてしまい、芸術性とデザインの見物に終始。衣装が独特で美しかったが、マクベスなど引用していて、しかも全体的に表現が仰々しく、未来の設定でもシェイクスピア喜劇をイメージしているのかと想像したりした。
終映後会場を出る人々は誰も話をせず、皆疲れているように見えたのは気のせいか。
大阪万博のラストで流してほしい
未来へのひたむきさをとにかく混沌とした勢いで描いている映画です。
ちょうど万博で見た未来予想図などと類似しているように感じたことで、なんとなくコッポラが描きたかったものがわかりました。
メガロポリスパビリオンとかあっても不思議ではないです。
未来社会への想いと現代社会への課題をこの映画の寓話に落とし込み、前向きなメッセージを伝えています。
登場人物全員にあまり感情移入できないので、没入できづらいのがマイナスでしたが、この年でこういう映画を作るのはなかなか立派だと思いました。
万博のフィナーレにみんなで一緒に見て、混沌とした複雑な思いでなんとなく前向きな気持ちになりたいです。
エンディングの曲がかなり好みで良かったです。
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