「ハッピーエンドには、もしかして深淵なアイロニーが込められていたのかもしれないが、私には解らなかった。」メガロポリス mac-inさんの映画レビュー(感想・評価)
ハッピーエンドには、もしかして深淵なアイロニーが込められていたのかもしれないが、私には解らなかった。
IMAXで鑑賞。ちょっと残念。豪華絢爛な映像は、デイミアン・チャゼルの「バビロン」ほどに露悪的ではなかったし、全体的に少々理屈っぽい。
見ながら、宮崎駿の「君たちはどう生きるか」を思い出す。どちらも今まで自ら作った映画の映像表現の相似形や形骸化した映像の羅列とでも言おうか。豪華絢爛ではあるけれど、以前のような表現に緻密さや精度がない。
何の制約なくフリーハンドで描ける状態は、イマジネーションが際限なく発展するが、まとまりがなく、伏線回収もされない状態に陥ってしまった。(ダスティン・ホフマンはいつの間にか出てこなくなるし)
結局、「映画を語る」のにタメが効かなくなり、「こらえ性」が無くなったようなストーリーだった。
しっかり作り込めば、もっとハラハラしたり、感動するのだろうが、もう緻密にストーリーを練ろうとする根気がないのかもしれない。作家としての万能感と裏腹に。
アダム・ドライバーは安っぽくて意外と良かった。相手役のナタリー・エマニュエルもいい。彼女はコッポラの趣味なのか、ウィノナ・ライダーと同じようにアメリカの女優らしくなく線が細く、肉食系ではない。かたやアダム・ドライバーの愛人役のオーブリー・プラザは金髪で肉食系でまさしくのアメリカ女優然としている。この対比は面白い。コッポラの女性観なのかも。(ちょうど「君たちは〜」で宮崎駿の理想の女性は母親だったことを吐露したのと似ている)
ハッピーエンドには、もしかして深淵なアイロニーが込められていたのかもしれないが、私には解らなかった(多分「時間を止める」ことに意味があるのかもしれない)。
見直すとすれば、IMAXで見る必要はないが、必ず劇場で見るべきだと思います。
(多分、自宅のモニターで見ると無茶苦茶つまらなくなると思います)
フリーハンドで創作すると、制約がある状態で創られたものよりつまらなくなる、という創作のパラドックス的な不思議さを思ってしまった。