「アメリカ共和国にはニューローマ以外の街もあると思うので、さっさと移住したほうが良いよね」メガロポリス Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
アメリカ共和国にはニューローマ以外の街もあると思うので、さっさと移住したほうが良いよね
2025.6.23 字幕 MOVIX京都
2024年のアメリカ映画(138分、G)
架空の都市を舞台に理想派と現実派の対立を描いた寓話的SF叙事詩
監督&脚本はフランシス・フォード・コッポラ
原題の『Megaloplis』は劇中の翻訳で「新都市」
物語の舞台は、第3000年期の21世紀のアメリカ共和国にあるニューローマ
天才建築家として名を馳せるカエサル・カティリナ(アダム・ドライバー)は、新しい建築素材メガロンを発見したことでノーベル賞を受賞するに至っていた
彼は、かつての遺恨から現市長のキケロ(ジャンカルロ・エスジポート)と犬猿の仲で、都市開発に関する方針でも真逆のスタンスを取っていた
キケロは市民にも恩恵が出るようにとカジノ構想を打ち出す一方、カエサルは新都市を再構築すべきと打ち出していて、今ある体制を1から見直そうと考えていた
既得権に凝り固まった富裕層がそれを支持するはずもなく、キケロのフィクサーでもあるナッシュ(ダスティン・ホフマン)はメガロンは危険物質であるという風潮を流そうと考えていた
キケロには自由奔放な娘ジュリア(ナタリー・エマニュエル)がいて、彼女は父親に反抗的なスタンスだった
彼女はカエサルが持つ時間を止める能力に気づいていて、停止の中でも自由に動けていた
その後、カエサルの新都市計画に心を打たれたジュリアは、彼との交流を深めていくようになった
カエサルには行方不明の妻サニー・ホープ(ハーレイ・シムズ)がいて、彼女の失踪時の検事を務めていたのがキケロだった
キケロは殺人事件としてカエサルを有罪にしようと目論むもののうまくいかず、それが遺恨として残っていて、ジュリアはその真実に気づいてしまう
さらに、カエサルの元愛人のワオ・プラチナ(オーブリー・プラザ)はカエサルに愛想を尽かして、クラッスス銀行の頭取ハミルトン(ジョン・ヴォイド)を拐かして結婚へと漕ぎ着ける
その動きを不穏に思ったカエサルのいとこクローディオ(シャイア・ラブーフ)は富裕層で起きていることを暴露し、市民を扇動する動きを見せていく
そして、カエサルが少年に撃たれるという事件が勃発してしまうのである
映画は、寓話にして叙事詩ということで、ローマ帝国の状況を新しいアメリカに準えているというテイストになっている
人類の敵は文明であるという有名な言葉などを所狭しと濫用し、名言会話遊びなんているものも展開される
ある意味、そのあたりの教養ありきで話が進んでいるのだが、深い会話のようでいて浅い感じがしていた
自分の言葉ではなく、他人の言葉を使って自分を上げようとするのは小物がすることであり、そう言ったことでしか自分を誇れないキャラが多すぎる
なので、全員がモブに見える感じで、誰にでも伝わらない言葉を発する人は支持されないんだろうなあと思っていたら案の定という感じになっていた
ある意味、貧困層を駆逐して富裕層だけの街を作ったのがニューローマだと思うのだが、それの行き着く先というのは限界がある
その中で現市長が掲げるのがカジノ構想というほとんどの市民が楽しめない施設を作るところが頭が沸いている感じに描かれていた
それとは別に、新しいニューローマを作ろうと人々を煽ろうとするのがカエサルなのだが、映画ではカエサル側が支持を受けているように見える
でも、実際には金融を牛耳るクラッススが彼を支持するから実現するわけであり、結局は市民をいくら鼓舞しようが、富裕層の顔色と財布を当てにしないと何もできないと言っているのと同等だったりする
そう言ったところからお金が流れて、職を持たない人たちがありつけるというのなら意味はあるのだろうが、そう言った現実的な話は傍に置いている感が凄い
結局のところ、理想論を綺麗なビジョンで見せて終わり、みたいなところがあったので、現実的には何の変化も促さないだろうし、むしろ「夢を語る奴は全員クズだよ」と言っているようにも思えてしまう
映画として面白いかと言われれば微妙で、未来都市感もあまり感じられず、小学校の時に見た雑誌の方がワクワク感があった
結局映像として出てきたのが「動く歩道」みたいなもので、今日梅田で歩いてきたわと思ってしまって、現実離れができなかった
カジノVS新都市構想というバトルはどこかの都市で見たような気がするが、全てうまく言っていないところも寓話なのだろうか
全力で支持をしている皆様に見えているものは違うと思うので、そういった変化が一般市民にも影響があれば良いのだが、実際には映画のように蚊帳の外になるんだろうなあと思った
いずれにせよ、スクラップ&ビルドができるのはフィクションの世界だけで、現実的には修復と修正を促しつつ、少しずつ理想的な街並みにしていくしかないと思う
そう言ったきっかけとしてソ連の人工衛星の墜落などがあったりするのだが、このような強制的なスクラップが寓話として登場するのは、すでに道はないと言っているようにも思える
カエサルがどんなに素晴らしい夢を語っても、そこに誰もが住めるわけではなく、それを維持していくだけの民度も必要になってくる
それを考えると、富裕層のための楽園を作るためだけに低賃金でおこぼれを与えるだけの世界にしか過ぎないので、冷静な人は関わりを持たないだろう
映画では、フェンスにひしめき合って眺めている子どもたちみたいなショットがあったが、現実だと「猿山の猿を観察している」ようなものなので、360度全方位から一気に放火されたら終わるんじゃないかな、とか余計なことを考えてしまいましたねえ
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。