ANORA アノーラのレビュー・感想・評価
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演出を観る映画
みんな自分のことだけ
アカデミーノミネート時点で気になっていた本作
ストリッパーものということで、かのバーホーベン巨匠の珍作の再来を期待して鑑賞(笑)
賛否両論の本作だが、面白いのは登場人物たちが自分のことしか考えていないところ
バカ息子のイヴァンは遊ぶことしか考えておらず、都合が悪くなれば逃げ出す、取り巻きのおっさんたちもボスであるイヴァンの両親に媚を売ることばかり考えている
金持ちの両親は息子を心配しているように見えるが、事業のことを気にしているだけ、アノーラも現実を目の当たりにするとヒステリーを起こす
中盤から何気なく登場したイゴールだけは特に目的もなく同行して、最後までアノーラを気遣うので、唯一の救いになっている
きっとアノーラは結婚したとしても、幸せになれなかったはず
結局みんな自分に都合の良いように考えて生きているうちに幸せになったり、不幸になったりする
人生に浮き沈みはある
そんな当たり前のことを再認識する映画でした
あと、マイキー・マディソンは最高でした
何が最高かは書かないですが、最高でした笑
おもしろくて悲しい物語
祭りのあとの虚しさ
本作は新聞の映画欄でもお勧めしていたけど、セックスワーカーの話ですから観るのをためらいました。アカデミー賞を取ったなら女性客も居るだろうとようやく鑑賞です。
職業に貴賤は無いという考えはありますが、私はそれは建前だと思います。もちろん絶対的な価値観ではないから、何が”貴”で何が”賤”か、あるいはすべて同等であると思うかは人それぞれです。大好きな事を仕事に出来て幸せだと言うセックスワーカーはほとんどいないと思いますので、それを選んだ或いは選ばざるを得なかった背景の事は考えてしまいます。
その立場での観る前の予想では、社会の底辺に居る女の子がしたたかに生きる姿を描いているのかな、でしたが。
アノーラは引き締まったヒップがきれいでスタイルが良く魅力的ですが、表情は曇っていることが多くて、疲れた感じに見えました。イヴァンを大金持ちと知ってパーティーや旅行でははしゃぎまくったのがピークで、その後のプロポーズは幸せの絶頂のはずなのに、それより底辺から抜け出せる嬉しさの方が強いように見えました。
イヴァンが逃げ出した時点で互いに愛情のかけらも無いと分かったのに、それでも妻の座にしがみ付こうとする姿は哀れでしか無かったです。
屋敷で大暴れしたのも、知人の店でなりふり構わず迷惑をかけたのも、逞しいとかパワフルだとか言うより、醜態を晒したとしか思えませんでした。あと、アメリカ人の言葉の汚さには本当にうんざり。
イヴァンのクズっぷりは最高でしたが、両親はあそこまでイヤな人物にしなくても良かったのに。この結婚には当然反対するのが親心ですから。
イゴールの真心に触れて初めてアノーラが嗚咽したのは良かったです。ただ、こういう展開こそ、まさに日本のドラマや映画の得意分野ですから、私には新味は無いです。
それでも、この場面の二人の演技は素敵だったし、演出もすごくお洒落だなと思います。
世の中銭、だけじゃ無いか
好き嫌いがわかれるかな、、
作品の予備知識はセックスワーカーが主人公だというぐらい、プリティーウーマンの現代版かな、、と思いながら鑑賞。結果全然違いました(笑)役者さんの演技がとてもよかった。とてもエネルギッシュな作品ですね。
同じ女性としてあの年齢、あんな環境であれば金持ちバカ男に騙されてしまうのも理解できます。自分を大切にする事を誰か教えてあげる人がでてこないのかな、、と切なく思っていましたが、最後は気持ちを理解して寄り添ってくれている人がいて少しほっとした気分でした。
セックスワーカーの仕事が無くなることが不可能であるならば、彼女達が守られるルール作りが必要ですね。
最高→最高?(追記しました)
【一回目鑑賞後】2025/3/14
最高に好きです
搾取される側への寄り添いを感じられる。
感覚的に大好きな作品です
物語全体がどうとか、ここのシーンが気になるとか、結末がどうとか
そういった細かいことはされておいて、
映像を見ている間に感じる想いに、私がエンタメに求めているものに限りなく近いものがありました。
観終わってからパンフレットを読んだり、YouTubeなどの考察を拝見していると、観ているときに感じたこと以上に考えられる余白があり、それがまた良い。
私が好む映画は好き嫌いが大きく別れるものが多いです。
考えたい人、考えることに前向きな人にはいい映画なのではないでしょうか。
もっと言語化するためにもう一度観てきます
【二回目鑑賞後】2025/3/18
二回目観てきました
一回目ほど、手放しに最高!とは言えなくなりました
アノーラの置かれている状況や、受けた扱いを考えると、相応の報い(善悪どちらも)があったのだろうか、という観点で考えると……。
最後のシーン、一回目鑑賞時は「やっと泣くことができたんだ」と、どちらかというと良い方向の感情を抱いたんです。
家に帰れば妹がいて、アノーラには一人で泣ける空間が用意されていない。
昨夜豪邸のベッドで一人、見ようによっては泣ける環境は整っていた。けれど、きっとアノーラは泣いていない。
ヴァーニャがいなくなってから、きっとアノーラは一度も涙を流していない。
一人では泣けなくて、イゴールの前だったから泣けたんだと思いました。
また、イゴールにキスされそうになると明確に避けていたのが良い意味でとても気になったシーンでした。
二回目鑑賞時は上記を踏まえて観ていて、最後のシーン
急にビンタをして、泣き崩れるアノーラは、優しく抱きしめるイゴールの腕を受け入れて涙を流します。
アノーラが望まずとも涙を流す行為に至るためには、その直前にセラピーのような時間があったのではないかと思います。
車中の行為の中のどこかに。
少し遡ると、瞬間的だとしても、ほんの一瞬でも、想い合った人と結婚してパートナーになる。なった。
パートナーになって得た、当たり前にあるべき権利を奪われたことへの抵抗、混乱、怒り、落胆を経て、最後に悲哀にたどり着いたのかなと。
抵抗:夫婦生活を手離したくない
混乱:ヴァーニャの逃亡が理解できない
怒り:指輪、権利を奪われようとしてる
落胆:ヴァーニャにはもう自分への想いがない
悲哀:私は酷く傷付いていた
悲哀において、今回の結婚の件のみではなく、今までの自分の人生において受けてきた傷、気付いていなかった傷にも気付いてしまったのかなと感じられ、
一度目よりも、観ていてハッピーな感情が薄く感じられたのかもしれません。
鑑賞一度目は泣くことができて良かったね、という想いが強くありました。
鑑賞二度目はこの後も続くアノーラの人生を考えてしまいました。
イゴールとアノーラについても、鑑賞一度目はアノーラのサポートをしたいと言うイゴールに好感を抱きました。
二人が恋人になることはないとしても、アノーラが頼れる存在としてイゴールの存在が増えたことはきっと良いことなのだろうと思いました。
鑑賞二度目は、アノーラにとってイゴールは本当に必要なのか否か、わからなくなりました。
少なくとも、アノーラが車の中で泣くために、イゴールはアノーラにとって必要だった。
ラストシーンの車中に、イゴールがいる必要はあった。
けれど、その先また、二人が会う必要は果たしてあるのかどうか。
男友達のような存在がアノーラには必要なのだろうか。
一度目鑑賞時はイゴールとくっついたら良いのになぁと終盤まで安直に思って観ていましたが、ラストシーンを観て、そんな単純なことではないのだと思い直しました。
アノーラとイゴールの関係について。
二人はやはり、搾取される側の人間で、だから、イゴールは(恐らく無償で)アノーラをサポートしたいと言ったし、アノーラはイゴールの前で泣くことができた。
今はそれだけしかわかりません。
アノーラとヴァーニャについても。
一見ヴァーニャは搾取する側に見えますが、ヴァーニャも母親に搾取されている側の人間として間違いはないのではないかと思います。人として当たり前に持てる権利を奪われている。搾取する側でありされる側でもある。
だからどこか、憎みきれないのかもしれません。
出てくる人物の多くが搾取される側の側面を持っていて、しかしその逆でもある。
人が一面的でないことを描いている作品が大好きなので、やはり好きな作品であることは間違いないです。
二回観て、感じたことの量も、わからないことも増えたように思います。
もう一度観たらもっと苦しくなりそうですが、また観たいです。
アカデミー賞には気を付けましょう
当初、本作は観る予定ではなかったものの、アカデミー賞において5部門受賞とのことでダメ元で鑑賞しましたがやはりダメでした。アカデミー賞は製作者側から見た評価なので本作のような作品が高く評価されるのかも知れませんが、観客側から見たら、金持ちの家に生まれたパリピーなバカ息子とバカな大人しか出てこない作品をわざわざ貴重な時間とお金を使って見たいと思う人は希だと思います。何でこのような作品を撮りたいと思うのか不思議でなりません。あのラストシーンだけを撮りたかったのでしょうか…?と、散々酷評しましたが、あれだけバカに見える演技は凄いと思います。
追記>
私の誤解かも知れませんが、昨年の「哀れなるものたち」のエマ・ストーンや本作のように、女優が裸になると体当たり演技とか言って評価が上がるのは何か間違っているような気がします。
また、私は男性ですが映画鑑賞中に女性の裸や性描写が出てきたからといって嬉しくはありません。むしろそういう描写は必要最低限にしてもらいたいです。
現代社会の縮図
シンデレラストーリーのその後に、、、
無慈悲なコメディー
登場人物の殆どが(アノーラ自身も)他人に本心からのリスペクトなどなく損得勘定の付き合いをしている地獄みてぇな状況。
唯一、用心棒のイゴールだけがアノーラに人間としての気づかいを見せていて、「嗚呼、イゴールは良い人だなぁ」と思ったけど、そのイゴールにしても命令されたら金属バットでキャンディ屋のショーケースを即破壊という暴力装置の人なので作中お近づきになりたい人が1人も出て来ない。
それでも底辺から成り上がりたいアノーラの気持ちは理解出来るし、ボスにおべっかを使い部下をこき使う中間管理職は腹立たしくも情けなくてバカみたいだし、こき使われケガをしても心配一つして貰えない部下は哀しいし、親の金で散財すること以外は何もしないドラ息子はカラッポの極致だし、金を持ってりゃ偉いって態度のクソ富豪両親は心底ムカつく。
そうゆう、どうしようもないけど絶対に何らかの感情を掻き立てられる人達が一同に会すれば(無慈悲な)コメディーになるのは当然。人によっては笑えないのも当然。
個人的にはエロ描写が無駄に長くて濃厚なのはスケベ心で嬉しい反面「歳を取ると油っ濃い肉は胃が受けつけなくてねぇ…、すみませんお茶を下さい」みたいな気持ちにもなりました笑
どうしようもない人達のどうしようもない無慈悲なコメディーですが、それだけに最後のアノーラの慟哭にはグッとくる。
罵り合いに疲れた・・・
18禁が作品賞という事で、大統領が代わるとポリコレ基準もそうなるのかっ!と期待して観ましたが、結果として期待外れは否めないかなと思います。
動物的で品のない18禁シーン。終始、唾が飛んできそうな罵り合い。アカデミー賞に「ドライブ・マイ・カー」や「イングリッシュ・ペイシェント」のような正統派作品の復活を望みます。
エロくて可笑しく物悲しい
事前知識は劇場予告だけだったのですが、ラブコメディだと誤解していました(苦笑)。
合体で始まり合体で終わる18禁エロ映画だったとは。そこも含めて堪能しましたが。
物語の中でロシア大富豪の息子イヴァンが失踪します。イヴァンの関係者誰もが、主人公アノーラがイヴァンにとって都合の良い売春婦だと指摘しますが、アノーラ自身は認めようとしません。
シンデレラ役はアノーラ自身の魅力で勝ち取ったはずだ、イヴァンに会って認めさせなくては。
アノーラはやっとイヴァンを見つけますが、彼はアノーラのクラブで別のダンサーと寝ていました。この裏切り者が。
結局イヴァンもアノーラを特別な存在だと思っていなかったことは、アノーラが認めたくなかった現実と思います。
最後、アノーラは用心棒役のイゴールにサービスをしますが、アノーラの自暴自棄な心と共に、イゴールへの感謝もあった、複雑な気持ちから起こした行為と思います。
イゴールだけがアノーラのアイデンティティを認めていたのです。アノーラ自身は自分をアニーと呼び、名前に意味など無いと答えますが、イゴールはアノーラの意味を調べ、良い名前だと伝えます。
強面のイゴールですが、物語を通して人に直接暴力を振るうことがなく、良い人を貫きました。
危なっかしくて不安定なアノーラの生き方ですが、イゴールによって救われるところもあったと思います。
タイトルが「アノーラ」なのは、どこにでも居るアニーでは無く、ただ一人のアノーラを意味していると感じました。
面白い
金を払う人を受け取る人の差は、人間か人間じゃないの差なのかという問い
ショーン・ベイカー監督の「フロリダ・プロジェクト」が大好きなので、アカデミー賞関係なく楽しみにしていた。
フロリダ・・・での映画史に残る「〇ァックユー!!」を、本作では数で凌駕する主人公の悪態はちょっとノレないレベルまでいっていた。
セクシーダンサー(セックスワーカーと呼んでいいのか?)と金持ち坊やが仲良くなっていく様は、さきざき悲惨な結果しか見えないって観客の全員が思っているのに、なんの疑いもためらいも不安もないアニーにはちょっと同情できない。
そして、アニーを筆頭にして、金持ち坊やの乱痴気騒ぎの後の清掃をする女性や、ラスベガスで彼にたちの悪いドッキリを仕掛けられるホテルマンや、朝一で裁判所にアポをねじ込むはめになる弁護士まで、「金をもらう側」はここまで非人間的な扱いにがまんしなきゃならないこの世界にうんざりする。
そして「この世界はそういううんざりするところだけど、それでいいの?」っていうのがベイカー監督の真骨頂なんでしょう。
今作は期待ほど・・・って感じだったけど、何本ものオスカー像のおかげで、次作は大きく予算がつくでしょうから、今からとても楽しみです。
アニーのこと
社会の隅に追いやられて生きる人々を描いてきたショーンベイカー「ANORA アノーラ」中盤のアノーラ&ロシア(アルメニア)三人組の悲惨なドタバタ追跡劇等、映画としては良くできていたし、批判もあるようだけど、アニーの痛みを唯一理解していた人物とアニーのあのシーンは個人的には刺さりました。
ただ、この映画がSWへのエールとして成立しているかどうかは疑問も。そして、プリティウーマンみたいな映画と勘違いされる、例のポスターはやっぱりだめだよね。
ショーン・ベイカーは登場人物を美化することはなく、どうしようもない人たちばかりで、そこはジム・ジャームッシュと同じなんだけど、ショーン・ベイカーの場合は本当にどうしようもなさすぎて、レッドロケットの主人公はさすがにダメだった。
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