ANORA アノーラのレビュー・感想・評価
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ショーン・ベイカーのシンデレラストーリー
アメリカ社会の底辺の人々を、独特の感性で描きだすお気に入りの監督、ション・ベイカーの作品。しかもアカデミー賞で、作品、監督、主演女優、脚本、編集の5冠に輝いている。
ストリップ・ポール・ダンサーが、ロシアの大富豪のバカ息子と結婚するというシンデレラストーリー。
ショーン・ベイカーならではの鮮やかな色彩感覚、猥雑でエネルギッシュだがどこかもの悲しいストーリー。ラストシーンが切ない。
個人的には、寒々としたコニーアイランドのシーンがとても良かった。
主演の新人マイキー・マディソンは、賞も順当な体当たりの熱演。
ラスト20分までは
上映開始三分の一でラストシーンが解った
アカデミー作品賞受賞ということで、早速見参。
のっけからエロシーンと濡れ場の連続で辟易。助演の用心棒役の言動でタイトルの感想となりました。あんなにエロシーンばかり長々と写す必要はあるのかね。中盤の破壊的映像も騒がわしいだけ。金持ちの放蕩息子と庶民?のラブストーリー的な展開も手垢にまみれています。もっと作品賞にふさわしい作品もあったのでは。最近のアカデミー作品賞はわからん。主演女優さんは日本風に言えば「体当たり演技」です。これからが楽しみな人だが、もっと普通の脱がない映画にこれからは出て欲しい。
口直しに同様の展開だが、本作に比べればほのぼのとした「ミスター・アーサー」(ダドリー・ムーアとライザ・ミネリが出演した版)を再見したくなりました。
刺激とリアリズムが交錯する衝撃作――『アノーラ』が映し出す欲望と哀しみ
アカデミー賞で作品賞、監督賞、主演女優賞、脚本賞、編集賞の5部門を受賞した話題作『アノーラ』。事前にあらすじを調べずに映画館へ行き、先入観なしで楽しもうと思ったのですが…さすがR18指定、衝撃的な内容が盛りだくさん!
主人公は23歳のトップストリップダンサー・アノーラ。彼女と21歳のロシア人御曹司イヴァン、そして30歳の堅実なボディガード・イゴールという3人の関係が物語を大きく動かします。アメリカとロシア、お金のある人とない人、享楽と堅実さといった対比がうまく描かれていて、それぞれの立場の違いが物語に深みを与えていました。
また、風俗業界のリアルな側面も描かれており、美しく若い女性がトップに立つ一方で、そこに愛は生まれず、真の愛を求める人はその世界に足を踏み入れない——そんな冷酷な現実が浮かび上がります。欲望に満ちた世界の裏にある寂しさや哀しみが、じわじわと心に響く作品でした。
本作は単なる過激なエンタメではなく、現代の若者が直面する問題にも切り込んでいます。TikTokなどの短い動画文化に影響されやすい世代が、ギャンブルや麻薬、お金、セックスといった危険な誘惑にどう引き寄せられてしまうのか。そのリアルな描写には警鐘を鳴らすような力強さがありました。刺激的なストーリーを楽しみつつも、どこか他人事ではないような、生々しいリアリティを感じさせる映画です。
『アノーラ』は、ショーン・ベイカー監督の持ち味が存分に発揮された力作。衝撃的な内容を扱いつつも、ただの刺激的な映画に終わらず、人間の本質や社会の歪みを浮き彫りにする作品でした。刺激を求める人には十分楽しめる映画ですが、その奥にあるメッセージに気づくことができるかどうかで、見え方が変わってくるかもしれません。
アカデミー
It can be said, a modern version of Pretty Woman.
But ⅰt's not a Cinderella story. More realistic, charming, and but really sad. Anyway, I like it!
現代版プリティウーマン、またはマイフェアレディと言えなくもない。しかしリチャード・ギアもジュリア・ロバーツも、ましてやオードリーヘップバーンも出てこないし、終始現代的、現実的なストーリーにおとぎ話要素ほぼゼロ。しかし、観客はとにかく頑張るアノーラを応援したくなる。
アカデミー主演女優賞は確かにわかる。しかし作品賞に相応しいのか?(ちょっと心配) そういう風に持ち上げて美化(?)してしまうには、この映画が描く(主人公の)現実世界はダークすぎるかも
前半はシンデレラストーリー、中盤はドタバタコメディ、そして終盤は...。139分と短くはない映画ですが、テンポよく進むストーリーと個性的な、そして憎めない登場人物達に引き込まれ、一気にエンディングまで退屈せずに観られます。
中盤から暴力シーンが少なからずあるものの、コメディの域を出ないドタバタに留めて"バイオレンス"にはならない絶妙な仕上がり。この映画全体の印象を軽やかにして、"ロマンティックコメディ"(中身は全然そうじゃないけど)を上手く成立させています
「ロシア人大富豪の放蕩息子が勢いでNYのストリップダンサーと結婚」という設定が"現実的"かどうかはさておき、登場人物のキャラクターやプロットがしっかり作り込まれていて、シチュエーションごとの言動や出来事にリアリティが感じられます。まさに、よくできた映画という感じ。
ラストシーンは好き嫌いが別れるかもしれませんが、私は気に入りました。主人公の境遇や人格、人生を否定も肯定もせず、ありのままに描いているように見える。それが悲しくも美しい(と言えなくもないような...)。
心を抱くということが、どれだけ難しいのかを感じさせる物語だった
2025.3.6 字幕 MOVIX京都
2024年のアメリカ映画(139分、R18+)
ブルックリンのストリップダンサーとロシアの富豪の御曹司の結婚を巡るドタバタを描いたコメディ映画
監督&脚本はショーン・ベイカー
物語の舞台は、ニューヨークのブルックリン
「ヘッド・クォーターズ」でストリップダンサーとして働いているアニーことアノーラ・ミケエヴァ(マイキー・マディソン)は、姉ヴェラ(エッラ・ルビン)とともにブライトンビーチのアパートに住んでいた
店は客の取り合いになっていて、個室に連れていくことで給与に反映されるシステムになっていた
ある日のこと、ロシア人の青年ヴァーニャことイヴァン・ザハロワ(マーク・エイデルシュテイン)が店にやってきた
アニーはロシア語が聞き分けられるとのことで、マネージャーのジミー(ヴィンセント・ラッドウィンスキー)から接客につくように言われる
アニーはカタコトのロシア語で話し、ヴァーニャもカタコトの英語で会話を交わす
そして、二人は意気投合し、そのまま個室にてセックスをすることになった
ヴァーニャはアニーを気に入って、外で会うにはどうしたら良いかと持ちかける
そこでアニーは、友人のダンサー・ルル(ルナ・ソフィア・ミランダ)とともに、彼の家へと出向くことになった
映画はその後、1週間の専属契約してラスベガスでハメをし、そこで勢いのまま結婚してしまう二人を描いていく
だが、その結婚はやがてスクープされ、ヴァーニャの父ニコライ(Aleksey Serebryakov)と母ガリーナ(Darya Ekamasova)にバレてしまう
ヴァーニャのお目付役には、司祭のトロス(カレン・カラグリアン)が任されていて、彼は弟のガルニク(ヴァチェ・トヴマシアン)に事実かどうかを確認させる
ガルニクは何かあった時のための用心棒イゴール(ユーリー・ボロゾフ)を連れて、ヴァーニャのいる屋敷へと足を踏み入れることになったのである
映画は、ヴァーニャを捕まえるシーンのコメディセンスが素晴らしく、色々と残念な人たちのてんやわんやが描かれていく
彼らは至って真剣なのだが、そのひとつひとつが笑いの種になっていて、愛おしくも感じてしまう
さらに両親が登場してからの顛末も面白く、ヴァーニャが確保されてから、ガラッと展開が変わる流れになっていた
基本的にうるさい映画で、前半は音楽がうるさいし、中盤はアニーの絶叫がやかましい
ところ狭しと動き回るシーンが多く、セックスシーンも激しいものばかりが描かれていく
だが、この動の動きの多彩さが、ラストシーンの静の動きの対比になっていた
劇中でヴァーニャとアニーが欲していたものがすれ違っていることがわかり、ヴァーニャはそれを母親には言えない
それゆえにアニーが代弁することになるのだが、アニー自身も相当なストレスを抱えていた
彼女が欲しがったのは純粋な愛で、愛する人と結婚することを夢見ていた
それが叶ったと思ったら、母親から距離を置きたいための道具になっていて、お金さえあればその立場で我慢できるんでしょ?という精神的な乖離が生まれていた
当初はお金と結婚したと思って、それを肯定していたアニーだったが、それらが現実のものになった時、ふと自分が本当に欲していたものに気づいてしまう
そして、そういった複雑な想いが絡まった先に、イゴールとの抱擁があったのである
映画では、アニーは常にヴァーニャのそばにいるのだが、セックスは快楽で愛を確認し合う行為にはなっていない
それ以外のシーンでも、アニーはヴァーニャにはくっついてはいるけれど、抱擁という感じの温もりを与え合うという行為はなかったように思えた
イゴールとのセックスも当初はヴァーニャと同じような激しさだけだったが、イゴールはそれを拒み、彼女をしっかりと抱きしめていた
そこにはアニーが求めていたものがあって、それゆえに彼女は本当の涙を取り戻すことになる
イゴールがアニーの求めるものを与えられるかはわからないが、少なくとも、彼女が欲しかったものを再確認させる役割を担っていて、ある種の絆というものが生まれたように思えた
また、イゴールは事あるごとに「おばあちゃんのもの」というのだが、アニーのおばあちゃんはアメリカに来て英語を話さない人だった
それがアニーに夢と希望を与えたのだが、同時に絶望を味あわせることにも繋がっている
そう言った面も含めて、うまく練られたシナリオなんだなあと思った
いずれにせよ、お子様が見てはいけない映画なのだが、それはシンデレラを皮肉っている部分が多いからなのかな、と思った
お金を持った王子様はお母様の言いなりで、家族を持つという意味の深さにも繋がっていく
成人になれば本人の意思で結婚はできても、いずれは避けられない家族の問題に直面していく
ヴァーニャが何を求めているのかにアニーが向き合えばここまでのことにはならなかったし、ヴァーニャも最初からその欲求というものを仄めかしている
失敗から学ぶことは多いとは思うが、煌びやかに見えるものには多くの闇が隠れていると思うので、そう言ったところをしっかりと見極めることも、自分の幸せにとって必要なことなのかな、と感じた
親の財で生き
現実を見据えたシビアさ
ストリップダンサーがロシア人の御曹司と恋に落ちるシンデレラ・ストーリーと思いきや、さにあらず。相手の男イヴァンは裕福な両親に甘やかされた放蕩息子で、この交際は破綻の危機を迎えていく。
アノーラとイヴァンが親密になっていく序盤から小気味いいリズムで進み飽きさせない。ただ、世間知らずなお坊ちゃんイヴァンが余りにも軽薄過ぎて、この交際が上手くいかないことは火を見るよりも明らか。アノーラの想いとは裏腹に、厳しい現実が彼女の前に立ちふさがることになる。
身分の差によって引き裂かれるメロドラマというお馴染みのストーリーだが、本作はヒロイン=ストリップダンサーという設定にしたところがミソだと思う。そこには、昨今のアメリカ映画の潮流とも言える、女性に対する性的搾取という問題が垣間見える。
例えば、昨年観た「哀れなるものたち」は、エマ・ストーンが娼婦に身を落とし、そこから自らの人生を見出していく物語だった。あるいは、「プロミシング・ヤング・ウーマン」はキャリー・マリガンが下衆なナンパ男に報復していくという物語だった。実話の映画化「SHE SAID/シー・セッド その名を暴け」や「スキャンダル」という作品もあった。
これらに共通するのは、性的に虐げられてきた女性が男根主義社会に反撃をくらわすというジェンダー平等の提言である。
本作のアノーラもセックスワーカーであり、男性客に性的な奉仕をして生活をしている。そういう意味では、一連の作品に共通するヒロイン像と言える。ただ、本作がこれまでの作品と違うのはその描き方である。
これまでなら自分を虐げてきた周囲を見返すような反撃が描かれていただろう。しかし、本作は極めて現実主義的でシビアな展開に終始するのだ。
確かにアノーラはイヴァンの両親が差し向けたお目付け役に反抗して見せるが、所詮は非力な女性である。腕力では男たちに到底かなわず、彼等の前では屈するしかない。特に中盤、彼等に軟禁されるシーンは印象に残る。彼女は大声で「レイプ!」と連呼する。しかし、その声は屈強な男たちによってかき消されてしまう。
本作を観ると、先の作品が全てファンタジーのように思えてしまう。
昔に比べたら確かに女性の地位は向上したと言えるだろう。しかし、現実にはまだアノーラのように身体的、社会的に力の弱い女性がいるということを、この映画は語っているような気がする。昨今の潮流を考えると、こうした厳しい現実を提示して見せた所は本作の大きなトピックではないだろうか。
製作、監督、脚本、編集はインディーズ界の雄ショーン・ベイカー。一貫して社会の下層に生きる人々を描いてきた俊英である。
持ち前の軽妙な演出は前半のラスベガスの豪遊シーンや、中盤のドタバタ騒動劇で発揮されている。シリアスとコメディが入り混じるバランス感覚も絶妙で、とりわけラストシーンは秀逸だと思った。
キャストでは、何と言ってもアノーラを演じたマイキー・マディソンの圧倒的なパフォーマンスに痺れた。フィルモグラフィーを見ると「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」にチョイ役で出演していたらしいが、まったく覚えておらず。今回改めその魅力を確認した次第である。
劇中では非常にパワフルで快活なのだが、時折見せる憂いに満ちた眼差しが印象に残る。セックスとゲームしか頭にないイヴァンを見る目に彼女の不安が透けて見える。彼女自身、この関係が長く続かないと、心のどこかで予感していたのではないだろうか。
また、イヴァンのお目付け役の一人イゴールを演じたユーリー・ボリソフは、本作で最も好感を持てた俳優である。彼は「コンパートメントNo.6」でも似たようなキャラを演じており、そちらでも好印象だった。
“希望”ではないが“絶望”でもない
今年はNHKBSで第97回アカデミー賞が放送されていたので録画してからざっと眺めたら、本作が作品、監督、主演女優、脚本、編集の5部門も受賞していたので、早速近所のシネコンに見に行きました。
まず久々にアカデミー賞を見ましたが(流して見ただけですが…)、昔と雰囲気が変わっていて時代の流れを感じました。
一番驚いたのはBLACKPINKのリサが出ていた事でしょうかね(笑)
まあ何にしろ昔の華やかなお祭り騒ぎ感がノミネート作品の地味さからかあまり感じられませんでしたね。
とにかく(まだどの作品も見ていないのであくまでもイメージですが)“アメリカ人万歳”的な感覚はほぼ無くなりつつあり、ノミネート作品も他の海外国際映画祭の様な作品が並び、エンタテイメントよりもアート寄りの作品が多くなっていたように感じられました。
で、本作も見終えて深さは感じられましたが、今までのアカデミー賞向きでは無い様な気もしました。これも時の流れなのでしょうね。
とりあえず本作の感想ですが、まず物語に登場する誰一人にも感情移入はおろか、親近感のわく人物像を全く配置させない事から現代性を感じてしまう。
主人公は性産業を生業にしている女性がであり、後はロシア系の財閥とその御曹司とそれに使える神父やら用心棒やら取り巻き達。
なので、前半部の欧米映画によくある超リッチな豪邸のパーティーやら自堕落で享楽的な(店内などの室内シーンばかりの)映像には生理的に見ているのが本当にしんどかったのですが、後半からの屋外に出てからが急に面白くなり出しました。
これは私の推測ですが、本作の主人公の名前のアニーは、ひょっとしたらミュージカル『アニー』からの、真逆のパロディでありメッセージなのかも知れないという気がしました。
本作はある種の“恋愛映画”でもある訳ですが、『プリティ・ウーマン』(娼婦と金持ち)や『アニー』(孤児と金持ち)の様なシンデレラストーリーやアメリカンドリームでもなく、決してハッピーエンドでもなく、職業や生い立ち(環境)からくる気質の美化も見せない。
ただあるのは人間の身勝手さと欲望と自堕落さであり、それを生々しいまでに描きながらも、時折見せるアニーの冷めた眼差しであったり、後半から出てくるある人物の持って生まれた様な(優しさなのか?)紳士性であったり、そうしたディテールの積み重ねがあのラストシーンへと繋がり、決して“希望”ではないが“絶望”でもないという現在(現実)性を感じさせてくれる作品でした。
コンパートメント症候群
2023年の『コンパートメントNO.6』が非常にいい映画だったので、気になっていたユーリ・ボリソフが出演というのと、海外での評価が高い、との前情報のみで鑑賞。
個人的には前半の、ストリップバーでの酩酊感と若さゆえのキラキラ感、スピード感が良かった。ただ、その前半の輝かしさも、海外に行ってみると割と普通に見かける光景。豪勢な暮らしとは裏腹、御曹司とのセックスは実にありきたり。後半失踪したイヴァン探しのドタバタ劇からは失速気味で、イゴールの意味有りげなアップから、さあどうなる?と期待したが、結局は一緒に疲れる感じで正直ウンザリさせられた。ただ海外で暮らしたことのある者、または英語ネイティブには、彼ら/彼女らのやりとりは実に滑稽に映るかもしれない。
イゴールのアノーラに対する気遣いも、われわれが日常で見かける思いやりの域を出ないように感じ、特別彼が優しいとは思えなかった。
最後、セックスでしかお礼をする術のないアノーラの悲しい性は堪えたが、よくわからないフワフワした結婚がふいになって、”夢物語?ううん。これが現実”とするくらいなら、イゴールが最後は拒んだうえで「アノーラ。自分を敬えない人間は、他人からも敬ってもらえないよ」と諭して、前向きに歩いていくアノーラを描く、くらいはしてほしかった。現実だって夢なんだから。
まあそうなるとまた別の映画になってしまうだろうが。
そんな中、劇中でわずかに映る、幸薄そうな家政婦のほうが個人的には強烈だった。アノーラは華やかな世界に身を置きつつも等身大の若者っだったので、ああいうのをメインに添えると面白い映画になるんだよなぁ...と勝手に妄想が膨らんでしまった。
その後の2人を想像してみる
心ある人間いるじゃん?!友達になれそうだよ!あんな形のお礼になっちゃうアノーラ、自然とキス求めるイゴール。泣けちゃいましたラストシーンは。元の仕事に戻る…なんて事はしないよね、アノーラ、いや…戻っちゃうかな~。見る目養って逞しく体を武器にしていくか、敏腕弁護士にでもなってほしい(実は頭良さそうだし)。イゴールもバカ息子に「謝るべき」楯突いたしアホ臭すぎる一族にウンザリして転職…。3年後に偶然再会し、過去から成長した2人、今度はアノーラがイゴールのピンチを助ける。ホンネぶつけられる親友関係始まる、とボンヤリと想像を巡らせます。
いまだに身分の差?-こんなに笑える作品だったとは!
開始直後のパリピ的なノリから、結婚を無かったことにしようとする両親とその手先たちが登場してからのスラップブティックなドタバタ劇への怒涛の展開を経て、諦観へと続いていくテンポが抜群に良い。
前半ではR18+に当然なるような性描写がてんこ盛りではあるが、あっけらかんとし過ぎていて余りいやらしさすら感じない。セックスワーカーの仕事としてこなしている様は、家政婦が部屋を掃除しているのと何ら変わらない。
アニーが好きなプリンセスはシンデレラだという台詞が出てくる。舞踏会で夢をみるシンデレラは午前零時を迎えると魔法が解けてしまう現実を抱えている。しかし、魔法が解けたら終わりなのではなく、それでも自分は自分なのだというブレない芯の強さをアニーは持ち合わせている。彼女の職業に対しては嫌悪感を持ったとしても、この強さに共感し応援したくなる女性も少なくないのではなかろうか。
にも関わらず、如何ともし難い状況のやるせ無さにも直面し、思わず涙をこぼすアニー。朝ドラの『虎に翼』ならBGMにインストゥルメンタルで「うちのパパとうちのママが…」と流れてきそうな展開。セックスワーカーを見下し、蔑みの目で身分の差を突きつけてくるイヴァンの母親に象徴される資本主義的階級社会の冷酷さ。そこでは弱いものどうしが支え合っていかざるを得ない。
だが、アメリカ合衆国という国が、そもそもの成り立ちとして、信教の自由とともに(プリンスやプリンセスが存在し、身分が生まれながらにして定められている)階級社会からの自由を求めて旧世界からやって来た人々によって建国された国では無かったのか?
自由と平等を希求する人々の国だったはずなのに「独立宣言」の理想を覆すように自らを「王」と称する男が大統領になり、大富豪が貴族のように振る舞っている。そして、大国ロシアが隣の小国を蹂躙している。そんな現実世界に思いをつい馳せながら観ていると、小娘だと思っていたら意外と手強かったのは誤算だった、という場面で劇場に笑いが起きる。
あれだけ身体を張った演技をしたんだから、ご褒美にオスカーの主演女優賞が与えられてもバチは当たらないよね。
バイオレンスではない暴力
2024年。ショーン・ベイカー監督。ニューヨークで夜の性産業に従事する女性は、ロシアからやってきた若い客に見初められて自宅に招かれると、とんでもない豪邸に住んでいることがわかる。一週間の専属契約の後でプロポーズされるが、やがてその男の親に雇われた男たちがやってきて、、、という話。
「そこに愛はあるのか」という恋愛映画の永遠の主題が、あからさまな性と金の問題として描かれる。筋だけ追えば「主人公が疑いながらも得ていると思っていた愛らしきものが最初から幻だったことがわかる悲劇」ということになる。最初からある性的な格差(男と女)と資本力的な格差(富豪と夜の女)は愛の力では超えられなかった(この愛の疑わしさは当初からわかっているのだが)、ということだ。
しかしこれは喜劇でもある。男の親から派遣されてくるこわもての男たちは銃を持ってないし、人を殴らない。この映画で人を殴るのは主人公をはじめとする女性たちだけだ。悲劇をもたらす力であるはずの富豪一族、特に母親も最後の最後で主人公の女性に痛快にやられている。こわいおにーちゃんたちが女性をめぐってあたふたし、鼻を骨折してゲロをはく様子や、権威的な母親がやり返されて痛いしっぺ返しを食らう様子は単純に笑える。力の転倒の喜劇。悲劇と喜劇が上手にブレンドされた映画はたいてい面白いから、この映画も面白いのは当然だ。
それでもやはり、これは「暴力」の映画だ。こわもての男たちのうちのバイオレンス担当の男は、主人公の女性に「底辺に生きる者同士の連帯」のようなものを示し続けている。その男を忌み嫌っていた女性は最後に男のまごころに触れたおもいになった時、性的な行為で感謝を示すことしかできない(これが新たな愛の認識だと純粋なラブストーリーになるところう。この作品においては、あくまでも男の思いは共感的同情的なものであり、女性の思いは感謝だろう)。女性には性的に搾取される貧しい人間の行動規範が身についてしまっているのだ。これが人間に振るわれる最悪の暴力でなくてなんなのか。最後の涙は身につまされる。
罵倒は本質を現す
つまらなくはないが面白くもない
第97回アカデミー賞では作品賞や監督賞、主演女優賞など5部門を受賞。
ストリップダンサーのロシア系アメリカ人アノーラがロシア人の御曹司イヴァンと知り合い期間限定の付き合いを契約しラスベガスで衝動的にノリで結婚。その後のイヴァンのボディーガードや両親を巻き込んでの結婚を破棄させるまでのドタバタ劇です。
ストーリー自体はコメディ要素もありますが、R18+ですので演技が妙にリアルで生々しい。
冷徹なイメージのロシア人達の慌てぶりをアメリカ映画としてエネルギッシュに描いているのですが問題はこの主人公二人の行動に全く共感できずラストも微妙でなんとも言えず。
印象には残りますがアカデミー賞の作品賞受賞が個人的には疑問でした。
おススメ度は普通のやや下です。
ビッチなシンデレラ。面白くて、切ない!
ショーン・ベイカーは負け犬を描かせたら天下一品だな。
●ヒロインをあくまで売女として描いたのがいい。自分本意で身勝手で欲深な女。性的表現も妥協なく、シンデレラの要素はカケラもない。だからこそ自分を嘆くラストが胸打つ。
●登場人物、全員が自分本位な言動ばかりで笑える。ちょっとお前らだまれよ、一斉にしゃべるな!…なノリ。現実世界であるある、こんなシチュエーションあるって。
●自分本位なのに後ろめたくてちょっと優しい。それも人物たちがリアルで豊かに感じる。
ありがちなのは娼婦を銃で始末するみたいな展開はなく、攻めた後、ちょっと悪かったなぁって感じがいい。
●雪がいい。やたら寒い寒いと連呼してマフラーのための伏線かと思ったら、窓辺に立つと雪。ゾクッときた。
●雪の車内。ばあちゃんの車。最後に情感が盛り上がる。
●最後の涙。シンデレラになれなかった。なれないんだと思ったら、本当に切なくなった。
そして悪態ばっかりついていたアノーラがどういう人だったか初めてわかるのだ。
このラストに痺れた!
笑った、ハラハラした、そして泣かされた。
パルムドールとは一体何だったのか・・・
アカデミー賞受賞&R18という異色の組み合わせに期待したのですが・・
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