ANORA アノーラのレビュー・感想・評価
全465件中、261~280件目を表示
親の財で生き
親の目の届く範囲でしか生きられない若者と
曲がりなりにも自らの力で生きる範囲を広げ成長する
少女の始まりと終わりを見せる映画
キャッチコピー的には
現代版シンデレラストーリーとその破滅的物語だそう
だが
僕にとっては、陰陽リアリティドラマを
観たような気がした。
ついでに言うと、恋愛のジャッジポイントの
男女比もw
と言いつつ裏にあるテーマは
米露実態レポートだな。であった。
米国のシリコンバレーの隆盛は露に一部根元があり
ロシア抜きにはGAFAMも成り立たない。と言うことだ◎
そこ見誤っちゃ〜これからの世界見誤るよね。と
ポルノ要素で画期的とも言える映画は色んなものを発射
したね〜w
現実を見据えたシビアさ
ストリップダンサーがロシア人の御曹司と恋に落ちるシンデレラ・ストーリーと思いきや、さにあらず。相手の男イヴァンは裕福な両親に甘やかされた放蕩息子で、この交際は破綻の危機を迎えていく。
アノーラとイヴァンが親密になっていく序盤から小気味いいリズムで進み飽きさせない。ただ、世間知らずなお坊ちゃんイヴァンが余りにも軽薄過ぎて、この交際が上手くいかないことは火を見るよりも明らか。アノーラの想いとは裏腹に、厳しい現実が彼女の前に立ちふさがることになる。
身分の差によって引き裂かれるメロドラマというお馴染みのストーリーだが、本作はヒロイン=ストリップダンサーという設定にしたところがミソだと思う。そこには、昨今のアメリカ映画の潮流とも言える、女性に対する性的搾取という問題が垣間見える。
例えば、昨年観た「哀れなるものたち」は、エマ・ストーンが娼婦に身を落とし、そこから自らの人生を見出していく物語だった。あるいは、「プロミシング・ヤング・ウーマン」はキャリー・マリガンが下衆なナンパ男に報復していくという物語だった。実話の映画化「SHE SAID/シー・セッド その名を暴け」や「スキャンダル」という作品もあった。
これらに共通するのは、性的に虐げられてきた女性が男根主義社会に反撃をくらわすというジェンダー平等の提言である。
本作のアノーラもセックスワーカーであり、男性客に性的な奉仕をして生活をしている。そういう意味では、一連の作品に共通するヒロイン像と言える。ただ、本作がこれまでの作品と違うのはその描き方である。
これまでなら自分を虐げてきた周囲を見返すような反撃が描かれていただろう。しかし、本作は極めて現実主義的でシビアな展開に終始するのだ。
確かにアノーラはイヴァンの両親が差し向けたお目付け役に反抗して見せるが、所詮は非力な女性である。腕力では男たちに到底かなわず、彼等の前では屈するしかない。特に中盤、彼等に軟禁されるシーンは印象に残る。彼女は大声で「レイプ!」と連呼する。しかし、その声は屈強な男たちによってかき消されてしまう。
本作を観ると、先の作品が全てファンタジーのように思えてしまう。
昔に比べたら確かに女性の地位は向上したと言えるだろう。しかし、現実にはまだアノーラのように身体的、社会的に力の弱い女性がいるということを、この映画は語っているような気がする。昨今の潮流を考えると、こうした厳しい現実を提示して見せた所は本作の大きなトピックではないだろうか。
製作、監督、脚本、編集はインディーズ界の雄ショーン・ベイカー。一貫して社会の下層に生きる人々を描いてきた俊英である。
持ち前の軽妙な演出は前半のラスベガスの豪遊シーンや、中盤のドタバタ騒動劇で発揮されている。シリアスとコメディが入り混じるバランス感覚も絶妙で、とりわけラストシーンは秀逸だと思った。
キャストでは、何と言ってもアノーラを演じたマイキー・マディソンの圧倒的なパフォーマンスに痺れた。フィルモグラフィーを見ると「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」にチョイ役で出演していたらしいが、まったく覚えておらず。今回改めその魅力を確認した次第である。
劇中では非常にパワフルで快活なのだが、時折見せる憂いに満ちた眼差しが印象に残る。セックスとゲームしか頭にないイヴァンを見る目に彼女の不安が透けて見える。彼女自身、この関係が長く続かないと、心のどこかで予感していたのではないだろうか。
また、イヴァンのお目付け役の一人イゴールを演じたユーリー・ボリソフは、本作で最も好感を持てた俳優である。彼は「コンパートメントNo.6」でも似たようなキャラを演じており、そちらでも好印象だった。
“希望”ではないが“絶望”でもない
今年はNHKBSで第97回アカデミー賞が放送されていたので録画してからざっと眺めたら、本作が作品、監督、主演女優、脚本、編集の5部門も受賞していたので、早速近所のシネコンに見に行きました。
まず久々にアカデミー賞を見ましたが(流して見ただけですが…)、昔と雰囲気が変わっていて時代の流れを感じました。
一番驚いたのはBLACKPINKのリサが出ていた事でしょうかね(笑)
まあ何にしろ昔の華やかなお祭り騒ぎ感がノミネート作品の地味さからかあまり感じられませんでしたね。
とにかく(まだどの作品も見ていないのであくまでもイメージですが)“アメリカ人万歳”的な感覚はほぼ無くなりつつあり、ノミネート作品も他の海外国際映画祭の様な作品が並び、エンタテイメントよりもアート寄りの作品が多くなっていたように感じられました。
で、本作も見終えて深さは感じられましたが、今までのアカデミー賞向きでは無い様な気もしました。これも時の流れなのでしょうね。
とりあえず本作の感想ですが、まず物語に登場する誰一人にも感情移入はおろか、親近感のわく人物像を全く配置させない事から現代性を感じてしまう。
主人公は性産業を生業にしている女性がであり、後はロシア系の財閥とその御曹司とそれに使える神父やら用心棒やら取り巻き達。
なので、前半部の欧米映画によくある超リッチな豪邸のパーティーやら自堕落で享楽的な(店内などの室内シーンばかりの)映像には生理的に見ているのが本当にしんどかったのですが、後半からの屋外に出てからが急に面白くなり出しました。
これは私の推測ですが、本作の主人公の名前のアニーは、ひょっとしたらミュージカル『アニー』からの、真逆のパロディでありメッセージなのかも知れないという気がしました。
本作はある種の“恋愛映画”でもある訳ですが、『プリティ・ウーマン』(娼婦と金持ち)や『アニー』(孤児と金持ち)の様なシンデレラストーリーやアメリカンドリームでもなく、決してハッピーエンドでもなく、職業や生い立ち(環境)からくる気質の美化も見せない。
ただあるのは人間の身勝手さと欲望と自堕落さであり、それを生々しいまでに描きながらも、時折見せるアニーの冷めた眼差しであったり、後半から出てくるある人物の持って生まれた様な(優しさなのか?)紳士性であったり、そうしたディテールの積み重ねがあのラストシーンへと繋がり、決して“希望”ではないが“絶望”でもないという現在(現実)性を感じさせてくれる作品でした。
コンパートメント症候群
2023年の『コンパートメントNO.6』が非常にいい映画だったので、気になっていたユーリ・ボリソフが出演というのと、海外での評価が高い、との前情報のみで鑑賞。
個人的には前半の、ストリップバーでの酩酊感と若さゆえのキラキラ感、スピード感が良かった。ただ、その前半の輝かしさも、海外に行ってみると割と普通に見かける光景。豪勢な暮らしとは裏腹、御曹司とのセックスは実にありきたり。後半失踪したイヴァン探しのドタバタ劇からは失速気味で、イゴールの意味有りげなアップから、さあどうなる?と期待したが、結局は一緒に疲れる感じで正直ウンザリさせられた。ただ海外で暮らしたことのある者、または英語ネイティブには、彼ら/彼女らのやりとりは実に滑稽に映るかもしれない。
イゴールのアノーラに対する気遣いも、われわれが日常で見かける思いやりの域を出ないように感じ、特別彼が優しいとは思えなかった。
最後、セックスでしかお礼をする術のないアノーラの悲しい性は堪えたが、よくわからないフワフワした結婚がふいになって、”夢物語?ううん。これが現実”とするくらいなら、イゴールが最後は拒んだうえで「アノーラ。自分を敬えない人間は、他人からも敬ってもらえないよ」と諭して、前向きに歩いていくアノーラを描く、くらいはしてほしかった。現実だって夢なんだから。
まあそうなるとまた別の映画になってしまうだろうが。
そんな中、劇中でわずかに映る、幸薄そうな家政婦のほうが個人的には強烈だった。アノーラは華やかな世界に身を置きつつも等身大の若者っだったので、ああいうのをメインに添えると面白い映画になるんだよなぁ...と勝手に妄想が膨らんでしまった。
その後の2人を想像してみる
心ある人間いるじゃん?!友達になれそうだよ!あんな形のお礼になっちゃうアノーラ、自然とキス求めるイゴール。泣けちゃいましたラストシーンは。元の仕事に戻る…なんて事はしないよね、アノーラ、いや…戻っちゃうかな~。見る目養って逞しく体を武器にしていくか、敏腕弁護士にでもなってほしい(実は頭良さそうだし)。イゴールもバカ息子に「謝るべき」楯突いたしアホ臭すぎる一族にウンザリして転職…。3年後に偶然再会し、過去から成長した2人、今度はアノーラがイゴールのピンチを助ける。ホンネぶつけられる親友関係始まる、とボンヤリと想像を巡らせます。
いまだに身分の差?-こんなに笑える作品だったとは!
開始直後のパリピ的なノリから、結婚を無かったことにしようとする両親とその手先たちが登場してからのスラップブティックなドタバタ劇への怒涛の展開を経て、諦観へと続いていくテンポが抜群に良い。
前半ではR18+に当然なるような性描写がてんこ盛りではあるが、あっけらかんとし過ぎていて余りいやらしさすら感じない。セックスワーカーの仕事としてこなしている様は、家政婦が部屋を掃除しているのと何ら変わらない。
アニーが好きなプリンセスはシンデレラだという台詞が出てくる。舞踏会で夢をみるシンデレラは午前零時を迎えると魔法が解けてしまう現実を抱えている。しかし、魔法が解けたら終わりなのではなく、それでも自分は自分なのだというブレない芯の強さをアニーは持ち合わせている。彼女の職業に対しては嫌悪感を持ったとしても、この強さに共感し応援したくなる女性も少なくないのではなかろうか。
にも関わらず、如何ともし難い状況のやるせ無さにも直面し、思わず涙をこぼすアニー。朝ドラの『虎に翼』ならBGMにインストゥルメンタルで「うちのパパとうちのママが…」と流れてきそうな展開。セックスワーカーを見下し、蔑みの目で身分の差を突きつけてくるイヴァンの母親に象徴される資本主義的階級社会の冷酷さ。そこでは弱いものどうしが支え合っていかざるを得ない。
だが、アメリカ合衆国という国が、そもそもの成り立ちとして、信教の自由とともに(プリンスやプリンセスが存在し、身分が生まれながらにして定められている)階級社会からの自由を求めて旧世界からやって来た人々によって建国された国では無かったのか?
自由と平等を希求する人々の国だったはずなのに「独立宣言」の理想を覆すように自らを「王」と称する男が大統領になり、大富豪が貴族のように振る舞っている。そして、大国ロシアが隣の小国を蹂躙している。そんな現実世界に思いをつい馳せながら観ていると、小娘だと思っていたら意外と手強かったのは誤算だった、という場面で劇場に笑いが起きる。
あれだけ身体を張った演技をしたんだから、ご褒美にオスカーの主演女優賞が与えられてもバチは当たらないよね。
バイオレンスではない暴力
2024年。ショーン・ベイカー監督。ニューヨークで夜の性産業に従事する女性は、ロシアからやってきた若い客に見初められて自宅に招かれると、とんでもない豪邸に住んでいることがわかる。一週間の専属契約の後でプロポーズされるが、やがてその男の親に雇われた男たちがやってきて、、、という話。
「そこに愛はあるのか」という恋愛映画の永遠の主題が、あからさまな性と金の問題として描かれる。筋だけ追えば「主人公が疑いながらも得ていると思っていた愛らしきものが最初から幻だったことがわかる悲劇」ということになる。最初からある性的な格差(男と女)と資本力的な格差(富豪と夜の女)は愛の力では超えられなかった(この愛の疑わしさは当初からわかっているのだが)、ということだ。
しかしこれは喜劇でもある。男の親から派遣されてくるこわもての男たちは銃を持ってないし、人を殴らない。この映画で人を殴るのは主人公をはじめとする女性たちだけだ。悲劇をもたらす力であるはずの富豪一族、特に母親も最後の最後で主人公の女性に痛快にやられている。こわいおにーちゃんたちが女性をめぐってあたふたし、鼻を骨折してゲロをはく様子や、権威的な母親がやり返されて痛いしっぺ返しを食らう様子は単純に笑える。力の転倒の喜劇。悲劇と喜劇が上手にブレンドされた映画はたいてい面白いから、この映画も面白いのは当然だ。
それでもやはり、これは「暴力」の映画だ。こわもての男たちのうちのバイオレンス担当の男は、主人公の女性に「底辺に生きる者同士の連帯」のようなものを示し続けている。その男を忌み嫌っていた女性は最後に男のまごころに触れたおもいになった時、性的な行為で感謝を示すことしかできない(これが新たな愛の認識だと純粋なラブストーリーになるところう。この作品においては、あくまでも男の思いは共感的同情的なものであり、女性の思いは感謝だろう)。女性には性的に搾取される貧しい人間の行動規範が身についてしまっているのだ。これが人間に振るわれる最悪の暴力でなくてなんなのか。最後の涙は身につまされる。
罵倒は本質を現す
つまらなくはないが面白くもない
第97回アカデミー賞では作品賞や監督賞、主演女優賞など5部門を受賞。
ストリップダンサーのロシア系アメリカ人アノーラがロシア人の御曹司イヴァンと知り合い期間限定の付き合いを契約しラスベガスで衝動的にノリで結婚。その後のイヴァンのボディーガードや両親を巻き込んでの結婚を破棄させるまでのドタバタ劇です。
ストーリー自体はコメディ要素もありますが、R18+ですので演技が妙にリアルで生々しい。
冷徹なイメージのロシア人達の慌てぶりをアメリカ映画としてエネルギッシュに描いているのですが問題はこの主人公二人の行動に全く共感できずラストも微妙でなんとも言えず。
印象には残りますがアカデミー賞の作品賞受賞が個人的には疑問でした。
おススメ度は普通のやや下です。
ビッチなシンデレラ。面白くて、切ない!
ショーン・ベイカーは負け犬を描かせたら天下一品だな。
●ヒロインをあくまで売女として描いたのがいい。自分本意で身勝手で欲深な女。性的表現も妥協なく、シンデレラの要素はカケラもない。だからこそ自分を嘆くラストが胸打つ。
●登場人物、全員が自分本位な言動ばかりで笑える。ちょっとお前らだまれよ、一斉にしゃべるな!…なノリ。現実世界であるある、こんなシチュエーションあるって。
●自分本位なのに後ろめたくてちょっと優しい。それも人物たちがリアルで豊かに感じる。
ありがちなのは娼婦を銃で始末するみたいな展開はなく、攻めた後、ちょっと悪かったなぁって感じがいい。
●雪がいい。やたら寒い寒いと連呼してマフラーのための伏線かと思ったら、窓辺に立つと雪。ゾクッときた。
●雪の車内。ばあちゃんの車。最後に情感が盛り上がる。
●最後の涙。シンデレラになれなかった。なれないんだと思ったら、本当に切なくなった。
そして悪態ばっかりついていたアノーラがどういう人だったか初めてわかるのだ。
このラストに痺れた!
笑った、ハラハラした、そして泣かされた。
パルムドールとは一体何だったのか・・・
アカデミー賞受賞&R18という異色の組み合わせに期待したのですが・・
美人じゃないのに段々彼女の魅力にハマってしまう
アカデミー賞おめでとう!
楽しい映画でした。
出だしのノリのいい映像の編集と音楽で、一気に引き込まれる。
(ちょっと映画「マイアミバイス」の出だしを思い出す)
で、アノーラにとっての夢のような前半の後…。
後半が面白い。前半は映像のノリで引き込まれるけど、後半は、痛いドタバタコントの趣もあり、こちらは話で引き込まれる。
で、ラストにこの監督らしいサプライズが。(見ながら、絶対サプライズがあると思っていたけど、案の定)で、ちょっと深い。
主役のマイキー・マディソンは見ながら誰かに似ているな、と思ったら、後半ダメ亭主を「ヘタレ」と言っていたのを聞いて思い出した。「カーネーション」の尾野真千子だ〜!
パワフルな演技は、尾野真千子を思い出す。で、とても魅力的(美人じゃないのに段々彼女の魅力にハマってしまう。)
それと、今回の助演男優賞にノミネートされたユーリー・ボリソフがいい。で、とてもいいヤツなんです。彼も大好きなキャラでした。
アカデミー賞主演女優賞、脚本賞、編集賞、監督賞は納得だけど、作品賞は別の作品の方が…。
面白かったけど、アカデミー賞の作品賞の作品じゃない思った。
監督賞は、取れてよかった。やはり気になる監督ではある。それにこの監督は編集を自らやっているので、編集とセットだね。この監督の良さは。編集賞も取れて良かった。
前半はラリってて、後半はしんみり。
観る前にハードル上げすぎたかな・・・。
ショーン・ベイカー監督の作品といえば、前作の「レッドロケット」が衝撃的に面白くて自分好みでしたが、R18だし「絶対にメジャーヒットは無理」って感じの印象でした。今回、カンヌとアカデミーのダブル受賞ということで、大いに期待して鑑賞したのですが、感想は満足感と物足りなさが入り交じりましたね。
アンチシンデレラストーリーとはよくいったもので、確かにこの映画を的確に表現していると思います。ただ、「レッドロケット」のような、意外な展開はなく、「こんなバカ息子と結婚なんかしても上手くいくわけないやん」と思って観てたら、ある意味当たり前に強制離婚という顛末で終わり。なので、ストーリー自体の面白さとしては物足りなかったかな。
大満足だったのは後半展開される、どこか憎めない連中とアノーラとのバトルチックなやりとりで、ショーン・ベイカーらしさ全開でした。普通なら観てて不快になるようなケンカのシーンが、おかしくて仕方ないというのは、脚本・演出・演者が全部そろって上手いからでしょうね。
あと、ラストシーンとエンドクレジットがそれまでのタッチから急に変わった(ように感じた)ので、少し戸惑いました。観る人によっていろんな解釈ができるラストだと思いますが、イゴールと結ばれてメデタシ、みたいなロマンティックなものではなく、そもそも彼女の人生はまだ続くのだということを示すために、あえて終わりっぽくないエンドロールにしたのかと。とにかく余韻の残るエンドロールでした。
それにしてもこの映画がアカデミー賞作品賞を受賞するというのは、時代の変化を感じます。昔はカンヌ受賞作はアカデミー賞にノミネートされることすら少なかったのに。アカデミー賞らしい、メジャー大作で質も高いという作品が少なくなっている昨今、当面こういう傾向が続くのかなと思いますが、こういう賞って個性があって全然別の映画が受賞するほうがファンとしては楽しいのですが。
久々納得のアカデミー賞
前半、後半でガラリと異なる展開。ラストは意味深
ストリップダンサーではなく、性的サービスをする風俗嬢アノーラ。
そこに遊びに来た、世間知らずの金持ち息子。性的サービスに大満足しすぎて出張サービス、さらには7日間の契約まで求めます。金持ちの道楽に付き合う程度でいたアノーラでしたが、この男からのまさかのプロポーズ。遊びの延長か勢いとしかおもえないのですが、あまりの真剣さに同意して結婚してしまいます。「プリティウーマン」ばりの恋愛ドラマ展開と思いました。ところが後半は急展開に、バカ息子のお目付け役が登場して後始末をつけようとします。するとバカ息子は逃亡。お目付け役とアノーラでバカ息子を探すロードムービー展開となります。恋愛とは打って代わり笑い飛び交う珍道中です。オチはどうなるのか?親の反対を押しきり女性を一途に愛する男となると期待するも。生々しい現実でバカ息子はバカ息子のままでした。家に帰るアノーラでした。彼女はシンデレラストーリーを夢みたのではなく、一人の女性として幸せを求めたのでした。しかしそれは叶いませんでした。ラストをどう解釈するかでこの作品の評価となります。お目付け役イゴールがバカ息子に返さなかった結婚指輪を渡します。アノーラはイゴールの上に乗りセックスをします。イゴールがキスをしようとすると拒むアノーラ。そしてイゴールの胸で号泣します。
指輪を戻してくれたイゴールへのお礼がセックス。しかしキスをしたらイゴールが勘違いして愛してくるのではと思い拒んだ。もうこんな恋愛はこりごりという号泣と解釈しました。
なるほどそう来たか
ラストシーンが全てか。そこまで持っていくためにドタバタ劇を長々と流したのか。主役をアノーラとイゴールと見做せばシックリ。アニーはイゴールに跨る。イゴールが拒否しないのを責めるのは酷。パンフレットのコメント欄で、ここの受け取りが私と異なる意見があった。しかしイゴールが欲しいのはセックスよりキスだった。明らかにアニーに対して情が湧いている。同情より愛情だろう。そりゃあ、あの立場で親分の息子に謝罪を求めたのは相当な覚悟だったと思う。アニーはイゴールのキスを拒む。これは予想通り。身体を提供すること以上にキスは特別なのかもしれない。どう対応すべきかわからなかったのだと思う。その過程を経ての最後もたれかかっての涙は、ポジティブに受け取って良いと思う。二人は恋心を確信したはずだ。
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