ANORA アノーラのレビュー・感想・評価
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タンジェリン、フロリダプロジェクト
「タンジェリン」で高評価を得、
ウィレム・デフォーを招いた「フロリダプロジェクト」は、
力が入り過ぎたか、
メッセージが先行して、
シナリオ、演出ともにキャストに頼り過ぎている感は否めなかった。
本作も期待薄だった。
しかし驚いた。
メッセージをストーリーに、
キャラに馴染ませて、笑わせて、グルーブして、
言葉と行為でF〇〇Kの連打、
レニングラードカウボーイズがゴーアメリカするような、
間の抜けたタンジェリン風広角レンズも良かった。
「T-34」のバキバキのイゴール(ロシア語で兵士)も、
おばあちゃん子の一面を強調し、
キャラに柔らかさを加えることで物語に奥行きを持たせている。
ソ連崩壊後のロシアの闇社会とアメリカンドリームの対比を、
オリガルヒ風の息子イヴァンとダンサーアニーの結婚を通して、
描き出す本作は、
ショーン・ベイカー得意の、
社会風刺と人間ドラマを融合させている。
EDロール中に流れるおばあちゃんの車のディーゼルエンジン音も、
この映画のエコーチェンバーのように作品全体を締めくくっているのも印象的だ。
ディーゼルエンジンという、
東西の文化的背景が織り込まれた音響の選び方が巧妙で、
この音に物語の全てが詰まっているような気さえする。
東側と西側の対立や対比というテーマを強調する一方で、
それが全体のメッセージに、
あるいは二人のストーリーに、
どう繋がるのか、
観る者に考えさせる余地を残している。
西側では避けられがちなディーゼルエンジンが東側では主流であるという設定を、
物語の本筋と巧妙に絡めることで、作品のテーマ性が自然と深まっていく。
このように、本作は、
シナリオや演出、キャラクターの深みが融合した作品であり、
力が入り過ぎた前作とは多少は異なり、
ショーン・ベイカーの今後に少しは期待を持たせる作品となっている。
【蛇足】
アニーとイヴァンがゲームをしているシーン。
ホームヘルパーのクララが掃除機をかける、
脚を上げるアニー、
ドラッグをクララにすすめるイヴァン。
このシーンは、一見何気ない日常の一コマのように見えるが、
監督はその背後に潜む微妙な感情の機微を描こうとしていた気がする。
非常に無邪気でありながら、同時にその無邪気さが持つ危うさ、
一見すると軽い冗談のようにも見えるが、
その無邪気さには何とも言えない緊張感が漂う。
無邪気さと無責任さと邪気が、
ギリギリと交錯する空気そのものであり、
安易に共感し合う事もできない、
そこを描ききれない、伝えきれない、
撮影はしたが編集でオミットしたのかもしれない、
はっきりとした答えは映画の中で提示されることはない、
これをやりたいんじゃないの?監督。
こういう細かい繊細な積み上げも
シナリオと演出で描写していければショーン・ベイカーも、
名実共にオスカー監督としてリスペクトされるだろう。
何を観させられたんだろう
アカデミー賞ホイホイで(自分もそのうちの1人ですが)平日朝イチの回なのに、半分ほどの入りの劇場で鑑賞。
…ごめんなさい。
2時間20分、苦痛の時間でした。
主人公2人がクズすぎます。
ドラ息子はもう仕方ないとして、アノーラが最後までビッチ…(心はどうあれ、やっていることは…)だったのが、女性の自分には受け付けられませんでした。
ショーン・ベイカー監督のこれまでの作品を見たことがありませんが、移民やマイノリティ、セックスワーカーに寄り添った作品で定評があると。
セックスワーカーの汚名をそそぎたい、って、これは逆効果なのでは?とすら思ってしまいました。
ビッチなのも含めて肯定しなきゃいけないのだとしたら…少なくとも、ロシア系アメリカ人に何の思い入れのない自分には無理だー。
最初の50分はただただ、主役の二人が素っ裸でセックスしまくり(たぶん10回ぐらい)、酒やら薬やらをキメるシーンが出てくるので、そういうのが苦手な方は回れ右です。
次のドタバタコメディパート、劇場では笑いが起こっていましたが、私はクスりとも笑えませんでした。ただfuc○ing、を言わせればいいってもんじゃないよね。
本筋と関係ないパートで脇役たちに小話をさせて笑いを取るって、かなり高等テクニックなんだなと。(タランティーノはやっぱりすごいですね)
以下、あまりに退屈だったのでスクリーンを観ながら考えていたこと。
・アニー役のマイキー・マディソンって、まぶたが奥二重で蒙古襞もあって、日本人ぽい目だな。西洋人にしては珍しい。
・ロシア人にも罵られるアルメニア人て、あちらではどんな位置付けなんだろう?
申し訳ないが、日本人からみたら目糞鼻…
・t.A.T.u. を30年ぶりに映画館で聴くなんて!
・お母さん役の人、メラニア夫人に似てるなー。ロシア系だし、たぶん整形してるだろうし、同じ顔になるんだね。
・もしかして、監督は最初主人公を女性ではなく、ゲイの男性ストリッパーを主役にして脚本を書いてた、って可能性はないか?不自然に、同性婚とか、ホモ野郎、みたいな台詞が出てきたので。いや、そっちならあの救いのない結末もまだ納得がいくというか。
…すみません、完全に戯言です。
改めて言いますが、かなり観る人を選ぶ作品かと思われますので、アカデミー賞受賞、につられて観に行くのは厳禁です。
これが、天下のアカデミー賞5冠作品!?ってのが正直な感想^^;
auマンデー『アノーラ』
アカデミー賞2025作品賞は #名もなき者 だと思ってけど・・・
R18指定のアノーラが、作品賞と主演女優賞含む5冠!!って事で、名もなき者から予定変更して観て来ました🎬
ストリップダンサーが、ロシア超金持ちのバカ息子の道楽に翻弄され・・・
相手家族巻き込み大騒動になるエロチックコメディ
R18なんで、それ相応のシーンが、ジャブのように組み込まれてますが、会話が面白いので飽きずに観れます
ラスト、ずっと損な役目だったお目付け役のイゴールの至福に思わず頷いた^_−☆
ただ監督は、大勢の人に劇場で観てって語ってましたが、R18やし単独行動の映画好きオジサン向き(๑˃̵ᴗ˂̵)
私的にこれが、天下のアカデミー賞5冠作品なの!?ってのが正直な感想^^;
祝!アカデミー賞5冠! とびきり魅力的な女優の演じる、最高のタフ・ヒロインに乾杯!
祝! アカデミー作品賞&主演女優賞(他)受賞!!
というわけで、さっそく行ってきました。
いや、マジで普通に面白かったは面白かったけど……
よくコレで獲れたな、アカデミー賞!!!
ファ●クって叫ぶか、
ファ●クしてるかだけで
ほぼ出来てるような映画で(笑)。
でも、まあ一周回って、
これがポリティカリー・コレクトの
最前線なのかもしれないと思ったりもして。
「ど真ん中の女性映画」って意味では、
きちんと近年の流れを汲んでる気もするし。
とにかく、アノーラによる、
アノーラのための映画。
あるいは、
マイキー・マディソンによる、
マイキー・マディソンのための映画。
このとびきり魅力的な女優による、とびきり魅力的なキャラクターを堪能するためだけに供される140分。いろいろ面白いこともあれば、意外なことも起きるけど、一本「アノーラを見せる/アノーラで魅せる」という部分では、しっかり筋が通っている。
生命力にあふれ、逆境に負けない、不屈のヒロイン。
彼女はたしかにストリッパーだし、エスコート・ガールではあるけれど、間違いなく、グロリアや、ウォシャウスキーや、サラ・コナーや、リプリーや、フュリオサにも負けない「タフなヒロイン」だった。
アノーラは、タフだけど、思いっきり女としてふるまう。
(男のように強い一世代前のタフ・ヒロインとは毛色が異なる)
アノーラは、セックスを一切タブー視することなく、
コミュニケーションの手段として用いる。
(男性を寄せ付けないようなタフ・ヒロインとは対極の存在)
アノーラは、刹那を愉しみ、ピンチにひるまず、状況の変化に即応する。
これこそはある意味、「強い女」の「最新形」なのかもしれない。
― ― ― ―
お話としては、『プリティー・ウーマン』かと思って観に行ったら、途中でタランティーノみたいになったでござる、といった感じで、一見かなりの「変化球」にも見える。
だが、考えてみると、
ロシアのバカ息子も、アノーラも、
大富豪の子分たちも、アノーラの同僚たちも、
出てきたときからキャラクターには嘘偽りがない。
ずっと、そのままのキャラクターだ。
お話の都合でキャラ変したり、隠されていた秘密が明かされたりはしない。
契約恋人としてのバカ息子も、
結婚相手としてのバカ息子も、
ビビッて逐電するバカ息子も、
親の前でしおしおのバカ息子も、
ちゃんと一続きのキャラ付けになっている。
どのキャラも、それぞれのシチュエーションで、そのキャラが取るであろう行動を必ず取る。事前にインプットされた性格と個性に反した行動を決してとらない。そのせいで、最初に期待されたラブ・ストーリーは、オフビートな捜索劇へとおのずからツイストしてゆかざるをえない。
要するに、本作のキャラクターは脚本の傀儡ではない。
ドラマツルギーの奴隷ではない。
むしろ、キャラクターに合わせて、
物語が脱線し、妙な方向に地滑りを起こし、
先読みの出来ない方向へと突き進んでゆく。
そんな感じだ。
この映画では、ストーリーがキャラを動かすのではない。
キャラクターがストーリーを動かすのだ。
― ― ― ―
昔から「聖娼婦」「無垢なる娼婦」が出てくる文学や映画は結構あった。
それこそ、大昔の小デュマの『椿姫』やモーパッサンの『脂肪の塊』だってそうだし、僕の大好きな映画でいえば、『カリビアの夜』のジュリエッタ・マシーナとか、『ケーブル・ホーグのバラード』のステラ・スティーブンスとかだってそうだ。
だいたい、レオーネやペキンパーの映画に出てくる女は娼婦で、ただ男を包み込み癒してくれる、都合の良い母性的な存在として描かれる。
本作のアノーラは、さくっと仕事としてセックスするし、追いつめられるとヤマネコのように暴れて抵抗するし、いざ「イヴァンを捜索する」となったら先頭に立って探して回る、痛快でパワフルな女性である。
しかしその一方で、彼女は最後までイヴァンのプロポーズと誓約を信じようと努力するし、結婚という手に入れた紙切れ一枚の幸せを必死で守ろうとする。
彼女は一見すると、世慣れていて、計算高く、打算的な女性に見えるかもしれないが、同時に、純で、夢見がちで、ピュアなところが色濃く存在している。
彼女のまっすぐさと、まつろわない独立心と、恋を信じる乙女のような純情さは、彼女もまた「聖娼婦」の系譜に連なる存在であることを示唆している。
― ― ― ―
この映画の特徴を一言でいうと、
前半はとても70年代的。そして、後半はとても80年代的だ。
とにかく、この作品の登場人物は、のべつタバコを喫う。
浴びるように酒を飲む。罪の意識もなくドラッグをやる。
やって、やって、やりまくる。
刹那主義。快楽主義。反道徳。乱痴気騒ぎ。
思いつきでの行動。その日暮らしの逸楽。
このはちゃめちゃなノリは、僕たちに60~70年代のロックスターや、グルーピーや、ラス・メイヤーに代表される幾多のエクスプロイテーション・ムーヴィーや、ヒッピー・ムーヴメントの時代を容易に想起させる。
アノーラとイヴァンが過ごす蜜月を描く、アッパーで、カラフルで、夢のようなシーケンスは、『ゾンビ』で主人公たちが、無人のスーパーマーケットを満喫するシーンを彷彿させる。
自由と、快楽と、解放の正当性を信じた時代の香りがする。
一見すると、最近の息苦しいポリコレへの痛烈な皮肉を思わせる部分があるが(考えてみると、『ブルータリスト』の主人公も、異常なチェーン・スモーカーで、飲んだくれで、ドラッグ中毒だった)、ああ見えて酒もタバコも一切やらない、ドナルド・トランプへのシニカルな当てつけの部分もあるような気がする。
セックスワーカーを主人公に据える大胆さや、しきりに「避妊」を強調するところ、「結婚」という制度自体を徹底的に軽んじるような作りなども、共和党的な宗教保守の道徳観・結婚観をひたすらおちょくっている気配がある。
ここでショーン・ベイカーがやりたかったことは、きっと70年代的な理想主義の復権と、宗教保守の立場から切り捨てられるような人々の復権なのだ。
ただ、この夢のような時間は前半であえなく終わり、中盤にさしかかると、アノーラとイヴァンのもとに切実な現実がふりかかってくる。
ただし、その現実は必ずしも重々しくはなく、むしろ滑稽で、テンポ感があって、それはそれで賑やかである。
徹底した軽口の応酬。ドタバタのスラップスティック。
コワモテ連中のぶっとんだ、ずっこけ演技。
このノリは、まさにタランティーノやコーエン兄弟、あるいはその先達としてのスコセッシのテイストに近しいものだ。
すなわち、70年代の「子供じみた夢」が醒めて、
80年代の「ひねくれた笑いと暴力」の波が押し寄せてくる(笑)。
― ― ― ―
中盤戦の、三バカコンビとアノーラが繰り広げる渾身のコントは、最高に笑える。
個人的にこういうバカな映画は大好物なので、あのあたりは本当に面白かった。
他のお客さんも、結構楽しんでいた気がする。僕の観た調布の映画館は、ふだんからあまり反応の良い映画館ではないが、それでもそこかしこで、くすくすと笑いが起きていた。
基本は、おバカなスラップスティックなのだが、意外によく考えられているとも思う。
今のアメリカから見た、ロシアの立ち位置とか、オリガルヒの立ち位置とか、ロシアン・マフィアの立ち位置とか、ロシア正教の愚かしさとか、そういったものが結構生々しく反映されているし、そういった有象無象をニューヨークの街がどう受け入れていて、ラスベガスの街がどう受け入れているかという社会批評にもなっている。
女性映画の観点でいえば、ロシアン・チームは3人ともアノーラの反撃に遭ってボコボコにされながらも、専守防衛に徹して、決して怒りに任せて殴ったりはしない。最後のラインで彼らがコミックリリーフとして「観てほしいタイプの観客のヘイトを集めない」よう、ぎりぎりの一線を保っている。
(僕が普段好んで観ているようなクズ映画では、反撃した瞬間に殺されるかレイプされるのが落ちである(笑)。)
かわりに「ヒロインもボコボコにされる」という結果を引き出すために、「男に手を出させるわけにはいかないから」あのストリップ・バーでのダイヤモンドちゃんとのキャットファイトが挿入されるというわけだ。ね、考えられてるでしょう?
トロスのキャラクターも絶妙だ。コミュニティで尊敬される名士でありながら、ボスのロシア人富豪ザハロフには絶対服従。自分の管轄下でイヴァンがバカをしでかしたことに本気でビビりまくっている。ああ、なんかこういうの観たよなあと思ったら、たぶんこれ日本の任侠映画に出てくるNo.2とか意識してるんだろうなあ。
あと、相手につっかかるように同じセリフを何回も繰り返す演技プランは、スコセッシ映画におけるロバート・デ・ニーロや、タランティーノ映画におけるハーヴェイ・カイテルのそれを想起させる。
ちなみに僕はアカデミー賞助演男優賞にノミネートするなら、イヴァン役のマーク・エイデルシュテインやイゴール役のユーリ・ボリソフより、トロス様役のカレン・カラグリアンに一票を投じたいと思う(笑)。
― ― ― ―
後半戦について何が起きるかについては、ここでは敢えて触れない。
なんとなく「浮かれ立った70年代」が、本当は幼稚で子供じみた夢に過ぎなかったという現実が明らかになり、代わりに、暴力を笑いに転化する80年代的なシニズムが台頭する、といったところか。とあるキャラクターの「不在」と、再び現れたときの幻滅するような「オーラの陰り」は、そのまま70年代の栄光と失墜のメタファーのようにも思える。
そのなかで、ヒロインは翻弄され、抗い、叩きのめされる。
現実はシビアで、残酷だ。
だが、救いもないではない。
一生懸命に生きている人間には、
それなりに、見ていてくれる人もいたりするものだ。
あのラストシーンについては、フェミニスト寄りの論客のなかで、意見が分かれるかもしれない。男性性へのすり寄りだとか。最後に男にああされて、ああなっていいわけ? みたいな。
でも、僕は、あれはあれでとても良い終わり方だったと思う。
アノーラは、とにかく頑張った。
頑張って、頑張って、頑張って、最後はああなった。
でも、あれは「負け」ではないし、
「すがった」わけでもない。
彼女は、ああいうコミュニケーションしか取れない。
だから、身体を使う。相手は、それを最初、拒まない。
でも、途中で辞めさせる。
彼は、彼女を「使った」わけでもないし、
「なぐさめた」わけでもない。
だけど、なにかがふっと腑に落ちて、アノーラは●●のだ。
ちゃんと見てくれていた人がいて。
名前の由来まで気にしてくれていて。
なにより、ヤマネコのような彼女が、
相応に傷つき、ボロボロになっていることをわかってくれていて。
そんな彼を、「アノーラのほうが」使った。
そういうシーンだ。
僕は必ずしもあれが、二人に新しい物語が始まるエンディングだとも思っていない。
むしろ、あのあと、車のドアを開けて「じゃあね」――それでいいような。
傷ついた自分を自認して、ひとしきり胸を借りて、すっきりして、またひとりで歩いていく。それでいいのではないか。
そのほうが、アノーラらしい終わり方のような気がする。
ちょっと驚くようなエンドロールの演出も含めて(あと短いのが良い!)、くっだらないおバカな映画のわりに、とてもちゃんとしたものを観たように錯覚させる、ずるがしこいエンディングだったようにも思う(笑)。
― ― ― ―
この映画の本当に良いところは、人を責めないところだ。
セックスワーカーを責めない。
オリガルヒを責めない。
適当な奴、逃げる奴、イエスマン、バカな奴を断罪しない。
自分と違う人間を貶めない。
なんでも断罪する。右にせよ、左にせよ。
これこそが、いまの世の中が息苦しくなっている最大の要因だ。
そんなあり方から逃れているからこそ、『アノーラ』は最終的に賞を獲れたのだと僕は思っている。
予想以上にエッチでエロかった💕(もちろん褒め言葉)
ただ、アカデミー賞作品賞に相応しいかというとビミョーだなぁ。
マイフェアレディ→プリティウーマンと似たような流れの作品といってしまえばそれまでだが、今回はかなりの直接的な描写、有り体に言えばセックスシーンがこれでもかというほど描かれており、一歩間違えればAVビデオとしても使える…じゃなかった(笑)AVビデオと錯覚してしまうほどに。
そして旦那の大金持ちのロシアの両親に、そういう商売の女と結婚したと知られてしまい、新婦を置いて逃げ出したボンボンの旦那を探しに行くのだが、そのあたりから4人連れの凸凹コントが始まり、メンツはMrビーンもどき、ヒゲヅラおじさん、気弱なプーチン、そしてヒロインの我らがアノーラ!
…なんだこれww
ラストで鬼のような形相で強硬に離婚手続きを進める母親に対して、アノーラの捨てゼリフに何故か大笑いする父親が印象的で、ここで何かあるのかと思ったのは私だけではないよね。
ラストはレイプ魔ことサイコパスのニセプーチンとイイ感じで…と思ったら最後までエロで締めやがった!
いやぁ〜なかなか面白かったです。
アノーラさんは最後まで可愛いくてセクシー。
私もあんなお店に行ったらぜひ指名したい🩷
ドタバタ劇と罵詈雑言の嵐に涙が出るほど笑った…けど
アカデミー賞五冠に輝いた日にちょうど
アノーラの弾ける笑顔のポスターに惹かれて鑑賞。
シンデレラストーリーからのドタバタ劇と罵詈雑言の嵐には久しぶりに映画館で涙が出るほど笑った。
理不尽なことにあっても負けずに言い返すアノーラは美しい。
力強くアノーラを演じた、マイキー•マディソンのオスカー獲得は納得。
唯一1人だけ最初から最後までアノーラに寄り添ってくれたイゴール。
プライベートジェットでもさりげなくアノーラに水を渡したり優しい。
少し逸れるがイゴールが2本煙草を咥えて一本アノーラに渡すシーン、
「名もなき者」でののシーンがとても印象に残っていたので1人で興奮してしまった。
「名もなき者」の中では「情熱の航路」のシーンを模していて
両者ともとても素敵な表現だと思った。
アノーラの強さとイゴールがこの作品で出てくる人物の中での救いだった。
ワイパーの音からの無音、
エンドロール中に色々考えさせられる作品ではあったが
一生涯心に残る作品かと言われると個人的にはそこまでかな、、、
期待しすぎた?
受賞記念に急いで見に行ったところ、個人的には刺さらず期待を下回りました。
賞を取ったと思って観ると高く評価出来なくもないのですが、その情報なしだと星3.5でいいかなと思いました。(おそらく自分が見逃しているだけで、光る部分がたくさんあるのでしょうが…)
エロティックで華やか、コメディもあり、シリアスさや感動もあると良い要素は詰まっているのですが、そのせいでちょっと長い気もします。
ストーリーも想像通りの展開で、アカデミー賞受賞作品でなければ深い考察をしようとも思わなかったです。
傑作とはいえないと思うだけで、つまらないわけではないです。
アカデミー賞受賞作が気になる人、シンデレラストーリーが嫌いな人にはおすすめ出来ます。
個人的には必見ではないので、別部門の受賞作や別のノミネート作品を観たり、アカデミー賞に価値を感じない人は、全く関係ない気になる作品を観てもいいと思います。
R-18でこんな笑える映画がアカデミー賞取ったんだ
R18なのに最高でした
現代版「プリティウーマン」のリアル版
「プリティウーマン」のように上品ではなく下品でおバカ、
ストリッパーたちの喧嘩やFワードの乱発、R18なのでもちろんHシーン盛りだくさん。
Z世代は「プリティウーマン」のような「おとぎ話」なんて要らないのです。
コメディ要素多くて笑うシーンもたくさんあり、ラストはほんとにジーンときます。
色使いも監督ショーンベイカーらしくてお見事。
主役のマイキー・マディソンの宛書で作られた本作、
カンヌでパルムドールを取り、なんとアカデミー賞でも5冠になってしまった。
夫婦で観に行きましたが、最高に楽しみました。
初デートでもこんな映画が観られる関係性が良いな。だって、映画の本質ってそこじゃないんだから。
祝 作品賞
t.A.T.u.の一番売れた曲も忍ばせているとは、監督の目配せも大したものだとw
"ほろ苦さ"的にはしっかり味が染みている作品である 前半あれだけ裸とEDMをガンガン出していって、急降下なリアリティを見せ付ける演出は堂に入っている
ラストの嗚咽は、評価の分かれるところだろうが、自分的には、あの瞬間が限界だったのだろうという、ゴム(コンドームじゃないよ)を伸ばした先のビヨンドを表現したかったのではと好意的に取る
虎の威を借る狐であったって所詮、”狐” それでいいし、ずっと強さを維持なんて不可能 それをキチンと演出してみせた監督の目の付け所が、カンヌ&アカデミーのフィニッシュなのかなぁと・・・
自分的には『レッドロケット』の方が好きだけどねw
見事なラストシーン
今年のアカデミー賞で最優秀作品賞&監督賞&主演女優賞&脚本賞&編集賞の5部門を制した「アノーラ」
大金持ちに見初められた娼婦が右葉曲折した結果幸せになる令和のプリティウーマン的なシンデレラスーリーを想像してたら、なにこれ、全然違う!令和のシンデレラにはやはり厳しいリアルな現実ですか
世相を反映しちゃって夢物語なんて甘々なストーリーなんか受け入れられないって事ですね
過去はほとんど語られないけど多分移民のシングルマザーの貧困家庭育ちのストリッパー、アノーラちゃんの泥沼人生
23歳の若さで男をみる目なんてないアノーラちゃんは、どう見ても駄目男案件の金持ちドラ息子とノリのベガス婚しちゃう
信じてない表情に現れる夢と希望と愛を感じさせるアノーラの巧みな芝居が素晴らしい
案の定の展開で2人のおままごと結婚を邪魔する父親の手下達の登場
彼らのデタラメさが予想外で笑っちゃうレベルの無茶苦茶かげん
これがあちらの国での倫理感のリアルなんでしょうね
映画でしか見たことないけど世間にのさばっているロシアの金持ちと手下達はこんな風に傲慢で無法地帯さながらの行動をとりそう
付き従う手下もみんな嫌なヤツ
なんて杓子定規じゃないキャラクター設定もリアルでほのぼの笑っちゃう後半戦
ここは法治国家アメリカだぞ!
なんてツッコミ入れたくなるほどめちゃくちゃな行動をとりまくるし、若者に説教しだす辺りがもうね、笑いねらってますよね?
強いアノーラが男を信じてハチャメチャに戦う姿も好感もっちゃうし、キャラクター設定と脚本の捻りが凄く効いていて魅力満載
昨年のアカデミー賞の大作オッペンハイマー
歴史に残る殺戮兵器を生み出した科学者の苦悩に比べるとやはりインディペンデント系だけにスケール感の小さい物語
だけどそこにはストリップダンサーの受ける差別と権力者の傲慢さが簡単に人を踏みにじる様コミカルに描き出したのは凄い
かすかに見えた愛の光を掴み取り、偽りの幸福からまたどん底に舞い戻るアノーラの感情の起承転結の見事さ
ラストシーンのアノーラの行動
独りぼっちで戦っていたアノーラに唯一味方してくれた彼
優しさのお返しに、強がるアノーラのあげられるものの悲しさ
娼婦扱いされるたびに「私は娼婦じゃない!」と強がっていた小さなプライドが砕け散る瞬間
全てが集約されているラストシーン
突きつけられた現実に心の堤防が決壊した瞬間
お見事です
2人はこの後どうなるの?
そんなの関係ねー!
夢なんかないよ!の無音エンドロールですね、はい
私ここでゴリゴリヒップホップなエンドロールが聞きたかったです
色んな味のするスルメ映画でした
名前には意味がある
オスカー授賞式前に観たんだけど、まさか作品賞をはじめ主要部門をまとめて獲るとは。おめでとう!
正直なところ、これまで観たショーン・ベイカー監督作品の中で個人的に一番好き、というわけではないですが(一番好きなのは『フロリダ・プロジェクト』)、それでも主人公のアノーラがある人物を捜し始めるあたりからどんどん面白さが増していったのだった。ちょっとあのパートはガイ・リッチーの映画を思わせるところもあって愉快。
道に張った氷でコケて以降、ゲロ吐いたりダウンしてたり一切役に立たないアイツとか、アノーラとかかわるコワモテの奴ら全員がどんどん可愛く感じられていく。
アノーラの「“イゴール”は使用人の名前」というヒドいセリフには不覚にも笑ってしまった(ボブチャンチンに謝れ)。でも「アメリカでは名前に意味なんかない」と思っているアノーラに、イゴールは自分の名前の意味を伝える。そして“アノーラ”という名にもやはりちゃんと意味はある。
『プリティ・ウーマン』のラストのファンタジーを吹き飛ばすような苦味も感じさせる本作品は、これまでの『フロリダ・プロジェクト』や『レッド・ロケット』と続けて観てくると、性風俗産業に従事する主人公にも、そしてなぜ「ロシア」なのかもなんとなく合点がいく。
ロシアの富豪のバカ息子の尻拭いに奔走させられるアルメニア人の部下たち。
幼稚で醜悪な成金に牛耳られたアメリカの凋落と、世界の惨状をふと重ねたりして。
俺はレイプ魔じゃないから、というイゴールの誠実な言葉が、まるでどっかの超大国のバカ大統領に対する皮肉のように聞こえる。
“名前”とはその人の存在そのもの。名前を大切にすること─それは人を大切にすることでもある。
授賞式のプレゼンターも務めていたタランティーノの映画(そういえば『パルプ・フィクション』で、アメリカでは名前に意味なんかないとブルース・ウィリスが語るくだりもあったな)でディカプリオに火炎放射器でバーベキューにされていたマイキー・マディソンが、ディカプリオよりも遥かに短いキャリアで若くしてオスカーを手にしたのも痛快。王子様にただ見初められたのではなく、監督に彼女の存在がインスピレーションを与えてこの作品は生まれた。
アノーラという名前は、彼女を演じたオスカー女優の名とともにこれからも記憶されていくのだ。
辛口です
色々あって見事繰り上げ当選を果たした本作
夫はもう1人の主人公だ、みたいなズレた意見は置いといて(ツーショットシーンでのピントの置き方やあまりにもステレオタイプなキャラ造形でそこに意識は置かなくていいよ、という意図がわかる)、主人公は最初は割と受け身の大人しい印象だったのが、玉の輿のチャンスに喰らいつく行動力を見せ始めてから印象が変わります。
夫のお目付け役達が来てピンチになってからもその行動力を見せるのですがあまり状況が良くならず、これも意図的なのかもう1人の主人公とも言える若いお目付け役の青年に意識が向くようにしています。
言われた任務はこなすが割と傍観者的なこのキャラクターを通して主人公を観ると、憐憫とも尊敬とも取れる複雑な感情で見える様になってきます。
最後は結局事態が好転せずハッピーエンドにならないのですが、音楽無しのスタッフロールで鑑賞者に君はどう思う?みたいに考えさせるようにしています。
多分監督の考えはラストシーンのお目付け役の彼の行動が全てだったのだと思いますが、女性から見てこの映画はどうだったのか気になるところです。
私は締め方が良ければ全て良しのタイプなので音楽無しのエンディングがあざとくて冷めちゃいました。
お目付け役の人はロシア映画では主役級の割と有名な人なんですね。
祝 アカデミー賞受賞
観よう観ようと思いながらも観る前に第97回アカデミー賞5部門受賞。
マイキー・マディソンが主人公アニーを文字通り全身全霊で演じています。
彼女は「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」に10代の頃、セイディ役で出演していたんですね。
そしてイゴール役のユーリー・ボリソフがいい味を出していました。常識人で普通の彼が一番まともなのが逆に浮いてしまうという図式が面白い演出でした。
作品トータルだと少し上映時間が長いかと(139分)。
また作品のアピールポイントが「シンデレラストーリーのその先」を描いているとの事ですが現実的な分、男女間の性やらドロドロがこれでもかと映し出されているので決して万人向けの作品ではないです。
正にBitter End、現実は厳しい🤣
面白かった‼️観終わったら、カンヌのパルムドールに加えて、今日アカデミー作品賞を受賞したと知り、納得👍
(W受賞ってこれまで3作しか無いんですね)
映画冒頭Bitter Endと表示された通り、プリティウーマンのようなおとぎ話はありませんでした😂
イゴールの30歳の誕生日は最悪か
脚本賞、編集賞、監督賞を受賞して何度も登壇するショーン・ベイカー。愛想の良さそうな笑顔を振り撒いていたが、主演女優賞、作品賞も獲って5冠を達成した。
アカデミー賞受賞式の直後に受賞作を観ると言うのもあまり無い事なので、時間がピッタリだった「アノーラ」をMOVIX川口で5部門受賞1時間後に。
NYでストリップダンサーをしているアノーラ(マイキー・マディソン)は、ロシア系アメリカ人でロシア語が判る事から店に来たロシア人の富豪の息子イヴァンの相手をする。ロシア語が通じてアノーラを気に入ったイヴァンは自宅までアノーラを出張させる。
アノーラにハマったイヴァンは、週1万5千ドルで契約彼女にするが、友人達とラスベガスに繰り出し羽目を外した勢いでアノーラと結婚式を挙げてしまう。
アメリカ人の娼婦と結婚したと聞きつけたイヴァンの両親は怒り心頭で息子を離婚させロシアへ連れ帰るためアメリカまで来る。アノーラは抵抗するのだが…。
さて、どんなものかと小雪舞い散る中、川口まで出かけたが、脚本賞、編集賞を獲った割に前半が長い。また、4人で逃げたイヴァンを探す所もテンポが悪い。
結局婚姻は無効とされ、手切れ金1万ドルを受け取ったアノーラは家に戻るが、家まで送って来たロシア人の用心棒イゴール(ユーリー・ボリソフ)の不器用な優しさに触れハグされたまま泣き崩れる。
イヴァンとアノーラを別れさせるために付いて来たイゴールが、イヴァン一家のアノーラに対する扱いを見てアノーラに同情して行く様が切ない。
アノーラは気付いていないが、イヴァン一家にアノーラに謝るべきだと主張したり、黙って酒をついだグラスをアノーラに渡したり、NYに戻る飛行機の中でアノーラにブランケットを掛けてあげたり、2本のタバコに火をつけて1本をアノーラに渡したり。
最後にトロスに取り上げられた4カラットの結婚指輪を「トロスに言うな」と彼女に渡すのだ。
ハグしたままの二人に車の窓に降り積もる雪、ワイパーの音だけで映画は終わる。
助演男優賞にノミネートされたユーリー・ボリソフが印象的だったが、彼だけ受賞出来なかったのが残念。どこかで観た顔だと思ったら「コンパートメントNo.6」の男だった。
しかし、18禁でアカデミー賞5冠か。
外は雪混じりの天気とはいえ、キャパ210の劇場に観客は3人だけだった。
おまけ
家に帰って来てチェックしたら3月8日に来日して新宿で監督の舞台挨拶があるじゃないか。売り切れ間近だった。
登場人物すべてがキャラ立ちしていて面白かった!
コメディーっぽい内容の中にリアリティもあって、没入感がある
この映画のショーン・ベイカー監督の前作「レッドロケット」もそうですが、男女の関係性のネジれや辛い部分を描いた後に、ドタバタ劇が入ってきて、最後は本心を曝け出した上で一つの方向性を示した終わり方がなんとも後味がいいです。
「24時間ホワイトチャペル」から突然ギャグパートに入った感じで、ある意味悪ノリしたような展開になって、カオスな会話劇になるのですが、合間合間のシリアスなシーンにぽろっと大事なホンネの台詞が挟んであるのがたまらない。
女の体の価値をよく理解していて、それをお金に変えていたアノーラは、資産家の息子に見初められて結婚まで漕ぎ着くが、根本の所では遊び楽しむための価値でしかなかった事に気付かされて傷ついてしまう。
一方で冴えない平凡な男で、さらに女好きでもないのでアノーラの価値を全く理解しないイゴールに、優しさを感じて泣いてしまう。
信じていた価値が実は重要なものではなかったので、ショックを受け傷ついてしまった。
だけどそんなものが無くても優しくしてくれる事を知って、嬉しくて泣いてしまった。
シーンとしたエンドロールでそんな事を考えさせられるいい映画でした。
2025年度アカデミー作品賞!
アノーラ役のマイキー・マディソンの演技が凄まじい。アカデミー主演女優賞も納得の好演だった。
イゴール役のユーリー・ボリソフも好演を披露。映画を観た誰もがイゴールを好きになると思うほどに魅力的なキャラクターを演じ切った。
中盤の長尺に渡る怒号の応酬はコミカルで引き込まれるし、アルメニア人たちもみんな個性的でモブ感がないのが良かった。4人で街にイヴァンを探しに行く展開はロードームービーっぽいし、アノーラを時折気にかけるイゴールが可愛い。
〜ラストシーンの個人的な解釈〜
今まで客としてしか男性と接して来なかったアノーラは、イゴールからの見返りを求めない優しさに困惑してしまう。性的な快楽を与えることでしか男性と関わりを持ったことがなかった彼女は、イゴールに対してもそのようにして好意(もしくは感謝?)を表現しようとする。しかし、彼にキスを求められると、彼女は男性からの優しさや愛といった未知なるものへの恐怖からか、はたまた今まで目にしてきた男性の醜い欲への嫌悪からか、それを拒絶する。そして、我に返ってそのことを自覚し、真に心を許せる男性の胸で感情を爆発させる。
長い
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